はてなキーワード: 芸大とは
なんか誰かと最近考えていること、思ったこと、見たもの、読んだものなどなどばーーっと話したい。そういう友達とか、コミュニティとか欲しかった。。。今も昔もそんなのは自分にはなかったな。。
twitterがそういう空間だった時もあった。でも最近はてきとーにTL眺めてるだけ。。。誰の、、なんのコミュニティにも属さず漫然と生きてきたな。悲しい。寂しい。
ずっと一人で仕事しつつ(リモートという意味)、スーパーとか生活のための買い物だけの静かな生活。全然それでいいんだけど、たまには本屋とか服屋とかにも行きたいような。クラブとかライブとかもたまーに行きたいような。カフェで読書なんかもしていないなあ。
もう出かけると疲れちゃうんだよね。おしゃれ着だと肩凝っちゃう。昔からだけど今は特にそう。痩せてきて体力もだいぶ落ちたから、ふらふら散歩しながらウィンドウショッピングなんかもうできないんじゃないかな。
静かで老人のような生活だ。それでいい。でももう少し世界と関わっている感覚があってもいいんじゃないかという気がする。昔は音楽のトレンドおったり、情勢を眺めたりしていた(とはいえtwitterメインで誰かのフィルターを通してだけど。)ニュースとかも見ないもんなあ。なんだか一人ぽつねんと向いていない仕事に奮闘していて逃げ場がない。
目標、ないなあ。成長したいという欲求もあまりない、少なくとも仕事においては。楽になりたい、とだけ思う。。ほんとは成長とかしたかったんだけど、ずっと挫かれてきた。これが挫折か。。?成長意欲は仕事とは違う方向に向いているんだ。芸術・学問、なんでもいいけど。なんだかビジネスは心が萎縮してしまう。競争とか。競争苦手だなあ。
サイレントテロ。何も欲さず静かに死んでいくというそのコンセプトに惹かれる。けど、いそいそと心を削りつつ仕事をしている。静かに死んでいきたい。悲しいけれど。
今思い出したけど、なんかいろいろやりたいこととかあったんじゃないかな。。高校生のころ学部を卒業したら芸大とかにいけたらなって一瞬思った。結局なんの努力もせず今ここにいる。自分のやりたいことを誰にも話してこなかった。それがいけなかったのかもしれない。うーん。芸術に憧れたり、脳科学?神経科学に憧れたり。そういうのはあったけど。。誰にも相談しなかった。する相手もいなかったし。
アイデンティティが壊れ続けるこの数年間。かつてアイデンティティが確立されたことがあっただろうか。そんなこと気に止めたこともなかったか。俺は何がしたくて何を選択してきたんだろう。。仕事していると打ちのめされる。楽しく仕事している人を見ると羨ましさと恨めしさどちらも感じる。俺はあまりこういう世界で生きていくのは向いていない。でも他の世界を知らない。世界はどんどん狭くなり、行き場をなくし、想像力が奪われ、静かに死んでいくのを待つだけになる。
このまま人生を進めていって何か「喜び」があるのだろうか、と思う。誰かがラジオで、「喜びや恐怖」は「予感」だって言ってたけど、けだし名言だと思う。「予感」がない、のである。
ネットで頑張って調査したことは伝わってくるが、分数の表記間違いがどうでもいいくらいに、根本的なことを間違っているので指摘をする。
結論から言うと藝大を含めて美術系大学の合否は努力の差で決まる。
でもなんで藝大合格者のほとんどが関東の都市部出身者で占められるのかっていうと、以下に理由を挙げる。
あと、藝大志望者のほとんどが変な人ばかりと書いてあるけど、極一部の人だけだから。
センター試験でも、英単語の書かれた服を着ていたり挙動がおかしかったりで試験官に注意される変人はいただろ?
でも、それ以外のほとんどの人はまともだっただろ。
美術系大学でも同じで、藝大は受験したことはないから詳しくは知らんが、変わりはないはずだ。
単に、変な奴はたった一人でも目立つだけ。
合格をする大多数のまともな人は目立たないけど、普通であることにコンプレックスを抱いていて変人であることを望むから、受験者は変人ばかりだという武勇伝じみた話が残るってことだ。
正確に言うと大学に入る前であるが。自分は大学の「学部」で大学を選んだし、勉強のモチベに繋がったしそれは良かったと思う。
ただ元々将来芸術系に進みたいと思っていたのに、勝手に一般大学の方が良いという固定概念があった。
「芸大何て就職先が無い、1年じゃ目指せない」よく言われるが大嘘である。芸術系の職に就く際に「芸大卒」はそれだけで就職し採用されるほど重要な肩書き。
芸大卒で一般職に行く事は出来るが、逆は非常に難しい。「やりたいこと」かつ「つぶしが効く事」で大学を選ぶのが大事。ここでズレてしまってニートになってしまった。
●やってよかったこと
「人生において若いうちにクリアすべきものは遊びとセックス」なんて言葉があるが、大学生活においてクリアすべきものは飲み会とサークルである、と思う。
多分飲み会は入学して3か月くらいで飽きるけれど、将来道端で酔いつぶれてる大学生を見て「あんな時代あったなぁ、正直友達数人としっぽり飲むのがいいわ」と見つめるのと、嫉妬で見つめるのはストレスが違う。
サークルに関しては異性が沢山居るところに入った方が良い。これも正直「異性なんて大したことないんだな」と思えて将来の心持が大きく変わる。
正直大学の勉強なんて単位すら落とさなきゃよくて(理系以外)サークル活動に打ち込んで色々体験をした方が、就職やおじさんおばさんと話す時に有利になる。
大学の勉強は「本格的な勉強のやりかた」つまり論文を読んだり、論文があるサイトをいくつか頭に入れたり、レポートを書いたりする事を学ぶつもりで良い。
サークル活動とはつまり人間関係のやり方である。サークルで知り合った人間関係は、後々の人生に大きく響く。ここで知り合って仕事を紹介してもらったり、依頼されたり、苦しい時は助けてくれる友達が出来た。
●やらなくてよかったこと
・将来に繋がらないバイト
バイトをやったが、バイトでの人間関係はあまり役に立たない(事が多い)。いろんな人が居るという事は、底辺から上辺まで居るという事で、大体の大学生が入れるバイトは底辺が多い。
真実として同じ年代の人はサークルの人間関係とバイトの人間関係はサークルの方を優先するし、「二番目の人間関係」に甘んじる事になるし、立場が低いし給料も低い。
ただサークルに入るのに失敗した人は、バイトに打ち込んで人間関係を学んだほうが良い。
●やるべきだった事
・個人事業主として働く事
バイトをやらない一番のデメリットは、周囲に叩かれる事。実家住みや親に家賃払ってもらってる人が何故かマウントを取ってくる。
そういう場合に一番いいのは、個人事業主として働く、つまりランサーズとかに登録して個人として案件を受ける事である。ぶっちゃけて言うとバイトより立場も給料も低く買いたたかれるが、
将来ライターやイラストレーターや諸々、「場所や時間に縛られない副業」を将来する場合に、「実務経験」と「経験年数」は選ぶ側にとって強い指標になる。
大学生は忙しい時間も多いが、同時に暇な時間も多い。こういった「将来につながる副業」をすることで、将来仕事を変える際の「心理的な負担」が大きく減る。
・女遊び
「人生において若いうちにクリアすべきものは遊びとセックス」とは言うが、遊びがサークルやバイトだとするなら、セックス、つまるところ大学生のうちに「異性をリードする経験」を積んどく必要がある。コンプレックス云々出なく、結婚を見据えた計画のうちの女遊びである。風俗遊びとかそういう事じゃない。
女性の場合は待ってれば男は来るが、男の場合ある程度経験を積まないと異性は捕まえられないし、結婚なんてその先である。
大学卒業後に初めて女性と付き合ったが、その時絶望した。女性と付き合うにはかなり技術が居るし、その技術の習得はかなり時間がかかるという事だ。「可愛くて性格良い」子は大体22歳までには絶滅する。
とにかく「セックスまでありつく技術」を18歳くらいから磨く事。「自分は童貞のまま、可愛くて性格の良い子を見つけて結婚するんだ」なんて幻想は高校生までに捨てる事。
逆に女は「異性を『リード』する経験」か、若しくは「婚約相手」を見つける方が良い。ヤリサーで男と乱れたり、間違ってもクラブでナンパされたり、マッチングアプリでイケメンと遊んだりしない事。ホストやキャバ嬢を飼わない事。飼われてるのはお前な。
「リード」されてしまうと、人間関係を維持する技術が逆に衰える。
周りを見ると、「異性にリードされる経験」を積んでしまった男女は、後々男女関係に「詰んで」しまう。例えばガールズバーで働いてしまうとか、パパ活をやってしまうとか。年上女のヒモになるとか。彼・彼女らがやってるのは「不幸になる技術」出会って幸せになる技術じゃない。
人間関係で「主導権を握る技術」を鍛える事。「主導権を握られる技術」なんて無いからマジにするな。「他人から」ブスと言われるなら整形して主導権握れるようになれ。
「大卒」より重要な肩書、「まともな大企業の入社経験」である。どんな企業も3年居ろ、と言うのは嘘だ。名前の売れてない企業に3年居ても意味はない。「フリーランス3年やってました」の方がウケがいい。そういう世界だ。
業界内では暗黙の了解なのだが今年はかなり目に付くようになったので書いておく。
今全国で都道府県大会が行われている「吹奏楽コンクール」。小学生から社会人(一般部門)の団体まで悲喜こもごもの様相が繰り広げられているが、今年はその大人達が集う「一般部門」のとある傾向が一気に悪化している。
吹奏楽コンクールははアマチュアの大会なので「職業音楽家」、いわゆるプロの人は演奏側としては参加できない規定があるが(可能なのは指揮者としてのみ)、一般部門ではその職業音楽家の人が隠れて参加することがある。
目的は、正規団員の数と質が足りない団体がそれを補うためである。
このような「偽アマチュア奏者」として出てくる職業音楽家は、音大や芸大を出たものの音楽の仕事に恵まれない層である。プロのオーケストラや吹奏楽団に所属している人が出てくることはなく(出てきたらバレてしまうため)、時折そのようなプロ集団にエキストラで参加できるかどうかのレベルの人がコンクールにも「エキストラ」として参加してくることがある。もちろん音楽の仕事だけでは飯が食えないので、彼らの多くはコンビニバイトとかとセットで食い扶持を稼いでいる。
コロナ禍の影響で、一般部門の団体の多くが人数減という状況になっている。理由は、一般部門の団体の正規団員は医療従事者やエッセンシャルワーカーの割合がかなり高く、課外活動の自粛を未だに強いられている人が多いこと。またその様子を見てる他の団員も結構な割合で活動から離れてしまうことの2つ。
もちろん新規メンバー募集も強くかけているが、「いつも一緒にいる人以外との交流を自粛」が言われているいま、コンクールに出るために必要な人数を揃えるのは至難の業。
そうなると、必然的に「売れない職業音楽家」を集めてコンクールに出ようという動きになる。少ない正規団員から1人あたり数万円以上の出場費を徴収し、売れない職業音楽家達へのギャラを用意して、彼らをエキストラとして招聘してコンクールに出る。もちろんバレたら失格なので、表向きは正規団員の体である。コンクールに出るためにはメンバーの現在の勤務先をエントリーシートに記入して提出する必要があるが、そのような職業音楽家は上述の通りほぼ間違いなく何らのバイトを掛け持ちしているので、そのバイト先の企業名を書けば吹奏楽連盟側のチェックは通ってしまう。
今年のコンクールの一般部門はそこまでやって出場を果たしている団体が結構ある。中には10人以上の職業音楽家を集めてきた団体もいる。
吹奏楽コンクールはアマチュアの大会ではあるが、このように社会人(一般)部門は、「売れない職業音楽家」のセイフティネットのような側面もあることは知っておいて欲しい。
でもそれって大麻とかやってぶっ倒れてるだけのジャンキー達と扱いが変わんないじゃん
元親友さんのことを語る上で元親友さんが描いたものが一つも出てこない、一つも印象に残らないから元親友さんはなんの芸術的作品も作れないまま年上の既婚男性に抱かれることを習慣にしてしまった
不倫をする人間には吐く人だっている?された側も大層気分が悪いだろうね
でもだからどうしたのよ、芸大志望なんだろ?なんで筆を取らねえんだ?
なんで描かねえ、なんで描いて「ああこの子の今までの行動はこの作品のためにあったんだ」とずっと見ていた奴に思わせられねえ
そこがげーずつかなんだよ
気質とかじゃない、酔ってんだよ
脳内物質に酔って、人間に酔って、自分に酔い潰れて、自分が何のためにクサいおっさんのチンチン舐め始めたのか忘れちまったんだよ
俺はね、そういう芸術家に金出してくれる奴のことをパトロンだと呼んであげてもいいと思うよ
でも、何の目立った作品も無いならただただ家庭を壊して脳内物質ドパドパ出してるだけのジャンキーなんだよ
それはパトロンなのか?芸術家の芸を殺すのがパトロンのすることかよ
そして、その評価は元親友を嘲笑(おも)ってこんな増田を書いた元増田がもう一度元親友の作品を見つけるまで変わらないんだよ。
だから元親友は作るしかないの、私の人生はこうだったぞって作品を作って元増田やパパ活ジジイやパパ活ジジイの哀れな家族達をアッと言わせるのよ
「全員強制参加の隠し芸大会はパワハラの一種であり、法律によって禁止されるべき文化だ」
日本が高度に経済で成長しているとまだ信じていた頃、私は小学校に通っていた。
そして私がいわゆる高学年の頃、教師はやや熱血漢で、今で言う陽キャであり、小学生は誰もが陽キャだと信じている人だった。
ある日彼は
「お楽しみ会をやろう。皆が1回ずつ芸をやるんだ」
と口にした。
『うぜ~~。クソデカ宿題をノータイムで投げつけてきたぞアイツ』
となっていた。
その雰囲気を肌で感じとるうちに私はこう思ったのだ。
『どうせ皆やってこないから何も用意せんでも皆で怒られればええやろ』
と。
そして本番が始まった。
・小芝居
・組体操
・一輪車
・クイズ
・モノマネ
などの芸を次々と披露していく。
『さすがにそろそろ誰も出てこなくなるだろ』
と信じながら、残り人数が減るにつれて冷や汗がたれてきた。
『なぜあの陰キャまで……つうかアイツらの一輪車って隠し芸でもなんでもないがありなのか?つうかバク転って……毎日やってるがいいのか?』
そうして最後に3人が残り、吊し上げが始まった。
「Aくんがまだ残ってるよね?」
「Bくんもいるよ順番を早く決めなよ」
「Cくんやった?」
何かを察した教師はその3人を中央に立たせ、淡々とこう告げた。
「緊張しちゃってるんだな。じゃあ次のクラス会のときにやってくれればいいから」
私のクラスは週1でクラス会と言う名の中規模なホームルームがあり、遠足の班を決めたり学級裁判をしていたのだ。
これが意味する所は、
『これから毎週お前達が芸をするかしないかを追求していくからな』
である。
「じゃあ、A・B・Cは芸をやってくれるかな?」
なるほどね。
それぞれが10:1の不利なメンチ戦を仕掛けられたじろぐ中で、Aが手を上げ、そっと前に出てくる。
教壇に向かって歩み出てて、お互い無言で教師と場所を入れ替わる。
見えない……。
とはいえなんだかんだ手品っぽいことが行われているので、彼の雰囲気をクラスが察し身振り手振りに合わせて声が上がる。
元々緊張しいのAは最後にはプルプルとなりながらも手品を終え、無言で自分の席に歩みだす。
そして、私達2人に向けて注がれる視線を、3分間下を向いて耐え続けると。
「じゃあ次のクラス会でやってくれよな。次の議題は」
一週間ごとの晒し上げタイムが定番となったまま冬休みへと突入していった。
もはやクラスの全員は我々2人をある種のレジタンスとして認定し、教師はその状況に対して淡々と追求をするだけとなっていた。
「じゃあ冬休み中に芸を考えてくれたよな。B。C。」
もちろん、何もない。
私とBは特に仲が良いわけでもなく、遊ぶグループも違うので口裏合わせのようなものは一切なく、ただただお互いが純粋にやるのが面倒くさいから何も用意してきていないだけだった。
『2人で組んでなんかやればいいじゃん?』
という話題が私に振られることもあったし、教師が私達に個別で言ってきたこともあった。
だが2人で組もうがなんだろうが、そもそもやりたい隠し芸がない。
今になって考えれば簡単に「犬と飼い主」や「二人羽織」等の定番コンビ芸を1時間ぐらい練習してさっさとやればいいだけだと思えたろうがとにかくその頃の私達は違ったのだ。
季節は巡っていき、やがて春が来て、私達は卒業していった。
卒業式が終わった後、クラスにそっと集められたとき私はなぜか。
『まさかここで、隠し芸の話はしないよな?』
と思いながら教師の話を聞いていた。
話が頭に入らない。
隠し芸の話をするなと祈ることと、そう祈っていることが察せられないようにするので精一杯で何を言っているのか聞こえなかった。
この話はここで終わる。
ただこんだけの話であるが、あの日3人揃って晒し上げられたときの空気は今でも忘れられない。
ちなみに中学生の頃、私は隠し芸を2つ身につけることになる。
それを使って大学時代はコンパをし、社会人になってからは飲み会でいきなり振られた時に披露したりもした。
なお、ものすごく評判が悪くてどちらも大失敗に終わっている。
隠し芸文化はクソだ。
以上だ。
オチはない。
将来は漫画家になる。
とくに何もせず
高校へ。
芸大を目指す
受かる
みたいな。
漫画家になるなら芸大いく必要なくね?あなたがするべきなのはデッサンじゃなくて漫画を描くことで。魅力的なキャラクターは?コマ割りは?ストーリーは?そういのに悩みながら編集のところにもちこめよと。
なーんにも学ばずに20歳超えてから漫画家になりました。ちゃんちゃん。
えらく遠回りだなと。
運が良かっただけにしか思えない。
高校の頃
「芸大なんて余裕でしょ」
「私の画塾来る?」
友達さそわれてー恩師にあってーって展開でなんとかしてる。どうする気だったの?!受験期にやっと画塾に入ってるのが驚きしかない。
それから落ちて悩んでるの読んだけど
(漫画描けよ)
としか思えない。なんかデッサンについて悩んでるけども。描けよと。
すごかった
※ひたすら胸糞話です。
知人が漫画家志望だった。諦めたとの言質取ったから過去形にする。
知人は10代のころからすでに漫画家になるんだ!って宣言してたと思う。
当時はまあまあ絵が上手かったと記憶している。知人はファンタジーバトルものが好きでサ●デーやジャ●プが大好きだった。よく当時連載していた漫画のキャラのイラストを描いていたとも思う。高校では漫研に入っていたし、親が社長で金持ちだったので、大学は地元の芸大の漫画コースに進学していた。
私はグラフィックデザイナーになりたくて、地元から離れた都会の大学に進学。デザイン系のコースに入った。
大学3年生くらいまでは半年に一回程度(長期休みの時)は会っていたような気がする。その時も編集やDTPの授業を一切受けずに漫画家デビュー向けのカリキュラムをとりまくっていると聞いた。憧れていた集●社でデビューしたいと話してくれた。その時にはもう絵を見てないけど、記憶では絵が上手かったはず、と私は勝手に信じこんで無邪気に応援していた。
就活に必死になってしまいそこから疎遠気味になり、大学卒業後、しばらく知人と会うことはなかった。
というのも、私は焦りから新卒でN●Kの取り立て代行の会社に入社してしまい、5年を無駄にした。精神的にズタボロになって会社を辞め、今は1年半のニート生活を経て、地元で求人チラシのデザイナーとして再就職している。
30歳目前になって、知人と久々に会うことになった。大学卒業後、連絡もしていなかったので卒業後のことをお互い話した。私はここには書けないくらいエグいことをわりと赤裸々に話したと思う。
驚いたのは知人が卒業してから7年近く「漫画家志望」だったことだ。
就職せず週3地元のスーパーでアルバイトをしながら漫画家の夢を追っていた。しかし、そのアルバイトも半年前に辞めたという。
「今どこかに応募してるの?」
「どこにも。でも新作のキャラは考えてるよ」
「これまでに描いた漫画見せてくれない?pi●ivとかやってるよね?」
「pi●ivとかSNSはやってない。だって下手くそな二次創作とか見ても仕方ないじゃん」
ん?
「というか、ちゃんと描いたの卒業課題が最後かも。面白いキャラクター設定とかストリーとかは次々浮かぶんだけどね。辞める直前、バイトでリーダー任されてたんだ。だから描く時間がなくて」
「そうなんだ。どんな話なの?」
聞いてないのに答えてくれた内容に、最低だが内心爆笑していた。
たぶんこのあたりから、なんだこいつクズかよおもしれーじゃん、みたいな感情が沸き上がっていたんだと思う。
すごいね、と適当に誉めて続きを促すと、知人はどんどん設定を語ってくれた。科学と魔法が発達した和風スチームパンクな世界観で少年少女がレジスタンス的に社会に立ち向かっていくバトル漫画なんだそうだ。(記憶の限り聞いたまま書き起こしたが、当時の私はこの時点で理解を放棄したので正しくないかもしれない)
要素だけを分解すると、一つ一つはよくある設定だが、なんか盛り込みすぎてよくわからない。
知人はこの話を漫画にすると300pをゆうに越える超大作になるんだと息巻いていて、これをジャ●プで連載するつもりなのだと言った。
私はマスクの下でニヤニヤが押さえられなかった。
知人はスマホを操作し、数枚の写真を見せてくれた。普通に罫線のあるノートに、キャラクターが鉛筆で描かれている。
骨格を無視した関節等各部の位置。裸の状態のアタリが想像できないポージング。どの角度も大きさが左右対象な目。体に対してやたらとデカい手指、男女共に不自然なまでのお腹の括れ。
あと、ラフなのにかなり線が濃い。写真なのに顔のアタリがはっきり見える。というか消しゴムで消した後もはっきり見える。いや、筆圧強すぎない?!
「すごいね…。そういえばジャ●プ、Web版のほうでストーリー設定から応募okの賞あったし、設定だけでも応募してみたら?」
「webはちょっとね…。私、デビューするなら絶対雑誌がいいんだよね」
「それか、今は同人とかでバズってデビューとかもあるし、同人誌として出してみたら?」
「うーん。面倒だし同人誌ってなんかかっこわるいじゃん」
「仕事辞めたし、時間あるんでしょ?今、こういう設定の絵って週にどのくらい描いてるの?」
「月に2~3枚かなあ」
嘘でしょ。
週換算で小数点以下?
「いやいや…雑誌で連載してるプロだって、毎日描いてるんじゃない?」
「やっぱ足りないと思う?」
地雷を踏んだ気配がするが、その時はもうブレーキがぶっ壊れてた。
「それ、とりあえず完成原稿にしてみたら?」
「できるかな…終わりが見えない…」
なぜか急にしおらしくなったので、よくよく話を聞くと定職につかず漫画にも向き合っていない知人を両親は心配していたようで。
バイトも辞めたし、この機会に漫画家を諦めて就職したら?とつつかれるのが嫌なんだと。
どこまで楽しませてくれるんだこいつは。
しかもこのラフとやらをポートフォリオとして持ち込むらしい。正気の沙汰ではない。
その後、2つのスクールで不採用となり、それがトリガーとなったのか、先日「漫画家、諦める」というラインが来た。
最近共通の友人経由で聞いたところによると、就活に向けた準備をしているんだそうだ。なんの準備が必要なんだろう…。
僕はもう10年以上、作った曲をネットで公開し続けている、オタク的創作界隈の人間です。
全くの無名ですが、自分の持っている蚊かハエかぐらいのコミュニケーション能力をフルに発揮し、新しい曲をアップした際にはTwitterなどで宣伝をしつつ、活動しています。
で、今回はTwitterを眺めていると時々流れてくる、乱暴に言うと「もっと私の作品をいいね、RTしてよ!」って漫画、あれを見た時に僕が思うことを書きたくなったので、書きます。
「いいね、RTしてほしいならプレゼンをがんばったらいいのに」
です。
ちょっと申し訳なさげに「自分、こんなに深く物を考えながら創作してます、良かったら…」って感じの漫画、僕は読むとなんだか恥ずかしい気持ちになるので、意識的に避けてます。
もちろんそうじゃないものもある、と理解はしていますが、ここは一度ズバッと言わせてください。
結局あれ、知らない人に突然「お金ください」って言ってるのと似ていると同じでは。
自分には他の人とは違う才能がある、と思っていたクチの人間です。
いや全員がそうじゃないのはわかってますが、ただ他の学生に対するライバル意識、対抗心が少なからずあると思います。
あいつより俺のが上手いとか、なんであんなのが評価されて私のは全然なんだ、とか。
実例は僕です。
で、そういう僕みたいな人間がよくやることが「作品は語らずとも理解されるだろう」というスタンス。
説明をしなくても、見れば僕の考えが、作品の意図か汲み取れるはずだ。
ってやつです。
そんなイキりを周囲に振り撒きながら生活していた僕ですが、ある日先輩(二十代で企業して現在は億を超える広告案件をこなす仕事バリバリな人)に言われました。
「アーティストとしてのかっこよさに憧れて自分の作品についての説明をしない人、説明した方が良いよって言っても『自分はそういうスタンスだから』って納得しない人って多いんだけど、これ「作品」を「仕事」に置き換えたら、すぐにピンと来るはずなんだよね」
と。
では、置き換えるとどうなるか。
生活するにも、やりがいを感じるための手段としても、間違いなくお金は大切ですね。
会社に予算をおろしてもらう、あるいはスポンサーなど企業についてもらわないといけません。
その時、企画会議で「プロジェクトを立ち上げました。お金が必要なのでください」と単刀直入に言うのか?という話です。
プロジェクトを立ち上げ、それを進行させるための資金を集めるならまず、プレゼンしないといけませんよね。
これはどういう意図のある企画で、こういうデータから採算がこれぐらい、こんな利益があり、将来的にはあんなことが出来る。
しっかりと市場リサーチし、的確な資料を準備しないと、出資者は納得も信用もしてくれません。
やっぱり企画書がちゃんとしている、信用できるものにお金を出したくなります。
「やりたいからお金ください」なんてシンプルな文言、見たことないです。
先輩の言葉に、その時の僕は「僕も昔からそう思っていました」ばりのリアクションを取りましたが、内心ズタのボロのグシャでした。
ということで「作品」を「仕事」に置き換えると、作品を説明する必要性についてピンと来るはずです。そういうものを超越しまくった才能がない限り、押さえておきたいスキルかなと思います。
作品を作ること、とくにネットでの創作活動は、無料であふれています。日々Twitterに、無料で見れるすてきな作品が延々と流れてきますね。
その作り手側が、お金の代替えとして求めるもの、つまり欲求を目に見えて満たしてくれるもの、それがいいねやRTです。
詰まるところ、最初に書いた「もっと私の作品をいいね、RTしてよ!」って漫画が僕には、資料も何も用意していない、お金だけくださいって言ってるプレゼンに見えてしまうのです。
ただ「欲しい」を叫ぶだけで終わってないですか。
作品を説明するのもそうですし、例えばまず人と仲良くなってから自分の作ったものを見てもらう、というアプローチの仕方など、方法はたくさんあると思います。
本当はネタを見て笑ってもらうのが目的であっても、まず顔を売るためにYouTubeを始めるお笑い芸人、とか。など。
とにかく、いいね欲しい!RTして!と言う前にやれること、あるのでは。
ある種そういうプレゼンとも受け取れますし、そういうの良くないからやめようと言う気はありません。
でも僕はやっぱり、見ていて背中がぞわぞわするんです。
ここまでキツめに言った気がしますが、僕としては色々なプレゼン方法を、楽しみながら試すのが理想かと。
今のやり方じゃダメなんだ…と思い詰めず、今度はこれ、次はあれ、とフットワークを軽く出来ればやる気元気勇気に繋がるはずです。
僕ですか?
無名でいいです。