はてなキーワード: 鬼ごっことは
タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点の体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性も覚悟を決める。しかし、(過去の自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりとしか想像できない。稚拙ながらも自分の体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。
分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像を想像して立ち振る舞う。男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児の心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。
妻がついに妊娠した。待望の我が子で、出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児の推定体重は発育曲線のど真ん中。妊娠週数を横軸としたグラフに推定体重を書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も定量的な説明はなかったが、胎児の体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹に毎日のように話しかけた。
無痛分娩に興味があった。背骨と脊髄の間にあるわずかな空間に麻酔薬を注入して分娩にともなう母体の苦痛を軽減する。一定のリスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり、無痛分娩を選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月生まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たちは自然分娩を選択した。
私は3月生まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれ、背の順は常に先頭、鬼ごっこではいつも鬼、50m走のタイムは肥満児より遅く、ドッジボールではただの的、組体操のピラミッドでは頂上から落ちて何度も死ぬ思い。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子の場合は生涯賃金の観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪いの例外となる。興味があればGoogle Scholarで検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。
出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児の心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。
分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生の可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬の感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。
妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップや沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師が手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。
役所での手続きは事務的には簡単で、精神的には苦痛でしかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式が出生届とほぼ同じであるのに気づき、スムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式からも現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。
火葬場では地獄のような時間を過ごした。大人と違って赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズの段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶がフラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨は割れたプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」
我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望は人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法は複数あり、水子供養の場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国で友達たくさんできるかな?」
ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。
後悔は二つある。
第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスクが相対的に低いのではないか(正確には医師に相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月生まれになるかも」などという勝手なわがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。
第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップや沐浴を勧めてくる助産師がサイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである。夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真・手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべきだった。
皆さん、心優しいコメントをどうもありがとうございます。お察しのとおり、子が旅立ったのはコロナ禍前です。ちゃんと言葉にできるようになるまで、事実を客観視できるようになるまで約2年半かかり、同時に、受容が進むにつれて記憶が薄れるのに気づき、一気に書き出しました。的確なご指摘が多く、勉強になると同時に、自分自身の認知の歪みにも気づかされ、励まされました。
本記事へのトップコメントはこちらからご覧になれます。つらい思いをしている方が、少しでも前向きに、励まされることを願っています。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221225220743
おめでとう、俺。
高三になった。自由登校が始まった。
だからもう体育なんてしないで済むぞ。
大縄大会で引っかかった時のみんなの顔も、リレーで前の人から引き離された時のみんなの顔も、他にもたくさん、たくさん。
みんなの顔をもう見なくて済むんだぞ。
出来ないだけなのにやる気がないって陰口言われたよな。
チーム決めの時、誰も俺をチームに入れようとしないから、最後の最後まで残ってたよな。
いつもは教室で話してくれる友達が、体育の時だけぎこちなくなるんだ。チームになってくれないんだ。
そういう空気を小学生の時から、ずっと一身で受けて続けてたよな。
いつからクラスみんなやってる鬼ごっこに参加しなくなったんだろうな。
体育の時に傷つけられた自尊心を、誰か偉い人に賠償してほしかったよな。
小一の時の俺が今の俺をみたら、羨ましくて羨ましくて、たくさん泣くだろう。
だってお前、体育がある日はどうにか休んでしまおうと、いつも頑張ってたもんな。
でも、本当は。
体育が嫌いなんじゃない。
優しくしてくれないサッカー部が嫌いなんじゃない。
体育必修じゃない大学を選んだ。
絶対受かろう。
そしてチー牛ばっかりのサークルに入ろう。
おめでとう、俺。
もう体育なんてしなくて済むんだぞ!
これ以上嬉しいことなんてない!
隣(近所?)に住む人が子供の声がうるさいと苦情を入れて廃止が決まったそうだ。
「子供は騒ぐものだから」「自分も子供だったのに」「もう少し寛容になっては」と、
番組のスタジオにいる人達も、廃止された公園の地元の方も、無関係の東京で路上インタビューに答えた人も全員口を揃えて言っていた。
私の近所の子供達も、我が家の前で遊ぶ。我慢はしているが、ボール遊びは本当に無理。
ドアや窓にボールが当たると、「バシンッ!」という音が室内にすごく大きく響いて、毎回びくっとなる。
子供達も、例えばドアに向けて思いっきりボールを投げている訳ではない。
ドッジボールだかサッカーだかで、受け損ねたボールが速度を落として、我が家のドアに当たっているだけで
外で聞いている分には大したことない音にしか聞こえないのに、室内で聞いていると本当に大きく響く。
それが無理で、自治体や子供会のお母さんたちと話し合った結果、『ボール遊びは禁止』となった。
ありがたかった。
鬼ごっこだのかくれんぼだの自転車に乗るだのする分には全く何とも思わないし、注意をした事もない。
ボールやフリスビーを使った遊びは止めてほしい、鬼ごっこやかくれんぼや一輪車など、は好きにしてください
と子供会にも言ってある。
勿論うるさいけれど、静かに遊ぶなんて無理な話だし、ボール遊びを我慢させているのだから
こっちも我慢はしなければと思っている。
一度注意をしたら、我が家はピンポンダッシュをされるようになった。
誰がやっているのか玄関の監視カメラに全部映っているので判ってはいるが、とにかくされるようになった。
どうしてそっちでしてくれないんだろう。
子供達も禁止されていると理解はしているようで、大人が通りがかると
ボールを服の中に隠して、大人が通り過ぎると、また出して遊んでいる。
学校から帰ってきて、15時過ぎから遊び初めて、夜は19時近くまで遊んでいる。
私が子供に恵まれなかったから、お互い様というように思えないんだろうか。
子供がいれば、違ったんだろうか。それは関係ないか。私がそういう人間なんだろうな。
ボールが庭に飛び込んできて、庭が荒れ、それを取りにやってきた子供達が
植栽を踏み荒らしていくと言っているそうだ。
気の毒だなあ、でも廃止が決まって良かったなあ、
私の住む所もボール遊びだけはやめてほしいなあ
「子供の遊び声をうるさいと思うようなさもしい心をどうにかした方がいい」
というようなことを言ってた。
細かい所は覚えていないけれど、子供の声をうるさいと思う人間はさもしいと言ってたと思う。
さもしいというのは、心が汚くて卑しくて、浅ましいという事なんだそうだ。
私は心が汚くて卑しくて浅ましいんだそうだ。
つらいなあ…
繰り返しになってしまうけれど、ボールやフリスビーで遊ぶのを止めてほしい。
それ以外の遊びに文句なんて言った事ない。
ボール遊びは禁止だけどボールとフリスビーは別だからフリスビーは良いでしょと真顔で言わないでほしい。
さもしくてごめんなさい。
でもお願いしたい。
そもそも人間って家畜としての性能クッソ低いからわざわざ飼う価値がないんだよね。
今人間に家畜にされている動物って家畜として優れているから飼われているわけで。
なんかこう「現代人が奴隷になってたら怖くね?」っていうショボいテーマ一本勝負で戦ってる感じが凄い。
家畜人ヤプーみたいに「人間による特定の人種の奴隷化」だったらまだ納得感あるんだけどなあ。
でもあれも「人間の肉ってそもそも不味いだろ」みたいなのがどうしてもチラつく。
いや俺は食ったことないんだけどさ、もし美味かったら皆食うはずじゃん?
でも食わないってことはやっぱ不味いんだろうね。
まあ「同胞の肉を不味いと感じる人類」だけが生き残れて、そうじゃない奴らは共食いして滅んだだけなのかもだが。
それ考えると他の生物にとって人間が美味い食い物として見られてるってパターンはギリアリなのかもだが、「カロリーを確保するための手段」みたいな感じが出ると途端に陳腐化するよね。
ジャンプで連載されていたネバランはその辺結構練っていて、「勉強頑張った奴の脳みそが一番美味い」「でも家畜として飼育された人間もそこそこ美味い」みたいな所でバランス取っていたな。
とりあえず出しましたじゃなくてその先があるなら、まあ鬼ごっこの経緯としては悪くないのかもね。
ただそれ一本で雑に用意して何も練り込まずにやられると単なる思いつきになっちゃってショボいよ。
当初はコロナ禍もあり、そこまでうるさくはなかったが、今年の8月ごろからとてもうるさくなった
子供はたくさん元気に遊ぶのが仕事だと思っているから、それはそれでいい
でも、土日はともかく、平日もすごくやかましいってどうなの?あと親が叫んでるのもどうなの?
なんなら子供の叫び声は聞こえるし、子供たちはマスクさえしていない
屋外ならマスクしなくてもOKと政府からお達しはあったものの、滑り台で遊んでたり、鬼ごっこしている子供とその親については違うんじゃないの?
試したこととしては、管理会社への相談と、実際に公園に来ている親御さんへのお願い、それから警察への連絡
管理会社は「他の住人から騒音被害はないから対策費用は出せない」と連絡有り
公園に来ている親御さんについては、逆にボクの方が不審者扱いされてる感じで、「もう帰りますんで〜」といった感じで、説明しても取り合ってくれない
はてなーの皆様は「10万人の宮崎勤」という出来事をご存知だろうか。
ある日、コミックマーケットの取材をしていたアナウンサーが、「ここに10万人の宮崎勤(連続幼女誘拐殺人事件の犯人)がいます!」と来場者を批判したという出来事だ。
『オタクを批判的に報道するマスゴミ』の象徴的な出来事として語り継がれていた事象であり
特に当該発言を行ったと噂された東海林のり子氏はオタクからのバッシングを受け続けることとなった。
しかし、後に東海林氏はこのような発言はしておらず、コミケを取材したことすらないと打ち明けた。
今となっては高齢となったオタクの何人かは「あった」と言うものの
番組名やアナウンサー等、具体的な名前は一切出てこず、フワッとしたことばかりを話す始末。
この件に関して深堀り、検証した者もいたが、結局「10万人の宮崎勤」という出来事が起こった証拠は得ることができなかった。
(「10万人の宮崎勤」はあったのか?:https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20170929-00075748/&preview=auto)
本件は少なくとも「東海林のり子氏が言った」というのはデマであり、時と共に無かった映像が彼らの頭の中で流れるようになってしまった事例だと言えるだろう。
本日7時18分頃、埼京線 渋谷駅~新宿駅間で運転の見合わせが発生した。
「金髪の外人男女二人が線路に立ち入った」「酔っ払った外人二人が線路に立ち入った」というような情報が広まり
(参考ツイート:
①https://twitter.com/takuto83/status/1570548329041522688?t=ZvYeePihHV0RVo5-XygRsg&s=19
②https://twitter.com/Dtm_Coffee/status/1570539885546831873?t=eBiGU1NtuN87eLcyed5how&s=09
③https://twitter.com/bassmanbo/status/1570541355633606658?t=GZ3nzMZnPIA3CYU9OrUo_w&s=19 )
また「ビールを片手に持っていた」「雑草に隠れてキスをしていた」などの情報も拡散された
(参考ツイート:
④https://twitter.com/160UG/status/1570542988492943362?t=F1Obup_8qX_EhIgy6sb5Eg&s=19 )
(https://matomebu.com/train/rail20220916-1/)
これらの情報を鵜呑みにした一部の日本人は「轢き殺せ」「強制送還してほしい」「重石付けて東京湾に放り込め」などの罵声が飛び出る事態に
(参考ツイート:
⑤https://twitter.com/hageatama_nora/status/1570561047077195777?t=os8gYTxLGSJZTUcRGK56kg&s=19
⑥https://twitter.com/appare_11/status/1570589123572027393?t=v5yJda8rqd0Pn7p9yaB9Ew&s=19 )
最早「外国人カップルが線路内に侵入した」という事実が既成のモノとなりつつあったが
今朝、埼京線の線路内に金髪の男女2人が立ち入り「駅員や警察と鬼ごっこしている」「酒を飲んだり雑草に隠れてキスしている」などとSNS上で話題になった事案について、JRや警視庁に取材しましたが、そのような事実は確認できませんでした。
沿線の警察署や鉄道警察隊にも確認しましたが、16日午前7時台に「線路内に人が立ち入っている」といった内容の通報はなく、警察官が臨場した事実はありませんでした。
と報じており、
では彼らは一体何を見たのだろうか。
今回発生した遅延そのものは「運転手が人影のようなものを発見したから」であり、
『じゃあ実際に立ち入りがあったんだろ』という反論もあり得るが
(まぁ某漫画みたいに『誰も警察を呼んでいないのである!』って状況になったかもしれんが)
ましてや「酒を飲んでいた」とか「隠れてキスをしていた」とか「警察と鬼ごっこをしていた」というのは到底あり得ない。それは通報しろ。
『事故、災害のリアルタイムな情報はTwitterで得るのが1番!』という説もかつてはあったが
このような集団幻覚を起こすこともあるので、よく注意して使いたい所だ。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kansentaisaku_00001.html
<屋外>
○マスク着用を推奨
他者と身体的距離(2m以上を目安)が確保できない中で会話を行う場合のみです。
○それ以外の場面については、マスクの着用の必要はありません(例:公園での散歩やランニング、サイクリング/徒歩や自転車での通勤、屋外で人とすれ違う場面)。
特に夏場については、熱中症予防の観点から、屋外でマスクの必要のない場面では、マスクを外すことを推奨します。
<屋内>
他者と身体的距離が確保できて会話をほとんど行わない場合(例:距離を確保して行う図書館での読書、芸術鑑賞)のみ。
(屋外)
他者と身体的距離が確保できる場合(例:離れて行う運動や移動、鬼ごっこなど密にならない外遊び)や、他者と距離が確保できなくても会話をほとんど行わない場合(例:屋外で行う教育活動(自然観察・写生活動等))
(屋内)
他者と身体的距離が確保できて会話をほとんど行わない場合(例:個人で行う読書や調べたり考えたりする学習)
・2歳未満の子どもでは推奨されません。
・2歳以上の就学前の子どもについても、個々の発達の状況や体調等を踏まえる必要があることから、他者との身体的距離にかかわらず、マスク着用を一律には求めていません。
本人の体調がすぐれず持続的なマスクの着用が難しい場合は、無理に着用する必要はなく、特に夏場については、熱中症予防の観点から、屋外でマスクの必要のない場面では、マスクを外すことを推奨します。
同じく親が真光にハマっていた(というか現在進行形でハマっている)のでうんうん頷きながら読んだ。うちの親はもう20年くらい熱心に信仰している。
知らないこともたくさん知った。オミタマってそんな値段するんだね…チャチなロケットペンダントによくわからん紙が入ってるだけなのに。ボロい商売だな。
元増田みたいな家庭環境じゃなくて、うちは割と一般的な家庭だったと思う。
一般より稼ぎのある父と、専業主婦の母と、体が悪い父方の祖母と、姉と自分が家族構成。
両親は温厚な人でいつもニコニコしていたけれど、母が結構なメンヘラで異常に撃たれ弱く被害妄想が絶えない性格の為よく落ち込んでた。
母は祖母と折り合いが悪いと思い込んでいて(祖母は母がお嫁さんに来てくれてよかったと私と姉にはよく語っていたけど)家の中でもビクビクしていた。
家族仲は良かったと思うし、人様から見ても「仲いいね」と言われることが多かったから、私は家族のこと大好きだし母が宗教に手を出すなんて思ってなかった。
20年前祖母が死んだ。体がもともと悪かったし、後半はもう寝たきりだったからしょうがないという雰囲気だった。
病院のベッドの上でチューブだらけになっていたのが子供ながらに怖くてちょっと泣いた。
父はケロッとしていたように見えたけど多分落ち込んだ姿を見せないようにしていただけだったと思う。
でも母は違った。母が家族の中で一番落ち込んだ様子を見せた。専業主婦で時間があったためか妙なことを考えるだけの下地があったことも手伝ってか、ある日「新しく知り合った人に誘われたので外出します」という理由でしばらく家に帰ってこず、帰ってきたときには入信していた。
「手から清めの波動が出るの」と言っていた。私はバカだから、あとちょっと早い中二病を患っていたため、「それを持っていれば霊能力者になれるんだ!」と勝手にワクワクしていた。本当にバカだと思う。霊感にあこがれていた。
元増田では泊まり込みのと記載があるし、もしかしたらそれが当たり前なのかもしれないけれど、私や父・姉は特に宿泊などさせられず何度かありがたい講習を拝聴しただけでオミタマをもらった。泊まり込み必要ならそれいらないってテンションだったから、特別に許されたのかな。そのあたりはよくわかんないけど。
母は毎日熱心に道場に通った。姉も私もたまに連れていかれて、「おひたい」(対面で座って10分間眉間に手をかざされる)と「後頭部」(首の後ろをまさぐられて手をかざされる、これがたしか15分くらい)を受けさせられた。
別にそれ以外は強要されなかったし、何か月に一回でっかい支部に出かけるのも母だけがやっていた。
母が不在の時は私が家事を全部やっていたため、単純にそれが嫌だなとは思っていたけれど、母がでっかい支部にいくことは嫌じゃなかった。
金銭面では父が被害を被っていたし、それに対する父の胸中は知る由もないけれど、私個人として一番いやだなと思ったのは元増田にも記載がある薬を使わないといったような思想だった。
熱が出ても体調が悪くても薬を飲むと悪化すると飲むことを許されなかった。自然派ママかよ。
それどころか、体調不良やなにか嫌なことがあったりすると(友達と喧嘩するとか、そういうの)心配やアドバイスを受けるより「前世であなたがやらかしたことのしわ寄せがきているだけだから、きちんと反省するように」と毎回言われた。マジで釈然としなくて影で姉とガチギレしてた。
体が弱くてしょっちゅう発熱していたから、そのたびに枕元で自分の眉間に手をかざされながら「あなたが悪いのよ」と呪文のように繰り返されたことは結構なトラウマ。いや薬飲ませろや。
でも、元増田ほどひどいめにあっていないこともあってか、宗教自体には結構肯定的な感情を私は持っている。私がそこまで熱心に道場に行かされることを強要されていなかったからだとは思うけれど。
母はメンヘラだ。幼少期に私の首に手をかけて殺そうとしてきたこともあったし、なにかあるとすぐに落ち込んで「私が全部悪い」とうわごとのように繰り返すこともあるし、こちらがされて嫌なことを訴えたら(上記の、殺されかけたことを謝ってほしかったので面と向かって抗議した)被害者面をして論点をすり替え結果的に私が「お母さんが悪いわけじゃない」と謎に慰めた経験も一度や二度じゃない。私が丸め込まれやすいのはそれはそう。
祖母の死に落ち込んだのも、母らしいなと思う。落ち込みやすい。理由を見つけては落ち込む母。
でも、宗教に出会ってからはほんの少しだけその荷が下りているように感じることもたまにある。
自分が死んだ後でも誰かが手かざしをされたら救われるとか、体の不調も道場の人に清めてもらえるとか、そういう妙に前向きなことを言うようになったのも事実だし、神様だとか不確かなものにすがらないと生きていけない人間がいるのは確かだから、そのとっかかりを用意すること自体は悪くないんだよね。
道場の人も私はそんなに嫌いじゃなかった。子供だからか優しくしてくれた記憶も強いし、ヤンチャ盛りだったのでもう40代50代のおば様方が「なにかして遊ぼうか」と提案してくれた時、「鬼ごっこがしたい!」と無理な返答をし、しかし付き合ってくれたことは今でも覚えている。
みんな終わった時汗だくになっていたけど、道場の人たちに全然怒られなかったしなんならおかしもご馳走してもらった。
宗教が救いになることはもちろんあるから、私のこれも洗脳かもしれないけど新興宗教だろうが何だろうがすがれる場を生み出していること自体は別に否定的じゃない。
ただ、お金をむしり取るやり方とか、思想強めのワケワカラン教え(病院ダメとか薬いらないとか前世がなんだとか)は本当にキショいんでそういうのはマジでやめろよ……と思います。
おわり
鬼ごっこ中にパっと駆け出そうとした時や、勢いよく立ち上がった時など。
頭の血管が切れたかと思うような突発的な痛みで、1分ほどうずくまって悶絶する。
痛みがなくなるときは、まるで水滴にインクを垂らした時のような感じ。
散るような、溶けるような、痛みの強さが段階的に弱くなっていって消失する感じだった。
起きるのは年に2〜3回。
一度だけ親に、こんな頭痛があるよと言ったら
とかなりシリアスな様子で言われて、怖くなって誤魔化してしまった。
いつのまにかその頭痛が起こらなくなって今はもうアラサーだが、あれはなんだったんだろうと時々思う。
大人になってからうつ病になったり(すでに寛解)、閃輝暗点が起きたりする(こちらは年に3〜5回程度)のは、なにか因果関係があるんだろうか。
そろそろこの手の不毛な議論はやめようよ。
エロ漫画が犯罪を助長するかと言われたら、まあ他の創作物が犯罪を助長する程度には助長するとは思うよ。でも、そんなの昔からあったことだ。ゲームや漫画などのフィクション表現を「きっかけ」にしたいじめやからかい、性的嫌がらせはずっと昔から起きてるし、特に暴力的だったり性的な作品に限らないんだよ。
ガキの頃の話で見知ってるのだと、勧善懲悪ものの影響を受けて、変わった子を悪役にしていじめる奴はいたし、作中の登場人物に名前が似てるやっぱり気の弱い子を狙っていじめた奴もいた。逆に痴漢って言葉に影響を変に受けて、鬼ごっこの途中でたまたまデリケートゾーンに触れてしまった男子を「痴漢!」と言い募ってイジメた女子もいる。ガキっていうのは本質的に動物的で残酷で大体あらゆるものに変な意味で影響を受けちゃう可能性があるから、N=1ないし少数の被害を理由に子どもへの規制論を言うのなら、ほとんどの表現を撲滅しなくちゃいけない。
たぶん、大人が好む「道徳的な」物語なら子どもは悪影響を受けないという前提があるんだろうけど、まずそれが誤りなことに気が付かないと。その上である作品が「特に」子どもに悪影響を与える根拠があって、ようやくゾーニングなりなんなりをしようという話になる。ましてや、今回増田は
タイトルまでは聞けなかったが相手の親が言うにはR18指定のものではないそうなのでたわわとかToLOVEるみたいな感じなのかなと思う
なんて書いてる通り、偏見で物事を語ってるから議論としては論外。そもそも、たわわなんかは印象に反して、読んでみた感じ「そういう話」じゃないしね(別の意味で大人のエロ目線に訴えてる部分があってキモイところはあるんだけど、スカートめくりはそもそもないし、勝手に性的に嫌な感じのことを言ってくる大人は「女の子にとって嫌なことを言っている」し、それが推奨されてるわけでもない)。
外国の血が入っているのか真っ白い肌で堀が深くて映画の中から抜け出してきたような美形の男の子
けれど典型的な純日本人という名前ですこし不思議な感じがした。
僕らの住んでる貧乏人しかいない、馬鹿みたいに広い団地でずっと鬼ごっこをしてた。
片親の家庭ばっかりだったから、外で遊ぶのに飽きたら誰かの家に行って勝手に冷房かけてゲームやらなんやらして遊んだ。
すごく若くて20歳ぐらいにい見えた。
たぶん俺らと同じで片親だったんじゃないかな。
いま思えば外国人の父親に日本人の母親が孕まされて逃げられてみたいな家庭だったのかもしれない。
すごく気のいいやつで、こいつと新学期から同じ学校だなんて最高だなって思ってた。
けれど夏休みが終わって、始業式の日になっても学校にあいつはいなかった。
「なんでだよ」
けれどあいつの住んでたはずの号室にいくとそこは空き部屋になってた。
誰もいなくて不思議がってる俺らを怪訝そうに見てたおばちゃんに、
でも確かに俺たちはあいつの部屋でゲームしたり、漫画読んだりしてたんだ。
あれから20年ぐらいたった。あんな団地に住んでた奴なんて、みんなろくな事になってない
俺もそんな一人だ。
その日も日雇いの仕事から帰ってきて、現場送迎のバスが発着する錦糸町で一人で酒をひっかけて飲んでた。
貧乏だと誰かと飲むより一人で飲んだほうが楽しいんだ。近況報告なんてしんどい話ばっかりしか無いからな。
千鳥足で改札へ向かっていると、あの時の夏休みだけ団地に居た男の子の母親が、
キーホルダーを付けた大きな登山用バッグを背負っって6歳ぐらいの女の子と手をつないで立っていたんだ。
そいつは女の子を後から来たおっさんに預けて、改札をくぐっていった。
だけどな、どう見ても歳をとってなかったんだ。
あれから20年たってるのに何一つ年を取ってない。
怖くなっちゃって家に帰るのも不気味で、近くのカプセルホテルでブルブル震えながら一晩過ごした。
そういえば俺たちが住んでた団地、取り壊されて大きなマンションができるらしい。
なんとなくホッとする。
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ソニック+ロックマン?な感じ。1も2も日本語版なにとぞお願い申し上げます。
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ハエ。奇才Plug&Playの作者が贈る最新作。
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ゲーム内のミニゲームをプレイしながら物語が進行していくアドベンチャーゲーム
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色んな要素よくばりセット箱庭拡張ゲー
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一旦終わり。
私は引きこもりです
と言っても外には出歩けるし、社会生活を送る上で必要な最低限のコミュニケーションはとれるつもりだ。
しかし、現状仕事もしていないし親の脛をかじって極力家から出ない生活をしている。
情けない。
思えば昔から負けを認めることと失敗することがとても苦手な子供だった。
デブで足が遅いから鬼ごっこは鬼になったら一生追い付けないから大嫌いだった。
それでも優しい友達は情けで鬼を交代してくれたりしたが、その優しさもプライドが傷付くから大嫌いだった。
だからと言って痩せることや足を速くすることで解決しようともしなかった。辛いのも嫌い。
どうしようもない。
今思えばほんの些細な考え方や気持ちの持ち方一つの変化で良い方向へ改善するチャンスはいくらでもあったのだろう。
そのチャンスを自ら放棄し続けて、実際はチャンスに気付いて努力したことはあったが、その努力が持続せずに今に至る。
今も昔もスタミナが無い。
社会に出れば多かれ少なかれ自分の「出来ないこと」に気付かされるだろう。
誰だってそこに上手く折り合いをつけて前に進んでいるのだろう。
でもそれが怖くて仕方がない。
「こんな簡単なことも出来ないの?」と言わんとしてる目線が怖い。
想像するだけで血の気が引く。
職歴に穴が空いていることも怖い。
ここには書き連ねきれないほどに社会に出て働くことが怖い。
このままでいけないことも分かってる
でも、怖い。
怖いけど、前に進みたい。
絡みに絡まった複雑な想いで脳が溶けそうだ。
この文章を書いたことが何に繋がるかは分からないけど、何かに繋げたくて書き出してみた。
それでも、半歩ずつでも社会の中で仕事している将来に繋がって欲しい。
頑張れ私
幼少の頃、俺には親友がいた。
俺が通っていた幼稚園にそいつは転入して来た。俺たちはすぐに仲良くなった。
未熟児で早生まれだった俺は人一倍体が小さく、何をするにも周りに遅れを取っていた。いじめられることも多かった。
そいつはそんな俺にいつも付き合ってくれた。何をするにも二人一緒だった。
一緒に行った入学式。校門で一緒に写真を取り、二人でドキドキして列に並び、名簿を見た。
俺たちは同じクラスだった。
放課後は補助輪の取れたばかりの自転車を漕いで、お互いの家を行き来した。
家に遊びに行く前には必ず電話をした。
当時は携帯電話も無かった時代だ。きっと電話の前で待っていたのだろう。
「今から行っていい?」「いいよ、早く来てね!」
社宅の庭で、よくボール投げをした。縄跳びをした。鬼ごっこをした。かくれんぼをした。
夏休み、一緒ドラゴンボールの映画に行った。二人で特典のジャンボカードダスを片手に、20円のカードダスを回した。
ある時、そいつの家で、そいつの兄が持っていたドラクエ2をやった。
まだ小学校2年生になったかならないかの頃だ。あの難しいゲームを進められるわけがない。
どうすればいいかわからなくて困っていた時、なんとなく俺が言った一言。
「その緑のやつ話しかけたら仲間になるんじゃない?」
知っていたわけじゃない。ただの偶然だ。
でもその緑のやつ、クッキーという名のサマルトリアの王子は本当に仲間になった。
「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺は仲間になったこと、役に立てたことが嬉しくて泣いてしまった。
2年生の夏を過ぎた頃、残念そうな顔をした親から告げられた。
そいつが転校するということを。行き先は海外だということを。帰ってくるのは6年後だということを。
俺は泣いた。嫌だと喚いた。7歳の子供にとって、6年は永遠に近い時間に感じられた。
俺とそいつは手をつないで館内を回った。楽しかった。もうすぐ会えなくなるなんて信じられなかった。
船の舵の前で、2人で一緒に写真を取った。それは宝物になった。
3月になり、ついに別れの日が訪れた。
初めて乗る始発の電車。ガラガラの席に2人並んで、いつもと変わらない話をした。
どうか着かないで欲しいと願いながら、やっぱり行かないと言って欲しいと願いながら。
そんな子供の願いは当然叶うことはなく、電車はすぐに終着駅に着いた。
「バイバイ」「手紙書いてね」「6年後絶対会おうね」「約束だよ」
5年生の頃だ。
俺には障害のある伯母がいる。障害は軽度ではあるが、少し言葉が不自由だ。
クラスメイトが、その伯母の口真似をしだした。
俺は子供ながらに、これは絶対に許してはいけないことだ。人として怒らなければいけないことだ、そう思った。
そして口真似をされたら、瞬間湯沸かし器のように怒り、殴りかかった。
当時の俺は学年で一番体が小さく、力も弱かった。
殴りかかられても怖くもなんともなかったのだろう。皆面白がって伯母の口真似をするようになった。
その度に俺は泣き、顔を真っ赤にしてそれを言ってきたやつらを追いかけた。
親には言えなかった。泣いて帰って来ても、「チビと言われた」と嘘をついた。
その時自分を庇い、寄り添ってくれるような友人は一人もいなかった。
俺は思った。そいつが、親友がいればこんな辛い思いはしなかったはずだ。
泣いている俺に寄り添ってくれたはずだ。皆に止めろと言ってくれたはずだ。
俺はそのシールを、当時自分にとって一番大切なものだったスーファミの本体に貼った。
なんて返事をしたかは覚えていない。
時は過ぎ、中学2年生になった。
あの別れから6年後。ついにそいつが帰ってきた。同じ学区内。同じ中学校だ。
その頃はもう周りも悪いことだと気づいていたのだろう、伯母の口真似をされることはなくなっていたが、
鬱屈とした気持ちが収まることはなく、人から向けられる悪意に敏感な人間になっていた。
俺は早く親友と会いたかった。親友と再会すれば、きっと俺の味方になってくれる。
始業式の日、ドキドキしながら学校に向かい、クラス分けの名簿を見た。そいつと同じクラスだった。
教師からの紹介が終わり、下校の時刻になった。俺はそいつのところに行った。
俺たちは手を取りあって6年ぶりの再会を喜んだ。
どんな音楽を聴いていたのかを知らない、どの野球チームが好きだったのかを知らない。
そいつが誰と仲が良かったのかも知らない。いや、どうしても思い出せないんだ。
そいつは昔とは変わっていた。カッコつけたがりで、帰国子女であることを鼻にかけ、
スクールカースト上位グループに絡みたがるような痛々しいやつになっていた。
そいつは部活も同じテニス部に入った。俺がいるから入ったと、初めにそう聞いたような気がする。
俺は部活に熱心では無かったが、それでも何回も一緒に練習しているはずだ。
一緒に他校に試合に行っているはずだ。一緒に合宿に行っているはずだ。
でも俺にそいつと話した記憶は、笑いあった記憶は、共に時間を過ごした記憶は、一つも残っていない。
何故そうなってしまったのか。拒絶したのはどちらだったのか。
俺は当時、歩み寄らなかったのはそいつだと思っていた。自分の気持ちはあの頃から変わっていないと思っていた。
でも本当は拒絶したのは俺だったのかもしれない。変わってしまったのは俺だったのかもしれない。
いけ好かないやつになってしまった、そう思うことで自分のプライドを守っていたのかもしれない。
俺の部屋の、そいつから貰ったシールが貼られたスーファミは、その頃にはもうプレステに代わっていた。
つい先日の話だ。登録しただけで何も書いていないFacebookに気まぐれにログインした。
ドラクエVをやって、隠し部屋のヘンリーを見つけて、「あいつ仲間になるんじゃない?」って言い合って、
そして人生で一番辛かったときに、そばにいてほしかった。俺を救って欲しかった。
そうして育んだ絆の上になら、きっと「それ以降」が続いたはずなんだ。
今でもドラクエで誰かが仲間になった時の音楽を聴くと、少し涙が出そうになる。
「あの緑のやつ、話しかけたら仲間になるんじゃない?」「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺には幼少の頃、親友がいたんだ。
どうして? アメリカの学校で禁止されている、ちょっと意外なもの 8選
https://www.businessinsider.jp/amp/post-173398
この記事を見ればわかる。アメリカの学校じゃいじめに繋がるからと子供達に大人気のドッジボールを禁止し、学校における銃乱射事件を防ぐためにリュックサックを禁止し、鬼ごっこですら相手に激しくぶつかり過ぎるという理由で禁止し、みだらな言葉があるからと辞書を禁止している(最後のはなくなったが)
本で読んだが、アメリカでは食事用のナイフを車の座席に置き忘れただけの女の子が「刃物を持ち込んだ」として罰され、卒業式にも出してもらえなくなるという酷い事件が起きた
イギリスの学校なんか、ハグがいじめに繋がるからと、ハグした二人を停学にしていた。これはニュースで見た。
>オレは欧州で育ったけど、むしろ自由と平等こそ、不安や命の危険があろうとも守るべき最も尊いものだという事こそが普遍的な価値観だ
嘘をつけ。大体、ロリコンな表現には欧州の方がずっと厳しいだろ。
どうして? アメリカの学校で禁止されている、ちょっと意外なもの 8選
https://www.businessinsider.jp/amp/post-173398
この記事を見ればわかる。アメリカの学校じゃいじめに繋がるからと子供達に大人気のドッジボールを禁止し、学校における銃乱射事件を防ぐためにリュックサックを禁止し、鬼ごっこですら相手に激しくぶつかり過ぎるという理由で禁止し、みだらな言葉があるからと辞書を禁止している(最後のはなくなったが)
本で読んだが、アメリカでは食事用のナイフを車の座席に置き忘れただけの女の子が「刃物を持ち込んだ」として罰され、卒業式にも出してもらえなくなるという酷い事件が起きた
イギリスの学校なんか、ハグがいじめに繋がるからと、ハグした二人を停学にしていた。これはニュースで見た。
これのどこが「自由と平等こそ、不安や命の危険があろうとも守るべき最も尊いものだという事こそが普遍的な価値観」なんだ?
だいたい、普段出羽守叩いてるくせに、フェミやリベラル叩くためなら「欧州の価値観こそが本物だ」って都合よく出羽守かましてんじゃねえよ。