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2022-04-30

親友との出会いと別れ、再会、それから

幼少の頃、俺には親友がいた。


そいつ出会ったのは幼稚園の年長の時だ。

俺が通っていた幼稚園そいつ転入して来た。俺たちはすぐに仲良くなった。

未熟児早生まれだった俺は人一倍体が小さく、何をするにも周りに遅れを取っていた。いじめられることも多かった。

そいつはそんな俺にいつも付き合ってくれた。何をするにも二人一緒だった。


幼稚園卒業し、俺たちは同じ小学校に進学した。

一緒に行った入学式。校門で一緒に写真を取り、二人でドキドキして列に並び、名簿を見た。

俺たちは同じクラスだった。


学校では毎日一緒に校庭を走り回った。

放課後は補助輪の取れたばかりの自転車を漕いで、お互いの家を行き来した。

家に遊びに行く前には必ず電話をした。

当時は携帯電話も無かった時代だ。きっと電話の前で待っていたのだろう。

電話をかけるといつもすぐにそいつが出た。


「今から行っていい?」「いいよ、早く来てね!」


そいつの家は商社の社宅だった。

社宅の庭で、よくボール投げをした。縄跳びをした。鬼ごっこをした。かくれんぼをした。

夏休み、一緒ドラゴンボール映画に行った。二人で特典のジャンボカードダスを片手に、20円のカードダスを回した。

集めた「キラ」を見せあい、自慢し合った。


ある時、そいつの家で、そいつの兄が持っていたドラクエ2をやった。

まだ小学校2年生になったかならないかの頃だ。あの難しいゲームを進められるわけがない。

どうすればいいかからなくて困っていた時、なんとなく俺が言った一言


「その緑のやつ話しかけたら仲間になるんじゃない?」


知っていたわけじゃない。ただの偶然だ。

でもその緑のやつ、クッキーという名のサマルトリアの王子は本当に仲間になった。


「すげー!」「なんでわかったの?!」


俺は仲間になったこと、役に立てたことが嬉しくて泣いてしまった。



2年生の夏を過ぎた頃、残念そうな顔をした親から告げられた。

そいつが転校するということを。行き先は海外だということを。帰ってくるのは6年後だということを。

俺は泣いた。嫌だと喚いた。7歳の子供にとって、6年は永遠に近い時間に感じられた。


冬になり、最後の思い出作りに、お台場船の科学館に行った。

俺とそいつは手をつないで館内を回った。楽しかった。もうすぐ会えなくなるなんて信じられなかった。

船の舵の前で、2人で一緒に写真を取った。それは宝物になった。


3月になり、ついに別れの日が訪れた。

俺は成田空港まで見送りに行くことになった。

初めて乗る始発の電車ガラガラの席に2人並んで、いつもと変わらない話をした。

どうか着かないで欲しいと願いながら、やっぱり行かないと言って欲しいと願いながら。

そんな子供の願いは当然叶うことはなく、電車はすぐに終着駅に着いた。


バイバイ」「手紙書いてね」「6年後絶対会おうね」「約束だよ」


窓の外、そいつを乗せた飛行機はすぐに見えなくなった。



5年生の頃だ。

俺には障害のある伯母がいる。障害は軽度ではあるが、少し言葉不自由だ。

クラスメイトが、その伯母の口真似をしだした。

俺は子供ながらに、これは絶対に許してはいけないことだ。人として怒らなければいけないことだ、そう思った。

そして口真似をされたら、瞬間湯沸かし器のように怒り、殴りかかった。


当時の俺は学年で一番体が小さく、力も弱かった。

殴りかかられても怖くもなんともなかったのだろう。皆面白がって伯母の口真似をするようになった。

その度に俺は泣き、顔を真っ赤にしてそれを言ってきたやつらを追いかけた。


親には言えなかった。泣いて帰って来ても、「チビと言われた」と嘘をついた。

その時自分を庇い、寄り添ってくれるような友人は一人もいなかった。


俺は思った。そいつが、親友がいればこんな辛い思いはしなかったはずだ。

泣いている俺に寄り添ってくれたはずだ。皆に止めろと言ってくれたはずだ。

だって俺たちは親友なのだから


そいつから手紙が届いた。手紙にはシールが同封されていた。

シールにはにっこり笑ったイラストプリントされていた。

俺はそのシールを、当時自分にとって一番大切なものだったスーファミ本体に貼った。

なんて返事をしたかは覚えていない。



時は過ぎ、中学2年生になった。

あの別れから6年後。ついにそいつが帰ってきた。同じ学区内。同じ中学校だ。


その頃はもう周りも悪いことだと気づいていたのだろう、伯母の口真似をされることはなくなっていたが、

鬱屈とした気持ちが収まることはなく、人から向けられる悪意に敏感な人間になっていた。

俺は早く親友会いたかった親友と再会すれば、きっと俺の味方になってくれる。

あの頃のようにまた楽しい毎日が戻ってくる、そう思っていた。


始業式の日、ドキドキしながら学校に向かいクラス分けの名簿を見た。そいつと同じクラスだった。

始業式が終わり、教室に戻った。そいつはそこにいた。

教師からの紹介が終わり、下校の時刻になった。俺はそいつのところに行った。


「久しぶり!!」「久しぶり!!!」「やっと会えた!!!!」


俺たちは手を取りあって6年ぶりの再会を喜んだ。


だが、俺のそいつに関する思い出は、その場面が最後だ。



俺は、帰国した後のそいつの家がどこにあったのかを知らない。

どんな音楽を聴いていたのかを知らない、どの野球チームが好きだったのかを知らない。

休日服装を知らない。どこの高校に進学したのかも知らない。

そいつが誰と仲が良かったのかも知らない。いや、どうしても思い出せないんだ。


そいつは昔とは変わっていた。カッコつけたがりで、帰国子女であることを鼻にかけ、

スクールカースト上位グループに絡みたがるような痛々しいやつになっていた。


そいつ部活も同じテニス部に入った。俺がいるから入ったと、初めにそう聞いたような気がする。

俺は部活に熱心では無かったが、それでも何回も一緒に練習しているはずだ。

一緒に他校に試合に行っているはずだ。一緒に合宿に行っているはずだ。

でも俺にそいつと話した記憶は、笑いあった記憶は、共に時間を過ごした記憶は、一つも残っていない。


何故そうなってしまったのか。拒絶したのはどちらだったのか。

俺は当時、歩み寄らなかったのはそいつだと思っていた。自分気持ちはあの頃から変わっていないと思っていた。

でも本当は拒絶したのは俺だったのかもしれない。変わってしまったのは俺だったのかもしれない。

いけ好かないやつになってしまった、そう思うことで自分プライドを守っていたのかもしれない。


俺の部屋の、そいつから貰ったシールが貼られたスーファミは、その頃にはもうプレステに代わっていた。



つい先日の話だ。登録しただけで何も書いていないFacebookに気まぐれにログインした。

そいつ名前を見つけた。そいつも何も書いていなかった。

友達申請ボタンは押さなかった。


俺はそいつ小学生時代を共に過ごしたかったんだ。

ドラクエVをやって、隠し部屋のヘンリーを見つけて、「あいつ仲間になるんじゃない?」って言い合って、

そして人生で一番辛かったときに、そばにいてほしかった。俺を救って欲しかった。

そうして育んだ絆の上になら、きっと「それ以降」が続いたはずなんだ。



今でもドラクエで誰かが仲間になった時の音楽聴くと、少し涙が出そうになる。


「あの緑のやつ、話しかけたら仲間になるんじゃない?」「すげー!」「なんでわかったの?!」


俺には幼少の頃、親友がいたんだ。


2020-08-02

anond:20200802191243

船の科学館東京だよね

日本財団が設営する不気味な大型野戦病院 - 政府医療崩壊を想定済み 2020-04-08 23:30

tps://critic20.exblog.jp/30978192/

>>病院を一つ新設しようとすれば、病院法に基づく申請と認可の手続きがあり、

>>複雑な書式と審査プロセスがある。建築基準法規制もある。開業まで何年もかかる。

>>それらを全てすっ飛ばし異次元規制緩和でつくばの山の中に野戦病院が建つ。

>>政府は、ここに9千人の首都圏コロナ患者収容する思惑なのだ

>>そのときは、夏だが、すでに首都圏の借り上げ諸ホテルが満杯状態になり、収容しきれなくなった大量の軽症者が自衛隊車両ピストン輸送で運び込まれるのだろう。

>>おそらく、つくば野戦病院敷地内には大型の遺体安置所と火葬場が併設され、

>>1日300人ほど出るであろう死者を、感染症法30条の規定に従って24時間以内に灰にする

ゆりかごからかばまで

2020-04-09

上級国民アパホテル一般国民駐車場テント収容されるのか

命の選別の前に国民の選別はじまったは

品川区コロナ軽症者向け1200床 「船の科学館」の駐車場に大型テントコンテナハウスを設置 隣接の体育館使用

2020-04-06

自宅隔離は本当に最後の手段(適切な装備をしても現実感染してるのだから同居人なんて高確率で全員感染だわな)なのでさっさと病床施設増設してほしい。

今の所はホテルと、あとは船の科学館のとこに1200床用意するようだが。

1日100人増えてて、これからさらに増えそうなんだから足りないだろ。

動きがとにかくすっトロい。

2011-08-23

フジテレビデモに出くわして色々考えさせられた

1974年に開館した「船の科学館」が、今年9月末で本館展示を休止する。

近くの日本科学未来館には3回ほど行ったことがあるし、お台場メディアージュの中にあるソニーエクスプローラサイエンスにも1回行ったのだが(どちらもオススメ)、船の科学館は一度も行ったことが無かった。

ので昨日行ってきた。

 

原子力平和利用」という言葉意味が変わってしまった今となっては複雑な思いで見る、原子力船むつの1/50模型。 

スクリュープロペラを持たない(!)超電導電磁推進船なんて研究があった(日本が完成させ、そして消えていった)という驚きの事実

「バルバスバウ」といえば某バーチャロンを思い出すけど、本当はそれは船首構造名前だったということ(http://p.tl/mNmu)。

ラジコン模型しか知らない水陸両用ホバークラフトの実物が、人を乗せて航行/走行している映像

 

駆け足で見たのだけど、船に詳しくない私でも色々と興味を持って知識を得ることができて、とても面白かった。

休止前の特別料金で、ふつう700円のところ200円なので、興味と時間がある方はぜひ行くといいと思う。

 

それはともかく。

 

 

いったん本館から出て南極観測船宗谷」を見学しようとすると、道路側にとんでもない数の(何百人単位の!)人が集まっていた。

ぽつぽつと日の丸を持っている。

 

そう、噂の「フジテレビ抗議デモ」が、今まさに出発しようとしていたのである

まりの人の多さに呆気にとられて、私は宗谷の甲板からデモの列を最後尾まで見届けてしまった。5人1列に並んで、最前列スタートしてから最後尾がスタート地点を通るまで、30分以上。どう少なく見積もっても1000は下らない人数だ。

 

主催者発表では参加者は6000人、デモに好意的でないスポニチ報道

でも4000人が参加したとされている。

 

とにかくそれだけの人数の人たちが、

フジテレビ偏向報道をやめろー!」『やめろー!!』

韓流ブーム捏造をやめろー!」『やめろー!』

「私達はK-POPなんて聞きたくないぞー!」『聞きたくないぞー!』

シュプレヒコールをあげながら行進しているのである

 

この光景は衝撃的だった。

 

どんなデモにせよ、多くの大人が団結して主張をしながら行進するのはそれだけでインパクトがあるのかもしれない。でもその主張が

冤罪を許すなー!」とか

日本農業を守れー!」とか

米軍基地移転反対ー!」とか

原発を止めろー!」とか

そういうものならまあ、そういう主張の人が頑張っているのだな、と理解できる。でも今回は違う。

 

もちろん、一般に偏向報道はよくない。私もアナログ停波以降はフジテレビを(テレビを)見てないし、フジテレビが善良なテレビ局だとも思わないし、『HEY!HEY!HEY!』をたまに見ると必ず韓流懐メロの特集をやっていてつまらないなあとは思っていた。それに、普段から韓国製」の買い物は避け、できるだけ国産を買うようにしている。特に韓国製のCD-RDVD-Rは非常に質が低いのだ。韓流スター名前ペヨンジュンしか知らない(KARAメンバー石川梨華パロディみたいな顔の子がいるのは知ってる)。言うまでもないけど、竹島日本領土である

 

けど、ポイントは「フジテレビ韓流ゴリ押し」なのか?

それに反対するために、何千人もの人がお台場デモ行進をしてるのか?

しかも、多くは外見的にごく普通の老若男女が!

 

ネット情報を「テレビでは報道されない真実なんだ!私たちが立ち上がらなくちゃいけないんだ!」と盲信した中高生が集まっちゃうならまだ分かる。でも私が見た限りでは、参加者は本当に老若男女で、300人に1人くらいは、私と同じくらいの年齢(20代)の、おしゃれな今時の女性もいた。おじさん・おばさん・お兄さん・お姉さん・そして親に連れられてきた子供も。

 

そのデモでの主張が、「フジテレビ韓流ゴリ押し反対」でいいのか?

日本は、大丈夫なのか??

 

 

…これが、私の第一印象である

しかし第一印象はそれが正当なものである吟味されねばならない。

 

 

(1)「もっと重要な問題があるだろう」

 

彼らへの評判をネットで探してみた。よくあるのが、「テレビがどうこう言う前に、主張すべきもっと重要なことがあるだろうよ」というものだ。

 

でも、この批判って、既に他の「もっと重要なこと」のためにアクションしている人にしか、言う資格はないはずだ。

自分twitterとかネット勝手なこと言ってるだけなのに、実際に体で活動してる人を言葉だけで「それをやるならこっちをやれ」というのは、単なるネット弁慶じゃないか

 

はいえ実は私も、その批判に共感しないではない。

というのも、正直、民放の放送内容がどうこうよりも、領土問題だとか、人権侵害救済法案外国人参政権という、それこそ韓国とも関係大ありな政治問題のほうがずっと重要だと思うからだ。

 

ただ、思うに、そういう政治重要事案じゃないからこそ、これだけ多くの人が集まったのかな、とも思う。

韓流ゴリ押し反対」というのは、政治的なようでそれ自体は政治問題ではなく、「公共的な性格をもつ国内民間企業への批判」にすぎない。だからこそ、特定の政党に関与したり変に利用されることなく、これだけの人を動員できたということはあるだろう。日本人の多くが「政治」より「テレビ」に関心を持っているという事実も、今回の動員に味方した。

 

「もっと重要なことがある」と言っても、「もっと重要なこと」にはどうしてもキナ臭い政治が絡んできて、ネット上でさえこんな大きな潮流を作れないだろう。その意味では、対韓国政治問題のとっかかりとして大きなデモを行うには、むしろ今回のテーマベストだったとすら言えるのかもしれない。

 

(2)「嫌なら見なきゃいい」

北野武さんや岡村隆史さんはこういう批判をしたらしい。

これに対する再反論は、もうすでに定式化されているようだ。

作家・深水黎一郎さんが簡潔に整理しているが、簡単に言うと、

 

テレビ局は<公共の>電波を独占して使っているのだから勝手な偏向放送をしておいて『嫌なら見るな』は通用しない」

 

ということ。

嫌なら見なきゃいい、と言われる前から私は確かに見てないのだけど、見てもらってる側がそれを言っちゃいけない。放送法という後ろ盾もあるのだからテレビ局にはそれに基づいた良心的な経営が求められるのは当然だろう。ただし、ただでさえテレビ不遇の時代に、自局グループの商売を有利に進めようとするのは営利企業としては当然で、そのへんは線引きが難しいところではある。

 

 

(3)陰謀論

フジテレビ抗議デモは、原発から目をそらすための陰謀だ!」。

こういうツイートmixi日記は複数あった。どんなところにでも陰謀論はあるものだ。面白い

 

 

(結論)

デモを批判する理由は私にはない。

しかし「韓流ごり押し」に対しては、私はどう考えるべきなのか?

政治的問題に関しては比較的冷静な狼板をのぞくと、「ブームってそういうもんだろ」という書き込みを目にした。

確かにそうだと思う。

韓流ブーム捏造、なんていうけど、ブームなんてたいがい作られるものだ。

結局今回の問題は、それが誰の目にも「行き過ぎ」「ごり押し」と捉えられるほどのものになってしまったという所にあるのだろう。

私としては、前に書いたように、「竹島は守るべき」「人権侵害救済法案危険」と思っているし、他にも例えば、「在日外国人犯罪者の偽名報道は反対!!!である。その点だけについて言えば右翼であるのかもしれない。

ただ「反フジテレビ」については、何とも言えないのだ。

だってフジテレビから韓流を引いたからと言って、番組面白くなるとも企業体質が良くなるとも全然思えないのだもの

それに私は、そもそもフジテレビがあっても無くても、まったく困らない。

とりあえず現段階では、「フジテレビがこんなにバカなことをやってるよ~」とネット上に確かな情報拡散させておけば、それで十分という気もする。

デモに参加する気には、とてもなれないのだ。

 

 

追伸

今回のデモを妨害しようと、大音量で君が代を流していた右翼街宣車がいたが、ああいう品位のない国歌の利用には大反対だ。

 
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