はてなキーワード: テキサスとは
アメリカ合衆国大統領による
西暦1862年9月22日、アメリカ合衆国大統領より、特に以下の事項を含む宣言が発せられた。
「西暦1863年1月1日の時点で、その人民が合衆国に対する反逆状態にあるいずれかの州もしくは州の指定された地域において、奴隷とされている すべての者は、同日をもって、そして永遠に、自由の身となる。陸海軍当局を含む合衆国の行政府は、かかる人々の自由を認め、これを維持する。そして、かかる人々が、あるいはそのうちの誰かが、真の自由を得るために..行ういかなる活動についても、これを弾圧する行為を一切行わない。
行政府は、前記1月1日に、宣言によって、人民がその時点で合衆国に対する反逆状態にある州および州の地域を指定する。また、同日時点で、州またはその人民が、その州の有権者の過半数が参加する選挙で選出した議員を、誠意を持って合衆国議会に送っている場合には、これを否定する強力な証言がない限り、それをもってその州およびその人民がその時点で合衆国に対する反逆状態にないことを示す確実な証拠とみなされる」
これにより今、私、合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは、合衆国の権威ならびに政府に対する武力による反逆が実際に起きたときの合衆国陸海軍の最高司令官として私に与えられた権限に基づいて、またかかる反逆を制圧するための適切かつ必要な戦争手段の1つとして、前記の日付から丸100日間の全期間にわたり、そうすることを公式に宣言してきたことに伴い、本日1863年1月1日、本日時点でその人民が合衆国に対する反逆状態にある州および州の地域は、以下の通りであることを定め、明示する。
アーカンソー、テキサス、ルイジアナ(セントバーナード、プラクマインズ、ジェファソン、セントジョン、セントチャールズ、セントジェームズ、アセンシオン、アサンプション、テレボーン、ラフォーシュ、セントメリー、セントマーチン、ニューオーリンズ市を含むオーリンズの各教会区を除く)、ミシシッピ、アラバマ、フロリダ、ジョージア、サウスカロライナ、ノースカロライナ、バージニア(ウェストバージニアと指定された48の郡と、バークレー、アッコマック、モーハンプトン、エリザベスシティ、ヨーク、プリンセスアン、ノーフォークおよびプリマス両市を含むノーフォークの各郡を除く)。そして例外とされた地域は、差し当たり、本布告の対象外とする。
前述の権限に基づき、また前述の目的のために、かかる指定された州および州の地域内で奴隷とされている者はすべて自由の身であり、今後も自由であることを、そして陸海軍当局を含む合衆国行政府が、かかる人々の自由を認め、これを維持することを私は命令し、宣言する。
そして私はここに、今自由であると宣言した人々に対し、自衛上必要でない限り、いかなる暴力も慎むよう申し渡す。また、あらゆる労働の機会において、正当な賃金を得るために誠意を持って働くことを推奨する。
さらに、適切な健康状態にある者は、要塞、陣地、駐屯地、その他の場所を守備するために、あるいは種類を問わず軍隊の船舶に乗り組むために、合衆国軍隊に受け入れられることを宣言し、周知させる。
そして軍事上の必要性に関して憲法で保障された正しい行為であると、心から信じているこの行為に対して、私は、人類の思慮深い判断と、全能の神の寛大なご加護を祈念する。
再投稿です
・タスカルーサ~1540
ミシシッピ先住民の首長。スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。
・オペチャンカノウ1544~1646
ポウハタン族の酋長。ポカホンタスの叔父。1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次・第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。
・ササカス1560~1637
ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺、奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争で白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ王戦争で白人に虐殺されることとなる。
・ポペ1630~1692
プエブロ族の魔術師。スペインの宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人を駆逐したプエブロ族は独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペインに降伏した。
南部タスカローラ族の酋長。白人の土地侵奪、奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。
アベナキ族の酋長。フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争、グレイ・ロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父は戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた
ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人の貪欲な土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ王戦争1765~66)。メタカムは戦死、遺体は戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人の勝利に終わった。
・オブアンディヤック1720~69
オタワ族の酋長。英名ポンティアック。交易を制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合し攻撃をしかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府は政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。
ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争で白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人を訪問した際に拘束され処刑された。
チェロキー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族へ同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中に心臓発作で亡くなった。
・リトルタートル(1747~1812)
マイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バルム大佐を戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦で勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北し降伏した。
ショーニー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦、セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北した。
レナペ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗れた。
・エグシャワ1726~1796
オタワ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、フォールン・ティンバーズの戦いで負傷した
・テカムセ1768~1813
ショーニー族の酋長。白人の侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争でイギリスと組んでアメリカと交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争で敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領に就任するが、わずか31日で病死した。
マスコギー族の戦士。1811年の大地震を白人と戦えというメッセージと解釈し、交戦派レッド・スティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争で活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領に就任、インディアンへの弾圧・虐殺を行った。
・メナワ1765~40頃
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後も土地割譲に同意した酋長を暗殺するなど強制移住に抵抗し続けた。
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争で活躍、バーントコーンの戦いで米軍に勝利した。
ウィネベーゴ族の酋長。白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。
・ブラック・ホーク(1767~1838)
ソーク族の酋長。白人の土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。
・オセオラ1804~38
セミノール族の戦士。強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカに降伏していない
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争で活躍し、デイドの戦いで100人の米兵を戦死させた。
・ビリー・ボウレッグス1810頃~1859
セミノール族の酋長。オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争を継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍に勝利した。
・バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃
コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復に1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。
・ワルカラ1808~55
ユート族の戦士。その知恵と武勇から「砂漠のナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教徒入植者と対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。
・フレチャス・ラヤダス
ヒカリラ・アパッチ族の戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った
・カミアキン1800~1877
ヤキマ族の戦士。白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏を拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。
・レスキ1808~58
ニスカリー族の酋長。白人の土地侵奪に反発し、ピージェット湾戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。
・テカムタム?~1864
アサバスカ族の酋長。鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。
・カイルーク
モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された
・ヌマガ1830~71
パイユート族の酋長。白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860年パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人と部族の平和のために生涯を捧げた。
・マヌエリト1818~93
ナバホ族の戦士。1860~66年までアメリカ政府の土地収奪と強制移住政策に抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。
ティンパノゴス族の酋長。モルモン入植者と対立し、1865年ユタ、パイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた
・マンガス・コロラダス1793~1863
アパッチ族の酋長。1830年代家族や同朋をメキシコ人に虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉の最中に捕らえられ、処刑された。
・コーチーズ1805~1874
アパッチ族の酋長。マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。
ダコタ・スー族の酋長。白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。
カイオワ族の酋長。第一次アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。
カイオワ族の戦士。第一次アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年に逮捕され、投身自殺した。
カイオワ族の戦士。ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。
・ローン・ウルフ1820頃~79
カイオワ族の酋長・交渉によりウォーレンワゴン・トレイン襲撃で逮捕されたホワイト・ベア、ビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナ・パーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオワ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない
シャイアン族の戦士。強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールズバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人に勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマ性から白人から酋長であると誤解された。
ラコタ・スー族の戦士。ララミー砦からモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍は道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウドは居留地に入り晩年はキリスト教に改宗した。
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。
・ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府の平和交渉に当たった。
モードック族の酋長。居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワード・キャンビー少将が殺害されたため、インディアン戦争で米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏し絞首刑に処されたキャプテン・ジャックの遺体は見世物とされた。
モードック族の戦士。モードック戦争に加わり、サンドビュートの戦いで勝利した
コマンチ族の酋長。スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。
・ペタ・ノコナ1820頃~1864
コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシア・パーカーを誘拐、妻とする。1860年ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。
欧米(+ポチの日本)は無責任にウクライナ支援してるけど、ポーランドに落ちたミサイルがマジでロシアのものだったら、
どうする決着つけるつもりだったんだ?って話ですよ
するのは難民支援だけでいいぞ
どこの国も難民支援やりたかないんだろけど、田舎には人が少ないではなく、文字通りいない土地ありますやろ
まぁアメリカあたりは副大統領の邸宅前にテキサスの政治家が移民バス送りつけたりクレージーなことしてるけどな
米南部の州、北部に移民送り込む 副大統領公邸前にも
「ハリスはこの国の国境は『しっかり管理している』とし、危機を否定している」、「バイデン政権が仕事をし、国境をしっかり管理することを求めて、私たちは彼女の裏庭に移民を送り込む」とし、移民政策の厳格化を訴えた。
アップルやマイクロソフトといったテクノロジー大手が売られ、相場を大きく圧迫。ハイテク銘柄中心のナスダック100指数は2%安。S&P500種株価指数は4営業日続落となった。KBW銀行株指数の構成企業は2社を除く全てが値下がりした。
ゴールドマン・サックス・グループのデービッド・ソロモン最高経営責任者(CEO)は「困難な時期が待ち受けている」とし、ボーナス減額や人員削減が実施されたとしても意外なことではないと警告。バンク・オブ・アメリカ(BofA )はリセッション(景気後退)の可能性に備えて退社する従業員が減っているため、採用を減速させているとブライアン・モイニハンCEOが明らかにした。JPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモンCEOはCNBCに対し、来年は「緩やかないし深刻なリセッション」に見舞われる可能性があると話した。
ニューヨーク・ライフ・インベストメンツのポートフォリオストラテジスト、ローレン・グッドウィン氏は「株価はまだ底入れしていない」と指摘。「株式市場では今のボラティリティー局面が今後数カ月で終了する可能性が高いが、企業業績はまだリセッション的な環境に適応したものになっていない」と述べた。
モルガン・スタンレー・アセット・マネジメントのリサ・シャレット氏は経済成長の減速やインフレで消費者の購買力が低下するのに伴い、大手企業の一角では来年の業績が想定よりもかなり大幅に落ち込む可能性もあると指摘。「企業ガイダンスの多くは妄想的だ」とし、「多くの人は不都合な現実を突然知ることになる」とブルームバーグテレビジョンで話した。
安全性を求める動きから、米国債は上昇。取引終盤に上げ幅を拡大した。10年債利回りは一時7ベーシスポイント(bp、1bp=0.01%)低下の3.51%を付けた
外国為替市場ではドルが主要10通貨の大半に対して値上がり。一時は下げていたが、株価下落を背景に安全な資産とされるドルに買いが戻った。
ドルは対円では137円付近。朝方にはドル売り・円買いの動きで136円を割り込む場面もあった。
スコシアバンクのショーン・オズボーン氏は「米金融当局にとっての見通しにもっと実体的な変化がない限り、ドルの上昇は持続可能だとの確信は持てない」と6日のリポートで指摘。「しかしドルは短期的に若干の堅調を維持できるかもしれない。投資家が来週の連邦公開市場委員会(FOMC)会合に目を向け始めるためで、パウエル連邦準備制度理事会(FRB)議長が同会合で金利に関する期待を上方向に誘導しようと努める可能性は十分ある」と述べた。
INGバンクのフランチェスコ・ペソレ氏は「ドルが一段と下落するには、ドルの弱気トレンド継続を投資家が確信を持って予想する必要がある。ロングスクイーズの余地は今や著しく縮小した」と指摘。「そのような予想は時期尚早であり、年末にかけてドルは回復すると想定している」と話した。
ニューヨーク原油先物相場は大幅に続落し、昨年12月以来の安値となった。金融市場全般で売りが広がる中、投資家は原油のポジションを縮小した。
ウェスト・テキサス・インターミディエート(WTI)はこの日の下落で年初来の上げを全て失った。原油市場では流動性の低下が続いている。北海ブレント原油先物の建玉は2015年以来の低水準。12月に入り、トレーダーらはポジションを縮小している。
シティグループの商品調査グローバル責任者エド・モース氏は、ブルームバーグテレビジョンのインタビューで、原油市場で最近「理不尽」な価格の動きが見られることから、トレーダーらは「市場から逃げ出している」と指摘。「年末が近づいており、今年利益を得た人はそれを失いたくはない」と述べた。
ニューヨーク商業取引所(NYMEX)のウェスト・テキサス・インターミディエート(WTI)先物1月限は、前日比2.68ドル(3.5%)安の1バレル=74.25ドルで終了。ロンドンICEの北海ブレント2月限は3.33ドル下げて79.35ドル。
ニューヨーク金相場は小幅に反発。ニューヨーク商品取引所(COMEX)の金先物2月限は1.10ドル(0.1%未満)高の1オンス=1782.40ドルで引けた。金スポット価格はニューヨーク時間午後2時半時点で0.1%上昇の1769.83ドル。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-12-06/RMHE12DWLU6801
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 アグネス・チャン
・03 秋の夕暮れ
・04 17(歳
・05 竜田(揚げ
・06 [すべて][4つ]カリフォルニア テキサス フロリダ ニューヨーク州
・07 C
・08 松本伊代 まつもといよ
・09 R:狩野(派 かのうは
・10 [近似値]90526(人
・11 へそ
・15 [略さず]ティラノサウルス
・16 『スリラー』
・18 [頭文字]おちば
・19 テニス
・21 2(番
・25 エスプレッソ
・26 『勧進帳』 かんじんちょう
・27 カナダ
・28e 1)メートル
ナイリー・パタル:著
大失敗だな、お前。
Twitterは悲惨な道化車メーカーで、それでなお成功しているが、これからはたくさんの妥協をし続けて、お前自身の評判と、お前が所有する他の会社に重大な損害を与える以外には、ユーザーと売上を伸ばす方法はない。
俺がこう言うのは、Twitterの問題は技術的な問題ではないと完全に確信しているからだ。Twitterの問題は政治的な問題である。企業としてのTwitterは面白い技術を開発しているわけでもないし、システムそのものにまともな価値もない。Twitterの価値とは、ユーザである。絶望的にTwitter中毒の政治家、レポーター、セレブ、その他なんでも投稿するより前にもっと勉強すべきだった人々。お前だよ、イーロン・マスク、お前がTwitter中毒で、お前がTwitterの価値なのだ。お前はお前自身を440億ドルで買ったんだよ。
ユーザが価値である場合の問題は、ユーザというのは猛烈に複雑だということで、ユーザの行動を制限しようとするのは、歴史的に見て悲惨な経験だということだ。特に、その権限が強力な個人に帰属している場合は。
要するに、お前は今やTwitterの王で、人々はこれからTwitterで起きるすべての出来事に対してお前に責任があると考えるだろう。それに、絶対君主というのは、うまく行かなかったときだいたい殺されるものだ。
例を挙げよう。お前は広告主に向けた丁重なお手紙をいくらでも書くことが出来るが、広告主に「ブランド・セーフティ」を約束しない限り、十分な広告収益を集めることはできない。つまり、人種差別、性差別、トランス差別、その他、米国では完全に合法だが、本当にクソみたいな人間しか言わないような表現などを、お前は禁止しなければいけないということだ。「表現の自由」を尊重してみせてもいいが、つまらない現実として、金が欲しければ、その手の合法な表現を禁止していかなければならない。そしてお前がそうすれば、お前のキモいネトウヨファンボーイが、今度はお前に攻撃をはじめるだろう。あいつらが他のソーシャルメディアでこの真実に気付いたときのように。
そもそも、金のことを考える前にやるべきことがある。現実には、大半の人々が、クソ人種主義者や「男はみんな加害者だって言うのか~」的な自分だけはイケてると思ってるいじめっ子どもでいっぱいの、悲惨な規制なきインターネット空間に参加したいとは思っていないということだ。(だからTwitterは競合と比較して弱小なんだ!) 大半の人々がソーシャルメディアに期待しているのは、素敵な体験をして、人々に認められることだ。みんなディズニーランドで生活したいんだよ。だから、もしTwitterのユーザーを増やして、投稿を増やしたいなら、Twitterでの体験をもっと、もっと、快適なものにする必要がある。つまり? もっと投稿の規制が必要になるのだ! 繰り返しだが、その他すべてのソーシャルメディアはこのつらい現実を学んできた。何度も、何度も。
さらに、「表現の自由が~」と簡単に嘆いてみせる人々が気付いていないのは、米国における表現の自由の最大の脅威は、憲法修正第1条にもはやなんの興味もないクソ政府だということである。あいつらは禁書をしてるんだぞ、イーロン! ジョー・バイデン大統領も、ドナルド・トランプ前大統領も、230条に対して同じ立場を持っている。廃止しようとしているんだ。なぜか分かるか? 修正第1条は明確な言論規制を禁じている。だからソーシャルメディアの存在を許している230条を廃止することで、コンテンツポリシーに間接的な圧力をかけようとしているのだ。大問題だぞ!
州政府はさらに大胆だ。テキサス州やフロリダ州は、修正第1条に対峙して、ソーシャルメディア企業に対してコンテンツ規制を行える言論規制法を可決している。こうした法案にどう従うかは技術的な問題ではない(従うのはそもそも不可能でもあるから)。こうした法律はあきらかに違憲なのだから、法務的な問題であって、唯一の正しい対処法は黙ってうせろと政府に言ってやることなのだ。(裁判所はインターネットのことについては相当のバカという問題もある)こうした法律に対する提訴は、Twitterが起こしたとなると、最高裁まで行くだろうし、その結果はまったく予測できない。終身雇用のダサい変人たちが、アメリカ人の生活を好きなように激変させることができるのだから。
この問題にAIを使うことはできない。お前が税金を逃れたり、知事とよろしくやってたりする、テキサスやフロリダで、裁判に出て悪法と対峙し、修正第1条を守らなければならない。それがどういうことになるか、準備はできているか? 議会の前に座り、何時間もかかる諮問に対し、丁重に断わり続けなければならない。お前が最初に嫌がらせをして解雇した、非常に尊敬されている政策専門家なしで、このことに対する準備はできているのか? おまえがはじめたことだぞ。ロケットや、自動車や、自動車つきのロケットよりもずっと退屈な話だ。
米国を離ればさらに悲惨なことになる。ドイツはテスラにとって大きな市場だったな。ドイツの表現規制法に挑むのか? そうはしないだろうな。インド政府はソーシャルメディアが同国で運営するために、実質的な人質を要求している。このクソ問題に対する技術的な解決策はないぞ。Twitterが中東で直面している、差別主義者を規制する圧力と向き合う準備はできているか? イラン政府がソーシャルメディアの投稿をめぐって人殺しをしているというクソ現実に向き合う準備はできているか?(イラン人が政府に抗議するためにTwitterを利用していることに対する準備はできているか?)中国政府が国内におけるテスラの巨大ビジネスを脅かすために、Twitterのコンテンツを理由にしはじめることが待ち遠しいか? すぐに起きるぞ。
ソーシャルメディアにおける商品とは、コンテンツの規制だというのが、本質的な真実なんだ。誰だって、コンテンツをどのように規制するか決める人間のことを憎んでいる。コンテンツ規制が、Twitterが作っているものであり、ユーザ経験を定義するものである。YouTubeが作っているものであり、Instagramが作っているものであり、TikTokが作っているものである。みんな良いコンテンツを奨励して、悪いコンテンツを抑制して、最悪なコンテンツを削除しているのだ。なぜYouTubeの動画がみんな8分から10分あるか知っているか? それが動画内で広告を二つ入れられる長さだからだ。それがコンテンツ規制なんだよ。それが今やお前のいるビジネスなんだ。コンテンツ規制と戦ったり、広告以外のものが売れるフリをすればするほど、Twitterはお前を擁護の余地がないような表現の奥底へと引きずり込んで行くだろう。そしてお前が急転直下、成長のためには積極的なコンテンツ規制が必要で、世界各国の表現規制を受け入れるなら、まあ、お前のファンがどう反応するか見ものだな。
・タスカルーサ~1540
ミシシッピ先住民の首長。スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。
・オペチャンカノウ1544~1646
ポウハタン族の酋長。ポカホンタスの叔父。1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次・第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。
・ササカス1560~1637
ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺、奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争で白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ王戦争で白人に虐殺されることとなる。
・ポペ1630~1692
プエブロ族の魔術師。スペインの宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人を駆逐したプエブロ族は独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペインに降伏した。
南部タスカローラ族の酋長。白人の土地侵奪、奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。
アベナキ族の酋長。フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争、グレイ・ロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父は戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた
ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人の貪欲な土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ王戦争1765~66)。白人たちは彼がインディアンの君主であると決めつけ、フィリップ王と呼んだが、実際は調停役に過ぎなかった。メタカムは戦死、遺体は戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人の勝利に終わった。
・オブアンディヤック1720~69
オタワ族の酋長。英名ポンティアック。交易を制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合し攻撃をしかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府は政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。
ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争で白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人を訪問した際に拘束され処刑された。
チェロキー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族へ同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中に心臓発作で亡くなった。
・リトルタートル(1747~1812)
マイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バルム大佐を戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦で勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北し降伏した。
ショーニー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦、セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北した。
レナペ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗れた。
・エグシャワ1726~1796
オタワ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、フォールン・ティンバーズの戦いで負傷した
・テカムセ1768~1813
ショーニー族の酋長。白人の侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争でイギリスと組んでアメリカと交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争で敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領に就任するが、わずか31日で病死した。
マスコギー族の戦士。1811年の大地震を白人と戦えというメッセージと解釈し、交戦派レッド・スティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争で活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領に就任、インディアンへの弾圧・虐殺を行った。
・メナワ1765~40頃
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後も土地割譲に同意した酋長を暗殺するなど強制移住に抵抗し続けた。
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争で活躍、バーントコーンの戦いで米軍に勝利した。
ウィネベーゴ族の酋長。白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。
・ブラック・ホーク(1767~1838)
ソーク族の酋長。白人の土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。
・オセオラ1804~38
セミノール族の戦士。強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部は最期までフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカに降伏していない
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争で活躍し、デイドの戦いで100人の米兵を戦死させた。
・ビリー・ボウレッグス1810頃~1859
セミノール族の酋長。オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争を継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍に勝利した。
・バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃
コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復に1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。
・ワルカラ1808~55
ユート族の戦士。その知恵と武勇から「砂漠のナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教徒入植者と対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。
・カミアキン1800~1877
ヤキマ族の戦士。白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏を拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒否した。
・レスキ1808~58
ニスカリー族の酋長。白人の土地侵奪に反発し、ピージェット湾戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。
・テカムタム?~1864
アサバスカ族の酋長。鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。
・カイルーク
モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された
・ヌマガ1830~71
パイユート族の酋長。白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860年パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人と部族の平和のために生涯を捧げた。
・マヌエリト1818~93
ナバホ族の戦士。1860~66年までアメリカ政府の土地収奪と強制移住政策に抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。
ティンパノゴス族の酋長。モルモン入植者と対立し、1865年ユタ、パイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた
・マンガス・コロラダス1793~1863
アパッチ族の酋長。1830年代家族や同朋をメキシコ人に虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉の最中に捕らえられ、処刑された。
・コーチーズ1805~1874
アパッチ族の酋長。マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。
ダコタ・スー族の酋長。白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。
カイオワ族の酋長。第一次アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。
カイオワ族の戦士。第一次アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年に逮捕され、投身自殺した。
カイオワ族の戦士。ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。
・ローン・ウルフ1820頃~79
カイオワ族の酋長・交渉によりウォーレンワゴン・トレイン襲撃で逮捕されたホワイト・ベア、ビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナ・パーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオワ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない
シャイアン族の戦士。強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールズバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人に勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマ性から白人から酋長であると誤解された。
ラコタ・スー族の戦士。ララミー砦からモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍は道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウドは居留地に入り晩年はキリスト教に改宗した。
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。
・ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府の平和交渉に当たった。
モードック族の酋長。居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワード・キャンビー少将が殺害されたため、インディアン戦争で米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏し絞首刑に処されたキャプテン・ジャックの遺体は見世物とされた。
モードック族の戦士。モードック戦争に加わり、サンドビュートの戦いで勝利した
コマンチ族の酋長。スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。
・ペタ・ノコナ1820頃~1864
コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシア・パーカーを誘拐、妻とする。1860年ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。
マッカーサーは、中学生ぐらいの年齢で入学した西テキサス士官学校のころから、性的なことしか頭にありませんでした。近くにある聖メアリー女学校まで遠征すると(笑)誰彼なく声をかけまくってます。一応マッカーサーの通っている士官学校も女学校もミッション系の学校でしたが、エロマッカーサーの頭にはそんなことは関係ありませんでした(笑)
その後も、マッカーサーは49歳の時に16歳の少女に手を出してるほどの、重度のロリコンで、人生で常に性欲に忠実(笑)に生きてきた男ですから(笑)
英雄(笑)は昔から色を好むと言いますし、女と金と名誉に尋常ならざる拘りを見せたマッカーサーの行動原理は正に英雄のそれでしょう(笑)
マッカーサーは初婚が四十路と典型的なモテない男でしたが、ウェスト・ポイント士官学校在学中には、モテないダサい高校生がやりがちな『俺は何人の女とヤッた』自慢をやっている(笑)
ちなみにマッカーサーが入学するまでのウェスト・ポイントの記録(笑)は7人の女性と関係したのが最高だったそうですが、マッカーサーが8名と関係して記録を塗り替えた(笑)と吹聴していたそうです。
マッカーサーは近くのホテルに常駐していた母親ピンキーに監視されており(笑)そんなマネはとても無理だったので、これまたマッカーサーの武勇伝(笑)でしょう。下らないですね。
※参考:ジェフリー・ペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.81
それでモテない暗黒の学生生活を送った反動で、マッカーサーは士官学校を卒業すると女狂いとなりました(笑)
と言ってもモテないのは相変わらずだったので、マッカーサーがやったことは現在でいうストーカーでした(笑)
1907年にマッカーサーはミルウォーキーのファニーベル・ヴァン・ダイク・スチュアート嬢という金持ちの娘に惚れて、仕事すら手に付かない状態まで入れ込んでしまいます(笑)
しかしスチュアート嬢はキモくて野蛮なマッカーサーには全く興味がなく、まったく相手にされなかっため、どん詰まったマッカーサーはラブレターを出しまくります。
スチュアート嬢が身の危険を感じたのか、ミルウォーキーから故郷のニューヨークに帰った後も追撃(笑)しているぐらいなので、かなりの執拗さです(笑)
そのラブレターの中の一つを紹介すると
私が愛するのはあなた
何にもまして
なぜにあなたは私を愛してはくれないのか
という、「自分がこんなに好きなのになぜ相手は自分の事を好きにならないのか?おかしいじゃないか(憤怒)」みたいな典型的なストーカー思想の手紙であり、こんな手紙を何十通も送られてきたスチュワートさんはさぞかし恐ろしかったことでしょう、そりゃ逃げたくもなるよ(笑)
これでも十分やばいんですが、マッカーサーはトドメとばかりに(笑)27頁にも及ぶマッカーサーとスチュワートが主役の韻文劇を創作(笑)し、その脚本をスチュワート嬢に送りつけるという暴挙に出ます(爆笑)
その内容は
軍人であるマッカーサーがスチュワート嬢と結婚し、散々二人でセックスした後に馬に乗って二人で戦場に赴く。
そこで、マッカーサーが重傷を負い、スチュワートの献身的な看護で一旦は回復するが、その後さらなる激戦でマッカーサーは戦死し、スチュワートは自分の夫マッカーサーを誇りにして余生を過ごす。
という中二病どころではない、もし普通の人なら、こんな妄想を考えている事がバレた時点で確実に自殺するような凄まじい(笑)内容でありましたが、マッカーサーは躊躇することなくこれをスチュワート嬢に送ってます(困惑)
こんな不幸の手紙以下の汚物をもらったスチュワート嬢の気持ちは想像すらできませんが、マッカーサーの期待も空しく、スチュワート嬢は最後までマッカーサーになびくことはありませんでした(当たり前ですが)
※参考:ジェフリー・ペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.109
若い頃モテない暗黒人生を送ったマッカーサーは四十代になって、元上官の愛人でバツイチ子持ちという見えている地雷、ルイーズ・クロムウェル・ブルックスとようやく結婚しますが、彼女は離婚歴もあり、また参謀総長のパーシングやその副官キュークマイヤーなど片手では収まらない男性と交際するなど、非常に性経験が豊富な女性でした。
そこで、女性経験に乏しい(というか殆どない)マッカーサーが旦那になったものですから、彼女の不満は相当なもので
とか
「ダグラスはペ○スをオシッコをするためのものとしか考えてないのよ」
とか
パーティで出席者に向けて、自分の指を曲げて見せて、マッカーサーの○ニスが萎れた形にしてマッカーサーの性的能力の乏しさを表現した
結局、マッカーサーは生来のセコさとマザコンと男性機能の乏しさを理由に離婚されます。
その後、傷心のマッカーサーは新任地のフィリピンで、マニラ・オリンピックスタジアムでボクシングの試合を観戦中に16歳のイザベル・ロザリオ・クーパーという混血のモデルに一目惚れし(笑)副官のトマス・ジェファソン・ディヴィスに命じて、イザベルを愛人とする交渉をさせてます。部下に愛人交渉をさせる上官(それも少将)とか嫌すぎますよね、さらにその時のマッカーサーの年齢が49歳ですから・・・ガチで性犯罪でしょ(呆れ)
※参考:ジェフリー・ペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.285
この副官のディヴィスという副官は気の利いた(笑)男で、結局マッカーサーは帰国後にこのイザベルにもフラれるんですが、そのあと傷心のマッカーサーを慰めるためにワシントンの郊外にコールガールを呼ぶための専用のアパートを借りています。マッカーサーはそこに頻繁に来ており、好きなプレイは、コールガールをルイーズやイザベルに見立てて激しく罵倒するプレイだったと後日スッパ抜かれてます(笑)
また、マッカーサーとデイヴィスは仲良く(笑)一人のコールガールと3Pすることもあったそうで(笑)部下と3Pする上官(それもこの時は大将)とか嫌すぎますよね(呆れ)
※参考:ジョセフC・グールデン著『Korea:The Untold Story of the War』
話はかなりそれましたが、日本では、毎日がGHQ司令部のあった第一生命館と嫁・とクソガキが待っているアメリカ大使公邸の往復であったので、日本女性を食いまくっているヒマはなかったようです。
しかし、日本に進駐当初に、日本女性にセクハラを試みたことは明らかになっています。
1945年8月30日、厚木飛行場に到着したマッカーサーは横浜へ直行。ホテル・ニューグランドを日本で最初の宿泊の場としました。
当時、ニュー・グランドには唯一辞めずに残っていた26歳の(山口由美著「クラッシックホテルが語る昭和史」では24歳)女性社員霧生正子氏がいました。
マッカーサーと護衛の空挺隊員は、ニュー・グランドに到着すると、男性社員を集め後ろ手を組ませて身体検査をしましたが、霧生正子氏にもそれを要求し、身体検査をすると通告しました。
護衛の空挺隊員には女性兵士はいなかったので、男性兵士が身体検査にされるのを嫌がった霧生正子氏は、「こんの野郎」と憤慨し、その命令に従わず、ホテルウーマンらしく前で手を組みました。
霧生氏の強い意思に押された、マッカーサーはそれを許可し、霧生氏には空挺隊の中尉がおっかなびっくり身体検査をしています。
霧生氏が気丈な女性でなければ、マッカーサー自らが身体検査と称しセクハラをするつもりだったのかも知れません。
また、霧生氏は自宅を空襲で失っていた為、マッカーサーらのことをイヤでこの野郎と思っており「家をかえせ」と言った事もあるほど、強い敵愾心を抱いたまま硬い表情で米軍兵士と接していました。
米軍兵士らは困ったのか「笑え」と霧生氏に命令し、それでも霧生氏は媚びないので「おれ等は悪くない、東条英機に文句言え」と責任転嫁したあげく、霧生氏に毎日コーヒーやらチョコやらを献上しにきたそうです。霧生氏は美人だったので、マッカーサーらには下心があったんでしょう(笑)
まぁ、マッカーサーも周りに連合国の高官らの目があるなかであまり無理もできなかったようで霧生氏がマッカーサーの毒牙にかかることはありませんでした。
よかったですね。
※出典 USArmyInJapan A Japanese lady who worked for GEN MacArthur
https://www.youtube.com/watch?v=0RqsjRRkUpQ
https://www.youtube.com/watch?v=Cvh6uW0Yxek
鼻の下を伸ばしただらしないいやらしい顔で、女性従軍記者マーガレット・ヒギンズ女史に不必要なほど接近し、その右手でヒギンズ女史の腰を弄るマッカーサー
現在で例えれば、自衛隊の司令官が女子アナにこんなことしてればどうなるか火を見るより明らかなように、典型的なセクハラですね(笑)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184777592
(6/21 1:15 追記)
なんか元増田とかこの増田で「リン酸鉄系電池のせいでリンが枯渇する・枯渇が近づく」って言う内容を読み取ってる人がいるみたいだけど、そんなこと書いてないよ。元増田では追記で「枯渇が見えてる資源を使ってたら価格が下がっていくとは考えづらい」って書いたし、ここでは「問題は消費量じゃない」って書いてるよ。書いてないことを読み取られても反論のしようがないからね。
(追記終わり)
書き方が悪くてEVアンチだと思われている節があるんですが(ただこれは完全に私が悪いです。すみません)、あくまで現状の電池技術ではコモディティ化は難しいだろうということを資源という面から書いたつもりでした。いい加減なことを書いているとまで言われてしまったのは心外だったけどね。
korilog 埋蔵量はその時点で経済的にメリットの出る採掘量なので、採掘技術の進歩や価格の高騰で増える。自分が子供の頃にはお前らが大人になる頃には石油が尽きるからなって言われてたけど、寧ろ尽きるまでの年数が伸びてる
そうだね。でも価格が上がってしまうとますますコモディティ化からは遠ざかるよね。
muchonov 電池技術開発の弾込めは日本含め世界中で高密度化とレアメタルフリー(=廉価化)を目指して突き進んでるので自分は楽観的。次世代Li系は概ねコバルトフリーだし、本命はほぼ無尽蔵のNa・K系。リンは→https://bit.ly/3b1rPGk
そうだね。でもね、リチウムイオン電池って30年前には実用化されてた(1991年、ソニー)んですが、EVとして普及し始めたのはこの10年ほど。あくまでタイムスケールを感じてもらうためにこの例を出したので、そのまま当てはめることはできないけど新しい電池を車用に実用化するとなったらそれなりに時間がかかるのは覚悟しておくべきだろうね。多分今のEVブームが盛り上がっている間(今のインフレ退治の後の景気後退が来るまで)には間に合わないだろうな。でも、多分EVを一般的に普及させるのは全固体電池なり金属空気電池だろうなとも思うから、投資は惜しまないでほしいなとも思うね。
リン酸鉄系について色々ブコメや増田があったんだけど anond:20220620101253 に答えるのが手っ取り早そうだから答えるね。
あのさあ、LFP電池が使うリンの量なんて、農業利用される莫大なリン量に比べたらタカが知れてるというか、はっきり言って誤差のレベルでしょ
そうだね。でもね、問題は消費量じゃないんだ。リン酸塩の値段は今後も続くリンの採掘によって上がっていく。「肥料じゃなくて電池にするから安くしてくれ」なんてできないんだよ。現にウクライナ侵攻後にFertilizer prices indexの値段は2倍になってるからこの影響は半年もしたら出始めると思うな。あとね、個人的に心配してるのがこのあと天変地異なりでリンの値段がさらに急騰した場合に安全保障を名目に中国政府が梯子を外してくるんじゃないかということ(四川大地震の時に似たようなことが一回あったみたい)。リンはレアメタルよりも大事な、人間にとって生きていくのに絶対必要な元素なのでそれを電池に使い続けるのは政治的にも難しいと思うな。
そもそもLFP電池自体がNMC系のLiBに比べて長寿命なうえに、最後までバッテリセル内に滞留してて100%リサイクルできるからね
これは違うよ。調べてもらったらわかるけど二次電池の正極活物質のリサイクルって実は難しくて、今やってる電池のリサイクルって実は負極に使う銅箔など肝心の正極以外のものが多いんだ(実は三元系でもまだそんなにできてないんだ)。リサイクルがビジネスになるかどうかを無視したとしてもリン酸鉄のリサイクルなんて今出回り始めたEVのリサイクルをするわけだから10年後に軌道に乗るビジネスだよね。もうすでにリン鉱石の値段が上がり始めている現状で10年後のリサイクルの話をされても、、、って思うね。それこそ次世代電池が普及し始めてるかもしれなくない?
元増田みたいな主張に対して「EVオワタ論者が寄ってきてセンセーショナルになりがちな風潮はマジで吐き気がする」って思う人はむしろ増えると思うよ
これはその通りで、書き方がよろしくなかったと思っています。すみません。あと書き方が悪かったのは承知の上で言ってるけど自分はEVアンチでもテスラアンチでもCATLアンチでもないです。CATLは本当に世界一の電池メーカーだと思ってるしめちゃくちゃ期待してます。
以下はその下の部分に対してのコメントです。
市場原理の話はまあ定性的に理解できるんだけど、さっきのタイムスケールの例からもわかると思うけど電池の進歩って半導体みたいに速くないんよ。レアメタル使わないのは結構なんだけど、それが使えなかったとしてもみんなEVなり蓄電池が欲しかったらレアメタルを使ってる電池を使わざるを得ない(後、電池の新技術って声高に宣伝される割に実際実用に耐えるのが出てくるのってそんなに多くないんだよね)。個人的なところを言うと新自由主義的な市場原理で技術革新を説明するのは開発者がちゃんと儲かる仕組みを作ってからにしてほしいとおもうね。
自動車の電動化についてはおそらく業界の人はみんな避けられないと思ってるよ。でもね、100年ほどの自動車の歴史を振り返ったらわかるんだけど先進技術がほぼ100%で不可逆的に普及するタイミングってほんとわかんないんだよね。100年前のアメリカの例で考えてみよう。
1900年代ー1920年代のアメリカって蒸気、ガソリン、電気自動車が鼎立していて、蒸気はPWRの面で、電気は航続距離の面で難があった。だから当時の人もこれからの主流はガソリンになるんだろうなって思ってて、実際ガソリン自動車会社の創業ブームになって1900年代はアメリカ全土でおよそ300もの自動車会社が存在したんだ。ガソリン車っていうのは既存の自動車に比べて
という利点があった。だからたくさん参入してきたんだ。でもね、結局ガソリンエンジン車の普及とBig threeの隆盛が決定的になったのは自動車の技術の問題じゃなくて、世界恐慌とその頃にテキサスで大油田が発見されてガソリンが安くなったからなんだ。その頃にはもうアメリカ全土にあったガソリン車に群がった中小企業は世界恐慌でもう潰れてる。だからその後のアメリカ自動車市場は生き残ってたクライスラー、GM、Fordの寡占になったんだよ。
この例から見てもわかるんだけどね、みんなわかってるんだよ。次に来る技術は。でもそれが決定的に普及するのは外部的要因に依存することが多くて時期は本当に読めない。だからそこまで体力を温存するという戦略もできるし、むしろ自分でその変化を起こしてやろうという戦略もとれる。どちらが正解なのかは正直分からない。でもね、技術的な側面だけじゃなくて社会的な側面から見ても現状の技術でのリチウムイオン二次電池は電池をコモディティ化させるゲームチェンジャー足り得ないだろうというのが正直な感想になる(将来的にもないとは言ってないよ!あくまで今の技術ではという話)。ただしその答え合わせは10年後かもしれないし、もしかしたら30年後かもしれない。もしかしたら水素なりアンモニアがゲームチェンジャーになるかもしれない。だから、日本人としてはトヨタの戦略が正しいと思いたいけど、そうではないかもしれないとは思っています。でもちょっとでも日本の自動車産業を応援してくれると嬉しいな。