はてなキーワード: ノーフォークとは
アメリカ合衆国大統領による
西暦1862年9月22日、アメリカ合衆国大統領より、特に以下の事項を含む宣言が発せられた。
「西暦1863年1月1日の時点で、その人民が合衆国に対する反逆状態にあるいずれかの州もしくは州の指定された地域において、奴隷とされている すべての者は、同日をもって、そして永遠に、自由の身となる。陸海軍当局を含む合衆国の行政府は、かかる人々の自由を認め、これを維持する。そして、かかる人々が、あるいはそのうちの誰かが、真の自由を得るために..行ういかなる活動についても、これを弾圧する行為を一切行わない。
行政府は、前記1月1日に、宣言によって、人民がその時点で合衆国に対する反逆状態にある州および州の地域を指定する。また、同日時点で、州またはその人民が、その州の有権者の過半数が参加する選挙で選出した議員を、誠意を持って合衆国議会に送っている場合には、これを否定する強力な証言がない限り、それをもってその州およびその人民がその時点で合衆国に対する反逆状態にないことを示す確実な証拠とみなされる」
これにより今、私、合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは、合衆国の権威ならびに政府に対する武力による反逆が実際に起きたときの合衆国陸海軍の最高司令官として私に与えられた権限に基づいて、またかかる反逆を制圧するための適切かつ必要な戦争手段の1つとして、前記の日付から丸100日間の全期間にわたり、そうすることを公式に宣言してきたことに伴い、本日1863年1月1日、本日時点でその人民が合衆国に対する反逆状態にある州および州の地域は、以下の通りであることを定め、明示する。
アーカンソー、テキサス、ルイジアナ(セントバーナード、プラクマインズ、ジェファソン、セントジョン、セントチャールズ、セントジェームズ、アセンシオン、アサンプション、テレボーン、ラフォーシュ、セントメリー、セントマーチン、ニューオーリンズ市を含むオーリンズの各教会区を除く)、ミシシッピ、アラバマ、フロリダ、ジョージア、サウスカロライナ、ノースカロライナ、バージニア(ウェストバージニアと指定された48の郡と、バークレー、アッコマック、モーハンプトン、エリザベスシティ、ヨーク、プリンセスアン、ノーフォークおよびプリマス両市を含むノーフォークの各郡を除く)。そして例外とされた地域は、差し当たり、本布告の対象外とする。
前述の権限に基づき、また前述の目的のために、かかる指定された州および州の地域内で奴隷とされている者はすべて自由の身であり、今後も自由であることを、そして陸海軍当局を含む合衆国行政府が、かかる人々の自由を認め、これを維持することを私は命令し、宣言する。
そして私はここに、今自由であると宣言した人々に対し、自衛上必要でない限り、いかなる暴力も慎むよう申し渡す。また、あらゆる労働の機会において、正当な賃金を得るために誠意を持って働くことを推奨する。
さらに、適切な健康状態にある者は、要塞、陣地、駐屯地、その他の場所を守備するために、あるいは種類を問わず軍隊の船舶に乗り組むために、合衆国軍隊に受け入れられることを宣言し、周知させる。
そして軍事上の必要性に関して憲法で保障された正しい行為であると、心から信じているこの行為に対して、私は、人類の思慮深い判断と、全能の神の寛大なご加護を祈念する。
農法の進化の過程を見ていると、紀元前から続く農業が肥料との戦いであったことに気づく。
ヨーロッパの原始的な農法として二圃制というのがある。
冬に小麦を育てるのだが、その後はなんと一年間放っておき、休耕地にする。
これは別に農家が怠慢だとかではなく、そうしないと小麦が育つ地力が回復しないからだ。
次に北ヨーロッパに農耕文明が伝わってしばらくすると、三圃制というのがでてくる。
二圃制に加えて夏に大麦を育て、大麦→小麦→休耕のローテーションにする。
これは当時としてはかなり便利だったらしく、長く続けられた。
ところで、別にそんな面倒なことをせんでも成り立つ非常に便利な農法が古代にもあった。
氾濫を利用する方法だ。
メソポタミア文明やエジプト文明、その他いろいろの文明の発祥地ではこれが非常に便利に使われていた。
土が枯れたら雑草に癒して貰うのではなく、川に流してもらい、新しい土を持ってきてもらうのだ。
そうすれば毎年なんの憂いもなく農業に励める。
現在では大河の氾濫など、人間に害があるばかりでダムでも作って治水してしまうものだが、化学肥料がなかった時代は氾濫は農業にとって非常に重要であった。
大気中に腐るほど存在している窒素も、窒素酸化物などの形で地面に入らなければ植物が利用できない。
日本では古来、カミナリのことを稲妻と呼んだ。雲中で大放電現象が起きることで空気が灼かれ、窒素酸化物ができそれが雨に乗って地上に落ちる。無論、稲妻と最初に呼び始めた人たちはそんな現象は知らぬだろうが、その関係性は知っていたのだろう。
大豆などが有名だが、大豆も肥料として利用されていた。日本では満州で大豆を大規模栽培し、油などを取った絞りカスを日本に輸入して肥料にしたりしていた。
化学肥料がいくらでも手に入る現在では、行われていないが、日本の田圃では収穫後の田圃にレンゲソウ(マメ科)を植えた。
幻想的な風景だが、昔は田圃に一面のレンゲソウが咲いていることが日常風景であった。(その蓮華は枯れる前に花ごと地面に巻き込んで肥料にした)
ヨーロッパで農業革命と言われるノーフォーク農法(輪栽式農業)では、クローバーを栽培した。
クローバーもマメ科であり、この時やっと人間が「肥料を作る」という現象が発生した。
これまではずっと「肥料はどこかから持ってくるもの」だったのだ。(たぶんこの辺の意識の違いが近代、近世あたりの歴史認識に重要になってくるんだろう)
ノーフォーク農法は大麦小麦クローバーの他に、あまり地力を必要としないカブを育て、そのカブを家畜に食わせることによって家畜を年中飼育することができた。
クローバーと家畜の糞でようやく、紀元前から続いてきた慢性的な肥料不足は改善されるようになったのだ。