はてなキーワード: カール・マルクスとは
こちらの記事(http://anond.hatelabo.jp/20150928163536)、
(http://anond.hatelabo.jp/20150929000832)
なんだか私についていくつもエントリー(?)がついてまして…
いやはや、こんな思考の駄々漏れみたいなものにたくさんの人にお付き合いいただけて頭が上がりません。
少しだけ書きたいことが出ましたので2つほど追記を…
まず一点目。
前回の2つの記事についてご指摘がありましたが、これは私の自分語りです。
客観的に見れているか?と言われますと私は首を縦には振れません。
それを理解していただければ幸いです。
更に申し上げますと、前回の2つの記事は、『私がこの時、こうだったから、私は楽になれた。』
その、たった一例を出したに過ぎません。
誰でも彼でも救ってくれる、万能薬のような魔法の言葉を言われたわけではありません。
当たり前ですね、状況がまず違うのですから、そのことを他のコメントを見ながら痛感しています。
未熟者でお恥ずかしい限りです。
しかし、それでもあんなに簡単な言葉で私が今まで生きてこれたのも、また事実なのです。
だから一番近くで、犯人のような人や、私のような人を見てきた人だけが
助けてあげられるのかもしれない。とも思うのです。
でも近いからこそ、それが出来ないのかもしれないとも思います。
親しい人ほど、無様な姿は見せられない、という心境とでもいいましょうか…
難しいですね、これは私がベストアンサーを出せる問題ではないように思うこの頃です。
さらに前の記事では、こうしたらいいなどと厚かましい意見を述べてしまいました…
私と考えが似ていらっしゃるとのことで、
色々と関連したもの(動画など)を拝見させていただいたのですが、
私の思慮の浅さが露見するばかりで…
こんなに深い考えをお持ちの方に間違われるのは大変恐縮するばかりです。
この方のお言葉にハッとさせられたのですが、
「自分という存在」は「他者」に認められて存在が成り立つということです。
当たり前のことですが雷のような衝撃を受けました。
私は何も選んで生まれて来ていない。性別も容姿も親も何もかもです。
それを私だけの一存で好きになるのは難しいことですね。
というか私には不可能に近いです。
じゃなきゃ、自己肯定感がこんなに低いとウダウダ悩んでません。
だって好きで選んだものじゃないんですもの。しかも絶対に逃れることなんて出来ない。
そしたら、すんなり好きになれなくて当たり前です。
----------------------------------------------------------------------------------------
私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、
人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロに関係することによって、
【カール・マルクス、岡崎次郎訳『資本論(1)』(国民文庫一九七二年)一〇二ページ。】
----------------------------------------------------------------------------------------
----------------------------------------------------------------------------------------
一九〇二年の本のなかでさきのマルクスと同じようなアイデアを定式化している。
すなわち、かれは「お互いがお互いにとって鏡であり、その前を通る人を映している」として、
このような自我のありかたを「鏡に映った自我」(looking-glass self)と呼んだ。
他者と関わり他者の鏡に映った自分を認識することによって自我が形成されるのだ。
【C.H.Cooley, Human Nature and the Social Order,1902,p.184.】
----------------------------------------------------------------------------------------
だからこそ私は他者を排除して自分を語ることが、どうしても出来なかったんだと思います。
人の目が気になってたまらないのも、きっと、ここら辺からきているのかな…
私という存在を求めてほしい気持ちがあるからこそ、他者からの無条件の肯定に焦がれてしまう
でも得るのはとても難しい…
ムムム…ここら辺はまだまだ私の中で考えていく必要がありそうです。
さすがその道に長けた方のご意見は納得させられるものばっかりです。
とても勉強になりました。南直哉さんのことを教えてくださった方、ありがとうございます。
気になる方は動画などもいくつかネット上にアップされているので、ぜひ拝見してみてください。
二点目は、エントリーについて少し触れさせていただきたいと思います。
◯『憎しみも怒りもなくふるわれる暴力』とエントリーを書かれた方
私はまずDVの話はしていません。
同じような「劣等感」からくる事件を持ち込むならまだ分かりますが
例えとしては、いささか整合性がなく、乱暴なようにさえ感じます。
そして加害者と被害者の言い分は別です。ごっちゃにしてはいけません。
もし、この言い分を使いたいなら私の発言はどちらかの立場だけに終始すべきです。
なぜなら私は被害者側の立場に立って、今回の話はしていないからです。
そもそも私が疑問に思った問題と、あなたが述べている問題点は相反するものではありません。
私が言いたいのは、犯人のやり口が卑劣だ、という犯行への結果ではなく。
どうして止められなかったのか?という過程へ向けた問いの話だけを今回の問題としてあげています。
分かりやすく言うならば、『起こったこと』(結果)、『今起こっていること』(現在)ではなく
『止められなかったのか?』という『過程』と、
『それはなぜ?どうしたら止められるの?』という『未来』の二点だけです。
むしろここで、ごった煮にして考えてしまって良いような問題ではないと思います。
『加害者擁護に感じる不愉快さは被害者の人権軽視の姿勢』についてのお話も
あともう一点だけ、トリイ・ヘイデンの「シーラという子」という本を引き合いに出されていましたが
これこそ、私が疑問視していたセーフティーネットが上手く発動した例にはならないのでしょうか?
社会という仕組みにある学校が、セーフティーネットとして、シーラという子を助けられたなら、
それはとても喜ばしいことに思えます。
他の場面でなら、彼女の体験はどう使えるのか、考えるヒントがありそうです。
こちらの子方は、いくつか引用を交えてお話させていただきます。
----------------------------------------------------------------------------------------
犯人に自己を投影してしまうからこそその言葉が自分に返ってくるように感じてしまう。
コメントが賛否になるのは当然でどれに感情移入(主体として)するかによって風景が変わる。
コメントする人間は、自分がいちばん近い距離感に対し感情移入する。
であって、本人がこじらせている状態を「くだらない」と言ってるわけじゃない。
----------------------------------------------------------------------------------------
そういう見方も出来るのですね!
私にはない見方でした。ひとつの方向だけを向いてしまう悪い癖です。
そうですね、どうしてあの時、母が「くだらない」と言えてしまうのか
とても疑問だったのですが、すっきりしました。
トラウマ的な部分もあって、私自身がそれに過剰に反応してしまった部分もありました。
こういったトラウマ的な部分は気をつけていても
反射で反応してしまうものなので、中々コントロールするのは難しいですね
そうった意味で言っていたのか、母には後日、確かめてみたいと思います。
ただ、やっぱり事件を「くだらない」と片付けてしまっていいものか…と私は考えてしまうのです。
背景は別々だけれど、同じような事件がたくさん起きているのは事実で、
なくならないかも知れないけれど、減らすにはどうすればいいか
もしかしたら犯人の人生において共通の何かがあるのか、ないのか…
私はそれを「自己肯定出来ない自分」という、ひとつの可能性と結びつけました。
探せばもっと違う可能性があるかもしれない。ないのかもしれない。はたまた、これ事態は関係ないのかもしれない。
それでも考えていくことを放棄したら、なんだかもっと危うい方へと世の中が転がっていくように私は感じてしまうのです。
----------------------------------------------------------------------------------------
今この時の、家族の、学校の、大げさに言えば社会のセーフティーネットが機能していない深刻さ。
それを改善していく必要があるんではないかと強く思ったがゆえに投稿した記事でした。
ここに集約されてる。
----------------------------------------------------------------------------------------
なので、こんなに恐ろしい気持ちを味わっていたらと思うと…と、
だいぶ犯人の側に入れ込んで前の記事を書いたことは否めません。
----------------------------------------------------------------------------------------
問題のある家庭まで補正できるセーフティネットって具体的になんだろう。
----------------------------------------------------------------------------------------
残念ですが私にも分からなくて、具体的なことはひとつも書けませんでした。
本当に何がセーフティーネットになりえるのでしょう?
そもそも、そんなすごいセーフティーネットを作ることって出来るのでしょうか?
家庭が駄目なら、どこでなら救うことが出来るのでしょうか?
直すべき形態はどこなんでしょうか?
殺人は犯人が悪いけれども、もし彼をそこまで追い詰めたものがあるとしたら、
それって何が悪かったんでしょうか?
遠くない私たちの問題なのかもしれないと、私は思ってしまいます。
----------------------------------------------------------------------------------------
劣等感が「リセット」というキーワードと結びついて妄想が膨らんだ。
結び付いたらそれを「くだらない」といった母親の言葉が自分に向ってきた。
----------------------------------------------------------------------------------------
そうですね、少ない情報から「同類だ」と勝手に思い込むのは良くなかったですね。
もっとじっくり考えれば、すぐに私と犯人は他人だと分かりそうなものですが…
そして、私の書いたものを共感してくださる方がいたのも事実です。
割り切れない何がある?それってなんだろう?
そうやって考える自分がいるのも確かです。
そして、私のことを「少ない情報で犯人と自分を同一視するな!」とおっしゃられるなら
「啓発にコロリと引っかかる」という型にはめた発言は訂正していただきたいと思います。
だって、わたしのこと、この2つの記事でしかあなたは知らないんです。
女か男か、はたまた性別も分からない人に、それを言うのは野暮ってものです。
やっぱり、自分の独り善がりで文章を書いてしまいますと、なかなか客観的に立ち返れずにお互い苦労しますね。
----------------------------------------------------------------------------------------
犯人が違う理由を言いだしても増田は投影し続けられるんだろうか。
----------------------------------------------------------------------------------------
「人を殺せば刑務所に入って人生をリセット出来ると思ったこと。」
よく考えれば、刑務所に入ろうという発想はありませんでしたし…
ただ、「小学生から大学生の今まで、自分は何をやっても駄目だと感じていたこと。」
「そのことを考えると夜も眠れず苦しかったこと。」
この二点は確かに私の味わった挫折感によく似ているので、
----------------------------------------------------------------------------------------
自分の人生の責任も、運命を変えるのも、残念ながら自分でしかない。
----------------------------------------------------------------------------------------
その通りですね。自分の人生をどうやったら大切に出来るか、自分なりに模索している最中です。
ただし、ご自分の人生へ責任を取るのなら『この記事だって誰の責任も取らない。』のではなく、
やはり言ったという事実には責任を持たれたほうがいいと思います。
持てないのでしたら、それこそ私などに発信せずに匿名でやってください。
私は匿名という時点で、心苦しいですがあなたと同じ土俵には立てません。
この発言をすることで周りへかかる迷惑を考えた結果の匿名ですので、
その点に置いては私は自分の発言に責任を持とうと思っています。
◯自分は自分であるというただ一点で何よりも尊い。についてエントリーを書かれた方
----------------------------------------------------------------------------------------
「こうやれば楽に生きられるかも」なんてものは何も書けないと思う
----------------------------------------------------------------------------------------
そうですね。そんな素晴らしい答えがあったら私も悩んでいません。
どうかその考えることを大事にしてください。
とてもいい環境で育てたのですね。それはあなたの財産であり、誇りになると思います。
どうかその世界をつくってくださった人を大事にしてあげてください。
そうして、きちんと悩めるあなたなら、誰かのために手を伸ばすことが出来るでしょう。
うらやましい限りです。手探りでは、なかなか及ばないところも多く、歯がゆい日々です。
でも、どうか私みたいにこれがいいと決めつけて傲慢にならないでください。
きっと時と場合によって回答は常に変化してしまうでしょうから。
時々、休みつつ、問題に真摯に向き合っていくことが大事なんじゃないかと思う今日この頃です。
ということを受け入れ始めることが出来てきたように思います。
その「尊い」という感覚は、きっとあなたがおっしゃるように他者との間にしか見つけられないものです。
そして、時にものすごく得ることが難しい。
「自分を愛せないのに、どうして他人を愛せようか」ということです。
そして、これが未だに誰かの胸を打つのは、この言葉が響く人が確かにいる証のように感じます。
書いてくれてありがとう。私の考えるきっかけになってくれて、ありがとう。
きっと苦しい状況はすぐには変わらないけれど、起こしてもらえるのってすごく大きな力になる。
あなたの人生を曲げない範囲で、どうか他者を労ってあげてください。
私もあなたのようになりたいです。ほどほどを忘れずにね。
以上で追記は終わりです。誤字脱字はご愛嬌の範囲でお願いします。
そして、私の個人の思う所を書いたという点だけは、重ね重ねですが、どうかご了承願いたいです。
この一連の記事を書く前は私は魔法のような一発で解決する答えがあるんじゃないかと
心のどこかで思っていました。
でも、たくさんの意見に触れてそうじゃないと気づけた。
きっと、現状を少しでも良くするためには、どうすればいいか?
それを柔軟に考えていくのが大事なんじゃないかと思えました。
これが現時点での結論です。
きっとまた四苦八苦して変えて、いかなくてはいけないのだと思います。
この投稿は、私の疑問の声であるという点を汲んで、少しでも考える機会になったら
これほど書いてよかったと思うことはありません。
長文、失礼いたしました。
昼間コメントしてくださった増田の皆さんありがとうございます。
「現代のマルクス」でググったら、50万件近くヒットがあったので(筆頭が池田信夫だったのがなんともですけど)、単に自分が知らなかっただけですかね。
確かにかのカール・マルクスと関連付けられることはプラス面よりマイナス面のほうが大きいと思うので、意図的に「知りません」ってボケてるのは戦略的には間違ってないんだろうな、と思いますが、でも「誰が読んでも関連付けるでしょ? これ?」って内容である以上(そりゃ異論もあるでしょうけど)、そこでボケても意味はないと思うんですけども。
ここ最近は「ピケティの理論はあてにならない!」とか「日本は違う!」という方向の反論が主に「保守」とされる論壇から出るようになりましたが、稚拙とはいえそういう人らのほうが正しく反応してるような気がしないでも。
http://anond.hatelabo.jp/20141207214956
「はてなーの血肉となった3冊を教えて欲しい」
http://anond.hatelabo.jp/20141207214956
のブックマークで挙げられていた本の中から、Amazonのレビューで5つ星のものだけをピックアップしてジャンル別に並べ替えたもの。
正月暇になりそうだから読む本を探している人の参考になれば幸いでございます。
はてブ | 検索キーワード | Amazon検索結果へのリンク | レビュー数 |
---|---|---|---|
kerodon | 歌よみに与ふる書 | 歌よみに与ふる書 | 8 |
hayakuzaka | 茨木のり子 詩のこころを読む | 茨木のり子 詩のこころを読む | 31 |
inmymemory | ボードレール 悪の華 | ボードレール 悪の華 | 10 |
inmymemory | アルチュール・ランボオ イリュミナシオン | アルチュール・ランボオ イリュミナシオン | 4 |
ここで全部の回を無料で視聴できる。http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/index.html
高校の頃に世界史を履修しなかったことを後悔していて、何回か受験用の参考書とか見てみたんだけどいっつもフェニキア人あたりのややこしさでわけわかんなくて挫折してた。
で、今ちょうど会社辞めて暇だしみてみるかーって視聴したら、案外すんなりみれて、スッカスカだけど自分の中で骨組みみたいなのができた。この状態で参考書読んだら前より全然読めた。これから参考書だけじゃなくて本とか読んで肉付けしていくつもり。
「世界史、全然知りません」って感じの初心者の人。習ったことある人には全然物足りないと思う。1テーマ20分だし、かなり粗い(多少なりとも知ってる現代史は、物足りなかった)。けど、後に間を埋めていく楽しみもできるし、初学者には向いてる。
ちょいちょい「その頃日本はxx時代で〜」とガイドしてくれるのもいい。
司会、小日向えり嬢の「歴史の部屋」にゲストがその回で扱う歴史に関するお土産とともにやってきて、歴史上の人物をナビゲーターという名の語り手として紹介してくれる(最後の方は歴史上の人物ではなく単にナレーション)。たまに「プラスワン」というコーナーでトリビアを扱う。
先生はルーフバルコニーにずっと引きこもっていて、司会とゲストがキャッキャしていると唐突に音楽を鳴らして司会をルーバルに呼びつけ解説をはじめる。ゲストは先生と会うことがなく、解説中は部屋に放置されている。どういう設定なんだ。司会が席を外すときに、ゲストの人がちょっと「えっ?」って感じになるときがあって、若干いたたまれない。先生の後ろにあるギターが毎回気になる。最終回だけルーバルから出てきた。
最後に1分程度でその回のまとめがある。スライド3-4枚のコンパクトなもので、振り返るのに便利。
声優さんにあんまり詳しくないんだけど、それでも名前を知っている人がいるので豪華なんじゃないかと勝手に思っている。
あと、あんまり見やすくないけど「文字と画像で見る」でサクッと振り返ることもできる。放送内容を綺麗にまとめてくれた「学習メモ」っていうPDFもあるよ(押さえるべきポイント付き)。絵はないけど「学習メモ」のほうが好きかな。至れり尽くせり。
(2012.12/19 17時頃、ブクマコメントへの返信などを末尾に追記致しました)
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2012/12/19/112633
↑こちらのエントリを拝見しまして、なるほど現場の危機感はリアルに伝わってくるなと感じる半面、「そこはカール・マルクス先生が150年前に通過した場所ですよ」と思わずにいられなかったので、ここで簡単に解説してみようと思います。
まず、「どうして商品の値段が下がるのか?」ですが、これは資本主義社会において工業化が進めば不可避の現象である、とマルクス先生は言います。
理屈としては単純で、かつては作るのが難しかった製品でも、大量生産が可能になればそれだけで安価で提供されるようになりますし、やがて生産技術が陳腐化して他社も似たような製品を作り始めれば、さらに価格は下がっていくわけです。これは恐らく、多くの方が直感的に理解できると思いますし、今の日本ですと家電業界が、正にこの値下げ競争に世界レベルで直面し、息も絶え絶えになっているわけです。
マルクス先生が偉かったのは、ここまでで話を終えず、「じゃあ工場で働く労働者はどうなるのよ?」という問いを立てたところです。
先生は、普通の労働者を、「自らの労働力を〝商品〟として市場に提供しているのだ」と考えます。これは工場労働者に限らずホワイトカラーでも同じですが、
「自らの体力・時間を勤め先に〝切り売り〟して、対価として賃金を得ている」
と考えれば理解しやすいでしょう。
で、「資本主義社会においては、商品の価格は下がっていくのが当然だ」ということは既に触れた通りですが、これは「労働力」という〝商品〟についても同じ現象が起こります。要するに、放っておくと(←ここが重要)、労働者の賃金や労働条件も下がっていきます。分かりやすく言えば、「本当は嫌なんだけど、低い時給でも我慢して働かなくちゃ」という状態です。実際に日本でも、「サービス残業」「ワーキングプア」という形で、賃金の低落傾向の長期化は頭の痛い問題であり続けています(※以下に注釈)。
さて、これで話が済めばいいのですが、ここで問題になるのは、「労働者もまた人間である」ということです。
人間が人間らしく生きるためには、家に帰って飯を食って寝るだけでは不十分です。例えば旨い酒を呑むとかエロゲを楽しむとか嫁さん子供を連れて遊びに行くとか、それぞれのやり方で活力を取り戻すことが必要になります。しかし、賃金が際限なく下がっていくと、こういった「労働力の再生産」に充てられるお金も減らさざるを得ない。こうなると人心が荒んでいきますし、資本家との経済格差も広がる一方ですから、「放っておくと暴力革命の危険も出てきますよ」とマルクス先生は指摘しました。
まあ、ここから一気に飛躍して「どうせ暴力革命が不可避なら自分たちでやってやるぜ、共産主義ばんざい」等と言い出した人々がいたのも事実ですし、私としても「それはどうなのよ」と思います。が、だからといって何もしないと、「失う物の無い人」が暴発してえらい事態が起こることも、我々は既に経験しています。秋葉原の加藤さんとか電車の人身事故とか、頻発すると困ったことになりますね。
ではどうするか?ですが、有効な方策は、ある程度はっきりしています。
一つは、あくまで経済成長を追求することです。そのためには基幹産業へのテコ入れが必要になります。しかし、ここで日本特有の「急速な少子高齢化」という問題に直面します。産業を拡大させようにも、労働人口が減っていくのですから、どうにもなりません。しかも高齢化が進みますから、将来的には医療・介護部門に労働力を割かねばならなくなるのですが。これらの部門は当然ながら高成長は望めません。
もっとも、この解決策は簡単で、「積極的に移民を導入する」という手があります。OECDなんかからも、しきりに焚きつけられています。しかし、日本では移民導入政策がスムーズに進んでこなかったのは皆様もご存じの通り。特に安倍氏に代表される自民党の路線では、「日本を取り戻す」のだそうですから、政策としての食い合わせが悪い。そもそも戦時中に朝鮮・中国から連れてきた労働者に対し、戦後しかるべき対応を怠ったため今なお続く禍根を招いている、という件を蒸し返される可能性もあります。
他には、北欧型の社会民主主義という路線もありそうです。但し、「社会民主主義」というのは、語弊を恐れず言えば「ソフトな社会主義」です。「働かざる者食うべからず」というスローガンは有名ですが、主婦だろうが老人だろうが働ける人はみんな労働力市場に出てもらう、税金もガッツリ納めて頂く、その代わり「働いてくれるなら」各種の社会保障でしっかり面倒は見るよ、と。何だかかなり厳しそうな世の中ですが、しかし北欧などではこの路線でまずまず上手くやっているわけで、政策として真面目に検討する余地は十分にあるのでは、と私は思います。
但し、こうした路線を代表してくれるかも、と淡く期待していた民主党がドジョウ野郎の「純化路線」とやらでさっくり御破算と相成りましたので、当分は巻き返しも難しいでしょうね。
(※)なお、ここまでで説明した「商品価格・労働賃金の低落傾向」を「デフレ」と称する方々も散見されます。繰り返しになりますが、この低落傾向は資本主義社会なら不可避の事態であり、国全体の財政がどうとかいう話とは本質的には無関係です。「世の中全体としてはインフレだし商品価格・賃金も見かけ上は上がっているが、相対的には伸びてない」という事態も十分に起こり得るわけです(というか、マルクスが生きていた頃のヨーロッパはそんな感じでした)。ですので、この文章では「デフレ」という単語はなるべく使用を避けました。
率直に言えば、お腹の緩さは薬でマシになったらしいけどおつむの緩さがマシになったか今ひとつ信用ならない安倍ちゃんの「リフレ政策」とやらに私が全く期待していない理由も、ここにあります。そもそも、十数年にわたって量的緩和をやっても現状程度の成果しか得られていないのに、「逐次投入だからダメだった」と今更になって宣える神経が分かりません。景気が上向かなかったのは、「新たな産業セクターの確立に失敗した」ことや「賃金水準が上向かないので内需が活発になってこない」ことも理由としては大きいはずで、ここを放置したままでは、せいぜい一時的な景気テコ入れに終わるのではという危惧もあります。
(以下、12/19追記)
ちなみに「ハードな社会主義」がどんなものかというと、例えばソヴィエト連邦の場合、「働かざる者食うべからず」と同時に「失業者は存在しない」という大前提がありましたので、労働が可能な状態なら「働かない」という選択は許されず、検挙の対象となりました。それでも労働を忌避するなら、刑務所かラーゲリ(=強制労働キャンプ)か精神病院に送り込まれるわけです。なお現在では、ラーゲリでの強制労働があったからこそ、特に戦後復興期のソ連経済は維持できたのだという見解が主流です。
労働力を「大量生産する」という言語感覚は私には理解できかねますが、別に労働者の総数が増えなくても、例えば労働者それぞれの技量が平準化すれば〝商品〟としての価値は下落します。例えば、昔はWord・Excelを使えたり英語が喋れたりできれば給料に色を付けてもらえたものですが、今ではそうでもありませんね。それは「誰でも使えて当たり前」になったから、即ち技術が陳腐化したからです。
当然ながら、移民の導入etc.で労働者が大量供給されるようになれば、やはり賃金は下がります。
id:humidさん
過分なお褒めを頂き光栄ですっ!
実は仕事で小説を書いてたんですけど編集者とケンカして切られちゃいまして(・ω<)
いい人紹介して下さいよー(`・ω・´)ノ ヨロシクー
いやいや、私の妄想などではなく、社会政策としては既に実例があります。例えば「あくまで経済成長路線」の代表は米国ですし、それを踏まえてこそ「とにかく規制緩和」のシカゴ学派などが登場したわけでしょう?
だいたい、「ぼくのかんがえたしゃかいかいかく」というのは、「原始共産制に基づいた太陽光・無農薬コミューンを形成して云々」みたいなヤマギシ会も裸足で逃げ出すようなことを宣ってる方にこそ相応しいと愚考致しますが。
いくら初めての増田だからって、「命がけの跳躍」とか大事なキーワードを省いちゃったのはダメダメですね……
やっぱりセンパイからしたら、大月書店版なんかじゃ物足りないですよね? この際だから、センパイみたいな凄くできる人に、原書の講読を手取り足取りお願いできればなー、なんて……(チラッチラッ
id:raituさん
さはさりながら、生産管理技術そのものも、いずれ陳腐化は避けられません。おおもとのブログエントリにあった「効率化はもう限界」という叫びは、謙虚に受け止めねばならないでしょう。
21世紀になれば単純労働は全部ロボットにお任せ、人間様は時々ボタン押すだけでラクラクウマー、そんなふうに考えてた時期が俺にもありました……
それはさておき、実際には「新たな機械を開発・導入するよりも、労働者を使い倒す方がコスト面で勝るので機械化のインセンティブが働かない」職場というのも珍しくありません。
また、仮に単純労働をどんどん機械化していったとしても、その後に残るのは接客や介護など「機械化できない」仕事であり、それは人間が引き受けざるを得ません。「労働力も〝商品〟である」という前提は変わりませんから、いずれ労働賃金の低落化に直面することは避けられないのです。この点においては今の所、「移民労働力の活用」あるいは「高負担・高福祉社会の実現」以外に、有効な方策は描かれていないように思われます。
半年前の4月22日、日共の志位和夫委員長に直接質問できるという企画があったので参加した。録音しておいたものの文字起こしがやっと済んだので取り敢えずここにupしてみる。
まず状況を説明する。志位氏が演説した(http://www.youtube.com/watch?v=1MHJQph-JOQ)後に、場所を移して若い人達と語らうという企画だった。10代から20代の若者が100人余り入った会場で、手を挙げて当たった人と志位氏が一問一答するという具合に進んだ。その中盤に私が発言できた。以下が司会者(司)、私、そして志位(志)のやり取りの全文。「やっぱり、」とか「あのー、」「まぁ、」といった句は省いてある。
私:あ、いいですか?
志:こんにちは。
私:あ、こんにちは。1,2分ですよね。
司:大丈夫ですか?
私:あ、大丈夫ですよ。端的に、二つ…あー一つ、お願いします。
人間って、論破しても動かないと思うんですよ。いくら正論言っても、人間を動かすのって、論理と感情だと思うんです。で、感情の前には、論理ってすごく弱いと思うんです。いくら・・・平和が大事だっていうのは私も心からそう思います。そのためにはどっかが先陣きって軍縮を進めていかなければならない、そしてそれができるのは9条持ってる日本だ。その論理はとても筋が通ってるんです。
でも、対して、「・・・でも、こないだ実験やった北朝鮮、なんか飛ばした北朝鮮(※)怖いし、自衛隊まだ要るんじゃないかなぁ。」という感情による一言で、論理ってふっ飛んじゃうんです。例えば、もっと言うと、「もし、共産主義が、共産主義社会になったとしたら、俺やる気保てそうにないし、やっぱり資本主義社会でいいや。競争原理社会でいいや。」という意見の前に、私あんまり頭良くなくて、的確な反論がまだ出せてないんです。どうお考えですか?(私微笑む、会場からも笑い)
志:北朝鮮の問題ね。それは、さっきもちょっと話したけれども、北朝鮮の問題をどうやって解決したらいいか。解決の方法を考えた場合にですね、それは戦争できるか、っていう問題なんです。戦争できると思いますか?(聞き取れず:ダイカイシニマッテ)
実は北朝鮮の問題、実際に戦争になりかけたことがあったんです。最近で言いますと1994年なんです。そのときは核兵器問題で大変な危機だった。それで、実際に、アメリカ軍事力行使の瀬戸際まで行ったんです。そのときに、当時の韓国の大統領の金泳三さん、クリントン大統領に直接電話して、そして「絶対に戦争はしない。もしアメリカが戦争をしたとしても、韓国軍は一兵たりとも動かさない。」こう言ったんです。何故かというとね、今、朝鮮半島で実際に戦争が起きたら、これはもう、ソウルから35キロ先が国境線ですから、これはもう凄惨な地上戦になるんです、間違いなく。南北のおびただしい人命が奪われる。だからですね、1994年の核兵器の危機のときに、いわば、韓国の当時の大統領も地獄の底を見たんです。戦争やっちゃったら大変だと。で、これはやめようと。アメリカも、そのときにクリントンは色々考えたけど、やっぱこれは戦争という選択肢は無い、と。ということで、そういう方向に動いていったんです。そういう流れの中で六カ国協議という流れがずーっと出来上がってきて、ともかく北の問題は様々ある。例えば、ロケットの発射は問題です、それから核兵器の実験も問題です、私も厳しく批判する。しかしその批判のし方は、外交的な、非軍事のやり方で、北朝鮮にとって、あなた方の本当にいい道は他の道はないでしょうということを、説得してやっていく以外に無いんです。(聞き取れず:ワカイカンガエテ)そういう方法で問題解決していくのは唯一の道だし、それしか方法は無いんですよ。
ですからね、そういう心配がある方にね、じゃあ戦争できますか、って訊いて下さい。戦争できると思ってる人は――北朝鮮もできると思っていない。韓国も絶対できない。戦争は嫌だと。アメリカもやれると思ってません。中国も絶対押さえようとしている。日本だって、朝鮮半島で戦争起こったら困るでしょ。どの国だって戦争をやらないわけで、実際戦争できませんよ、朝鮮半島で。だからね、その現実をポンとぶつけて。だから北朝鮮で問題があるっつたらね、すぐ軍事で身構えて、ロケット弾だーつって、ああいう軍事で身構えることが一番悪いんです。ああいうことが起こっても、冷静に、外交的手段でどう事態を前に進めるのかっていうことを考えるのが政治の役割だっていうのを、是非言って欲しいなと思うんです。私たちの平和外交っていうのは、何か理想論言ってるんじゃなくて、現実に戦争できないですもん、朝鮮半島で。戦争できないんだったら平和でやるしかないんです。というやり方で、是非お友達に話してほしいな、と思います。
それと、共産主義ね。んー、これはちょっとね、話すと長くなるんですけれども。(会場から笑い)
私:そうです、そこなんです。詳しくはこれに書いてあるから読んでくれ、って「共産党宣言」を渡したって読まないですよね、そういう人は。(会場から笑い、そうだそうだの声)
志:そうですね、これ色んな反論の仕方あると思うんですけれども、これはやっぱり一分や二分で共産主義について分かってもらえるかっつったら、そう簡単にはいかない。ただ、逆に訊いてですね、それじゃあ君は資本主義という制度が未来永劫続くと思うかと、訊いてみて下さい。人間の社会って言うのは、かつて昔むかしは、どの社会も原始共同体っていって、原始的な共産主義社会ですね、それが奴隷制に変わっていく、封建制に変わっていく。資本主義が生まれたのはせいぜい500年位前。この資本主義になって、この資本主義っていうのは、やっぱり儲け第一主義でしょ。儲け第一の、必ず貧困や格差や失業や、様々な矛盾が避けられない、そういう社会なんですね。こっから先もう進まないんだろうか。そう思えてくる。人類にはこの悩み多い制度は最後の制度だって、そういって反論してみてください。そうすると変えられるかもしれない。
それからもう一つ、是非言ってほしいのは、ソ連のような社会は、われわれは、共産主義でもない、社会主義でもない。これはソ連が色んな、チェコスロバキアに侵略したりアフガニスタンに侵略したり、その度ごとに私たちは大論争やって、その覇権主義と闘ってきた。ソ連が崩壊したときに、まぁあなたは、まだ、歳から言ったら、
私:いや、もう30近いっすよ。(会場笑い)
志:まぁそのソ連が崩壊したときにですね、我々はもろ手を挙げて歓迎するっての声明を出しましたけれどもね、そのくらいソ連のやり方ってのは社会主義と縁がないやり方だった。あれはレーニンのときまでは色んな道を歩みながら社会主義の道を突き進んでいましたけれども、スターリン以来はそういう道から脱線してね、社会主義から無縁の専制主義の国家に変わってしまったって、私たちは把握してるんです。これは、そういうことと戦ってきた党なんです。ということを話していただきたいと思います。
それでですね、いくつか反問を投げかけてみて欲しいな、と思います。もう一つ反問という点では、私たちの理論の基礎はカール・マルクスでしょ。カールマルクスがやはりこういった科学的社会主義ってのを具合においてるんです。マルクスって思想家がですね、もう古くなったって思うか、って訊いてみて下さい。そうすると、うーんって考えると思いますよ。今、マルクス主義の講座あったら言ってきてるかもしれないけど、イギリスのBBCが今世紀、20世紀の最大の思想家は誰かっていうことを調査するとダントツで1位、カール・マルクスって名前が挙がるんです。やっぱりね、マルクスがやった資本主義の深い分析と、その分析の中から新しい未来社会が生まれるという理論に対して、今でもその力を否定することはできないですよ。
ですからそういうお友達に対してですね、一つの方法がですね、例えば北朝鮮の問題が出てきた、そのときに「戦争できると思うか?」共産主義の問題が出てきた、「資本主義が終わりだと思うか?」それから、ソ連は社会主義だった?「違うんだよ。」一言でポンと返してですね、それで、そうしますと向こうは考えますでしょ。考えたらその後、大いに勉強したことを話してもらいたい。結論から言っても、中々色んな感情を皆持ってるんだから、言葉だけでは分からない、色んな感情もたくさんあると思うんです。あなたの言うとおりだと思います。理屈で大体わかっても気持ちが動かないとダメだ、本当そのとおりだと思います。それをやるには一定の、ダイアローグが、対話が必要です。すぐに、はい分かったと、皆が分かくらいだったら苦労しないですね。(会場笑い)ですから、その対話が必要だけれども、対話のやり方が、ポンと相手に疑問を投げかけるというやり方で、大いに対話して、結論を出していく、そういう風なやり方で!
※この日の9日前、2012年4月13日午前に北朝鮮が「人工衛星の打ち上げ」と称してロケットを発射した。発射のおよそ2分後に空中で爆発し、破片は黄海上に落ちた。北朝鮮が発射計画を発表したときから、国連安保理決議1874号等に違反していると各国から中止要請が出ていた中での強行だった。(参考記事 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E7%99%BA%E5%B0%84%E5%AE%9F%E9%A8%93_%282012%E5%B9%B4%29)
志位氏の発言後半部分の「(聞き取れず:ダイアロードガ)」とした部分を「ダイアローグが」に訂正。はてブでご指摘いただきましたwacokさん、ありがとうございました。まだまだ私は学習が足りないようだ。
それは、資本の集中が起きないほどの再分配を行う国家を資本主義国家と呼んでいいかどうかという問題じゃね?
集中を遅らせるだけなら「回避」ではなく「先送り」だろ。
永続性のある先送りならどうだろう。
前にこのように書いたとおり、
そもそも資本主義は指摘の通りの特徴を持つからこそ、
運用にあたっては様々な再分配のための仕組みが導入されるのではないか。
税による再分配は当然のこと、あとは独禁法とか。他は思いつかんが、とにかくたくさんあるだろ。
原理的に集中が起きるとしても、システムを破たんさせてしまうような集中には至らないよう、
先送りするための仕組みを導入するのが「○○主義」の運用においては必須だろう。
攻撃的サッカーといってもディフェンスはちゃんとするように。
そういった運用面を無視して主義の特徴だけで議論すると、
あれ、もしかすると共産主義は主義の特徴だけで議論すると将来性があるのかな。
個人的には共産主義は嫌いではないのだが、どうも運用面の現実性が無い気がするんだよ。
そこの泥臭い所を無視してロジックを固めても、どうも信ぴょう性に欠けるというかなんというか。
いや、武力によるちゃぶ台返しが起こらない限り、資本主義を掲げる国家が勝つかもしれないが、そこに含まれる大多数の人間は社会主義国家の人間より幸福にはなれないだろうということ。
そう、資本主義国家は基本的に競争したら強いよね。そして世界は有限なリソースの奪い合いをしているわけだよね。
国家内で競争を取り除いたところで、国家間では競争を強いられるという状況において、社会主義はどう戦うのか。
国家間で負けても国家内では幸福度が保たれる、というのであればいいのだけど、そんなことは可能なのか。
資本主義国家に生きる身としてはなかなかそれを現実的な話として聞けないんだよなぁ。
社会主義ってのは、外部の国が別の主義を採用して世界的には競争が強いられる状況においても、
ちゃんと成立するように設計されているものなんでしょうか。
資本主義の問題は、つまるところ勝者が次の勝負で圧倒的に有利なポジションを得ることになってしまうせいで、ゲームが煮詰まることなんだよな。
そう、結局はゲームデザインなわけですよ。
んで時間経過とともにゲームデザインは更新されなくちゃいけないんですよ。人も状況も変わるから。
F1のレギュレーションもそうだし、サッカーのオフサイドとかバックパス禁止とかもそうだし。
そのとき重要なのはF1らしさ、サッカーらしさを失わずに、ゲームを成立させるデザインですよね。
話を戻すと、理念として持つのは「資本主義らしさ」なのか「社会主義らしさ」なのか、と。
それで、その理念が持つ「らしさ」を失わずにゲームを成立させるデザインが必要になってくる。
それをここでは「運用」と言ったわけだけど。
俺としては「資本の(ゲームを破たんさせるほどの)集中が起きないような再分配を行う」のは、
資本主義らしさを失う運用ではないと考えているんですね。で、あなたは違うと。
そもそもご指摘のように「資本主義」という言葉が持つ意味がお互いにずれているわけですよね。
まぁあんまり詳しくないンど得、俺の方がなんか勘違いしているのかもしれない。
つまるところ資本主義とか社会主義とか借り物の言葉で議論するから悪いわけで、
自分が理想とする理念は何か、そのために必要な運用は何か、を語るべきなんですよね。
Wikipediaで「資本主義」を調べて驚いた。こんなに違うんかいな。専門家が見れば同じに見えるのかな。
「資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」をそのまま回せば、
「生産手段が少数の資本家に集中し、一方で自分の労働力を売るしか生活手段がない多数の労働者が存在する生産様式」
になるのかもしれず、それだと将来的に破たんするというのはわかる。気がする。
それに対して、「生産手段が少数の資本家に集中し~生産様式」となることが問題であるならば、
「資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」を維持するための運用として、そうならないルールを設ける、というのが俺の解釈だったりする。
「それは資本主義じゃないよ」と言われるかもしれないが、
資本主義を「資本が利潤や剰余価値を生む社会システム」くらいの定義としているので、
これも資本主義だと思ってしまっていたりする。
しかしこういう風に話を整理すると、日本が一番成功した社会主義国家という説明は正しいのかも。
かつての日本は資本主義的な運用はしたけど、社会主義的な理念を持っていたような気がする。
# まぁ詳しいことは良く知らないんだけどねー。
うまく話が通じてないと思った(「女性器切除」)
「女性器切除」
http://anond.hatelabo.jp/20090923003429
に端を発する
「ちょっと待って、「女性器切除」の話題!」
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090923/1253674546
ブックマークのコメントを流し読みしてみたが、やや話が通じてないような気がして非常にもやもやした。
この問題に明るくない人間には読みにくいよ。
という指摘があったが確かにそうなのかもしれん。(font-daさんのエントリが悪いわけでは全くない。)
ブックマークコメントをながめていて、私は古典であるサイードの「オリエンタリズム」を読めばいいのに、とまず感じた。岡真理の著作は読んだ事はないが、引用されている部分は「オリエンタリズム」で議論されていた事にルーツがあり、あれを読めばまず基礎の認識ができると思ったから。「イスラーム」と出てきて面食らってる人もいるようだし、想像以上に多くの人にその辺の前提が共有されてないと思った。(「前提が共有されてない」などという生易しい状況ではない恐ろしい人も若干いるようだが……)
だがこのエントリですら長くて読めないと言ってる人たちには無理な話だし、どうしたものか。
私に才能があれば「やるおで学ぶ『オリエンタリズム』」を作ればいいのだろうが……
先進国(旧帝国主義国)でありなおかつ非白人(が多い)の日本人はこのような問題を考えるのに面白い立場にいると思うのだが……
読んでいるかどうかわからないけど、一応書くだけ書いてみるぞ。
綺麗事を実践においても綺麗事に終わらせまいとするおまえさんの理想主義は、実のところ嫌いじゃない。むしろ好きだ。
「はしごたんと友達になりたい」のエントリは、すげえ“熱い”メッセージだと思う。正直言って、ちょっと感動した。
でもな。
複雑怪奇な世の中の事象連関の中では、熱い理想がしばしば予想もしなかった影響を世界に及ぼして、当初の予期を裏切るような結果をもたらしてしまうという事だって、やっぱりあるんだ。
これは、別に理想が悪いっていう話じゃない。どんな理想だって、それが人間の頭の中で概念的に考えだされたものである以上、その理想と現実との間で齟齬が生まれうる可能性を完全に排除することは、決して出来ないんだ。
その昔、カール・マルクスという奴が、やっぱりかなり熱い理想を掲げていた。挫折したと言われている今だって、その理想の可能性を救い上げ、形を変えて新たに生かしてみようと考える人間が少なからずいるくらいだ。
でもその再評価は、
「この理想は、完璧に正しく現実に適用されれば、決して現実との間に思わぬ齟齬を起こして予想外の結果を招くようなことは、あるはずがない」
などということを含意して行なわれているわけじゃない。
いいかMasaoさんよ、よく聞けよ。
ここで身を引くことは、もしかしたら抱いてきた理想の挫折だと思っているかもしれない。
でもな、理想っていうのは決して全てに対して万能の解決を生み出すわけじゃない。どんな理想だって、この運命を避けることは出来ないんだ。
もしここで、むりやり理想を通そうとして、現実に君の隣にいる人を傷つけたりしたとしたら、それは果たして生きている人を救う英雄的行為だと言えるんだろうか。俺の目にはむしろ、抽象概念(理想)によって生きている人間の生(君の隣の人)を傷つけるようにしか見えないぞ。
世界は広い。広いからこそ、理想を生かす道も見出せるし、逆に理想が思わぬところで躓くこともある。世界は、躓きの石を事前に全て見通すことが出来ないくらいに広い。同時に世界は、理想がいずれ意外なところで活用できることを期待できるほどにも広い。
まあ、無茶だけはするなよ。