はてなキーワード: 大月書店とは
室崎先生のインタビューが非常に興味深い内容(オブラート)で、主に悪い方向で話題になっている。批判の内容はそれぞれご尤もだ。(https://togetter.com/li/2295445、https://togetter.com/li/2295441、https://togetter.com/li/2295630)
だが、これはそもそも室崎先生をインタビューの対象とし、しかも「防災研究の第一人者」と紹介した朝日新聞にもかなりの責があると思われる。
確かに室崎先生は防災の分野で重きをなしてきたことは疑いない。だが、震災発生時の救助や当座の救援は御専門ではない。次に示すのは室崎先生が自身のWEBで公開する業績一覧だ。
「地域防火研究に関する基礎的研究」(博士論文)京都大学,1979年
「苦闘の被災生活」(共著)神戸新聞総合出版センター,1997年
http://www.murosaki.jp/publications.html
(著書のみ。論文も多数あるので御覧頂きたい。)
見ての通り火災(地震による火災も含む)の専門家で、加えるならば復旧復興計画の専門家であって、救助や救援、またボランティアの活用についてを御専門とされてきたわけではない。
また、近年の様々な大地震(特に東日本大震災や熊本地震)の研究により、ボランティアもただ集まれば良いというものではないことが共有されつつあるが、その時点では先生は既に第一線におられなかったことは否めない。
ましてや土木(道路の啓開)やロジスティクスの専門家ではまったくない。
この方を大雑把に「防災研究の第一人者」として、しかも御本人は「これから指摘することは、私の責任でもあります。」と述べているにもかかわらず見出しでは「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」とするのは、世論をミスリードしたい気持ちが見え見えで憤りを覚える。
あえて批判するとすれば、石川県が長年(15年)にわたって、防災アドバイザーに室崎先生を委嘱していたことだろうか。
3 アドバイザーの設置について
能登半島地震や浅野川流域の豪雨災害を踏まえ、大規模災害発生時に被害を最小限に抑えるための迅速かつ的確な対応を実施するとともに、平素から危機 管理体制の充実強化を図るため、専門的立場から適宜、助言等を得ることを目的として、平成21年度に設置した。
4 職務内容
(1)大規模災害発生時
② 復興に向けての助言 等
(2)平素
② 大規模地震発生に備えた減災への助言 等
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kisya/r5/documents/0410kiki.pdf
石川県の土地勘がないだけではなく、想定される大規模災害の「能登半島地震や浅野川流域の豪雨災害」は御専門ではない事に加え、職務内容の「緊急初動対応、応急対応」も御専門ではない。
もちろん、専門ではなくとも最新の研究をキャッチアップして適切にアドバイスいただける研究者もいるだろう。だが室崎先生は79歳と御高齢で、第一線を引かれて相当に年月が経っている。
一例として、室崎先生の東日本大震災後のインタビュー記事を挙げる。
ボランティアは押しかけていい。迷惑をかけてもいい。迷惑かけた分の何倍もいいことをしてくればいい。来てくれただけで、本当に喜ばれるのだから。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/04/post-2035_1.php
ボランティアによる大渋滞は阪神・淡路大震災でも発生したが、それが大きな問題でありコントロールの必要があるとされたのは東日本大震災大震災以後。被災地に向かう車両に許可証を貼っていたのを覚えておられる方もいるだろうと思う。
そのように議論が進んでいる中、室崎先生のこの考えを支持する研究者や行政担当者はほとんどいないと断言できる。
ネームバリューから委嘱し、担当部局が前例踏襲で漫然と委嘱を続けていたのではないだろうか。(委嘱し始めた当時の判断は誤りではなかったと思う。中央防災会議専門委員の御経験もあり、国がどう動くかにお詳しく、それに応じて県がどう動くかを検討するのに適任だったかと。土地勘のなさは別の人でも埋められる。)
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASS1G2P91S1CUTFL01Y.html?ptoken=01HM58FWP8JH0TWWY7EX2VG9AT
この方は存じ上げないが、御専門は教育学とのこと。(https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/people/people002230.html)
防災・減災対策にお詳しいとは見えないが、今回の自治体や政府の対応の何を見て「人災を意図して生み出した」と判断したのか御説明いただきたいところだ。
本文中はドローンの飛行を禁止したことについて書かれているが、救助活動している、また様子を実見にきているヘリがいる中でドローンを飛ばすなんて二次災害を引き起こしたいとしか思えないが。
今回の行政の対応が万全だったと言う意味ではなく、その事後検証が必要なのはもちろんだ。だが今ではないだろう。
例えば奥能登へは入らないように、としたが、石川県全体に入らないように受け止められたのではなかったか、もっと良い周知の仕方はなかったが、など。
ブコメには反応するつもりはなかったけど一点だけ。
氏の「業績一覧」には著書や論文の概要があってボランティア関連の著作や研究もあるんですが、意図的にスルーしておられるんです?
「阪神・淡路大震災後の被災生活の実態と問題点を明らかにするとともに、被災者の支援に立ち向かったボランティア活動の実態と教訓」
「阪神・淡路大震災後の復興住宅においては、ボランティアや生活援助員さらには民生員などによる被災者や高齢者の新体制」
「地震時におけるボランティアなどの支援組織の果たす役割を世界の主要な地震のケーススタティ」
災害発生直後の救助救援ではなく、ボランティアが入れるようになってからの、しかもメインは更にもっと後になってからの研究であることがわかると思う。
@katepanda2
このまとめデマばかりなので拡散しないようにして下さい。拡散するアカウントは何を書いているかチェックします。https://togetter.com/li/2126541
事実はこのツイに書いた通りです。
https://twitter.com/katepanda2/status/1647713973582831616
DV被害者支援交付金がColabo弁護団への弁護士費用にあてられたなんてあるはずがないのに、そうであるかのような思わせぶりなことを弁護士が書いた責任は重いです。
事実がどうであるか、公開情報からすぐ確認できることなのに確認もせず、攻撃の犬笛としての効果を生じさせたと思います
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Colaboが補助金(DV被害者等セーフティネット強化支援事業交付金)から支出していた「弁護士費用」がColaboから暇空氏に対する訴訟のための弁護士費用に使われたかのようなツイートが散見されますが全くの事実誤認です。子ども代理人活動をする弁護士に払われた費用です。ColaboのHp掲載の報告書(… さらに表示
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https://twitter.com/katepanda2/status/1647756348711669762?s=20
え、そうなの?
コラボは暇空訴訟のために税金を弁護士につぎ込んでるでしょう。差別人権セクハラ訴訟ビジネス専門の税金泥棒の人たちに。
https://togetter.com/li/2126541
これはコラボの事業を阻害しているから弁護士費用を困難女性よりたっぷり注ぎ込みましたって言い訳がたつじゃないですか。デマで否定することはないでしょう。
◆延近充
◇レーニン『帝国主義論』(大月書店,文庫版):帝国主義段階の資本主義論の古典
◇北原勇『独占資本主義の理論』(有斐閣):独占資本主義段階の理論
◇同上『現代資本主義における所有と決定』(岩波書店):現代における資本家とは?
◇北原・伊藤・山田『現代資本主義をどう視るか』(青木書店):立場の異なる3人のディベート
◇井村喜代子『現代日本経済論』(有斐閣):本文で述べたような戦後日本経済の構造と性格
◇平子友長『社会主義と現代世界』(青木書店):現代社会主義の問題点
◇重田澄男『社会主義システムの挫折』(大月書店):ソ連・東欧の崩壊の意味
◇延近 充『薄氷の帝国 アメリカ― 戦後資本主義世界体制とその危機の構造』(御茶の水書房,2012年):アメリカ主導の戦後資本主義体制の特徴とその変質,世界経済の不安定性との関係
◇延近 充『対テロ戦争の政治経済学』(明石書店,2018年):2001年9.11同時多発テロをきっかけとして始まった対テロ戦争は現在も続いている。この戦争はなぜ終わらないのか?そして日本はどのように対応すべきなのか?国際政治・軍事・経済を総合した政治経済学の視角から分析する。
◆斎藤幸平
◇ポール・メイソン『ポストキャピタリズム―資本主義以後の世界』
◇ナオミ・クライン『これがすべてを変える――資本主義VS.気候変動』
◇アントニオ・ネグリ=マイケル・ハート『“帝国”―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』
◆佐々木隆治
◇大谷禎之介
◇渋谷正
◆隅田聡一郎
同上『資本主義はどう終わるのか』
個々の資本家が善人だろうが悪人だろうが、彼らは、競争によって他の競争者たちと同じ労働慣行に従事することを強制される。諸君の競争者が労働者の寿命を縮めるようなことをするならば、諸君もそうせざるをえない。
資本家にとって自明なことは、労働者は彼の1生活日の全体をつうじて労働力以外のなにものでもないということ、したがってまた、彼の処分しうる時間はすべて自然的にも法的にも労働時間であり、したがって資本の自己増殖のためのものだということである。
人間的教養のための、精神的発達のための、社会的諸機能の遂行のための、社交のための、肉体的および精神的生命力の自由な営みのための時間などは、日曜の安息時間でさえも──そしてたとえ安息日厳守の国においてであろうと──ただふざけたことでしかない!
ところが、資本は、剰余労働を求めるその無際限な盲目的な衝動、その人狼的渇望をもって、労働日の精神的な最大限度だけではなく、純粋に肉体的な最大限度をも踏み越える。資本は、身体の成長のためや発達のためや健康維持のための時間を横取りする。資本は、外気や日光を吸うために必要な時間を取り上げる。資本は、食事時間をけずり、できればそれを生産過程そのものに合併する。
大学を出てサラリーマンとして長年働いてきたが、過労とうつで半年間休職することになった。
まとまった時間ができたため、前から気になっていた『資本論』(大月書店の赤い奴で、8巻は読めなかった)と『聖書』(新共同訳で旧約のみ)を、ともに入門書・略解を引き引き必死に読んだ。
そこで驚いたのが、これまで好んで読んできた、自己啓発本やビジネス本の類が、ほとんどこの2冊の縮小再生産であることだった。
特に顕著なのがビジネス本で、ベストセラーになった本の数々が、資本論で書かれていることをひっくり返す(つまり資本論で批判されている資本家の振る舞いをする)ことを勧めているだけだった。
知人に資本論を読んでいると言うと白眼視されることが多かったのだが、そいつが件のビジネス本を好んで読んでいたりするのを見ると、何だかなぁと思うことしきり。
くだらない本に金と時間を費やすのではなく本当に価値のある本を読もうとか、何事も中身を見ないで批判するのはやめようとか、色々学んだ日々だった。
追記
お子さんの疑問は真っ当で、問題は以下の2つに切り分けられると思う。
②従業員はなぜ何十年も働いても働かなくてもいいほど豊かになれないのか。
このテーマは150年も前にマルクスが悩んだテーマで、これを考える上で(その考えに賛同するかどうかはともかくとして)『資本論』に触れないわけにはいかない。マルクスとかいうとソ連とか共産党のイメージで、めちゃくちゃアレルギーある人が多いと思うけど、マルクスもそんなに間違いばっかり言っていたわけではないので、まぁ話だけでも聞いてくれ。
ということで、以下お節介ながら、この問題についてマルクスがどう言っているのか書いていく。
まず①の問題だけれども、その答えは「会社が金儲けを目的とする限り、その事業に終わりはない」ということになる。なぜなら、
からだ。つまり会社はいくら金を稼いでもそれをやめることはないし、その手段である事業もやめることはないということだ。
ではなぜ貨幣蓄蔵の欲望が無際限かの理由は2つあって、(ⅰ)ひとつは他の商品(車、電化製品、衣服、食料品などなど)に比べたときに現れる貨幣の特殊性にある。
想像してみてほしいのだけれど、これらの商品はいくら溜め込んだところで自分が使うにも持て余す(ベンツが百台あっても置き場所や維持費で大変)し、他の商品と交換するのにも限界がある(ベンツ百台を売りさばくにはそのためのお店や人員やらを用意しなくちゃいけなくて大変)。
しかし、貨幣についてはいくらあっても困らない(銀行に預ければ利子まで付いてくる!)し、他の商品といくらでも交換できてしまうのだ。
そして、(ⅱ)理由のもうひとつは、貨幣自体に社会的権力が固着していることにある。これはいちいち具体例を示さなくても分かると思う。
以上2つの理由から、会社は金儲けをやめないし、そのための手段である事業も可能な限り永久に続くことになる。
この問題についてはマルクスが資本論第1巻を全部費やしているテーマなので、とてもそれをまとめる能力も、専門家じゃない人にそれをわかりやすく伝える能力も俺にはないのだが、ポイントは2つある。
ひとつは、資本家(ここでは会社)は従業員を豊かにするために事業を行っているのではないということだ(それなら何のため?と思った人は上のマルクスの言葉を見よう!)。
そのため会社は利潤を上げるため、従業員に支払う給与をどんどん下げるインセンティブが働く。究極的には、従業員が一日中働いて、次の日また元気に出社するのに必要な額(つまり食費や睡眠をとるための費用)さえ支払えばいいという発想が生まれる。
「労働者を24時間生かしておくために半労働日が必要だということは、けっして彼がまる1日労働することを妨げはしない。それゆえ、労働力の価値と、労働過程において労働力が増殖させる価値とは、2つのまったく違った量なのである。この違いこそ、資本家が労働力を買った時にすでに彼の念頭にあったものである」(『マルクス・エンゲルス全集』〔大月書店刊〕254頁)
つまり、給料が低く抑えられがちな以上、従業員はいくら働いたところで豊かになんかなりっこないわけだね。
もちろんこれには例外があって、最近話題になったカルビー会長の言葉(「従業員はただの道具ではない」「給料を増やし社員の待遇を良くするのは一番大事」)が思い浮かんだ人もいるかもしれない。マルクスはこういう良い資本家すらばっさり切り捨てるのだけど、問題が複雑になりすぎるのでここでは触れない。気になる人は『マルクス・エンゲルス全集』〔大月書店刊〕の353頁を読んでくれ。さらに興味のある人は、「モンドラゴン協同組合企業」でぐぐるとちょっと面白いかもしれない。
従業員がいくら働いても豊かになれない理由の2つ目は、従業員は通常、資本を持たない点にある。
つまり普通のその辺の人は金を稼ぐのに自分の労働力を売るしかなくて、そこから得られる給料も上に書いたように低くなりがち。そしてそこから生活費や子供の養育費を差っ引くと、もうほとんど手許に金は残らない。運よく給料が人より高かったり、奥さんが家計のやりくりのできる人で貯金が出来たとしても、それを増やす手段は資本家に比べれば全然ない。
中には株式投資をすればいいんじゃない?とか会社を興せばいいんじゃない?と思う人もいるかもしれないけれど、投資に成功する人が少ないことや、会社を興すにしても起業に多大なお金が必要(参入障壁)なことに思いを致せば、そう簡単じゃないことが分かると思う。
以上2つのポイント(もちろんマルクスは他にも色々言っているんだけど)から、従業員はいくら働いても豊かになれないし、働くことを止めることなんてできないんだね。
ちなみにトラバの中に、
というコメントがあったが、これもマルクス的には間違い。なぜなら、
だからだ。つまり、機械は資本家(ここでは会社)が利益を上げるためにしか使用されず、労働を軽減するために使用されるのではないということだ。歴史的事実としても、産業革命以来さんざん技術革新が進んできたのに、人が一切仕事をしなくて済むようにはならなかったでしょ?
以上長々と書いてきたけど、冒頭に書いたようにお子さんの疑問は至極真っ当で、これまで哲学者や経済学者が延々悩んできたテーマでもある。
上に書いてきた(というか俺が強引にまとめた)マルクスの主張については異論も色々あって、明らかに間違いだと分かっている点もあるのだけど、考えの取っ掛かりとしてはいいと思う(解決策も一応示されているしね)。
そこから最近話題になったピケティ『21世紀の資本』なんかを読むと考えがより深まると思う。
というわけで、こんな長い文章を読んでくれてありがとう!そういうもんだと割り切らず、がんばって考えて、お子さんによりよい将来を作ってやってくれ!
(2012.12/19 17時頃、ブクマコメントへの返信などを末尾に追記致しました)
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2012/12/19/112633
↑こちらのエントリを拝見しまして、なるほど現場の危機感はリアルに伝わってくるなと感じる半面、「そこはカール・マルクス先生が150年前に通過した場所ですよ」と思わずにいられなかったので、ここで簡単に解説してみようと思います。
まず、「どうして商品の値段が下がるのか?」ですが、これは資本主義社会において工業化が進めば不可避の現象である、とマルクス先生は言います。
理屈としては単純で、かつては作るのが難しかった製品でも、大量生産が可能になればそれだけで安価で提供されるようになりますし、やがて生産技術が陳腐化して他社も似たような製品を作り始めれば、さらに価格は下がっていくわけです。これは恐らく、多くの方が直感的に理解できると思いますし、今の日本ですと家電業界が、正にこの値下げ競争に世界レベルで直面し、息も絶え絶えになっているわけです。
マルクス先生が偉かったのは、ここまでで話を終えず、「じゃあ工場で働く労働者はどうなるのよ?」という問いを立てたところです。
先生は、普通の労働者を、「自らの労働力を〝商品〟として市場に提供しているのだ」と考えます。これは工場労働者に限らずホワイトカラーでも同じですが、
「自らの体力・時間を勤め先に〝切り売り〟して、対価として賃金を得ている」
と考えれば理解しやすいでしょう。
で、「資本主義社会においては、商品の価格は下がっていくのが当然だ」ということは既に触れた通りですが、これは「労働力」という〝商品〟についても同じ現象が起こります。要するに、放っておくと(←ここが重要)、労働者の賃金や労働条件も下がっていきます。分かりやすく言えば、「本当は嫌なんだけど、低い時給でも我慢して働かなくちゃ」という状態です。実際に日本でも、「サービス残業」「ワーキングプア」という形で、賃金の低落傾向の長期化は頭の痛い問題であり続けています(※以下に注釈)。
さて、これで話が済めばいいのですが、ここで問題になるのは、「労働者もまた人間である」ということです。
人間が人間らしく生きるためには、家に帰って飯を食って寝るだけでは不十分です。例えば旨い酒を呑むとかエロゲを楽しむとか嫁さん子供を連れて遊びに行くとか、それぞれのやり方で活力を取り戻すことが必要になります。しかし、賃金が際限なく下がっていくと、こういった「労働力の再生産」に充てられるお金も減らさざるを得ない。こうなると人心が荒んでいきますし、資本家との経済格差も広がる一方ですから、「放っておくと暴力革命の危険も出てきますよ」とマルクス先生は指摘しました。
まあ、ここから一気に飛躍して「どうせ暴力革命が不可避なら自分たちでやってやるぜ、共産主義ばんざい」等と言い出した人々がいたのも事実ですし、私としても「それはどうなのよ」と思います。が、だからといって何もしないと、「失う物の無い人」が暴発してえらい事態が起こることも、我々は既に経験しています。秋葉原の加藤さんとか電車の人身事故とか、頻発すると困ったことになりますね。
ではどうするか?ですが、有効な方策は、ある程度はっきりしています。
一つは、あくまで経済成長を追求することです。そのためには基幹産業へのテコ入れが必要になります。しかし、ここで日本特有の「急速な少子高齢化」という問題に直面します。産業を拡大させようにも、労働人口が減っていくのですから、どうにもなりません。しかも高齢化が進みますから、将来的には医療・介護部門に労働力を割かねばならなくなるのですが。これらの部門は当然ながら高成長は望めません。
もっとも、この解決策は簡単で、「積極的に移民を導入する」という手があります。OECDなんかからも、しきりに焚きつけられています。しかし、日本では移民導入政策がスムーズに進んでこなかったのは皆様もご存じの通り。特に安倍氏に代表される自民党の路線では、「日本を取り戻す」のだそうですから、政策としての食い合わせが悪い。そもそも戦時中に朝鮮・中国から連れてきた労働者に対し、戦後しかるべき対応を怠ったため今なお続く禍根を招いている、という件を蒸し返される可能性もあります。
他には、北欧型の社会民主主義という路線もありそうです。但し、「社会民主主義」というのは、語弊を恐れず言えば「ソフトな社会主義」です。「働かざる者食うべからず」というスローガンは有名ですが、主婦だろうが老人だろうが働ける人はみんな労働力市場に出てもらう、税金もガッツリ納めて頂く、その代わり「働いてくれるなら」各種の社会保障でしっかり面倒は見るよ、と。何だかかなり厳しそうな世の中ですが、しかし北欧などではこの路線でまずまず上手くやっているわけで、政策として真面目に検討する余地は十分にあるのでは、と私は思います。
但し、こうした路線を代表してくれるかも、と淡く期待していた民主党がドジョウ野郎の「純化路線」とやらでさっくり御破算と相成りましたので、当分は巻き返しも難しいでしょうね。
(※)なお、ここまでで説明した「商品価格・労働賃金の低落傾向」を「デフレ」と称する方々も散見されます。繰り返しになりますが、この低落傾向は資本主義社会なら不可避の事態であり、国全体の財政がどうとかいう話とは本質的には無関係です。「世の中全体としてはインフレだし商品価格・賃金も見かけ上は上がっているが、相対的には伸びてない」という事態も十分に起こり得るわけです(というか、マルクスが生きていた頃のヨーロッパはそんな感じでした)。ですので、この文章では「デフレ」という単語はなるべく使用を避けました。
率直に言えば、お腹の緩さは薬でマシになったらしいけどおつむの緩さがマシになったか今ひとつ信用ならない安倍ちゃんの「リフレ政策」とやらに私が全く期待していない理由も、ここにあります。そもそも、十数年にわたって量的緩和をやっても現状程度の成果しか得られていないのに、「逐次投入だからダメだった」と今更になって宣える神経が分かりません。景気が上向かなかったのは、「新たな産業セクターの確立に失敗した」ことや「賃金水準が上向かないので内需が活発になってこない」ことも理由としては大きいはずで、ここを放置したままでは、せいぜい一時的な景気テコ入れに終わるのではという危惧もあります。
(以下、12/19追記)
ちなみに「ハードな社会主義」がどんなものかというと、例えばソヴィエト連邦の場合、「働かざる者食うべからず」と同時に「失業者は存在しない」という大前提がありましたので、労働が可能な状態なら「働かない」という選択は許されず、検挙の対象となりました。それでも労働を忌避するなら、刑務所かラーゲリ(=強制労働キャンプ)か精神病院に送り込まれるわけです。なお現在では、ラーゲリでの強制労働があったからこそ、特に戦後復興期のソ連経済は維持できたのだという見解が主流です。
労働力を「大量生産する」という言語感覚は私には理解できかねますが、別に労働者の総数が増えなくても、例えば労働者それぞれの技量が平準化すれば〝商品〟としての価値は下落します。例えば、昔はWord・Excelを使えたり英語が喋れたりできれば給料に色を付けてもらえたものですが、今ではそうでもありませんね。それは「誰でも使えて当たり前」になったから、即ち技術が陳腐化したからです。
当然ながら、移民の導入etc.で労働者が大量供給されるようになれば、やはり賃金は下がります。
id:humidさん
過分なお褒めを頂き光栄ですっ!
実は仕事で小説を書いてたんですけど編集者とケンカして切られちゃいまして(・ω<)
いい人紹介して下さいよー(`・ω・´)ノ ヨロシクー
いやいや、私の妄想などではなく、社会政策としては既に実例があります。例えば「あくまで経済成長路線」の代表は米国ですし、それを踏まえてこそ「とにかく規制緩和」のシカゴ学派などが登場したわけでしょう?
だいたい、「ぼくのかんがえたしゃかいかいかく」というのは、「原始共産制に基づいた太陽光・無農薬コミューンを形成して云々」みたいなヤマギシ会も裸足で逃げ出すようなことを宣ってる方にこそ相応しいと愚考致しますが。
いくら初めての増田だからって、「命がけの跳躍」とか大事なキーワードを省いちゃったのはダメダメですね……
やっぱりセンパイからしたら、大月書店版なんかじゃ物足りないですよね? この際だから、センパイみたいな凄くできる人に、原書の講読を手取り足取りお願いできればなー、なんて……(チラッチラッ
id:raituさん
さはさりながら、生産管理技術そのものも、いずれ陳腐化は避けられません。おおもとのブログエントリにあった「効率化はもう限界」という叫びは、謙虚に受け止めねばならないでしょう。
21世紀になれば単純労働は全部ロボットにお任せ、人間様は時々ボタン押すだけでラクラクウマー、そんなふうに考えてた時期が俺にもありました……
それはさておき、実際には「新たな機械を開発・導入するよりも、労働者を使い倒す方がコスト面で勝るので機械化のインセンティブが働かない」職場というのも珍しくありません。
また、仮に単純労働をどんどん機械化していったとしても、その後に残るのは接客や介護など「機械化できない」仕事であり、それは人間が引き受けざるを得ません。「労働力も〝商品〟である」という前提は変わりませんから、いずれ労働賃金の低落化に直面することは避けられないのです。この点においては今の所、「移民労働力の活用」あるいは「高負担・高福祉社会の実現」以外に、有効な方策は描かれていないように思われます。
http://anond.hatelabo.jp/20091004223806
「増田で有村有村有村と叫ぶんだ そしたらはてな最強リア充有村(喪服ちゃんとカップル)が話を聞いてくれるよ! 」「はてなアイドルの有村さんに相談しようそうしよう」などというトラックバックを見かけたので。まあ、同じようなことを考える三十男のお節介と思っていただければ。
といっても「きついこと書くからね」(http://anond.hatelabo.jp/20091004184935)というトラックバック記事に付け加えることはあまりないのですが、とりあえず参考書籍を紹介しておきます。
上記記事で「あなたのお父さんがやっていることは「虐待」という名前が付いている」に始まり、家庭環境(この本では『機能不全家族』という専門用語で書かれています)について書かれている段落がありましたが、その内容を本1冊かけて詳述しています。ご自分がどういう境遇にあるかの把握に役立つことと思います。
最近読んだ本です。「10代のセルフケア」というシリーズ名のとおり、本来はあなたの年代に向けて書かれています。
長くなりますが、以下のような「共依存の人の行動や気持ちの特徴」チェックリストが冒頭にあるので引用します。
- 人からよく思われたり、好かれたいので、いつも一生懸命何かをしている(しようと思っている)。
- しばしば、自分は人より劣っていると感じる。
- なにかうまくいかないと、たいてい自分のせいだと思う。
- 失敗をしたら、人からきらわれるのではないかと心配だ。
- 自分は何ひとつまともにできないと思う。
- どうしたら人が幸せになるかわかるけど、自分が幸せになるために、なにが必要かはわからない。
- 自分がどう感じているか気づく前に、友達や家族から自分の思っていることを言い当てられることがある。
- 本当に思っていることを口に出すのは、たいていの場合危険だと思う。
- 異なる意見を言ったら、相手は自分を好きにならないと思う。
- いざこざを起こしたくないので、本当に思っていることを口に出さないようにしている。
- 人生を生き抜く最善の方法は、何があってもにこやかな笑みを絶やさないことだ。
- 誰かが怒ったり、議論をはじめたりするといごこちが悪い。
- 自分の願いを聞いてくれると、その人は何か見返りを求めているのだと思う。
- 何かをしてもらうより、してあげるほうが気分がいい。
- 誰かにほめられても、その言葉をうのみにはできない。
- 人から何かしてもらう必要はないと思っている。
- 誰かと親しくなることは、自分にはとても大変なことだ。
- デートをしたり、友だちと仲良くしていると、ふとだまされているような気分になる。
- 他の人を幸せにするために、自分がしたくもないことをしていると、しばしば思う。
- もう好きではない人とでも、以前のままの関係にとどまっている。
- 今までの人間関係は、ほとんど自分が傷ついて終わった。
- 他の人の問題を解決することは、自分の責任だと感じる。
- 友だちや家族は自分をあてにしていると思う。
- 風邪がうつるように、人の気持ちがうつってしまうことがある。
- もっともこわいことのひとつは、人から拒絶されることだ。
- ほとんどの友だちが、自分の助けを必要としていると思う。
- 一人でいるのは大きらいだ。
- 自分の人生が他人の気持ちや望み、要求に支配されているように思う。
- 自分のしてほしいことを人にしてもらうには、その人をうまく操るか買収するしかないと思う。
- 自分の人生をよくするには、友だちや家族をとりかえるしかないと思う。
- 気楽に楽しむことはとてもむずかしい。
- リラックスすることがなかなかできない。
- やるべきことをやるための時間が十分ない。
- 自分は誰よりも悩んでいると思う。
引っかかる点が多ければ、この本は読む価値があります。やはり、「自分で自分の未来を選ぶ」ことについて書かれています。
もうひとつ、終わりのほうに書かれた「共依存から回復した人の権利」も引用。つまり、以下の権利を自覚できないでいるのが共依存状態であり、それを回復するのはあなた自身なのです。
- あなたには、ありのままの自分でいて、自己肯定感を持つ権利があります。
- あなたには、自分自身の考えを持ち、自分自身の価値観を築く権利があります。
- あなたには、人や自分を傷つけるつもりでなければ、その価値観に基づいた選択をする権利があります。
- あなたには、自分の気持ちを持って、それを表現する権利があります。
- あなたには、自分の要求を認め、それが満たされるように人に求める権利があります(相手にも断る権利があることを知っておきましょう)。
- あなたには、人間として尊重される権利、話を聞いてもらえる権利、愛される権利があります。
- あなたには、精神的、感情的、身体的、霊的な境界を設定する権利があります。
- あなたには、失敗をする権利があります。
- あなたには、質問をして学ぶ権利があります。
- あなたには、変化し、成長する権利があります。