はてなキーワード: インストラクターとは
物心ついた時から足は遅いし自転車はなかなか補助輪が取れないしバスケの授業ではヘイパス!ヘイパス!って声を張り上げてるだけの置物になるしでとにかく運動が苦手で嫌いで、なので社会人になってからも運動からは距離を置いた生活を送っていたんだけど、こないだ縁あって川にカヤックをしに行った
そしたらあれだけどんなスポーツをやっても箸にも棒にもかからなかったのが嘘みたいに、何故かこれだけは上手く出来た
すんなり船に乗れたしどう足を突っ張っていれば転覆しないかも感覚で分かったしどうパドルを動かせば進みたい方向に進めるかも考えなくても分かった 自分でも本当に不思議だけど
何よりも嬉しかったのはインストラクターのお姉さんが「センスありますね!」と言ってくれたこと
その時は滅相もないと否定したんだけど、現金なものでこの日を境にあれだけ運動を嫌いと思っていた気持ちがかなり和らいだ
それで運動に対するハードルが下がったのか、それからパーソナルジムに行き始めた
誰と比べられることもなく自分のペースで体力づくりが出来てすごく楽しかった
他に何か運動してるんですか?ってトレーナーのお姉さんに聞かれたので「カヤックやってます」って言ったら「運動好きなんですね!」と言われてとてもびっくりした
そんなこと言われたの生まれて初めてで、というか人生のほぼ全てを運動なんて嫌いと思って生きてきたので
でもそう言われて、「あー私運動好きって思っていいんだなー」って、大袈裟に言うとなんか呪いみたいのから開放されたような気がした
というか私が嫌いだったのは運動ではなく体育の授業とか、明るくて運動出来る子の隣で自分のどんくささを突きつけられて心がぺしゃんんこになるあの惨めな気持ちとか、そういうことだったのかなーって思った
かつての自分もそうだし、同僚の中にもいるけども
コーチングが何かまだ知られてないのもあるからそれは仕方ないけど、
気になるのは、クライアントの文法などの指導に逐一丁寧に答えてる
「クライアントの質問に全て答えることで信頼関係を作ってます!」
って話してて、うーん?となった。
申し込まれた時点でクライアントはコーチを含めたサービスをある程度信用してるし
コーチとして稼働してるのなら、会社からコーチとしての信頼はもらってあるはず。
最低限のベースはあるものとして、お互いを開示していけばいいんじゃないの?
わざわざ余剰サービスを提供してまで、信頼関係作らなきゃだめ?
むしろ、コーチとしての自信がないから、余剰サービスで補ってない・・・?
↑辛口すぎて、さすがに人に言えなかったけど、これには根拠がある。
昔、家庭教師をした時、初めての通訳業務をした時、コーチになりたての時。
自信がなかった私は、とかく生徒やクライアントに“尽くした”。
生徒に好かれるため、クライアントに認められるため、例えば生徒にはイベントごとに
今思えば、いわゆる「都合のいい女」よね(苦笑)
結局、生徒の気まぐれで家庭教師はチェンジ、通訳業務も次につながることはなく。
なんだかすごく損したし、すり減った。
たとえ自信がなくても、自信があるフリをする。
その分、本業をきっちり仕上げる!
大体、コーチの話に戻ると、そうやって文法の質問とかしてくる人、
十中八九、聞いても「ふーん、わかりました」程度。
こちらはプロだけど、わかりやすく説明するためにいろいろ調べてるのに!
ひどい人になると、質問している自分に酔ってるだけの人もいるから
教えない方がその人のため。
そして、熱血≠成果を出すコーチではない。
冒頭のようなことをしていると、クライアントはコーチに依存してしまうし
まぁ、その前にコーチが潰れるだろうけど…。
どっかでみんな気付くだろう。
感謝されないよー、、、と。
距離を空けて客観的に分析しつつ、痛いこともプロとしてずばりという。
尽くすコーチは言えないんだよ、嫌われたくなくて。
嫌われても、いうべきことを言える人は、結果としてクライアントのためになるし
それに気づいてくれた時、本当の意味で信頼してもらえるコーチになる。
ま、気づかれずにコーチ変更言われるかもだけど。
それはそれで。
そこは割り切らなきゃね。
人に大切に扱われたこと、自分が誰かを大切にしたことを思い出してみよう、と言われ目を閉じて考えてみた
が、あの人の優しさは言わば営業だよなあ、とか、あの人の優しさはまあ弱者への哀れみだろうな、とか、親の優しさは‥生物としてのものと惰性みたいなもんだな、とか
ろくなことが思い浮かばなかった
じゃあ逆に自分がした他人への優しさは、と思い返すも、相手を思っての優しさというよりは自分の信念でやってることがほとんどのような感じだ
とある自分語りマンガで作者が、優しくしているのに相手から感謝されないことを悩んでいた
作者はなぜ感謝されないのか、ということについて、自分を評価しろという見返りのための優しさだからだ、そういうのが相手に伝わるのだろうと自己分析していた
私も結局自分の信念と自分の中での行動規範に基づいたものなので、たぶん相手はとくに感謝も感じないだろうなと思う
そう思うと人に優しくされ、返ってくる関係には、両者が同じ思考パターンを持っていないと成り立たないよな、…
きっとインストラクターの先生のしてほしかった瞑想は違うんだろうな、もっとこう、人に感謝していこう…とか、人の優しさに気づいていこう…とかいうイメージを持つべきだったんだろうな、と思い、しまったと思った
っていうのはいるなー、と思う。
こないだスキーのスクール、普通の平日に大人が自分から金を払って教わるやつ、を受講したら別の人(おそらく同年代)と2人で1人のインストラクターに教わることになったんだけど、その人がまあ見事に言われたことをやらないんだよな。
確かに両足揃えたターンをうまくやりたいですよねーって話をしてて受講してたスクールだけどさあ。ちゃんとそのためにはこれこれこういう基礎が大事です、という話の上で板をV字にしてこうターンしてこういう姿勢をとってここに体重をかけて、と丁寧に説明をされて、じゃあ手本を見せますからってやって見せてもらって、で、やる。
やらねーのな。
なんか両足揃えて滑ろうとすんの。基本がなってないのに無理にやろうとするから明らかに説明されたことをやれてないし、表情を見てても自分ができてないのはわかってそうなのに、やらない。両足を無理に揃えて格好よく滑ろうとする。いや、その前に体重のかけかたが大事だって説明されたじゃん。それをV字でやろうって言われたじゃん。なんでやらねーの?
しかしこれ、思えば普段の生活やら仕事やらでも似たようなことをやる人はいるなあ、と思ったのだった。基礎が大事だしこれができるようになれば次に繋がるからって言われてるのに、無理に一足飛びに次に行こうとして結局何もできない。あるいは説明を聞いてないのか耳を素通りしているのか、説明された通りにまったくやらない。自分が習う側にいて周囲を観察してると、これはなんというか、キツいね。プロの先生は常にこういう人を見てるんだろうなあ。大変だ。
人の振りを見て我が振り直せという話でもある。気をつけたい。
男性が処女を卒業する体験記は思いのほか需要が高いようだ。そこで自分もその体験を記し衆目にさらしてみたい。
かなり昔のことを思い出してしたためるので、脚色や記憶違いがあるかもしれないが悪しからず。
「反社会的なゲームばかりしていると反社会的な欲望を持つようになる」
男の娘ジャンルのエロ作品にあふれた現在において、女装に興味を持ってしまった人間が実際に女装に走るのは自明の理である。
普段は昼食を手作りのおにぎりと水筒の水で済ますようなケチな自分が、ウィッグや衣装や化粧品合わせて数万も使ってしまったのだから、女装したいという欲望は相当なものだったのだろう。
コスローというハンドルネームを名乗り自撮り画像をあげては反応が来るという環境に「女装エロ同人みたいなことって現実だったんだな」といい気になりながらもどこか物足りない気持ちになっていた。
「よし、処女を捨てよう」
その物足りなさを埋めるために、この結論が出るのはすぐだった。
ネットで出会った知らない人と一対一で会うことには恐怖心があった自分は、定期的にパーティーを開催しレポートも出している主催者のA子という女装さんにDMを送ることにした。
すると、「ちょうど新宿で近日に空いてる回があるけど参加する?」とお誘い。二つ返事で参加表明する。
うわの空でその日までを過ごし、当日。早番をパパっと済ませて自宅で荷物とって電車へ。車窓から湯河原の海を眺め、小田原で夕食をとる。
広い駅舎に大提灯、複数路線が止まるターミナルは都会に来た気分になるが、駅を出てすぐの北条早雲像や小田原城などの史跡が歴史を感じさせる、過去と未来が奇妙に混在する町という印象があった。
そこから小田急線へ、携帯ゲームで遊ぶもどこか心が浮つく。あ、見逃し三振した。
数十ある出口。
延々と続く地下道。
いつまでたっても外に出られない。
そんな環境にあって勝手知ったるようにすたすたと歩いていく人、人、人……。
やっとのことで外に出たらビルを覆わんほどの巨大な電飾パネル。
小田原程度で都会を感じていた自分にとって、新宿という町は未来だった。さしずめ、小田急線はタイムマシンといったところか。
それでも間隔的に置いてくれてある地図付き看板で現在位置を確認しながら目的の場所へ向かう。高層ビルも鳴りを潜め、民家が目立ち始める。
そして指定された住所と特徴の建物にたどり着いた。気づけば十時になろうかという時刻だ。
(ここが会場……)
一呼吸おいてチャイムを鳴らすと、男性が扉を開く。短く刈った頭とやや吊り上がった目、ランニングシャツから除く二の腕はたくましく、スポーツをやっていたことをうかがわせるアラサー男性だった。
「ああ、聞いてます。どうぞ」
そう言って招き入れてくれた中は、客間のようにソファーやテーブルが置かれており、酒やつまみが置かれていて二人の女性と二人の男性がAVを見ながら歓談していた。最も女性二人とも男性なのだろうが。
奥にも一室あり、引き戸は明け広げられているが、電気がついていないせいで遠くからでは様子がわからない。近づいてみると、深夜通販で見るようなアウトドア用のベッドの大きいサイズが置かれていた。
そして、その上では。
主催のA子さんが、抱かれていた。
彼女がSNSにあげる画像から、A子さんに抱いていた印象は、「昭和末期の美女」といったものだった。
ややウェーブがかかったセミロングの髪、長身でスリムな体格、切れ長の目に青基調の暗めのアイシャドウ、ビビッドレッドの口紅。網タイツで覆われた脚。
古本の山からふと見つけてしまったポルノ雑誌のモデルのような、目を離さなくてはならないと思いながらも見続けていたい、そんな魅力のある方だった。
いま身にまとっている黒のネグリジェもA子さんの魅力を引き立てる。
そんなA子さんが、エロ同人から飛び出てきたような太ったおじさんに正常位で疲れ、嬌声をあげていた。
邪魔をしては悪いと思いそそくさとその場を立ち去り、手前の部屋へ。戸惑いを紛らわすために用意してくれていた飲み物を口にする。
出迎えてくれた男性に尋ねられ、うなづく。
ほかにも設備の説明を受け、礼を告げてシャワーへ向かう。長距離を移動してきて汗もかいていたので、温かくなるまで時間がかかるシャワーは心地よかった。
身体の水気を拭き、どうせすぐ女装するからと思って下着だけ身に着けてメイクルームへ向かう。
下着を女装用のもの、百円均一で買った黒のスポーツブラと白いショーツ、黒のニーハイソックスに変え、ショートのウィッグをつける。
衣装は黒のチャイナドレス。肩から胸にかけてのボタンとサイドにファスナーとがあるので頭からすっぽり着れて、腰からストンと脱げるので重宝している。
この時点で、心は女性になる……といっても男性にとって都合のいい、性欲を喜んで受け入れてくれるような現実にはまずいない女性だが。
顔にファンデを塗り、頬にチークをさし、アイシャドウで目を作り、唇を口紅で完成。
やはり、見慣れた自分の顔が男性から女性のものへと変化していく様を眺めるのは楽しい。
これで客間に出ていき、もう一度全身が移る姿見で確認する……と、後ろから出迎えてくれたアラサー男性が近づいてきて、
「かわいくなったね」
と両肩に手を置いてきた。いきなり触れられたことに不快感はなく、むしろ女性としての価値を認められたことに喜びを感じていた。
「こういう会ってよく来るの?」
「いえ、初めてです」
「じゃあ処女なんだ」
「……はい」
「……お願いします」
出迎えてくれた男性は、僕が着ているチャイナドレスの襟から手を入れて直接肩や乳首を触ったり、裾のスリットからおしりを揉んだりしながら尋ねてくる。
「横になれると行こうか」
しばらく僕の身体を堪能したアラサー男性は、手を引いて奥の部屋へ招き入れた。まだA子さんとおじさんはまぐわったままでいる。
アラサー男性はベッドの端に腰かけ、はいていたジーパンを脱いでから、僕をひざまずかせた。
まずはパンツ越しに触ってほしいのかな、と忖度した僕。そうしてみると、ぶるぶると弾力のある、半立ちのモノの感触があった。
自分ので触りなれているはずなのに、こうして初めて他人のものに触れてみると、なかなか奇妙な感触だ。これは何に近い触り心地なんだろう。
ぶつけられてもいたくない子供用のゴム製ボール……より中身が詰まってるかな? うん、海綿体が詰まってるね。
「楽しそうだね」
そんなことを考えていたら上から声をかけられた。
「そろそろ舐めてよ」
そう言って彼はモノをあらわにする。なかなかに立派なモノだ。
真正面からモノを見るのは初めてだな、自分のは上から見るし、エロ動画だと下から見るし、奇麗に剥けていて丸々と張りのあるカリは木に茂った梅の実を思わせる。
などと心の中でイチモツ評を下しながら舌先や唇で触れてみる、結構弾力があって跳ね返してくる。しばらくその感触を楽しんでいると、唇で押しても沈んでいかないほど固くなって、カリを上に向かせようという力が働いてきた。
フクロの部分も舌を這わせてみると確かにタマがあることがわかる。当たり前か、とペロペロしながらおかしく思った。
「初めてでそんなに舐められるんだ、どこで覚えたの?」
「独学です」
「もうすごくうまいけど、飴をなめるような感じじゃなくて、麺をすするようにしてみてくれる? 歯には当たらないようにね」
試したことのない難しい注文だが、なぜか何となく勝手はわかった。ずるずると竿をすする。自分がこんな下品な音を立てている事実に興奮した。
「いい感じいい感じ。今度は交互にやってみて」
まるでフェラチオ教室のインストラクターのような指示に従ってしばらく楽しんでいると
「混ざっていい?」
と背後からの声。振り返ると客間にいた別のアラフィフぐらいの男性がしゃがんで僕の顔を眺めていた。
いわゆるこれは前から後ろからの3Pというやつか。あこがれてはいたが初体験でこれは過激すぎじゃないのか、しかしこの機会を逃したらいつできるかわからない、いや一生できないかもしれない……
などと迷っていると、アラフィフ男性がぼくの腰を両手でつかんできた。そしてそのまま膝立ちでお尻を突き出した姿勢にされる僕の上半身はアラサー男性の下半身に体重を預ける格好だ。
そのまま後ろの男性はチャイナドレスの裾をめくりあげて僕の尻肉をわしづかみにした。
そのままパンツもずらして後ろの穴がさらけ出されてしまう。そして、何か冷たいゲル状のものが注ぎ込まれた。続いて今度はぬるくて硬いもの。
これは指だ、と理解したのは何周もぐりぐりかき回す動きを感じた時だった。
体内での遠慮ない動きに思わず声を上げてしまう。同時に、自分の後ろの穴が、入ってきた指をくわえこむかのように締まる動き。
「おお、いい締まりじゃん」
後ろの男性が期待を込めた声をかけてくる。
「そろそろ本番準備しようか」
「初めてでトラウマになっちゃうと悪いから、言いたいことがあったら言ってね」
「……じゃあ汚したくないからチャイナドレス脱いでいいですか」
「あ、気づかなくてごめんね」
行為への持っていき方はやや強引だったが、細かい点に気の回る紳士方だったようだ。ますます心がメスになってしまう。そのままストンとチャイナを脱ぎ下着姿になる。
着ていた下着は百円均一のもので、なんとなく誉め言葉をもったいなく感じた。
そしてベッドの上でうつぶせになると腰を浮かすように枕が差し込まれる。
ちょうど、相変わらずはめられ続けているA子さんの顔が真横に見える位置だった。
「こんばんは、コスローさん、でしたっけ?」
息を弾ませながら尋ねてくるA子さん。そういえば挨拶もまだだった。
「はじめまして、こんなタイミングになっちゃって、すみません」
これから処女を卒業しようとしているタイミングで初対面の挨拶を交わす。まさに「こんなタイミング」だろう。
「いえいえ、主催なのに自分で楽しんでてごめんね。いきなりエッチしてて驚いた?」
「ええ、実際に見るのも初めてなんでさすがにちょっと驚きました」
「でも、楽しんでもらえてるようでよかった」
「はい、やっぱり、女として扱われるのって、なんだかうれしいですね」
ガールズトークを始める僕とA子さん。方や本番真っ最中で、方や本番前にほぐしているところだ。……あっ、指が二本になったけど、僕の後ろの穴、すんなり受け入れてる。でも三本だと痛い。
そして男性がいったん離れて何かに強く息を吹きかけたような仕草をした後(後で知ったことだがゴムが破けないようにしているらしい。ここらへんも手馴れている)ついに、穴にあたる気配が指ではなくモノに変わる。穴を穿とうとするが、何度か尻肉の谷間を滑る。
頼まれた通りにすると、床オナのように自分のモノに自重がかかってしまう。完全にたっているので、暴発しないか心配になる。
「ちょっとくっつくよ」
そう言って、背中に男性の体温と体重を感じ、一寸おいて自分の後ろの穴が男性のモノを飲み込んだ感覚。ついに処女を卒業してしまった。あれ、どっちの男性がさせてくれたんだろう。まあどっちでもいいか。
隣でA子さんが祝福をしてくれた。こちらに向かって伸ばされた手を握る。正常位ではめられてるA子さんと、バックで掘られている僕が、がっちりとシェイクハンド。
自分の中で男のモノがうごめいている。出そうとしていないのに喘ぎ声がでてしまう。声帯ごと侵されているような感覚だった。
しばらくそのまま続けた後、ふいに引き抜かれていく感触、あれ、もうおしまいなの? と思っていると
「正常位でやろっか」
と腰に手を回しされ半回転するよう促され、仰向けになる。そこで初めて、相手が途中から入ってきたアラフィフ男性だということに気づいた。そのまま腿を支えられて腰を浮かされる姿勢になって、再び中に入ってくる。
「顔もかわいいね」
頬を撫でられたり、胸部の肉を集めるように両掌でわしづかみにされたり、腰骨をがっつりつかまれたまま前後されたりプレイは激しさを増していく。正常位になるまえに一旦離したA子さんの手も、知らず知らずのうちに握りなおしてしまっていた。
そういうと男性は、僕のA子さんとつないでいないほうの手を、僕のモノのところに導いた。いわれるとおりに数回しごくと、すぐにせりあがってくる射精欲。
はめられながらも完全に立っていた僕のモノ。そのままイクと、自分にぶっかけることになってしまうが、もはや手を止めることはできなかった。
僕に向けられた鈴口から勢いよく精液が飛び出し、腹に、胸に、口に飛び散っていく。ああ、ブラにもかかちゃったかな、まあいいか、百円だし、気持ちよかったし。
後ろの穴は、男性のモノをくわえたままキュウキュウと何度も開いて閉じてを繰り返す。
アラフィフ男性は満足そうに、僕を見下ろしながら言うのだった。
続くかな?
性犯罪やめられぬ男の本音 女子中学生2人殺害、出所後も繰り返す過ち「やらない自信ない」(47NEWS) - Yahoo!ニュース
性犯罪者の再犯率は激高らしいけど、セックスより気持ちいい事があるのを知ると変わるのかなと思ったり。
10年くらい前にパラセーリングをしたけど、マジでセックスより気持ち良かった。
「空に座る」という感覚はやったことある人じゃないと分からないと思う。
栃木の赤岩ってパラグライダー場だったけど、素人でも午前中に練習して午後からは一人で崖からダイブできたので行くならそこがオススメ。
後日に赤岩が遠かったのでタンデムっていうインストラクターと二人で飛ぶやつを近場でやったけど、全然気持ち良くなかった。
パラセーリングが趣味だと保険料が上がるらしいし結婚したらリスクのある趣味はできなくなるから独身で彼女もいない人は是非とも一度は経験してほしい。
こんな事を書くと誰かから怒られそうだが、世の中から見た女性の一般的なイメージというものは「可愛い・綺麗・いい匂い・オシャレ・キラキラ・ふわふわ・癒し」というようなキーワードが当てはまるのではないだろうか。
上に挙げたものは些か極端すぎるかもしれないが全く当てはまらないという事もないと思う。
最近街中で見かける女性は実際みんな可愛くて綺麗だ。顔の造形やスタイルは関係なく、みんな自分磨きに余念がない。キラキラしている。
一方、私は世間のイメージと完全に真逆を行く「キモい女」である。
具体的なエピソードは省くが、小中高と隣の席になった男子にはめちゃくちゃに席替えのやり直しを求められ、廊下ですれ違うと悲鳴をあげられ、実の父親にすら「こいつと俺の下着一緒に洗うのやめてくれ」と言われたほどだ。
「思春期の娘は父親の下着と一緒に洗濯されるのを嫌がる」という知識はあった。が、実際多感な思春期時代、まったく逆の立場になるとは思っておらず中々にショックを受けた。
社会に出てからは一般的な枠からはせめてはみ出さないようにと、スキンケア・身だしなみ・清潔感に気を付けているもののもちろん彼氏いない歴=年齢だ。
現在25歳、本来若さをハンデに多少は異性との接触があるものだとは思うが、これまでの半生男にキモがられた記憶しかない。
そしてその原因は「内側から滲み出るキモさ」なのだろうなと最近悟った。
自分で言うのもなんだが、外見的には決して美人ではないものの、10人中10人が振り返るブスでもないと思っている。
おそらく「表情・佇まい・言動すべてから滲み出るキモさ」があるのだろう。
これまでの経験から常に人の顔色を気にし、機嫌を伺い、本心を出さずおどおどと生きているのでそういう人間としてのつまらなさもあるのかもしれない。
そして、そんな卑屈の考え方をしているので他の「自称モテない女性」への目線も歪んでしまっている。
本人がどれだけ彼氏いない、モテない、と言っていても「でも、異性の同級生や同僚と飲みに行ったりしてるし、キモがられてないじゃん」「父親や男兄弟に大事にされてるし、キモがられてないじゃん」「オシャレや自分磨き頑張ってるし、全然キモくないじゃん」と内心反論してしまう。自分の非モテのラインはキモいか、キモくないかだ。
SNSのオシャレアカウントにも過敏に反応してしまう。「女の子の価値は自分で決める!自分に自信がある子が一番可愛い!自分磨きしよう!」と言われても、こちとらダイヤの原石でもなんでもない。うんこはどれだけ磨いてもうんこなのである。
どちらにせよ、25年間拗らせすぎて異性は勿論、キモくない女性への羨望と妬みまで感じてきている。こういうところがキモいんだろうなぁ、と改めて考えてみたりもする。
実は、10代の頃援助交際のようなものに手を出したことがある。ネット掲示板で知らないおじさんと待ち合わせをして、金銭のやり取りはせず何度かそういう行為をした。
世間一般に「キモい」と言われているおじさんにすら「キモい」と思われているのではないか、という確認をしたかったからだ。
おじさんと別れる時、必ず「私、キモくなかったですか?」と確認をする。おじさんはそんなことない、と否定してとても優しく接してくれる。
最低の動機で最低な事をしているのに、その瞬間だけはとても救われた気分になった。でも、少し経つとそんな自分への嫌悪感で必ず自分の中の自分に対する「キモさランク」は上がってしまうのだ。
テレビを見ると、街頭インタビューを受ける男性が「誰でもいいから彼女ほしい」と答えている。
美容系番組で人気の美人インストラクターが「女性は努力すれば誰でも輝ける」と言っている。
こんな事を書くと誰かから怒られそうだが、世の中から見た女性の一般的なイメージというものは「可愛い・綺麗・いい匂い・オシャレ・キラキラ・ふわふわ・癒し」というようなキーワードが当てはまるのではないだろうか。
上に挙げたものは些か極端すぎるかもしれないが全く当てはまらないという事もないと思う。
最近街中で見かける女性は実際みんな可愛くて綺麗だ。顔の造形やスタイルは関係なく、みんな自分磨きに余念がない。キラキラしている。
一方、私は世間のイメージと完全に真逆を行く「キモい女」である。
具体的なエピソードは省くが、小中高と隣の席になった男子にはめちゃくちゃに席替えのやり直しを求められ、廊下ですれ違うと悲鳴をあげられ、実の父親にすら「こいつと俺の下着一緒に洗うのやめてくれ」と言われたほどだ。
「思春期の娘は父親の下着と一緒に洗濯されるのを嫌がる」という知識はあった。が、実際多感な思春期時代、まったく逆の立場になるとは思っておらず中々にショックを受けた。
社会に出てからは一般的な枠からはせめてはみ出さないようにと、スキンケア・身だしなみ・清潔感に気を付けているもののもちろん彼氏いない歴=年齢だ。
現在25歳、本来若さをハンデに多少は異性との接触があるものだとは思うが、これまでの半生男にキモがられた記憶しかない。
そしてその原因は「内側から滲み出るキモさ」なのだろうなと最近悟った。
自分で言うのもなんだが、外見的には決して美人ではないものの、10人中10人が振り返るブスでもないと思っている。
おそらく「表情・佇まい・言動すべてから滲み出るキモさ」があるのだろう。
これまでの経験から常に人の顔色を気にし、機嫌を伺い、本心を出さずおどおどと生きているのでそういう人間としてのつまらなさもあるのかもしれない。
そして、そんな卑屈の考え方をしているので他の「自称モテない女性」への目線も歪んでしまっている。
本人がどれだけ彼氏いない、モテない、と言っていても「でも、異性の同級生や同僚と飲みに行ったりしてるし、キモがられてないじゃん」「父親や男兄弟に大事にされてるし、キモがられてないじゃん」「オシャレや自分磨き頑張ってるし、全然キモくないじゃん」と内心反論してしまう。自分の非モテのラインはキモいか、キモくないかだ。
SNSのオシャレアカウントにも過敏に反応してしまう。「女の子の価値は自分で決める!自分に自信がある子が一番可愛い!自分磨きしよう!」と言われても、こちとらダイヤの原石でもなんでもない。うんこはどれだけ磨いてもうんこなのである。
どちらにせよ、25年間拗らせすぎて異性は勿論、キモくない女性への羨望と妬みまで感じてきている。こういうところがキモいんだろうなぁ、と改めて考えてみたりもする。
実は、10代の頃援助交際のようなものに手を出したことがある。ネット掲示板で知らないおじさんと待ち合わせをして、金銭のやり取りはせず何度かそういう行為をした。
世間一般に「キモい」と言われているおじさんにすら「キモい」と思われているのではないか、という確認をしたかったからだ。
おじさんと別れる時、必ず「私、キモくなかったですか?」と確認をする。おじさんはそんなことない、と否定してとても優しく接してくれる。
最低の動機で最低な事をしているのに、その瞬間だけはとても救われた気分になった。でも、少し経つとそんな自分への嫌悪感で必ず自分の中の自分に対する「キモさランク」は上がってしまうのだ。
テレビを見ると、街頭インタビューを受ける男性が「誰でもいいから彼女ほしい」と答えている。
美容系番組で人気の美人インストラクターが「女性は努力すれば誰でも輝ける」と言っている。
University of the People (以下UoPeople) というアメリカの大学/大学院について書く。
私は昨日履修継続を諦めたのだけれど、驚きと感謝と、次の時代へのわくわくを込めて、誰かの役に立ちますように。
正式に登録された教育機関で、卒業すれば大卒、院卒を名乗れる。設立されてまだ間もないけれど有名大学や大手企業と提携していて、良い成績を修めれば良いキャリアにつながる道もありそう。
ただし入学審査や各単位での試験料はかかり、入学卒業までに20~30万程度(学士と修士で異なり、奨学金もある)。
英検準1級(学士修士共通)、TOEFL(PBT)500/530、またはTOEFL(IBT)61/71、その他耳慣れない英語資格が入学に必要。いずれも持っていない場合は英語の講義を受けて一定以上の成績を取ることで資格に代えることができる。授業はすべて英語で、課題のほとんどが読み書き(聞く/話すはほぼない)。
入学のための事務手数料にUSD100程度を払えばとりあえず始められる。入試はなく、英語力の証明→選択したコースの授業→最初の2科目で一定以上の成績を修める→この時期までに高校/大学の卒業証明書や推薦状を提出→本入学→卒業、という流れ。
でも仕事を辞める踏ん切りもつかない、入試や面接の準備をするのも気が重い、続けられるかわからないのにお金をかけたくない、ということで、小さく始めてみた。社会人5年か6年目。
残業は均して月50時間、波があり忙しい時期は毎日終電、ひどいと朝帰り、休日出勤が1週間くらい続く。ときどき出張あり。
授業はMoodleと呼ばれる大学のポータルサイトで行われ、基本的に1週間単位で以下の課題がある。木曜始まりで、その週が始まるまで課題にアクセスできず、締め切りを過ぎたら提出もできない。
指定された文献を読む。文量は週によってまちまち。多い週で100ページくらい。文献はWEBページだったり、大学のポータルサイトからアクセスできるデータベース上のPDFだったり(全て無料)。
掲示板のようなものがあり、指定された議題について投稿→投稿するとクラスメイトの投稿が読めるようになり、最低3人にコメント+評価をする。
指定されたテーマについてレポート。「参考文献のページを含まずA4で2~3枚」と指定されることが多かった(行間を開けるよう指定されるので実質紙1枚と少し)。「参考文献を最低2つ用いること」等の指定が入ることもあり、どうかと思いつつ私は日本語の文献を引いていたが、それについて指摘が入ることは特になかった。
翌週、クラスメート3名のレポートを読み、指定の項目について10点満点で評価する。クラスメイトからの評価もクラスメイトへの評価も成績算出の材料になる。
これもレポート。Writing assignmentより「あなたはどう思うか」「あなたの職場の~について説明しなさい」など、個人的なことがテーマになる。これはInstructorと呼ばれるその講義を担当する講師から評価される。
期末にはクラスメイトと合同でレポートを書くなどの課題もあった。
個人的にはReading assignmentが一番しんどかった。英文は比較的平易なもので一文一文は読めるのだけれど、全体としての構成や要点を掴むのに時間がかかり、身になっていると思えなかった。日本語で読んだら大したことないのに、日本語で勉強したい、としばしば思った。最終的に履修を断念した理由もこれが大きく、PDFファイルごとGoogle翻訳にかけたり一度wordに変換して翻訳したり(PDFだと各行に改行が入っている扱いになりうまく翻訳できない。でも結局やっぱり自然な日本語にはならない)、他の課題で使用される英語のキーワードが和訳のどの語に相当するのか探すなどの学習と関係のないことに時間を割かなければならず時間が足りなかった。「一講義あたり週に最低15時間必要」というのが大学の公式見解で、私の場合は20時間は必要だった。これはどこまで真面目にやるかにももちろん依るのだけれど、「適当にやってほどほどのクオリティを保つ」というのは母国語だからできることだとも思う。
クラスメイトやインストラクターはみんな感じよく前向きなコメントをくれた。「世界中の人に学習の機会を」というのが大学のコンセプトで特に途上国の人にフォーカスしているけれど(実際イラクやシリア、ナイジェリア、モロッコ等のクラスメイトがいた)、MBAに限っていえば非英語圏の人から徐々にいなくなっていき、最初の講義が終わるころには半分以上がアメリカ人だった。(グループ課題もアメリカ人と非アメリカ人で分かれていた。おそらくネイティブの議論のスピードや参考文献の量に非ネイティブは付いていけないだろうという的確な配慮。)
最初の講義はなんとか食らいつき悪くない成績で修了し、次の講義は海外出張と忙しさの波でドロップ、その次の学期まで待って今また始めたけれど、資料を読み切れない。英文で問題なく読解、記述できる人には良い大学だと思う。(私にはそんな余裕なかったけれど)質問すれば答えてくれるし、追加の文献も与えてくれる。英語力があがるか時間ができるかしたらぜひ再開したい。
「コーチおやじ」というものが存在する。主な生息地は動画サイトに若者が投稿した演奏動画のコメント欄で、そこによく出没する。
主な生態としては基本的にダメ出し。やれ「ピッチが」だの「モタる」だの「音の粒が揃ってない」だの具体的な計測方法のない切り口でダメ出しをする。そして主に若い女の子がギターやベース、ドラムを演奏している動画に現れては、そう言ったダメ出しをすることを好む。
(あと最近気づいたのは、街角で弾き語りをやっている女の子にも何やら延々と喋ってるおやじもよく見かける。これはダメ出しなのか何だかわからないが、腕を組み得意げに何やら喋ってる。女の子は片付けをしたいらしく困惑した笑顔で対応するのだが、彼女のその困惑には気づかず笑顔にだけ気をよくしてペラペラ喋ってる。CD-Rを買ってあげてるのかはわからないが買ってなさそうだ。)
またコーチおやじは、女の子が習得する楽器に関してステレオタイプの先入観を持っているだめピアノ、シンセ、エレクトーンなどの鍵盤楽器の投稿動画にはまったくと言っていいほど姿を見せない。そこにも稚拙な演奏が相当あるにも関わらずである。だからロック系の曲を演奏するギター、ベース、ドラム専門に出現する。とにかく女の子がこれらの楽器がうまいことを許せないのだ。
たまにそのダメ出しに対して誰かがコメント欄で反論をすると「批評も許されないのか」「慣れ合ってヨイショコメントしかしちゃいけないのか」的な開き直りを見せる。ひどい場合はコーチおやじのダメ出しコメントばかりが動画に並び、いつしか投稿主は動画を削除してしまう場合もある。
コーチおやじの本質、それは「尊敬されたい」「愛されたい」である。「なるほど!わかりました!これからも指導お願いします師匠!」と言われたいのだ。とっくの昔に現役でなくなってる、もしくは現役時代そのものが存在しなかったかもしれない自分にだ。空想の、虚構の、眩い白日夢はこの上なく心地よいのだ。また相手が女性動画主だったらあわよくばねんごろになりたいってのもあるって言ったら邪推し過ぎだろうか。
だがコーチおやじの願望が叶う日は決して来ない。なぜならば若者たちが動画を公開するときに期待するものは「賛辞」と「励まし」だけなのだから。コーチおやじの「尊敬されたい」「愛されたい」とは対極の、はるかに青く純粋な衝動だ。コメントでもっともらしいダメ出しなんかもらわなくとも、彼らは再生数という言い訳の出来ない評価と対峙することになるのだから。こういうとコーチおやじは「再生数がすべてなのか」と半笑いで反論しようとするだろう。そうだ、すべてだ。
ここまで読んだ人は気づくと思うが、俺がまさにそのコーチおやじだった。
ここは「だった」と過去形で言わせてもらう。何故ならば俺はその空想の中の自尊心を、よりによって自分の息子に剥ぎ取られ、丸裸な状態の滑稽な初老の男である自分を突きつけられ、激しい屈辱と自己嫌悪とともに目が覚めたのだ。「コーチおやじの滑稽さ」に。(ちなみに息子は音楽はやっていないのだが、どう突きつけられたかは本題とそれるので省略する。ただ、涙ながらに訴えられ目が覚めたとだけ言っておく)
80年代に成毛茂という70年代のギタリストがやっていた深夜番組は、その骨太の説得力に薫陶を受けた何人かの門下生が凄腕ギタリストとなり、副産物として有象無象の門前の小僧を生み出した。ようするに「薫陶」ではなく「受け売り」止まりの奴らだ。俺はまさしくこのクラスタの人間。
そして90年代から00年代にかけてE〇Pとかの音楽専門学校に入ったはいいが、バンドやるでもなく真面目に授業受けるでもなく、身に付いたものはと言えば出会い系サイトのサクラのバイトによる昼夜逆転の生活習慣というだけの奴ら。
両方に共通しているものは、何ら後進が手本とできる見本となる演奏音源や映像を残すことも公開することもなく(そもそも今で言うところの「なろう」だったので存在すらしないかもしれない)、ただ曲と楽器と半端な受け売りの楽典の知識だけを元に、投稿動画をあれこれ批評と称してこき下ろす。全員が全員そうだとは言わないがコーチおやじの本質はおおむねこれだと思う。
あのな、ご同輩。今は時代が違うんだよ。まず機材が違う。昔のようにMDやテープを何度も聴き直して音を拾わなくてもコピーができる。アンプだってライン録りで遜色ない音もできる。8トラックでピンポン録音なんてアホらしいことだってする必要もない。だけど彼らはそうやって楽になった分のリソースをどこに注ぐと思う?彼らはやっぱりその分純粋に練習に注ぐんだよ。彼らは試行錯誤の必要がない分まっすぐに練習するんだよ。俺たちよりも合理的なやり方で、何よりも当時の俺たちと同じくらいの熱意でもって。今の若い子たちの演奏が(女の子のそれも含めて)抜群にうまいように聴こえるのは錯覚じゃない。本当にうまいんだよ。
だから彼らが、あなた方やかつての俺がかすかに期待する「尊敬」や「愛情」をお前らに向けることは未来永劫あり得ないんだ。とっくに現役じゃないかそもそも現役だった時代すら存在しなかったおやじたちに。だからコメント欄で偉そうなダメ出しするのはやめよう。気に入ったらlikeをクリックして、気に入らなかったらdislikeすらクリックせずに二度と観なければいいだけの話だ。
とは言えやはり俺もいまだに「尊敬」と「愛情」が欲しいことは否定できないので、
DTMと呼ばれるものに手を出すことにした。つまり若い連中が群雄割拠する世界に、かつて打ち込み専門の誰かが言った「楽器が弾けるというのはデカい」をわずかな希望として胸に秘めながら、ひっそりと足を踏み入れることにした。pro toolを始めとした機材を大人買いした。使い方を早くマスターするためにインストラクターに素直に教えを乞うた(オヤジは金があるんだよ)。これで俺も再生数に一喜一憂する奴らの仲間入りだ。指がすっかり動かなくなったというより広がらなくなって難儀してはいるんだが、まあコーチおやじよりは健全だと思ってる。
もう何年も前にやめたが
書いてて疲れたので書くのも途中でやめた
マニュアル 客から預かる→窓口職員が確認→上長決済(問題があれば指摘、対応)→窓口職員が入力→上長決済(問題があれば指摘、対応)→客へ返却→客帰る
現実 客から預かる→窓口職員が確認→窓口職員が入力→客へ返却→客帰る→(1日同じことを繰り返す)→上長が決済することもある→誤りがあれば窓口責任
・マニュアルが雑
その通りに行うと職員数、窓口数、客数などのバランスが崩壊する。バランスはマニュアル無視してギリギリアウト。
・研修が雑
営業研修はすごくやる。ただしほぼ自主研修。インストラクターだけがアツい。残業代も交通費も出ない。なんなら会場費徴収される。もちろん強制参加。
事務研修もたまにやる。ただしほぼ自局研修。インストラクターとかいない。全員初見の状態でやたら分厚い資料の読みあわせをする。残業代は出ない。もちろん強制参加。
研修なしで資料回覧のみの場合もある。回覧は業務終了後に監視カメラへ映らないところで読むよう指示され、残業代は出ない。
・残業代が出ない
出勤簿には出勤印を押す欄のみ。タイムカードなどはなく出退勤時間は全て上長管理。
自分の残業時間を知るすべはない。ちなみに残有給日数を知るすべもない。なんなら上長も把握してない。
・営業も200%達成しかつその他の業務も200%完璧に行いかつ客を待たせてはならない
なお既に20人待ちの模様