はてなキーワード: 管理職とは
女は責任をとりたがらない、上に立ちたがらないって言うけど、
社員との個別面談やってきて、管理職目指してるって回答する社員はだいたい男女関係なく半数くらいいた。
残り半分のうち、男性はほぼ全員、向いてないし積極的にやりたくはないけど任せられたらやるって感じの消極的肯定、
その会社ごとの事情による話かもしれないし年齢によるのだろうけど、女は管理職をやりたがらないからなれないんだって一般論は納得がいかない。
職場で60超えたおっさんに注意を受けた。おっさん曰く「制服で出社してはいけない」とのこと。
確かに就業規則にて「通勤は制服NG」との規定がある。だからおっさんの言っていることは正しい。
ただ、こちらは自転車通勤で、制服の上から制服を露出しないように夏でも長袖長ズボンを着用しており
それらを脱いでそのまま現場に行っているだけだ。制服での通勤はしていない。
確かにグレーな部分ではあると思うが、当方以外何人も同じような形で出社している人もおり
過去に管理職から注意されているのは、制服が露出した状態で出社している人であった。
草の根かき分け調べたわけではないが服装規定がしっかりしている会社で何人もの人が同じことをしていることから
制服を露出しないように出勤している人には未だ注意はいったことがないのだと思う。
納得できなかったので、上記に記載しているようなことを言った。管理職にも注意されたことがないと。
ただおっさんはいう「社会人として、着替え用のロッカーがあるのであれば使う、これが常識である」と。
おっさんは同時に余計な忠告であるかもしれないので、これ以上言わないといったのでこれ幸いと無視した。
これ幸いに「納得できなかったので無視しときます」と宣言した。
社会人として10年弱の日々を過ごしている中で、新卒ほど学生意識で仕事をしているわけではない。
ただ昭和の時代を生きてきた人たちに迎合するような価値観でもない、所謂ゆとり世代の価値観である。
「みんな苦しい中頑張っているんだ、お前もやれ」ではなく
「みんなが苦しいからちょっとでも楽になるようなやり方を考えよう」な価値観で業務改善に取り組んでいる。
超絶忙しい商品担当の人たちに手助けできることがないか聞いて回り、ツールやマクロを作成し、
少しでもみんなが定時に近い時間で帰ることができればいいな、を原動力に日々社畜している。
これが当方の物差し。困っている人がいたら助けようを社会人としてというより人としての常識として持ち合わせている。
だがこのおっさんにはそれがない。
自分はご意見番であるという自負でもあるのか、口は出すが手は出さない。
まあ言っていることは正しい。
「社会人として、与えられたロッカーで着替えることは当たり前である」というのは
「社会人として、業務過多で困っている人がいたらできる範囲でサポートする」に比べてえらいしょうもないと感じてしまったのである。
そうかなあ、むしろ女の方が弱すぎる気がするんだけど。
男は子供の頃から男らしさや強者らしさを無意識のうちに叩きこまれる。
しかし女はそんな経験が無く未熟なので、社会に出た途端に簡単に挫折するよね。
管理職になりたくない女の割合が半分を超えているのは笑えないし、それで「女が活躍できないのは社会が悪い」と連呼しているのは愚かにしか見えない。
お前らは、自分が子供のころやってきたことをやり返されているだけだと理解したほうがいい。
せいぜい叩かれて叩かれて精神を鍛えるといい。
そもそも氷河期世代の大卒は上の世代と下の世代と比べてもそこまで貧しくなっていない。
https://gentosha-go.com/articles/-/46122?page=2
2019年:46.55万円/724.9万円、50.42万円/799.3万円
2021年:44.21万円/676.1万円、47.86万円/738.5万円
この社会階層は親世代のブルーカラーより圧倒的に貧しくなってる。
コンクリートから人へとか、製造業派遣の規制緩和とか、タクドラの規制緩和とかで。
一方で高卒層は20代のときにパソコン持ってないとかネット回線ないとか
またネットで発言する習慣がない(あってもバクサイや前略プロフ)
氷河期世代の大卒はまったくもって団結するインセンティブが無い。
昇進して管理職になって会社のためにバリバリ働くぞい!なんて思考は欠片もなく、ただただ金が欲しい!という一心だけで昇進試験を受けた。
正直、全く勉強する気が起きなかったので結果は散々。これで受かってたら試験結果なんて一切考慮されてないと自信を持って言える。
勉強する気が起きなかったのは所詮言い訳に過ぎないが、真面目に考えたら自分のような無能が管理職として働けるイメージが全く沸かなかった。
管理職として必要な能力というのは要するに、金を自ら稼ぐための方法・戦略を立てそれを自らと部下で実践していく強力なエネルギーを使う能力。小手先の技術や知識はあれば良い程度の物でしかない。
他人と関わるとHPが減っていく偽装系無能陰キャにそんな大それたことができるイメージが全く描けなかった。ただでさえ自分は自己アピールや"偉い人が好む経営戦略的なポンチ絵"が苦手だ(普通のプレゼンや技術的なポンチ絵は描ける)。管理職の仕事ぶりを見てると、"大きな目標としてのお絵かき"能力はかなり重要であるように見える。いわゆるJTC特有のものかも知れないが。
やっぱ考えれば考えるほど、管理職に求められる能力が決定的に欠けているんだな。
でもやっぱり金は欲しい。残業代が無くなることで一時的に減ることになるだろうが、どれ程の無能でも管理職でさえあれば退職金が増えるのは間違いない(はず)。
(もし部長以上に出世しようとするなら酒と煙草とゴルフは必須らしいので、何れもやらない自分はどんなに頑張っても下っ端から上がれないだろう)
何せ確定拠出年金の拠出額からして倍以上違うんだからどう考えても有利だ。とうに後輩達は管理職となって早数年、既に部下もいて成績を上げているし正直羨ましい。
管理職以外の昇進コースがあればいいんだがそんな都合の良いものは無い。技術だ品質だのを掲げていても給与には反映されない。
働かずに老後の金が欲しいです。
前職に関して特に一般的には悪くない水準だったかもしれないが結局やめてしまった。
基本給 23万円
地域手当 1万円
残業代 変動
配偶者手当
ボーナス80-120万円
だった。福利厚生がいいと言われるが配偶者手当がもらえる以外に恩恵を受けられなかった。
残業が40-60時間あるのがきつく、地方出張の手当は出るが長時間拘束がつらかった。
現在は、
基本給(見込み残業含む)38万円に転職して役職(管理職一歩手前)残業は週2時間、月10時間以下でとどまっており、評価されていなかっただけだった。ボーナスはまだ支給されていないが、年間100万円から200万円だそう。
おれも「そのうちアニメなんか卒業して、何か賢い大人として生きることになるんだろうな〜」って思ってたけど、就職しても転職しても管理職になっても、なんならアニメ見ながら仕事してるし別に賢い大人にもならなかったわ。
どうもフェミニストの人達は男女間の格差については盛んに話題にするけれど女性同士の格差については無視する傾向があるよう
自分は氷河期非正規独身女性だけど個人的には男性との差よりも女性同士の格差の方が辛いんだよなあ
主に、大切にされてる今の若い女性や同世代であってもスムーズに正社員就職や結婚出産が出来た人との差が辛い
事前の顔合わせでは役員階の会議室に呼ばれて重役の男性とだけ話したからその職場も同じような年配男性が多数で女性は自分と同じような派遣の人なのかなって思っていたが実際に働いてみるとそうじゃなくて
キラキラした高学歴の若い女性が多く、自分と同年代の中年女性も既婚子持ちで仕事と育児を両立している正社員だけ
数年前に管理者研修で講師の人が仕事でお金を貰えるのは何故かと投げかけた時、
大半の人が「苦しみの対価として報酬を得ている」という答えに挙手していた。
僕は思わず皆の顔を見た。
この問いで、講師が期待していた答えは当然「利益を上げているから給料が支払われている」だ。
僕もそちらに手をあげたが、今になって思う。
彼らは意味のないことを意味のあるように振る舞うことを強制されていたのだ。
当時の僕は管理職になったとて、人手不足ゆえに現場で作業することがほとんどだった。
それらにも全くやりがいはなかったが、やれば前に進む実感があるものだったのだ。
不満はあったが、苦しみはなかった。
運用の無駄を省き、現場に入る割合が減った僕が今していることは、内部の監査のために
嘘の資料をそれっぽく作ることだ。内部のドキュメントに合っていない運用をしているためだ。
ドキュメントを見たことがあるが他の会社のコピーをしてきたのだろう、明らかに存在しない役職、施設が記載されており
そうしたドキュメントに合うように読み替えを行っている。
当然嫌な気分になる。
前に進むどころか後ろに進んでいるのを肌で感じるからだ。
本来社内ガバナンス強化のためにドキュメント整備なり監査は行われるべきなのに
誰もそのことは求めていないのだ。
監査員でさえ求めていなかった。
何より三年前まで同じ部署にいて内情を知っており、火の粉が飛んでくることを嫌っているのだ。
意味のない仕事をすることは全然構わない。穴を掘って埋める作業も苦ではない。
仕事の成果ではなく、体の動かし方を調整し、筋トレとして消化する事で意味を見出せるからだ。
誰のためにもならない虚偽に力を使うことが嫌なのだ。それには苦しみを伴う。
何よりも恐ろしいのは、この仕事は、運用の効率化を測り、余裕を生んだことで発生したということだ。
仕事のパフォーマンスを上げることを推奨する風潮が蔓延しているが、それは間違っている。
正常な組織であればという条件が前につくのだ。
歴史は繰り返すのだ。
数年前に管理者研修で講師の人が仕事でお金を貰えるのは何故かと投げかけた時、
大半の人が「苦しみの対価として報酬を得ている」という答えに挙手していた。
僕は思わず皆の顔を見た。
この問いで、講師が期待していた答えは当然「利益を上げているから給料が支払われている」だ。
僕もそちらに手をあげたが、今になって思う。
彼らは意味のないことを意味のあるように振る舞うことを強制されていたのだ。
当時の僕は管理職になったとて、人手不足ゆえに現場で作業することがほとんどだった。
それらにも全くやりがいはなかったが、やれば前に進む実感があるものだったのだ。
不満はあったが、苦しみはなかった。
運用の無駄を省き、現場に入る割合が減った僕が今していることは、内部の監査のために
嘘の資料をそれっぽく作ることだ。内部のドキュメントに合っていない運用をしているためだ。
ドキュメントを見たことがあるが他の会社のコピーをしてきたのだろう、明らかに存在しない役職、施設が記載されており
そうしたドキュメントに合うように読み替えを行っている。
当然嫌な気分になる。
前に進むどころか後ろに進んでいるのを肌で感じるからだ。
本来社内ガバナンス強化のためにドキュメント整備なり監査は行われるべきなのに
誰もそのことは求めていないのだ。
監査員でさえ求めていなかった。
何より三年前まで同じ部署にいて内情を知っており、火の粉が飛んでくることを嫌っているのだ。
意味のない仕事をすることは全然構わない。穴を掘って埋める作業も苦ではない。
仕事の成果ではなく、体の動かし方を調整し、筋トレとして消化する事で意味を見出せるからだ。
誰のためにもならない虚偽に力を使うことが嫌なのだ。それには苦しみを伴う。
何よりも恐ろしいのは、この仕事は、運用の効率化を測り、余裕を生んだことで発生したということだ。
仕事のパフォーマンスを上げることを推奨する風潮が蔓延しているが、それは間違っている。
正常な組織であればという条件が前につくのだ。
歴史は繰り返すのだ。