数年前に管理者研修で講師の人が仕事でお金を貰えるのは何故かと投げかけた時、
大半の人が「苦しみの対価として報酬を得ている」という答えに挙手していた。
僕は思わず皆の顔を見た。
この問いで、講師が期待していた答えは当然「利益を上げているから給料が支払われている」だ。
僕もそちらに手をあげたが、今になって思う。
彼らは意味のないことを意味のあるように振る舞うことを強制されていたのだ。
当時の僕は管理職になったとて、人手不足ゆえに現場で作業することがほとんどだった。
それらにも全くやりがいはなかったが、やれば前に進む実感があるものだったのだ。
不満はあったが、苦しみはなかった。
運用の無駄を省き、現場に入る割合が減った僕が今していることは、内部の監査のために
嘘の資料をそれっぽく作ることだ。内部のドキュメントに合っていない運用をしているためだ。
ドキュメントを見たことがあるが他の会社のコピーをしてきたのだろう、明らかに存在しない役職、施設が記載されており
そうしたドキュメントに合うように読み替えを行っている。
当然嫌な気分になる。
前に進むどころか後ろに進んでいるのを肌で感じるからだ。
本来社内ガバナンス強化のためにドキュメント整備なり監査は行われるべきなのに
誰もそのことは求めていないのだ。
監査員でさえ求めていなかった。
何より三年前まで同じ部署にいて内情を知っており、火の粉が飛んでくることを嫌っているのだ。
意味のない仕事をすることは全然構わない。穴を掘って埋める作業も苦ではない。
仕事の成果ではなく、体の動かし方を調整し、筋トレとして消化する事で意味を見出せるからだ。
誰のためにもならない虚偽に力を使うことが嫌なのだ。それには苦しみを伴う。
何よりも恐ろしいのは、この仕事は、運用の効率化を測り、余裕を生んだことで発生したということだ。
仕事のパフォーマンスを上げることを推奨する風潮が蔓延しているが、それは間違っている。
正常な組織であればという条件が前につくのだ。
歴史は繰り返すのだ。