2022-10-13

仕事=苦しみの対価として報酬を得ること

数年前に管理者研修講師の人が仕事お金を貰えるのは何故かと投げかけた時、

大半の人が「苦しみの対価として報酬を得ている」という答えに挙手していた。

僕は思わず皆の顔を見た。

そこには皮肉っぽさはなく、機械のような顔があった。

この問いで、講師が期待していた答えは当然「利益を上げているか給料が支払われている」だ。

僕もそちらに手をあげたが、今になって思う。

彼らは意味のないことを意味のあるように振る舞うことを強制されていたのだ。

当時の僕は管理職になったとて、人手不足ゆえに現場作業することがほとんどだった。

それらにも全くやりがいはなかったが、やれば前に進む実感があるものだったのだ。

不満はあったが、苦しみはなかった。

運用無駄を省き、現場に入る割合が減った僕が今していることは、内部の監査のために

嘘の資料をそれっぽく作ることだ。内部のドキュメントに合っていない運用をしているためだ。

ドキュメントを見たことがあるが他の会社コピーをしてきたのだろう、明らかに存在しない役職施設記載されており

提供していないサービスに対する管理ルールまで書いている。

見れば適当に作ったことが丸わかりのドキュメントだ。

そうしたドキュメントに合うように読み替えを行っている。

当然嫌な気分になる。

前に進むどころか後ろに進んでいるのを肌で感じるからだ。

本来社内ガバナンス強化のためにドキュメント整備なり監査は行われるべきなのに

誰もそのことは求めていないのだ。

監査員でさえ求めていなかった。

彼らは監査をしたという実績を作れば仕事完了するからだ。

何より三年前まで同じ部署にいて内情を知っており、火の粉が飛んでくることを嫌っているのだ。

意味のない仕事をすることは全然構わない。穴を掘って埋める作業も苦ではない。

仕事の成果ではなく、体の動かし方を調整し、筋トレとして消化する事で意味を見出せるからだ。

誰のためにもならない虚偽に力を使うことが嫌なのだ。それには苦しみを伴う。

何よりも恐ろしいのは、この仕事は、運用効率化を測り、余裕を生んだことで発生したということだ。

仕事パフォーマンスを上げることを推奨する風潮が蔓延しているが、それは間違っている。

正常な組織であればという条件が前につくのだ。

零戦が完成したか戦前軍部暴走した。

現場に余裕が生まれれば、本社は余計なことをする。

歴史は繰り返すのだ。

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