はてなキーワード: 子供のこととは
結婚生活は10年を超えた。家事を分担し配偶者との仲も良好、子供はそろそろ手を離れるし学校が嫌なそぶりもない、仕事も順調なほうだと思うし、他人から見ればきっと何不自由なく見えるだろう。
だが、ハマっていたジャンルのツイッターのアカウントを消してしまった。
きっかけは結構仲良くしていた相互フォロワーがその人のバズツイについたクソリプ野郎に粘着され、精神を壊してリアルが壊れてしまったこと等、色々重なった結果だった。
ツイッターは仕事とか、子供のこと、やらなきゃいけないことの合間の息抜きとして楽しかった。だけどそんなのでつい身近にいる人間が壊れてしまったりして、使い方が難しく、自分には誰かとの交流を続ける自信がないから辞めた。
そうなると、虚無になった。やることが社会的義務以外にない。新しくやりたいこともない。
母が自分ぐらいの歳に宗教にハマっていた理由がしみじみとよくわかってしまった。何かにハマってないと狂ってしまいそうだ。
だからこんなところにこんなの書いてるってわけだ。
一つには、お前んちのガキは手間がかからんタイプだってのがあるだろうが
それはどうせ他の奴が言うだろうから良いとして。
もう一つ、ワンオペ育児の耐性は女親のが低いってのがたぶんあるで。
母親って生物には、子供を目の前にして気を抜くのが不可能なんだ。
「赤ん坊は転んだら死ぬ生き物」とかよく言うけど、あれマジでそう感じているから。
スプーンの上に卵のっけた状態で常時暮らしているぐらいの気の張り方してる。
それは、子育てするために女性ホルモンでそうなるんだよ。同じ特性を生かしておばちゃんたちは工場で検品とかしてるんだ。とにかく細かいことに気が付くし、細かいことを無視できない。そのせいで睡眠が浅かったりもするし。
父親はそんなことないんだよな。ほんまに四六時中子供のこと意識して見てるかと言うと全然そんなことはない。結構抜いてる。子供がいようが寝れる。
誰かに相談したり頼らないと精神がまいるようにできている。これは類人猿全般がそうらしいで。おばあちゃんとか群れの他の母親とか、経験者に頼りたくなる本能があるらしい。
だからもう都会の核家族でワンオペ育児しているとか、それだけで実は不健全な環境だ。昭和までは近所で助け合ったりもあったんだろうが、今はそれもないからな。とにかく他者が必要だ母親には。
お前はそんなことはなかったはず。物理でワンオペ家事が回りさえすれば、他に特になんの支障も感じなかったはずだ。メンタルが回復してたとかもそれだよね。
冷静に考えてみて欲しい、特にすべての親御さんへ強く訴えたい
あなたの育児経験の多い少ないを赤の他人が評価する、これは本当におぞましい行為では無いでしょうか?
あなたの育児経験は子供と接触した時間で計れるものなのですか?
子供と離れているとき、例えば子供のための衣服や食品を買いに出かけているとき、あなたは育児をしていないのですか?
子供が傍に居なくとも子供のことをふと考える、これは育児じゃないのですか?
あなたが職場でお金を稼ごうと働いているとき、育児とは一切合切の無関係なのでしょうか?
育児1年目の親はほとんど育児していないことになるんですか?
育児経験があると誰かが言った、それへ対してお前はほとんど育児に参加していないと誰かが返した。
このやり取りの先に一体なんの意味があるんですか?子供のため、親のためになるんでしょうか?
公用車を私用した、これは良いことではないでしょう。
しかしそこから育児の多い少ないという斜め上、赤の他人が踏み込んではならない領域の主張を展開するのはハラスメント以外なにものでもないと断言します。
ボクのママとパパは何でも出来てスゴイ!車の運転できるしゴハンも美味しい!なんでも出来るんだ!出来なきゃならない!親は完璧であるべきだ!完璧でない親は叩かれても仕方がない!親ならしっかりしろ!子供の面倒くらいちゃんと見ろ!子供を泣かせるな!静かにさせろ!公園で騒がせるな!育児経験が少ないくせに育児を語るな!
幼い子供が言うならわかるよ?親だって子供の前じゃ良い顔したいし何でもしてあげたい。でも育児経験の多い少ないとか言うほど大人としてやってるなら、育児経験の多い少ないで評価される親がどう思うかなんて察しが付くんじゃないですか?
バカバカしいでしょこんなの!
今すぐに育児経験の多い少ないで親を判断するのやめなさいよ!私たち親はあなたたちの完璧なママパパじゃないんだよ!幼い頃のあなたの目線はあなた達のママパパに向けなさいよ!できるかはともかく応えようとしてくれるはずだから!
自分は30歳の発達障害で、高校を辞めたり大学を辞めたりと色々あったが現在は一般企業で働いている。
妻は25歳の統合失調症で、精神2級の手帳持ち、アルバイトの短期離職を繰り返している。
今は障害年金を受給していて、就労訓練に通いながら障害者雇用を目指して就職活動している。
子供に関しては何度も話し合っていて、今の所はお互いどっちでもいいという感じ。
こんな親の元に生まれてくる子供のことを考えたら、産まない方がいいのかなとは思う。
一方で、子供を育てる人生と育てない人生、自分が老人になったときにどっちが後悔がないかなと考えると、育ててみたい気持ちも正直ある。
最近娘ができた。
ただ、子供ができないことを悩む妻を見て、治療を受けることを決断しただけである。
子供はどうでもいいが、妻の悩む姿は見たくなかっただけなのだ。
自分の父親は転勤が多く、仕事も忙しく、性格的にも多弁ではなかったので、社会人に上るまでほとんど喋ったことがない。
昭和の父親にはありがちな、子供のことは母親に全て任せるタイプだった。
20年以上の会話は、まとめてもどこぞの短編小説一編分にも満たないであろう。
社会人になった後に会話量は増えたが、残念ながら、そこまで変化はない。
沈黙も「...」で入れるならそこそこの長編小説の長さになるが。
そう言うわけで、子供との距離の感覚が掴めない親から生まれた自分が、
親と子のコミュニケーションが取れない、そんな家を作りたいとは思わなかった。
それなら妻と二人の方が幸せだと。
それもあってか「家族もの」と言われる親子関係を描いた小説、歌、映画にはほとんどはまれず、縁がなかった。
泣いている人を見て、「偽善者が」「注目を集めたいの?」とすぐに思ってしまう捻くれ者であった。
皮肉屋と言われるイギリス人でもびっくりなレベルの冷血漢である。
よく言われるのだが、感動のポイントはその人の人生経験によるのだ。
犬を飼っていなかった人に、ペットの死ぬ動画を見せても理解されない。
家族という物語がわかっていない人に、家族ものをみせても理解できないのだ。
そういうわけでやっとできた娘に関しても
「うるせぇなぁ」
「なんか猿みたい」
と思いながらも、そこは40年生きてきた社会スキルでなんどか表に出さず、世話をしていた。
なにより不妊で苦しんでいた妻が嬉しそうにしているのが本当に嬉しかった。
娘が7ヶ月になるころ、
娘は自分が歌うとご機嫌が良くなるので、自分一人の時はよく歌いながらあやしている。泣くと本当にめんどくさい。
ただ、童謡を歌っても自分が面白くないので、自分の趣味の曲をいくつか歌って、娘の好きな傾向を調べている。
最近で言うとKing-gnuは大好きなのだが、井口くんの技量が高すぎて自分には歌えない。
福山雅治は音域が狭いせいか、音痴の自分でも歌いやすく、好きな曲も多い。
気に入ってくれたら今後楽だなーと思い、歌詞を画面に表示させながら歌ってみた。
先ほども書いた通り、自分は家族もの嫌いなので、この歌をよく知らなかったのだ。
知らぬ間に少しずつ少しずつ、自分は家族という物語に共感できてきたのだ。
この年齢になっても自分が変化すると思ってなかった。
「いつも自分のことばかり精一杯で
親孝行なんて出来てないけど
それほど変われないとしても
一歩ずつ 与えられる人から
与える人へかわってゆけたなら」
少しだけ、親になれる気がしてきた。
独身時代は好きなときに好きなだけコードを書くことができた。仕事だけでなく、日々勉強し、技術者として常に高みを目指すことが自分にとって一番大事なことだ。
それができなくなった。家庭を持ってしまったからだ。生活スタイルが変わり、子供中心の生活になりコードを書く時間が思うように確保できなくなってしまったことに絶望している。
休日になると必ず配偶者が家族で何かをしようとするのが苦痛で仕方ない。家族の時間よりも自分の時間を優先したいし、エンジニアである以上、そうすることが当然だと思っている。このことで配偶者とよく衝突し喧嘩も増えた。
離婚するしかないのかもしれないが、実際子供のことは可愛いし配偶者に対して恨みがあるわけでもない。
ただ自分にとって、自己研鑽が人生最大のプライオリティであることを理解してほしい。このままだとエンジニアとしての人生が終わってしまう。
第一線で活躍する技術者である以上、家庭を持つべきではなかったのかもしれないと今では思っている。周りを見ていても、自分だけ貧乏くじを引いてしまった感がある。
正直、一人娘ということもあって子供のことをかなり甘やかして育てているなーという自覚がある
もちろん叱るときは叱るけど、当然手はあげないし声を荒げて怒鳴るのも良くないというので懇々と言い聞かせるようにしてるけどはっきり言って幼児相手に通用しているかというと全く通用してない
また、ぶっちゃけ「女の子だから」甘やかしている、手をあげないし怒鳴らないという部分は正直否定できない
多分というか確実に息子だったらもっと厳しく接していると思う
自分の観測上、周りも息子と娘で育て方、接し方、しつけ方が明確に違っている過程は結構多い(とくに父親)
ぶっちゃけ父親は娘に嫌われたくない、というかどうせ思春期には嫌われるんだからせめて小さい間くらいは好かれたいという下心もあるんだと思う。俺は正直ある。
というエントリで
じゃあもうお互い「戦争?受けて立ちますよ」でいいだろ/長野の件が騒がれてるのだって珍しいから。本当に社会全体で殴り合いを始めりゃ白黒付く/そんで十中八九施設側が勝つよ、結局お前らは社会的合意を得られない
っていうブコメを書いたんだが、なんかフワッとした言論で反対してくる奴がいたので当エントリに対する俺の考えを引用しつつまとめたいと思う。
話がややそれてしまったが、なぜ騒音問題に子どもがつくと大きなトラブルになるかというと、「子どものためにお前が我慢するべきだ」という強制が働くからだ。こういう考え方を「子どものことを考えろ主義」といい、詭弁の一種である。
子どもを抜きで考えた場合、騒音問題は「騒音に悩まされて可哀想に」という話から始まる。ここでは明らかに「騒音を我慢するべきだ!」というようなことは言えないだろう。しかしそこに子どもが入った途端、「子どものためだからね。めでたしめでたし」という概念で上書きされる。しかし、騒音問題自体はなくならない。「騒音問題の話はどこに消えた?」である。
この文の後に「子供のことを考えろ主義」がいかに詭弁であるかのよくわからん例が続くわけだが、あえて言わせてもらう。
同dBの騒音問題でも原因が子供となれば途端に寛容を押し付けられる事。
もちろんお前は納得しないだろう。
「子供はそういうもんだから」とか「子供に優しい社会を作るためだから」とか言われてもお前はきっと首を傾げたままだと思う。
結局大手を振ってお前に我慢を強いることができるのは「そういう論が社会的合意を得ているから」というだけ。
もしこれに納得が行かないならお前なりの理屈を引っ提げて堂々と殴り合えばいい。
そうすりゃ「子供のためにこのくらい我慢すべきだよね」ってラインが引き下がるかもしれん。
別にお前が例に示した通り、子供がいりゃ親の行動が何でも許される訳でも無いわけだしな。
来るならかかってこい。
実際の問題は、子どもの出す騒音について「なんら対策をしない」「対策をしようともしない」「それを指摘する側に問題があり『異常』だと周りに噂を流す」だったり、わざと嫌がらせをするだったりである。
文章の中盤では「自分は子供と戦っているのではない。子供は悪くない。大人が問題なのだ。」という論に移行するため上記のような例を挙げつつ、例の長野の件を交えながら論理展開を行っている。
行政や施設の対応に関してはどこまで行うのがヨシとされるか、それは各々に基準があり曖昧なモノだろう。
しかし騒音トラブルから派生して嫌がらせまで発生したら流石に擁護できない。
なんか中盤から「騒音トラブルが発生すると子供を盾にして親が無茶苦茶やりだす」ことが前提であるかのように論理が展開されている。
長野の件もそうだが「子供が密集する施設において発生せざるを得ない騒音」以外は社会的合意は取れておらず、現に100台近くの車が送迎しアイドリングしっぱなしだった件は擁護する声もほぼ無い。
「騒音問題から派生することがあるインシデント」として紹介したおかげでそれらしい論になっているが、
その実「配慮に欠けた行為(嫌がらせとか)はよくないよね」というだけで、何の意味も為していないパートだ。
そこは別に非難されるべき点として否定しようがなく、それっぽく文章を彩るミスリードにしかなっていない。
そして、実は「子どもの出す騒音」それ自体は、それほど大きな問題ではない。子どもの騒音は確かに問題であって長期間続けば耐えられなくなりノイローゼになりかねないという状態になり、たいへんきついものだ。ただし、事をより大きくするのはそれに対する適切な対応が全くなされないことにある。
話の組み立てとして引用する文が前後しているが、この部分も疑問がある。
それは「適切な対応とは何か」ということだ。
①でさんざん語ったが、こちらとしては理屈抜きで「いやなんか色々言ってるけど子供なんだから我慢しろよ」としか思っていないし、それで突っ切るだけだ。
まぁクレーマーとして黒い噂が立ち込むようなら②で言った通りやり返し過ぎだろうが、対応の無さにキレ散らかすようであれば同情するのも厳しい。
『子供の声がうるさくてうるさくてノイローゼになりそうなんです!』って社会にアピールするしかない。
そして残念ながら、今の社会に解決できるほどの余力はない。ただ「そんなところを選んだお前が悪い」のだ。
でももしそうなったとしたら、自分もあなたと同じように苦しんだことを覚えておいてほしい。身の周りの誰もがあなたを理解してくれなかったとしても、世界にはそういうことをわかってくれる人はたくさんいることを覚えておいてほしい。それだけで心の荒みはやや緩和されるだろう。
どうもコレが結論らしい。
まぁ書いた本人はセンチに浸っているんだろうから仕方ないが、この文章に同意した方々に聞きたい。
ちょっと冷静に考えてみて欲しい
もしお前が戸建ての家を建ててその横に幼稚園ができちゃったとしよう
そんな中ふとこのエントリを思い出す…
「あぁ…あの人も大変だったんだ…」そう思い、心の荒みが緩和………
まぁされたとしても一瞬でかき消されるだろ。騒音問題解決してねーんだから。
最終的には「こんなボクにも配慮して欲しいんだなぁ〜」って感じのボヤっとした主張で終わってるからだ。
ハッキリと権利を主張できない理由、それこそ「社会的な合意を得られない」と尻込みしているからだろ。
バカ!そうじゃないだろ!
「世界にそういう人はたくさんいる」んだろ!だったらそいつ等引き連れて社会に訴えろよ!
「『我々』と戦争することになる」じゃねぇよ!戦争しろよ!今から!!!
それでも負ける気は全くしねぇけどな!
来いよ!!!