はてなキーワード: 刑務所とは
その含有量とか対象の大きさとか受け取り方のひとつとして、書いている人の表現方法が読み手にどう伝わるかという事なんだとおもうけど
情報の発信者は一人で受け取り手も一人 話題が宇宙の規模になろうが公演だろうが1の発信者と1の受け取りの相互関係にはかわらない
その1に対しての表現で「すべての男性は」と男性に向かって話をすると「あなたも勿論含んでいてその範疇からはずれることはない」という言い含めがはいってるはず
いわゆるその察するとなると相手が「すべて」と自分に云ってきていることについて自分も指していてその内容に同意するか反論するかの立場しかないことを言い示している
「ほとんどの男は」といえば聞き手によっては自分はちがうとか自分もそうかもとか、自分はそうみられているのかという相手側の主張や思考も組み入れる余地がある
主語でかすぎっていうのはどのみち1対1の対話になる構図においてあなたもそうだと決めつけが拡大した定義について狭義になり限定的になっていくにつれ読み手を縛ることになる
それを読める所においておいて、あなたに向かって書いてはいないといわれてもその目につく場所とわかっていて書き放つことはもうその対象に見せる気があるということだろう
直接相手に限定的な内容を言い伝えてやろうと思っている意思があるといえる
えっちな本をゾーニングするかしないかと同じことで すべての男が犯罪者であると男性刑務所で声高らかに唱えてもそれは真であり正であろうけども犯罪者を収容していないところで言うべき事や大きさではないはず
「文在寅」が進める「歴史歪曲禁止法」 「日本が好き」「反日教育は嫌い」で刑務所へ
同法案には「新聞、雑誌、テレビ、その他の出版物または情報通信網を利用し、展示会、集会などで日本帝国主義の国権侵奪と植民統治を称賛、正当化、支持し、日本の戦争犯罪を否認または著しく縮小·軽視する行動を取り、また日本の植民統治を擁護する団体の活動を行うと、7年以下の懲役または5000万ウォン以下の罰金に処する」という一文がある。
これは例えば、「日本の植民地時代は、鉄道や西洋式建物ができるなど経済的な発展があった」と発言しただけで、刑事処罰を受ける可能性があるのだ。
30年間日本で暮らし、韓国人と結婚して韓国国籍を取得した日本人が、日本の戦争を擁護する発言をしたら懲役や罰金刑に処されることになる。国外で生まれ育った韓国人も同様だ。
「食べ物ください」コロナで解雇、路上生活の末…恐喝未遂の女に刑猶予|【西日本新聞ニュース】
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nishinippon.co.jp/item/n/656595/
この記事についたブコメに「相談や生活保護は恥なのに物乞いは恥じゃないのか?」という疑問の声が複数みられるので解説する。自分にはこの被告の気持ちがよくわかるから。
物乞いは助けを求めた相手から『許可をもらって、正当に』金や食物を得ることだから恥ずかしくない。
しかし社会保障に頼る事は『税金を納めている国民から許可を得ていないのに、働ける体があるのに働かず、金を不正に搾取している』という感情が湧くから恥ずかしいのだ。
長い不況を底辺の負け組として這いずって生き、上級国民と社畜のあいだで飛び交う自己責任論を内面化した人間には珍しくもない思考回路だ。
もちろん道義的に見てそれは誤りであるが、世間の目や空気というのはそういうものだ。
働ける体があるのに働かないで金を得るのは恥である。「不正受給」だから受け取る資格はない。
そういう人間がそれでも自殺をせずに生きていきたいならどうするか。衣食住をただで受け取る資格を得るにはどうするか。
犯罪者になって刑務所へ行けばいいのである。「罪人を更生させるという名目で、犯罪をした国民ならば誰でも平等に養ってくれる施設」で。
自分は件の記事の1ページ目で、この被告が執行猶予になったと読んで「かわいそうに」と思った。実刑にしてもらえれば生きられたのにと。
しかしどうやら現在は「一時的に宿泊場所や食事が提供される法務省の『更生緊急保護』制度」というものがあり、そこで被告が支援を受けられていると知ってほっとした。
(まあでもこれ、軽くググってみたら困窮した被告や受刑者が対象みたいで「結局救いは犯罪かよ!」と肩を落とすしかなかったのだが……)
とりあえず、低級国民とはいえこの被告と比べたら天国のような暮らしをしているクソザコ底辺労働者の自分としては祈るしかない。
命を守ってくれ、新型コロナにかかって死ぬ人間だけじゃなく、新型コロナのせいで職や金を失って詰みつつある人の命も守ってくれと。
これね、俺は介護をするようになって20年(20代から介護している)やってるんだけど、気持ちはわかる。
うちの家族は介護をする前からDVは酷いし、警察沙汰になることも多かった。離婚してくれればなんぼ良いことかと思ったこともあったんだけど、
当時は片親になるだけで変な噂が立つ(実際は親が昔住んでいた所がそういう噂がすぐ広まる所だっただけ)からって別れなかった。
そんな親がある時介護を必要とする状況になってしまって、DVで苦しんでいたのに今度は介護なのかと絶望したもんだけど、
とりあえず今も続けている。
その親がね、介護前も迷惑なのに介護後も自分勝手で迷惑な存在で他人へ怒鳴る、自分の思い通りにならないと物を投げる、挙げ句に頭に血が上りすぎて救急車沙汰になるという最悪な状況になってしまって、
だけど、人は犯罪を犯したらそれまでなんだよね。そりゃ刑務所に入れば介護からは救われるかもしれないけど、外に比べたら自由がない。
介護をしていても、外に出る機会があればまだ自由があるわけで。
だから、嫌で仕方なかったけど今までもこれからも死ぬまで続けるしかないんだけどね。
まぁ、それは置いておいて。
介護に疲れた人が事件を起こすと必ず出てくるんだけど『介護施設に入れるという選択肢はなかったのか』ってやつ。
短絡的な思考で。
介護施設に入れても戻ってくるの知ってる?問題があるような介護必要者は戻ってくるんだよ。追い出されてね。
やってないと思っている方がおかしいだろって逆にツッコミをしたくなるわ。
現代なんかホントね、福祉の関係で介護施設に入居させるのはスタンダードなんだよ。やらんわけないでしょ。
それをやっても『うちでは面倒みきれません』って戻ってくるんだよ。
金を払おうが、そりゃ戻ってくるよ。拒否権は向こうにだってあるんだから。
金払うんだからやれって強制は出来ない事わかってないんだよな。
色んな所に入居させても、結局駄目なんだよ。
ワガママや問題を起こす人は要らないの。軽いワガママなら「くそじじい・くそばばあ」で済むけど、かなりのワガママだったり問題は介護する側もメンタルがいかれるんだよ。
まして、少ない賃金で介護してるのにメンタルまで搾取されたら、そりゃ介護側だって拒否するよ。当たり前。
施設に入れるという選択肢を選んでないと思っているような他人事で無責任な発言をする奴は黙っていたほうが良いと思うよ。
やってない人なんてのはいないんだよ。介護が必要になったら福祉から言ってくるもの。相談だって自発で出来るし。
ホント、何がムカつくかって
これなんだよな
私ははんこ屋を経営していた。
しかし、世間がはんこ撲滅を訴えはじめると、すべてが変わってしまった。
店の経営は傾き、愛想を尽かした妻は家を出て、愛人と暮らし始めた。
いまは亡き父の言葉を思い出す。
はんこが無くなったら、自分はほんとうに自分なのだと、他人に示すことができないんだよ。
思えば30年前、市役所で提出した婚姻届には、私と妻のはんこが押されていた。
父が作ってくれた特製のはんこである。
名前の横で赤く輝くはんこの文字は、私たちの未来を祝福するかに見えた。
いま私が手に持っている離婚届には、はんこが無い。
「問題ありません」
私は納得できなかった。
「でも、この離婚届にははんこが無いでしょう」
役人は困った顔をする。
「はんこの欄はとうの昔に廃止されましたよ。あなたもご存知でしょう」
「はんこが無いのに、この離婚届を提出したのが私本人だと、どうやって分かるというのです」
「いま身分証を見せてくださったじゃないですか。それで十分です」
「いや、いまここで見せたって、あなたが見ただけだ。本人だったのか、あとから確認できないでしょう」
「じゃあ、はんこがあれば十分だというのですか。あなたの名前のはんこなんて、どこでも買えるものなのに」
私の声が荒くなる。
「違う。大量生産のはんこだって、必ず微妙な個体差がある。だからこそ、本人だと証明できるのだ」
役人はもはや呆れ顔だ。
「そうかな。そのはんこさえ手に入れば、だれだって押せてしまうでしょう。もちろん、身分証だって手に入れば他人だろうと使える。
いまこの役所では、身分証さえあれば、それであなた本人だとみなすことに決まっているんです。それで十分でしょう」
「この男に見覚えはありますか」
「なぜですか」
私は反論する。
「はんこぐらいで犯人にされちゃ困りますよ。真犯人が私の名前のはんこを買って、置いていったのかもしれないでしょう」
「いや、はんこには必ず微妙な個体差があるんだ。これは紛れもなくあんたのはんこだよ」
警察官の言うとおり、テーブルの上に置かれたはんこは、間違いなく私のはんこだった。
それも、妻との婚姻届に使った、あのはんこだった。
そのはんこには、あの愛人のものだろう、赤黒い血がべったりとついている。
妻が犯人で、私を陥れるためにはんこを置いていったのだろうか。
なぜそんなことをしたのか?
私はあの間男を憎らしいと思っていた。
それに、市役所に行くまでのあいだ、私の意識はぼんやりとしていた。
無意識のうちに間男の家に行き、あいつを殺してしまったのではないか?
もちろん私にはなんの覚えもないが、はんこは私の存在を証言している。
薄暗い取調室のなかで、はんこの存在ははっきりと私の実在を証明していた。
はんこの欠けた離婚届よりはるかに、その証明には説得力があった。
私がいま刑務所にいるということを通じて、はんこは自らのもつ決定的な力を誇示していると思えた。
その力に思いを馳せるとき、私自身の存在もまたたしかだと思える気がした。
はんこ屋は倒産した。
妻はすぐ別の男と再婚したらしい。