2020-10-09

はんこ屋の離婚届

私ははんこ屋を経営していた。

から引き継いだ小さな店だが、仕事には誇りを持っていた。

しかし、世間がはんこ撲滅を訴えはじめると、すべてが変わってしまった。

店の経営は傾き、愛想を尽かした妻は家を出て、愛人暮らし始めた。

いまは亡き父の言葉を思い出す。

「なぜ、はんこが必要なのかわかるかい

はんこは自分自分であることを証明するものだ。

はんこが無くなったら、自分はほんとうに自分なのだと、他人に示すことができないんだよ。

から、はんこは世の中から絶対に無くならないんだ」

思えば30年前、市役所で提出した婚姻届には、私と妻のはんこが押されていた。

父が作ってくれた特製のはんこである

名前の横で赤く輝くはんこの文字は、私たち未来を祝福するかに見えた。

私という存在証明は、まさにこのはんこにあったのである

いま私が手に持っている離婚届には、はんこが無い。

はんこの欄は、もう10年も前に廃止されてしまった。

市役所に行き、離婚届を提出する。

役人ざっと目を通し言った。

問題ありません」

私は納得できなかった。

「でも、この離婚届にははんこが無いでしょう」

役人は困った顔をする。

「はんこの欄はとうの昔に廃止されましたよ。あなたもご存知でしょう」

「はんこが無いのに、この離婚届を提出したのが私本人だと、どうやって分かるというのです」

「いま身分証を見せてくださったじゃないですか。それで十分です」

「いや、いまここで見せたって、あなたが見ただけだ。本人だったのか、あとから確認できないでしょう」

「じゃあ、はんこがあれば十分だというのですか。あなた名前のはんこなんて、どこでも買えるものなのに」

私の声が荒くなる。

「違う。大量生産のはんこだって、必ず微妙個体差がある。だからこそ、本人だと証明できるのだ」

役人はもはや呆れ顔だ。

「そうかな。そのはんこさえ手に入れば、だれだって押せてしまうでしょう。もちろん、身分証だって手に入れば他人だろうと使える。

でもね、完全じゃないのはどんな方法だって同じですよ。

いまこの役所では、身分証さえあれば、それであなた本人だとみなすことに決まっているんです。それで十分でしょう」

市役所を出ると、警察官に呼び止められた。

「この男に見覚えはありますか」

写真は妻の愛人だった。

「今朝、遺体発見されました。お話をうかがいたいのですが」

「なぜですか」

殺害現場には、あなたのはんこが落ちていたのですよ」

取調室に入ると、もう警察官は私が犯人だと決めつけていた。

私は反論する。

「はんこぐらいで犯人にされちゃ困りますよ。真犯人が私の名前のはんこを買って、置いていったのかもしれないでしょう」

警察官は表情ひとつ変えずに答える。

「いや、はんこには必ず微妙個体差があるんだ。これは紛れもなくあんたのはんこだよ」

警察官の言うとおり、テーブルの上に置かれたはんこは、間違いなく私のはんこだった。

それも、妻との婚姻届に使った、あのはんこだった。

そのはんこには、あの愛人のものだろう、赤黒い血がべったりとついている。

なぜこれが犯行現場にあったのだろう。

妻が犯人で、私を陥れるためにはんこを置いていったのだろうか。

なぜそんなことをしたのか?

しかし、私のなかには別の考えが浮かんできた。

はんこが証明するとおり、犯人は私なのではないだろうか?

私はあの間男を憎らしいと思っていた。

殺してやりたいと計画したことも一度ではない。

それに、市役所に行くまでのあいだ、私の意識ぼんやりとしていた。

無意識のうちに間男の家に行き、あいつを殺してしまったのではないか

もちろん私にはなんの覚えもないが、はんこは私の存在証言している。

私のあいまいな記憶よりも、はんこには真実味があると思えた。

私は犯行を自ら認め、やがて有罪となった。

刑務所でいつも夢想するのは、あの血のついたはんこのことだ。

薄暗い取調室のなかで、はんこの存在ははっきりと私の実在証明していた。

はんこの欠けた離婚届よりはるかに、その証明には説得力があった。

私がいま刑務所にいるということを通じて、はんこは自らのもつ決定的な力を誇示していると思えた。

その力に思いを馳せるとき私自身の存在もまたたしかだと思える気がした。

はんこ屋は倒産した。

妻はすぐ別の男と再婚したらしい。

でも、もうそなのはどうでもいいことだ。

  • ちげーよ その600円が買えないんだよ さっしてやれよ ふつうこんなもん めんどくせぇから買うよ

    • そもそも、サインといったって、ゲルインクの時代に何を言ってるんだ?というのが半分 何故はんこなのか?というのをIT業界のプログラマーの俺がいってどうすんだ   その上で俺はは...

  • ごめんなさい はんこがゲシュタルト崩壊して全部ちんこに見えてしまいました

  • うんこ

  • いま私が手に持っている離婚届には、はんこが無い。 ここで今離婚届を持ってるのに、後半で 私は犯行を自ら認め、やがて有罪となった。 このスピード感なんなの?逆転裁判かよ

  • すごい!読ませるねぇ。 …でもこの投稿は自演かもしれない。はんこがないから証明できない。

  • つまんね ご都合主義やん そもそもはんこ屋がはんこを個体差を元に本人確認になる完全なものみたいなことを主張してる時点で、なんかもう物語にありがちな「主人公がバカ」なやつで...

  • そもそもハンコだって身分証明書だって、限りなく本人らしいってだけだからな

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