はてなキーワード: フィルターとは
その知らせを受けて、多くのFacebookユーザーのプロフィール画像が国内外を問わず、
虹色にフィルター加工された。そういう画像加工の機能が公式に提供されたから、よく広まった。
と冷ややかに見ていた。
そりゃ確かにどんなセクシャリティを持った人も同等に、結婚という法の恩恵に
あずかれることは良いことだと思う。まったく反対しない。
支持か不支持かと言われたら支持するよ。
つまり、声高に支持するほどのことでもないんじゃなかろうか。
人狼ゲームの詳しいルールは割愛するが、プレイヤーには役職が与えられる。
どちらかが人狼(悪役)に食い殺されるか、
村人(悪役じゃない方)の合議で処刑されて死んでしまった場合、
どうしても相方をカミングアウトしなくてはいけない状況になった。
ぼくはふざけておどけて、男性の名を呼んで言った。
「あのう、実はおれ、◯◯と付き合ってんだ」
場はどっと沸いた、よく沸いた。
笑顔の中には、Facebookプロフィールを虹色に染めている奴の顔もあった。
「同性愛を嗤っていい、しかも面白い」という、このパラダイム、
狭い観測範囲だが、確信がある。きっとこのパラダイムは広い地域と世代に共有されているだろうと。
そしてそれはほとんど何も変わっていないし、
たぶんまだ変わらないなと思った。
ここまで読んでくれてお分かりの通り、
むしろぼくはこれからも同性愛を嗤うし、嗤うので、きっと同性愛者にとって
これ見よがしに虹色に加工したその顔で、平気で同性愛を嗤うそのツラの皮の厚さ。
あたかも性愛による差別から解放されたような風潮のなか、たしかに変わった法律と、
そしてそれを悲しく思っている当の自分が、同性愛を揶揄している事実。
いや、人は本当、業が深い。
読んでくれてありがとう。
「カットだけでよろしいですか?」
などと聞かれ動揺してしまったのを覚えている。
というか他にどんなコースがあるのか未だに知らない。
続けて
「ご指名はございますか?」
なんて答えてしまったほどだ。嘘だ。
そんなシステムに馴染みの無い俺にはそれほど未知の世界だった。
散髪中の美容師さんとの会話もどうにも好きになれない。
全然知らない人とお喋りをするのは平気だが、床屋での会話はどうもやりづらい。
「そんな事より散髪に集中してくれよ。」
わざわざ視線を合わさないで良い会話もあるのだが、それは気心の知れた仲の良い相手限定であって、
数回しか会ったことの無い君(美容師)との会話はそういうもんじゃないだろう!と思ってしまう。
散髪の間中どこか機械的な冷たさを俺に与え続ける。
親しげに話しかけるフリをしているがお前、別に俺に興味なんて無いだろう^^?
なんて言ってやったらどうなるだろうとか考えてしまう。イヤな性格である。
このように美容院のシステムに拘束感を覚えてしまうのも、俺の美容院嫌いの一因だと思うのだが、
散髪そのものにイヤな思い出が多すぎるのだ。
上記の通り美容院に行き始めたのは高校1年からなのだが、それまではどこで切っていたかというと、
俺はそこで髪を切っていた。
店内は奥に広くイスは15脚ほど並んでいるが、元プラージュ常連の俺のメモリーによれば、
満席どころか5つ埋まっているところも見たことがない。
そんな床屋がなぜ10年以上も営業を続けていられるのかは謎であるが、俺はそこで切っていたのである。
中3まで。
「パパっと切ってもらうか。」
安さも魅力であるがなんといっても15分足らずで終わる手軽さが良い。
店に入るとやはり客は俺一人。
普段無愛想な中年の店員が何故かあの日は元気に「らっしゃい!」と言っていた。
良い事でもあったのだろうか。
俺には関係ない話だ。
やはり元気よく「どうしますか!」と聞いてくる店員。
要望を伝えたところで、今までその通りにしてくれた事など無い事を俺は知っている。
「前髪はギザギザで…」
と伝えても終わってみれば必ず前髪は綺麗に揃っていたし、
「全体を2センチくらいずつ切ってください。」
産毛を剃るために出したのだと思っていたバリカンで急に後頭部を刈りだした時にはさすがに
「ちょっ…!」
とは言いかけたものの時すでに遅し。順調に刈り上げは進んでおり、いよいよ河童っぽくなっている鏡の中のアイツ、もとい俺。俺がアイツで、アイツが俺で。
線の細さも相まってさぞ河童に見えた事であろう。
河童という結果は「全体を2センチくらいずつ切ってください。」という要望によるものだ。
どういうフィルターを経て「全体を2cm」→「河童」になるのか。
そんな店員に要望を伝えたところで何も叶わないのは分かっているので、
「この後用事あるんで、どの場所も3センチ以上は切らないでください。」
と短く伝えた後は、15分間ヤツの手元を見張る作業に費やすことにした。
15分間後には見張りの成果か、まぁ見れない事は無い髪型が鏡の向こうにあった。
じゃあ髪の毛流しますね~って事でやたら熱いシャワーを頭に浴びせられる。
ドライヤーで乾かしている間に、見張りの反動か、少し眠くなり、うつらうつらしてくる。
不安もあったが、既に髪の毛は切り終えたわけだし大丈夫だろうと、眠ってしまった。
目が覚め、正面の鏡を見やると、ポマードでガチガチに固められた七三分けの少年が座っていた。
これは…?誰…?…俺?
動揺している俺に店員は上機嫌に言う。
『このあと用事あるんやろ?男の子やったらオシャレしていかなアカン!』
会計時に不要なビニール袋を貰う。なぜ俺は千円も払って七三分けに…。寝ていた俺には分からない。
店を出た瞬間にビニール袋を頭に被り、半泣きになりながら自転車を立ちこぎで家までかっ飛ばす。
「おちない……おちない……。
この髪についたポマードがいくら洗ってもおちないよ……。」
俺の散髪嫌い。
かような次第である。
元増田にマジレスすると、まずは基準を明確にすること。次にデータを取ること。
http://anond.hatelabo.jp/20150621014058で他の増田も言っているように、「成果を出す」とか曖昧なことを言っているから何を見るべきか自分でも分からないということになる。
営業職として売り上げをあげて欲しいのか、それとも彼らの管理職としてチーム全体の成果を底上げして欲しいのか、研究職として特許を取って欲しいのか、何か目新しい商品を作り出して欲しいのか、それは現在どの程度の数値目標を期待する職なのか。「チームメンバーとうまくやっていける」というのはどういうことなのか。上司の覚えがめでたければ良いのか、それとも360度でスコアを付けさせて一定以上であることを期待するのか。この辺は現場を知らない人間が考えても無駄なのできちんとヒアリングすること。
それが決まると次はデータを取ることができる。現役社員はどれだけの成果を上げていて、それと関連が深いのは学歴か、現役社員との人間関係のhop数なのか、人格類型なのか。
すると何を重視すべきか分かる。「人生で頑張ってきた経験のない人間が、会社に入ってから目覚めたように頑張るとは思えない」というのはありそうな仮説だけど、自信をもって主張できないのは基準がないからデータを取れないし、データがないから仮説を立証できないというところに尽きる。
ちなみにGoogleはこういうことをやってきた結果として学歴は成果と関係ないという結論を出したという。面倒であればその結果に従って学歴フィルターを撤廃するのも一案だろう。ただし、そんなもんは社風や状況次第で変わり得るので自分らで考えるのが望ましい。東証一部ならデータを取って意味のある結果が出る程度には従業員数はあるはずだ。
企業の採用基準でブコメが荒れてるが、そもそも「学歴フィルター」という言葉のイメージが人によって違ってそう。
「容赦ない機械的な足きり」なのか「採用基準のうちの一番重要な項目」なのか話が大きく変わってくる。
おそらく「フィルタを公開しろ」と言っている人や学歴採用を批判している人は、前者の機械的な足きりのイメージではないかなと思う。
※個人的には元増田が書いているように「学歴」と「何かしらの結果(スポーツとか他の資格とか外国語喋れるとか)」の複合だと思うので、公開は難しいとは思う。
例えばただの駒澤大学生なら落とすが、トリリンガルの駒澤大学生なら受かるかもしれないし、バイリンガルの駒澤大学生なら面接で判断しよう、となるかもしれない。
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新卒一括採用を批判してるブコメも見られるが、今回の話に関しては主題がそれるので藁人形論法的に感じる。
「学歴が採用の基準のうちの一番重要な項目のひとつ」である事に対しては、代案も一切出てなく、批判する人はさすがにいないと思うんだけど、どうなんでしょう。
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ちゃんとした理由をもって「スポーツで成果残した人は評価する」「(中途採用などでは)成果上げてきた人を評価する」と元増田も認めてるじゃんwそういう風に他の評価ポイントも模索してるだろ明らかに。ただ、学歴フィルターに勝る評価法が見つけられていないだけで。
高卒以上とか大卒以上とか大卒(理系学部に限る)以上とかあるじゃん。あれも学歴フィルターだと思うんだけど、あれに文句いうやつっていないよな
学歴フィルターに対して怒っているのは「嘘をつくな」「看板に偽りありはやめろ」という最低限の常識であり
「学歴でなく人物を見て公平・平等に選んで!」なんていうキラキラした夢想ではないだろ何言ってんだ
こっちが言ってもいない事に反論してそれで論破したつもりになってもなあ
東証1部上場企業で採用担当のメンバーの一人として働いております。愚痴を書き込ませていただきます。
最近、学歴フィルターなくせだの、人間性を見ろだ、うちの子には可能性があるの!など様々なお問い合わせをいただきます。
勘弁してください、本当に。
・チームメンバーとうまくやっていけるコミュニケーションスキル
・成果を出してくれそうな有能な人材
最低限のコミュニケーションスキルに関しては、新卒の方の場合、面接をするとすぐにわかります。ただし、深いコミュニケーション力に関してはあんな数分の面接じゃわかりません。経歴を偽っているケースや大きく見せているケースも多いので。
その結果、やはり判断は学歴に行き着きます。なぜ学歴を見るのかというと、それまでの人生で頑張ってきたひとつの証だからです。また、スポーツなどで優勝などの実績も頑張ってきたひとつの証として尊重いたします。これまでの人生で頑張ってきた経験のない人間が、会社に入ってから目覚めたように頑張るとは思えないのです。
特に受験は点数を取るのに特化した人が上位に行けるなどいろいろ言われています。しかし、それは要領の問題であって、努力さえすればある程度の学力はしっかりと身につきます。一般に難関といわれる大学も入学が可能です。(東大理三などの最上層は私にはわかりません)努力で解決できる部分である学力。それすら怠った人をどうして採用しなければならないのでしょうか。
そして厄介なことに、低学歴(言い方は悪いですが)、大学での成績も良くない、スポーツも大してやってきていない、そういう方に限ってクレームが来たりします。彼らはこちらの話を理解しようとしないだけでなく、悪いのは自分ではなく世間だと正当化までしてきます。できれば相手にしたくありません。
学歴フィルターが悪いだとかいろいろ言われていますが、採用において学歴以外の何を見てあなたを判断したらよいのでしょうか?何を見てあなたが我が社に貢献してくれると判断したらいいのでしょうか?何も結果を出したことのない方に可能性を感じて投資するほど、我々は余裕ではありません。そんなお金があったらお客様に少しでも満足していただくために会社のお金を使いたいというのが経理などの意見ではないかと思います。
以上、愚痴でした。
増田の皆様はどうお思いですか?
俺は写真スタジオで働いていた事があるのだが「料理を撮るときは半逆光で撮れ!」と徹底されてきた。
立体感が出るからとか、実際に食事するときの雰囲気に近い見た目にできるからとか
色々理由はあるのだが、つまるところ「半逆光で撮ってる作例が多いから半逆光で撮れ」というのが一番の理由。
クックパッドとかInstagram見ると順光でもおいしそうに撮れてる写真をよく見る。
「料理が綺麗に撮れるアプリ」とかでもめちゃくちゃトバしまくって露出上げて、
少し湯気みたいなフィルターかけるだけってものが多いけど、それで確かにおいしそうに写る。
雑誌を見ていると最近はプロの作例でも半逆光にはあまりこだわらなくなってきているようだ。
料理以外の分野、例えばファッションポートレートは「服を綺麗に撮る」から
「その服を着ているというライフスタイルを撮る」みたいな、
要するにその服のデザインや色、下手したらモデルすらまともに写ってないような写真が許容されるようになってきた。
でもそういう写真の方がかっこよかったりする。
でも今はHABUが何十冊も空だけを撮った写真集を出してるし
岩合光昭が猫写真の代名詞みたいになってる。岩合光昭がだぞ!?