はてなキーワード: コロッケとは
昨日母親と一緒に晩ごはんを食べながらテレビを見ていたら気づいたことがある。昨日のことを思い出しながらつらつらと書いていこうと思うが、その前に前提として俺の個人的な情報を伝えておくと、俺は年齢が30代で実家暮らしの男、家には年金で暮らしている(本人の口から直接聞いたわけではないが、おそらくそうだという確信が俺の中である)母親とあと犬(だいぶ年老いている)という家族構成だ。家の正確な場所は、インターネットに書き込むと危ない(それぐらいは俺でも分かっている)ので、正確な場所は教えないが、だいたい関東地方だと書いておく。ひとつ前の文章から分かる通り、俺はあまり頭が良くないし、そのこともしっかりと自覚しているつもりだ。これは幼少期に親戚の女性(顔などは正確に思い出せないが、おそらく40代半ばくらい)にも言われたことなので、(ちなみにその親戚の助成はおそらく俺の親戚の中でも頭が良いほうだと思う。なぜなら、俺の一家(父と母(父は10年ほど前に死んだ)は俺から見てもあまり世間的に頭の良くない人たちなのだが、その女性が俺の父親や母親と会話する様子を見ても、頭の良さが見て取れたからである)俺の中では個人的に印象深い言葉となっており、俺が自分という人間が頭が良くないということをしっかりと自覚出来た体験であるためだ。頭が良いか悪いかという問題は俺の人生での大きなテーマとなっていて、幼少期(親戚の頭の良い女性から自分たちの一家が頭が悪いと自覚させられた日)から現在(つまり今この文章を書いている俺)まで、その「頭の良さ」「頭の悪さ」をどうやって計測するかが、俺の中で大きなテーマとなっていた(このことを考えるためには大学に行くのがいいと思ったのだが、俺は学校の勉強があまり得意ではなかったし(それは俺が頭があまり良くないためであるが)、それに俺の一家はあまり大学というものをよく知らなかったため、結局大学に行くことが出来なかったのである。)俺は小学校や中学校で頭があまり良くないせいでイジメに近いことをされていたが(高校であまりなかったのは、多分俺と似たあまり頭の良くない人たちばかりがいたところだったからだろう。俺はその高校では普通か少し頭の良い場所にいれたと自分でも分かった。)
色々と話が長くなってしまったが、昨テレビを見ていて日気づいたことを書こうと思う。昨日、八時ごろに母親と母親が買ってきたコロッケなどを食べながらテレビを見ていた。(テレビの内容はあまりよく見ていなかったので覚えてないが、それは俺にとってはいつものことだ。俺はあまり集中力がないから、そのせいで子供の頃から現在まで何度も怒られた、だから気づいたこととテレビには関係がないと思う)テレビを眺めながら、俺はいつもの様に何か考えていた。すると気づいたことなのだが、それは「頭が良い」「頭が悪い」ということをどうすれば知れるかということだ。これまで学校や家や仕事場で色々な人を見たり、色々な人に聞いてみたりしてきたけど、「頭が良い」「頭が悪い」ということがよく分からなかった。俺は自分があまり頭が良くないと自覚することが出来たし、俺の母親に聞いてみても母親もあまり頭が良くないと言っていた。(俺の母親を見ていても俺の母親は頭があまり良くないのだろうと子供の俺から見ても母親があまり頭が良くないことが分かった。それに母親は親戚に頭が良い人があまりいないということも言っていた)俺が色々な人に頭が良いか悪いかを聞いてみると、あまりみんなそういうことを考えていないようだったのか、一言二言で返事がかえってくる。(これは俺があまり仲良くなれないことが問題でもあるのだろう)そこで思ったことは「頭が良い」「頭が悪い」はその人が自覚しなければ「頭が良い」「頭が悪い」という状況にならないと思った。俺は「頭が悪い」と自覚しているから「頭が悪い」が、母親は「頭が悪い」とあまり自覚がない。「頭が良い」「頭が悪い」というものがわからないのなら、「頭が良い」「頭が悪い」とはならないのだろう。「頭が良い」と気づいていた親戚の女性も「頭が悪い」と教えられた俺も、その「頭が良い」「頭が悪い」の状況を自覚したのが問題なんじゃないかということを昨日テレビを見ていて気づいた。
深夜24時まで営業しているこのスーパーはいくつもの顔を持つ。開店時には早朝に目覚め暇を持て余した老人たちが大挙して押し寄せ、その後に特売品目当ての主婦たちが続く。夕方のタイムセールが終わるまでは新鮮な商品も豊富で活気がありまるで概念上の市場のようだ。
22時を過ぎたころには野菜置き場もガラガラになり、大根はしなびた物が2~3本、ネギは跡形もなくなっている。
閉店時間まで1時間を切っても寿司に張られたシールは2割引きのまま。半額になるのは油の酸化した天ぷらとコロッケぐらいなものだ。
とりとめもなく食品を眺める。
この時間から料理すると食べるのが遅くなっちゃうな。白菜と豚肉を煮たかったけれど白菜は売り切れているし豚肉は100グラム230円もするどこだかのブランド豚しかない。これならそこらで食べて帰ってもいいのでは?とは言え牛丼の気分でもないしラーメンは太っちゃいそうだ。やはり何か適当に作るか。いや、作ると遅くなってしまい寝る直前に食べるのは良くない…
なんて思考のループから抜けられないまま豆腐の前に立ち止まる。
豆腐をタンパク質の塊なんて言う人がいるけれど実際のところ豆腐のほとんどは水分だ。
単位重量あたりのタンパク質は豚肉の半分弱、サバなどの3分の1程度しかない。話題の豆腐レシピはいかに豆腐の水分を抜くとうまいか、そんなことばかりに腐心しているように見える。
そんなに水分を抜きたいなら、水切り済み豆腐を売ればいい。体積も重量も小さくなり輸送コストも削れるしおそらくは日持ちも多少マシになるのではないか。クックパッドあたりとコラボすれば意外にそこそこ売れるかもしれない。
昔のようにプラスチックパックの中で水に浮いてはいないけどそれでも豆腐はほとんど水でできている。
シンプルにおかかとしょうゆで冷奴か、キムチと納豆でも乗せてしまうか、家に残った野菜と共に湯豆腐もいいかもしれない。
○朝食:なし
○昼食:おにぎり三つ
○調子
明日までに終わらせないといけない仕事の50%ぐらいを終わらせた。
順調、順調。
○iPhone壊れる
相変わらず充電しても復帰せず。
土曜日にあたらしのを買いにいこう。
○心ちゃん
というわけでシノハユ五巻とビッグガンガン12月号を買ってきた。
五巻は心ちゃんが大活躍する全小編が全部入っていた。
都合三回の心ちゃんの対局が描かれ、そのどれも魅力的だった。
にわちょことの対局でポンの後の手牌の位置によるブラフ
そしてなにより決勝での山越。
もーーーー! 最高!!!!!
何度読んでも何度読んでもたまらない。
心ちゃん格好よすぎ!!!
さすが全小チャンピオン! 強い! 格好いい!
そしてビッグガンガン12月号でも心ちゃんが登場!(一コマだけ)
ななななんと、つらよごしこと若菜さんと仲良くなっている模様、
しかも遥さんと一緒にいるってことは、家族ぐるみでおつきあい!?
来年の全小での活躍、そして再来年以降のインターミドルでの活躍、どれも楽しみです!
シノたちが中一の年は出番が減りそうで悲しいけど、全小で詠さんや赤土さんに負けずに二連覇を成し遂げてほしいものです。
それにしても、心ちゃんだけじゃなくて、にわちょこも改めてみるといいですね。
うちの母親は、真の意味で「子育てが趣味」という人間だ。徹頭徹尾子供のことのみを考えて生きていて、非実用的な私物は一切買わず娯楽の類にも興味がない。最近少しパソコンを始めたようだが、それも「PTAの書記になったから」というだけの理由だった。さすがに友人は少数いて月に一度くらい食事に出かけている。それがほぼ唯一の散財だ。専業主婦になる前一年ほど就いていた仕事も小学校の家庭科教師というのだから、筋金入りとしか言いようがない。二十四で初めての子供を産み(僕のことだ)、その後さらに追加で三人を産んだ。最後に生まれた娘が重度の知能障害だったのでより深く面倒を見なければならず、五人目は断念したようだが、後々になって「欲しくなかったの?」と訊いたら即答で「欲しかったよ」と言われて少々唖然とした。
それなりに広い二階建ての家を毎日隅々まで掃除し、大量の衣服を洗濯してアイロンがけし、夕飯も惣菜で済まさずに手作りする。これは明確に仕事の一環として行っていて、特に料理は全く好きでないらしい。前日の肉じゃがを再利用してコロッケを作るような工夫を見せながら(抜群に美味い)、自分は白米と沢庵で済ませていたりする。自分のことに関心がなく、そして外の世界にもほぼ関心がない。生粋の箱入り娘として育てられていて、男性経験も父以外には一人もない。よく昼ドラで描かれるような「専業主婦」とは対極に位置する存在だと思われる。
そんな彼女の一番の教育方針は「兄弟間で差を付けない」というものだ。僕は長男であり次男は三歳下、三男は四歳下なのだが「面倒を見ろ」と言われた記憶はない。「お兄ちゃんなんだから」と何かを我慢させられたこともない。小遣いは学年に応じて決められていて、同じ学年になれば同じ額が支払われた。僕が小四になって希望して塾に行ったので、弟達が四年生になった時も同じように(希望を訊いた上で)塾通いを許可した。子供が増えるほど家計は切迫していたに違いなく、これは想像以上にきつかったはずだ。
そしてこの方針を徹底している最も象徴的なことが、僕の呼び名だ。僕は家族全員から下の名前で呼ばれている。弟からも妹からも呼び捨てだ。「兄さん」などと呼ばれるのは想像しただけで寒気がする。これは間違いなく親が「兄」という呼び名を使わなかったことが理由で、つまるところ僕は家族の中で「兄」として扱われたことが一度もないのだ。だからよく、他人に「長男だ」と言うと「そうは見えない」と驚かれる。
この育て方の結果として、うちは兄弟仲が異常に良い。あたりまえのように一緒に食事やカラオケに行くし、仕事や好きな漫画について何時間でも話し続ける。弟二人は特に年子だから僕以上に関係が深く、対戦ゲームを一晩中遊んでいる様子を度々見かけていた。世間一般のイメージする「兄弟」というよりはどちらかというと「幼馴染」に近いようにも思うが、しかし僕にとってこれこそが兄弟関係以外の何者でもなく、それはすなわち母の教育の成功を意味しているのだと思う。
そもそも複数の兄弟を分け隔てなく育てるというのは、土台無理な話なのだ。あまりに手間がかかりすぎる。自分の好きなことは一切できないような生活にならざるを得ないだろう。だからこれは、うちの母に限定された教育法だ。彼女は「私欲を滅して子育てに魂を捧げるのだ」といった大層な決意を持って臨んだわけではない。単に自然に子育てをしたらそうなっただけのことなのだ。そう、彼女はある意味では自分の欲望に忠実に生きている。
現在、四人の子供は全員成人し、男三人はみな就職してそれぞれの仕事に励んでいる。すべからく子供は大人になり、親から離れてどこかへ行く。あたりまえのことだ。だがそれは母親にとっては唯一の趣味がなくなることを意味する。
だから四人目の娘が重度の知的障害者だったのは、(いろいろなものに目をつぶって言うと)僕たち家族にはとても良いことだった。今でも二歳児程度の知能発育である妹は、これ以上成長しない。彼女は永遠に子供のままであり、それはそのまま永遠に子育てが続くことを意味する。母親にとって、それはきっと幸福なことなのだと思う。
おそらく、寒くなってきたこと、新しい職場に変わったストレスなどが、遅れてやってきてダメージになってるんだろう。
病気に詳しいわけじゃないけど、そういうことはよくあると思う。
9/1〜9/4もそつなくこなしていた。
ある。俺もプログラマーだが、よくわかるぞ。
そういう時は一日ボーっとしてやり過ごすね。待ってれば、そのうちやる気が巡ってくると期待して。
やる気ってのは天の恵みなんだよ。コントロールなんて出来るもんじゃない。
ともあれ、列挙した項目を見るに、フツーにうつの症状だと思うぜ。
ただ、これは個人差があるかもしれないから、参考程度に聞いてほしいんだけど、
俺は数年前、炭水化物ばっかり食ってたことがあった。菓子パンに焼きそば、うどん、チョコレート。そういうのを一ヶ月程度続けてた。
そんな時期に丁度、お前さんみたいな症状になってたな。やたらイライラして、落ち着かなくて、頭の芯がボーっとして思考がまとまらない。
おれのかんがえた おまえさんのさいきょうのしょくじ