はてなキーワード: クレーマーとは
日々、ネットの世界で悪人が仕立てあげられ、ネットバッシングやネットリンチが繰り広げられている。確かに、叩かれるほうには否があり、叩くほうの意見に理がある場合が少なくない。しかし、バッシングが開始され、その流れが定まってしまうと、にわかに大勢が参加し、過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。
『他人を非難してばかりいる人たち バッシング・いじめ・ネット私刑』(岩波 明/幻冬舎)は、こういったネット住民たちの多くは一見「正義派」を装っているが、目的は他人を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。
そうだとすると、なぜ、「バッシングすること自体を自己目的化したバッシング」が横行しているのだろうか。本書によると、これには「世界が小さくなっていること」と「社会の変化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。
まず、「世界が小さくなっている」というのは、インターネットとSNSが大きな役割を果たしている。“隣人”の範囲が広がりつつあると共に、個人の秘密を保つことが難しくなってきている。
新しいデバイスを得たことで容易に他人の弱みにアクセスし、付け込むことができるようになった。また、匿名性が声を過激にしている。
「社会の変化」については、社会で「コンプライアンス」が重視されるようになってきたことを挙げている。昨今の「クレーマー」は、“普通の人”や“善人”が豹変する特徴があるといわれる。
なぜか。内面的には「他人を許せない」「非難せずにはいられない」という不寛容な日本人が増えてきているからだ。背景にあるのが、社会の「コンプライアンス重視」らしい。
社会で「透明化」が推奨され、会社などで「コンプライアンス」が強調されることを、マジメな日本人は表向き良しとしている。一方で、「コンプライアンス」によって、これまでの慣行が突如「悪」として否定されることがしばしば起きている。
コンプライアンスを遵守するということは、不自由で煩雑な手続きを伴うということだ。ルールが細かく決まっているほど、余裕がない現場では「違反」も生じやすくなる。もちろん、コンプライアンスは遵守すべきだが、「違反」が発覚したとき、他者は「自分は守っているのに」という抑圧された気持ちの反動で、バッシングの火を過剰なまでに燃え上がらせる、というのだ。
「日本人が元来持つ特性」とは、「差異に敏感」なこと。日本という島国の“閉鎖的空間”が培ったものだという。
閉鎖的な空間ではしぜんと同質集団が形成され、「微妙な差異に敏感」になる。たとえば、多様な民族や宗教的背景を内部に持つアメリカに比べると、同質集団である日本には大きな「安心感」があるが、バックボーンや価値観が似たようなものになりやすいため、すこしの異質でも排除しようとする働きが起きるのだ。
「アイツはどこか浮いている」「同期で能力はたいして差がないはずなのに、アイツだけ出世した」「あのガンダム作品好きが気に食わない」など、学校や職場とかで生じる「妬み」や「憎悪」が「イジメ」や「ハラスメント」に発展しやすいのも、この日本人的特性と深く結びついている、と分析している。
以上の3つの要因が複雑に絡み合い、「ルサンチマン(常日頃から感じている悔しい思いやねたみの気持ち)」を抱えやすい日本人は、攻撃できるはけ口を見つけると、ボルテージが一気に増幅。日常は抑えている攻撃的な衝動があらわになる、というわけである。
バッシングをすることによって、物質的な利益を得られるわけではない。むしろ、相当の時間とエネルギーを消費してしまう。非合理的な行動なのだ。
本書によると、そもそも人の行動の多くは、合理性よりも「快、不快」あるいは「好き、嫌い」の感情で左右されるものだという。攻撃的で不寛容な人たちは、自らの感情に忠実な人たちという側面も併せ持つ。
閉ざされた狭い島国において、似たような顔をしたものどうしがお互いを監視しつつ、ほんのすこしの差異のために競い合い、憎みそねみ合っている。
私たち日本人は、こういった状況を世界的にみて特別だと気づくこと、特殊だと認めることから始めるべきではないか、と投げかけている。
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異常だ!!!
辞めたい
悪質なクレーマーに手を焼いているのはわかったけど、
そこから、相手が知的障碍者だから手を出せないという話になるのに、飛躍を感じました。
毅然とした態度を取ったときに、相手が何をするか分からないので手を出せないだけではないの?
一見すると、どこにでもいそうな外見の人物なのだが、明らかに軽度の知的障碍がある。俺は詳しくないのでどういった症状なのかわからないが、誰が見ても「あぁ」とわかる。
その人は入店一番「またきたよー!」と大声で言う。
手近な店員さんを捕まえて延々と自慢話をする。「昔アイドルやっててさぁー」とか。
店員さんが近くにいないときはレジの人に、レジが混雑しているとバックヤードにまで入っていく。
俺はその人をずっと観察しているわけではないのだが、どうやら半日以上店内で店員さんに一方的に話しかけているようだ。
俺がいつ行ってもその人はいる。
お、今日は珍しくいないなと思うと、入り口から元気のいい声が聞こえてくる。
で、やっかいなのが、その人はある程度の知能はあるということだ。こんな言い方をするのはよくないんだが。増田だから書けることだ。
つまり、レジがほかの客でいっぱいの時は話しかけない。俺のような強面のゴツイ奴がそばにいると店員さんへのマシンガントークが少しおさまる、など。軽度の障碍があるのは誰にでもわかるけど、完全に「別世界の人」というわけではない。話は通じるし、受け答えも明瞭だ。
だが、恐ろしく面倒な人物だ。
俺みたいな奴を恐れるが、店員さんや子供のような立場の弱い相手には極めて横柄にふるまう。そういう狡さはある。
以前、店員さんが「申し訳ありませんがお客様…」と会話の応対を切り上げて仕事に戻ろうとしたことがあった。
その時、その人は店じゅうに響く大声で「何こいつ!店員なのにお客さん無視するとかありえなくねぇ!?」と叫んだのだ。その後も延々と大声でその店員さんに罵倒を繰り返した。すごい声だった。これはさすがにまずいだろうと俺の唯一の取り柄の強面を生かして事態収拾に向かうと、先に店長さんが到着していた。
そこで店長さんはクレーム対応の王道、平謝りで事態を何とか収めようとがんばっていたのだが、相手が相手なので一向に沈静化しない。バックヤードで話を聞こうとするも、火に油を注ぐばかり。最終的に、店長さんは最敬礼のまま延々と罵倒を受けるような状態になった。土下座こそしていないが、あれは似たようなものだろう。
さすがに見ていられないので、二人のいるところに押し入り、そこにあった棚の商品を選ぶという行動をして二人を引きはなしてみたんだが、最敬礼店長と罵倒人の間にはいって女性用シャンプーを選び続ける元相撲部という状況は長続きしない。唯一商品名を覚えているラックススーパーリッチを手にして精いっぱいの威圧をかけてその場をあとにするしかなかった。まぁそれで少し沈静化したみたいだからよかったが。俺は坊主頭だし彼女も奥さんもいないんだけどな。すげぇいい香りだぞラックススーパーリッチ。
で、そんなこともあって表題の件を疑問に思ったんだよ。
ネットでたまに見る、「悪質クレーマーに『お前は客じゃない、帰れ!』と一喝するかっこいいお店」の話があるけど、それは軽度の知的障碍者に対して行っても喝采を受けるものなのか?店は客を選ぶことができる、というのは確かにその通り。しかし「別世界の人」ほどではないが極めて面倒な軽度障碍者を排除できるのか?
健常者が「障碍者と共存できる社会」を目指したとき、その想定される障碍者は「別世界の人」なんじゃないか?
健常者に極めて近いけど通常の対応ができない相手を想定しているのだろうか。
俺の近所のスーパーの場合は、もう利用客も(おそらく)店員さんも「あいつにはもう来ないでほしい」と一致しているだろうから、「お前はもうくるな」で済むかもしれない。…いや多分、絶対に済まずに毎朝店の前で座り込みをしそうだけどな。まぁそれも排除してしまって解決!ってなるのかもしれない。
しかし、そうなるとその先は「障碍者は座敷牢に入れて外に出さない」みたいな社会になってしまうだろう。
こういうの、どうすればいいんだろうな?
好きなアニメがある。
そのアニメが放送されてから数年経っているが、現在進行系で楽しませてもらっている。
現場にも行っているし、関連円盤も関連書籍もすべて買っている。グッズはあんまり買ってないけど。
ところで、このアニメの企画元のプロデューサーがツイッターをやっている。
プロフィールには会社名こそ書かれていないが、関わった作品名が羅列されている。スクリーンネームも本名まま。フォロワーは四捨五入して6000人。
そのアカウントで、このアニメについての裏話のようなことや、アニメ公式ツイッターの補足のようなことをツイートしてくれる。
しかし、そのプロデューサーのツイートの口調はしばしば攻撃的だった。
怒っている対象をはっきりと書かないまま、罵倒するような言葉ばかり羅列したりする。
しかし、その怒っている対象はツイートの内容やタイミングからなんとなく察することができてしまう。
あるいは声優さんや俳優さんを、馬鹿にしたようなツイートをする。
先日はついに、ファンに対しての苛立ちをそのままツイートしていた。
プロデューサーのアカウントをブロックすることも考えたけれど、アニメのことをツイートしてくれることを考えると、それも躊躇われた。
「あのグッズの告知、本当は○日のはずだったよね? A君早くしてよ。やらないなら自分が告知しちゃうけど?」
○日、はこのツイートの数日前の日付だった。
いやそれ、本人に直接言えよ。
状況としてA君に落ち度があるのは明らかだけど、それはフォロワー6000人のアカウントで言うことなのか?
というか、公式で告知していないグッズを個人アカウントで告知するのはどうなんだ? もう本来の発表日は過ぎているからいいのか?
なんだか目に見えた状態でパワハラを見せつけられたような気がした。
翌日そのグッズの発売が公式から発表された。普段グッズはほとんど買わない私でも欲しくなるようなものだった。嬉しかった。
だけどあのパワハラツイートがなければ、この発表はあと何倍も嬉しかっただろうな、と思った。
アニメも放送開始から数年経ち、展開の仕方に不満が募っていたというのもあって、私はいつも以上にプロデューサーに対して腹を立ててしまった。
それで、プロデューサーの会社のホームページのお問い合わせフォームを開いた。
これまでそんなことをしたことがなかったので知らなかったけど、企業への問い合わせって随分と個人情報を訊かれるんですね。まあ当然だけど。
一瞬ためらったけど、それでも全部書いた。
プロデューサーの該当ツイートは、webアーカイブを取得してURLを貼り付けた。
一応丁寧な文章を心がけて、プロデューサーのおかげでアニメが成立していることはわかっているが、ツイートはどうかと思う、というようなことをつらつらと書いた。
自分は普通の人なら受け流せるようなどうでもいいことにクレームを出している、迷惑なヤツになってしまったのではないかと思った。
翌日には返信のメールが来た。
貴重なご意見ありがとうございます、該当部署で話し合いを設けます、という内容だった。
私が送ったメールで、見知らぬ誰かの仕事を圧迫してしまったかもしれない、という罪悪感が芽生えた。
あのプロデューサーのツイートが見たくなければ、私がさっさとブロックなりなんなりしてしまえばよかった。
A君は可哀想だけど、部外者の私が口を出すべきことでもなかった。
私がしたのは余計なことだったのではないか。
とかなんとか落ち込んだりもしたけれど、現在のところプロデューサーの該当ツイートはツイッターに残っており、あれは単なるテンプレ回答で、別に該当部署で話し合いを設けたりもしてねえんじゃねえか? とも思っている。
とりあえずプロデューサーのツイッターアカウントはブロックした。
もうクレーマーとでもなんとでも呼んでくれ。
某丼チェーンでバイトしてるんだけど、この前、テイクアウトの商品にミスがあった。
お客さんの注文した商品と違う種類の商品を間違えて作ってしまっていたのだ。
それに関しては完全にこちらのミスである。すぐにお客様のご自宅まで商品をお持ちすることになった。
マニュアルでは間違えた商品と新しい商品を交換することになっている。電話では新しい商品をお持ちすることと、間違った商品の回収に参ることを伝えたのだが、今まで普通だったお客様のトーンがここでいきなり変わった。
どうやら、間違った商品を回収するのはおかしいのではないか?ということを言っているようだった。
ここが無自覚クレーマーの恐ろしいところだと思った。いくらこちら側のミスであっても、新しい商品を持っていく以上、商品を返してもらうのは当然のことだろう。
電気屋がテレビの設置時に型番違いの商品を持ってきてたら、購入した正しい型番のテレビを持ってくるのは当然だけど、間違えがあった商品を客が貰って良い訳がない。
それと同じなのにどうして食品なら許されると思っているのだろうか?
お客様はこちらの言い分に関して最後まで納得いかない様子で最終的に渋々回収には応じてくれたが、相手のミスだろうと商品を回収するのはアタリマエのことです。