はてなキーワード: 釣りとは
マンガもない。料理もない。釣りもない。キャンプもない。小説もない。創作もない。テレビもない。手芸もない。話術もない。車もない。バイクもない。自転車もない。体力もない。頭脳もない。度胸もない。愛嬌もない。
んで転載禁止以降、ネタがなくなったせいか過去人気だったネタを再利用して記事更新するブログが結構ある
当時のコメントと今年ついたコメントで、たいてい温度差がすごいことになってる
当時はすんげー盛り上がってるのに、今のコメントはめちゃくちゃさめてる
いやまー実際創作がほとんどなんだと思うけど、じゃあ何で面白がるんだっつったら、もう今は現実の事件なんだよな
あと昔は長文で読むのがかったるいのもあると思う
把握するのも数十秒だもん
創作を楽しむのは明らかに創作だとわかる場所で、しかるべき内容はしかるべき場所で楽しむ、っていうように変わったんだろうな
昔は釣りを含めて楽しむ空気みたいなのがあったけど、もう今はそんな余裕どこにもない
変わってないとこは、今でもみんななんだかんだでテレビ見てるってとこだと思う
芸人の話とかTV番組の内容とか、たびたび話題になるのを見ると、なーんだテレビなんてもうみねーよっていってるわりに見てる人間まだかなりいるじゃん、と思う
杉田水脈氏の「LGBTに生産性はない」から、先日の新潮45の擁護論文に至る流れについて。
といったものでした。前段が差別的であるためそこにばかり焦点が当たりましたが、本来の論旨は後段であったと思われます。雑に言ってしまえば、「(生産性がない)LGBTが国民の血税を掠めとるのを許すな」ということでしょう。
これは「在日特権を許さない会」とよく似た構図のように思われます。
せっかく匿名日記があるのだし、陰謀論に踏み込んでみますと、杉田氏が自民党内から大きな叱責を受けなかったのは「国民間の分断を煽り、権力に都合の良い状況を作り出す」方向にあるから、といった見方もできようかと思います。また、その背景にアメリカのような「ポリコレへの反発」があるのだとすれば、ターゲットはLGBTそのものではなく、その支援者や理解者、あるいは「直截の利害関係には無いが政治的に正しくあろうとする市民(以下ポリコレ勢)」、ということになるのだと思います。
「在日特権」ならぬ「LGBT特権」を想定し攻撃を加える。その結果、特定層の溜飲を下げたり、権力への批判をそらすことができる。何よりも、特定層とポリコレ勢は分断され、両者はその党派性から団結した政治活動ができなくなる…。
今後、杉田氏が「子育て支援をもっと手厚く」といった主張をした時に、「杉田がLGBTに謝るまで認めない」とのブコメはつかないのか。逆もまた然りで、杉田氏を支援するである「若くてお金のない夫婦」が、ポリコレ勢と手を取り合うことができるのか。そう考えると、分断がもたらす「大きな政治機運の成立しにくさ」は、権力者や富者といった既得権益層の意向にかなうものではあるでしょう。今回の流れは安倍晋三こそが黒幕!、などといった陰謀論的飛躍は自重し、偶発的なものと考えるにしても、自民党と安倍政権はその受益者の一人であるとは言えそうです。
差別発言をまといつつも、目的がLGBTへの差別感情を社会に敷衍することではなく、分断そのものにあるのであれば、「差別やめろ」「特権などない」といった反論は、問題の解決には寄与しないということでもあります。在日コリアンの問題においてそうであったように。
https://www.buzzfeed.com/jp/shibunnagayasu/sugita-stop-lgbthinan?utm_term=.qtWenBANE
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14032
のように、「LGBTへの支援は度が過ぎるというが、そんな支援はないぞ」といった反論もありました。きちんと構成された丁寧な内容だと思います。しかし、「分断を喜ぶ悪い奴ら」の目的は、国民を分断し政治的に無力化することです。特権の実在や、論理、ファクト、正しさは関係ありません。むしろ雑であるほど、一種の「ツッコミ待ち」」として反撃を誘いやすいとも言えます。攻撃と反撃とが1往復すれば、その時点で分断は明らかになり、目的は達成されています。「黒幕」は論戦に勝利してLGBTや在日コリアンから特権を剥奪することに、大して興味はありません。はした金ならくれてやってもいいだろ、と考えているかもしれません。
上の記事には論理もファクトも正しさもありますが、同時に攻撃性が隠れていない「反撃」です。LGBT当事者が「生産性がない」などと中傷を受けた心情を慮ればやむを得ないにしても、それもまた分断を煽る側にとって喜ばしい結果に収斂するとすれば、残念としか言いようがありません。
杉田氏の主張に対して、ポリコレ勢がとった反応は「差別主義者とは話さない」といった冷淡な態度に見えました。これを受け、杉田氏を擁護する小川論文は、LGBTと、犯罪行為である痴漢を同種と見なすなど、杉田論文と比べて攻撃性を増しています。つまり、「ザイニチを殺せ」ならぬ「LGBTを殺せ」に一歩近づきました。この行き着く先は泥沼と化した在日コリアン問題の二の舞、にしか思えません。自分の観測範囲でしかなく何らエビデンスの無い反知性的な総括、すなわち「※個人の感想」にすぎませんが。
新潮は休刊となったそうです。この先、杉田氏にも相応の処分が下るかもしれません。しかしこれは勝利なのでしょうか。杉田氏や小川氏やその支持者は、持論を撤回したのでしょうか。新潮を休刊に追い込んだポリコレ勢を言論封殺と詰るのではないでしょうか。砲撃は未だ鳴り止まず、勝敗は彼方にたゆたっているのではないでしょうか。
必要なのは攻撃ではありません。勝利でもありません。対話であり、相互理解です。自分が思うに、ポリコレ勢には、相手、つまり差別主義者や反ポリコレ勢の心情に寄り添う義務があります。そしてこの義務が一方的に自分達にのみあることも、同時に理解されるべきです。差別主義者や反ポリコレ勢は「ポリコレ野郎はお家でミルクでも飲んでな」と放言したところで、その思想信条とは相反しませんが、多様性や内心の自由を尊ぶポリコレ勢にとってはそうではないからです。
あるべき姿は、相手が誰であっても、穏当に対話を続け、団結できる着地点を探し続けることです。ネットを見ていると、当初はそのような志を持っていたにも関わらず、あまりの「話の通じなさ」に放棄した人たちが、ウヨにもサヨにもいるような印象です。マンガやアニメでよくある「闇落ち」的なね。しかし、「分断を煽る黒幕」にとっては、団結を模索し続けるプロセスこそが脅威であり、団結できたかどうかは、そこまで重要ではないように思われます。
だとすれば政治的に正しくあろうとするのは修羅の道ですねえ。話の通じない差別主義者どもと結果の出ない対話を続けるしかなく、そこに相手を論破したり、分かり合えたり、尊敬を得たりする、快楽や達成感など求めてはならないのですから。AIあたりに代行してほしいところです。いや、そもそも人間にできることではないと諦めるべきかもしれません。
まあ釣りタイトルから陰謀論まで持ち出して長々と書いたのは、あんまり強い言葉で攻撃するのは自重しましょうよ、というだけなんですけどね。ウヨさんもサヨさんもどっちもだぞ。真紅のバスローブを来てブランデー揺らしてる「分断を喜ぶ黒幕」がほくそ笑んでるかもしれないぞ。
思うままに書いてみたら、なんだか「国民よ団結せよ、真の敵は他にある!」みたいな話になってて自分でも戸惑ってますが、言いたいことは以上です。
みんなはどう思う?
俺はわりと当たってるんじゃないかと思う
学術的な根拠なりエビデンスなりを求められると困ってしまうのだけれど、実感としてね
そもそもブクマ数が150000違うと1標準偏差の違いがあるわけで、これは世間に馴染みのある増田のブクマ数で言うと1000違うということだ
たとえば保育園落ちた増田が、ブクマ数が1000も下の釣り(アナルパール増田あたりだろうか?)とトラバすると、おそらく物足りなさを感じ、トラバが成立しづらいと感じるだろう この点は異論無いんじゃないかな?
それと同じことで、ブクマ数が150000下だとか、ましてや200000も下だとかいう人とid コールするのはなかなかの苦痛を伴うものだと思う
休みの日も触れたことのない技術を触ってみたり、知り合いとご飯を食べたり、充実した日々を送っていた。
やる気が出なくなってしまったのだ。
正直、この年齢にしては色々なことをやってきたと思う。
これ以上のないチャンスと幸せを噛み締めて生きてきた。
そうして、いよいよやることがなくなってしまった。
きっと一時的なものだろうと離れてみようと思っていたが、そもそも休日にやることがなかった。
そう、のめりこめる趣味がなかったのだ。
本でも書けば気がまぎれると思った。休日にやることができたのだから。
しかし、本の執筆というのは、人の心を蝕んでしまうことをこのときは知らなかった。
一週間やれば終わるものではない。数ヶ月は心の片隅に本を書くことを置いておく必要があった。
出版社から出る本となると、読んでくれる人のことを想起せざるを得ない。
ようはプレッシャーになるのだ。
プレッシャーは、時に筆を進めるための起爆剤となるが、弱ってる人間に対してはまったくの逆効果だった。
本を書いている間もSNSを眺めて、各々が趣味に打ち込む様子を見てきた。
楽しそう。
そうして、筆を止め、友人と遊びに出かけたこともあった。
友人と遊ぶのは本当に楽しかった。
しかし、この人は、休みの日はこんな楽しそうにしているのかと思うと、自分は友人を楽しませられているのか、なぜこの友人のように過ごせないのかと自分を貶めるような思考に至ることもあった。
その友人は人に好かれるので、常に人が周りにいた。
ご飯に誘っても、先に誘いがあるからと断られるようなこともよくあった。
一方自分の周りには、会うたびにすごいと言ってくる人たちはいたが、心から友達と言える存在は数えるほどしかいなかった。
「私とは釣り合わないですが、すごくできる方なんですね」と聞こえてくる。疲れる。
それを聞いてしまうと、一緒には過ごせないと思ってしまう。こんな思考だから友達も少ないのだろう。
友人はそんなこと気にもせずに自分と関わってくれる。とてもシンプルだ。楽しければそれでいい、と。
話を聞いていてもいつも面白い。
自分の知らない世界をたくさん知っていた。お金を払ってでも知り得ないような世界だった。
きっとこれからも技術者として、新しい技術に触れたり、ときに自分が生み出すのだろうとキラキラしていた。
そうして合点がいった。
人にちやほやされたかった。
でも、今はそうじゃない。
こんなこと書いてる自分に対して、
「ほんとお前はしょうがないやつだなぁ」「休み付き合ってあげるから、楽しいことしようぜ」
といってくれる友達がほしい。
私が誘う側ではなく、誘ってほしい。
新しいところに飛び込んでみたい、でもそんな元気はないのだ。
いや、あのちやほやされている友人が、そんな自分に気づいて、そう言ってほしいんだ。
そうこうしているうちに、技術へのモチベーションを取り戻して、色々触れたいし、還元したい。
この夏は、そういうことを考えさせる程度には暑かった。つらかった。
もしこの増田を読んでる方々のまわりにこういう人間がいたら、面倒かもしれないがどうか構ってあげてほしい。
たった一言声をかけてもらえるだけで、きっとその人は報われると思う。
例えば自動販売機で考えてみよう。
設計図というと寸法が決まっていてボタンの位置から中身の冷却装置の仕様まで決まっていてあとは部品を作って組み立てるだけ、と思うかもしれないだろう。
まず最初は「なんか飲み物が販売できて、お釣りの計算もできる機械作って」というところから始まる。
次に「どれくらいの商品を用意するか、売り切れの場合どうするか、補給方法はどうするか、見た目はどんな見た目にするか」と話し合いながら決まってくる。
まあだいたいこんな感じかなというところまでは決まってじゃあ作るべき部品を考えていこうとなる、これが設計図。
そしてさあ作り始めようとなった時に「あ、電子マネーにも対応したいな。」「あったかい飲み物も売りたいわ」「やっぱりもうちょっと商品数増やしたいわ、それだけなら簡単でしょ?」と言った要求が出てくる。
自動販売機で考えればわかりやすいが、もともと冷たい飲み物しか売らない前提で作っていた機械をあたたかい飲み物まで対応させるなんてまるまる作り変えないと無理だし30種類の飲み物を用意している機械を35種類に増やすのだって作り変えないといけない。
風俗嬢を”やらざるをえない状況になったことのない”外部だから言えることなんでしょーかね。(このご時世そんな子いるんかね)
twitterやっててそんな話題がTLに来るような人がこんな世間知らずな認識してる、ってのはあり得るんだろうか。
最貧困女子とかが流行ったのはそれほど昔ではないと思うんだけど。
釣りかな?
もともと好きだったとかじゃなくて、付き合ってるのを知った上で好きになった。
悩んだって悩んだって解決しない問題なのに毎晩悩んで、毎日顔を見る度どんどん好きになってく。
どれだけ二人の仲が良いのかもよく知ってる。ケンカしててもすぐに仲直りすることも知ってる。自分のことを友達だとしか思ってないことも。
知ってるのに、理解してるつもりなのに優しくされる度勘違いしそうになる。
自分じゃそもそも釣り合ってない。優しいのも自分に対してだけじゃなく誰にだって優しい。
苦しんでるとき、悩んでるとき何も出来ないことが辛い。自分には薄っぺらい慰めの言葉をかけてやることしかできない。
ただただ辛くて、どうせなら別れてしまえばいいのにと考えて、そんなことを考える自分に嫌気がさす。
こんなことなら、初めから出会いたくなかった。一人でいればよかった。
顔も見たくないくらい、好き。
同じ人種や、社会的階層の釣り合う相手との結婚を全世界で禁止すれば、これだけの難題がたかだか数世代で片がつく
ノーベル平和賞的なのもらってもいいぞ
夫が浮気してたんだけど、
まあちんぽこはハメてないらしいがかなり性的なLINEのやりとりをしていて私的に浮気なので便宜上浮気と呼ぶんだけど、
まさかあの温厚な夫がそんなことをするとは思ってなかったので大変びっくらこいてしまった。
サブカルクソ女時代、銀杏BOYZとか花沢健吾のボーイズオンザランとかに出て来るヤリマン女に絶望しながら勃起してる男たちを見て、「何をそんなに慌ててるんだ?女にもあんたらと同じ性欲があって、寂しい夜があって当然じゃん?」と思ってたんだけど、
まさにその男の心境なんだと思う。
あの温厚で優しい夫の性欲が、結婚相手以外の女にも向く…考えてみたら当たり前なんだけど青天の霹靂だった。私はバカだから。
それ以来仕事で遅くなると言われても不安、釣りに行くと言われても不安で、家に監禁しておきたいくらいなんだけど、そんなこと言ったらますます嫌われるから「いってらっしゃい〜♪」とにこやかに見送る。そして自慰をする。不安で不安で仕方なくて、でもできることが何もないので自慰にふける。悔しくてむなしいから夫のことは思い浮かべないようにして、逆に自分が別の男に寝取られて泣いている夫を想像する。オナニーが終わるとむなしくて仕方なくなる。現実は泣いてるの私だし…。
今日もおいしい牛すじ煮込みを作ったけど外で食べて帰るらしい。そうなんだ。飲み会いいね。楽しんできてね。私は圧力鍋を放置して3回自慰をした。明日も早いからもう寝ようかな。ほぼ日手帳にはこんなこと書けないのでここに書く。お風呂に入って来る。