はてなキーワード: 独り言とは
どうせこういう増田を書いたところで、今のはてなを見ている奴らは、自己責任棒(ポリコレ棒の亜種)を持ったやつしかいないので、
有益なアドバイスなんて貰えないんだろうが、俺には悩みを吐き出せる場所がここしかないので独り言をここに放置しておきます。
浪人やニートを繰り返して文系大学を26歳で出て、もちろん新卒就職で失敗して心が折れてしまい、
ダメ元で入った職業訓練で自信を取り戻したが、結局こんな経歴のやつを正社員で取るような職場には出会えなかったので、
簡単な作業のアルバイト・パートの掛け持ちして日銭を稼いでいる間に30代になってしまった。資格も何も持ってない。あるのは、一応大学を出たということだけだ。
最近求人情報をみたら大体29歳までという職場が多く、ああ俺は結局ダメな貧困人生のまま終わっていくのかと思ったんだが、
社会不適合者で何度就活しても就職にこぎつかなかったという事実を見れば、俺は根本的に社会に向いているように見えないのだろう。
またニート特有の変なプライドはまだ持っているし、対人関係構築が下手なままだ。職場でもいつも透明でいようと思っているだろう。
こんな状態の自分になっている自分の体たらくさや今までのチャンスを無駄にしてきた自分に腹が立ってしかたない。
でもただイライラするだけで、ここから更にもう少しマシになるにはどういう風に行動したらいいのかが分からない。自分が今の生活よりマシになっている未来が見えない。
どうしたらいいんだ。
口もききたくないし、そもそも視界に入るだけでめちゃくちゃ不愉快で、むかついて、出勤してこないでほしいとまで思います。
その人は経営者の親族で、前の会社をクビになったから新幹線の距離も離れた今の会社に転職してきたらしいです。最初は前経営者の秘書をやっていたのですが、あまりにも仕事ができずに営業へ異動になり、営業ではまともに売上を出せないので結局今は雑用をやっています。
自分では何でもやります、何でもできます、と言っていますが仕事(チラシ作成とか)は雑でクオリティは低いし、こちらから依頼したことは「忙しい」と言い訳してやろうとしません。なのにタバコ休憩で1日に何度も席を外し10分以上帰ってこないらしいです。
そんなゴミクズのくせに営業部では主任で、多分他の人より多少給料はいいです。
全く納得できないですが、このゴミクズ経営者の身内だもんな、バカ同士血がつながってんだな、とひどい言葉であいつらを貶めるしかできない自分も嫌です。
ゴミクズはおそらく発達障害、多分ASDとADHDに当てはまると思います。障害があることについては何も否定はしないのですが、ゴミクズはそれで人に迷惑をかけ続けているくせに大きな顔をしているのが本当に腹が立ちます。
小さな会社なので多くの人がゴミクズと接点がありますが、ほとんどの人が「何言っても無駄」「気持ち悪い」「頭悪すぎ」と言っていて、いい感情は持っていません。なのにあの男の中では「自分は面白くて誰とでも話せる」と思っているかのような言動ばかりで、この人は本当に頭がおかしいのかなと思ったことが何度もあります。
以前女性社員へのセクハラでとある場所に出禁となったのですが、懲戒の社内通達は何もなく、そもそも懲戒じゃなくて出禁だけって、経営者も頭がおかしいとしか思えないことばかりです。身内がセクハラ起こしてるなんて恥でしかないから隠したのかもしれませんが…
その人の隣の席に座っている女性は「毎日毎日ため息と唸り声と独り言と舌打ちと鼻をすする音が絶え間なく続いて頭がおかしくなりそう。それについて指摘すると怒鳴る。鼻をほじったり耳に指を入れて掻いた後にこちらに向けてゴミを払うとか、清潔感が全くないから席に座るのが嫌。席替えしたいと言っても聞き入れてもらえない」ととても辛そうでした。自分がその席に座っていたらと思うと気持ち悪くてゾッとします。
こんなに人に迷惑をかけて、人を不快にしているのに自分はヘラヘラ暮らしているのを思うと、何て理不尽なんだろうと感情がぐちゃぐちゃになります。
おじさんだから嫌いなのでもなく、発達障害が疑われるから嫌いなのでもなく、あの男だから大嫌いです。少なくとも女性社員は全員大嫌いです。
同族企業なんてクソ。
田舎とか言うとあたかも俺が田舎者じゃないみたいなんだけど、実際には俺も田舎者で、しかもかなり気合の入った田舎者なんだが、まあそれはよくて、スーパーの惣菜がうまいって話ですよ
○○県にしかない、とかじゃなく、○○市と隣の○○町にしかない、というレベルのやつだ
品揃えは大してよくねえ 悪いってわけでもなく、他の店にないものだってなくはないが、店自体があんまり大きくないんで、知れたものだ
値段は結構高い 安いとしたら野菜くらいだが、それだってそんなに安くはない
なんだろう、もう、「店」なんですよね
しかも、気の利いた店だ
そんなもん大してうまくないに決まっている
誰が買うんだ、とすら思う
買って食ってみる
誰もいねえ部屋で、「…これうまくね?」と独り言を言いながら食う そのくらいうまい
キャベツの食感、マヨネーズのきかせ方、コーンの配分、カニカマの量
小鉢まで気配りの行き届いた、何を食ってもうまい店の、まさにその小鉢みたいな味がする
何を食ってもうまい
どう見てもカスみてえな見た目をした売れ残り惣菜ですら、買って食うとうまい
俺があまり外食をしなくなったのは、たぶん惣菜のほうがうまいからだ
家でリラックスして食えるからうまく感じる、とかじゃない 味が純粋にいい
休みの日、朝からスーパーに行って、惣菜を買い込んで家で食ったりする
岡田麿里監督の作品は見たことがなかったが、「あの花」が名作であることは知っていたし
チェンソーマンを見てMAPPAに興味を持っていたので、渾身の劇場作品であるこの作品を見に行こうと思った。
とは言えあまりヒットしている雰囲気はなく、ネットをふわっと見る限り絶賛している人はあまりおらず、
見どころはあるが問題も多い、というような感想が多数なのであまり期待はしてなかった。
鑑賞した結果、見どころはあるが問題が多すぎるのであまり乗れないな、という感想を抱いた。
絵作りは全体的に申し分なく、やりたかったこともわかるし作者の持ち味もわかるが、そこに至るまでに問題が多すぎる。
順に思い出しながら問題点を突っ込んでいく。
◾️冒頭いきなりギャグが滑っている
冒頭、中学生男子が狭いこたつに4人入ってワチャワチャと勉強しているというほのぼのシーンから幕を開ける。
4人組の中のお調子者が、こたつの中で屁をこき、大騒ぎしながら窓を開ける、というのが
中学生日記レベルのテンプレギャグであり、中年男性である自分が見てこの4人に親しみを持つことはできないな、と感じたが、
まあギャグが大事な作品ではないのでこんなものだろう。全然許容範囲である。
窓を開けると工場が爆発し世界に異変が起こる。時間が止まり、同じ1日を繰り返す田舎街に閉じ込められることになる。
異変が起こった時に、視聴者と同じ現実世界に生きていたはずの主人公たちがどのようにその異変を認識し受け入れていくか、
という過程を描くことで視聴者も状況を受け入れやすくなるものだが、この作品はいきなり違和感を突きつけてくる。
登場人物たちが異変をすでに受け入れており、諦念に塗れた奇妙な終わらない日常生活を続けているのだ。
徐々に明らかになることだが、時間が止まってから十年以上が経過していたのだ。
かなり挑戦的なストーリーテーリングだが、あまり成功しているとは言えない。
十年以上も外界と隔絶され肉体が変化せず、同じ1日を繰り返しているというのは相当な極限状況である。
田舎町とはいえ数千〜数万人はいるであろう街の人達が、そのような極限状況に置かれているようには見えない。
最初の数年は外界に出ようとしたり、ループから抜け出そうとチャレンジした人達がいて、
彼らが失敗したのを見て人々が諦めて日常を続けることにした、という経緯なのだと思う。
そのような経緯が描かれることはなく、この無茶な状況を説明するのは「自分確認票」とかいうものを人々が
毎日書かされているという設定である。演出的にもこれを毎日書いていることがかなり重要になってくる。
「いつの日か時間が再び動き出した時に、自分が変化し過ぎていると不具合が起こるかもしれないので、自分が昨日と変わっていないことを毎日確認しましょう」
ということらしいのだが、その根拠はなんとなく事情がわかっている風の言動をしている変わり者の神主がそう言ってるから、
この映画の問題点の半分ぐらいはこいつの責任であると言えるだろう。予告編を見るだけで違和感を覚えると思うが、
映画のリアリティラインにそぐわない、いかにもアニメ的なエキセントリックなキャラである。
この突飛なキャラを映画に馴染ませるために、妙にリアルな小物感を感じさせる演技が端々に入るところは面白い。
「こんな奴が現実にいたら絶対に近寄りたくないな」と思わせてくれる。
芝居がかった大仰な喋り方をした後にボソボソと独り言を言ったりするところがやばい奴感のリアリティを高めている。
最大の問題は、街の中でも変わり者として爪弾きにされていたこの男が、世界設定の根幹を握っていることである。
背後にある神道的な神秘設定の描写が非常に薄く、単なる変人の妄言が街を支配しているように見えてしまう。
小物感がリアルに強調されればされるほど、世界観が薄っぺらく見えるという問題。
こいつが単なる変人ではなく、世界の鍵を握るだけの力を持っている描写がもう少し必要だったのではないか。
十年以上自分が変わらないように毎日確認票を書かされている20代中盤の主人公たちの気持ちに感情移入するのは難しい。
街から出られないとはいえ人生経験は十数年分重ねていて、車の運転などもできるようになっているのだ。
肉体が変わらないからなのかメンタルは中学生のままで、意味もなく高い所から飛び降りたり首締めごっこをしたり、
上履きを隠したり、パンチラやブルマー姿を見て喜んだり、わざとパンツを見せてからかったり、みずみずしく痛々しい恋をしたり、
いかにも中学生な行為を続けている。どういう精神状態なのか想像がつかず、共感できない。
物語上の都合のいいところだけ成長して、中学生として見せたい部分は成長しない。随分とご都合主義の設定である。
作者の見せたい都合に引き込む演出の力量が足りていない。
女の子みたいに見える主人公。女みたいと言われるのは嫌いじゃないが男が好きなわけじゃない。
なかなか魅力的な設定だが、そこがそれ以上掘り下げられることはない。そのほかにもフェティッシュの要素がいくつも
散りばめられているがただ作者がやりたかっただけでキャラの魅力につながっていかないことは残念である。
肝試しに地味な女の子と一緒にトンネルに入ったらいきなり告白される、というシーンはこの映画で唯一笑えたシーンだったのだが、
からかわれて傷ついた女の子は心にヒビが入り、そのまま消滅してしまうという全く笑えない結末になってしまう。
実は時間が止まっているというのは神主らが仕組んだ嘘で、主人公たちは聖なる山と工場が生み出した幻だったのだ!
様々な設定の綻びも、不可解な登場人物の心理も、幻だったのなら仕方がない。すべて作者の胸先三寸である。
世界観のペラペラ感がティッシュぐらいの厚みになってしまう。絵的にも、あちこちがひび割れて今にも砕け散りそうになっている。
そこで唯一興味を繋ぎ止めてくれるのが、幻の世界で唯一実在の存在である、未来から迷い込んできた主人公たちの娘である。
濃厚なファーストキスを実の娘に偶然見られるという気まずいだけのシーンを経て、
この娘を現実界に送り返すというミッションが確定してから物語は俄かに力を取り戻し、
監督の確かな力量によって大きな盛り上がりが描かれる。
しかし、そこに至るまでのキャラと世界観の積み上げが非常に脆弱であるために、自分は置いていかれている感がしてまるで乗れなかった。
バックトゥザ・フューチャー的なカーアクションで無茶なアクションを繰り広げるものの、
まあ危なそうに見えるけど所詮は幻だし、どーにでもなるだろ・・・と思うとあんまりハラハラしない。
「幻だって生きているんだ!今を楽しんでもいいんだ!」と言われても、「・・はあ。」としか思わないのである。
最後まで出てこないので調べてみたところ、この話の原型になった、監督が以前作ろうとしていた物語に出てくる嘘つき少女と狼少女の名前らしい。
つまり睦実と五実のことを指している。監督の内部の問題でしかないので心底どうでもいい。
五実が10年間言語すら教えられずに育ったのも、「狼に育てられた少女」をやりたかった名残というだけで、設定的に特に意味はないということだけはわかった。
いや無理あるでしょその設定・・・
◾️どうすればよかったか
いやどうしようもなくね?「実は全部幻でした!」というオチに物語として説得力持たせるのは無理だよ!と最初は思ったが、
閉じ込めれた幻としての主人公たちをメタファーとして捉えるなら、共感を誘うような中学生あるある描写は抑え、
閉じ込められた違和感、脱出しようと足掻く姿を押し出した方が良かったのではないか。
「狼に育てられた少女」をやりたいのなら、五実と神機狼の関わりをもっと描くべきだった。
神機狼と佐上の関わりも、もっと神秘的に描いていれば世界観に厚みが出たと思う。
神道っぽい儀式をやるシーンが新海誠作品によくあるけど、ああいうの大事だよね。
突然失踪して終盤急に日記が発見される父親もその辺りの設定に絡められたのでは。
佐上の周囲に腰巾着みたいな面白キャラを配置して浮きすぎた佐上のクッションにするのもいいかもしれない。