はてなキーワード: 公営ギャンブルとは
ネットde真実君なネトウヨ等はとにかくパチンコを叩くのか気に食わない。マルは日の丸、ハンは恨みの恨(ハン)というところだけを切り取ったスクショをネット中にばらまくような連中が嫌いだ。このマルハンの会長の言葉には続きがあって
『マルは日の丸 ハンは恨みの恨
https://youtu.be/ndoimd5Ysf8?t=5m32s
要するに嘘っぱちなデマを韓国の新聞に書かれたということであることがわかる。
んでもってカジノのためなのかなぜかパチンコ業界がやり玉に挙げられるようになっているのも気に食わない。パチンコ業界は依存症対策のためにリカバリーサポート・ネットワークというのをつくったり射幸性の高い機器の規制、撤去を進めてきた。
少なくとも公営ギャンブルよりも依存症対策は取り組んでいる。公営ギャンブルなんてお客様相談窓口で依存症対策してきましたと言い張る始末だからね。
https://news.yahoo.co.jp/byline/takashikiso/20161228-00065983/
14試合×5口分の予想結果が一致したという画像が投稿されたんだけど知ってる?
この確率、約2,503,160,000,000,000,000,000,000,000,000,000分の1なんだってさ。
約25溝なわけ。億、兆、京、垓、杼、穣、溝←これ
あのさぁ。
このtotoBIGって公営ギャンブルなわけ。不正はあってはならないことなわけ。
で、これに対して公式発表があったんだけど
コンピューターが投票内容(「1」「2」「0」)を発番する際の仕組みにおいて、重複した投票内容の出現はあり得るものであり、この事象につきましても、システムの不具合や不正な操作等によるものではないことを確認いたしました。
だって。
公式ページのFAQには14試合の012を購入時に1試合ずつ決めると明記されている。ってことは本当に 1/約25溝の確率の出来事が起きたことになる。
不正操作じゃなくて、さらに不具合じゃないとしたらそもそものシステムに問題があるだろ。
totoBIG運営は「この事実は偶然です」でかたづけるみたい。
テレビではバンバン、マツコデラックスのCMが流れててスポンサーに不利なことは流さないんだと思う。
でも今はネット社会。テレビでは報道していないこともネットでは書かれて騒がれると思ってたのね。
ネットで話題になれば言い逃れできなくなるんじゃないかなって期待してた。
でも結果は一部のまとめサイトがまとめただけだった。なぜか大手まとめサイトでは「BIGで1等当たったらこんな生活おくれるぞwww」とかいうクソ昔の記事がまとめられたり、不自然だらけの展開に。
このまま何事もなかったようにしれっとクジをし続けるつもりらしい。
でもよ、そんなの許されるわけないよな。
まして公営ギャンブルだよ。公式に発表したクジの目の出し方と違うんだったら謝罪しろよ。
これさ、結構大問題だと思うんだよね。宝くじでも矢の打つタイミングはコンピューターに制御されてて一般人には当たらないようになってるとかの都市伝説ってあるじゃん。
もうさ、そういうレベルの不正を疑うまでにtotoBIGの信頼は落ちたよ。
なんでこんなクソみたいな文章書いてるかというとネットで少しでも拡散して欲しいんです。ただの偶然でしたとかいう寝言言ってる運営にパンチをあびせたい。
そんな言い訳通じると思うなよ。
官選に戻せというのはオーバーにしても、地方は地方自治を持て余しているのではないかと時々思う。
知事も市長も判で押したように官僚出身ばかり。そいつに自公民とたまに社までが相乗りするので、
よほど人気がなければ、とても太刀打ちできない。
しかし、それ以外の候補がしょぼくてうさんくさいのばかりなのは事実だし、
たまにそういうのが当選したらしたで、なぜか暗黒期になることが多いのだ。
経営者出身の奴は利益誘導がひどい。左がかった学者は赤字ばかり増やす。
昔は田舎だからしょうがないと思っていたが、何のことはない。都ですらそうだった。
例えば、オリンピックの誘致に功績のあった東という人物が都知事になったことがあるが、
元がスポーツ医学の専門家ということで行政には疎かったらしく、実務は副知事に丸投げ。
誰が知事だかわからないということで「東副知事」と揶揄された。
その後に都知事に就任したのが美濃部。マル経の学者出身で、革新首長の代表例のような人物だが、
公営ギャンブルの縮小、高齢者を中心にしたばらまきなどで赤字を増やし、
ついにはオイルショックにとどめを刺された。
宇都宮みたいな弱者の味方路線がなかなか支持を得られないのも、だいたいこいつのせいであろう。
都市博の中止以外本当に何もしなかったとよく言われる青島だが、二院クラブに所属しており、
ゴーストライターに書かせたのかもしれないが、著書でも結構面白いことを書いていた。
しかし、それがこの人の限界で、政権を運営するだけの実行力に欠けていた。
少数野党で政権批判を繰り広げる分には痛快でも、都知事になるべき人物ではなかったのだ。
石原は勢いがよかったのは最初だけで、後になるほどネタ切れと身内贔屓でグダグダになった。
ギャンブルは、またやりたいと思ってしまうもの。野球賭博で相撲協会を解雇された後も、海外のカジノや国内の公営ギャンブルをやめられなかった。経営する飲食店11店の従業員約100人の給与を払えなくなる寸前まで金を使い、2年前にようやく断った。今も依存症と闘っている。
最初は、友達の誘いで軽い気持ちでやった。熱くなって人から金を借り、取り戻そう、借りた金を返そうとしてはまっていった。
10万円が1千万円になったら、快感でしょう? 海外のカジノで1日に5千万円勝つこともある。でも、負ける時は何もなくなるまで負ける。つぎ込んだ総額は5億円。飛び降りて死のうと思うくらい負けた。
ギャンブルや携帯電話などの依存症者の親から相談を受けている。「金を持たせないで。借金できる人を周りに作らないで」と助言する。依存症は治らないから、環境を与えないことが大切だ。私は、暇がないよう、あえて忙しくしている。午前6時に仕入れ、夜は各店舗に顔を出し、深夜まで働いている。
スポーツ選手には、違法賭博には絶対に手を出してはいけないという教育が必要だ。その一方で、頑張るものがなくなったら、もっと状況は悪くなる。依存症と闘うには支えが必要。バドミントンの2人には、挽回(ばんかい)するチャンスを与えてあげてほしい。(構成・後藤太輔)
借金をした。
多くの借金をした。
返す目途は立たず、この調子では首をくくってしまわねばならん。
最高の人生だ。
まぁ前も書いてた通り競輪で失敗したんです。
まぁ、なんとかなるかなぁなんて思ってたのか思ってなかったのか、借金も全部競輪に使っちゃって全部すったんですね。最高です。
他人には「こうすればいいんじゃね?」なんて言いながら自分は自分の手元に何もない不安から金が集まりやすい公営ギャンブルで一発逆転を狙ってしまった。
そこからなんか見つかるかもって思ってしまったのだ。結果はこれだ。
不安感に襲われながら自分自身を呪いながらそれでもまだ将来的なことも何も見当たらないまま金銭を求めて求めて喉から手が出る力もない程衰弱しきってしまった。
恐ろしい人生だ。恐ろしい。表面上は笑顔でいるが内面は自分に対する絶望で崩壊しかけている。
それでもまだ生きていけたら、またどこかで会いましょう。
アメリカン・コミックスにウォッチメンってのがあって、映画にもなってる。
長く冗長で無駄に大味なセックスシーンとか暴力描写とかアメコミの再現度は高いんだが、おすすめはしない。
その中に、ロールシャッハってキャラクターが出てきて、白黒ハッキリ付けたがる。絶対に妥協しない。悪を許したりグレーな領域を認めたりしない。
杓子定規というのとはちょっと違って、Justiceという単語がぴったりな、盲目で剣を持ち天秤で判断する正義の女神のグロテスクな表現に見える。
パチンコ、という遊びがある。まあギャンブルだ。スロットもそうだな。
法の下の平等や、実態としての賭博の規制などを鑑みると、そこにあるのは不正義だな。正しくない。
射幸心を煽り、勤労意欲を削ぎ、経済に影響を及ぼすので、ギャンブルは悪いことだとされている。
ただ、公営ギャンブルという存在を見ても分かる通り、お上の管理する賭博は良しとされている。
昭和の時代までは、競輪競馬競艇オートレースは、地方自治体を潤すお財布だった。
意識している人が少なくなるようにイメージ操作してるが、宝くじもギャンブルには違いない。
刑法が取り締まるギャンブルもそのものズバリ「賭博及び富くじに関する罪」だ。富くじは宝くじと同じだな。
どうやったって一定数そういうのをしたがるヤツがいるなら、お上がコントロールしてやるのが一番効率が良い。
変に潜らず目に見えるところでやるなら、パチンコみたいに、民間委託するのも、まあコントロールの範囲内だ。
繰り返しになるが、これは不正義だ。まったくもって正しくはない。
じゃあこれが正義、つまりは法律が正しく運用されて、かつ、ある程度吸収できるような方策を考えると、手詰まりになったりする。
つまりパチンコパチスロに慣れたジャンキーを吸収できる公営ギャンブルを設立できるかという問題だ。公営カジノが一番近いがやはり違う。
あの客層をそっくり収容できる娯楽施設が、まだ世の中に存在しない。
何度もパチンコが危機を乗り越えて存続している一つの大きな要因だ。
ただ、この世界もそろそろ終わりになってる。何度も繰り返しになるが、いままでが不正義で、正しくなかった。
ドヤ街に日雇い集めてその中で完結させる、日雇い払いの賃金を酒や焼き鳥で消費させて次の日に回す、働けなくなったらホームレスになって、働けないほど体が悪いから遠からず冬を越せずに死ぬ。つまりはそういうスラムが日本にもあった。他所の国のスラムに比較すれば健全なのかもしれないが。
本来正しくは生活保護を受けて、健康で文化的な生活が送れることが保障されている人たちだ。
この国が整備しているシステムが正しく運用されていれば、乞食は存在しない。
浮浪者も、餓死者も、それを望まない人たちはそうならないように文面では既になってる。
そして正しく運用されていないという不正義が問題視される程度には、日本は先進国となり、社会的に成熟してきつつある。
苛烈な正しさは、見える範囲の綺麗さと見えない部分への皺寄せという形をとることが多いが、シワを隠せる領域が減ってきている。
見えないところに追いやってそれとなく回していた不正義が許されなくなり、破綻しないようにさらに外側にシワを寄せようとしている。
東京のイベントに向けて、都内は綺麗になっていき、そのシワを吸収するべく既に受け皿ができていくように見える。見えない人もいるだろうけど。
でもきっと、そういう外出しした不正義も、糾弾されていくんだろうな。
例えばフィリピーナをネット越しに英語教師にするのは、日本に連れてきた移民を低賃金で働かせるより問題になりにくい。
同一労働に対して低賃金払っていることには変わりないけれども。
さらに苛烈な不正義を先に糾弾すべきというのは方法論として正しいし酷い現場はまだまだある。
海外へ仕事出す先が高賃金化でどんどん移動してるというのも、不正義だとはみなされにくい。
結局何が言いたいかというと、盲目のまま正義を無条件に実行すると、そこには正義だけが残るんじゃないかってこと。
理念への純粋性は美しいけど、たいてい現場の泥臭さが勝ってきた。
ものすごく卑近な例で言えば、シリア難民を救うために、とりあえず日本人とシリア人とで子作りして、それから在留許可を求めるという手段は難民申請よりもずっと現実的だし少子化対策にもなる。もちろん足元を見た人身売買だし、偽装としない為に子供を産むことになるし、当然に非人道的だろう。
この例は極端だから、この例なら文字通り死ぬほうがマシだったりするだろう。それがほんとにマシかは本人にしか解らないけれども。
でもきっと、正しければ多少の人死はやむを得ないというのは、すぐそこだと思う。
浮浪者はテントを張れなければ死ぬが、収容施設に入らない人間が死ぬのは自業自得だと思う人間が多数派になった時、対象は浮浪者から高齢者になり無職者になり、いずれ低所得者になるんじゃないかと、今から自分は怯えている。
ひろゆきがアグネスdisのために日本ユニセフ協会についていやらしい書き方をしてるんだけど。
http://hiro.asks.jp/90907.html
「今一番大事なのは、子供達の為に私たちもできることを考える事です。」
と仰られていますが、アグネスさんが募金先にあげている日本ユニセフ協会は、2012年度、募金の81%しか、ユニセフ本部に送っていません。
一方、ユニセフ親善大使をされている黒柳徹子さんは、募金の100%をユニセフ本部に送っているそうです。
黒柳徹子は個人口座を2つ公開してて、そこに入金された寄付金をそのままユニセフ協会本部に拠出してるのに、日本ユニセフ協会は81%しか拠出してない。子供のためを思えば徹子に寄付するべきだ、という論法なんだけど。ようするに「金抜きすぎ」というほのめかしだ(実際、秒刊SUNDAYはひろゆきのこのエントリを「日本ユニセフピンハネ疑惑」と要約してる)。
しかし「81%を上部団体に拠出し、19%を自前の運営・活動に割いている」という経営実態は、日本ユニセフ協会のやってる活動内容を見るかぎり、相当のパフォーマンスだ。実際、ユニセフへの拠出額 | 日本ユニセフ協会を確認すれば:
がわかる。そして、日本ユニセフ協会のこの誇らしい宣言を見よ。
2012年度、当協会は、みなさまからお預かりした開発途上国の子どもたちを支援するためのユニセフ募金(161億1,252万円)の81%にあたる130億円(下記計算書の※15)を、ユニセフ本部に拠出することができました。これは、世界36の先進国・地域においてユニセフを代表するユニセフ協会(国内委員会)の中で、最高額となっています。また、81%という拠出率も極めて高いレベルを維持しています。
日本ユニセフ協会の国内活動費に使われるのは癪だから黒柳徹子氏に寄付するほうがいいのだ、という考え方もあるかもしれないし、それが一律に間違ってるとは思わない。しかし、黒柳徹子氏のWebを見る感じでは、年間の寄付額はおそらく1億には満たないだろう。そして個人口座では、130億円/年の寄付金の出納をマネージすることは不可能だ。また、善意で無償奉仕を行う個人ボランティアを引き合いに出して日本ユニセフでの19%の資金利用が「ピンハネ」「中抜き」だと叩くのは、ボランティア活動やNPO活動全体にとって、非常に悪い結果を招く。つまり:
からだ。
「100%持ち出しの金持ちをお手本にすべき」「ボランティア実務に関わる人はタダで働くべき」というイメージの流布は、こうした活動の継続性を著しく悪化させる。ボランティア系団体を無償または低コストな善意だけで廻そうとすると必ずどこかで破綻する。ちゃんと優秀なマネージャーと専従スタッフがいて、業務知識と経営資産を継承できる体制がないと、萌芽組織が生まれてはまた壊れ、そのたびに尽力した善意の関係者たちは疲弊してその世界から離脱していく。
だから海外のNGO/NPOはしっかり給料出して堅固な組織を作り、行政とも強いパイプを築いて、運動の継続性を担保する。啓発のためにはTVCMも含めて広告宣伝だってバンバン使うし、効率的な事業運営のためには報酬積んで一般企業から敏腕マネジメント招いたりもするし、運動に貢献するなら物販の収益事業だってやる。というか、強い使命感と継続の意志があるなら、早晩そういう運営に移行してくのが当然の流れなのだ。oxfamとか(RED)とか。で、日本ユニセフ協会は、古典的ながら、比較的これに近い路線で確固とした組織形成をやってきたのがうかがえる。
でも、日本でそれをやると、なぜか叩かれる要因になる。「慈善活動にはコスト概念を持ち込んではいけない」「善意の運動は無償で担われるべき」という愚かしい思い込みが広く浸透しているからだ(個人的には、これは日本財団系の「誰が金を出したかが明瞭でない公営ギャンブルの収益の一部が、社会的エクスキューズのためにドカドカ慈善活動に突っ込まれる」という様式に我々が慣らされすぎた、というのもあるだろうと思っている)。これが、慈善的な社会運動へ参加してみよう、とか、組織してみよう、という行動へのハードルをどんどん引き上げていくことは言うまでもない。そんな理由で草の根における再分配の仕組みが活性化されないのは、社会全体にとっても大きな損失なのだ。
ひろゆきのこのあてこすりが、一応は「叩き」として機能してしまう理由もここにある。ひろゆきは世間の常識にとらわれない無手勝流のように言われるけど、この件に関してはもうズブズブに因習的で俗論にまみれた偏狭な日本人だということ。
てか、長々書いてはみたけどさあ、冒頭のエントリ読めばはっきりわかるよね、ひろゆきが子供の福祉にも日本ユニセフの活動実態にも全く興味がないってことが。アグネス叩きたい一心で持ち出してきただけの話で、しかもそのロジックが粗雑きわまりない。「マクドのポテトは原価率が〜!」って得意げに吹聴する高校生とどこが違うのこれって感じ。そもそもブコメで複数の人が書いてるように、裁判に負けても借金踏み倒し続けたり納税を回避してる奴が、こんなときだけ子供の人権の代弁するようなフリして他人様の金の使い道にあれこれ口出すのがおこがましいわ。