はてなキーワード: 価値とは
男は精子だけ提供すればいい 顔とスタイルと頭脳に優れた男の精子だけ集めて配れば良い
男なんてどうせ子育てなんかしないんだから結婚して一緒に住む価値がない 邪魔なだけ
金と人手を援助して、女一人で子どもを産むことを素晴らしいことだと喧伝すれば女二人くらい子ども産むよ
男を立てる形でしあ少子化対策しないのが悪い
元気なときは自殺するくらいなら今の環境を投げ出して生きればいいじゃんとか、どうせ死ぬなら豪遊とか短絡的に幸せなことをしてからでいいのにとか漠然と思ってたんだけど、現況を壊す勇気がないから自殺するんだなあって。
みんながみんな一緒じゃないと思うけど、俺の場合は自分という存在がかなり不明瞭になっていて、そんな"自分"を保てる唯一のコミュニティに少しばかりの拒絶をタイミング悪く突きつけられた瞬間に『死ぬこと』が気楽な選択肢になった。
俺は小学生中学生の頃に軽いいじめを受けた経験があったり、生涯にわたって自分でやり遂げたものがない。だから常に自分に自信がない人生で、最近とある出来事から少しずつメンタルが壊れていって、その過程で気づいたのがアイデンティティの重要性だった。
俺は、小中学生の自分、高校生の自分、大学生の自分、社会人の自分が少しずつ違う。何かしら鎧をまとい、その場しのぎで自分をこしらえた。その反動は、強い反抗期だったり、落ちぶれそうな同期に対する態度だったり、様々な場面で発露していたと思う。セックスに溺れた時期があったんだけど、それも自分を表現する一環だった。
ただ、そんななか、家族といるときの自分はおそらく"素の自分"だったはずで、壊れかけたメンタルがようやく上昇指向となり、もちろんその根源であり拠り所は家族といるときの自分だったんだけど、日曜日にものすごい勢いで妻に否定されてしまった。
世の中にいるヤバイ奴。暴力的だったり、奇想天外な行動をするやつだったり。それが対外的な行動であるものは全部『自分がここにいること』の証明だ。誰しも拠り所とする"自分"はどこかにあるわけで、大小に関わらず唯一のミュニティから拒絶されることで発狂する。
以上ここまでアルコールにほぼ溺れていない自分が書いた文面で、俺はこれから少しずつ他人を試しつつ、自分に価値がないことを証明しながら自死への扉を開いていくのだろう。今日はその第一夜に過ぎない。はじめてアルコールを含みながらしごとをして、壊れていく自分を見据えながら。
24歳、年収700万、実家暮らし、身長158cm、体重48kgのデブス
彼氏はこれまで5人ほど付き合った経験があるけど、4月に振られて以来ずっと喪女で、恋愛経験はほぼゼロ。
この前、久しぶりに合コンに行ったけど、どうやら私は人数合わせに連れて行かれただけだったみたい。
誰とも連絡先を交換できなくて、ちょっと笑えるけど、正直ショックだった。
なのに、男ってどうして私みたいな非モテデブスを「いないこと」にするんだろう?
存在しないかのように扱われるたびに、自分の価値が認められない気がして、心の中でどんどん自信を失ってしまう。
この世界に私はちゃんと存在しているのに、誰かが気づいてくれることはあるんだろうか……。
誰か、私を助けてほしい。
太陽の塔は今もフィギュア等グッズで稼ぐし、大阪のシンボルとして観光の価値もあるし、中に入ればわかるけど圧倒的な天才の表現で、かけた値段以上価値があるから良いよ
・航空チケットもダイナミックプライシングは採用していて、かつ、転売は防止出来ている。
ダイナミックプライシングだから需給次第で価格がせり上がる。締め切り間際などそうなりがちだ。その点は増田が提案してるオークションと変わらんのでは。
・「世界的に人気のあるコンサートチケットを販売する場合、ダイナミックプライシングとオークションとでは、どちらが収益最大化を実現できますか?」とGensparkに尋ねたら、どちらが適しているかは、一概に言えないみたいな回答が返ってきたわ。プレミアムチケットはオークションで、一般チケットはダイナミックプライシングでとか、なんか工夫が要るんだろうな。
巨匠の名画ならダイナミックプライシングではなくオークションのほうが収益は最大化できるだろう。価値が高く、世界に一点しかない希少性を持ち、いくら出しても欲しいと考える人間の数が供給数を上回っているから。その類推で行くと、極めて数を限定したプレミアムチケットならオークションにすれば天井知らずの値が付くかもしれない。とはいえ、実際のコンサートの席数は(規模によるが)数百から数万はあり、巨匠の名画からの類推をその全席に適用しても収益最大化は実現できないと思う。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF027500S4A900C2000000/
ISOの認証取得(9001等)には、推進責任者として5年ほど携わった。
表題の件で、改めてISOの価値とは何かについて考えたのでまとめたい。
ない。
ISOの認証が停止されるケースは問題が発覚した後であり、予防効果はほとんどない。
過去の食品事故の事例でも事件が起こった後から認証が取り消された。
唯一価値があるかもと思う点はISOの認証が取れない(表面すら取り繕うことができない)ほどのヤバイ企業を取引対象から除ける点である。(そんな企業あるのか)
審査機関にとって審査対象の組織は客にあたる。つまり商売である。
つまり組織にとっては審査機関などどこでもよく、立場的には組織のほうが高くなる。
そのため、実際の審査で厳しく審査され、落とされるような審査機関(そんなものは聞いたことがないが)には客が集まらなくなる。
結果として審査機関は、それなりに体裁が整っていれば認証を通さざるをえず、どんどん形骸化していく。
審査は審査機関から派遣された審査員が、組織の規模に合わせた日数行う。
いかに優秀であっても数日でその組織の仕事を正確に把握することは不可能である。
必然的にマニュアルや手順書ベースの審査となるが、そんなものは偽装し放題である。
また、偽装でない手順書も仕事のやり方が変わるのに合わせて改訂されず、現実とどんどん乖離していくことが多い。
質が悪いのは1度審査を通っているので、見た目には整合性が取れているように見えるところである。
まとめると
事後的に認証を停止した今回も、そのうち何もなかったかのように再開するだろう。
イカンのイを表明した程度のことで、世の中には何の影響もあたえない。
なんか子無しはこういう事言って老後もノンビリ生きるつもりみたいだけど
金を払うからいいだろ?
働く人が足りなければいくら金があっても物理的にサービスを受けられなくなります。
アホなのか?
正式名称は『国産ダチョウ肉のローストビーフ風オーストリッチ丼~スープ添え~』らしい。長い名前だ。
肉の味は鶏肉とは思えない。何も知らなければ牛肉と勘違いするだろう。商品名ではダチョウ肉を強調していたので肉を注意深く味わってみたが、ローストビーフと違って噛み切りやすい肉だった。牛肉のローストビーフだと肉の赤身の繊維が咀嚼と共に絡まって口の中でとどまるが、このダチョウ肉はほぐれやすい。その点では通常のローストビーフより優れているだろう。
反面で、肉のうまみがやや乏しい気がする。ローストビーフならば噛みしめるほどに肉汁とともに旨味があふれてくるが、このダチョウ肉は肉汁少な目でやや淡白に感じた。
とはいえ、注意深く咀嚼しなければ気にならない程度のことである。肉の味や匂いに気になることはほとんどなく、ローストビーフの牛肉そのものの味であった。
味付けは問題ない。ローストビーフ丼として合格点という味だ。肉についたソースは旨味ととろみが多めの醤油だれといったところか。この肉に丼の内のサラダのわきに添えられたホワイトソースを絡めてさらに卵黄も加えれば、まぎれもないローストビーフ丼の味となる。
ちなみに、オーストリッチ丼には生卵と一緒に白身と黄身を分離するセパレータが付いてくるので、卵黄だけを丼にかけることが可能なのだ。
さらに汁物として鶏ガラスープも付いてくるが、この鶏ガラもダチョウ由来のようだ。汁に固形の具材は無い。中華料理における白湯(パイタン)スープに似た味がしており、鳥の旨味がしっかりと感じられた。
味は良かったけれども、匂いがかなり気になる。普段食する牛・豚・ニワトリには無い獣臭さを感じられた。個人的にはあまり好きではなかった。スープに薬味や香辛料の類の味や香りがあまりなかったので、獣臭さは隠れることなく感じられる。このスープは万人受けする物ではないし、それどころか気に入る人は少数派となるほどの代物ではないだろうか。ネギを散りばめて胡椒を利かせるなどすれば匂いをある程度抑えられただろうに、それをせずあえてダチョウ特有の匂いを際立たせることに商品開発者の挑戦心を感じた。
価格は1683円(税込)だ。はっきり言って高い。これなら普通にローストビーフの専門店に行った方がいいだろう。せめて価格が1000円くらいならば、普段の吉野家の利用でも注文しようと思えるのに。期間限定かつ店舗限定の商品として一度食べてみるのならありだが、リピートする価値は感じられない程度のコスパと言ったところだ。
隠れ蓑にTwitchで適当な配信者フォローするか~と思って配信中の奴らを適当に探したんだけど、結構女性の配信者って今多いんだね
それで立ち絵もいい感じだし声も悪くない、じゃあどうせフォロワークソ多いんだろうな、って思ったら100~200人くらいなのよな。
いやすごいんだぜ、ファンが100人いるって。普通に生きてたら100人の人間の興味なんて惹けないだろうから。
でも、もはや暴言だけど、男の自分よりフォロワー(自分の場合はYouTubeの登録者なので事情が変わりそうだけど)少なくて驚いたんだよね
女性であることはそこまで価値じゃないの?と不思議に思った。だって男と女だったら同じ条件だったら絶対女のほうが人気になるだろ
だから自分はここ最近ずっと自分が男であることにコンプレックス抱えて生きてきたが、女でも対して有名になれないんだったら結局何が…正解なんだよ
半額牛角デートでも喜んでくれる女って良いなぁ!と思ってるのであのキャンペーン自体に嫌悪感は無い。
デートで値引きされた店に行くのって女がめっちゃバカにするじゃん。いいの?あれ。
自身の容姿が好印象を与えることが、人生においてプラスの作用を齎していたかもしれないと今更気づいた話。
自身の容姿を良いと捉えるナルシシズム的発言が多々あることを承知の上で読んでください。
きっかけは、Xで見かけた女性活躍に関するポストだった気がする。詳細は覚えていないが、「女性活躍などで台頭し意見を述べる女性は見目が華やかなことが多い。それは、意見を聞いてもらえる・発言しやすい土台があったからではないか」といった内容だった。
これには心当たりがある。仕事柄、社会で一定程度の地位を獲得している女性と出会うことが多いが、同性として魅力的だと感じることが多かったからだ。
勿論、皆優秀であり努力も重ねられている人々で、容姿のお陰で登り詰めたと言いたいわけではない。
ただ傾向としてそういったことはあるかもしれないとは思った。
一方、自分自身のこと。
振り返ると、褒められることは比較的多い方ではあった(そのほとんどは世辞、というかコミュニケーションの一環だとは思う)。ただ幸か不幸か、そうした褒めを糧に優れた容姿を持つ女性といった自意識を持ち、自分を磨くということをしてこなかった。
卑屈に受け流していたわけではない。褒められればその時は嬉しいので素直に反応したり、人が多い場では困惑し流したりしていた。いずれもその場限りの反応だった。
メイクやファッションは好きだし、自身で鏡を見て「今日は盛れている」と気分が上がることもあったが、なぜかそれと他者評価は結び付かず、すべてが自身の中の絶対評価で完結していたように思う。
それは私が子どもの頃からオタクであったからかもしれない。今でこそ市民権を獲得し、オタクと非オタの垣根は随分なくなったものの、当時のオタクは隠れるべき存在でありどこか恥ずかしいことと捉える風潮があった。
日陰のものである、日陰の人格を内包している、という感覚が女性性を意識する自意識の育成を阻んでいたのかもしれない。
そんな状態であった自分が自己を顧みたのは、先述のXのポストを見た時に、以前オタク友達に言われたことを思い出したからだ。
オタクは隠すものと述べたが、自分はそうではなかった。隠すことがあまり得意ではなかったので、非オタの友人の前ではわざわざ話題を持ち出さないだけで隠してはいなかった。
そうしたことを友人に伝えたら「それは隠さなくても立場が揺らがない容姿や自信があったからでは」と言われた(親しい友人であり、糾弾されたわけではない。あくまで一意見である)。
そして、「それはあなただから言えるんだよ」といったようなことを言われたことは、この時、この友人からだけではなかったことを思い出した。
私は昨今の自己責任を強調する風潮には反対であり、マイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』なども共感を覚えながら読んだ。機会は均等ではなく、どのような環境に生まれるかといった運による要素も考慮しなくては、能力不足は努力不足=自己責任といった風潮が加速する。
こうした思想を持つ自分にとって、容姿という運による要素に対し無自覚でいるのは問題なのではないかと今更思い至った。
美醜の価値観は時間や場所により変動するものであり、絶対的な価値があるとは思わない。ただたまたまその場所では良しとされる傾向があるのではないかと思う。
それが優位に働いてきたかもしれないと気づくことは、ナルシシズムという悪性の萌芽であると同時に、「運良く、要領よくやってきたから」と考ええいた自分への驕りを見直す機会でもあった。自分が運だと思っていたものでさえ、更なる運により齎された可能性があるのだ。
とはいえ容姿に関する話題は非常に繊細であり、この話を人にすれば不快にさせることは理解している。だからこれは匿名で投稿することにする。
もしかしたらこの問題を突き詰めると自身も人も不快にさせる可能性があるとわかっていたので、これまでの人生で自覚的にならないようにしていた可能性さえあると気づく。
自身の発言はどこに立脚しているのか、無自覚の驕りはないかを疑うことは、してもし過ぎることはないのかもしれない。
最後に、これまで無遠慮な発言をしてしまっていた人々には申し訳なくなる。自己責任主義のようになりたくないと思っていたが、近い傾向が自分の中にもあった。多分まだ沢山あるのだと思う。自戒。