はてなキーワード: 事故とは
相変わらずできた動画をチェックしない(チェックしても見つける知能がない?)のに物申す系やってるYouTuber
FCスタッフはお金持ちの主婦やお嬢様がやること、って書いてる人多いけど、それじゃ回らないのが宝塚の会のダメなところだし怖いところなんだよ。
路線会いたら分かるけど、お金と暇がある貢献会員(1公演で20〜30回観劇するような人)は出来るだけチケット買わせて花代出してもらって気持ちよくずっとサポートしててもらわなきゃいけない。
だからお手伝いしてもらうのはお茶会の当日準備や受付あたりの華やかで楽しいところ。いいとこ取りしてもらって手伝ってる感だけ味わってもらう。
それより先に関わらせたら増田のように疲弊して病んで去ってしまうの分かってるから、ガチの会スタッフには勧誘しない。
そもそも社会人経験ないようはぽやっとした奥様お嬢様に完全なる汚れ仕事の会スタッフはできない。
(代表は奥様お嬢様多いけど、それは会スタッフが下で奴隷労働してるから成り立っている)
勧誘するのは真面目でそこそこ家はしっかりしてるけどちゃんと自分で稼ぎのある人当たりのいい若めの社会人。
会活動してる中で代表や中心スタッフが関係性作って見定めて、〇〇さんのためにお願い、どうしても人手が足りなくて、期間限定でもいいから、ってお断りしてます何度も頭を下げる。
これ以上断ったら会に居づらくなるから、少しだけならお手伝いします、からガッツリ会活動に取り込んでいく。
自己顕示欲でとかジェンヌと近づきたいからとかでスタッフになりたがるような人は、そもそも勧誘されない、またはお茶会のお手伝いあたりで満足させておく。
実際の会スタッフは想像してるようなオホホウフフの世界じゃない。
自由時間ゼロだからどれだけ生徒のために奔走しようが観劇もできない。
増田はまともで真面目で律儀だったから目をつけられてスタッフにならざるを得ない状態になってしまった。
増田はほんとに頑張ったよ。
お疲れ様。
意図と予期と結果の掛け算で罪の重さは決まるでしょ。
意図や予測はプロなら免責されづらい。免許や衛生の資格もってれば猶更。
悪意も予測も不可能な場合は不幸な事故として片づけられることが多いでしょ。
悪意があれば有罪認定されやすかったり、意図がなくても予期できると認定されれば大抵は有罪だったりね。
スマホを見ながら車を運転した場合、何も起きないこと、事故を起こすこと両方に蓋然性を見出す事ができるが、その程度には差があるんだよ。
「蓋然性を見いだせる=両方同じレベルだと思ってる」って理解はマジで中学生未満の知能だってことを自覚して生きていったほうが良いぞ。
まぁ見た目のインパクト、店主の対応、いじめだろうな 叩けるだけ叩こうみたいな
でもあの見た目で3000個も売れてたのもすごいし、一人でそんなに作れる?って思うし、いままで事故起きてなかったのもすごい
さだまさしの「償い」みたいな話だが
いつもは真面目に注意深くても、たとえたった一回、その瞬間だけ不注意で
刑罰が応報的なものでなく抑止や更生を目指すものという点では、たしかに行為の内容で見るべきというのも一理ある
ただ気になるのが、結果の差がすべて運なのか?という点
歩行者がいるときは減速して、歩行者がいないときに飛ばして事故を起こした人と、常に飛ばして事故を起こした人は同罪か?とか
それから、逆に言えば人が死んだ場合でも死ななかった時と同じ罪になることに皆が納得できるかというと
それも疑問点かな。
宝塚ではヘアアイロンで日常的に火傷事故が起こっているというのは劇団も認めるところです^^
あなたの周りの方もさぞよくヘアアイロンで火傷なさってるんでしょうね
やっぱり火傷される方はあなたと仲が悪い方が多いんですか?
池袋暴走事故の賠償金額が、通常よりもかなり高いのは、理論的には到底納得し辛いことだ
社会慣習を考えあわせると、その判決は、むしろ保険会社に負担を追わせる刑である
したがって判決は、家族には事故発生の防止に務める義務があったとは示さない(民法共助義務)
すなわち本人はあるいは保険料が高くなるとしても、妻と子の将来の相続財産はまず無傷だ
加害者は禁錮になり、妻と子から5年間隔離されるが、おそらく禁錮が終われば家に戻るだろう
単品では採算度外視だから試作品 (または量産初期) のほうが量産機より性能が高いということが現実でもありうるんだが、メンテナンスとかまで含めた運用とかコストとか故障率とかまで考えたら量産機に分があるのが普通。
フィクションというのがどの分野かにもよるが……戦場で使うならちょっと性能がいいのが少数あっても役に立たない (スペックが上昇したといっても旧型量産機が数で押し寄せてくるのに対抗できるわけではない) のであくまでも試験という体裁にするか事故とかで試作品を実戦投入せざるをえなくするなどの理由付けはいるだろうな。
(何も調べずに書き始めます)
定年退職を境に100分の1になる、なんて急激な変化はないだろうけど、最終的には、たとえば100歳までにはゼロになることは確実だよね?
100歳の免許保有者が、どれだけの割合で返納して分母を減らすのかは知らんけど、ともあれ分子のほうが早くゼロになるだろう。
そうなると、70歳の事故率がたとえ若年層と大して変わらないにしても、実際に運転してる100歳の真の事故率は相当高いことがありうる。
保険屋にとっても、100歳の顧客の大半は「単に保険料を払い続けてくれるゾンビ」だろうから、全体として掛け金を上げる必要もない。
(運転者個人の運転キロ数とかによって細かく切り分けてる保険屋ならどうだろうか?そこは知らん)
同様に、多かれ少なかれ99歳でも、98歳でも、真の事故率がやっぱり高いことは、ありうるのだ。
でも逆にもちろん、97, 96,...と区切り続けて、60歳まで刻むころには、すっかり事故率も減ってしまうので、高齢者を全体として見てしまえば、「数倍程度」に収まってしまうんだろう。
やんちゃな10ヵ月の子犬で、宅急便の受取してる間に、ドアの隙間から脱走してしまった。
これ本日12:30ごろのできごと。仕事中にも関わらず、オカンから、帰ってきて〜と泣きの電話が入る。
仕事をとっとと切り上げ早引きして、家に帰っていないと思いつつ周辺をぐるっと回ってみたものの、案の定いるわけもなく、あーこりゃ諦めなきゃダメコースかな、と考えてたら15:30ごろにカラダ中ひっつき虫だらけにしてひょっこり帰ってきて、必死でブラッシングして、一通り怒ったあと、ごはん食べて、今はストーブの前に陣取って寝てる。
とにかく事故に遭わず迷子にもならずに帰って来れたのが嬉しい。
飼い主としては反省すべき点だらけだけど、
まずは脱走させない
ことを最低限でもやらなきゃ、と思った
15歳〜23歳くらいまで毎日せっせと書いてた日記を処分したい。
今は鍵のかかる場所に保管してあるんだけど、先程
「ときめくかときめかないかより死後どうすんのこれって思った方が断捨離って進むなー」
というツイートを見かけてやべーなと思った。
日記があるおかげで若き日々を昨日のことのように思い出せる。ときめくかときめかないかでいえば圧倒的に「ときめく」品なんだけど、
奔放に過ごした青春の記録を全部克明に書いてしまっているので、死後とて家族に見られたくない内容でびっしり埋まっている。
もし明日私が事故で死んだら、遺品整理で日記が見つかって、家族に読まれて、私は二度死ぬことになる。
ゴミ出し当番の夫はかなりゴミ分別に厳しい人なので、こっそり燃えるゴミに紛れ込ませるのは至難の業。
日記、どうやって捨てましょうかね。
某所で燃えてる腐れマフィン、つくってるひとのことを障害持ちだとかボーダーだとか指摘する人が多いが、たしかにそれは差別意識があってよろしくない。
よろしく無いけれど危うい人たちが、危ういままに、人の命を左右する職業についてしまうことはもっとよろしくない。
障害がある人が食品製造してもいいけど、それは適切な指導があってのこと。
障害者に対して適切な支援をすることは社会全体への公益につながることだと改めて感じる事件だった。
支援すればその仕事をできる人ならやってもいいけど、支援してもだめなら諦めてもらうしか無いし、支援なしで仕事されたら非常に危険。
本当ならお留守番サービスにつながって伝言が残されているはずだった。けれど今日に限っては留守番になると切って連続してかけてきていた。
「スマホがこわれちゃって。いつこっち帰ってこれる?」
なんだよ。そんなことなら留守電に残してくれればいいのに。こっちは夜勤明けで疲れてたのに。と内心苛立った。
「いつか帰れる日に帰るよ。」
と強引に切ろうとすると
「お姉ちゃんがね。」
切ろうとしたその瞬間滑り込んでくるような早口で母が言った
「癌って。乳がんって」
私は驚かなかった。多分それは医療職で私がオペ室の経験もあって癌患者を受け持ってきた看護師だったからだと思う。
この時の会話はあとあととても後悔した。なぜここで「お姉ちゃんは大丈夫?」って聞かなかったのだろう。
「とにかく悪い。だから」
幸いにも実家まで30分ほどで着く距離に住んでいたため夜勤明けの体を起こしながら実家に向かった。
30分の道のはずなのに無限にも思える長い長い道のように感じた。
たくさんの手術に入ってきた。もちろん乳房全摘術だって。患者さんがオペ室に入ってきて落ち着くまで寄り添ったことだってある。泣いて泣いて涙が止まらないままの患者さんだって見てきた。それに。もう手遅れだった手術もあった。
実家につくと姉の車はなかった。
「姉ちゃんは?」
「仕事に行ってるよ」
「それで?ステージは?」
「何も何もわからない。聞いたけど意味がわからなかった。とにかく悪いってだけ覚えてる。でも早く見つかってよかったね?って話してたよ。」
「そう。」
「だからね。早く見つかって良かったってお母さんは思う。ね?そう思うよね?あんたも。」
「うん。」
「毎年検診に行ってたからね。それで見つかってね。手遅れにならなくてよかった。早く見つかってよかった。ほんとそう思う。」
「そうだね。」
「ほんと。昔から、昔から、あの子はついてないのよ。昔から。」
私は母の話を聞きながらファンクの危機モデルを必死に思い出していた。いやここではションツか?コーンかな?なぜかそんなことが頭の中をぐるぐると回ってた。
看護師になって10年はたった。手術室にいた期間はそんなにながくなかった。3年ほどだったか。
とても忙しい病院だったけれど患者さんには寄り添えていたと思っていた。
でもあの涙を流した患者さんの家族は今どおしてるだろう?手遅れといわれた家族は?教えて。こんな時どんな言葉をかければいい?こんな時私は家族としてどうしたらいい?
私はただただ涙を流しながら話す母の話を聞くしかなかった。
いつも冷静ぶって科学的根拠に従ってワクチン打てとか言ってるくせに、高齢者ドライバーが特別危険なデータはないと言う結果には無理矢理難癖つけてきてワロタ。
実際に運転してるドライバーの割合なんて年代で大して変わるわけねーだろ。仮に数倍程度変わったとして、つまり最大限お前らに都合が良い想定をしても、お前らが思ってるみたいな暴走老人の事故率が他の年代と比較して超高いみたいな予想は絶対外れてるんだからそこは一旦認めろよ。
梅田ヨドバシ前の歩行者通行量が多い箇所で日本保守党が演説をした為に滞留が発生して雑踏事故が起きそうな状況になった件で、ヤフコメやツイッターで支持者と思しき者達が「消防車まで来たのは虚偽通報による妨害だ、検挙されるだろう」と言い合い、賛同し合っている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa62550a78dbef7a5d0c88bc5212139eacb221f0/comments
この一見不必要な状況で消防車まで来て大袈裟な騒ぎになるというのは増田も経験がある。増田の経験でも、投身自殺(死亡)、歩行者の交通事故(重体)、死臭による孤独死の確認(死亡)、鉄道人身事故(死亡)で火災の兆候も無いのに消防車が出動してきた。
これはどうしてだろうか?
これはPA連携と言われる方法で、平成12年頃から始まった。PAとはポンプ車(消防車)とアンビュランス(救急車)の事で、要するに状況に由っては消防士が救急を支援する為に一緒に臨場する。
「google:PA連携」と検索すると色んな自治体の解説が出てくる。
その状況とは、
・心肺停止
・重体
・雑踏で救急の困難が予想される
というもの。
この為に消防士も心肺蘇生の講習を受け、救急救命士の資格を得るようになっている。
だから孤独死や人身事故等でも来るわけだ。孤独死とか鉄道人身事故で人体が散乱しているようなケースでは状況から死亡が明らかだが、法的には救急や警察官が死亡を確認しないと「心肺停止がが疑われる」状態のままだ。だから一緒に出動する手配が取られる。でも当然素性の見込みがない状態だから警察に任せて直ぐに帰って行く。
今回の梅田ヨドバシ前の場合は、階段の存在と2次交通災害の危険、雑踏が該当するね。
多分だが、危ない状態なので誰かが110番通報したのではないかと思われる。雑踏事故の予防は警察の職務職権事項というのは韓国の事故で周知されたのだろう。
ほぼ滞留状態だったと聞くから事故が起きる前に警察が臨場できたこの判断は正しかったと思われる。
通報を受けた警察通信指令室は救急の必要ありと考えたら消防指令室に救急車の派遣を要請する事になっている。
あとはPA連携の要件満たすケースなので消防車も出動、と相なったと思われる。最初の110番から正しい対応のチェーンリアクションだ。
救命救急に興味がないと個人としてPA連携とか知らないというのは仕方がない。だが問題は集合知や集団として賢くなるコミュニケーションをしているかである。
PA連携を知る人が10%程度とする。ここで2人、4人と人数が増えれば知る人が含まれる可能性は20%、40%と上昇する。母集団1000人ともなれば確率なんて議論する余地も無い。知る人が多量に含まれると予想されるのは当然だ。
だが特にネットコミュニケーションではこの針の穴を通る程の確率の「知らない人だけで構成される集団」が自然発生する事がしばしばだ。
また、「知る人」が含まれても、軋轢を恐れて言わないか、言っても無視される。自由なはずのネットで隣組をやる訳だ。こういう力学に支配された集団では、「多数が集まるのにPA連携を知る人がいない」という天文学的確率の状態が維持されるようになる。
これの類似で提示したいのは過去の在日特権デマだ。このデマの中心は「特定集団の人間は無税である」というものだった。
だがこれは差別性などを措いておいても単純な話で、確定申告の仕組みを知らないという事に起因していた。
確定申告では税務署が配布する多重カーボンの申告用紙の欄内に数字を記入する。税の控除を受けるには控除項目の数字欄に記入する必要がある。
ならば「在日特権控除」の欄が無ければ控除されず、申告書を出したその場で税額が決定する。そもそもその税額を計算して書くのも納税者本人だ。
当然そんな欄は無いからこれはガキみたいなデマだなと直ぐに判る。確定申告をした事がある人の割合は60%程度であるから、二人いて在日特権デマを共有していたらその時点でも特異な集団と言える。
だがこのデマは「確定申告やった事ない人」を選択的に魅了して蝟集させ、10年以上継続して信じられていた。驚異のフィルターバブルだ。
高校生までなら身の回りで「確定申告やった事ない人」が100%というのは珍しくない。だがそれ以上でやった事ない人だけに囲まれているというのは特殊状況である。