はてなキーワード: 不可能とは
最近、都知事選挙の話題がニュースで取り上げられる度に気分が落ち込む。誰が次の東京都知事になるかなんて、もうどうでもいいと思ってしまう。小池百合子が就任した時も、それなりに期待した覚えがある。でも、結局は何も変わらなかった。築地市場の移転問題や、東京オリンピックのゴタゴタが頭をよぎる。どれだけ期待をしても、結局は失望で終わる。
最近の有力な候補者として名前が挙がっているのは、自民党の増田寛也と立憲民主党の大河原雅子。増田は元総務大臣で、地方自治に関する知識は豊富かもしれない。でも、結局はお偉いさんたちに操られるだけの人形に見える。ちゃんと都民の声を聞いてくれるかなんて、正直疑わしい。大河原に関しても、最近の彼女のSNS投稿を見ていると、何か胡散臭さを感じる。彼女が掲げる政策も、実現不可能な理想論ばかりで、現実味がない。
さらに、ここに来て新顔の山田太郎が出馬を表明した。彼は実業家で、メディアにもたまに顔を出すが、本当に政治を理解しているのか疑問だ。彼の経歴を調べると、過去にいくつかの企業を立ち上げては倒産させている。そんな彼が東京都の未来を担えるとは到底思えない。
どうせまた、どの候補者も公約ばかりを並べて、実際には何も成し遂げられないのだろう。結局、政治家たちは自分たちの利益しか考えていない。都民のために働いてくれる人なんていない気がする。考えれば考えるほど、投票日に足を運ぶ気力すら失せてしまう。
次の東京都知事が誰になろうとも、自分たちの生活は改善されない。毎日の通勤電車は相変わらず混雑し、水道料金や電気料金は上がり続ける。少子化問題も解決の兆しは見えず、高齢者福祉も一向に進まない。結局、私たちは変わらない現実の中で生き続けるしかないのだと諦めるしかないのかもしれない。
日本のシステム開発って死んでも上級エンジニアやアーキテクトを置かないけどさ。素人同然のジュニアエンジニア集めて突貫工事して数年も持たない、メンテナンスも不可能なシステム作って
「安く済んだ」って喜んでるの
日本の作ったシステムってなんであんなに使いにくいの。GoogleやAmazonみたいなことすらできないの?っていうけど、素人集めて突貫工事してるだけやもんな。金が惜しいっていう理由で。
堅牢な設計を行うアーキテクトとかシステムの品質を維持する上級エンジニア不在で作ってんだから使いやすいわけがないw
そんで「日本のエンジニアはレベルが低いw」「へぼい日本人エンジニアのお前が外資で働けるかよw」っていう煽りが、(上級エンジニアにステップアップ可能な)エンジニアの国外流出を招くという
同意しないなあ。嘘をつくということは議会による民主的統制が不可能になるということと同義でね。
だから民主制国家では虚偽答弁即内閣総辞職というのが当たり前なのだし、逆にいうとそうならないのは最早実質的に権威主義体制と言っても過言ではない。まあ、都議会は最早そういう事態になっていると考えてもいいようだけど、これ立憲主義の民主制として健全な状態かなあ。
あと、剛腕は結構だが、そういう真っ当でない手法は、その権力の委ねられた範囲において広く共通の利益を損なわないための緊急事態に限って最小限で使うものであって、それを自らの学歴を繕うという私的で矮小な目的に使うのは、物事の大小を間違えている。これは、自治体首長の大きな仕事というのはその自治体の政策の優先度を定めるものであって、その判断力が乏しいことを意味すると思うんだよね。
つまり、貴殿の主張する現都知事の「剛腕」を仮に認めるとしても、この点を踏まえると、頭の弱い力持ち、何とかに刃物、という類で、一番権力を与えちゃいけないタイプの政治家なのではないかなあ。
まあ、個人的には「剛腕」にも疑問があるんだけど。氏以外にこんなことをしないのは、普通の民主制で政治家に期待される程度の倫理観でこの行いは防がれるから、というだけだと思うしね。
リンクされてるnoteの作者、ホロドモールも知らずに記事書いてるのは普通にヤバくね?どの口で
にしても、実行不可能だったとはいえ、2,000万人〜3,000万人の「飢餓計画」とは想像を絶する話で、毛沢東もスターリンも別に計画的に飢餓で大勢の人を故意に殺したわけではないので、もし実行されてたら、今頃誰がナチス・ヒトラーを擁護してたでしょうか……。
とか書いてんだよ…
「これ現状だと進めないなー、一度戻って別ルート行こう」って戻ろうとしたら帰り道がなかったとき
一見不可能だけど「閉じ込められてる」ということは”今できるアクションだけで必ず進める”ということだと示されて、よし考えるかって覚悟が決まる
社会性は意図ではなくプロトコル (規約・慣例) で成り立つ。
解釈はプロトコルに則った範囲内でのことであって、プロトコルに沿わないものは解釈の余地を検討してはならない。
多様性がどうこういったところで同じ社会の中に生きていることには違いないので最低限の共通基盤となるプロトコルを失えば共存が不可能になるから。
喩えて言うなら、自動車が左側通行でも右側通行でも問題はないが、左側通行と右側通行が共存することはありえない。
ドライビングテクニックは人によるし色々なレベルの人が存在しているが、日本の車道では左側通行という前提を失えば破綻してどうにもならなくなる。
異なるものが共存するためには最低限度には共有しなければならないルールが存在するんだよ。
日本の車道で右側通行してもぶつからないくらいにドライビングテクニックがあったとしても、でもまあ右側通行したら論外だわなって感じの話。
東北圏から東京圏に移動した理由を複数回答で尋ねたうえで、インタビュー調査で最も重要視する項目を順位付けしてもらったところ「やりたい仕事・やりがいのある仕事が地方では見つからない」ことが地方から転出した主要因だということが分かりました。
不可能だということに目を瞑ればよォ〜〜
91年ごろはバブル崩壊後の後処理が主因
今は少子高齢化が主因
30年も経ってるんだから同じ不況でも主要因が違うのはまあ当然
そして少子高齢化の方がタチが悪い
何故なら、不良債権はある程度の人間を自殺必至の経済状態に追い込む覚悟で処理することができる(実際やった)が
肯定派とか否定派とかに与する前に、そもそもまずまともな議論が行われていないと感じる。
当該のMVという素材が視聴不可能になっているから仕方ない部分はあるが、まず否定した人たちが、「なぜ否定されなければいけないのか」について客観的妥当性のある理由を述べているのを私はまだ見たことがない。この増田の「表現としての伝わりづらさ」(イコール差別表現だと誤認識されやすい可能性、と読んだ)という意見が初めてだった。
感覚的に否定する(=不快表明)は何度も見ているが快不快での評価に客観的妥当性はないし、そんな基準で表現をキャンセルしてよいはずがない(自由の制限の濫用だ)。
例の口の悪い増田も、結局のところ「なぜ否定されなければいけないのか、ちゃんと理由を述べろ」と言っている。感覚ではなく、論理で納得できるために。
記号的に「“コロン(ブス)”はNGワードだからダメなの」的な、思考停止の意見が目立ったのも事実であり、その現象自体に私は最も危機感を覚えている。まずは開かれた議論を、という基本中の基本を大切にすべきではないだろうか。
過敏性腸症候群の症状があって心療内科の予約を取ろうと電話をしたんだけど、
「過去に一度でも心療内科にかかったことはあるか?」と聞かれた。
自分は過去に心療内科に行ったことがあったので「あります」と応えると、どうやらその場合は紹介状が必須らしい。
しかし、自分が心療内科に行ったのは引越し前なので5,6年ほど前の話だし、駅チカの適当なところで3回程度しか行ってなかったので病院の名前すら覚えていない。仮に覚えていたとしても別の市まで足を運ばないと行けないし。
そのことを伝えると「病院の名前がわからないという人は今まで居なかったので……なんとか調べてください」と若干キレ気味に言われた。
当時通ってたのは過敏性腸症候群とは全く無関係な理由で、今思えばあれ心療内科じゃなくて精神科なんだけど、俺はもうこの心療内科の予約を取るのは不可能ってこと?
・おろろん(泣く時に使うんだろうけど、おろろんと泣ける気がしない)
・きゃっきゃ(もうそんな年齢じゃないので)
・そぼろそぼろ(食べ物じゃないよ。泣く時に使うらしい)
・はくしょん(言うて「はくしょん」とは言わなくないか?)
・ぴか/\(「/\」が読めないので使えない)
・ゴゴゴ(ジョジョに出ないと使えない)
他にある?
アメリカ人は本当そこ気にしてるんだなって思いました。
安定施行の人とよくマッチするような気がするんだが、2年おきの全国転勤に加えて月80時間の残業と聞くと「あっ、この人と子育ては無理だな」と去っていく。
単に自分が人間として魅力がないだけな気はするが、マッチングが最後まで行かなかった理由の欄には人間的な部分よりもそういった空間・時間的制約の部分についてのアンマッチを何度も指摘されている。
当時まだ残っていた圧迫気味の面接風土に苦しめられた俺は、面接から逃げ出し公務員浪人の道を選んだ。
今更誤魔化しようのないガクチカと比べれば、レンタルルームに籠もってひたすら勉強すれば積み上がっていく一般教養知識には救いがあった。
あの時代であっても、理系なのに公務員になるという選択をするのは同じような負け犬だらけで、案外スルスルと受かってしまった。
受からなければよかった。人生について考え直すチャンスがまだあったのに。今はそう思う。
2年転勤というのが曲者だった。
ツギハギを繰り返した非公式の引き継ぎ(引き継ぎやマニュアル作成は業務計画に入れられない(国民の益になる行為ではないから(でもなぜかレクリエーションは計画で決まっているから必ず実施している)ので、あらゆるマニュアルが非公式となる)と関連する法規を比較してなんとかかんとか仕事をやっていく。
効率が悪い。現状なんて全くわからない所に放り込まれて、まともな引き継ぎ資料もないままで働き、1年・2年で転勤するのを皆で繰り返しているから全てがグチャグチャだ。そのくせして責任を取りたくないトップはすぐに完璧を求めたがる。
残業時間の上限とやらのせいで時給換算すればバイト以下になる給料でずっと働いていた。
さっさと辞めれば良かったのだが、初っ端から地元を遠く離れた場所に飛ばされたせいで就活の身動きがかなりやりにくくなっていた。
そうこうするうちに世間では就職氷河期が少しずつ過去の話になっていき、いっそ地元で適当にバイトでもしてから就活をやり直していればとも考えてしまう。
年1000時間の残業に加えて慣れない土地での生活2年おきに来る転勤のための手続き、とてもではないがこの上で面接のために新幹線で地元近くまで戻るような就活は不可能だった。
全部言い訳だ。さっさと辞めてとにかく他を受けまくるのが正解だったんだろう。だけど、辞めたはいいけど結局どこも受からないのでは大失敗だ。辞めることなく働きながら転職活動を続ける地獄のような二重生活だけが正解だったのか。無理だ。詰んでいたんだ。
婚活で「なんで公務員になったんですか?」と聞かれると、こういったことが頭をよぎって目が泳いでしまう。
生活を安定させたかったら公務員に鳴りました。とにかく受かればどこでも良かったけど、面接を受けまくる気力がなかったので試験勉強で点を稼いでなんとかしようとしました。そう素直に言ったこともあった。
そのあとに残業時間だとかについて指摘され、今度は「なんで公務員を辞めないんですか?」と質問される。聞かれても困る。根性がなかったからですとしか言えない。
婚活なんてする前に転職活動をするべきなんだろうな。俺自身がそう思っているのがにじみ出ているのだろうか。