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はてなキーワード: ウルトラマンとは

2022-06-03

無邪気なウルトラマンは怖い

巨大化して町をうろつくはずだ

2022-06-01

ウルトラマンがはやっている今こそ

ウルトラ魔法少女まななを復活させるべき。

一般向けだし。

anond:20220601120440

ウルトラマン任務中うっかり人間を殺しちゃったか自分の命を貸してただけだぞ

anond:20220601060519

映画好きからすれば、特典つかなくても、作品劇場上映自体がご褒美ってところはある。庵野秀明の携わってる仕事が好き、ウルトラマンが好き、シン・ゴジラなどからシンシリーズの展開に興味がある、そういう人間が、新作を劇場で見れるってのはありがたいと思う。

anond:20220601055153

ディスク販売を上映と同時にやられると上映館にあまり足を運ばなくなるんじゃないかとも思うが、現時点でシンウルトラマンディスクが欲しいとは思っている。

2022-05-31

シンウルトラマンを観に行くにあたり予習したいんだけど

だいたいのイメージとしては松本大日本人みたいな感じなんだよな?

anond:20220531193348

へえー タイトルによってだいぶ雰囲気が違う感じなんだね。

プリキュア的に続いているもんだと思ってた。舞台装置スピリットとかが受け継がれるってことかな。おもろい。

ウルトラマンはどうなんだろ

野生の思考とシンウルトラマン

【シン・ウルトラマンネタバレあり というかネタバレ気にせず話す】

 

 

 

 

 現在公開中の『シン・ウルトラマン』を2回見てきた。あまりにも良かった。感想をどっかで書きたい。

 ところで、その感想叫びを漁る中で見かけた勘違いが「リピアくんが『野生の思考』って本を読んでる!」→「リピアくん地球人類のこと野生動物か何かと思ってる?」というもの

 別に誰がどんな感想を持とうが、或いはその人やそれに近しい観点を持ってしまった人が何をどう勘違いしていようが、それ自体全然どうでもいいのだけれども、リピアくんとこの本の著者(レヴィ=ストロース名前は聞いたことある人多いだろう)の名誉のためにもツッコミ言葉ネット上に残しておきたい。ついでに、この映画にこの本が登場した意味考察をちょっぴり披露させてほしい。

 

 

 

 

●要約と見出し
①『野生の思考』を超要約すると「いわゆる”文明人”の思考と”未開人”の思考根本構造的な違いはないよ。つまり両者の思考のものに優劣はないよ」だよ

 

 

②ザラブ、メフィラスは地球人類をいわゆる『未開人』と見ていたよ。ゾーフィもたぶんそう。

 

 

③『野生の思考』がリピアくんあるいはこの映画に与えた影響は不明だよ

 

 

 

 

①『野生の思考』(クロード・レヴィ=ストロース/1962)

 1950年代までのフランスをはじめとした西欧に多かった(今でもかなり多い)哲学思想が「西欧文明における思考と、アジアアフリカ中南米の未開文明思考とでは根本的に違う」という考え方で、主に科学技術文化の面での進歩史観優越感、啓蒙思想資本主義と結びついて植民地主義覇権主義の土台の一つになっていた。それに異を唱えたのがフランス出身人類学レヴィ=ストロースの『野生の思考』という書。特に文化人類学者やリベラル系の人に言わせれば「戦後思想における最大の転換点」となっており、いわゆる人文系に広げてみても、構造主義を生み出し、更にその後のポスト構造主義などの思想もつながる端緒となったという点ですごく重要な一冊になっている。

 

 

 内容をものすっごく要約すると「『事象の切り取り方』『概念の置き方』ひいては社会秩序の維持や幸福追求に対する考え方はどの文化においても根本的な構造は変わらず、表出の仕方、あるいは社会が持つ興味の向かう先と取捨が違うに過ぎない。あらゆる文明進歩史観的考え方を持つわけではなく、発展を望む文化もあれば安定を望む文化もあるというだけ。栽培思考(=科学によって裏付けられ、概念を用いて行われる文明思考)と野生の思考(=記号によって行われる思考。「野蛮な思考」ではない)との間に優劣があるわけではないし、一つの文化の中で両方の思考は両立しうるし、実際個人の中ですら両立している」といったもので、その歴史的意義は「20世紀半ばの西欧にはびこっていた進歩主義特に西欧文化を中心とする思考科学技術を背景に自分達を上位に置こうとする考え方への批判を行ったこと」「しかし、だからといっていわゆる”未開文明”や自然主義を礼賛するわけではないこと」「文化を『仕組み(構造)』に置き換えて分析するツールとして学問の場に登場したこと」あたり。

 「文化構造的に捉え、それぞれの要素が社会の中でどう表出しているか研究する」という所から後に『構造主義』と呼ばれる思想を生み出したことで有名。更に言えば西欧の奢りや発展途上国(昔は「後進国」と言われてたよね)への見下しを批判する流れを生み出したという点でも評価を受けている。

 

 

 「野生動物思考方法」みたいな生物学の本ではない。

 

 

 

 

②ザラブ、メフィラス、或いはゾーフィの考え方とは

 ザラブにしろメフィラスにしろコミュニケーションの初手は「自分科学力、技術力を地球人類に見せつける」事から始まる。その科学技術力の差を背景に、劣等感と焦りを刺激して地球人同士を争わせようとするのがザラブであり、劣等感無力感……謂わば絶望によって人類心理的支配し最終的に兵器として利用しようとするのがメフィラス。それらに抗うのがウルトラマンたるリピアくん、というのが中盤の流れだった。

 

 物語の序盤で、わざわざ観客に見せつけるようにリピアくんがこの書を読んでいた(演出しての)理由はここにある……気がしなくもない。16世紀から20世紀……あるいは紀元前から現代に至るまで、我々地球人類が奴隷植民地後進国、押し並べて言うなれば『未開人(文明人/強者たる自分達とは構造的に違う考え方をする者)』である他者に対する接し方は、ザラブやメフィラスをそこまで強く批判できるような立派なものではなかった。

 宇宙人ゾーフィもそう。彼が裁定行使できる者・絶対者としての力を行使したのは「『未開人』である地球人類が、未開人のまま我々『文明人』並みの危険性を持つ可能性が出てきた」からじゃん。

 使用を思いとどまったのも、リピアくんもといウルトラマン意思感情を汲んであげたのもあるけど、基本的には、地球人類がβシステム自力で解析・利用し、グリッチじみた手法ではあるがゼットンを無力化せしめたことで「『未開人』から文明人』に格上げされた」だけに過ぎない。

 そんなゾーフィにもリピアくんは抗う、というのが終盤のストーリー。もちろん滅ぼされる我々としてはたまったものではないけれど、じゃあ地球人類の歴史において、他人他国人、あるいは他の生命に対してゾーフィと似たようなことをしてこなかったか、を考えると……やはり「滅ぼされるのは困るからやめてくれ」くらいしか言えない。

 

 

 逆に言えば、あの外星人や地球人の中でリピアくんだけが”変”なのよ。我々が他者と相対する時、普通はザラブとはいかんまでも、マイルドメフィラスかゾーフィくらいの扱いになるし、そうでなくとも暴力政治で言う事を聞かせてその力を利用しようとする各国政府みたいな事をする。地球人類とリピアくんとの科学技術の差や大きさの比で考えれば、虫か何かを前にした人間、の方が理解として近いかもしれない。

 しかし、リピアくんは(各国政府ひいては人類歴史悪辣さを知りながらも)、あのネロンガ戦のたった一度、リピアくんの足下でただ一人リピアくんだけに見えた星のような輝き、小さな他者のために命をかけられる個、そういう価値観を共有できる群体のために命を張った。そういうことをできる生命体のことを知りたくて、知り続けるために守りたくて、学んで、感じて、支えて、何度か支えられて、それでも分からなくて、その果てに見つけた『他者のために命を賭けられる自分』。虫のような他者のために、ネロンガの電撃や、ガボラの激ヤバ光線や、メフィラスのグリップビームや、1兆度の火球の前に身体を晒せる者。ザラブにもメフィラスにもゾーフィにも、あるいは普通地球人類の日常の中にもない”変”な価値観を持つ、だからこそ『ヒーロー』、ウルトラマン

 

  

 自分が今回の『シン・ウルトラマン』に感動したのはまさにここで、「ウルトラマンとはこういうヒーローなのだ」「我々がウルトラマンヒーローだと感じてしまうのはこういう理由なのだ」を2時間かけてぶつけられたのがあまりにも気持ちよかったかなのだ

 

 

 

 

レヴィ=ストロースウルトラマンにどれだけ影響を与えたか

 結論から言うと「わからない」。それはリピアくんに対してという意味でも、『シン・ウルトラマン』という作品に対してという意味でも。

 というのも、リピアくん、地球人類のことをめちゃめちゃ頑張ってお勉強してて(かわいいね)、ものすごい量の本を超速で読んでるわけで、『野生の思考』だけがピアくんの人格形成思想信念の確立寄与しているかと言われれば、まあもちろんそんなことはないだろうという演出はなされてる。レヴィ=ストロース思想だってその後にやって来たグローバリズム等の思想史において批判を受けてきたわけだし。

 そもそもピアくんがザラブやメフィラス、あるいはゾーフィから地球人類を守ろうとしたのは「我々と彼らの文明構造的に違わない」という計算、あるいは知識を基にした思想や信念からではない。「彼らの事を知りたい」という知的欲求から来る寄り添い、ゾーフィが言うところの「好き」、米津玄師が言うところの「あこがれ」という感情こそが、リピアくんの力の根本なわけで。

 

 

 文化人類学の中でも大きな意味を持つ書でもあるし、作中においても先の展開を示唆しかねないアイテムでもあるけど、知らずに見ていた人なら分かる通り、別にこの書が作品全体に超大きな影響を与えているかは正直微妙かもしれない。でも、知っておくと↑のような考察も楽しめるという点では面白いよ。

 

 

 

 

結論

・『野生の思考』という本は生物学ではなく文化人類学の本だよ

・本の内容は『シン・ウルトラマン』という作品意味を落としているかもしれないし落としてないかもしれないよ

・それはそれとして読んでおいて損はない本だよ

以上

2022-05-30

夫に勧められてZガンダムを見た

昨年は夫に勧められてファーストガンダムガンダムユニコーン∀ガンダムを見た。

今年も勧められるままに、もっといろんなガンダムを見た。見ている途中の作品もいくつかある。

これにより、ガンダム1979年という自分にとって大昔の時代に作られたアニメなのに、今日に至るまでガンダムの名を冠した作品が作られている理由理解することができた。

ここには見てきた作品と一緒に感想を書いていく。



Zガンダム

ファーストから7年でこんなにも作画進化するのか!?めっちゃ動くしめっちゃキレイじゃん!!すっげぇ!!!!という感動があった。

鬼滅の刃新海誠作品などを金曜ロードショーで見て、はぇ〜最近アニメは美麗だなーすごいなーと思うことは度々あったが、何故だかその時よりもZガンダムを見た時の方が強い感動をおぼえた。


しかショッキングなシーンは多かった。

まずお母さんが死ぬ。何あれ。見ててさすがに両手で口を押さえた。たった数話でママがこんな死に方するの?ぶっ飛ばすアニメだなぁ…と思いながらドキドキしつつ見た。お父さんが死ぬシーンはあんまり覚えていない。

次にカミーユを好いてくれた強化人間の女たちがかわいそうな目に遭う。戦争の道具として作られた女は以下略

何より最終話彗星ブーンとか言い始めたあたりから硬直した。普段通りエンディングが流れた瞬間「はあああっ!!?終わり!!?」と大声を出してしまった。夫は爆笑していた。

カミーユあんなに頑張ったのにこんな結末なの?いくらなんでも救いがない、あんまりじゃないか。。。


でも後から振り返ると、カミーユが反抗しなくなるあたりから鬱病っぽい感じが確かにあったと思い返す。

見ているこっちも必死だったのでカミーユのその姿を見ても心配しなかった。視聴しているときにその異常に気付いてあげられなかった自分になんか嫌気が差ししまい、2日くらいは夫の前で(はあ…カミーユ…)とかぼやいた。

しかしながら実際、戦争によってに心の傷を負った兵士は本当にいるわけで、アニメからこういう演出なんだよな〜とは見れなかった。そういった意味でも深く心に残る作品になった。


ちなみにZガンダムの視聴中、夫は「俺が一番好きなMSメッサーラなんだよ。いつか上司に『好きなMSはなんだ?』と聞かれたときにも答えられるようにしてる。でもまだ聞かれたことはないんだよね」と言っていた。

もし夫の上司がこれを見ていたら、どこかでガンダムの話をしてあげてください。



ガンダムZZ

Zガンダム放映終了後すぐに始まったんだよ!と言われたので、Zガンダムを見終わってからすぐにYoutube公式配信で見始めた。

Zガンダムは本当に素晴らしいアニメだったので一体どんな続編になるのかワクワクしていた。

第一話で「見るに耐えない」と思った。ほんとにZの続編なんだよね?と夫に何度か確認した。

特にヤザンギャグキャラみたいになったショックが一番大きかった。もっとハードな役だと思っていたのに、肉をむしゃむしゃ食いながら機体を追いかけ回す様子を見て絶句した。


Youtube公式配信を、毎回がっかりしながら14話くらいまで見た。会社の同僚にZZつまんないって話をしたら「後半から面白くなるから頑張って!」と言われたのでとりあえず我慢している。

かにOPからマシュマー様が消えたあたりからちょっと期待が持てそうな気がした。



ポケットの中の戦争

コメントでもこれを見るようたくさんアドバイスをいただいた。教えてくれてありがとう

ファーストを見終わった時期がちょうど去年の12月だったので夫からも「この時期にはこれを見よう。大丈夫6話で終わる」と言われて見た。

嘘だと言ってよバーニィインターネットのどこかで見たことがあるフレーズだったが、意味元ネタがようやく理解できた。


アルくんの演技がかなり上手いと思ったらあの有名声優の子時代とのことで、息が長い声優凄さを知ることになった。

戦争を楽しげに捉えていた子ども残酷さを知るようになるまでのストーリーも、自分にとって好きなタイプの話だった。ある出来事きっかけで周りと同じではなくなってしまう、あの感じにゾクゾクした。


この作品を見てようやく「ガンダムって反戦アニメなんだ」と理解できた。遅いくらいの理解だった。

そして戦争に巻き込まれ人間のやりとりのほうに興味がある自分は、MSおよび兵器にあまり興味が持てないという気づきも得た。夫から教えてもらう数多の機体名をちっとも覚えられないからだ。∀とメッサーラしかからない。



逆襲のシャア

Zガンダムを見た後にこれを見るとカタルシスを覚える」などと訳の分からないことを言いながら勧めてきたので、シャアが出るなら見るか〜と思って見た。

シャア演説のシーンに思わず引き込まれたり、ハサウェイがあんなことになる理由を知ったり、ガンダムユニコーンに出てきたサイコミュがどういうものであるかを理解するなど、勉強になる要素が多かった。

Zガンダムで一応仲良くしてたアムロシャアがまた喧嘩していたので、あの仲の良さは奇跡だったんだなと感じる。


もちろんエンディングテーマは何度も繰り返し聴くほど気に入った。

米津玄師が作ったシン・ウルトラマン主題歌のように、誰よりもこの作品を分かっているような歌だと感じた。



ガンダムSEED

夫曰く「ガンダムを何十年も生き延びるコンテンツにしたすごい作品バンクが多いとかで不評なポイントはあっても、アニメ自体面白さは本物だと思う」とのことで見始めた。

付き合い始めた時の夫の家の壁にはダサい服を着たSEEDキャラクターたちのポスターが貼ってあったので、服がダサいアニメだと思っていた。事実ダサかった。


『舞い降りる剣』の回は、兵器及びMSにあまり関心がない自分でも(こりゃカッケェ…)と思った。

またエンディングの入りの凄さに毎回感動してしまい、瞬時に名作であることを悟った。バンクが多いとか、ニコルが何度死んでいるとか、そういったことは些細だった。

ところで夫はどうして続編視聴をあまり勧めてこないのだろう。



Vガンダム

以前ここで記事を公開した際に「ぜひ見てください」というブコメがたくさんついたので、Youtube公式でも配信され始めたこともあって最近見始めた。今4~5話まで見た。

この作品を見始めたあたりからロシアウクライナへ侵攻を開始したため、普通とは違う状態ガンダムを視聴することになった。


楽しげなオープニングだ!きっとワクワクする展開なんだろうな!と思ったら1話で焼死体が映る。ちょうどウクライナ首都近郊にたくさんの人間死体が転がっているニュースを見ていた。

街が破壊される様子が映る。ちょうどウクライナの壊滅した都市ニュースに映される。


まり現実世界と重なるし、ウッソくんは戻れない道を進むし、現実微妙リンクしたガンダム視聴はさすがに毎回しんどいまさかこれよりしんどい展開があるんですか?



ガンダム00

劇中でクリスティナ・シエラフェルトに向かって「私たちが頑張るたびに物価が上がるんだから、今のうちに買い物しなきゃ!」と言うシーンがあった。

今ほんとに物価あがっちゃってるんですけど!!!!!!!!!!!!!!!!!すごいよこのアニメ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ガンダムすごい!!!!!!!!!!!!!!



anond:20211210043823

anond:20220530170938

結局のところ宇宙人の話だし、そのうえ第三種接近遭遇の話ですらない(人間が主役じゃない)ので、ゴジラとかエヴァとは根本的に異なるのだよな。

身近からは程遠い存在感情移入できないキャラクターの話だ。

それがウルトラマンだという拘りは感じたので俺は面白かったが、エンタメより哲学寄りに、リアルより空想寄りなっていくのは止む無しだと思った。

anond:20220530170938

そういう作品じゃないとしか

似たようなとこで、対ザラブのとこでウルトラマンが浅見を助けたところとか、それを助けたことによって

その後よろめいてビル倒したりで何人も死んでるよね?とかチラッと思ったけど別にそれを気にする作品ではないし。

シン・ウルトラマンを見た。

面白かったし、ゼットン使徒のようになっていことにはNTRの喜びを隠すこともできなかった。それでも、どこかリアリティの欠如のような物足りなさも感じられた。

考えた。

おそらく、それは会社員の不在による物足りなさだ。会社に勤め、お給料をもらい、家族を養う人たちの雰囲気が見えない。ただ、会社員の不在は、実際のところシン・ゴジラでもシン・エヴァンゲリオンにも共通している。ただ、その二作とも会社がどうこうどころではない社会情勢で、政府かそれ同等組織庇護力が何よりも重要シチュエーションだ。会社員だった人たちは等しく被災地から避難民で、日本仕事をしながら暮らす自分にとってはフィクション存在だ。

シン・ウルトラマンでは、現代日本と禍威獣が共存していた。禍威獣による被害は甚大そうだったし、それによって生活基盤を失った人たちがたくさんいるようにも見えるが、シン・エヴァンゲリオンのような極限的なコロニーが描かれるわけでもないし、シン・ゴジラのように廃墟に近づいた都市が描かれるわけでもない。禍威獣との共存関係で、会社員の生きる様が見えると、だいぶ違った満足感があったように思った。

……シンプル政府とかミリタリーとかの写実的な味に飽きたのかもしれないけれど。

シン・ウルトラマンなど映画を見に行こうと思ってる諸君へいま言わなければならないことがある

毎月1日すなわち今週水曜はだいたいの映画館ファーストデイで終日安いが客層が最悪なので初回鑑賞では行くな

警告はしたからな

映画見に行ったが客の民度が最悪だった」「見に行ったのいつ?」「6月1日だが?」みたいなやり取りがあったら人差し指くっつけてぐにんぐにんして笑うから

2022-05-29

どんぐり博士

小学生の頃、近所に『どんぐり博士』と呼ばれるお兄さんがいた。

どんぐり博士はいつもカードゲームショップにいて、ペンギンの絵柄のカードを持っていくとレアカードと交換してくれた。

TCGの種類もダブりも気にせずペンギンカードであれば無条件でレアカードと交換してくれるので、カードショップバラ売りでペンギンカードを買ってレアカードと交換し、レアカードを売却する事でお金を稼ぐというドングリ錬金術も一時期流行っていた。ちなみにどんぐり博士ショップバラ売りでは買わない主義の人だった(過去トラブルがあったらしい)。

先日、どんぐり博士Twitterアカウントを見つけた。

プロフィールには反ワクチントランプ支持、陰謀論が全部揃っていて、シン•ウルトラマン否定的ツイート引用リツイートで延々と罵倒していた。

わず懐かしくなって「○○町のカードゲーム屋にいた小学生の1人です。終焉の王デミストレードして貰ったこともあります」とDMを送ったら、あちらも覚えていたらしく、今住んでる場所も近かったので今度飲み& デュエルすることになった。

どんなデッキで挑もうか今からクワクしてる。

2022-05-28

シンゴジラ人間ドラマがないのがよかったけど、シンウルトラマン人間ドラマがあったほうがよかったな。

映画じゃなくて10話くらいのドラマがよかったわ。

2022-05-27

ウルトラマンは古くて見た目がダサいしか思ってなかったからシンウルトラマンはクソつまんなかった。やっぱ先入観をぶち破るのは難しいな。

シン・ウルトラマンは『ベルリン・天使の詩

シンマンさんが「人間を好きになった」ように見えない、という感想を時々見かける。id:whkr さんのブログの、理解できない対象への好奇心、という解釈は納得できる。

自分も鑑賞後に、長澤まさみLOVEみたいな卑近な解りやすさを避けたんだろうな、と思いつつ、自分なりに少し考えた。

https://twitter.com/y_gurizou/status/1528323226899648512

https://twitter.com/y_gurizou/status/1528494336773869568

映画は、シンマンさんの監視員立場を逸脱した罪を贖う物語として再構築されており、勿論、贖罪テーマにした文学映画は多くあるけれど、人間への思い入れによって天使立場を逸脱してしまった、という『ベルリン・天使の詩』が、補助線として近いかな、という感想です。

anond:20220527124540

そのへんを全て踏襲してなおかつシンウルトラマン見てるで

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