はてなキーワード: 集落とは
・8世紀前半には北海道沿岸まで遠征
・その後は安倍氏による支配下で、中央政権から遠いので影響も及ばず半独立国家的統治。(※)
※東北地方が半ば独立していくという姿は、古代大和朝廷の中央集権国家の一角が崩れたことを意味し、これがモデルケースとなって日本は小さな国の集合体へと変貌していく。日本は明治維新まで、中央集権による統一国家とは言えない。(江戸時代も、あくまで連邦国家である)
→明治維新は政治体制的には「大昔の古代集権国家に再び日本を戻そうという復古運動」であり、決して新しい近代国家をつくろうという思想ではない
・長い間安倍家のもと安定していたが、1052年末法思想のあたりから政局が不安定化し、貴族の摂関政治の衰え、武士の台頭にあわせて朝廷に反発を始める(cf 939年 平将門の乱)
・1051年~ 前九年の役。源頼義および出羽清原氏により安倍家滅亡。出羽清原氏が奥羽の覇者に。
・1083年~ 後三年の役。清平家のお家争いで清衡が勝利し、奥州藤原家として奥州を統治することになる。
・1185年~ 奥州合戦。鎌倉幕府により奥州藤原家滅亡。東北を蝦夷と呼ぶ時代は終わり、このあとは安東氏による統治。安東氏は拠点を津軽に置き、奥羽と北海道南端の蝦夷地を支配する。北海道が蝦夷と呼ばれ始める。
・1325年~ 蝦夷大乱。お家争いが幕府への反乱につながるが和睦。
・14世紀後半~
・若狭出身の武士武田信広が、陸奥の守護南部氏・安東氏との争いを経由して北海道に上陸。
侵略され、搾取され、屈従し、たまりかねて反乱を起こしては弾圧される。
ひたすらこの5つの繰り返し。
それでも何とかアイヌ側の忍耐によりそれなりに共存してきたが我慢の限界!
・1591年 南部に大反乱。豊臣秀吉の命で徳川家康を総大将とする討伐軍。蠣崎家も参戦。
その間アイヌの生活水準も上昇し、集落もまとまるようになった。
各部族をまとめる大酋長も現れ、独立国家らしきものが5つもできた。
・100年あまりの日本人との交易を経て、アイヌの生活水準は向上したが
同時に自給自足でなくなり松前藩との交易がないと生きていけなくなった。
苦境に陥った松前藩は
アイヌはまたも敗北し、絶対服従を誓わされるが、理不尽な交易レートは引き下げられた。
松前商人は利益を追求してアイヌを低賃金でこきつかい、奴隷扱い。
・そのままアイヌの悲劇が黙殺されたままおよそ100年ほど経過。
・地引き網漁の発達により、肥料用の鰯が大量に取れるようになり、
・田沼意次の命で、幕府からの調査団が蝦夷地に踏み込んでくる。
『勉強できる人しか便利に暮らせない社会』ってタイトルで記事が投稿されてるだが、この記事馬鹿みたいだ。
事務職に就きたいと思ったら、ワードエクセルは当たり前。
子育てしようと思った未来のおかあさんも、子育てを一から勉強して、何が安全で何が危険か、自己判断しなければならない。
行政サービスを利用する際も、あの煩雑な手続きを理解して申し込むのは一苦労だ。
便利さにアクセスするためのハードルは、見えにくいところでとても高くなっていて、その恩恵に与れるのは、自分で調べて勉強できる人・賢い人だけだったりする。
昔は新人以外は、ワードエクセルという共通スキルじゃなく、それぞれの業界の業務経験を問われたんだがな。
ワードやエクセルで作られたスケルトン、もしくは専用の業務アプリが使えれば、素人でも事務処理ができる。
スキルと言う視点で見れば、昔よりも格段に、職に就きやすくなってる。
地域や集落の知見=老人を排除して、都市で若者だけが生活することを選んだのだから、当然の帰結として知見は失われる。
結果得た物が、信頼のおける医療施設やネットで共有化された情報だろうに。
そこで「自己判断しなくちゃいけなくなった」と文句を言うってのは、どんな了見だ。
そもそも、「便利な世の中」関係ねぇだろ。老人の世話を捨てて、自分の時間を作っただけだ。
行政サービスについては「昔の方が」圧倒的にアクセスし難かった。
うちの65になるばぁちゃんも、WEBで公民館の予約してる、役所の事務処理と比べて、なにが難しいんだよ。
この記事を「なるほど」とか言って読んでる奴、やばいぞ。
在日同胞対象の移住集落建設へ、韓国南部の南海郡
【南海聯合ニュース】慶尚南道南海郡は26日、在日コリアンの移住者を対象にした「日本集落」の建設を推進すると明らかにした。
同集落建設の投資説明会のために鄭炫台(チョン・ヒョンテ)郡守が10月5日から5日間の日程で訪日する。説明会は5日に東京で、9日に大阪で開催する。
集落建設は同郡の農林食品部が進める移住事業の一環。同郡には在米コリアンが暮らす「米国集落」(21世帯)、在独コリアンが暮らす「ドイツ集落」(33世帯)がある。日本集落建設については一度、計画が失敗しているが、最近は韓国への移住希望者が多いことから再推進。20世帯程度の規模を予定している。
山際にだいだらぼっちのような入道雲が沸いていて、それが流れてきたのだった。
バタ、バタ、バタ。数粒の斥候が、乾いた大地に降り注ぐ。
パタ、パタ、パタタ。薄暗くなった空に、落雷もどんどん近づいてくる。
パタタ、パタ、パタタ。どこからともなく雨のにおいが立ち込め始めた。
一転して一粒も雨が降らなくなった曇天の下を、冷たい吹き降ろしの風が通り抜けていく。
ああ、いけないいけない。大変よろしくない。不穏な気配に、いそいそと用意にとりかかり、間もなくしてからだった。
衝撃で家財が細かな音を立てる。大きな柱や梁などは、みしりみしりと小さく軋んで、まるで家全体が震え上がったような錯覚にとらわれる。
急いで洗濯物を取り込んだ軒先から恐る恐る外の様子を伺ってみると、遠く山の向こう側から、いよいよ本隊が攻めこんでくるところだった。
上空から長く垂れ下がった篠突くカーテンが、ゆらゆらと風に煽られながら、破竹の勢いで迫ってくる。
やっと来た。そう認識するが早かったか打たれたが早かったか、大粒の雨粒群は瞬く間に辺りを覆い尽くすと、空を切りありとあらゆる物々を打ち鳴らし始めた。
さながら滝のような降り様である。空気は刹那に潤いを満たし、庭先はたちまち浅い海へと変貌していく。屋根に連なる雨樋からは濁濁と水が溢れ始める始末だ。
一瞬のうちに、山間の古民家は荒波に揉まれる船舶の如き状態に陥ってしまった。
冷たい風はびゅうびゅうと吹き荒び、屋根を持ち上げ雨戸を叩いては、僅かな隙間からうなり声を上げて入り込んでくる。
駆け抜ける紫雷は、どうにも虫の居所が悪いらしい。閃光を迸らせては癇癪を爆発させたかのような怒号を響かせ、ビリビリと辺りを振動させている。
予想外に激しい夕立だった。一人住まいであるために戸締りにあちこち走りまわらなければならなかった私は、すべての戸をきっちし閉め終えたことを確認してから、再び縁側に戻った。
閉じた雨戸をそっと開く。勢いよく吹きこんできた風雨に顔をしかめながらも、荒れ狂う灰色の海原を見上げてみる。
ふと、どうしていつも猛々しい様子に見惚れてしまうのだろうかと不思議に思った。
煽られて大きくしなった杉の木や、ころころと方向を変える雨粒、思い出したように瞬いては轟音を響かせる紫雷などから、どうしてこんなにも目が離せなくなってしまうのだろう。
ドキドキともワクワクとも違う静かな興奮が、泉のように噴きだしてこんこんと滲み出してくるのである。陶酔と微かな狂気。焚き火を見ていると似たような感覚に陥ることがあるように思う。
圧倒されるだけじゃなく、呑み込まれそうになってしまうのだ。呑み込まれて、夕立や海と、水と、一緒になってしまえる気さえするくらいだ。
それは、生物が皆、水に抱かれて産まれてきたからなのだろうか。身体が細胞が遺伝子が、遠い太古の記憶を伝えているからなのだろうか。
あるいは私という生命の半分以上が水によって生成されているからなのかもしれない。夕立や海原には同化するために、炎のゆらめきには霧散するために、惹きつけられてしまうのかもしれない。
開けた雨戸の隙間から、雨は容赦なく降りかかってくる。世界は最早、水一色に染まっている。天も地も、二つをつなぐ空さえも雨が満たし、むっとするほど濃密なにおいで満ち溢れかけている。
深く冷たい深層を流れていたにおいだ。ぐるりぐるりと地球をめぐって、こうして再び空と海との循環を繰り返している。
生命の血液として。あるいは生命そのものとして。延々と続く循環を繰り返し続けている、そういうもののにおい。
ぱしゃりと庭先の浅瀬で何かが撥ねた音が聞こえた。見れば、無数の波紋に下に、小さな魚影がちらりちらりと見え隠れしている。
分厚い雲の向こう側では鯨が尾びれを打ち鳴らしているようだ。轟音に誘われて、何百何万ものものどもが嘶き、咆哮を上げ、囀りながら、威風堂々たる行進を続けている。
生命として廻るために。
山間の集落には、いよいよ潮のにおいが満ち始めている。
東北が「米どころ」の地位を確立したのは戦後だという歴史は、意外と知られていない。熱帯原産の商品作物であるコメは、東北では大正期まで収量が低かった。それが変わった背景は、農業技術の進歩もあるが、東京市場の膨張、戦中と敗戦後の食糧増産政策、戦前のコメ供給地だった朝鮮と台湾の分離などである。こうして東北は、米・野菜・水産物などの東京への供給地となった。
また東北は、東京への低廉な労働力の供給地だった。高度成長期の集団就職や出稼ぎだけでなく、高卒農村女性を始めとした低賃金の非正規労働者の存在が、下請け部品工場などを東北に誘致する力となった。
さらに東北は、東京への電力の供給地だった。コメが減反に転じ、過疎化が進んだ高度成長末期から、原発と交付金が誘致された。沖縄に基地が集中したように、福島と福井には東京と大阪に電力を供給する原発が集中し、他に産業のない地元の人びとが働いた。こうして穀倉地帯に原発が集中するリスクが生じた。
1990年代以後のグローバリゼーションの中で、一次産品と労働力の供給地としての東北は、アジアとの競争にさらされた。いっそうの過疎化と高齢化、小商店や公共交通機関の衰退が進んだ。点在する小集落から生活物資を買いに行くのも自動車に頼らざるをえなくなり、地域の命綱となったガソリンスタンドも過疎化による経営難で減少している。
今回の震災では、原発事故と電力危機、放射能による農水産物汚染、ガソリン不足と物流停滞、高齢被災者の多さ、部品工場の被災による部品供給網の寸断などが重なった。これらは上記のような地域で震災がおきれば、必然的に発生しうる事態である。これを想定外の複合災害のように東京のメディアが論じるなら、それは地震といえば関東大震災や阪神大震災のような都市型災害しか想定していなかった、無意識の東京中心主義の限界というほかない。
復興も、関東大震災や阪神大震災とは条件が違う。消費地である都市の復興と異なり、生産地の復興は、都市計画や防災を中心に論じても限界がある。また神戸は大阪に隣接して雇用もあり、経済活動の一時移転もできた。だが今回は、2030年までに人口3割減さえ予測されていた過疎地が生産基盤を失った。
復興に水をさしたくはないが、懸念されるのはいっそうの過疎化だ。グローバル資本とグローバルシティーにとって、食料と労働力の供給地は東北である必要はない。20世紀の国内分業で位置を定められてきた東北は、21世紀の国際分業競争の渦中で打撃をうけた。地震と電力供給のリスクがある東北から工場を海外へ移す動向も予想されている。町をまるごと失い、放射能におびえ、仕事と安全の未来もみえない状態が続けば、若者から先に東北を離れてゆく。この現実を直視し、日本の構造と東北の位置を変える意志を東京側も含めて共有せずには、防災都市やエコタウンの構想も新築の過疎地と財政赤字を残すだけに終わりかねず、原発に頼らない地域社会も作れない。
復興の前提は、原発事故の大局的対策だ。放射能漏れを伴う綱渡りの冷却が数ヶ月は続く。放射能の放出は3月より減ったが、再度の大放出の恐れは残っている。政府は矛盾だらけの暫定措置(飲料水の放射能基準値が原発の排水の7倍など)のつぎはぎを超え、さらなる避難拡大や経済的・国際的影響など、あらゆる事態を想定した長期戦略を公表して国民を納得させてほしい。何もしらされずに非常事態になれば、かえってパニックがおきる。「最悪の事態になれば東日本がつぶれる」と発言した菅首相なら、そうした戦略を立てる意志はお持ちと思う。少なくとも「想定外だった」という言葉だけは、世界中の誰も聞きたがってはいない。
震災後には、「がんばれニッポン」という言葉が躍った。だが震災が浮き彫りにしたのは、「ニッポン」の一語で形容するにはあまりに分断されている、近代日本の姿である。
朝日新聞4月28日 あすを探る 思想・歴史 ( via http://twitpic.com/4u59mv )
http://tokiy.jugem.jp/?eid=800
長い間平和が続いたせいか、行政は、責任回避のエキスパートばかりになってしまっているようである。専業主婦の年金未加入期間をどうするかという問題で、当時の民主党の長妻大臣の意向に従って通達を出した課長が、予算措置が必要な事を通達で勝手にやったとして詰め腹を切らされたのが、効いたというのもある。民主党の大臣が責任を取ると言っても誰も信じないし、法や規則で決まった事しかやらないし、それも、可能な限りやらずに済まそうとなってしまっている。法や規則で決まっている事でも、好ましくない結果がでれば詰め腹を切らされると、誰もが理解している状態なのである。
災害現場において行政機構が機能していない状態では、誰が要請を出すのか、そして、その要請の書式や届出先はどこで、それをどのように災害現場に伝えるのかという点で、要請が来てからというイベントドリブンでは役に立たないのだが、災害現場の行政機構が崩壊しているのは現地の問題であって、それを受ける側の責任ではないという、事勿れ主義が蔓延しているのである。
要請が来てからというのは、自称被災者代表というのが現れて、物資や援護金の交付を求めても、詐欺と見なして、門前払いするという手法である。
現場に、最低限の物資を持った人間を送り込んで、現地組織の立ち上げ、被災者の名簿作り、必要な物資の量と種類の確認まで行わせた上で、帰参報告させて、以後は現地組織代表からの要請を受けて送出という状態になって、初めて、要請が来てから送出するという事務処理が回るようになるのだが、そのような手続きは、法にも規則にも定義されていないので、誰もやらないのである。
事務処理を回すには、その為の根回しや組織作りが必要であり、この部分を誰も行わないというのが、今回の大震災における政府・行政の行動から、明らかになった。正規の行政ルートが潰れた時には、政治レベルで、すなわち、町会から、区議や市議、県議、政党組織といった、地方政治の人脈で臨時の組織を立ち上げるというのが期待されていたのだが、津波によって集落が丸ごと消滅するという規模の被害だと、そういった人脈自体が消滅してしまうので、被害にあわなかった地域から人を送り込んでオルガニゼーションをやらなければならなくなるのである。
津波によって現地の行政組織・政治人脈が崩壊している時に、要請が来ないから何もしませんと開きなおるような政府・行政は、必要であろうか。平時においては税収に匹敵する人件費を食い潰し、緊急時においては責任回避のエキスパートぶりを発揮して何もしない事を正当化するというのでは、養ってきた意味が無いし、行政に携わる人々をそのような体質に変えてしまった政府・民主党は、それ以上に害悪でしかない。
けれども私にできることは少ない。目下のところお金を送ることと、考えることしかない。お金は送った。けっこう懐が痛いほど送った。だから、あれこれ考えることを、どうか許してほしい。
考えているのは、こんなことだ。
「私たちは後の世代のために、M9.0に耐える準備をするべきなのか?」
今回の災害は1000年に一度、あるいは数百年に一度の規模だと言われる。おそらく私たちが生きているうちにもう一度遭遇するかしないかのレベルの災害だと思う。
私たちはおそらく、復興と言えるものを成し遂げることが「できてしまう」だろう。がれきを片付けて家や道路や鉄道を作り直す。それだけだ。みせかけの復興だ。けれども復興は復興だ。「やった。復興した。我々は自然災害に打ち勝ったのだ」と、そう言って災害のことを忘れてしまうことができるだろう。
私たちが天国に行ったあと、きっと津波がまた来るだろう。家や道路や鉄道が砕かれるだろう。原子力発電所から放射性物質が流れてくるだろう。大勢の人が亡くなるだろう。経済が止まり、職を失う人も大勢でるだろう。今回と同規模以上の悲惨なことが起きるだろう。
なんていうことだ。私たちが東京電力に吐いている言葉が、実はブーメランだったのだ。きっと私たちの身体を天国で切り裂くだろう。
残念なことだが、このままずるずると時計の針が進んでしまえば、きっとそうなると思う。それがいやなら、私たちはやり方を変えなくてはならない。
放射線の危険はいやというほどもう知ってしまった。だからすべての原子力発電所を閉鎖しなければならない。放射線の害からもう完全にさようなら、をしなければならない。安定した電力供給のため東西周波数の統一も必要だ。代替エネルギーの開発だって必要だ。安くて良い代わりのモノは今のところ存在しないが、それでも原子力とは手を切らなければいけない。
あの巨大な防波堤でも太刀打ちできなかったのだ。コンクリートで津波を防ぐのは無理と知ったのだ。もう海岸沿いの低地への居住は許されてはならない。
自治体の庁舎がつぶれることは、もうあってはならない。道路網も鉄道網も、より一層強い耐震強化が必要だ。
津波に砕かれた持ち家の住宅ローンを払いつづけなければならない人たちがいる。地震保険なしに住宅を建ててはいけない、という法律が必要だったのだ。ガソリンスタンドから油が消えた。非常時には一般車への給油を規制する、という法律が必要だったのだ。孤立した集落が問題になった。だから人の集まるところに必ず衛星携帯電話を置かなくてはならない、という法律が必要だったのだ。あの日、被災地も東京も通信が麻痺した。あの日のレベルに耐えるための準備が必要だったのだ。いくつもいくつもある。
それらすべての課題を克服しなければ、真の復興と呼べない。少なくとも私は、真の復興と呼びたくない。
だが、そのためには、私たちの財布からそれなりのお金を出さなければならない。金持ちから金をむしり取るだけでは済まないだろうし、薄く広い増税どころでは済む話でもなさそうだ。次の世代のことを思えば国債の発行は論外だ。厚く広い増税が必要だろう。電気料金が上がるだろう。物価が上がるだろう。当然の帰結として、生活は苦しくなるだろう。かなりの苦しいものになるだろう。リーマン・ショックがさざ波に見えるほどの不景気がやってくるだろう。
お金だけの闘いじゃない。強い政治家を育てなくてはならない。スキャンダルを狙うだけの野党も、ばら撒きしかできない与党も役にはたたないのだと、いやほど知ってしまったのだから。私たちは強い政治家が育つ文化を作らなくてはならない。もうスキャンダルに喜んではならない。ばら撒きにだまされてはならない。パフォーマンスに踊らされてはいけない。ウチの地域のために仕事をしてくれる、という人を選んではいけない。茶々を入れるだけのメディアを切り捨てなければいけない。私たちは、政治家の責任は我々の責任だという事実を受け入れなければならない。政治家の決断は我々の決断だという事実を受け入れなければならない。そうしなければ強い政治家は育たない。育てなければ、私たちは何も成し遂げられない。
残された放射性物質の管理のために、原子力技術者を育て続けなくてはならない。しかも、これから何十年、何百年と続けなくてはならない。消えゆく技術のエンジニアになるほど寂しい人生はない。けれども私たちは、若い優秀な人材を差し出しつづけなければならない。人身御供のように。
なによりも、生まれた街にもう住めないという苦しみを、被災地の(とりわけ海岸沿いの)人々に強いなければならない。
でも、後の世代がM9.0に耐えるためには仕方がない。
もちろん、すべてをやるべきかどうかは議論の余地があると思う。でも、それはまず私たちが
「私たちは後の世代のために、M9.0に耐える準備をするべきなのか?」
これに対して Yes あるいは No かを、決めなければならない。
Yes とも No ともつかぬまま進んではいけない。では、どうやって決めるか? 選挙だ。幸運なことに私たちは選挙というシステムを持っている。これしかない。今この手段を使わずにどうするというのか?
そして Yes が選ばれて欲しい、と強く願っている。それも、私たちにかなり辛い義務を強いる Yes であってほしいと思う。私は、真の復興のために人生を捧げたいのだ。
「ボランティアは邪魔だから来んな」論調が強いので、ボランティア経験のある俺も書いてみる。
ボランティアってものや、災害現場を肌で知っていたら、そんな画一的なおしなべた言い方なんて決してできないと思うんだ。
まあ大半は「いますぐの行動は抑えてくれ」って意見が多いと思うからそれでいいと思う。
でも、そういう意見を斜めに読んで「ボランティアなんて自己満足だ」みたいに批判するのはすごくまずいことだと思うし、もちろん、無鉄砲な、足を引っ張るだけの邪魔ボランティアも困ることだよね。
どちらの意見の人であっても、半年ほどたってから一度災害現場に行ってみて、きちんと働いてみればいろいろ感じるんじゃないかな、って俺は思う。
知らずに語るもんじゃないと思うよ。
もちろん、増田に多い「俺の友達がボランティア行ってたから知ってる」とか、「俺はきちんと勉強してるからわかっている」は全く話にもならないから要注意な。
じゃ、俺の経験について特定を恐れずに書いてみるよ。
俺が行ったのは、2009年の兵庫県佐用町付近で起きた、台風9号による水害でのボランティア。
知ってる人は知ってると思うけど、あの付近には巨大な放射光施設である SPring-8 って研究施設があるんだ。
俺は SPring-8 で働いているわけじゃないけど、研究のためにそこに行ってたのね。
行ったのが、水害発生から一か月くらいあとだったと思う。
で、そのときに近隣住民への心象のために、地域の皆さんのために、SPring-8 のイメージアップも兼ねて、SPring-8 関係者で行ける人はボランティアに行くようにしてください、休み出すから、のような通達があったらしい。
そこで俺の直属の上司が、若者はここでの仕事が終わった後、しばらく帰って来なくていいから一週間くらい滞在してボランティアに励んで来い、と言ってきたのね。
で、いつもボランティアなんて意識したことなかったけど、行ってみることに。
そのときは災害の規模も何も曖昧にしか知らなかったし、正義感のようなものも俺にはなかったし、なんでもやってみたらいい経験かも、って気持ちはあったけど、帰って仕事せんでいいんならラッキーみたいな気持ちもちょっとあった。
で、ボランティアってどういうシステムかまったく知らなかったけど、ボランティアセンター? みたいのがちゃんと立ち上がっていた。
まず、ボランティアを必要とする町会や個人が、町会や代表者を通じてセンターに派遣の依頼を出すみたい。
そこでセンターの人間が「必ず人を寄こせるかはわかりません」と言って依頼を受ける。
で、ボランティアする人は朝9時にセンターに来て、保険や受付やを済ませると、水と塩飴とマスクがもらえた。
その後、係りの人に、自分たちのグループの人数や男女の別を告げる。
するとセンターの人が、「今これこれこういう仕事の依頼が来てるんですけどどうですか?」と聞いてくれるので、おっけーだったら受ける。
そして、必用な資材(水害だったので土砂の撤去が主な作業なので、バケツやスコップ、雑巾、一輪車、軍手など)をセンターから借り受ける。
で、指定された場所に行って、依頼者の指示にしたがって仕事をする。
お昼休憩は必ずとることと、仕事が終わらなくても必ず16時には帰ること、という決まりがあったので、その範囲で働いた。
依頼者もそれを知って依頼していたので、きっちりそれを守ってくれた。
いま批判する人が多い「邪魔なだけのボランティア」の中には、このような範囲を超えて無理しすぎたために結果迷惑をかけてしまう人もいるんだと思う。
それを批判するのは、俺個人としては気がひけてしまうし、やはり批判するよりも無理を止める人をきちんと機能させるべきなんだと思う。
現場付近に行くと、道路が完全に流されていたり、線路が流されていたり、目を疑う光景があった。
道路がないと思ったら、アスファルトのプレートがはるか先にあったり、ガードレールがありえない形になっていたりすることもあった。
8月だったので、もう米の実った田んぼが壊滅しているところも多かった。
だからあれはやはり地震そのものじゃなくて津波のせいなんだなと感じた。
ただ、佐用では、自動販売機が水没するくらいまで水位がきたみたいだが、車は流されなかった。
まあ、「どっちの災害のほうが~」なんて比較は建設的じゃないし、不快に思う方も多いだろうからこれ以上は言わない。
俺のボランティアのときは物資の補給なんかも全然問題はなかったので、水や食料に困ることはなかった。
食料や水やマスクは SPring-8 の人が用意してくれた。
休憩時間に、飲み物か何かを出してくれる方も多くおられた。
水没した本とかもくれた。
佐用のあたりは山奥の山あいなので、山と山の間に支流が流れていて、その周りに集落がある構造になってるんだけど、集落ごとに水の高さが違ったみたい。
ひどいところもあれば、ほぼおさまってるところもあった。
現地にいくまでは報道でしか知り得なかったし、水害から一か月もしていたら続報なんてほとんどなくなっていた。
だから、いまがどういう状況かなんて考えてなかったし、ああまだ大変なとこもあるんだな、程度だった。
でも実際はまだまだ何もできてないという状況の場所もかなりあった。
日本のマスコミは関東偏重主義だから今回の地震報道はいっぱいいっぱいしてるけど、本当はどんなに小さな災害だってずっと影響を及ぼすし、それは報道してる期間が影響するわけじゃない。
関東に影響が出れば全国放送で、地方の災害は一ニュースでしかないって、なんだか複雑な気分になる。
というのも、関東は人口が多いんだから報道が多くて当たり前、というような論以前に、地方の災害への関東の意識の低さもあらわしているような気がするから。
で、やっぱり、まだまだの場所はある、と言っても、一応水はひいてるし、みんな生活場所を確保して、道路なんかは復旧して、みんな各各の家に戻れる人は戻っているって状況だった。
ここまで来るのに一か月かかったってわけだ。
そこまで来るのに大変な作業が必要だったろうし、自衛隊が活躍したのかどうかは知らないけど、公的な組織の活躍はあったろうと思う。
でも、それがあらかた済んだ時、災害によるその非日常が日常に変わったとき、そこからはもう個人としての復旧が必要になる。
だからそこからは、個人の家の復旧作業や、町会の排水溝の復旧なんかが必要になってくる。
だから、主に俺らは個人の宅にたまった泥をかき出したり、掃除をしたり、だめになったタンスを運んだり、水を吸ってあかなくなったタンスをこじ開けたり、ダメになった障子やふすまをはずして運んだり、そういう作業をやった。
個人の畑に流れ着いたゴミを撤去したり、私道というかあぜ道というか、そういうものを復旧させたり、延々と溝蓋をあけて中の泥をかき出して一輪車で運んだりした。
だから俺は思う。
これだけ組織的にボランティアをさばけるシステムが素晴らしいなって思う。
苦しいだろうけど、笑顔で泥だらけの自宅に戻る人たちがすごいなって思う。
俺らみたいな素人の、ただの体が動くだけの人間に、優しい言葉や感謝の言葉をかけてくれる人が、素晴らしいなって思う。
この態勢ができていたから、俺みたいなのでも少しは役に立てたんだと思う。
そしてそれは、まったく報道されなくなってから、ようやく立ち上がったシステムなんだと思う。
だから、そんなシステムが立ち上がる前に素人が現地に行っても、役に立たないのはその通りだと思う。
ガレキの山を前に、死体の山を前に、できることなんて何もない。
今は被災者は、情報も、安心も何もない、不安定な一時的な状態で過ごしている。
それが終わって、これが一時的な非日常ではないと覚悟を決めて、前に進もうと決めたとき、ようやくきめ細やかな支援を必要とする個人が現れる。
そのとき、ボランティアの人がいてくれたら、どれだけ心強いかわからない。
だから俺は思う。
乙武さんが言うような
「阪神大震災で被災した当事者の一言。「助けに来てくれて一番ありがたいと思ったのは、自衛隊の人たち。 一番迷惑で邪魔だったのは、自称ボランティアの人たち。こちらが必要とする事はできず、逆に残り少ない食品や飲料水をコンビニで消費していく始末」 」
でも、それを批判し、止めることが崇高な行為だとは思わない。
今邪魔になる人をひとりでも思いとどまらせて、それはそれでよかったのかもしれない。
それで被災者の一人が救われるのかもしれない。
でも、本当にそういう気持ちで動いた人って、自分が何もできなかったらそれでわかると思うんだ。
そしたらその人は、いつ行くか行かないかも含めて、次回は戦力になる振る舞いができるようになる。
今回役にたたなかったとしても、泣きながらおばあちゃんの手を握るだけで、救われる人もいるかもしれない。
だから、全てが無駄だなんて、胸を張って広めるような意見じゃないと俺は思う。
現地で大切なことを肌で感じてくれる人間を、止めることはあっても非難しちゃいけないと思う。
だって今すぐ行って、迷惑かけたけど泣きながら帰ってきたやつが、まだ復旧していない半年後に、本当にマンパワーが必要な時期に、前回の経験を生かして大活躍してくれるかもしれないじゃない。
いろいろ経験されている乙武さんには、そういう方を非難する資格は確かにあるのかもしれないけど、何も肌で感じたこともなく、自分で何も動かないやつは、決して言ってはならない言葉だと俺は思う。
確かに一定数、行っても何も感じない、行ったら邪魔なだけ、ってやつもいるんだろう。
ただ、そういうやつに乙武さんのことばはたぶん、届かない。
だから俺は、今の行動を止めることより、未来の行動を促す言い方をしようと思う。
自分に何かできることはないか、と思うなら、募金をしてください。
そしてあなたのマンパワーは、半年から一年後に貸してください。
どしてもいま動きたい方は、ハイチ地震や、九州の集中豪雨のほうに行ってみてください。
1.現地入りはしない。
になると思います。
1.についてはご懸念の通り、ロジスティックが付いていない限り、医師と言えど一般人で、現地の負担と現地への貢献は差し引きマイナスの可能性が高いからです。
2.については、実際このようなケースでは、現地ヒアリング→物品手配→現地での医療活動、の手順を踏みますが、その最初の工程の効率化が図れる可能性があるからです。
基本的には、地域拠点病院に連絡がつき、そこに情報を出しているならそれで当面の最善は尽くしているということになると思います。叔父上のお気持ちは分かりますが、トリアージが行われたような現場では、通常の医療倫理あるいは感情的道徳的には理不尽な話が正解となる場合があります。「2人の人を助けるために自分の母親を殺せるか?」という問いと似たような話で、感情的には納得できないのが当然と言えますが・・・
ただし72hという最も緊急的な対応が必要な時期は過ぎていますので、ケースバイケースな点もあって「絶対に止めた方がいい」とはいいきれません。実際に医療的な貢献ができるかどうかは別として「顔見知りの医者が面倒を見に来てくれた」と言うこと自体に大きな効果がある可能性があるからです。患者さん方と現地医療機関の橋渡し役、というのは組織的救難活動では手が回りにくいところでもあります。あくまで「現地医療機関が止めないなら」という条件付きでは一般人のボランティアとは意味が違う部分があるのも確かと思われます。過去の災害対策では「大きな避難所が優先されてしまい、限界集落のようなところは手が届きかねた」というのは常に挙がっている問題点(たいていはやむを得ずあえてそういう決断をしているのですが)でもありますし。
まずは、この度の大地震・大津波で被災された方々の安寧と一刻も早い復旧を祈ります。
私の叔父の一人が、被災地域のひとつに非常勤で働きに行っていた医師なのです。
と言っても臨床経験は浅く、今までは裏方的な仕事をしていた人なので、
実際には長期安定した患者さんに定例の薬を処方するのが主な仕事のようです。
そこは普段からかなり交通の不便な場所で、いわゆる限界集落というものだろうと思います。
街の病院から往診車が山道を通って月に数回来る以外、何の医療設備もありません。
今回、その基幹となる病院が津波の被害を受け、機能停止状態に陥っているそうです。
叔父は往診車でその集落へ向かう日以外は都内に暮らしており、震災時も都内に居ました。
当初はその地域の情報がなかなか入らず、どうにか病院関係者と連絡が取れたものの
上記のような有様で、叔父は集落の人たち(ご老人ばかりらしい)の事を心配しています。
何とか自家用車で集落へ行けないかと、地図を見たりしていますが、
渋滞による物資の輸送遅延を防ぐために極力個人で被災地域へ向かうのは避けて欲しい、という
当該地域の公式HPの記述もあり、私としてはこの場合はインフラの復旧を待つしか無いと思っているのですが、
叔父は「自分は医師であるから、一般の個人とは事情が異なる」と言っています。
それにしても肝心の病院が動いていないのでは、薬の処方もできないし…
食料や水の補給といった目的で行くのなら、医師は関係無いのでやはり一般人扱いな気がします。
しかし、普段見ている人たちが取り残されて心配な気持ちも分かります。
追記:
お返事ありがとうございます。今は時間がないので、あとでゆっくり拝見します。
往診車の基幹となっている病院ですが、津波で浸水したのと電気が通じないのと(自家発電も長く持たなかった)で
元々人手不足気味の病院なので、この非常事態では医師の数も決して足りてはいないと思いますが。
逆に言えば、電気が通じるようになれば、ある程度機能するのかもしれません。
その上、原発建屋が吹っ飛ぶなんて…。
テレビの映像は映画でない。そう自分に言い聞かせなければならないほどだ。
「てんでん」とは「てんでんに」、みんなそれぞれにという意味だ。それにウシを「べごっこ」と呼ぶ東北弁独特の「こ」がついた。
津波が来たら、みんなてんでに、一目散に逃げろ。
1933年の「昭和三陸津波」を経験した作家の山下文男さんは、過去の惨事から学んだ教訓だと書いている
悲しい歴史がある。2万2千人が亡くなった1896年の「明治三陸津波」、昭和三陸津波では3千人が犠牲になった。
わが子を救おうとした親が逃げ遅れ、肉親を捜すうちに波にのまれる人が続出した
そんな悲惨な経験から「自分のことはまず自分で守る」意識が生まれた。
「災害弱者」を救う工夫をする一方、「てんでんこ」の教えも大切にしたい。
福島第1原発では爆発が起き、放射能拡散など2次災害が心配される。
いつ、どんな事態が誘発されるか分からない。
個別論として、資本主義だからインターネットがとか、ボケたこというな。
そもそも論として、光ファイバーを研究もせずに引けるわけねーだろ。
さらにそれを道路工事して埋設してんだぞ?30年近く前から淡々とやっとんだぞ?
どこぞのバンクさんが、光ファイバーは国民の税金でといってらっしゃるとおり、通信事業全般は郵便にしろ何にしろ、スタートは国策でやってるもんだ。国策に関しては資本主義かんけーねー。
むしろ、都心部のように儲かるところはいいが、地方部や集落みたいなとこでも 電話線が通ってADSL程度は使えることがあったり、郵便物が届くという事実にこそ驚愕しろ。
どれもこれも、国策としてのバックアップがあるからできることだ。なんでもかんでも資本主義にすんな。
あと、なんか、遠い未来まで日本が日本みたいな予想はおかしいぞ?どのみち、遠い未来には地球統一政府。その手間前は、アジア統一政府でEUなんぞと統一だろ。国という概念なんぞふっとぶわ。
その手前で出来ることは、国のインフラの受益することじゃなくて、世界中で戦って設けられる地域に行って生き延びるスキルだろうがと。
国が国がの前にまずは、自己ひとりなんとかせんとな
みたいな事を言ってるとある英文記事が面白かったので訳してみた。
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http://www.cracked.com/article_18817_5-reasons-future-will-be-ruled-by-b.s..html
未来がハッタリによって支配される5つの理由
理想の未来を思い浮かべてみよう。いや、地球最期の男になった自分がゾンビの群れを蹴散らす妄想じゃなくて、社会から見た理想の未来を。エネルギーはクリーンで無尽蔵、品物は豊富で汚い仕事は機械が全てやってくれる。みんな幸せでしょ?
でも実は、この未来は既に色んな意味で実現している。そしてこの未来を表す言葉は「屁」だ。
とりあえず説明しようか。
#5.
もし俺がお前に「予算ゼロで可能な限りのポルノをネットから持ってきてくれ」と言ったら、どれだけのエロ画像・エロ動画を持ってくる?
多分答えは「全部」じゃないだろうか。
これがちょっと面白い話につながる。ここ数十年、発展途上国では汚染された乳児用粉ミルクで何千もの赤ん坊が死んでいる。あれ、面白いって言っちゃった?ごめん、使う単語を間違えた。とにかく、何が起きてるかって言うと、衛生環境が悪いため母親は粉ミルクを汚染された水で溶かしている。んじゃ何で自分の身体からタダでミルクが作れるのに、わざわざ毒の粉ミルクを赤ん坊に与えるのか?それは粉ミルクの製造社であるネスレがそうしろと言ってるからだ。
企業はタダで手に入れられるものに対してお金を出すよう説得する……みんなが知りたかった未来の姿がこれだ。
みんな俺がファイル共有やデジタル著作権や、腹黒なレコード会社の話をするんじゃないかと思うだろうけど、あんなのはこれから来る未来のほんの一片にすぎない。世界は変わった。生まれた時から俺達の頭に叩き込まれた社会のルールはひっくり返されようとしている。
未来学者やSF作家はよく「欠乏のない社会」――スタートレックのように、物質複製機やフュージョンリアクターが全ての欠乏を終わらせた社会について口にする。確かに物凄く無茶な妄想に聞こえなくもないけど、俺たちの生活の中では、これが既に実現してる部分が沢山ある。エロなんかそう。今ポルノは空気よりも豊富だ。空気は有限だけど、今人類は宇宙が燃え尽きるまでエネルギーをおっぱいのJPG画像に変換する機械を手にしている。今やおっぱいは無尽蔵なのだ。
さて、ツイスターゲームすら出来ないような狭い部屋でも、そこで過ごす時間のほぼ全てをネットサーフィンとネットゲームに使うんだから構わないっていう人がどれだけいるか。彼らは別にプール付きの二階建ての一軒家が欲しい訳じゃない。300ドルのネットブックと月額20ドルのネット接続があれば、友人、出会い、娯楽、趣味、そして家族や同僚との連絡全てが可能になる。家で仕事をする事すら可能になる。
マズローの欲求段階の多くがデジタルのみで満たされる事が可能なのが今の時代だ。
俺たちネット住民はゲームのデジタル著作権等についてぎゃーぎゃー騒いでるだけで、事のスケールの大きさに全く気が付いていない。まるで生まれた時からずっとフェンスの中に閉じ込められた犬が、嵐でフェンスが吹き飛ばされて、周りを見渡して「すげぇ、庭だ!」ってはしゃいでるようだ。
違うぞハチ公。目の前に広がってるのは庭じゃなく、世界そのものだ。
#4.
ビジネスは、生き延びるために無尽蔵な製品が有限であるフリをしなければならない。
というわけで……理想郷が実現した!人類の勝利だ!もうこんな記事読むのやめてパーティでも始めようぜ!
いや、ちょっと待て。粉ミルクの件を忘れてないか?
ここから話が色々とトチ狂ってくる訳で。例えば、公共の図書館は過去500年もの間本を無償で貸し出してきた。出版社は、図書館が本を買っているからこれを良しとしているし、人気のある本なら一度に何冊も貸し出せるよう複数冊購入してくれる。そして何度も読まれると本はボロボロになるから、数年置きに買い換えてもくれる。
そこで、出版社はより優れた本を作り出した。電子書籍と言う、100億回読まれても傷一つつかない不滅の本だ。このとんでもない代物を生産するのに幾らかかるかって言うと、これが1円もかからない。出版社に何も支払わなくても、読者は自分で本の複製品を「生産」して自分のパソコンに保存する事もできる。この本もまた「無尽蔵」だ。
なので、出版社にとって次のステップは単純明確だった:本が自滅する仕様にする事。
図書館に売られた電子書籍は1年後、もしくは特定の回数だけ貸し出された後に自動削除されるようになった。これは出版社と公共図書館の間でとんでもない論争の種になった。何せどちらも社会の構造をバラバラにするような「ほつれ」を見つけてしまったのだから。考えてもみよう:
A. 自然劣化しないのなら、客に必要な分だけの電子書籍を買い集めて永久に保存する事も出来るんじゃないの?
B. ちょっと待てよ。ただの電子ファイルだろ?じゃ1冊だけ買って、後は読みたいって言う客に対してコピペしてあげればいいんじゃないの?
C. ちょっと待てよ。そもそも図書館なんて必要か?出版社から買って自分で友達にコピーしたものを“貸して”やればいいんじゃないの?
D. ちょっと待てよ。印刷も製本も必要ないのなら、そもそも出版社なんているの?作者から直接買えばいいんじゃないの?
E. ちょーーーっと待てよ。作者が作った1冊を用意すれば、あとはみんなそれをタダでもらっちゃえばいいんじゃないの?
ここで何が消滅したかをちょっと考えてみよう。出版会社の社員が詰まった高層ビル、本が詰まった倉庫、本屋、図書館、印刷機が並んだ工場、製紙工場、作者が印税で買ったいろんな物。これら全てが消滅。
これら全てを何とか維持していく為、出版社はFARTSと呼ばれるものを利用している。FARTSとはForced ARTificial Scarcityの略で、直訳すると「強制人工欠乏」という意味だ。いや、こう呼んでるのは俺なんだけど、俺くらいのネーミングセンスが連中にもあればみんなこう呼んでるはず(訳注:FARTS=「屁」。以降はこれを「屁」と訳す)。
みんなよく聞け:未来はFARTSに支配される。
みんなソニーのマトリックスみたいな近未来バーチャル世界「Playstation Home」がデビューした時を覚えてるか?その時なんとも衝撃的な事件があった。人気ウェブ漫画Penny Arcadeの連中がバーチャルボーリング場にログインして、レーンが開くのを待つため並んでいた。ボーリング場なんて本当は存在しないはずのバーチャル空間で、だ。全てがサーバ上で0と1で作られてる世界なら、レーンなんて実質的に無限に用意できるはずだ。誰でもいつでも使えるレーンが何千も用意されててもおかしくはないのに、俺らに用意されたのは「屁」だ。
#3.
娯楽やコミュニケーションから仕事をするのに必要なソフトまで、あらゆるデジタル製品に言える事だが、俺たちの経済の大半は「屁」によって機能しているのが現状だ。そして時間が過ぎれば過ぎるほど、日常的に利用しているもの全てがその見えない雲に覆われていく。
凄いだろ?でもまぁ、お前さんは上の連中の言われた通りの事なんてしないだろう。企業が何もしなくても手に入るようなものに対して好き勝手に値札をつけるような未来、許すはずもない。これじゃあまるで……うーん……女性が自分の体液を使えば済むような事で大量のお金を使ってしまうようなもんじゃないか。
俺だってそう思ったよ。俺は情報強者なんだぜっつって。んで、机の周りを見渡してみた。
俺の隣にはAquafina天然水のペットボトルがある。何故かというと:1990年代にペプシ社とコカコーラ社がペプシとコーラの売り上げが伸びない事に気付いて、実質無限にあるはずの水道水を買って、ボトルに詰めて、山の絵が印刷させたラベルをつけて、値段を200倍にして、そんで俺がそいつを買った、という訳。
水の隣には頭痛薬のExcedrinがある。そりゃあ店がローカルで出してる銘柄だって分子構造レベルまで一緒だろうけど、俺は倍の金を出してこっちを買った。だってExcedrinだぜ?キャッチフレーズが「ザ・頭痛薬」なんだぜ?んでその下にあるのがローン支払いの明細書で、「手数料:$5.00」と書かれている。
俺のパソコンなんてもっとやばいぞ。Windows 7をインストールしてあるんだけど、新品のHDDだったんで入れたのは200ドルのフルインストール版だ。アップグレード版は100ドルなんだけど、ちなみにどっちもディスクの中に入ってるデータは実は全くの一緒。安い方はただ前のバージョンがインストールされてるかどうかが分かる機能があって、無ければインストールさせてくれない仕様なだけ。
パソコンを新調する事になったら、今インテルがテストマーケティングしてる新しいプロセッサを入れるかもしれない。で、そのプロセッサ、一部の機能が事前に意図的にブロックされてる。何故かと言うと、そのブロックされた機能が使えるようになる「アップグレードカード」を50ドルで売りつけるためだ。
連中は俺達を虚無に対して金を支払うよう教育してて、俺達はずっとそれに従ってきた。お前の机の上にだって「屁」があるだろ?
#2.
さっき電子書籍を例に出したのは理由がある。俺は機会がある度に本を出してる事を宣伝してる(内容は怪物とチ○コのお話)。今はペーパーバック版が10ドルくらいで出てる。書くのに5年かかった。けど現実は、もしアンタが電子コピー版を入手しようと思ったら、それが可能だって事。お前に金を出させるための「欠乏性」は俺達の妄想の産物にすぎない。John Dies at the Endは350ページ分の「屁」だ。
Amazon.comと大手出版会社の議論の原点はそこにある。誰も値段をいくらにすればいいのか分からない。何となーく適当に決めなきゃいけない。どうせ最初の一部を作ってしまえば後は生産費はかからないんだから。
その一方、俺と俺の家族と俺が賃貸と車のローンを借りてる銀行とIRSと俺が飯を買ってるスーパーは、みんな少し手を伸ばせば俺の本のコピーがすぐにタダで手に入れられてしまう事に気付かないという共通の期待を抱いている。やがて世界中が同じ期待を抱くようになるだろう。
で、その問題を何とかするのが、知的財産権を侵害する人間に対して、誰であろうと鉄槌を下す世界規模の条約b>ACTAだ。ネットの住民はみんなこいつを嫌ってる。何故なら①みんなのHDDを覗き見出来るレベルのプライバシーの侵害が出来ないと実施出来ない事と、②無意味だからだ。まるで沈んでいる船が海に大砲を向けて威嚇しているようなものだ。
何でこんな事をするのか?大企業やレコード会社はアクティビジョンの利益を守るためか?メタリカの反海賊版活動家(笑)ラーズ・ウルリッヒが純金じゃなくプラチナで出来た飛行機を買うためか?どっかのライターがサルにオートバイの乗り方を教えるためか?ふざけんな!
でも犬とフェンスの話を忘れちゃいけない。世界は変わった。全員にとって。俺もラーズ・ウルリッヒと同じ状況になったし、お前だってそうなんだ。
ラーズは音楽を売って飯を食って、お前は自分の労働力を売って飯を食ってる。いずれは氏の音楽と動揺、お前の人としての労働力は電子化されて低コストで代用が効くようになり、お前の技術は完全に無価値になる。
どっかのゲーム屋さんで働いてるって?次の世代のゲーム機はゲームを直接ダウンロード出来る仕様になるからゲーム屋なんていらなくなる。ビデオ屋だって同じだ。ブルーレイは多分俺達が最後に目にする物理的なメディアだろう。レジのバイト?セルフレジに仕事が取られるどころの話じゃないぞ。将来的にはRFIDシステムを導入して、買い物品を持ったままセンサーを通りすぎれば自動的に口座から引き落とすシステムになる。スターバックス?お前のやってる仕事の何が機械で出来ないって言うんだ?郵便局?あそこで働いてる奴は実質人間スパム配信機でしかないだろ。郵便物の半数以上は真っ先にゴミ箱行きになる不用品だ。メール社会となった今、郵便局にとって利益が得られる客はダイレクトメール業者しか残っていない。
ちなみに俺がサービス業ばかり挙げているのは、お前らの中の殆どが製造業で働いてるはずが無いからだ。そういう仕事の殆どはもうロボットにアウトソーシングされてる。
技術力の発展のお陰で、雇い主にとって労働の殆どはお前らにとってのネットポルノと同じ「欠乏のない」ものになる。連中にとってコイツはポルノと同じくらい勃起させてくれるものだ。
ACTAやMPAAやRIAAをどれだけ憎もうが、お前の給料は既に「屁」で支払われている。
#1.
文明を救うのは「ハッタリ」
こうして俺らは貪欲な企業どもに金を支払わなくても大抵のものはタダで手に入る事を喜んでるが、それは同時に企業どもが俺らに金を支払う必要もなくなってるって事だ。どちら側も、将来人々は特に理由もなく「“支払う”事を選択する」事を期待している。ゲーム屋さんなら、店員も会社も客が唐突にゲームに対して対価を払う事を選択し、それを人から受け取る事を選択してくれるようにと願っている。
「良い仕事をすれば社会はそれに対して喜んで対価を支払う」みたいな屁理屈はいらない。ネットの住人の俺は、その理屈がどうなってきたか見てきた。サーバが落ちるくらいトラフィックが多い人気サイトが、PayPalの募金口座で閑古鳥が鳴くばかりという理由で閉鎖に追い込まれるなんて何度見てきたことか。もしその仕事に対しての生来の価値に見合った対価を支払うのが人間なのなら、Achewoodが「お金ください」とお願いする事もなかった。
「自分で払う対価を決める」という制度は最終的には募金だ。そして人は特定の気分にいるか、余分なお金を持っている時にしか募金をしない。商業の代わりには成り得無い。
別に給料の話に限って言ってる訳じゃない。人間社会ってのは、人が作ったものを人が必要としてるから成り立っている。総合的なニーズが人を集結させ、リソースを共有させ、そうやって最初の集落が生まれていった。人はモノが必要で、他人が俺らに必要なモノを与えてくれるためにも、俺らが作ったモノを他人が必要としてくれなくちゃいけない。これが何千年も続いてきた人間社会の歯車だ。そして今その歯車が止まろうとしている。
という訳で、社会を救うためにも、今まで何度も人類を救ってきた見えないチカラに頼らないといけないようだ。俺はこいつを「ハッタリ」と呼びたい。
ハッタリは次の成長産業だ。ペットボトルの中の水が山の天然水だと、汚染された粉ミルクは乳児に命を吹き込むと俺らや教育を受けていない母親達に信じさせてきたアイツらは、将来的には外科医よりも重宝される事になる。
文明の発展と同時に、彼ら「屁」の守護者達は俺達が無から作れるものに対して、「良い人であるために」みたいな曖昧な価値観を元に、対価を支払う文化を形成するだろう。丁度Appleのロゴが、既に安価で出回ってるものと同価値のものに対して2倍の金を出させる洗脳効果があるのと同じように。
そしてやがて常温核融合炉やナノテク生産、人間一人につき100GB/秒のWi-Fi接続で電子コンタクトレンズに色々とダウンロードできる技術が実現化した時代になっても、ハッタリ師達は「古き伝統」を守り続けているだろう。3セントで複製機が吐き出してくる靴よりも、80ドルの靴を買えと。何せこっちは「手作り」なんだから。
「支払のための支払」を新時代のモラルとするかもしれない。それか「屁」を中心とした新興宗教か……
少なくとも俺らが他の方法を思いつくまでは。
ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。育った町は関東に位置している田舎だった。電車に乗れば東京までたかだか一時間半か二時間程度の場所だったが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならなかった。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機で切符が買えなかった。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスも早くて、夕方が差し迫ってくるともう乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。
電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げて田んぼに水を注ぎ込む小川も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも遠く、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかなくて、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンもみな忌み嫌っていた。
私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。
高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住処を確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
私は住処を確保できた幸運な一人だった。山の手の静かな住宅地の中の、学生用の古い汚い部屋でも、私にとってそこは「トカイ」だった。駅に着くまで田畑はなく、家々は軒を並べ、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈は一定の間隔で並んで闇を追い払ってくれる。都会には月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心があった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、蚊に食われたといいながらよくベンチに座って、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているのに、どこかに必ず境目があって、境界付近で二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、それだけで田舎だと言っているけれど、田舎はそうじゃない。
コンビニには車で出かけなければならないことも、コンビニは農協のようなものだということも、、新製品は何か月もしないとおかないような、そのくせいつからあるのかわからないような商品が段ボールで積み重ねてあるということも、あなたたちは知らない。発売と同時に新商品を手に取ることができる喜びにあなたたちは気づかない。駅と駅の間が近くて、自転車で行き来でき、一つの場所に店が集まっていないせいであちこち足を運ばなければいけない不便性は田舎のそれとは違う。
大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎だ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしないのが田舎だ。あなたたちはそれを知らない。
盆や正月に田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。
そうして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。私はABABでいいものがあれば買うし、同じようにしまむらで掘り出し物があれば買う。田舎よりも安くで手に入れることのできるものは都会で買い、田舎で安く買うことのできるものは田舎で買う。どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだ。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。
「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。
私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。
記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。
父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。
引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルドも本屋もミスタードーナツもある。旧市街地は門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。
バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置している新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに行った。
父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分で都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙な時間的距離は苦痛だったのだろう。
子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。
そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。
祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。彼らは東京駅で人込みの歩き方がわからなくて、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。
たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京にイオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列のショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。
あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。
私の住む東京と千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町だからここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎を志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。
それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。
ネットでは在日差別ばかりが取り沙汰されるが、他にも同様の差別はあるんだよ。それに多くの人間は無意識に関わっているのであり、どれかをNOというならすべてにNOと言える態度が当然求められる。逆に言えば、これは差別だけどこっちは差別じゃない、というのは絶対にあってはならない。考え方の多様性は自己矛盾を保証するものではないからだ。
差別はたいていが各々のレベルで定義される閉じた共同体において、その構成員が予め備えているとされる資質(それは大抵が曖昧であるが、「ふつう」「常識」とするものが多い)を欠いた者に対して行われるケースが多い。
差別は、
などに分類されよう。差別とは「区別と序列」が前提にあるのは明白である。自分が他人と同じなのか、違うのか、また上なのか、下なのか、を認識してそれに見合った振る舞いをすることは、社会では必須のスキルである。
たとえば、自分と同じ共同体で、自分より上だ、と思う人には正の差別を、下だ、と思う人には負の差別を行う。しかしながら自分と異なる共同体の場合はそうとは限らない。人類が考える最大の共同体は、今のところ地球であるから、異なる国家を超えて評価されている人物は、人類、地球という枠組みで評価されていると言ってよい。逆に言えば、自分と思想が相容れない共同体の牽引者は、立場が上でも強烈に批難することがある、ということだ。
それに見合った振る舞い、というのは同調圧力と換言できる。共同体の中の役割を演じることで、共同体の他の人から承認されるのである。それをしないものは共同体内の自浄力によって排除されるだろう。これを村八分、いじめ、叩きという。
差別を糾弾したからと言って、逆差別の正当性が保障されるわけではないことを意識する必要がある。一度差別されたから、と差別し返すのは何も許された話ではなく、同じ穴の狢に身を落とすことにほかならないことを、理解する必要がある。
また、ネット上では多くの情報が行き交い、個人レベルでの情報処理能力が問われることになる。そこで、一部はレッテル貼りをすることで対象を矮小化し、処理しやすくしているようである。もちろんそれは処理された側からすれば不当なものにされる可能性が多くあることは言うまでもない。