はてなキーワード: 神田川とは
そのあたりが すでに 神田川的発想じゃんか。
そういうんじゃないのさ
おまいら とか おれの そもそもの精神論ていうのかな
そのへんのことさ。
おまいらは なんていうか
のほほんとし過ぎなのさ
それが 満足みたいな顔をしているけれど
金の時計みたいには 絶対になれないし
ニートのみんな すべてのみんなにいいたいよ。
せっかく 産まれてきたんだから
金の時計みたいな 人間になる瞬間を わざわざ 放棄する必要はないってことさ。
たしかに 働いたら おれも負けかなとは思うけど。
働いた先にある 快感が どういうものなのかな??っていう
そのへんの あくなき探求心だけは
忘れたくないんだよ。
BY きょ~やん
ログ 全体 みてみてさ
まー トピック立ち上げてみた おれの 思ったとおり
結局 おまいらは 以前として
「神田川」的な 地味生活を好んでるんだわ。
そういう方向に すすめよう すすめようっていうのが
ひしひし 伝わるしな。
俺は おまいら おいて
金の時計 つけて こうと思うわ。
この生活からは おさらば したいんだよ。
BYきょ~やん
ちゃーす
きょ~やん です w どーもww
あれなんよ
最近 金色の時計してる人は 勝ち組なんじゃないか??って思ったのでレポートしまつwwwwwwwwww
まあ もともとの なれそめっていうか、から話ますけどねwww
そのへんの頃って、妙にとがってて、
「は?シンプルなほうがいいじゃん?金?いらねーよw夢ありゃいいじゃんw」
とかゆってたんすけどね
最近なんだろう
女を何人もたぶらかしてるような椰子のほうが
明らかに勝ち組じゃんか!って思うようになりました。
ようするに、「神田川」的なもんを そろそろ完全否定しといたほうが よくね??って話っす。
さらにようするに、「ニート」的なもんを そろそろ完全否定しといたほうが よくね??って話っす。
そうそう、なんだろう
せっけんがカタカタ鳴ったから、「あー風情ある。俺超青春じゃん」みたいのが
もう無理だわ
資本主義なんだわ 結局。
だから おまいらも、 あれだわ。
金の時計して、女たぶらかそーぜ。
ども、きょ~やんでした。
チャオ
http://anond.hatelabo.jp/20090905172618
理想が高いなあ。100%正解の答えを求めちゃってるけどその理想が根底にある限りずっと同じところで悩んじゃうんじゃないかな。
ただ、この考え方は若いときなら共感できる。いわゆる中二ぐらいにこの世界(土地)で生きてても俺は輝けないとガイアがささやくみたいな。
自分を縛るのは土地じゃなく人なんだよなあ、好きな人が住んでたらそこが住処になる。例えば神田川のような同棲生活はもっと惨めな印象を持ってる。
一ついえるのは納得できなくても納得することを覚えなきゃ「なんとなく負け組じゃね今の自分」の思考スパイラルから抜け出せなくなるんじゃないか。
東京都千代田区神田から台東区上野に至る一帯が秋葉原と呼ばれる。行政区画としての秋葉原はもっと狭い範囲を指すのだが,一般的な認識としては,JR秋葉原駅を中心に,メトロ銀座線神田から末広町までのあたりを含む地名と言えるだろう。本メモでもこの広義の用例にしたがう。
JR山手線によって内神田と外神田に分割され,またそれと交わる神田川によって各々2分割される。だいたいこの4区画で考えるとわかりやすい。地図上でJR秋葉原駅を原点にみたてると,第1象限が佐久間町,第2が電気街,第3が須田町で第4が岩本町となる。オタショップやメイド喫茶などいわゆるAKIBA的なものは電気街に集中している。他の3つはビジネス街で,繊維や食品など軽工業のオフィスが群立している。
JRと日比谷線の秋葉原駅に加え,都営新宿線の岩本町駅が利用可能。また銀座線の神田・末広町駅も徒歩圏内にある。つくばエキスプレスの発車口でもある。どこに行くにしても交通の便は悪くない。
区役所は九段下にある。所轄警察署は万世橋。高い密度で交番が設置されており,徒歩やパトカーによる警察官の見回りも頻繁にある。公立小学校は昌平・千代田・和泉と3校あり,いずれも幼稚園併設。これらは教育時間外は住民に開放され,プールや教室として利用される。公立中学校は秋葉原内にはない。公園や広場といった運動用の施設については総じて乏しい。神田に区立体育館があり,水泳や武道がおこなわれている。岩本町には老人保養施設がある。
数字としての治安は悪くないが,電気街方面は休日ごとに奇抜な若者や外国人であふれ,若干の不安要素がある。事実,以前は空気銃の乱射事件などがあった。風俗店が軒を連ねており,屋外にまでパンツ絵を掲げていたりする。家族連れが住むにふさわしいとは言えない。4区画の中では岩本町がもっとも落ち着いている。
賃貸物件が絶対的に少ない。つまり選択肢が少なく,競争率は高い。家賃はワンルームから1Kでだいたい9万前後。好条件の部屋であれば10万は覚悟しておく。それ以上のグレード,たとえば家族向けとなるといっそう競争が厳しくなっていく。貸し手が強いため敷金礼金については交渉の余地が乏しく,2ヶ月ずつきっちりとられてしまう公算が高い。ただし,小金持ちが投資目的で運用している貸し部屋が多く,そうした物件では話の流れでどうにかできることもないとはいえない,かもしれない。
衣食ともに問題がある。ともに店が少なく,価格が高い。生鮮食料品を買うならUDX1階のワイズマートか,蔵前通りのハナマサ。ハナマサは24時間営業だが現金しか受け付けない。どちらも単価に地代が上乗せされており,郊外のスーパーでの価格が念頭にあると驚かされる。山崎製パンの本社があるためか,デイリーヤマザキが高密度で展開されておりコンビニには不自由しない。岩本町から神田にかけての一帯はかつての繊維街で,紳士服の小売店がいまだに残っているが,若者がカジュアルに着つぶせるような服がほしければ上野まで足を伸ばしたほうがいい。秋葉原からアメ横までは徒歩20分くらいで行ける。
家電製品に困ることはありえないが,机やタンスなどふつうの家具は入手しづらい。通販で購入するのが妥当か。日用雑貨については,電気街のドンキホーテとJR秋葉原駅の無印良品でどうにかまかなえる。書店はヨドバシAKIBAの有隣堂と神田川沿いの書泉が使える。
私はヌルい半オタで,秋葉原に住むようになったのは仕事上の都合によるもの。住み始めてから変わったことといえば,だんだんオタ趣味から遠ざかりつつあること。
祝祭空間としてのAKIBAに住んだからといって,毎日がお祭りになるわけではない。電気街の喧騒がだんだん嘘っぽく感じられてくる。美少女がにっこり笑う看板の下に山と積まれたゴミ袋,閉店してシャッターを閉めるときの店主の顔,そういったものに目がいくようになる。生粋のオタクで毎日AKIBAに通っています!というような人でも,自分の信仰を守りたければAKIBAに住むべきじゃないと思う。
- 元々は材木商である「佐久間屋」に由来して「佐久間町」と言う地名であった。材木商は大火のたびに莫大な利益を上げており、火除けの町秋葉原らしい縁起である。現在でも秋葉原駅東側に「神田佐久間町」、「神田佐久間河岸」という地名が残っている。
- 後にこの地に勧請される「鎮火社」を人々が秋葉社と呼んだことから秋葉原(あきばはら、あきばっぱら)と呼ばれるようになる(上記参照)。
- 1888年 - 秋葉社が松が谷に移転。
- 1890年 - 日本鉄道の鉄道線(現在の東北本線)が上野から秋葉原まで延長。当初は旅客の扱いは無く、秋葉原貨物取扱所として駅の南を東西に流れる神田川から駅東側に割り堀を引いて水上貨物輸送への窓口となっていた。駅名をつけたとき「あきはばら」と誤植されるが訂正されずに今に至る。
- 明治中期から大正時代にかけ、秋葉原周辺は鉄道・都電など交通の便が良く、そのため、特に卸売業が発達し、秋葉原駅近辺に青果市場も開かれた。
- 1925年 - 秋葉原駅~東京駅間の開業により東北本線が東京駅まで開通。
- 1932年 - 御茶ノ水駅~両国駅間が開業し、秋葉原は乗換駅になった。
- 1935年 - 神田青果市場が設置される。
- 1936年 - 鉄道博物館(のちの交通博物館)が東京駅から中央本線万世橋駅(のちに廃止)の駅構内に移転する。
- 戦前から戦後にかけて - 地下鉄(銀座線)・都電・国電と付近で多くの鉄道・軌道路線が立体交差をしていたことから、鉄道・交通に関する子供向け絵本に、未来都市の象徴として秋葉原が描かれることがあった。
- 1945年の第二次世界大戦後 - 神田地区の闇市で当初電機学校(現在の東京電機大学)の学生のために販売していた真空管やラジオ部品など電子部品の店舗が総武本線ガード下に集まって、今日の電気街の基になった。
- 1960年代 - 高度成長と連動する形で、テレビや洗濯機、冷蔵庫など家電製品の販売店が多くなり、大阪日本橋のでんでんタウンと並んで日本有数の電気街の地位を築く。
- 1980年代 - ファミコンの普及に伴って、各種コンピューターゲームソフトを扱う店が増え始め、ゲーム関連の専門店も登場する。
- 1989年 - 神田青果市場が大田区(大田市場)へ移転。跡地は駅前広場・駐車場を経て現在の秋葉原UDXビル・秋葉原クロスフィールドとなる。
- 1990年代 - 家電製品の郊外型量販チェーンストアの台頭で、家電売り上げが減少。その種の電化製品販売を縮小してパソコン及び関連商品を扱う店が増える。
- 1994年頃 - パソコンパーツ(いわゆる「自作PC」の部品)を扱う店舗が増え始める。
- 1990年代後半 - コンピューターゲームの中で、美少女やアニメを扱ったものに人気が特化していき、秋葉系・オタクといわれる存在が注目されはじめる。
- 1997年7月 - 秋葉原駅前広場を会場にコンピュータ関連展示会「インターネットショーin秋葉原」が開催される。以後2001年まで毎年開催され、1999年からは「AKIBAX」の愛称がつけられるなど、秋葉原の夏の一大イベントとなる。
- 2000年頃 - メーカー製コンピュータの販売が縮小し、代わってアニメ・同人誌系などの店舗、いわゆる「オタクショップ」が増える。
- 2002年頃 - 秋葉原駅電気街口周辺にアダルト関連グッズ(AV・おとなのおもちゃなど)を販売する、いわゆるアダルトショップが進出。
- 2002年6月 - 安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例(通称千代田区環境保護条例)が制定。秋葉原のほぼ全域が路上禁煙地区に指定された。
- 2005年8月24日 - つくばエクスプレス秋葉原駅が開業。同時に、同駅東側に車寄せや駅前広場も整備された。
- 2005年9月16日 - 秋葉原駅構内の、旧貨物駅跡地にヨドバシカメラマルチメディアAkiba・タワーレコード秋葉原店が開店。
- 2006年3月9日 - 神田市場の跡地に秋葉原UDXビルが開業。秋葉原クロスフィールドがグランドオープン。
- 2006年5月14日 - 交通博物館が閉館。博物館は2007年、さいたま市に鉄道博物館と改称して移転予定。跡地の今後は未定。
- 2006年6月2日 - 仮称TX秋葉原駅開発ビルが着工。阪急電鉄がつくばエクスプレスから同社の駅周辺の用地を借り受けて建設・運営するターミナルビルである。2008年4月に開業予定。阪急系列のホテルremmがテナントとして入店予定。
- 2006年10月16日 - 都内で初めての区営有料トイレがJR秋葉原駅にオープンした。
- 2006年12月22日 - 2002年以降休止していたAKIBAXが「AKIBAX2006」として復活開催。
- 2006年12月31日 - JR駅ビルにあったアキハバラデパートが閉店。
増田テーマソング(死人の箱には15人♪)
2007年春、ひとりエクスタシーサミットin増田アンコールラスト
[替え歌]HACK STAR / THE GREASE MONKEY
ニヒルなあいつにROCK’ON 〜秩序なんてぶちこわそうよ!!!〜
その後、おーいお茶でちょこらびーびーを流し込んだ。胃の奥底へ。私の中枢へ。私の体躯へ。きらびやかな体躯へ。
永遠に。
そして即座に起き上がり、シャボンの泡の向こう側に夕日を眺め、満足げにシャムネコを撫でる。撫でる。永遠に撫でる。撫で返す。撫でられる。
Terry Rileyの音楽を聴きながらゆっくりと歩き出す。向こう側に行くためにだ。そうでなければ私は歩かないかもしれない、いやぁ、きっと理由なんて必要ない。
向こう側へ行くことに、いや、踏み出すことに理由など必要ない。
歩けるのだ。可能である。
行くのだ。だから私は一歩足を踏み出し二歩目も踏み出す。止まらない。これが人間の性なのか、と思う。
思わずにはいられなかった。東北まで二キロ。夢見心地。
気づかぬうちに10年、20年、あの頃からずいぶんと遠くまで来た。あの頃の自分が創造していた大人ではない。子供の部分はまだ残りつつ、遠くまで着たなと涙ぐむ。
この先どうなるのだろうかと思いながら、だが遠くまで来て、もう戻れないのだと、また違う涙が黄金の目に貯まる。
貯金はすり減りながらも、涙は貯まっていく。
だが、その涙も乾く、夜景を眺めながら、私はあの日、シャワーを浴びてから自宅を一歩踏み出した。
明治通りを走り、新目白通りを走り、外苑東通りを走り、四谷三丁目に驚き、信濃町に安らぎ、赤坂御用地で冷たい空気を感じた。
Roppongi,Akasaka,Kasumigaseki,Kokyo,Ginza,Kanda,Ochanomizu,Iidabashi.