はてなキーワード: ハイビジョンとは
現在放送されているデジタルハイビジョン放送を受信でき、かつ外部から入力された4K映像信号を4K本来の画質
(水平3,840画素、垂直2,160画素)で表示できるテレビ。
4K対応テレビの機能に加え、4K放送をテレビ本体で受信可能なテレビ。
http://www.dxantenna.co.jp/4k8k/shichosha.html
※NHKのニュース見てたら2者の違いを当たり前であるかのように説明してたが、少し前までチューナ非搭載のものが
と思ったら、直近の以下の記事
新4K8K衛星放送ついに開始! 深田恭子が放送開始ボタン、4K TV普及約10%に - AV Watch
https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1156174.html
記事本文では“4K対応テレビ世帯普及率は推計で10%を超えている”となっているが、
タイトルでは「4K対応テレビ」を指して“4K TV普及約10%に”。
使い分けが徹底されてない、駄目じゃん。
子供が生まれたんで両親に子供の写真を見てもらおうとデジタルフォトフレームを贈るつもりで調べて見た。
メインで売れているのは7〜8インチの画面のものだけど、画素数が800x480とか800x600とかそんなもん。ハイビジョン動画再生機能がついててもそれ。
というかデジタルフォトフレームって写真を楽しむためのものでしょう?昨今の写真はケータイ画質でも4032x3024とかあるというのに、まるで20年近く前のパソコンディスプレイのような画面で見ても虚しいだけじゃないか?
で、内蔵メモリも8Gとかで少ないしクラウドフォトストレージにも対応してないし、それなのに音楽再生と動画再生もできるだけって品物が2〜3万はする。
フィリピン政府がうまいこと制圧してくれて、諸外国までは影響がなかったようだけれども、下手すれば日本に危険が及ぶことも十分に考えられたわけじゃん。なんで全然話題にならないのこれ。結構やばかったんじゃないの?
俺は昨日、ISISの話題が最近出ないからどうなってるか調べてみて、上の内戦の存在を知った。
みんなはどうなの?こんな戦いがあったこと知ってたの?去年ということもあって、探せばハイビジョン映像で交戦中の動画も見れたりする。
映像はふんだんにあるけど、テレビでもネットでも話題になってる様子がなかった。なんで?自国に被害がないからすぐ近くの国の出来事は対岸の火事ってわけ?不思議だわ〜
テレビを買った。
テレビなんてあってもなくてもいいし
お金たまったら買おうかな~
と思ってたが
ついに、先日テレビを買った。
まず今のテレビって超薄いのな。
なんすかこれ。
そしてやっぱり画質も最高。
公式アカウント画質良すぎ。
とにかく最高。
浮かれまくって数日後
奴がやって来た。
あの、かの有名な某公共放送の。
今まで何回か出てしまったことがあるがテレビが無かったので、テレビ買ってませんと言って帰ってもらっていた。
お金ないし、観たことないし、今日も無いって言って帰ってもらお~~
「え、ほんとにありません」
「今のBキャスカード、位置情報が送られてくるようになってまして、おたくの***号室からデータが飛んで来ているんですよね…」
「え……」
「(負けた)」
一人暮らしで払ってる人ってどんくらいいるのさ…………
めちゃくちゃ落ち込んで
一周回ってNHK観まくることにした。
悔しいじゃんね。年間何万も。
それがね……
まさかね……
おもしろいやんけ。
ニュースと障害者特集と手芸と園芸しかやってないとおもってたわ。
あと紅白。
おもしろいやんけ。
習い事よりめちゃくちゃ安い
せっかくお金払ってるし
ということで
みんな受信料払ってくれ。
(やっぱり悔しい)
シンゴジラとか邦画論争と関係なくてすまんが、逆張りではなく、「野火」は面白くなかった
良くなかった点のまとめ
・映像
NHKの再現ドラマっぽいハイビジョン感というか、RGBなギラギラな緑(自然)にギラギラな青(空)
そこにわざとらしく墨を塗られたようなボロい日本兵がくっきり映る
それはそれでいいとして、時間の経過を表すために挟まれる、内容とまったく関係無い「移り変わる雲」「夕陽の海」とか、ダサい上にダルい
映像のオーバーラップの手法とか、あえてやっているとしても何の効果も感じない
内臓飛び出たり四肢が舞う感じの殺戮シーンも、特に印象に残るほどではない
・演技
これといって迫力あるシーンがない
(わりと重要な役である)若い役者の下手くそさは再現ドラマ感を際立たせ、
普通だった
予想通りの話(別に急展開を望むような題材ではないが)
ただ、上記の映像と演技がベースで話も普通だとすると、どこを見ろということである
一部ファンに神格化されてるサブカル映画ってイメージだったので、全然期待せず見たのが逆に良かったのかもしれない
内容としては「野火」の後日談的なドキュメンタリーとも言えるわけだが、
戦争でのやましいことを忘れて生きようとするおじいちゃん達と、それを許さぬ奥崎さんとの取っ組み合いの喧嘩とか、
こっちのほうがちゃんと地獄を感じる
ここは2020年夏の東京、新国立競技場では観客たちがこれから始まるスポーツの祭典に期待に胸を膨らませていた…
「変態、凡人、年を取れ…シニタイヤツハシネ…シニタイヤツハシネ……」
最初に登場したのはグラミー賞など名だたる賞を総舐めにした国民的バンド、Theピーズだ。この突然のサプライズには会場も大歓声を上げた。スクリーンには様々な言語で映し出された「増え続ける若年層の自殺率」「止まらない少子高齢化」凶悪犯罪…ブラック企業…テロの脅威…国の借金などの文字が映し出されては消えてゆき、最後に「この国はもうお終いだ!!!!」と赤文字で大きく映し出され、会場は拍手喝采だ。それに合わせステージを取り囲むように垂らされたロープで大槻ケンヂ、五十嵐隆、鬼束ちひろ、木下理樹等、錚々たる鬱ミュージシャン達が首を吊って次々と自殺してゆく。やがて彼らは動かなくなり、日本の情念を映し出すエキゾチックな演出に誰もが息を飲んだ。
演奏が終わり大木温之が遺書を書きはじめると「Neko Mimi Mode」が爆音で流れ出す。七色の光線やLEDライトが目まぐるしく点滅し、新国立競技場はダンスホールと化した。なんとなく呼ばれたDJのTeddyroidは投石で死亡、会場のボルテージはマックスに達した。全方位に設置されたハイビジョン4Kスクリーンには日本が誇るサブカルチャーであるアニメが映し出される。作品は勿論『鬼父~小生意気なホットパンツ』だ。
煙幕が白い光とに照らされ、入場門からは会田誠に四肢を切断された千体を超える幼女たちがワラワラと這って登場、その中から遂に選手団が入場する。セーラー服の少女達が会場を囲い、日本刀で自ら腹を掻っ捌き鮮血が噴き出す。内臓もボロボロ飛び出している。(この際会田は町田ひらくとキングオブコメディ高橋をエグゼクティブマネージャーとして招集、全国から人材を手配した)
「HARAKIRI女子校生だああああああああああ!!!!!!」
日本のカルチャーを愛する台湾の文系大学生とロンドンのゴス少女が抱き合って喜びを爆発させた。台湾の大学生は初めての女子との接触に勃起が止まらない!まさにCOOLJAPAN。
しばらくして対向から巨大なローラー車で騒音をまき散らしながら登場したのは山塚アイだ。国旗を笑顔で振っている選手団を「ブチブチブチブチブチ!!!」と踏みつぶしていく。会場は血の海と化し、観客席は闘牛のように湧きたち、山塚は爆死した。続いて、桜井誠率いるネトウヨ、ほなみん率いるSEALs、薄ら笑いを浮かべるアルファツイッタラー、打倒シンゴジラを掲げる増田、中田考率いるアル・カイーダ、又吉直樹を十字架で磔にし燃やす文学賞ワナビ、Hikikomori、ゆ虐絵師、モバゲーの掲示板に入り浸る派遣社員などがそれぞれプラカードを持って入場し、また我々を感動させた。最後には酒鬼薔薇聖斗氏、ネオ麦茶氏、加藤智弘氏、片山ゆうすけ氏が登場、奇跡の世代が共演を果たした。彼らが手を繋ぎ国際社会に世界平和の実現をアピールしたことは歴史に残る名場面となるだろう。
選手入場(九割が死亡)が終わると暗転し、スポットライトに照らされて松任谷由実が「ひこうき雲」を歌い、上空から二機の飛行機が登場。そこには手を広げた庵野秀明と宮崎駿が吊るされていた。思わぬ大物ゲストに会場は大盛り上がり。しかし「空をおおお、かっけぇえええっ↑てぇっ↑↑」に合わせ二人は落下するもパラシュートが開かず地面に激突、冷笑的な雰囲気が会場を覆い駿と庵野は無駄死にとなった。
開会式もとうとうクライマックス。緊張感に包まれる中、遂に最後の聖火ランナー折部やすなさんが到着した。バラード『キルミーのベイベー!』がしっとりと流れる中、あぎりさんがガソリンを頭からかぶせ、燃え盛る炎の中「助けてソーニャちゃあぁあぁぁぁ!!!いやだあああぁぁあぁ!!!」と絶叫しのた打ち回るやすなをソーニャが斬り、生首は聖火台まで飛び見事点火、会場は感動の涙に包まれた。
小澤征爾指揮するNHK交響楽団に合わせ背後の床が開き、原寸大の福島第二原発オブジェが登場する。サビを迎え登場した、世界的映画監督である北野武扮する火薬田ドンはこの日最大の割れんばかりの拍手と歓声に迎えられた。フガフガと手を振って応え、不敵な笑みを漏らしレバーを押す。原発は核爆発を起こし競技場の7割が焼け野原となり、火薬田は突如クレーン車で吊るされ触手プールに落下し一人よがり狂った。少しブラックなジョークに生き残った数少ない観客は最後の盛り上がりを見せた。嬌声が響きわたる中中継は終わり、フジテレビのスタジオでは肉塊となった岡村隆史が弾け飛び、大盛況のうちに開会式は終了した……
――――ちょうどその頃、精神病棟のテレビでこれを見ていたtehuくん。
車椅子から立ち上がり、「これ僕が作ったんだ!ほんとだよ!全部僕が作ったんだ!」と叫び、裸になって踊りだした。彼が言葉を発したのは3年ぶりの事だった。彼を心配し、これまで暖かく見守っていた看護師さんたちは歓声を上げながら抱き合い、喜び合った。涙を流している者もいる。他の患者もみんなニコニコと楽しそうだ。男性器がペチペチする音が病院中に響き渡った。
「今日はケーキを買ってお祝いしなきゃね。だって、tehuくんの演出した開会式が大成功した日なのですから」
僕たち、よかったね、うれしいねって、言われたかっただけなんだ。ただそれだけなのに、何故こうも人の運命は分かれていくのだろう。何故闇に飲まれるかもしれないと分かっていながら何かを求め、苦しみ、そして死んでいくのだろう…
だけど今は、ただtehuくんの回復を喜ぼう。だってそれは、僕らが生まれてきた意味を知る数少ないチャンスなのかもしれないのだから。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
元日本マイクロソフトの古川享さんブログより。このブログかなり前から消えてるんだけど、復活の目処は無いのだろうか
http://furukawablog.spaces.live.com/blog/cns!156823E649BD3714!4256.entry
https://web.archive.org/web/20061105065656/http://furukawablog.spaces.live.com/blog/cns!156823E649BD3714!4256.entry
さて、この話をいつかはちゃんと記述しておかねばと常々思っていたのですが、それに取り掛かろうと思うと胸の古傷が疼くというか、平常心を保って書こうと思ってもキーボードを叩く手に自然と汗が滲んでくるのです。しっかり深呼吸をして、書きます。(またまた長文にて、失礼)
まず、1999年5月24日発表の郵政省資料「地上デジタルTV放送方式について電気通信技術審議会から答申」に記述のある以下の文章をご査読ください;
「また、昨年9月の暫定方式や既に答申がなされているBSデジタル放送方式、CSデジタル放送方式の技術的条件において、実証実験を必要とする映像の表示方法とされていた720p(有効走査線数720本の順次走査による映像表示方法)について実験を行った結果、その性能が確認されたこと等が併せて報告されました。 この中で、720pは技術的にHDTV放送と位置付けることが可能である、と結論付けられています。」(同上答申より引用)
関連記事は、日経産業新聞(1999年5月25日PP.3)、日本経済新聞(1999年5月25日PP.11)、電波新聞(1999年5月26日PP.2)などにも掲載されています。
今となっては、720pや1080pのプログレッシブ方式はプラズマや液晶テレビとの親和性、映画やCGなどの映像制作に有利なバリアブル・ピッチによる撮影、パソコンによる編集や再生環境においてその優位性を疑う人は居ないと思うのですが...1998年からこの1999年5月24日までの間、この720pを日本の放送業界から抹殺しようとする「ありとあらゆる活動を展開した集団」がおり、その軋轢の中で多くの人が傷付き市場から去ることになったのでした。
私個人の主張、そしてマイクロソフトの立場は、1080iと720pどちらが良いか、どちらかひとつを採択するかではなく、仕様の中に1080iと720pを併記して頂きたいというものでした。 米国の放送方式はATSCによるHD放送に向けた放送の標準フォーマットとして早くから1080i、720p、480p、480iが規定されていました。50年以上前に発明されたテレビ放送が米国に合わせてNTSC方式を日本は採用し、ヨーロッパ・中国・ロシアなどがPAL方式を採用してきた背景からすれば、日米のテレビ方式がデジタル・ハイビジョン(HD放送)の時代になっても米国と同様の1080i及び720pを両方サポートするということは自然なことと思われました。日米間の互換性だけではなく、当時よりブラウン管チューブを使った重たいテレビ受像機は、急激な勢いでプラズマTVや液晶テレビに取って変わることは明らかであり、走査線が走り一本ずつの光るスダレを交互に表示して人間の眼の残像を利用してひとつの映像に重ね合わせるという飛び越し走査よりは、一つ一つのセルが自ら発光する、もしくは遮光をオン・オフして光源を反射もしくは直視し映像を表現するフラットパネルの時代には、プログレッシブ(順次)方式が有利と思われました。さらに、映像圧縮に採用されたMPEG2方式においては、1080iは22Mbpsでは最高品質の映像を表示するも、その転送レートを15Mbps以下まで落としてくると映像が破綻するという現象も既知のことでした。720pはMPEG2による映像圧縮でも15Mbpsでほぼ最高品質を達成し,12Mbpsでもほぼ実用の域を保ち、さらにMPEG2以外の圧縮方式MPEG4、H.264、WMV(現在のVC1)などを使えば8Mbpsから12MbpsでHD放送を伝送できるというのが、私たちの主張でした。
当時の私の主張をまとめると、「HD放送は1080iもしくは720pいずれでも撮影、記録、編集、伝送、受信、視聴できることとする。映像圧縮に関してはMPEG2に限らず、将来の斬新な圧縮技術を随時採択できることにする。コンテンツ保護技術や、個人の認証、課金技術は特定技術一つに限らず、複数の技術をそれぞれもしくは組み合わせて提供可能とする。放送と通信の融合(連携)サービスを記述するメタ言語はHTMLをベースに各種プラグインそしてXMLに対応する。XHTMLをベースにしたBMLはそのサブセットとして組み込む。」
それに対して、1080i擁護派は、「1080iが優れた方式で、議論の余地は無い、プログレッシブの話をするなら帰れ!!」(実際に砧の某研究所で当時の所長に言われた言葉ですが...今の所長さん(E並氏)はとても紳士ですので、私は尊敬しております。決して誤解のないように)郵政省の会合でも何度となく放送のプロ達に諭(さと)されたものです。「君はPC業界に都合の良い方向へ持っていこうとしてるんでしょ」「崇高な放送の世界を邪悪な世界に引き込もうとしている」と..多くの人が同席する会議の場で私は名指しで糾弾されたものです。
将来のデジタル放送の規格に720pは絶対入れないという強い意思とあらゆる活動は「1080iと720pを併記したらどうか」と主張する陣営を徹底的に痛めつけました。
当時、松下電器産業殿は720pの優位性を説きながらDVC Proをレリースされ、1080iと720pの両用機能を持った松下電器産業のHD D5という放送局用ビデオデッキは、AJ-HD2700やAJ-HD3700という型番で欧米の放送局でも沢山採用され、放送業界の権威あるエミー賞をDVC ProもHD D5も受賞されています。このD5というビデオデッキはNHK殿に納入する時、720pの機能が付いているなんてことがバレると殺されるので、本体に点在するボタンを11個以上押さないと、(つまり二人の人間の指を駆使してボタンを押さないと720pの機能はアクティブにならないように細工がしてあったそうです。)..まるで隠れキリシタンが隠し絵にキリスト像を描いていたような話でありますが..この類(たぐい)のプレッシャは日々激しいものになってきて、魔女狩りに駆り出された狂信的な信者が、誰彼となく次々と火あぶりに挙げるような行為が続いたのです。
480pと720pの実験放送をやっていた日本テレビのSさんとKさんの受けた仕打ちは、某放送局のEB沢さんから直接日テレ社長のUJ家氏に電話をかけてこられて、「お宅の技術のトップの人間は、ウチに対抗して何かやっているようだけど、けしからん話だ。そんなことではデジタル・ハイビジョンの映像をウチから供給できなくなるけれど、それでも良いのかねぇ」と迫ったそうです。その結果Sさん、Kさんは当然将来取締役が約束されてもおかしくない何十年にも渡る業界に対する貢献がありながらいつのまにか表街道を去ってしまうことになりました。
テレビ朝日殿が新しいスタジオを作るにあたり、1080i/720pの両用ビデオ・スイッチャーを東芝から導入された時、某放送局のキツイお達しがテレ朝と東芝に飛び、720pの機能は殺して納入するようにとの指示が飛んだそうです。そして、BS-iのスタジオ導入で,1080iのカメラと720pのカメラを性能評価したという話を聞きつけて、「まさか720pのカメラを導入するなんてことはありませんね?」という問い合わせが某局から入ったそうです。
TBS殿も全く同様にメインスタジオへのHD機材導入にあたって1080iと720pの両用システムの導入計画は純粋な技術的観点の選択肢だけではなく、それ以外の見えない力に奔走されておられました。「魂の報道」を標榜するTBS殿の報道部門が、DVC Pro 720pを採択されたことが、唯一の救いと感じられました。
NAB98の会場にて明日から開場というまさに前日のこと、某放送局のY氏、会場を事前に巡回されJVC殿の会場にて1080iと720pの両用カメラを発見、JVC殿に対して「好ましくない表示は控えるようにと一括」結果としてNAB98の初日には無残にも綺麗にできた展示パネルの1080i/720pの文字列の720pの部分にはガムテープが張ってありました。
毎週のようにこのような話を耳にするにつけ、これは魔女狩りでも特高警察の検閲でもあるまいに…現代の話なのに本当にそんなことが起っているのだろうかと自分の耳を疑っていました。そしてそれが、とうとう我が身にも降りかかったのでした。
1998年のNABショウでマイクロソフトは初めて放送関連のコンベンションで技術展示をすることになりました(関連記事)。松下殿より当時500万円程したHD D5デッキをマイクロソフトは購入し、1080iと720pの映像を左右1対で比較デモ表示し、どのように優位性が表示されるか比較デモを予定していました。1080iの標準的な撮影は1440x1150の1080i標準ビデオカメラによる撮影結果を1920x1080の映像に計算しなおし(アップスケール)、それをスダレのような偶数・奇数のフィールドに振り分け送出するという方式を取っていました(現在のデジタル・ハイビジョン放送の標準撮影方法です。)。そして同じ映像を1280x720の720p標準カメラで撮影しD5デッキに録画した映像をそのまま720pで再生するというデモ内容でした。映像の再生には当時の最高品質のCRTスタジオ・モニター(8000ドルクラスのSONY製品を2台)をマイクロソフトの展示会場に用意しておりました。比較展示用デモ映像は同じスタジオ環境で撮影した1080iと720pのそれぞれの映像データをお持ちの松下電器産業殿からD5の録画テープをお借りして、初日のデモへ向けて全ての設営と映像チェックが終わった時のことです。某放送局の方が、マイクロソフトのブースを垣間見るや、とても渋い顔をしておられます。
私は夕方の6時過ぎに会場の設営も終わり、ホテルに戻ろうとしていたところ、松下殿から緊急の連絡が入り、展示に使っていたビデオテープを持って松下殿の技術担当役員のホテルの部屋まで来て欲しいとのこと..部屋に入るとその役員さんは、ベッドの上にあぐらをかいて、その両脇には15人を超そうという松下の方々が壁沿いに2列にずらりと並んで座っているではないですか..その姿はまるで、新入りの囚人(私)が牢名主の親分に「今日からお世話になります」と仁義を切るのかい、というような雰囲気でありました。
そしてその親分さんが言うには、「そのテープ黙って置いて、帰ってくれ」とのこと..「冗談じゃない、そんなことしたら明日の展示は何も映像が表示できないではないですか?何故そんな唐突な話をこの期に及んでされるのですか」と問いただしたところ、松下がマイクロソフトに協力して720pを推進するのはけしからんと、某放送局からお叱りを受けたと..それだけでも絶句の出来事なのに…「とにかく松下から映像を貸し出すなどとんでもない..即効撤収してくるように」との具体的な命令を受け私は必至に食い下がり、「その映像作品は全て松下殿の著作物であり、某放送局に文句を言われる筋のモノでは無いはずです。それを何故ゆえに引き上げなければならないのですか?」と伺えば..「その中のヨーロッパのお城のシーンはARIB加盟各社がテスト映像として皆で利用するために松下が供出したもので、そのテスト映像をARIBの会員でもないマイクロソフトが勝手に使うのは如何なものか?」とのこと..私はさらに一歩も引かず交渉を続け…もしそれが現実になるのなら「明日の朝は急遽説明のパネルを書いて、某放送局の名前を実名で明らかにした上で、この名前の会社の不当な介入でマイクロソフトでは展示ができなくなりました」と張り出しますよとまで迫りましたが担当役員は首を立てに振りません。最期に私は「判りましたこのテープはここに置いて行きますが、夜中に誰かに盗まれたということにして私が犯人になりますから..盗難届けを出してください!!それでは如何でしょうか?」と交渉は3時間を越える押し問答となりました。
その結果最後に明らかにされた背景は、某放送局の方から松下の役員に語られた厳しい言葉でした。それは、「君、僕らは今年50億円くらい君の会社からモノ買う予定だよねぇ、そんな態度でいると、50億円のビジネス失うことになるよ、君ぃ!! それでも良いのだね!!!」というもので、担当役員は縮み上がってしまったのだそうです。技術担当の役員がマイクロソフトの展示に協力をした結果、50億円のビジネスを失うことになったら営業担当の役員との軋轢を生むことは必至であり、そこまでのリスクを負ってまでビデオテープをマイクロソフトに貸し出すわけにはいかないとの判断、私はビジネスの交渉でこんなに困り果てたことは一生に何度も無いというぐらい意気消沈しきっておりました。
夜10時にならんとするタイミングで、日本からシアトル経由でラスベガスに到着後、時差から回復する間も無く会場の設営を手伝っていた私はもうダウン寸前…そこで思いついた解決策は「判りました、このテープはお返ししましょう。その代わり今から新規に撮影を開始しますから、必要な機材と人を朝まで貸してください」と何とも無謀な提案を申し出たのでした。 NABのメイン会場からマイクロソフトの借りていたヒルトンホテルの部屋まで、HDカメラ(当時は100kg以上あったと思います)とD5のデッキを担いで深夜に部屋へ持ち込みスイッチャーや編集機もないままイッパツ撮りでデモ映像を仕上げなければなりません。私はそれまでにいくつかの放送スタジオに見学に行ったことはあるものの、映像プロデュースも撮影も全くのシロウトですので、カメラのライティング、撮影のオペレーションに付き合ってくれる人たち3人ほどに朝まで付き合ってもらいました。
途方に暮れて困ったことは、深夜の12時にラスベガスのホテルで撮影できる生素材など有りはしないのです。それも著作権、肖像権を侵害せず、HD映像の違いが際立って表現できる素材、なおかつ1080iより720pの方が綺麗に見えるという素材(多くは、風にそよぐ木々とか波打つ水面、キックされたサッカーボールなんてものが使われるのですが..残された時間に日中でロケハンに出かけることもできず、全てはラスベガス・ヒルトンの部屋で深夜、朝までの6時間以内に解決しなければなりません。
まず、深夜のルームサービスで果物の盛り込みを頼みました。そしてその果物の表面に霧を吹いて光るリンゴの表面に張り付く水滴なんてものを撮影しました。本格的なスタジオと違って光の回り方も映像のモニタを視ても、思ったような映像にはなりません。
夜も更けて3時を廻り4時にならんとした頃でしょうか、雑誌のカラーグラビアをメクりながら、この際著作権の許諾を無視して雑誌に写っている写真を撮影してしまおうか?こんな深夜にマトモに著作権の許諾などできる素材など有りはしないし、と途方に暮れていたところ、あるアイディアが湧き出てきました。「そうだ、ドル紙幣を撮影すれば手彫りのエッチングで表現された人間の顔やお札の文様はHD撮影すればビックリするほど細かい映像として撮影対象になるに違いない、誰でもそのパターンが何か理解できるはずだし、何よりもお札の縦横無尽に走っているストライプが際立って720pと1080iの違いを引き立ててくれるに違いない」と確信するに至ったのです。ドル紙幣をビデオ撮影しても肖像権や著作権を主張する人もあるまい、という点が一番大事なポイントだったのです。
壁に貼り付けた50ドル札(私の持っていたピン札はそれしかなかったので)にバッチリとライティングを施し、撮影した結果は「キタ、キタ、キターッ」という感じ!!カメラをパンして右へ左へ振りながらお札の表面を舐めるように撮影した720pの映像は細かい線の1本1本を明確に表示して、1080iの映像は実に見事にモアレ縞が出まくり画面にチリチリと汚い映像が糸を引きます。これでこの映像をそれぞれディスプレィに表示した上で、 Permalink | 記事への反応(0) | 11:32
一年前の私自身はフィルムカメラを所有したことはなくデジカメ一本だったが、大学時代の研究室では毎日のようにフィルムの現像をしたりしていたので、興味深く拝見した。
フィルム写真の様々な要因が絡んだ衰退っぷりが、大筋では光記録メディア(CD・DVD・BD)が現在たどっている軌跡とかぶり、時代の趨勢とはいえ、光記録メディアもいずれ同じように衰退していくのであろうと感じた(コダックや富士フィルムのようなフィルム写真メーカは光記録メディアメーカでもあった)。
記録メディアというと、テープ、磁気ディスク(フロッピーディスク)、光ディスク(CD・DVD・BD)、光磁気ディスク(MD・MO)、HDD、FLASHメモリなどがあげられる。
現在ではHDDとFLASHメモリが圧倒的で、そのほかはニッチな市場を残し衰退しているか衰退しつつある。
光記録メディアは、1980年代に普及を始めたCDを皮切りに、音楽、映像のみならずあらゆるデジタルデータの保存場所としてそれなりの地位を得ていた。
それに加え、CD-RやDVD-Rの登場で、録音・録画の受け皿としてテープメディアを置き換えていった。
そして満を持して登場したBlu-ray Disc(BD)であったが、CDやDVDのように成功しているとは言い難い。
DVD-Rも全世界で年間十億枚単位で売れているものの減少率は20%を超え、BD-Rに至っては普及しているのは日本だけという状態であり、書き込み型の光記録メディアは近い将来ほとんど見かけなくなるであろう。
このように急速にしぼみつつある光記録メディア市場を象徴する出来事としては、業界団体である日本記録メディア工業会2013年3月末に解散したことである。
建前上は「目的が達成された」ための解散であるが、実際は光記録メディアの関連企業が主な会員を占めていたため、光記録メディアの市場縮小で業界団体を維持できなくなったというのが実情であろう。
このような光記録メディアの衰退を招いた原因は多々あるが、私が主因と考えているのは以下の4つ。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
それぞれ背景を見ていく。
4つの主因としたが、実際はこれが主因と言ってよく、他はすべて副因にすぎない。
記録メディアはあくまでもデータやコンテンツの箱に過ぎず、はっきり言って何でもよい。
記録メディアの要件としては、データを書き換えるか否か、読み書きの頻度と速度、容量、可搬性、保存性などである。
データを書き換えるか否かでROMとRAMのように別れ、読み書きの頻度と速度、可搬性、容量、長期保存するかによってテープメディアとFLASHメモリ、メモリサーバとSDカードのように使い分けることになる。
光記録メディアは書き換えるか否かを選べ、読み書きの頻度と速度、可搬性のいずれも真ん中に位置し、量産効果によって100円程度に値下がりするなど使い勝手はよかったと思う。
しかし、裏を返せばそれは中途半端でもあり、読み書きの頻度と速度に勝るHDD、可搬性に勝るFLASHメモリの大容量化、低価格化によってあっさり取り替えられうる脆い優位性でしかなかった。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
世間を騒がせたソニーと東芝によるBDとHD-DVDの規格争いはBDの勝利に終わった。
BDは確かに優れた技術であるが、規格争いによって年単位で開発が遅れたうえ、優位性を競うあまり未成熟な技術が山ほど投入され、それらを十分に検証することもなく市場に投入された。
たとえば記録層の上に被せる保護層と、保護層を保護するハードコート層をスピンコートで形成する構造は過去の記録メディアと大きく異なっており、販売して数年後に不織布ケースでの保管に適さないことが判明するなど大量生産する工業製品としての成熟度に欠けていた。
さらに、規格競争によって発展した映像圧縮技術の進歩も災いした。
BD、HD-DVDとも当初はDVDやデジタル放送で採用されているMPEG-2という映像圧縮技術を想定していた。
これは30万画素の映像(SD映像)であれば1GBで24分程度、100~200万画素の映像(HD~フルHD映像)であれば1GBで数分程度の映像が保存できる程度の圧縮率であり、普及が予想されたHD映像はDVDでは数十分しか収められないからこそ、DVDよりも容量の大きい次世代光記録メディアが必要だという理路であったはずだ。
しかし、BD、HD-DVD両陣営とも規格競争で優位に立とうとしてMPEG-4.AVC(H.264)という新しい映像圧縮技術を盛り込んだ。
この映像圧縮技術は計算が複雑でより高度なハードウェア、ソフトウェアを必要とするものの、MPEG-2に比べ2倍以上の圧縮率を実現できる。
BD、HD-DVDの両陣営とも、MPEG-4.AVC(H.264)の採用で圧縮率の低い美しい映像を実現できるとアピールしていたが、特に書き込み型のBD-Rでは数十GBの容量は明らかにオーバースペックとなっていた。
さらに、MPEG-4.AVC(H.264)の採用によって、ハードウェア、ソフトウェアレベルでの対応と普及が急速に進み、安価に使用できるようになったうえ、圧縮率の向上は通信環境への負担を減らし、ネットワーク経由でのHDD録画再生、ビデオオンデマンドのような競合を利する結果となった。
個人的な話になるが、私はDVD-Rを年間数百枚は購入しており、実家の親や親戚も韓流ドラマにはまりこれまた数百枚単位(ひょっとすると千枚以上)で購入していたと思う。
今はどうか?
今はBD-Rを使用しているが、実家の親のための子供のビデオを年間数枚程度、そのほかにスポーツ・アニメ・バラエティで10枚程度だと思う(数えたこともない)。
個人的にはもっと使いたいとも思うが、記録メディアに焼いてまで見たいとは思わなくなった。
年齢のせいもあるかと思うが、やはり大きな原因はコンテンツのレベルの低下、そしてコピーガードであろう。
アナログ時代はゲーム機などにも保存しどこでも見れるように工夫していたが、今はおいそれとはできない。
実際には、その機能もあるし使ってもいるが、いろいろ工夫することはなくただ使うだけとなった。
録画した機器とは別の機器で再生できるかどうかもやってみなければわからない、前は出来たのにできなくなるなど使い続けるのに二の足を踏むようなことがたびたび起きた。
こうなると、仮に問題が解消されても、試すことすら面倒くさいのでもはや使う事はない。
正直、今使っている機器が壊れた後、光記録メディア機器を買いなおして使うか?といわれるとおそらく使わないだろうと答えるしかない。
年間数百枚単位で使っていた私ですらこれなのだから、一般の人はさらにその思いは強いのではないだろうか?
ではどうすればよかったか?
いくつもの目論見違いが重なり業界自体が消滅の危機を迎えている。
一番の問題は、現在のコンシューマ向けの消耗品の大部分と同じく光記録メディアは設備産業で、ある程度規模がないと儲からない構造となっていたこと。
そのため、わずかな販売の減少であっという間に赤字に転落してしまう。
CD、DVDの減少は想定されていたよりも急で、BDも規格争いで遅れ普及も低調だった。
赤字を避けるためにはそれなりに利益があった時期に撤退を決断する以外になかったかと思うが、営利企業としてそれは不可能であったろう。
これ以降は後知恵になるので、当事者からすれば何もわかっていないとの誹りを受けるだろう。
敵は身内ではなく外にあり、普及しているというアドバンテージも劇的なスピードで進むHDD、FLASHメモリの進化の前には風前の灯で、規格争いのような内輪もめしてる場合ではなかった。
今思えばソニー・松下よりもHDD、FLASHメモリも製造していた東芝のほうが状況を正しく認識していた。
しかし光記録メディア業界として、「フルハイビジョンの美しい映像」、「著作権業界に配慮して完璧なコピーガードを」なんていう身内の論理を優先し、「見たいときに見たいものをボタン一つで(それなりの画像で)」を実現しようとしていた外の業界に対する危機感がなかったとしか言いようがない。
光記録メディアが生き残る可能性が多少でもあった選択としては、規格争いはせずHD-DVDをMPEG-2のみ対応とし、コピーガードはやむを得なかったろうから、できる限り次世代規格の製品化を早め、2011年のデジタル化までに互換性の向上とネットワークへの親和性を高めることに努めていくしかなかったのではないかと思う。
これはまさに当時の東芝の目指していたものではあったのだが、業界からは東芝だけが儲かると警戒されてしまった。
光記録メディアはあくまでコンテンツネットワークの一部にすぎないし、寿命を先延ばしすることしかできなかっただろうが、それでも墜落を避けソフトランディングできたのではと夢想する。
例えばこのCM
https://www.youtube.com/watch?v=pEEZbe6j764&feature=youtu.be
「実はハイビジョンでは残せていなかった。」ってキャッチコピーは百歩ゆずってよしとする。
しかしだ、構成的にも赤子がカメラに向かって手を伸ばしいかにもそのカメラが撮りましたみたいな演出になってるわけだが、そのシーンで使われている映像はどう考えてもそのハンディカムでは撮れない映像だよな。
被写界深度の浅さから言っていわゆる映画用カメラか一眼ムービーを使う必要があるわけだが、これは許されていいのか?
以前もどこかのスマホメーカーが自転車に乗りながら撮影した手ブレ防止ONの映像として流してた映像が実はトラックから撮影してるってことがCM内の映り込みでばれて物議を醸したりしてたけど、どう考えても性能に対する誤解を消費者に与えている誇大広告だよな。
コンデジのCMとかでもシャッター音と同時にさもそのカメラで撮りました的な画像が表示されたりするのだけど、これも大半はコンデジでは映すことのできないボケ写真が使われているわけだ。
実の話、カメラを始めようとしてた頃にボケの強い写真に憧れていたわけだけどこうしたCMの表現のせいでコンデジを3台くらい無駄買いしたからな。
http://anond.hatelabo.jp/20070414112142
前回書いてから八年経ったが、あのときと全く変わらず、多分経年劣化しているとは思うけど私も一緒に年老いているからかやっぱり妻が可愛く見えて仕方が無い。
そろそろ40に手を掛けるころだが、ボディケアや炭水化物抜きダイエットが功を奏しているのかもしれない。
私の目からは劣化したようには見えていない。たまたま昔撮ったビデオを見たが、今とあまり変わらない。ビデオがハイビジョンだったら差も感じたかもしれないが、アナログ画質のお陰だろうか。
言い過ぎるとウソっぽく聞こえるので、可愛いねと言うのは週に一度くらいにしている。
彼女はそのたび「ありがとう。あなたの目にかかっているフィルターが無くならないといいけど」と微笑んでくれる。
結局この間は赤ちゃんは出来ずに、子どもは二人のままだ。上の娘は中学生になった。
次はまた数年後に。
→続き
アメリカはベンチャーを評価する文化があってえらいですねなんて、あいかわらずバカな分析してますけど
そんでもって、インフラ企業はその安定ゆえにいろいろな分野に先行投資ができるわけ。
JRがリニアにもう50年くらい投資しているように、NTTが量子コンピューター投資しているように、インフラじゃないけど安定という意味でNHKのハイビジョン、スーパーハイビジョン研究もそうだよね
これ一点
見てみなよ
根性論精神論大嫌いなはずのはてなーさんがなぜこうも、根性論的分析をするんだろうなと思う。
アメリカは文化で食ってませんよ。金がなければやっていけません
そんでもって、googleとかamazonみたいな安定して金持ってる会社が先行投資していくのは当たり前。
そんでたまたまはてなーのオタク心にヒットする分野だった。そうロボット、そして日本の技術が買われたという物語
これだけで、ああも悲観めいたことをドヤ顔で書けるわけ
むしろ車の会社がロボット投資してる日本って国のほうが文化って意味じゃすごいけど、きみらこういう風には評価しないよね。
興味ないもんね
私自身はフィルムカメラを所有したことはなくデジカメ一本だったが、大学時代の研究室では毎日のようにフィルムの現像をしたりしていたので、興味深く拝見した。
フィルム写真の様々な要因が絡んだ衰退っぷりが、大筋では光記録メディア(CD・DVD・BD)が現在たどっている軌跡とかぶり、時代の趨勢とはいえ、光記録メディアもいずれ同じように衰退していくのであろうと感じた(コダックや富士フィルムのようなフィルム写真メーカは光記録メディアメーカでもあった)。
記録メディアというと、テープ、磁気ディスク(フロッピーディスク)、光ディスク(CD・DVD・BD)、光磁気ディスク(MD・MO)、HDD、FLASHメモリなどがあげられる。
現在ではHDDとFLASHメモリが圧倒的で、そのほかはニッチな市場を残し衰退しているか衰退しつつある。
光記録メディアは、1980年代に普及を始めたCDを皮切りに、音楽、映像のみならずあらゆるデジタルデータの保存場所としてそれなりの地位を得ていた。
それに加え、CD-RやDVD-Rの登場で、録音・録画の受け皿としてテープメディアを置き換えていった。
そして満を持して登場したBlu-ray Disc(BD)であったが、CDやDVDのように成功しているとは言い難い。
DVD-Rも全世界で年間十億枚単位で売れているものの減少率は20%を超え、BD-Rに至っては普及しているのは日本だけという状態であり、書き込み型の光記録メディアは近い将来ほとんど見かけなくなるであろう。
このように急速にしぼみつつある光記録メディア市場を象徴する出来事としては、業界団体である日本記録メディア工業会2013年3月末に解散したことである。
建前上は「目的が達成された」ための解散であるが、実際は光記録メディアの関連企業が主な会員を占めていたため、光記録メディアの市場縮小で業界団体を維持できなくなったというのが実情であろう。
このような光記録メディアの衰退を招いた原因は多々あるが、私が主因と考えているのは以下の4つ。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
それぞれ背景を見ていく。
4つの主因としたが、実際はこれが主因と言ってよく、他はすべて副因にすぎない。
記録メディアはあくまでもデータやコンテンツの箱に過ぎず、はっきり言って何でもよい。
記録メディアの要件としては、データを書き換えるか否か、読み書きの頻度と速度、容量、可搬性、保存性などである。
データを書き換えるか否かでROMとRAMのように別れ、読み書きの頻度と速度、可搬性、容量、長期保存するかによってテープメディアとFLASHメモリ、メモリサーバとSDカードのように使い分けることになる。
光記録メディアは書き換えるか否かを選べ、読み書きの頻度と速度、可搬性のいずれも真ん中に位置し、量産効果によって100円程度に値下がりするなど使い勝手はよかったと思う。
しかし、裏を返せばそれは中途半端でもあり、読み書きの頻度と速度に勝るHDD、可搬性に勝るFLASHメモリの大容量化、低価格化によってあっさり取り替えられうる脆い優位性でしかなかった。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
世間を騒がせたソニーと東芝によるBDとHD-DVDの規格争いはBDの勝利に終わった。
BDは確かに優れた技術であるが、規格争いによって年単位で開発が遅れたうえ、優位性を競うあまり未成熟な技術が山ほど投入され、それらを十分に検証することもなく市場に投入された。
たとえば記録層の上に被せる保護層と、保護層を保護するハードコート層をスピンコートで形成する構造は過去の記録メディアと大きく異なっており、販売して数年後に不織布ケースでの保管に適さないことが判明するなど大量生産する工業製品としての成熟度に欠けていた。
さらに、規格競争によって発展した映像圧縮技術の進歩も災いした。
BD、HD-DVDとも当初はDVDやデジタル放送で採用されているMPEG-2という映像圧縮技術を想定していた。
これは30万画素の映像(SD映像)であれば1GBで24分程度、100~200万画素の映像(HD~フルHD映像)であれば1GBで数分程度の映像が保存できる程度の圧縮率であり、普及が予想されたHD映像はDVDでは数十分しか収められないからこそ、DVDよりも容量の大きい次世代光記録メディアが必要だという理路であったはずだ。
しかし、BD、HD-DVD両陣営とも規格競争で優位に立とうとしてMPEG-4.AVC(H.264)という新しい映像圧縮技術を盛り込んだ。
この映像圧縮技術は計算が複雑でより高度なハードウェア、ソフトウェアを必要とするものの、MPEG-2に比べ2倍以上の圧縮率を実現できる。
BD、HD-DVDの両陣営とも、MPEG-4.AVC(H.264)の採用で圧縮率の低い美しい映像を実現できるとアピールしていたが、特に書き込み型のBD-Rでは数十GBの容量は明らかにオーバースペックとなっていた。
さらに、MPEG-4.AVC(H.264)の採用によって、ハードウェア、ソフトウェアレベルでの対応と普及が急速に進み、安価に使用できるようになったうえ、圧縮率の向上は通信環境への負担を減らし、ネットワーク経由でのHDD録画再生、ビデオオンデマンドのような競合を利する結果となった。
個人的な話になるが、私はDVD-Rを年間数百枚は購入しており、実家の親や親戚も韓流ドラマにはまりこれまた数百枚単位(ひょっとすると千枚以上)で購入していたと思う。
今はどうか?
今はBD-Rを使用しているが、実家の親のための子供のビデオを年間数枚程度、そのほかにスポーツ・アニメ・バラエティで10枚程度だと思う(数えたこともない)。
個人的にはもっと使いたいとも思うが、記録メディアに焼いてまで見たいとは思わなくなった。
年齢のせいもあるかと思うが、やはり大きな原因はコンテンツのレベルの低下、そしてコピーガードであろう。
アナログ時代はゲーム機などにも保存しどこでも見れるように工夫していたが、今はおいそれとはできない。
実際には、その機能もあるし使ってもいるが、いろいろ工夫することはなくただ使うだけとなった。
録画した機器とは別の機器で再生できるかどうかもやってみなければわからない、前は出来たのにできなくなるなど使い続けるのに二の足を踏むようなことがたびたび起きた。
こうなると、仮に問題が解消されても、試すことすら面倒くさいのでもはや使う事はない。
正直、今使っている機器が壊れた後、光記録メディア機器を買いなおして使うか?といわれるとおそらく使わないだろうと答えるしかない。
年間数百枚単位で使っていた私ですらこれなのだから、一般の人はさらにその思いは強いのではないだろうか?
ではどうすればよかったか?
いくつもの目論見違いが重なり業界自体が消滅の危機を迎えている。
一番の問題は、現在のコンシューマ向けの消耗品の大部分と同じく光記録メディアは設備産業で、ある程度規模がないと儲からない構造となっていたこと。
そのため、わずかな販売の減少であっという間に赤字に転落してしまう。
CD、DVDの減少は想定されていたよりも急で、BDも規格争いで遅れ普及も低調だった。
赤字を避けるためにはそれなりに利益があった時期に撤退を決断する以外になかったかと思うが、営利企業としてそれは不可能であったろう。
これ以降は後知恵になるので、当事者からすれば何もわかっていないとの誹りを受けるだろう。
敵は身内ではなく外にあり、普及しているというアドバンテージも劇的なスピードで進むHDD、FLASHメモリの進化の前には風前の灯で、規格争いのような内輪もめしてる場合ではなかった。
今思えばソニー・松下よりもHDD、FLASHメモリも製造していた東芝のほうが状況を正しく認識していた。
しかし光記録メディア業界として、「フルハイビジョンの美しい映像」、「著作権業界に配慮して完璧なコピーガードを」なんていう身内の論理を優先し、「見たいときに見たいものをボタン一つで(それなりの画像で)」を実現しようとしていた外の業界に対する危機感がなかったとしか言いようがない。
光記録メディアが生き残る可能性が多少でもあった選択としては、規格争いはせずHD-DVDをMPEG-2のみ対応とし、コピーガードはやむを得なかったろうから、できる限り次世代規格の製品化を早め、2011年のデジタル化までに互換性の向上とネットワークへの親和性を高めることに努めていくしかなかったのではないかと思う。
これはまさに当時の東芝の目指していたものではあったのだが、業界からは東芝だけが儲かると警戒されてしまった。
光記録メディアはあくまでコンテンツネットワークの一部にすぎないし、寿命を先延ばしすることしかできなかっただろうが、それでも墜落を避けソフトランディングできたのではと夢想する。
国内は当然として、欧米各国のサーバーに上げようものなら問答無用で牢獄にぶち込まれそうなファイルとか中国で大量に平然と置いてあったりするんだけど、問題視されないのは何故だろう。知ってる人が居ないのか、大人の事情で見て見ぬふりされてるのか。勿論、著作権どころか人権の概念自体が無い国だから削除要求しても梨の礫だしさ。昨今のバブルでにわか成金みたいなの急増して東南アジアで買春ツアーとかやりまくってるし、それをiPhoneだかハイビジョンハンディカムだかで撮影しまくりアップロードしまりだし。
海外の主要なアンチチャイルドポルノ団体のサイトを見る限り、中国を批判してる所はまだ殆ど見あたらない。だけど早ければ今年、おそくとも来年あたりには「児童ポルノ『超』大国」として国際世論から名指しで批判されると思う。
まあ、そういう格差は昔の方がってのはあるんだけど、俺が念頭においてるのは、新しいものの開発によって不可避的に訪れる格差増大って感じのことなんだよね。
例えば戦後10何年か経って、金持ちのうちには白黒テレビが納入されました、近所中が集まって見に行きましたと。
この場合、テレビ持ってないを0ポイントとすると、白黒テレビ持ってるは10ポイントで、格差10。これがテレビに関する格差の上限なわけだ。
どんなに金持ちでもテレビに関してこれ以上の格差を広げることは不可能だ。
で、カラーテレビ(20ポイント)が生まれると持ってる人と持ってない人の差は20ポイントとなる。この時みんな持ってるから、実際社会上の格差はほとんど10から0ポイント内に収まるが、理論上の格差の最大値は20ポイントとなる。
ハイビジョンだ液晶だと出て、みんな持ってるから見かけ上の格差は20ポイントとかになってるけど、理論上は持ってなければ0なので、ハイビジョンを100とすれば最大100ポイントの格差発生が可能性として存在してしまう。
その「理論上存在しうる格差」こそがみんなの頭の中にある恐怖なのであって、こうなりたくないから必死で世の中についていこうとする。