はてなキーワード: trpgとは
推しのVtuberがTRPGコラボしはじめたんだが、ただのごっこ遊びと言うか・・・
サイコロ振って選択肢選んでどうのこうのっていうのはわかるんだけど、やり取りのチャット欄とか選択肢とか全部隠されてるから訳がわからん。
「あー。TRPGは遊ばないと面白さ分からないし、やってる人じゃないと面白くないのはずっと前から言われてるわ。」
だってさ。
同接減りまくっててコメントも無くて凹んでるけど、いやいや配信者側の工夫や技量不足やんそんなの。
友達からリプレイ集っていうの借りて読んだけど、それもただ知らない人が遊んでる議事録って感じで何一つ面白くなかったわ。
今度TRPG仲間と集まるから一緒にやってみるか?って言われたけど、ぶっちゃけここまで色々調べて全く興味がわかなかったから辞めといたわ。
まずラノベの最大の強み=メディアミックスでありコスパとかではない。
ライトノベルを形容するのはとても難しく、ジュブナイル小説、SF、TRPG、同人文化など複数の文化が構成要素となったキメラみたいなもんである。
はてなではスレイヤーズが好きな老人ラノベ読みがたくさんいるが、スレイヤーズを初期と定義してもメディアミックスを目指す姿勢は変わっていない。
無料だから読むという考えはそもそも前提として間違っており、ライトノベルは漫画とは異なり小中学校の図書館に作品が置かれている。
昔の漫画だと多くの学校図書館に置かれているし、もしかしたら鬼滅の刃が置かれた小学校もあるかもしれないが、朝の読書におけるグレーゾーンとしてライトノベルは活躍の場が与えられている。
それには概ね同意できる。
ライトノベルのゴールが「アニメ化」に定義されてしまっているのは公然の事実である。電撃文庫を発刊する角川は2009年にメディアワークス文庫というものを創刊させており、これは文芸とラノベの中間的な立ち位置の文庫。メディアワークス文庫は電撃文庫の作家も小説チックな作品を数多く出版しており、ラノベは中身がないといった批判は間違っていると思えるが、これは作家が書き分けをしているだけの話で、こと電撃文庫でライトノベルを出版すると中身がない作品の方が売れ線であり、最近は物語を摂取するというよりはキャラクターの摂取に重きが置かれていると増田は思う。
元増田は『メディアミックスの流れの中で生き延びている』とラノベを形容したがメディアミックスを生み出したのは角川であり、メディアミックスの流れの源流にいることは意識しておいてほしい。ただその流れが枯れそうになっていて、ライトノベルが枯れても流れが止まることがないのは事実であると思う。
メディアミックスの大きな流れに「電子媒体」が加わってからライトノベルはその流れに乗れていない。
「乗るしかないこのビッグウェーブに」が生まれた2008年ではどの媒体も「電子媒体」と仲良くできていなかったが、今では漫画・アニメ・小説・ゲーム、そのどれもが電子媒体と手を取り合ってコンテンツを大きくしている。さまざまなコンテンツが電子媒体に適応していく中でライトノベルはいまいち適応できていない感はある。正直スマホを触っている子供が漫画以外の電子書籍に興味を持っている姿を見たことがない。
角川歴彦は『次なる文化の担い手の若者たちに確かな評価を得られると信じて、ここに「電撃文庫」を発刊する』と述べていたが、今この言葉が活きる場面は小中学校の読書の時間だけである。
ライトノベルは短い歴史の中で変革を繰り返し、その存在を確固たるものにした。ロートス島戦記・スレイヤーズなどから歴史が始まって、ブギーポップでジャンルに囚われない屋台骨を作り、ハルヒで若者を取り込み、SAO・劣等生でネット小説をレーベルに取り込んでライトノベルはより大きくなっていった。
2017年にSAOの1巻が100万部を突破したときに相当なニュースになった。漫画と比べたらすごく小さいことだけど、ライトノベルにとっては初めてのことだった。
なんとなくここまでが最盛期でここから凋落が始まったとも懐古してしまう。電撃文庫では作家のエッセイが掲載されていたこともある「電撃の缶詰」が2018年を境にひっそりとなくなっている。増田もこの頃からなんとなくでラノベを買うことがなくなっていた。
ライトノベルの成長において「小説家になろう」はAmazonみたいなものだった。
質の良い小説もあれば、質の悪い小説もある。しかし数が多すぎてレビューがつかなければ多くの人の目に触れることは難しい。
レーベルは地元の商店街みたいなものだ。馴染みの店が揃うなかで、たまに新しいお店ができるから寄ってみる。年に一度か二度あった電撃文庫大賞が増田の大きな楽しみであった。そんな日々もいまはもう存在しない。最初は反論してやるぞって気持ちで増田に書こうと思ったけど、やっぱりオワコンなのかなって寂しくなった。
本当にお疲れ様。
他の趣味なりなんなりで、楽しく余暇が過ごせるように祈ってます。
>毎日卓報告が流れてきて、人気シナリオは有名な観光地でみたいだし、ココフォリアのおしゃれな部屋は映え写真。
ここの表現が非常に的確で、勝手ながら、私が感じている居心地の悪さを言語化してもらったような気持ちになった。
私も予定してる卓を消化したら消えようかな。
私じゃない方のPLが、NPCをすごーーーく気に入っていて、その人のPCとNPCでずっとしゃべっている
PL通話でも「NPCくんかわいい!」「マジで刺さった」みたいな発言ばっかりで、こっちとしてはなんだかなーという気分になってしまう
KPもノリノリでNPCとそのPCを絡ませてるし、私のPCが百合に挟まる男か、まるでタイマン卓にむりやり割り込んでいるかのような状態で居心地が悪い
自分とPCを同一視する気はないし、私のPCをもっと尊重しろ!とは思わない、NPCを気に入るのもいいけど、今流行の「2人のPCの関係性に重きを置く」系のシナリオで置き去りにされると気分が乗らなくなってくる
私のPCの秘匿HOも、相手のPCにクソデカ感情を持っている、みたいなやつだけど、全然感情移入できない
探索とかは双方真面目にやってるからシナリオ自体は進んでるんだけど、仕事終わった後の自由時間を接待プレイに使うのが苦痛すぎて投げだしたい
最近のTRPGって、昔のインスタみたいな感じだよね。特にクトゥルフ神話TRPGの場合はそうかも。
毎日卓報告が流れてきて、人気シナリオは有名な観光地でみたいだし、ココフォリアのおしゃれな部屋は映え写真。友達の同卓メンバーはライターとかイラストレーターとかがいてちょっと豪華みたいだ。
でも、自分と話してるときは卓の調整で上の空の感じが目立つし、待ち合わせに遅刻する理由も卓が延びたからだったり、リスケするのは急に卓が入ったからだったり。共通の友人がいるときにも、2人で次の卓の話をしたり、2人が通過した卓の感想戦してたり。
探索者イメージグッズもすごいね。でもそれ知らないキャラクターだから勝手に盛り上がられても困る。すごいとは思ってたけど。
新規卓を入れるのをやめて、ようやく予定してた卓が全部終わったから、Twitterアカウントも消した。
友達に連絡もしてないし、向こうからも来ないからそれだけの関係だったんだと思う。
ディスコードはまだ悩んでるけど、そのうち消すだろうな。
もう二度とTRPGやる予定はない。
まあそれでも上司がうっせーから最低限はやっていたし、下っ端が調子づいてる感出すと干されるなと思ったのでいわゆる「健常者エミュレーター」的なノリで先輩の動きをトレースしていた。
まあ真似っ子するのをロールプレイだと割り切れば大学時代にやったTRPGの延長とか、ちょっとだけ試して伸びずにやめたネカマVtuberとかみたいな遊びとして受け入れられたので続けることはそこまで苦痛ではなかった。
ただそのクオリティについてイチイチ細かいことを言う上司には辟易してたし、シャツのアイロンがけを指摘されるのがダルくて1000円高いノーアイロンシャツを買わなきゃいけないのや、靴が傷んできたら買い直すのは金の無駄だなと疑問はあった。
見てくれってそんな大事っすか?言い方でロジックが変わるんすか?コミュ力とかいう言い訳スキルのせいでかえって混乱起こしてる奴結構いませんか?
アリャ駄目だ。
一緒に仕事出来ない。
身だしなみや態度って「信頼関係構築にコストを払う意欲がありますよ」って相手にアピールするための物だったのね。
今更?
って思われるかも知れないけど、なんか日本人って基本的に礼儀正しいというか意識して不良部ってタトゥーやヒャッハーヘアーにしてるの以外は最低限できてるじゃん。
そういうのさえ無いのに仕事で遭遇するとは思わなかったんだよ。
でもありゃ無理だね。
「お前らにどう思われようが、俺には関係ねーから。まっ、お前らはウチと取引してくださいって土下座する側だからよ」みたいなオーラ出されると本当無理ね。
だってそんなの「クレーム受け付けません。文句は法定オンリーでお願いします」みたいなもんじゃん。
界隈内での評判とかどうでもいいですよみたいなポーズ取られて「ビジネスライクに行きましょう」とか言われても、ビジネスライクのレベルがあまりにも万民闘争世界すぎるじゃん。
ビジネスってやっぱどうしてもどこかでナアナアというか「ごめんね」「いいよ。じゃあ俺のも許して」「いいよ」「なんでも即法廷じゃお互い無駄にコストかかるもんね」「だよね」みたいなのがあるわけじゃん。
まあ見てくれに全コスト振ってて中身空っぽみたいなのも困るけどさ、中身が良くても「お前らにどう思われてもいいよ?」みたいな状態でやられるのは流石に怖いよ。
日本は法治国家とは言え何処か紳士協定的の性善説でやってる部分も0じゃないわけで、そこで全部我田引水かまされて「でもルールではセーフでしょ?」してきそうな相手との取引はかなり躊躇するよ。
グレーゾーンはお互い譲り合う前提で見積もりしあってる相手と、グレーな部分は全部向こうの良いようにしかねない相手とだったら、やっぱどこかでそういう係数をかけていくことにならざるを得ないって。
なるほどね。
最低限度を振り切って「どう思われても良い」を相手に突きつけていくってこういう感じになるのねって勉強になった。
そんでまあ文化圏によってその辺のラインが変わりうるから安全マージンを取って「僕は取引相手様からの評判は大事にしたいですね」という雰囲気を纏っておけってことか。
あーなんか分かってきた。
やっぱ極端な例を見るって大事だな。
でも想像もしとらんかったよ。
同じ業界にその極北にたどり着いた状態で仕事してる人がいるとは。
まあその会社がヤバイんじゃなくてその個人がヤバイ可能性はあるし、もしかしたら向こうから「面倒くさいから相手側から断る雰囲気を出せ」って命令でも受けたのかもだけど。
にしたって本当にヤバイのを相手先とぶつけたら「あの会社って、イメージとかどうでもいいらしいよ」って評判が業界に立つとか考えないのか?
そういうリスクを考えていくと、社員に身だしなみとか態度とか気を使わせていくってのは大事だし、社員としてもそのへんにコスト払うのは割り切るべきなんかね。
他人が作ったキャラクターにも、シナリオで出てきたNPCにも、自分のキャラクターにも。
卓で遊んでいる時間は楽しいし、自分が作ったキャラクターに愛着はある。
でも、TRPGを遊ぶためのコマというか乗り物みたいな感じなので、終わったら「楽しかった」ってそれっきりな感じ。
終わった後もそのキャラクターのことを延々ずーっと話している人たちの気持ちが分からない。
最近TLに、別に知りたくもない、他の人のTRPGキャラクターの誕生日や裏設定やイラストや、探索者チャートやグラフ、「(NPCの名前)ってよくって…」みたいなのばっかり流れてきてうんざりするから、TRPG垢をあんまり見ていない。
「うちのこ」「よそのこ」って言い方も、背筋がゾッとする。
「(シナリオ名)げんみ×
(NPC名)って〇〇〇〇〇」
とかのふせったーも見飽きた。
おもしろいシナリオ、心に残る卓は時々あるけど、そんなにだらだら何個もふせったーを書く必要あるか?
そもそも「げんみ」って略しすぎだろ。
長文激重設定の秘匿HO、エモシのCoCサイコー!みたいな、最近の界隈の空気にも馴染めないし、そろそろ引退した方がいいのかもしれない。
女でガッツリゲームをやってる奴は少ない、みたいな話には、「それは偏見だ」「私は女でゲーマーだ」「性差別だ」などと猛然と反撃されるようになってきたわけだが、私は一周回ってその風潮こそが性差別的というか抑圧的ではないか、と思う。
あなたがガチゲーマーだということを否定したいのではなく、同じくらいガチにやっている女のゲーム友達を、クラスメイトなどリアルで見つけることは困難じゃなかったか、と。
その寂しさとか、なんなら疎外感のようなものが、「女ゲーマーは少ないのは嘘」ということによってないものとされてしまうようで、私はそれが嫌だと思う。
ここでいうゲームは、着せ替えゲーとかスローライフコミュニケーションゲー(どうぶつの森みたいな)ではなく、アクションゲー、資源管理ゲー、対戦ゲー、RPGなどのことだ。
その手のジャンルを好む女プレイヤーが、リアルで同性のゲーム友達を見つけるのは今でもなかなか難しいと思う。
出会えた人もいるだろうが、しかし、そこで多少の苦労であるとか、自分は運がよかったなという感覚はあるのではないだろうか。
女のRPGプレイヤー友達ができたとしても、ストーリーについて語る人が多く、このジョブが強いとか、裏ボスがどうのという攻略的な話ができる相手はなかなかいない。
男は、クラスメイトで結構簡単にそういう話をする相手を見つけられていたみたいなのに(しかもコミュニケーションがあまり得意でなさそうな人でも!)。
今のインターネットで女性に人気が高い……たとえばポケモン、TRPG、FPSなんかもそうだ。
ポケモンなんかは総プレイヤー数で言えば女の方が多いんじゃないかというくらいだが、対戦ガチ勢でライバルになってくれる女友達を見つけるのはかなり苦労する。
TRPGも、びっくりするくらい女性プレイヤーが増えたのだが、ストーリーやロールに興味が偏りがちで、キャラのステ振りとかゲーム的なシステムに重きを置く卓を女性のTRPGコミュニティで立てようとすると人が集まらない。いっそゲームじゃなくて即興演劇とかなりきりチャットでいいじゃんという感じだ。
FPSも、男だったら男友達同士かつ結構ガチでやってる勢のフルパを組みやすそうなのに、女フルパを組みたくてもなかなかできない。
音ゲー、パズルゲーなんかは女性ガチ勢も結構いるが、他のジャンルの女ガチプレイヤーは同好の士集めに困るだろう。
そういう苦労や疎外感を、「女ゲーマーが少なくなんかない」という、一見道徳的で正しいかのような言葉で塗りつぶさないでほしい。