私は間もなく45才になる経営者だ。
父親の立ち上げた会社を引き継いで7年が過ぎ、その間に売上は右肩下がり。自分自身が売上に貢献しているとは言い難く、それまでの蓄積と家族(社員)の頑張りで、なんとか食いつないできている。ほぼ家族のみの小さな会社。
業種は、小売でもなくメーカーでもなく、流通の中間に位置する卸売業。地場の産業品を海外に輸出するのが主業務で、一昔前はずいぶんと儲かった業種だったようだが、現在ではその大半を中国製品に置き換えられており、日本製品は主にコスト面、デザイン面で競争力を失っている。メーカーも設備投資をする体力もなく、ジリ貧の状態だ。当然、ウチの売上も激減している。
輸入もしていた。15年くらい前までは、中国製品の雑貨品が大変にもてはやされ、日本で作るのより大幅にコストが抑えられるということで、毎月コンテナで何本も輸入しては得意先に卸す、ということを行っていた。私がこの会社に参画したのもこのあたり。それまではプログラマをやっていた。やがて雑貨輸入も落ち目となる。雑貨のような軽工業品は、比較的誰でも取り扱うことができるため、参入障壁が非常に低い。すぐに価格競争になったために、現在ではほとんど行っていない。
自社製品を開発してメーカーとなろう、と息巻いていたころもあった。有名なブランドのライセンスを借りて、ちょっと変わった製品とコラボさせて、自社製品として売り出そうという発想だ。モノづくりの手配なら一日の長がある。たまたま関係することができた有名ブランドから、ライセンスを借りることができたため、無事に製品化にこぎつけた。これが市場でちょっとした話題になって、予想を少し上回って完売した。しかし、その後が続かない。そもそもマーケットに需要があるような製品であったかどうかが疑わしい。価格も安いものではない。それでもある程度売れたのは、それくらい強烈なブランドだったからだったと理解している。ただ単に運が良かっただけだった。
先代社長は大変に有能なビジネスマンで、関わる人みんなからの信頼を取り付け、どんな不利なディールでも最後までやり遂げることができた。最初は親の借金を背負い(つまり私の祖父の借金)、バッタ品を集めてそれを売り歩き、やがて輸出を始めた。時代背景もあって地場産業品はどんどん売れた。相当なハードワークをこなしてきたらしい。出張先から痛風で飛んで帰ってくることもあった。やがて取引先の紹介で輸入も始めた。先述の通り、最初は大変に売れた。そして私が会社に入り、程なくして社長を引き継いだ。先代の始めた事業は、どれもものすごい勢いで下火になった。現在、仕事はほぼゼロ。前期末で大幅な赤字が出た。
「何か新しいことをしなくては」
社長を引き継いだときから、毎日毎日、寝ても覚めても、一分一秒たりとも、呪いのようにこの言葉が頭から離れない。何度か新しい取引先を作って、新規事業として立ち上げてみた。が、どれも事業としては育てることはできずに、フェードアウトしてきた。客先とメーカーをつなげる立場としては、究極的には中間業者は無いほうがコスト的には望ましい。私達は独自の強みを発揮することができず、淘汰されるのは必然だったというわけだ。
さて、こんな状況でどうやって会社を立て直して行こうか。
現在は地場産業品の輸出に加え、雑貨輸入で培ったOEM精算業務を行っている。ただし、こちらも現在は引き合いが非常に少ない。
地場産業品については、取り扱う製品自体の需要が減ってきているため、我々がこれをどうにかするのは難しい。たぶん、近い将来見切りをつけなければならなくなると考えている。
OEMについてはどうだろうか。ウチの場合は雑貨を中心として、いろいろな製品を手がけてきており、頼まれれば割となんでも作ってしまえる。こんな世の中なので、どんな製品のメーカーでも大抵は探せてしまう。そこを探し出して、クライアントの要求通りに物を作るのが、我々の仕事の一つだ。ただし、なんでもできる、というのは、裏を返せば特に強みが無い、ということでもある。我々がアクセスできる情報なんて、その気になれば他の誰もが知り得る情報であり、クライアントがメーカーと直接つながるケースも珍しくない。我々が選ばれるためには、何か特長が、強みが必要だ。
「何か新しいことをしなくては」