ハウツー話から懺悔まで色々これまで書いたが、そんな経験ない。
あからさまに一人だけ罵倒するために一行レスつけてるだろ、ってのに噛み付かれることはあったが少ない。
あってもあからさますぎるやつ。(職場の受動喫煙がきついーって書いたら、「タバコ吸えないインポは死ね」と書かれるような)
ここから本音のターン。
匿名の利点述べると、必ず「自分の実績になるやりがいを知らないからだ」という人が居る。
汚い言い方になるけど、リアルでイケメンとそれ以外のスタートラインが違う世界があるように、ネットイケメンとも言うべき存在がいる。
そういう人は自分のマーケティングが苦にならず、表現(文章や絵や音楽など)に合わせた自分のキャラ作り戦略をしていくのにやりがいを感じる。自分名義で発表した方がスタートラインが段々前になっていくし、アルファなんとかや有名Pみたいな存在になって、いい結果をだせる。何故自分のキャラ作り戦略にやりがいが感じられるのかというと、表現したいものに大きな自信と使命感とそれを感じるに足るだけの努力をしてるから、表現したいものとそのための自分の理想形に乖離が少ない。乖離があってもそれを埋めるべく常に努力をしていて慢心しないから自信があり自己崩壊しない。そしてそのやりがいが自己評価を上げることになり、自己評価が上がることで乖離は少なくなり、やりがいを感じ、と循環する。
対して俺みたいな奴は、表現したいものに大きな自信と使命感とそれを感じるに足るだけの努力をしていないから、表現(文章や絵や音楽など)に合わせた自分のキャラ作り戦略をしていくのが自分に欺瞞を感じるだけで苦痛でたまらず、自分名義で発表するとスタートラインがだんだん下がっていく。そしてその乖離感からさらに自己評価が下がり、自分を表現する時に自分を偽る恐怖感から「俺はゲロブサメンで何のとり得もないカスみたいな人間だが、許されるなら独り言をここに書く機会が欲しい。」みたいに出来る限りスタートラインを後ろに下げるようになってしまい、それがさらに表現の評価を下げることになり、さらに自己評価が下がり、下がる一方の循環になる。そうなってしまうと、肩書きの利点を捨てて、匿名でスタートラインをゼロ位置に戻した方がまだ自分の表現が受け入れられるなんてことになる。
しかし社会と言うのは不思議で、そんな「ゲロブサメンで何のとり得もないカスみたいな、独り言を言うのも許されないような人間」と自覚している人間の書くものでも、匿名だと人に何かを与える事ができてしまう。そしてそんなトリックのような表現であっても、それで何かが他人に与えられる限り、存在価値を100%否定できない。
http://anond.hatelabo.jp/20110308162450 http://anond.hatelabo.jp/20110309111848 やってることはどっちも偽称なんだろうけど 受け取り方で結論が間逆 匿名は毒にも薬にもなるのだろうか
http://anond.hatelabo.jp/20110731161324 俺は物心ついてからどの階層にも属した事のない非コミュだ。 要性から組織に属することを要求されてもなんとかいるというだけで、常に他人との乖離感...
その自己ブランドに激しく自信がなかったり→ http://anond.hatelabo.jp/20110309111848 自己ブランドの維持に疲れたり→ http://anond.hatelabo.jp/20110308205144