はてなキーワード: 由比ヶ浜とは
おれって将来青襟やってそうな気がするなと思って、たまに明け方ネクタイ締めてスラックス履いて出歩く。
今日もその格好で公園までタバコ吸いに出たらベンチに手持ち花火が1本落ちてた。勝手に燃やしてみた。
白い火が7秒くらいシュボーッと吹き出るだけで、まだタバコの赤い火種の方が綺麗な気がした。
帰ってスマポポチポチしながら、そういえばこういう花火も小学生以来やってないな、夏らしいことって最近してないなと思った。
そのまま朝が来て大学バックレて江ノ島へ向かった。片道2時間弱もあれば、行きの電車でもう冷静な気持ちになってた。こんな気持ちでサボるくらいなら大学行った方がマジだったかもとか思いながら数独やってたら片瀬江ノ島に着いてしまって、もう帰りたくなってた。
でもわざわざ800円かけて来たんだからって、取り敢えず江ノ島に向かう橋で一服した。平日だってのに割と人はいて、気持ち悪いから江ノ島には入らず引き返して鵠沼海岸でしばらくボケーッとしてた。
海見ててもなんか落ち着かなくて、鎌倉まで歩こうと決めた。
気持ちを上げようとイヤホンで流す音楽をピンポンのサントラとかアジカンに変えて歩いてたら、少し気分が良くなってきた。目の前の景色や耳元の音楽というよりは、そういう音楽聴きながらそういう場所を歩くという体験をしている状況が気持ち良かった。
汗ダバダバになりながらグーグルマップで何度も由比ヶ浜までの距離を調べた。朝ギリギリに家を出て、変わりやしないYahoo路線の画面を何度も確認してる時よりはずっとマシな気分だった。
鎌倉駅までついて、折角だからって鶴岡八幡宮まで行って、10円投げ入れて30秒くらい眺めてそのまま帰った。
夢現気分でいるには帰る時間がちょっと早すぎて、夕飯食うまでの間の時間が今日イチで死にたかった。
それでも今はなんかもう、鬱屈としつつも夏らしいエモーショナルな一日として早くも美化されてるけど、その時の自分の気分を具に思い返してみればやっぱり総じて明るいものじゃなかった。
人生って今の連続だし、過去にも未来にも生きることは出来ないし、懐かしめる過去を増やすより今を楽しく生きたいよなあ。
でも振り返ってみておれの人生にもいいとこあったなと思えるのは、建設的に何かを頑張った経験よりもああやってフラフラしてる時の思い出なんだよなあ。
お昼頃に集合して、すぐ手を繋いだ。初めて繋いだ。小町通りのひとつ隣の通りにある海鮮丼屋で生しらす丼を食べた。美味しかった。美味しそうに食べる顔が良かった。食べきれないかもと言われたので少しもらった。
そのまま成り行きで鶴岡八幡宮へ行き、おみくじを引いた。大凶を引いてた。落ち込んでた。相手を信用してはならないと書いてあり、半ば合っていたのでドキリとした。願掛けもした。何を願ったのか尋ねたら、言ってしまっては叶わないと言われた。気になった。
小町通りに戻って静かなスイーツ屋でかき氷と黒蜜バニラを頼んだ。いちごシロップは控えめな味で気に入った。黒蜜バニラを少しもらった。マナーのこととか、バッグの中身とか次にどこへ行くかを話した。
進路のこととか話しながらダラダラと駅周辺を歩いたあと、江ノ電に乗って由比ヶ浜へ向かった。以前茅ヶ崎へ言ったときも感じたけど、海が近い住宅街の雰囲気は良いよねと伝えたら、海好きなんじゃない?と言われた。このとき自分は海が好きなんだなと気づいた。
浜辺で遊ぶ小さな子どもを眺めながらたくさん話をした。可愛いねと伝えたら照れてた。このときが一番こころが安らいで、幸せだった。
寒くなってきたので江ノ電に乗って江ノ島へ向かったが、水族館は閉まりかけてたので鎌倉へ引き返した。この際に降りた高校駅は、目の前に海が広がっており綺麗だった。電車を待ってる間、何も話さなくてもスマホを触りたくならないと言われた。確かにと思った。
鎌倉へ戻り、また手を繋いでダラダラと歩いた。2人で手を繋いで歩いているだけで幸せだと伝えたら、同意してくれた。
小町通りに戻り今川焼きを食べた。お互いの価値観について少し話した。なんとなく似通っていたので安心した。あなたの手はぷにぷにしてて良いねと褒められたので、そんなこと初めて言われたよと笑ったら、初めてもらっちゃったと喜んでた。可愛かった。
まだ一緒にいたかったので夜ご飯も食べようと誘った。にっこり笑って頷いてくれた。でもあんまり食べられないだろうから、どうしようか迷った。恐る恐るサイゼでもいいかと尋ねたら、快諾してくれた。慣れてなくてゴメンネと謝ったら、慣れてない方がいいと言われた。気を遣ってくれたのかもしれないが、言葉通りに受け取ることにした。
以前、ファミレスに行った時は向かい合って座るのではなく、ソファに隣り合って座ってみたいんだ、となんの気なしに話したのだが、それを覚えていてくれたらしく、席に座る際、隣に来なよと言われた。嬉しかったが、周りの目が少し恥ずかしいと伝えたら、そんなの気にならないと言われた。それもそうかと思い、隣へ座った。想像していた通り、隣は良かった。
サラダとパスタを頼み2人で分けた。お互いの学校や友だち、男や女について話した。たくさん盛り上がって、一瞬親友のように感じた。
サイゼを後にし、帰ろうかとなったとき、後30分ほど話していかないかと誘われた。まだ一緒にいたかったから、そうすることにした。手を繋ぎながらまたたくさん話をした。ママに見せるからと写真を撮られた。あんまり盛れてなかった。次はいつ会おうかなんて話もした。また2週間後くらいに会えそうだった。
別れるとき寂しかった。ずっと一緒にいたかった。でもまた2週間後くらいに会えるしなとも思った。
おわり
今日のことをなるべく多く覚えておきたかったので、思い出せる範囲で書いた。もっと細かく書くこともできたが、キリがないのでこれくらいにしとく。
タイトルにも書いたとおりヒロインの中で誰が選ばれるか分からないラブコメが好き。
〇〇派とかが現れるやつ。
今まで読んだのは
・ドメスティックな彼女(瑠衣派)
・五等分の花嫁(二乃派)
メインヒロインが決まっているタイプの作品は好きなヒロインが負けても「まぁそりゃそうだよな」ってなるけど、誰が選ばれるか分からない作品だと「選ばれる可能性はあったのに……」という気持ちになってその感覚が好きなのかもしれない。推しヒロインが勝った経験は無いから分からない。
まぁ冴えカノとかも英梨々派で可能性はあったと信じてるから作品によってはメインヒロインが分かっていても楽しめる気はする。
完結済みでも現行でもおすすめあったら教えて下さい。
http://anond.hatelabo.jp/20160821212820
一回しか見てないんで見落としてるだけだよってだけかもしれんけども
追記:
旦那が東大卒なんだけど、facebookで歴代彼女らしき女を漁ってみた。無駄に美人が揃っててびっくりする。
けど青◯学院とか日◯女子とか明◯学院とか国◯院とか偏差値は揃って低め。
fbで友達の友達にまで写真全部見せるリテラシーの低さっていうか、自己顕示欲の強さっていうか。
写真もいかにもな感じで海外にスカイツリーに東京ミッドタウンに六本木に由比ヶ浜に自由が丘に、お約束のディズニー。
こりゃ旦那に選ばれないわけだな~と納得した。こういういかにもな頭の弱い美人は若い時しか選ばれない。
男はどんなに遊んでても結局私みたいな同じだけの学力と教養のある人間と結婚する。
そこに顔だけのバカ女が入る余地はないよね。どうせ教養のない不動産社長(自営業)とでも結婚するんだろうな。
実際は1人は立◯卒の多分パナソ◯ックの営業と結婚してるみたいだしあと2人も結婚してるけどfbからは分からなかった。
ちなみに結婚できてないのは1人だけで、この人は間違いなく数年後にしょぼい不動産社長(自営業)と結婚しそうだと思った。どうでもいいけど。
もちろん私の大学(無知な馬鹿に馬鹿にされることで有名)でもバカ大学出身の女と結婚する男はゴロゴロいる。
(その人達も結局のところ、お勉強が出来るだけで、趣味は深夜アニメにワンピースにクロスワードパズルみたいな感じだろう)
自分の専門の実利のなさを誇るくせに、創作分野には意味を求める。ナンセンスを理解できない。
そんな教養がない人同士が結婚するのは何らおかしなところはないし納得。
ちょっと何書いてるのかわからなくなってきたけどとにかく日本人はエリートに見えても教養がない人が多すぎ。
階層が不安定な分、平等にチャンスが与えられてるとも言えるけど。
少し自虐すると、日本人女性がまだまだ学歴も低くて社会進出も進んでない中でエリート男が同ランクを選ぶためにはルックスが障害になるんだろう。
耳障りのいい言葉で言えば「中身」を愛されてるってことになる。
ブス過ぎて生きてるのが辛い。
進撃の巨人ネタで気分がよくなった青二才が再び俺ガイル語りに挑戦
今週の俺ガイル見て個人的に、突っ込みたいことをしばしば。別に続きがあって、別の結論があるんだろうが「誰にだって優しい人」何か本当はいない。これだけは言わせてもらいたい。『苦労背負い込んで生きたがるマゾ』『義理堅いゆえに恩を返さずに居られない人』だってだれでもそうとは限らんよ
少なくとも、僕は俺ガイルの彼に匹敵するぼっちだ。友達がいるとかいないとか以前に、友達ってもんが作ってもはぐれっちまうものだと13で気づいた。絆ってもんは賞味期限があって…1年に一回は上書きしないと維持すらままならない。3年に一回はリスペクトしたくなる場所に居合わせないと…らしいぜ
人は熱しやすく冷めやすいからね。短期的には、好印象で優しい人からもそうでない人からも好かれる事はできる訳だ。由比ヶ浜ってキャラクターはそのことを知ってる。短期的にモテたくてやってる部分と中長期的に愛されたくてしてることを彼女はわけてる。俺ガイルのアニメはそこらへんがあじな演出だよ
俺ガイルが好きになれないのは、主人公が伊藤誠よりも碇シンジよりも、アニメ史に残るレベルで僕が拒絶しちゃう主人公だから。「負けることについては最強」だって?年がら年中どころか、人生の9割は負け組人生送ってきた俺の前で言うなよ!負けの最強(マイナスの中のマイナス)は俺だよ。…ほざくな
主観を主観だとはねつければそれで終わっちゃうんだけどね、人は主観で生きてるからこそ尺度次第では相手の価値観の一歩先を行ける。少なくとも俺ガイルが描こうとしようとしてるものってその点でおおよそ言い分はわかっちゃう上で「これ、高校生にやらすのはおかしい」って僕は言いたいのよ。
出会いと別れとか、友情ってテーマは高校まであんま考えない。高校時代にはスクールカーストの序列の中で生きてるから、自分の持ってる友達観・友情観・それに関する言葉の重みや信用性に左右され本質的なところが見えない。だから、話聞いてて、「そこで分かった口を聞くなよ」と腹が立つ訳だよ
俺ガイルの歪さって、友情の先にあるもの・言葉の重みの裏付けとなるものがどうしてもスクールカーストに吸収されていく点。大人になれば、彼らの思い込みや虚構は良くも悪くもリセットされ、友情や感情の意味をもっと深く知ることになる。その時に悟ったことを高校で再現しようとするからなんか不自然
原作見ないでアニメを見る面白さ、ほんのページをめくる楽しさって、何が出てくるかわからない手探り感なんだけど、俺ガイルに僕がそれを見いだせないから楽しめない。描きたいものも演出的・フラグ的意図もわかる。だが、知ってるからこそ見えると萎えるものが先々に見えて没頭できない。反論が出る
ハリネズミなんだよね。毒付きあうことでしか人と付き合えない、某ネットコミュニティーみたいな痛々しさを俺ガイルを見てて感じる。殺風景でそれを知る人がリアルで口を開くと全員が全員不幸の産物のように語る。それをさも正しそうに語るから、俺ガイルってアニメ・原作にはほとほと呆れるのです
とりあえず翻訳してみる。
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今週のアニメ『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』(以下『俺ガイル』)への突っ込みを暫し書かせてもらう。もちろん、アニメには続きがあり、そこでは別の結論が出されるのだろうが。これだけは言わせてもらいたい。「誰にだって優しい人」なんて本当はいない。「苦労を背負い込みたがるマゾ」「恩を返さずにはいられない義理堅い人」だって、そう多いとは思えない。
私は、『俺ガイル』の主人公に匹敵する “ぼっち” だ。友達を作らないわけではないが、作ってもすぐにはぐれてしまうのだと、13歳のときに気付いた。絆というものには賞味期限があり、一年に一度は上書きしないと維持することができない。さらに三年に一度は、その人をリスペクトしたくなる場面に居合わせないといけないらしい。
人は熱しやすく冷めやすい。短期間なら、優しい人からも、そうでない人からも、好かれることはできる。由比ヶ浜というキャラクターはそれを知っている。短期的にモテたくてしている行動と、中長期的に愛されたくてしている行動を、彼女は分けて考えている。そのあたりは味な演出だ。
私が『俺ガイル』を好きになれないのは、主人公をどうしても拒絶してしまうからだ。伊藤誠よりも碇シンジよりも。「負けることについては最強」だって? 人生の九割で負けてきた私の前で言うなよ。負けの最強は私だ。ほざくな。
主観を主観だとはねつければそれで終わってしまう。しかし、人は主観で生きているからこそ、尺度次第では相手の価値観の一歩先をいける。『俺ガイル』が描こうとしているもの、そのおおよその言い分を理解した上で、私は「これを高校生にやらせるのはおかしい」と言いたい。
高校に入る以前は、友情というものについてあまり考えない。高校生になってからは、スクールカーストの中で生きていくので、自分の思い込みの友人像に翻弄され、友情の本質を見ることができない。だから高校生の話を聞いていて、「分かったような口を利くなよ」と腹が立つのだ。
『俺ガイル』の歪さは、友情の先にあるもの、言葉の重みの裏付けとなるものが、どうしてもスクールカーストに吸収されていく点にある。大人になれば彼らの思い込みや虚構は良くも悪くもリセットされ、友情の意味をもっと深く知ることになる。その大人になって悟ったことを、高校生を主人公とした作品で再現しようとするから、不自然に見えてしまうのだ。
原作を読まないでアニメを観ることには、何が出てくるか分からない手探りの楽しさがあるのだが、『俺ガイル』にはそれを見い出せない。描きたいものも、演出・伏線の意図も分かる。分かるからこそ、先々に萎えるものが見えてしまい、没頭できない。反論が口をついて出てしまう。
ハリネズミなのだ。毒づき合うことでしか人と付き合えない、某ネットコミュニティのような痛々しさを、『俺ガイル』を観ていて感じる。口を開けば、すべてが不幸の産物であるかのように語る。そのような痛々しさを肯定して描くから、『俺ガイル』というアニメ・原作には、ほとほと呆れるのだ。
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意味不明な箇所が多々あったので、かなり意訳した。解釈に間違いがあれば指摘して欲しい。
元増田の方で
「自分は13歳でわかった」けど、「高校生にこんなこと理解できるわけがない」という主張している件について納得の行く説明をしてくれ
とあったが、
青二才氏が「13歳でわかった」のは「自分に友達が出来ても長続きしないこと」、