はてなキーワード: 深淵とは
そのやりたいことが女児レイプとか、女児監禁レイプ殺害だったらどうするんだって話だよね。
思春期時代、猟奇殺人犯が大好きで、猟奇殺人犯について四六時中調べてたんだけど
多分そういうのを理解しようとしている自分、アウトローな自分に酔ってた部分も多分にあった。けど
何より法や世間の倫理があるのにもかかわらず、自分のやりたいことをやってる彼らに憧れた部分が一番大きいと思うんだよね。
今の子がyoutuberとかゲームデザイナーに憧れるのに似てるかもしれない。
実際に、大して法の無かった時代(つまり乗り越える壁の無い時代)のジルドレなんかは正直見ても何も思わなかった。
テッド・バンディみたいな、法や倫理にがちがちに固められた時代の猟奇殺人器には憧れた。
結局、やりたい事があっても、それで人を傷つけたり苦しめたりするのが嫌だから、結局しないんだよね。
地獄変を見ても思うのが、俺はこんな何かに心酔して、何かの為に自分の人生を捧げられないなって事。
みんながみんなやりたいことをやったらこの世は地獄みたいになると思うよ。
でもやっぱりやりたいことをやりたいわけで、俺はこの先一体どう生きていけばいいんだ、どうやれば幸せになるんだって考えるたびに
お前の言う愛は倒錯してんだよ。
まず前提として好きであることと表現することは別物だということを理解しろ。
本来、愛とはその対象と承認し合って確かめるものであるのに対し、お前の言う愛の対象はアニメという虚構だ。
そのため、どれだけ綺麗な言葉を囁やこうと、どれだけ素敵な贈り物をしようと、受取手が不在では滑稽な一人芝居でしかない。
その一人芝居で狂いきれるのであれば、孤独な愛にも耐えられるのだろうが、それは難しい。
だから何とか愛を出力し、第三者に承認してもらうことで自らの愛を認めようと試みる。
その出力方法は、例えば「◯◯は俺の嫁!」とか言ってみたり、キャラの絵を描いたり、SSを書いたりなど実に様々だ。
しかし前述の通り、この表現の向かう先は愛の対象でなく全く無関係な第三者で、対象と確かめあう愛とは異なった歪なものだ。
オタクが愛を確かめるときにはこのような”手段としての表現”という倒錯に縋るしかないのだ。
お前が深淵を覗くとき、深淵の方もまたパンツをずり下ろしながらお前の方を覗き込んでいるのだ。
びゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅるびゅっ!
びゅるびゅるっ、びゅーーーーーーーー!!
びゅーーーーーーーーーーーーびゅーびゅびゅーーーるるるる!
びゅーびゅーーーーーーーーーーーーー!!!
びゅうびゅうびゅうびゅうびゅうびゅう!!
びゅるびゅるっ、びゅるるるっ!
びゅるびゅるっ、びゅるびゅる!
びゅる、びゅるびゅう。
びゅるびゅぅ…。にょろり…。
にょろりにょろりとろとろ。
とろぉ。
ぴゅっ!
くたぁ。
ツイッターでよく見る親父の小言ポスターみたいな説教ポエムは、無から無といった指向性がまったくない放出をされているので果たしてどこへ漂着するのが目的なのか全くわからず、その無目的ぶりはラブクラフトの小説のように非条理な感じがしてコズミックホラーめいた恐怖が漏れ出ていると感じた。人々の脳に狂気の詩人の霊的存在が密やかに潜り込み、うわ言のごとく人を狂気的宇宙の深淵へと侵食させるための壮大な儀式をSNSという意識接続のための技術を用いて行っているのではないだろうか。我々は意図せずシュブ・ニグラスの千匹の仔として変容させられているのかもしれない。窓に窓に(Mac派です)。
友人の誰にもこんな話できない。
Twitterにも。
でも吐き出さないと眠れなくて、匿名という卑怯な手に逃げることを許してほしい。
はじめに言っておくと、私は誰かの味方になりたいわけでも、敵になりたいわけでもない。
両方とも好きでいたいのに、そのバランスを崩しかけていて、なんとか持ち直すためにこれを書く。
私はMマスのプロデューサーだ。
そしてアイナナというコンテンツも、マネージャーではないが楽しんでいるただの1人のファンだ。
この時点で嫌な予感がする人はすぐこのページを閉じて欲しい。
個人的にはそこまで気にしていない。
ネタ被り、キャラ被り、構図被り……なんて、世の中にはたくさんあるし、オマージュだって死ぬほどある。
ジョジョの荒木先生だって、セーラームーンの竹内先生だって、オマージュ(ほぼ本物に近いじゃないか)をしている。
どんな被りも絶対に許されないなら、多分文化は育ってない。だからこの話は言うほど気にしていない。これで完結している。
元々Jupiterのプロデューサーで、あとからTRIGGERの存在を知った。
似ているな、と思った。
悪い方ではなく、親しみが持てる方の意味で。
黒い衣装のイメージも、楽曲の方向性も、ユニットグループに付随するストーリー背景も。親近感があった。
Jupiter好きならTRIGGER好きなのでは?と思ったし、TRIGGER好きならJupiterも好きなのでは?と思った。お気楽なオタクなので。
先述した通り、ネタ被り、キャラ被り、なんて、これだけ数多く存在する作品の中では必ずある。
気にしない質の人間だ私は。
むしろ楽しむことに前向きでいたい。
アイナナはファースト、セカンドライブともにライビュで楽しんだし、アニメも良い出来だった。普通に楽しんでいる。愛されているジャンルだな、と感じたライブだった。
身内でアイナナのマネージャーが複数人いる。みんなオタク世界の深淵を覗き込むのが初めての人ばかりだ。
たまたま私の身の回りに多いだけかも知れないが、もしかしたらアイナナが初ジャンルの人も多く、ファン層の裾野が広いのだろうか、と思っている。1人のオタク玄人としては、オタク初心者が楽しんでいる姿だけで楽しい。
一方でMマスは歴戦のオタクが多い気がする。それは今回どうでも良い話題だが。
長い前置きだった。
Mマスに身を置く人なら察しているだろう、Jupiter担当なら言わずもがな。
知らない方は、9.18でぐぐればすぐ出てくるので検索してくれ。
つらかったり悲しかったりした。いつしかJupiter爆誕の日として祝われるようになった。気づいたら、つらかったり悲しんだりした期間より、お祝いされている期間の方が長くなった。
リアル世界で一緒に寄り添ってきた。バーチャルだけの感情じゃない。
特別なんだ。
JupiterPにとって、9月18日は、とても、特別で大切な日……。
Twitterでお祝いされている。嬉しい。
おや、別のユニットも記念日とお祝いされているではないか。TRIGGERだ。
でも……
ただの365日のうちの1日。
誕生日被りも、記念日被りも、なんだったらこじつけ数字の記念日も、今までのジャンルの中で山ほど経験している。
奇遇だね、やっぱり似てるねこの2つのユニットは。たまたま記念日まで、重なっちゃった。
……そうだよね?
崩れたら駄目だった。
今まで、前向きに、親しみを感じていた、全てが。コロンとひっくり返りそうになってしまって。
私は両方楽しみたい。
身の回りでアイナナを楽しむみんなと、新曲が楽しみだの、最新章がやばいだの、話していたい。
ひっくり返って欲しくないのだ。
疑心に苛まれたくない。
8.19じゃ、駄目だったのかなぁ。
【改訂版の変更点について】
ステマをしたいわけでは無かったので、具体的な商品名を削除しました。
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その知見を広めようとこれを書いた次第です。
催眠音声とは催眠状態の中で快感を得る的な物で、要するにオナニーの1つです。
自分が聞いた催眠音声は通常のオナニーとは違い、ちんちんに触れることは無いし射精もありません。
射精しないけどオーガニズムに達するのをドライオーガニズムと言います(たぶんこんな定義だと思う。)。
ドライオーガニズムは通常のオナニーのように射精しない代わりに、全身に快楽が行き渡ります。
それでその快楽に耐えられなくなって声が出たり体がビクビクしたります。
一説にはドライオーガニズムは女性のオーガニズムと類する物だそうです。
ただドライオーガニズムが気持ちよすぎて今日1日はドライオーガニズムのことが頭から離れませんでした。
女性はセックスの度にこんな快楽に浸っていたのかと思うと羨ましい以上に大変だなと思いました。
自分が聞いた催眠音声は演者のとある日常的によく使う単語(おそらく多くの人は毎日言っている)によってオーガニズムに至ります。
これだけ聞くといやいやそんなわけないやろ笑と思うかもしれませんが本気です。
マジです。
無論そこに至るまでに催眠状態になった後にその単語を聞いたらオーガニズムに至るという暗示をかけられます。
しかも催眠音声のストーリーは女性に脳みそを吸い取られるというもの。
怖いもの聴きたさで購入して聞いてみたら、まんまとビクビクしちゃいました。
こういう非日常的なものでもオーガニズムに達することが出来る催眠音声は凄いなと思いました(小並感)。
具体的な内容はネタバレになるので実際に購入して聞いてみてください。
今更ながらいーちゃんの本名が気になってちょっと考えてみた(前編)
の続き。
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」……きみはこの質問に口頭で即答できる自信はある?
ぼくにはちょっと難しいな。自分の名前をローマ字にした綴りもその音数もパッと頭に浮かべられる内容じゃない。一度紙に書き出して指で数えたい。
普段書き慣れてる表記で何文字ですかって言われたら即答できるけど、ローマ字表記なんて日常的に使ってないから頭切り替えてかないと難しい。
頭の中で数えられるっていう奴はそれこそいーちゃん並に頭の回転が速い奴なんだろうな。
ところでこんな話知ってる?バイリンガルやトライリンガルって苦もなく複数の言語を使い分けてるように見えるけど、実際はぼくらが考えるより頭の切り替えって大変らしいよ。
母語で会話してる時にいきなり別の言語で話しかけられると頭の切り替えが間に合わなくて固まったりすることがあるんだ。一度切り替えた後は流暢に喋るんだけど。
日本人のくせに英語で寝言を言うような人ですらそうみたいなんだ。世界中のバイリンガルやトライリンガルと知り合いなわけじゃないから、全員がそうかは知らないけどね。
だからいーちゃんもさ、この時頭の切り替えをした可能性はあるよね。
普段の思考に使ってるネイティブな日本語から、アメリカ留学時代に使っていた英語脳に。
ローマ字表記の名前を書く機会は日本暮らしより在米中の方が圧倒的に多いだろう。
日本に帰ってきてからは英語もローマ字表記も使う機会が激減してるだろうから、思い出すのにちょっぴり手間取るかもしれないね。
「えーと、当時は名前はどう書いてたっけ……そうだそうだ、これだ。『I am Ichizu Yi.』だ」
「I am Ichizu Yi Qing」だとさ、数えてみると母音7子音8になるんだよね。答えにだいぶ近付く。
「I am」は名前じゃねーだろ!ってツッコミは妥当ではあるけど、母語で書き慣れた自分の名前ですらうっかり別の文字と書き間違えることもあるじゃん。久々に思い出す言語表記を頭の中だけでこねくり回してたらうっかり勘違いしちゃうこともあるんじゃない?
ぼくはとても留学経験者と張れるほど英語には通じていないしバイリンガルの気持ちも分からない、だから絶対ありえないとは言い切れない。
あ、ところでさ、母音と子音って逆に覚えてる人けっこう多くない?
ぼくもうっかりすると間違いかねないからこの文章を書いてる途中でググって確認したよ。
でもすぐに調べられない状況だったら、うろ覚えのまま押し通して間違っちゃうこともあるかもしれないなあ。
仮にいーちゃんが母音と子音を勘違いしていて、その上でパッと頭に浮かんだ英語表記を精査せずに数えたとしたら……逆転して「母音が八、子音が七」を正答と勘違いしちゃう可能性は、十分にありうるんじゃないか?
だってあいつ、有能な時は有能だけど抜けてる時はむちゃくちゃ抜けてるだろ。
まあ彼は両利きだから利き腕がひとつしかない人間の常識で測っちゃいけないんだろうけど。
でもいーちゃんに限らずどんな人間でもうっかりすることはあるものだから、だからカッコつけずにちゃんと紙に書いて指で数えておけばこんな馬鹿みたいなミスを疑われないですんだだろうに。
まあその場合ペンを動かす手の動作から子荻ちゃんに情報を与えかねないから、どんなに難しくても頭の中で数えざるを得なかったのかもしれないけど。
そもそもアレ子荻ちゃんが姫ちゃんに気付かないようにするための時間稼ぎだから、ゆっくり考えて退屈した子荻ちゃんが何気なく窓の外に目を向けでもしたらその時点でアウトだからね。極力ノータイムで答える必要があった。時間制限有のハードモードってわけで、初見ノーミスクリアはなかなかちょっと厳しい要求だろう。
というわけで仮に「イチズ・イー・チャン」というのがいーちゃんの想定した正解だとしたら、
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」
「《あ》を《1》、《い》を《2》、《う》を《3》……そして《ん》を《46》として、あなたの名前を数字に置き換えます。その総和は?」
この三つの質問で引き出せる情報に加えていーちゃんの性格・性質を考慮に入れることで、正解に辿り着けるということになる。
ぼくは初読から10年以上かかったけど、そこはあの策師・萩原子荻だ。彼女の頭脳と観察力をもってすればその場で辿り着くことなどわけないのだろう。きっとそうだ。たぶん。そのはず。
ぼくが何故こんな強引にこの根拠に乏しい名前を推してきたかというと、理由はただひとつ。
どうでもいいけどエモいのエモってエモーショナルの略なんだってね。
ぼくはてっきり「えもいわれぬ」の省略語だとばかり思い込んでてつい先日恥をかいた。
でもえもいわれぬでも間違いではなくない?「言い表すことも出来ないほど優れている」って意味だよ?エモいと本質的には同じ言葉といって差し支えないだろ?
閑話休題(もう何度目だコレ)。
「イチズ・イー・チャン」
ずーっとカタカナ表記で通してきたこの名前を一度漢字表記にしてみよう。
「一途一青」となるね。
横書きだと伝わりづらいだろうから、一度縦書きにしてみようか。
一
途
一
青
「一途《いちず》」「一《いー》」まではおそらくいーちゃんは他人にいくらでも名乗っている。
でもその先、いーちゃんの本当の名前……余人には明かさぬ最深部の象徴たる「青」にまでたどり着いた者は、決して生きて帰ってこれない。
この二つ目の線は、そう、「踏み越えると必ず死に至る、デッドライン」なのさ。
「死線の蒼《デッドブルー》」
この通り名はきっと「死線を越えて戻ってきた存在」という意味。
しかし「越えてはならない死線」は玖渚友、本人を意味しているのではない。
どんな目的でも、どんな手段を取ろうと、誰であろうと、彼の心の深淵に立ち入ることは許されない。
……どうかな。エモくない?そうでもない?
うーん、あいつもあんなかわいいなりしてなかなか口が悪いものだからなあ。
もう少し穏便な表現にしておけばいーちゃんにも伝わりやすかっただろうにね。
死線とか物騒な言い方してはいるけど、要するに誰も見せてもらえないいーちゃんの心を覗けたのはこの世界で自分だけ!って意味の名前を電子世界で大暴れまでして全世界に轟かせてるんだからねあの子。
すごいよね。
そんなまわりくどいことしないでもはっきり言えばいいのに。
「離れていても、いつもあなたの心の一番近くにいます。あなたの隣にいられるなら死すらも怖くない」って。
天才の行動ってなにがどうなってそうなってんのか理解に苦しむもんだからなあ。
でもたとえば「僕様ちゃん」って謎の一人称とか、常軌を逸した玖渚の行動は丹念に理由を紐解いていけばぜーんぶいーちゃんへの執着/愛情の二要素だけで構成されてるんじゃないのか?電子の世界と同じ二進法。
友の奇矯な行動なんていちいち挙げてたらキリがないからやらないけど。
あとさ、いーちゃんはいーちゃんで14歳の時点では「どのツラ下げて」だった「一途」の名前も原作完結時点では名は体を表す、似合いの名前になってるんだよね。
だってあいつ玖渚と結婚したんでしょ?してるよね?ブルセラ趣味の玖渚だって、さすがに結婚する気もないのに表紙でウエディングドレス着たりしないよね?
この世界で青といえば玖渚友。
彼女とはティーンエイジャーの頃からの知り合いで、他の女の子とは付き合ったりせずずっと一途に想い、とうとう結ばれました。
いーちゃんの詳しい過去を知らない人にそう自己紹介したら信じるでしょ。
「一途一青」、完全に名は体を表す名でしょ。
エモくない?えもいわれぬ感ない?そうでもない?
ぼくら読者は彼が出会う女の子出会う女の子みんなにうっすら好意を抱いていたこと知ってるから「嘘つくなよ」って言えちゃうけど、普通は目の前で話してる相手の心の中なんて見えないから大丈夫大丈夫。
「《嘘も百回言えば真実になる、ただし八百回目で嘘八百》みたいなっ!」
……こういうの下手げにやってると原作でやったのと被りそうで怖いな……さすがに巫女子ちゃんの出番はばらけすぎててチェックしきれねえ……。
ところでここまできて本当に今更なんだけど、いーちゃんが日本人だという確たる証拠を原作から見つけてしまった。
クビキリサイクルの40頁目上段、地の文で「純粋な日本人」ってはっきり明言している。
マジかこんなに書いちゃったのに全ボツかよ……と正直だいぶ打ちひしがれたんだけども、よくよく考えるとこの申告ちょっと不自然じゃないかなあ。
この付近、ワールドワイドな視点で語ってるせいか「純粋な日本人」ってワードが頻発してて惑わされちゃうんだけど、自分のことをわざわざ「純粋な日本人」って主張する日本人って、見たことある?
少なくともぼくはそんな自己主張したことないなあ。みんな顔と名前を見て勝手に日本人と判断するから、わざわざ自分から強調しなきゃならない状況になったことはたぶんない。
とはいえ何度も言っているようにぼくにはいーちゃんのように多様な民族が共存するサラダボウルのような国で何年も過ごした経験なんてないから、ぼくの常識がいーちゃんの常識と同じとは限らない。
アメリカで何年も暮らした日本人はみなそういう習慣が付くのかもしれないし、そうでなくとも必要があって連呼してた「純粋な日本人」ってのが妙に口に馴染んじゃって必要ないところにまで飛び火しただけかもしれない。あいつ気を抜くとすぐうっかりする奴だから。
ただ、なくはないよね、可能性としては。
黙ってりゃバレないようなことをわざわざ自分から言って「語るに落ちる」ってことはさ。
いーちゃんに誰にも知られたくない秘密があるとしても、そんなに必死になって隠すようなことは知らんぷりしておいてあげた方がいいんだろう。
気付いていようがいまいが誰も口に出さない、出す必要もない、どうでもいいことなんだからね。
いやでもいーちゃんは別に秘密にしてないって可能性もあんだよな……。
「昔は中国人でしたけど、今は帰化したから純粋な日本人です。何か問題でも?」って真顔で言ったりして。
あいつ言葉の定義にうるさいんだかうるさくないんだか分かんないとこあるからなあ。
でも「心は純粋な日本人です」って真面目に言ってる人を嘘つきって責めて傷付けでもしたら、こっちが人非人だもんな。
まあどっちにしろ、表から見た情報だけじゃ本当のことはそう簡単に分からない。
実は痛いのをなんともないフリしてる腹ならなおさら、そっとしといてやらないと。
そっとしとくと決めたところでそろそろ終わりにすることにしよう。
それにしても長くなってしまった。あまりにも長くなってしまった。
休みの暇潰しに気軽に綴るつもりが、こんな文章量になるとはお釈迦様でも思うまい。
ここまで読んでくれたきみがぼくの考えに賛同しようが、反対しようが、肯定しようが、否定しようが、面白がろうが、こき下ろそうが、どうしようとぼくは一向にかまわない。
だから小説を読んだ時と同じように、楽しむも腐すも好きにしてくれればいい。
半可通の与太話だからきっとツッコミどころだって大量にあるだろうしね。
ああ、そうだそうだ。こんな時にぴったりな言葉があるじゃないか。
じゃあこのシリーズのファンらしくその言葉を借りて締めることにしよう。