はてなキーワード: 敬遠とは
当時パチンコのCMで流れてたときってニコニコの存在も知らない女子でもヤンキーもお父さんお母さん世代もみんな曲自体は知ってたじゃん
あれ今考えるとめっちゃ凄くない?
ぶっちゃけアクエリオンなんて当時も今も人気ないし原作パワーなんてなかったじゃん
紅蓮華が鬼滅無しでなんかのよくわからんソシャゲタイアップ企画のCMとかで流れてる曲だったら多分こうはなってないでしょ
それに当時は今よりもアニヲタとかキモいって風潮強かったからアニメソングってだけで敬遠される方がむしろ強いくらいな気がする
前情報とか先入観とか全くなしで曲と歌詞だけであれだけ大勢の耳に残って『なんか知らんけど良い曲』として浸透したって今考えるとすげーよなぁって
IQが20違うと会話が成り立たない
これを元に、1つの場面を考えてみましょう。IQの差が大きく異なる2人の会話です。
まずIQの低い側の人にとっては、相手の持ち出す情報量の多さに直面します。それを理解しようとしても、頭の中の整理が追い付かなくなって会話から取り残されることになります。もっとも、まったく理解しようとしない場合は、いつまでも会話が噛み合わないままです。
次にIQの高い側の立場から見ると、相手がなかなか話を理解できないことにイラ立ちます。互いに話し合う努力は必要ですが、差が大きくなると高い側が一方的に合わせないと会話が成り立ちません。これはバケツに汲んだ水を、必死に小さなコップに移そうとするようなもの。かなりの負担です。まして、IQの高い人には相手の立場を想像できない傾向がありますので、単に相手を「バカ」と切り捨てる場面もあるでしょう。
互いに意識するほどの負担にならず、歩み寄りのできる限界が、だいたいIQ差20辺りにあるそうです。
IQ100の人の場合、82%の人たちと会話が成り立ちます。それに対してIQ140の人だと、9%未満の人としか会話が成り立ちません。よく天才の定義とされるIQ160だと、それがわずか0.3%になります。
現実問題として気の合う話し相手は、もっと狭い範囲の中からしか見付からないんじゃないかな。たとえIQの高い側が人格者で必死に周りに合わせようとしても、周りの人たちの方が「この人はちょっと……」と敬遠するでしょうし……。
それを考えると、IQの高さも善し悪しですね。
今手元にフラインググースのシリチャー・チリソースがあるんだけども
チリソースのこと甘く見てた
癖のある味付いてんだろとか偏見持ってた
スマン
他のメーカーのチリソースは知らんけど、シリチャー・チリソースは素直な味付けですごい使いやすい
酸味が欲しい時はケチャップ使った方がいいけど単純な味ならチリソースの方が美味い
チキンナゲットをチンしてホカホカの状態にチリソースかけて食うとマジ美味い
油との相性が最高
辛味も油と結びつくとマイルドになる
唐辛子にしかない旨味があるって言ってた人がいたけど、俺も信じる
例えば野菜炒めに隠し味で使ってもいい
チャーハンに使ってもいい
使いすぎたらそりゃ辛くてダメだけども、お好みの分量程度ならいい仕事してくれる
ガーリックが入ってるのでガーリックを入れたい料理、入ってもおかしくない料理はだいたいチリソースOKだ
これがマジ美味い
樋口恭介という人がSFマガジンの企画の話題で炎上していたのを見かけたことで元の日記を書こうと思い立った経緯があります
この方の小説も愛読しており、作品は好きだが炎上体質で「まただよ」という呆れなんだか嫌悪なんだかわからない感情を作者に対して抱いています
>反権力を漫画の中で表現する作者は現実でも学生運動やっててほしいとか思うタイプか
と言及され、自身がこのタイプかどうか考えました(自身の考えを整理するきっかけとなり感謝しています)
自分の中ではこれとはまた違うタイプなのではないかと思っています
いや、正確には少なくとも樋口恭介を嫌う理由の場合に限っては違うだろうというのが正確でしょう
言及を受け嫌っている理由を言語化しようと試みたところ以下のようになりました
「作品は面白いんだから作者自身が作品を貶めるような場外乱闘するのやめればいいのに。『作者のせいで』私の好きな作品が敬遠されるようになるのは悲しい」
『』で括った箇所が嫌う理由であり、言語化するとなかなか身勝手な感情でした
よって
>作品は好きだけど主張は嫌い
女は愛嬌が大事、見た目が大事、周りに気を遣えって育てられるから最低限の利他的な他人への奉仕心を持ってることが多いけど、男は泣くなとか努力しろとかで育てられるから他人の心情を思いやり他人を不快にさせずに関わるスキルが致命的に低い
対人マナーもそうだし、人としての気遣いや人間的な経験値が40代でも小学生並みだから喋るともっとやばい。
本当に小学生と喋ってるみたい。
多分一般男からも敬遠されてると思うんだけど、非モテ男同士のコミュニティでしか喋らないから誰も気づかない。婚活というより人間関係のスタートラインに全く立ててない人が山ほどいる
浄化本当にお疲れ様です。ありがとうございます。
あつ森でね。
別荘地にカフェ作れって言われて作ったんだけども
完成したらそれまで別荘地に招いた動物から店員を2人選ぶフェーズに入って
俺は、遊んだら面白そうな男や、見た目カッコいいアニキしか招いてなくて困ってしまったよ。
筋肉がどうこういうゴリラや、大学生男子みたいな犬がウェイトレスとか
いや、ないわ。
現実でも、スタバのバイト店員が男しか居なかったら、たぶん敬遠されると思う。
日頃からルッキズム批判やジェンダーレス主張を繰り広げるプロ増田たちは、あつ森やる時も、付き合う動物を見た目や性別で選ぶことなく遊ぶんだろうか。
俺は無理。てかみんな無理だろ。
男女平等社会実現したいマンは、是非ともあつ森をプレイして、己の思想をゲーム上に再現してみてくれ。いろいろ実感わくんじゃねぇのこれ
丁寧語くらいの敬語は距離感を保つためによく使っているが、尊敬語や謙譲語、婉曲表現なんか入ってくると、伝えたいメッセージ以外にも考えることが増える。
しっかりした敬語を身に着けていないし、身につけたところで必要とする場に顔を出すことも多くないので身につけようともしていない。
ただ、敬遠しているだけだ。
そんな中、外国の方と仕事上日本語でやり取りをすることがあった。
とても上手な日本語で話す人だが、敬語を使ったメッセージで意味を取りづらくなることがある。
「なぜ女性のイラストレーターが多いのか?」だけど、はっきり言ってしまうと、「男性は博打を打てないから」である。
これは、単純に、男性には社会から手堅い経済力もとめられているからである。
兼業でもいいし、家族を養うという選択肢を負わなくていいからである。
つまり、社会的にジェンダーロールの結果であるので、余りそんなに喜ばれることではない。
男性の場合だと、「絵を描く仕事」に進みたいというと、まあ大体止められる。
実家が太くないと許してもらえないだろう。
この傾向は変わっていない。
当たり外れの多い仕事を男女ともに敬遠するのは世の常であるが、「専門教育を学費を払って行く」あたりになると、まあまあ大反対に会う。
あたりになってくると、実家が太いか、もしくは、将来家族を養うという選択肢を捨てるかという事になってしまうのである。
これが幸いにも世間の俗物的な感覚と私の赴くままの、これも俗物的な、感覚が合致していればよかったのだけど、残念ながらそうではなかった。
世間から敬遠されるようなものではなかった事だけは幸いだったが、果たしてそれがお金になることは、ましてや生業になることは、天地が翻ってもありえない事だった。
それは好きなことではあるけれど、私のやりたいこととは少しだけずれたもの。
明日の宿に困らない生活をすれば、好きなことができるのだろうか?
人が人である以上、それが人の役に立ち、よろこびと変わることこそに価値を感じるようにつくられている。
ではなぜ神様、私の腕をこのような形にされたのでしょうか。己のための行為というのはたいへん虚しく、哀しいことです。
長い年月をかけて作り上げたものよりも、愛する人が、ただ笑って、手を繋いで、同じ飯を食べることに、幸せを感じてしまうのは、私が人である以上、抗いようのないことなのでしょうか。
彼が35歳にして選んだ次なる道は、東大生?
「受験は昨年の冬に済ませていました。今は休学中です。来年の春からは大学生として勉強頑張ります」
「六大学野球には出場するんですか?」
「可能ならばぜひ!」
東 京 六 大 学 野 球 に は 年 齢 制 限 が な い
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「翔谷の球を受けたい」
全国の進学校の野球部キャッチャーが受験をめちゃくちゃがんばって
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一番・ピッチャー翔谷
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早稲田「慶応のアホは正々堂々勝負するとか言ってたけど、俺たちはどんな手だって使うぜ」
一番・ピッチャー翔谷
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法政「結局点を取れなければ勝てないってこと」
東大の守備の弱さをついてセーフティーバントとエラーを誘う作戦に出る
一番・ピッチャー翔谷
「選手たちは全力を尽くした。敗因はあのキャッチャーを見くびったこの田岡」
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幼稚園から不登校で大学に行ったというエッセイマンガを読んでる
引きこもりがいるので何か参考になるかなと思ったが、役に立たなさそう
学校に行きたくなかった理由も明記されてない、著者が振り返っていないので、ただただこんな子供・こんな家庭もあるんだなという感想しか持てない
テーマとしては幼少期から不登校でもちゃんと社会に適応できるよ、という不登校の子供を持つ人への勇気づけのような感じだろうか
自分もコミュニケーションも集団生活も苦手だし、好んで学校や会社に行くたちではない
けれどだからって家にいて自分だけで社会に出る段取り付ける才能と力があったとは思えない
嫌々ながらも集団生活をこなすことで慣れて、うまく関わっていけるところもあったのではと思う
生きてくには人と関わらざるを得ないのに、幼児期・少年期にその機会を敬遠して、子供の自主性に任せて良いものだろうか、子供に任せて幸せになれるだろうか
この話ではたまたまの成功例でしかなく、このマンガを信じて子供に学校行かせない選択をしたら、大半の親が後悔するだろうと思う
親戚の引きこもりは学校に行くのを嫌がって、それが中2 その後高校も大学も職業訓練も支援施設にも行くのを拒み、30半ば
最初はいろいろ試した両親も、何をしても嫌がる子供に諦め、いつか気持ちも変わるかもしれないからと、無理強いはいけないと許容することで本人の気持ちが良い方に向かうことを望んだけど
結局こうなってしまった
作家さんの中には、サラリーマンとしての適性を欠くというか、社会性においてちょっと困った方が結構いらっしゃるようです。
でもそういう困った部分を避けていると何も出版できないわけで、基本的には作家さんがいて初めて成立する商売です。
弊社では作家さんの社会的に不充分な点を完全に補える強力な編集チームを編成しています。
遅刻魔、ブッチーはもちろんのこと、女狂い、アル中の作家さんも出版に漕ぎ着けます。薬物依存の方から原稿を提出していただいた経験もございます。リスク要因などという無礼かつ贅沢な単語は基本的に使いません。
作品は優れているのに大手出版社に敬遠されてしまう方、諦めないでください。優れた創作を続けて下さい。弊社があなたを見つけます。ご一緒にお仕事させてください。
今までずっとつっかけにはゴム製サンダルを採用してたんだけど、
先日舗装された坂道をサンダルで下ってたら勢いあまって母趾球下のゴムがギュッとなって、足の親指がその勢いのままガッと地面に当たった、って言って伝わるだろうか。
親指の皮がその爪の大きさくらいにズルッと剥けて血がドクドク流れて、もう痛いのと情けないのとで散々だった。
それ以来もうサンダル怖くなってクロックスにしたんだけど、これ超良いな。
安定感がすごい。
つっかけ履いて普通に走れるってスゴイわ。
もちろんズルムケ問題も無くなった。
そして長期運用すれば確信が持てると思うんだけど、クロックスって壊れる要素あんまりないよね。
ゴムサンダルだとまだまだいけそうなのに割れちゃったりするけど、これだと足裏に穴が開くまでいけそうだ。