「大衆化」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 大衆化とは

2015-04-13

ファッションとして消費されていくアニメ

アニメヲタク市民権を得て行った段階で、アニメはただのファッションツールとして消費されるものになってしまった。

話を理解するために必要コンテクストほとんどなく、ただただ画面を眺めてるだけでアイデンティティ確立したり、コミュニケーションツールとして利用されるだけのものになってしまった。

最早アニメというのは、ファッションとしてのコードの寄せ集めになってしまった。

大衆化は常にコンテクストを下げていく事にあって、そこに嘗てのヲタクが求めた倒錯的なハイコンテクスト存在しない。

2015-01-11

SNS大衆化すべきでなかった

猫も杓子もTwitterFacebookを使い出してしまった。これは果たして良かったことなのだろうか?もちろんTwitter社、Facebook社にとっては良かったことであろう。しかし私達一般インターネット住民にとってはどうだろう?かつてユーザ層が住み分けがされていたインターネットに、容赦なくマス層が乗り込んできた。彼らは印象だけで断定的なことを言うため非常にタチが悪いし頭の悪さもにじみ出ている。いわゆるクソリプ問題である

元の世界に帰りたいよ・・・

2015-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20150109090401

これからApple製品は高級品で、WindowsAndroidユニクロみたいに大衆化していくのかな?

もともとそうだろ。

Windows タブレット

Windowsタブレットが安い。2万とかでOfficeもついてくる。

今までの値段はなんだったんだ?もうこれで良いんじゃね?的な感じはある。

これからApple製品は高級品で、WindowsAndroidユニクロみたいに大衆化していくのかな?

もしかしてWindowsタブレット向けアプリは今がチャンス?

2014-11-15

高齢化による文化福祉

映画「シャーロックホームズ」で左上に表示されるテロップに苦情殺到 #ntv #シャーロックホームズ - NAVER まとめ

↑の件について思う所がるので書きます

個人的には、こんなテロップが出る映画放送は嫌なので観ません。

でも、高齢化が進む中で、広く開かれたメディアが、知的能力が減退したお年寄りにも観てもらえるように作られるのは、不可避だと思います。これは反知性主義とはちょっと違う。いわば「福祉化」です。

行間を読むことや解釈をすることといった「知的な楽しみ」がなければ文化は成立しません。が、その一方で、知的能力によって文化から排除されてしまう人が存在することや、ましてそういった層が増えていってしまうことは好ましいとは言えないでしょう。

かつて大宅壮一テレビの登場で「一億総白痴化」なんて言って、これは典型的ニューメディア悪玉論ですが、今後「一千万認知症時代」がやってくるのは、間違いありません。大きなメディアは、より分かりやすくせざるを得ないでしう。

かつてインテリ貴族けが独占していた「文化」なるものは、社会の変化とともに大衆化し、これから先は高齢化福祉化していくのでしょう。私たちが望むと望まざるとに拘わらず、川は流れます

もちろん、高齢化で、社会構成員全部の知的能力が減退するわけではなく、若者や、元気なお年寄りだってこの先もいっぱいいるはず。

大事なのは選択肢存在多様性が確保されているということです。

ただ「選択」ということを考えると、無料で広く流れるメディアはやはり福祉化して、能力的な問題選択肢制限されがちな「録画もデータ放送もよく分からない認知症気味の独り暮らし」に向けた工夫をするのは妥当かもしれません。

地上波のようなメディアが、映画を(著作権者が許可する限りにおいて)分かりやす編集放送する一方、BSDVDオリジナルのものを「選べる」なら、まあいいんじゃないかと私は思います

それに「『ちゃんとした作品』を楽しむためにはお金必要」というのは決して間違いとは思えません。

また、この多様性の中で、作り手(著作権者)が「この作品は、分からない人には分からなくていい」として、福祉化を拒否するのも、もちろんあり。それはそれで作り手の「選択」ですね。

懸念があるとすれば、地上波のような無料メディアがお年寄り基準福祉化していく一方で、経済的にひっ迫している若者が有料のメディアからも疎外される傾向が出てきてしまうことかな、と。ただこれは、メディアじゃなくて政治問題でしょう。

日本では憲法でも最低限度の「文化的な」生活保障されているわけで、老若男女問わず、適切に文化に触れことができる状況を用意する責任が国にはあると思うんですけどねー。

2014-11-01

SNS大衆化

バイラルメディア問題になっていますが、そういうのは全部SNS大衆化してしまったことに原因がある。

Twitterは5, 6年ほど前は一部のリテラシーの高い人たちが利用しており、面白い考えや情報というのを集めやすかった。しか最近はそこらのアホなギャルも、頭の難いジジイTwitterをやっている時代。本当に頭が悪い人が増えたことでクソリプ問題などが顕在化してしまった。

facebookも誰でもやるようになり、バイラルメディア記事のようなリテラシーの低さを露呈するものを平気でシェアする頭の悪いというか、センスが無いというか、要するに何も考えていない人達が多くなってしまった。その結果バイラルメディア流行してしまい、インターネットはつまらなくなった。

どれもこれも大衆化が原因だ。愚衆。選挙もそうだよねぇ。やっぱ民は頭悪い

2014-09-25

マーチ卒が日本人の上位10%らしいけど、はてな民の平均学歴は?

結局いまだにはてな民の平均学歴がわからない。そりゃ、東大京大一橋慶応くらいなら答えてくれるんだけど、ほかのひとは全然おしえてくれない。やっぱりマーチ卒が上位10%くらいなんだろうか。でもネットやってるのって高学歴層が多いイメージあるし、そのなかではてなというとさら高学歴層多いイメージあるし、はてなだとマーチレベルで下位30%くらいなのかな。それともすでにはてな民もガールズ戦略のおかげで大衆化、平均化されていて、マーチ卒以上は10%しかいないんだろうか。みなさんどう思いますか。

2014-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20140922173108

エンゼルパイには原型があって、

スモアズっていうお菓子

アメリカではキャンプするときに、

グラハムクラッカー板チョコの間に、火で炙ったマシュマロをはさんで食べる。

それがスモアズ。

一方チョコパイは似ているけど、異なもの

生クリームっぽいもの菓子として商品化したのは、1970年グリコクリームコロン記憶では一番古いもの

エンゼルパイも2個で100円とプレミアムであったし、コロンも同様に量が少ないというプレミアム感あふれるお菓子

それを一気に大衆化したのがチョコパイでしょう?

食べている人が多いのは当然かと思うのです。

でも自分の周囲ではエンゼルパイ派が多いかな。

植物油脂と、ゼラチンだったらどっち食う?っていう選択肢後者を選ぶ人が多いからかね。良くわからない。

2014-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20140916083147

大雑把な言い方になるので間違いがあれば指摘していただければ有難いのですが、恋愛はもともとは宮廷遊戯として始まったと聞きます

それが大衆化したのが二百年ほど前。しかもその概念日本でも知られるようになったのは明治時代。百年ほどしか経っていません。

とりあえずこれは間違い

私は恋をしたことがありません

私は異性・同性を問わず誰かを愛したことがありません。恋に落ちて有頂天になるということがどんなことなのか分からないのです。


私は来年で四十歳を迎えるのですが、恋人というものが居た試しはありません。

そして、それについては孤独感よりもむしろ解放感を抱いているところがあります

独りぼっちで何がいけないんだろう、私がそれで満足しているのならいいんじゃないか、と。

両親にこの話をしても通じないので、「なかなかこれといった女性出会えない」と言ってかわしています


世間では恋愛というものを美しいものとして語ります。人と人とが恋し合うことが当たり前のことのように喧伝されます

それは私のような人間にとって酷く苦痛です。まるで恋愛をしていない人間人間ではないと言わんばかりの風潮を感じます

そんな風潮から逃れたい、そっとしておいて欲しい人間も居るということを忘れないで欲しいのです。


そもそもこの「恋愛理解出来ない」という感情子供の頃からあったように思います中学校修学旅行

お決まりの「誰が好き?」という話になったのですが、私は適当名前を挙げて誤魔化しました。

人は必ず恋愛しなくてはならないんだ、という思い込みはその当時は根強く残っていたので

名前を挙げたその女の子のことを好きになろうと努めました。しかし、結局片思い(?)のままで終わってしまいました。


以来、私の意識の中から「恋をしなくてはならない」という無言のプレッシャーを感じるようになりました。

他人を愛することが出来ない自分人間として欠陥品なのではないかと思ったこともあります

もっとはっきり言えば、人間としてどこかが壊れているということです。


それが、「別に恋愛なんてしなくても生きていけるんだ」と思うようになったのはつい最近のことです。

大雑把な言い方になるので間違いがあれば指摘していただければ有難いのですが、恋愛はもともとは宮廷遊戯として始まったと聞きます

それが大衆化したのが二百年ほど前。しかもその概念日本でも知られるようになったのは明治時代。百年ほどしか経っていません。

これを知ってから別に恋愛」という概念自明のものではないのだな、と思うようになりました。それは一種の救済でした。


これは非モテとかそういうのとは別の問題です。恋愛をするチャンスを虎視眈々と狙っているのが非モテだと思うのですが

私はそういうもの特に狙っていないのです。ひとりで居るということに解放感を感じているというのは前に書きました。


長くなってしまいました。以上、朝からハイボールかっ食らってる男の独り言でした。

2014-07-27

統合リゾート(カジノ)は、妻子同伴で行動する欧米上流文化大前提

日本人イマイチ統合リゾート」が理解されないのは、例えばビジネスマン研究者などが海外出張する際に、

「妻や子供出張に同行する文化が全くない」からだと思う。

欧米では、例えば研究者他国の国際会議に参加する時などは、パートナー(妻、同棲相手。場合によっては同性)を連れて行く。

で、連れて来たパートナーは、会議後のレセプションパーティーに参加したりする。その為に連れて行く。

しかし、会議のものは、研究者しか参加出来ないし、パートナー会議の間は「ヒマ」。

からパートナーのヒマ潰しアイテムとして、アミューズメント施設、つまりカジノ必要になってくる

イギリス競馬場などは紳士淑女の社交場で、パートナー必須

一方日本競馬場は、オッサン一人。夫婦とかカップルほとんどいない。

日本人カジノと聞くと「日本のすさんだ競馬場」をイメージするが、世界的には「社交場」。

そもそもイメージ面でボタンの掛け違いが生じている。

東京外人向けの広いホテルが少ない」と言われる。

日本人感覚だと「出張とかで、そんなに広いホテル不要でしょ?」と感じる。

一方、欧米エグゼクティブは、出張にもパートナーを同行させる。

パートナーアメリカの自宅並みのスペースがある客室で、自宅同様のゆったりした「生活」を東京でも要求

ここでもイメージ面でボタンの掛け違い。

から統合リゾートカジノだけ作るのは片手落ちで、

「奥様向けのスパエステ」とか、「託児施設」なんかも必須な訳だが、そういう解説記事は見かけないなあ。

要は「ダボス会議みたいのを、ジャンジャン東京に誘致しましょう」な話で、カジノはその為の手法に過ぎない。

でも多くの日本人は、「ダボス会議って、何?」「ダボス会議を誘致する意味あるの?」レベル

から、その手段であるカジノも、短絡的に反対されてしまう。

からカジノ賛成派は「ダボス会議とは何ぞや」とか「欧米エグゼクティブ出張は、妻子同伴が当たり前」と言うレベルから

まずは説明をスタートさせなければならない

でも「ダボス会議とは何ぞや」とか「欧米エグゼクティブ出張は、妻子同伴が当たり前」と言うレベルから説明始めたら、

説明時間がいくらあっても足らない。説明を聞く側が我慢出来ない。

からカジノ賛成派」は世論工作に失敗する。

あと、変な話だが、日本では「エグゼクティブ高額所得者ほどギャンブル嫌い、ギャンブルをしなくなって」る。

そんなことじゃ、ギャンブル慣れした世界エグゼクティブと会話が合わせられるのか、心配

例えば日本グローバルエリートは、

英語は喋ることは出来ても、ポーカーとかブリッジが出来るんですか?」と言う話。

「向こうのグローバルエリートと一緒にポーカーブリッジが出来なきゃ、グローバルエリートコミュニティに入れないでしょ?」という話

から東大教養過程の授業に「ポーカー」とか「ブリッジ」を設けるべき。

バブル期社畜、もといエリートサラリーマンが、接待ゴルフ社会人人生をかけ、自腹でゴルフ練習場に通ったのと一緒。

グローバルエリートは自腹で「ブリッジ練習場」に通うようになるかも。

多分、日本欧米では競馬ルーツが違うんだろう。

ヨーロッパでは、貴族自分の馬を自慢する場が競馬場。だから上流階級の社交場になった。

一方、日本競馬場は、戦前軍馬育成目的戦後は国・自治体財政目的。そもそもが上流階級と無縁でスタートした。

コミュニティは、一旦「金持ちコミュニティ」になってしまうと、貧乏人は気後れして寄り付かなくなる。

欧米競馬場がこれに該当。

一方、一旦「貧乏人のコミュニティ、もとい、溜まり場」になってしまうと、

金持ちが気持ち悪がって寄り付かなくなる。日本競馬場がこれに該当

から日本カジノも「出だし」が重要

「出だし」で金持ちが沢山来るようになれば、自然と金持ち最適化された雰囲気になり、ますます金持ちが寄りつく。

「出だし」で貧乏人が沢山来てしまったら、貧乏最適化されてしまい、軌道修正は極めて困難になる

から統合リゾートカジノを「成功」させるには、「カジノ金持ちの社交場」と言うブランディングが肝心。

上品宣伝必要であり、間違ってもスポーツ新聞なんかに宣伝を載せてはいけない

日本版カジノ金持ち向けにブランディングさせたいなら、

金持ち志向」「専業主婦志向」「見栄っ張り志向」「お受験志向」が明白な「雑誌プレジデント」に企画記事載せればいい。

「お子さんにポーカーブリッジを教えないと、将来グローバルエリートコミュニティに参加出来ません」な記事。

まあ、「金融資産1億円以上じゃないと来場不可」「年収1000万円以上じゃないと来場不可」みたいな仕切りにすれば、

カジノ自然と金持ちサロンになるわな。

但し、メンバーセレクションしちゃって、売上高を達成できるか?

から、「小さく作って、大きく育てる」ことがカジノには必要

最初は来客数千人でも採算が合うレベル建物規模に止め、来客が急増したら追加建築する、と言うやり方が正解。

最初から大きな建物作ってしまい、客が来ないから、と大衆化させてしまったら失敗する。

2014-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20140722130703

中学生かな?

2004年にはもうすでにずいぶんと大衆化されてましたよ?

その次の大衆化、という意味ではスマホブームのここ3.4年ですから

2008年から、とかでも良かったのにね。

そうでないならせめて98世代にしてくれないと。

2014-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20140721181521

もちろんオタクだよ!

というか、数年の間に分類にかかわらずオタクというもの大衆化しすぎたか

ここいらで再びオタクキモイ犯罪者予備軍みたいな風潮に戻さないと

小説や実写の邦画と同じ轍を踏んで創作関係が全滅しかねない

2014-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20140701105108

文化レベルの比べ合いをするなら、大衆文学ラノベ以下だよ

大衆文学を好む奴(大衆文学ターゲットにしている層)というのは、基本的大学教授社会からはみ出した年寄りが儲けるための社会システムである活字教に迎合して、文学の何がいいかすらわからないまま他の文化を僻みでバカにするような可哀想な子供

大衆にも迎合してそのまま年食った、文化的には救いようのないバカから

内容がお察しになるのは当然

自己啓発書と同じような役割だな

一言で言えば、バカのうち社会の見えない言葉に逆らえないタイプの人が読むもの

当然そっちが儲かるからメインになるし、書き手にもそういう奴がいるから、ちゃんとした文学が隅っこにいっているわけだ


一方でラノベというのは、その活字教が支配する小・中学校の中で、生徒に現代的な芸術を楽しませるための隙間みたいなものなんだよ

現代芸術のうちゲームシナリオファンタジー漫画90年代のホビーブームに基づく世界を、いかに活字媒体表現するかというのがラノベの本懐であり基本(ラノベで育った奴や大衆文学層のうちオタク大衆化したゆえそれっぽい空気に興味示す奴もターゲットになったから今はそうじゃないのが多いけど)

からジュブナイルとも違うわけで、ラノベ文学の枠にハメたまま評価するってのもちょっと

2014-04-10

今朝のホッテントリがSTAP関連が多すぎて見るものないんだけど?

こんなんにおまえら興味あんの?

はてぶ終わってた、完全に終わってたわ。

知らない間に洗脳されてたわ。

はてぶの大衆化と共に俺も大衆の仲間入りってか。

違うだろ。

もっとギークコミュニティだったのに。

おまえらどこいったんだよ。

お互い年をとったな。

2014-04-09

最近はてな

7年ぐらいはてなのほってんとりを見ているけど、いい加減うんざりしてきた。

大衆化してきたというのは薄々感じてきたけど、たくさんのユーザーが流れ込んできた結果なのか。

それとも、年齢ともにコミュニティになじまなくなってきたのか。

自分ニーズウォンツを満たしてくれない。

それでも、ブックマークを他のサービスと連動して登録するようにして、同じ関心を持つ人がいないかなってやっているけど、だいたいが、自分がはじめてブックマークしている。だから自分と似たユーザーを見つける楽しみもはてなブックマークでは難しい。Deliciousとか使っても同じ状況だから、仕方ないのか。

2014-03-19

メディアの業

http://www.huffingtonpost.jp/yoshifumi-nakajima/obokata-hanyu-samuragochi_b_4988816.html

自分はしがない下っ端広告サラリーマンだが、この記事は解りやすかった。

メディアにとっては、どんなに崇高な理想も思いも、クリックされなきゃ、

読まれなきゃ、売れなきゃ意味が無いのだ。

もちろん炎上マーケなどではなく、ポジティブ情報が伝達していけばイイ。

でも、羽生結弦選手の話じゃないが、(羽生選手の感動的なストーリーは素敵とかいう)情報

ポジティブだとしても、それは相手を見た話ではない。

あくまでも受けての偽善や義憤が満たされるかどうかという話。

なので、メディアはより受けてに刺激的で、チープな感情を動かすもの

必然的に動いていく。それを抗うメディアは発信者に相当に実力がなければ淘汰される。

悪いもの、質の悪いもの、単純に刺激的なものは残りやすく作りやすいのに、

良いものは本当に残りにくく、広まりにくい。

さらに今では情報の配信者大衆化・一般化したために、ますますチープな情報にあふれている。

解りやすい怒りや解りやすい感動以外は情報が伝達しないため、

本当に考えなければならない問題や、追求しなければならないことは何一つ広まらない。

今まで下らないことを広めるために四苦八苦したノウハウ

今こそ広告屋は本当に大事なこと伝えるために使ったらいいと思う。

大衆が生み出す、求める駄目な情報を上書きする策を寝るべきだ。

2014-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20140207100706

それだけ大衆化が進みつつあるってことで、

しろ喜ばしいことではないか?

2013-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20131031090716

「昔のはてなは俺達みたいな意識の高い人間しかいなかったのに大衆化してしまったな」

典型的老害ですな。

しかもこの場合勘違いも甚だしい。。。()()()

2013-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20131004042653

その仮想的のモヒカンDQNはどうかっていうと車っていうITより遥かに巨大な暗黒大陸搾取されてるんだけどな。

UbuntuだのMintだのSteamだののゆとり向けLinux大衆化デフレ脱却や!!

2013-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20130628015513

テレビ局の話はよく分からないけれども、いじめとかに興味のある人ってどう見ても友達になんかなりたくない子にすごい時間と気力を使って構い続けてるよね。

ネットでもあるんだけどね、そういう現場をたまに目にする。

いじめられっこがネットの森の奥深くに逃げれば逃げるほど、すごい勢いで追っかけていくのな、いじめっこって。

まるで自分いじめられっこに見捨てられるのが怖いかのように。

からいじめられっこってますます逃げようとするんだよね。

何かに似てると思ったら、ネット世界アングラってのがどのようにして一般化するのかって話題を思い出した。

マニア集って空間作る→誰か世俗に近い人が入ってくる→その人のあと追っかけて世俗女子供が大量流入する→大衆化完了

なんだか、オタクのお兄ちゃんを追っかける俗っぽい(美人な)お姉ちゃんたちを想像しちゃったよ。

2013-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20130528145424

そいつ誹謗中傷してる層の問題ですかね。

年代だけじゃなくネット大衆化とか

まとめサイトの極論を鵜呑みにしたことによる民度の低下とか

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