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例のコロンブスのやつ。
こんな思い出話をすると年がバレるってやつだが。
コロンブスの評価がかつての“新大陸を発見した冒険家”から大きく変わっているという話は、コロンブスのアメリカ到達から500周年、つまり1992年の頃には、わりとメディアでもそれなりに論じられていたように記憶する。
で、この年、リドリー・スコットが満を持して監督した大作『1492 コロンブス』が公開されているのである。
リドリー・スコットといえば、あの『ブレード・ランナー』や『エイリアン』をはじめ『グラディエーター』や『ハンニバル』などヒット作も多い大監督だ。
松田優作の遺作となった『ブラック・レイン』なんて作品もあるし、個人的には『ブラックホーク・ダウン』なんかも忘れがたい映画だ。
だが、『1492 コロンブス』という作品を覚えている人はあまりおるまい。
“長いうえに、つまんなかった”という記憶だけは、ハッキリしてるのだが。
断片的な記憶を無理やり掘り起こしてみると、たしか、コロンブスはかなり山師みたいにも見える男で、ようやくスペイン女王から援助を得て航海に出てついにアメリカに到達!というところまでは早々に話がすすんで、その後の植民地建設とかのゴタゴタとそれに翻弄されるコロンブスの苦悩とか没落とかが描かれてた…と思う。
多分。
ネットにもあんまり情報ないのだが、断片的にでてくるのはこんな感じである。
これはさっき検索して再認識したことだが、スペイン女王役は、あの『エイリアン』のシガニー・ウィーバーだった。
邦題は『1492 コロンブス』となっているが、原題が『1492: Conquest of Paradise 』ってあたりにも、まあ創り手の意図はうかがえる。
何故かよく覚えているのは、スペインにタバコを持ち帰ったコロンブスが宴会みたいな席で、“新大陸にはこんな嗜好品があるんだせ!”なんて吹かしてみせ、周りの女性にも吸わせるのだが、当然ながら始めてタバコ吸った人は盛大にむせてしまう、というシーン…なのだが、もしかしたらこれも記憶違いかもしれない。
もし配信あったら見直してみようかな?と思ったが、主だった配信サービスどこもやってないようだ。
実はこの年、この映画に先駆けて『ブレードランナー ディレクターズカット版』が公開されていた。
なんとなく“ブレードランナーはスゴイ!”と聞いていた自分は、初めて映画館で観て、大層な衝撃を受けたのである。
当時、映画館は“入れ替え制”と銘打っていても、毎回全員を一旦退席させるだけで今のシネコンのように座席指定制ではなかったのをいいことに、上映後一旦トイレにこもって、次の回に入ってくる客に紛れ込んでもう一回見てしまったくらいだ。
で、そんな映画をつくった監督が、アメリカ大陸到達500周年を記念して放つ超大作!というから期待したのである。
もしあの映画がアカデミー賞◯部門制覇!とかなってたら、もうちっとコロンブスに関する世間の知識もあの時点でアップデートされて、中学から音楽ばっかやってたバンド野郎でも“偉人として単純に取り上げちゃヤバイ奴”って知ってたんじゃないのかな?と思うのだ。
リドリー・スコットじゃなくてスピルバーグあたりがもっと分かりやすくコロンブスの負の側面を入れ込んで作ってヒットさせてたら良かったのかもしれない。
ま、あの人も案外コケた作品ないわけじゃないから、題材自体が難しいのかもしれないが。
あえてネトフリあたり、この題材、もう一度挑戦してみたらどうだろうか?
【追記】
ブコメ見て思ったのだが、コロンブス個人はそんな悪人には描かれてなかったかもと思い始めた。
ただ、コロンブスがアメリカ行ったのを発端に南米がぐちゃぐちゃになったという話にはなってたような。原題も“楽園の征服”だし。
ま、おぼろげな記憶であれこれ言っても詮無い話なんだが。
そもそもマジョリティに属する偉人は、現代のマイノリティによる、マジョリティへの印象操作によって無条件に貶められがち。よって、残念ながら男の偉人は男というだけで現代評価マイナス。
その一方で、女の偉人はアツい。そもそも非力なので暴力沙汰にはならないし、女性権利活動の旗本になれる。この際、功績のデカさはもはや関係なく、女性で初めて何かをしただけで神輿になりうる。もはや歴史なんて関係なくて、シンボルになればそれでいいようだ。
そんな現状なので、男で評価が下げられようがない人物って、神話上の人物だけなんじゃないか。現代はどいつもこいつも口がでかいので、神輿を担いでる人間がマイノリティバリア使えないと、偉人の功績も守れん。嫌な世の中だ。
ぶっちゃけコロンブスがそんな批判されるような奴だなんて知らんかったわ。気になったからChatGPTに聞いた。
評価が変わった偉人や英雄の例を以下に挙げ、それぞれの以前の評価、現在の評価、そして評価が変わった原因を説明します。
クリストファー・コロンブス (Christopher Columbus)
- 以前の評価: アメリカ大陸の「発見者」として賞賛され、探検家や冒険家の象徴。
- 現在の評価: 植民地化と先住民に対する残虐行為の象徴として批判されることが多い。
- 評価が変わった原因: 植民地時代の負の歴史(先住民の虐殺、奴隷化、搾取)に対する認識の変化と、それに基づく再評価。
トーマス・ジェファーソン (Thomas Jefferson)
- 以前の評価: アメリカ独立宣言の起草者、第3代大統領として民主主義の象徴。
- 現在の評価: 奴隷所有者としての側面や、個人的な矛盾が強調されるようになった。
- 評価が変わった原因: 人種問題や奴隷制度に対する現代の感覚が変わり、歴史的人物の持つ複雑な側面が再評価された。
ウィンストン・チャーチル (Winston Churchill)
- 以前の評価: 第二次世界大戦におけるイギリスの英雄、ナチス・ドイツに対する勝利に貢献した指導者。
- 現在の評価: イギリス帝国主義の象徴として、植民地政策や人種差別的発言が批判されることが増えた。
- 評価が変わった原因: 帝国主義の批判と、チャーチルの発言や政策の再検証による評価の見直し。
マハトマ・ガンディー (Mahatma Gandhi)
- 以前の評価: インド独立運動の父、非暴力主義の象徴。
- 現在の評価: その思想や行動に対する複雑な視点が増え、一部の人々からは人種差別的な発言や行動が批判される。
- 評価が変わった原因: ガンディーの南アフリカ滞在時の発言や、女性やカースト制度に対する態度が再評価されたため。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (Martin Luther King Jr.)
- 以前の評価: アメリカの公民権運動の象徴、非暴力抵抗の指導者。
- 現在の評価: 公民権運動の功績は評価され続けているが、個人としての問題や欠点もより注目されるようになった。
- 評価が変わった原因: 公開されたFBIの調査資料や、個人のスキャンダルに関する報道。
ナポレオン・ボナパルト (Napoleon Bonaparte)
日本人だとどんな例があるんや?
もちろん、日本人の例もあります。以下に、評価が変わった日本人の偉人や英雄の例を挙げます。
豊臣秀吉 (Toyotomi Hideyoshi)
- 以前の評価: 戦国時代の英雄、農民から天下人に成り上がった出世の象徴として評価された。
- 現在の評価: 朝鮮出兵や高圧的な統治政策、晩年の暴政などが強調されるようになった。
- 評価が変わった原因: 近代の歴史研究の進展や、戦国時代における倫理観の変化。
織田信長 (Oda Nobunaga)
- 以前の評価: 戦国時代の革命児、革新的な統治者、天下統一の基盤を築いた英雄。
- 現在の評価: 過激な政策や宗教弾圧、暴力的な手法が批判されることが増えた。
- 評価が変わった原因: 史料の再評価や、信長の行動の道徳的側面への注目の高まり。
昭和天皇 (Emperor Hirohito)
- 以前の評価: 戦後日本の復興と経済成長を象徴する象徴天皇、戦時中の役割は曖昧にされた。
- 現在の評価: 第二次世界大戦における戦争責任やその役割に関する議論が増えた。
- 評価が変わった原因: 戦後の歴史研究の進展や、公文書の公開、戦争責任に関する社会的な議論の深化。
徳川家康 (Tokugawa Ieyasu)
- 以前の評価: 江戸幕府を開いた名君、平和と安定をもたらした統治者。
- 現在の評価: 統治初期の抑圧的な政策や、反対勢力への冷酷な対応が強調されるようになった。
- 評価が変わった原因: 歴史研究の深化と、彼の政治手法に対する現代の視点からの再評価。
福沢諭吉 (Fukuzawa Yukichi)
- 以前の評価: 明治時代の啓蒙思想家、「学問のすすめ」の著者、日本の近代化に貢献した教育者。
- 現在の評価: その思想の一部が欧米中心主義や差別的であるとして批判されることがある。
- 評価が変わった原因: 近代化に伴う欧米化の影響や、その思想の背景にある差別意識の再評価。
山本五十六 (Isoroku Yamamoto)
好きなんだけど、こういうのも「ジンギスカンは虐殺者!賛美許さん!」ってなっちゃうのかな?
紙幣に描かれる偉人が、聖徳太子や伊藤博文みたいな政治家から、夏目漱石や樋口一葉みたいなど文化人になっていったみたいに、わかるっちゃわかるけど、つまんない時代になったなぁって気がする。
ってなったりしない?
「コロンブス」を題材にしている点でもうアウト。
コロンブスは偉人っていうのはもう昔の感性。しゃかりきコロンブスは批判しないでミセスは批判するのかよ!と吠えてるミセスファンもいたが、しゃかりきコロンブスの時代は日本だけじゃなく世界的にもコロンブスは偉人だった。でもそこから見直されて「いややってきた『えらい』ところより悪い意味で『やばい』ことの方が多い」「そもそも昔『えらい』って言っていたことも『やばい』ことだった」ってなって、偉人よりに扱うことはしなくなった。
なので、『コロンブスの卵から云々』という発想の時点でダサいし大分古い感性の持ち主なんですね、と思った。
コカ・コーラは見切ってひどい!知ってたくせに!
コカ・コーラ側は曲については知ってたと思うよ。でもMVという完全ミセス側の作品については知らなかったと思うよ。MVにコカ・コーラのマークとかついてたらごめんね。
で、「コカ・コーラ側が引き上げてミセスかわいそう」っていう人に聞きたいけど……。例えば日本企業の広告に外国のアイドル使って、そのアイドルが「知らずに」広島とか長崎に見える「500万年前の」土地に爆弾放って猿が逃げ回ってるの見て楽しんで、そこにアイドルたちが乗り込んで猿に教育!家も改築!してるMV流したとするじゃん。ハ?原爆投下は正しかったって?いや知らなかったんですよ!土地が広島とかに見える?500万年前の土地って言ってるじゃないですか。猿は人じゃないです。って表明したらどう思う?って話だよね。
そのアイドル使いたい?やめてって思わん?
オタクの同人誌とか文集とかと違うんだよねメジャーアーティストのCMタイアップ曲って。CMタイアップ曲じゃなくてもアウトだけど、よりによって「大企業と契約してる曲」なのがやばいよね。
まだ自分のライブでこういう表現したとかなら「ミセスの自由だろ!」って言えたけどさ、これもう最初から「この広告で使います」っていう契約があって作られた曲でしょ?で爽やか〜な歌でさ、でMVはこれです!っていう出力がやばいよ。「曲とMVは無関係です」なんて言い訳が通用するわけないじゃん。
最後に「もっくんは何も知らない!差別っていってない!差別っていう人が差別してる!」っていう人へ。
差別って「やってる人」が「自分が差別してます」っていうわけじゃないし、一番エグいのは「無意識で行われる差別」なんですよね。こいつを下に見ていいんだって無邪気に思ってるのが一番やべえんだわ。
海外でアジア人に対する侮辱のジェスチャーで「目を指で引き上げてつり目にする」っていうのがあるけど、子供なら無知で通用するけど、大人だと無理。何も知らずにクールだと思ってまねしちゃいましたっていうのはありえない。本当にそれなら自分の推しは子供と同じってこと。
「何も知らないで無邪気に差別的表現やっちゃったんです!」が通用するのって未就学児くらいだよ。
あと今回は「無知」で押し通したいみたいだけど、大分厳しいよ。そもそも「コロンブス」だし、内容もそれで選んでるんでしょ?本人も「燃えるかもしれないと思ったから工夫しました」って釈明してるじゃん。何かしら燃える要素は「ある」って認識してたんでしょ?
あのPVがマズイというのは分かるけど
「そういう意図は全くなかった」
って言ってるのに
自分の意見ありきでPVを隅から隅まで調べ上げて証拠としてでっち上げてる
そういう風に見ればそういう風に見えるっていうだけ
もし仮にそういう意図があったとして、金かけてPVを作って全世界に公開してコカコーラとタイアップとかあり得ないでしょ
どういう考えしたら「確信犯だ」ってなるんだよ
って聞いたら9割ぐらいは偉人って答えるような教育がされてきているわけで
そういう環境の中で育ってきてああいうPV作るのって別に全然あり得るわけで
ただ周りの人間が「これはマズイんじゃない?」ってしっかり言えるべきだったと思う
まぁアーティストの行動を制限するってのはあんまりやらないからしょうがないと思うけどな
とにかくこれはマズイPVだったけど削除されて謝罪もしたので話題としては終了、でいいんじゃないの
逆にそれで終わらせない人は何をしたいのか分からん
https://mrsgreenapple.com/news/detail/20374
もともと X (旧Twitter) で「(大森さんの対応や)(公式の)謝罪を読めば差別してないことはわかる」という論調の投稿を複数見かけて気になったのがきっかけで読んだのだが、これ全然ダメでは?
「決して差別的な内容にしたい、悲惨な歴史を肯定するものにしたいという意図はありませんでした」
これはわかる。表現の目的が差別や差別の肯定ではなかったというのはたぶんそうなのだろう。
だが人の心には "アンコンシャス・バイアス" というものが存在する。
表層的な心理では差別していなかったとしても、無自覚に差別をしていて、それが表出したのが問題のMVなんだとと思う。
偉人に扮したメンバーが類人猿に楽器を教えるシーンは、『コロンブス』というタイトルからも「コロンブス=アメリカ大陸に来た西洋人が、現地の未開人= native american を文化的に教え導いている」と解釈されても仕方ないと思う。
前述の公式声明では、この "楽器を教えるシーン" に関する説明が見当たらない。
・類人猿
・楽しげなMV
この期に及んでも、この楽器を教えるシーンに代表される無意識の差別に気付いていないのだとしたら、大森氏含め Mrs. GREEN APPLE サイドのアンコンシャス・バイアスは相当根深いのではないだろうか。
X (旧Twitter) では,コカ・コーラ社が本件を承けて同曲を用いた全ての広告の放映を停止し「コカ・コーラ社はいかなる差別も容認しておりません」と述べたことに対して、「本人たちが差別ではないと言っているのに、コカ・コーラ社が『いかなる差別も容認しない』と言うと、差別があったようになってしまう」という論調でコカ・コーラ社を非難する論調の投稿も複数見られたが、上述のアンコンシャス・バイアスを考慮すると、"(無意識の) 差別はあった" とするのが妥当だと思うし、その前提でコカ・コーラ社が「差別を容認しない」とするのは、個人的にはごく真っ当なことだと思う。
#それはそれとして、同社が「ミュージックビデオの内容に関しましては、事前に把握をしておりません」というのは、リスク管理が酷いなとは思うが。
意外だったのは、今回の件をアンコンシャス・バイアスと結びつけて評するポストが(この増田を書いている時点では)見当たらなかったこと。
これを書いたのもそれが動機の一つではある。