はてなキーワード: ダブルバインドとは
これ最近よく聞くんだよなー。
伸びる部下は「素直」、注意するとすぐふてくされる部下は絶対出世しない、みたいな話。
自分の部下がすぐふてくされると思ってるやつは、自分がこういうのにあてはまってないか確認してみろよ。
1.怒る相手を間違っている。
そもそもその部下の責任じゃない。まあ責任の所在がどこにあるかをいちいち確認するのは上司の仕事じゃないのかもしれないけど、何も聞かずにその部下の責任と決めつけてとりあえず怒る。
自分が出した指示に従っただけ。でも覚えていない。または故意に忘れた振りをしている。
ダブルバインドってやつ。「自分で考えて行動しろよ」「勝手な行動をするな」みたいな
4.特定の部下だけを繰り返し怒る。
「今忙しいから後にしてくれ」とか「それぐらい自分で考えろ」とか
6.怒られた部下が1-5について説明しようとすると、「言い訳をするな」といって遮る
7.査定の際には1-3のミスをすべて部下のせいとしてしっかり反映させる
8.1-7を繰り返す
これでふてくされない部下がいるのかと逆に聞きたいよ。
それとも「俺が部下だった頃はそうしたことを乗り越えてきた」とか言うのかな。
じゃああんたたちが考える「素直な部下」っていうのはこういうこと?
・上司の指示が間違っていたとしても、それを指摘することなどは決してしない
・上司の言うことがコロコロ変わったてしても、臨機応変に合わせて行動する
・自分だけが怒られても腹を立てない。むしろ自分から進んで他の同僚に「上司はこう言う風に考えてるからこうしよう」と呼びかける
・自分のミスでないことの責任で査定が低くなってしまったとしても、これは自分の普段からの行動が至らなかったからなのだと反省する
こんなかんじなのかな。
それって単にあんた達に都合のいい部下じゃん。
どうなの、上司。
263
最近わかったこと:「お前の意見を言え」→「~~」→「お前の意見なんて聞いてねえよ」→「??」→「お前の意見をさっさと言えよ」→「~~」→「お前の意見を聞いてないって何度いえば分かるんだ」→「……」→「お前の意見をさっさと言えと言ってるのが分からねえのか!」ってパターンを食らうと脳がバグってブチ切れてしまう。
結局の所は単純なダブルバインドに過ぎないのだが、こういうシンプルな精神攻撃に意外と弱いらしい。
コミュニケーションという行為に対して元々高い負荷を感じている自分にとっては、こんなどうでもいいようなダブルバインド方式のコミュニケーションエラーがある種のバッファオーバーフロー攻撃のようなものになってしまい脳が完全にバグる。
対処法としては、相手がこのような「無礼なコミュニケーション」を行ってきていると気づいた段階で真摯に対応するモードから適当に応対するモードに切り替える、ないしは上っ面だけ真面目に聞いてる風に見せかけて実際は単に「うんうんそうだね」「言えたじゃねえか」と女子会のような中身空っぽトークで乗り切るという回路を脳に形成していくのが有効だろう。
コミュニケーションにおけるバッファオーバーフロー攻撃を狙って実行しているパターンの典型例が宗教における洗脳行為である。
相手の精神に対して高い負荷をかけて一度パニックを起こさせてから、精神に生まれたスキに新たな価値観を入れていく、いわゆるイニシエーションと呼ばれる洗脳の初期段階である。
なるほど、改めて考えてみるとその原理は高負荷をかけることで管理者権限を乗っ取ろうとするタイプのハッキング行為そのものではないか。
逆を言えば、このようなコミュニケーションを無自覚に行ってくる人間は、自分に都合よく状況をすすめるために目の前の人間を洗脳しながら今日まで生きてきたということだ。
それが自覚的にせよ無自覚にせよ、錯覚を起こさせる段階を通り越し相手を洗脳して自分に都合がいいコミュニケーション結果を生み出すことを生存戦略としてきた人間など『まともに相手にしてはいけない』のは間違いない。
「ミスするな!」「ちゃんとやれ!」と日ごろから言ってたりしないんだろうか。
新人君がミスをすることを極端に恐れる理由を取り除くのが先でしょ。
その辺を掘り下げて対応することもなく、単に怒鳴りつけるのは単なるパワハラ。
単に調べるのが足りないだけなら、調べ方を教えないといつまでたってもその人が聞いて増田が答えるの繰り返しでしょう。
失敗をすることを極端に恐れる性格の新人なら、「何かあったら俺が責任をとるから伸び伸びやろう」と言うべきだよ。
あと、失敗をしないというのは個人の注意力とか努力でするものではなくて、仕組みでするものだね。
失敗をしても、どうやったら失敗をしない仕組みを作れるかを考えるべきだね。
知識よりも、口数、自信を持ち堂々としていること
みんなそう思ってるとは限らない 相手の考えを自分の都合の良いように解釈してしまうもの。
どんな人にも穴はある
ここは俺の方が勝ってるなと思う
とにかくゆっくり話す
怒りの内容を要約して返す
小さな部分を認めて切り返す
どうしてそう思うの? なぜそう考えるの?と質問して話を聞いてますよと相手にアピールする
どんな? どこで? どのように?どうして?
考える時間を与える。
相手の言い方に焦点を当てる
言い分はわかった、でもそんな強い言い方しなくても。
例えば急に敬語になったなら、攻撃性を紳士的な装いをする事で抑えている。
人の考えは驚くほど大雑把
例としてたまたま簡単な事を知らなかったとするそしたらあぁ この程度の事も知らないんだってことは何もかもしらない馬鹿な奴だと勝手に相手のイメージを作り上げ価値下げしてしまう。
知らないってのは恐ろしく劣等感を抱く
それに対抗する時は、教えてと良い
しつこいほど賞賛する。
そして条件を変えて質問を繰り返す
じゃあこれは?この時は? こうなったら?
自分で調べろと言われたら
何で調べればいい? どこで調べればいい?
怒りと笑顔 悲しみと喜び セットで
書いてくれてありがとう。見ず知らずの人間ですが、応援してます!!!
被虐待児として、精神科医が書いた被虐待児のその後の本など今まで読んだものを思い出して思ったことですが、増田さんが書いた "自己評価が低いのは自分がだめな人間だからだという思い" というのは、虐待を受けたことと関係があって、今後なくなる可能性もあるものなんではと思いました。
ある時、自分の乖離的な(投げやりとも言う)人生が、幼少期の出来事に関係があって、向き合わないと解決しないと思うようになり、カウンセラーさん探しのためにいろんな窓口に問い合わせて沢山人と話すことを短期集中的にやっていたら、ふとなくなっていました。
何が言いたいのか… えっと、「自分がだめな人間だから」なんて、思わなくていいんじゃないかな、増田さんがダメなわけじゃないんじゃないかな(0歳から同じ環境に別の人を突っ込んでも同じ精神状態になる人沢山いそうじゃないですか)、私はそうは思わないかなあ、ということを言いたくて書いてみました。
うちの場合は、礼儀やマナーなど躾があったわけでなく、ただ親の感情の暴発だったので、そもそも増田さんの家と結構違う感じですが。(増田さんほど、家族を好きという気持ちと、暴力が嫌だったという気持ちの、ダブルバインドは強くないかもしれません。)
なんとなく愚痴を書かせてくれ。
私にも原因があるということもわかっている上で書く。
その時に決断・判断をする人、しない人が分かれることに気づいた。
仕事で立場が上位の人がするのは手を動かすことではないのは理解しているので、
手を動かして欲しい訳ではない。
判断や決断や精神力をものすごく削られる行為だ。それは一重に判断できることではない。
選択肢に不満があるのならそう言って欲しいのだが、
そういう訳でもなくなぜか決定しない感じ。
高校生が会議しているんだけど一向に進んでなくてだんだん締め切りだけが近づいてくんだ。
その分早めに判断をしてもらっているつもりだ。
元増田です。
ただ、当時オタクに対して「色々とあって言えないだけで、本当は現実の女性と恋愛やセックスや結婚をしたいのでしょう。私にできることなら手伝いますよ。」などと善意で言った結果、プライベートな会話であれネットやマスメディアでの議論の中でであれ、「非オタの価値観を押しつけるな」「余計なお世話」「かわいそう扱いするな、蔑視だ」などと猛反発されたケースが少なからずあったのです。
切り抜きやスクショや録音録画をとってはいなかったので、私がこう記憶しているというだけの弱い根拠で語って申し訳ありません。違う記憶を持たれている方は当然いらっしゃり、そちらの方が正しいのかもしれません。
かような反発もまた当時のオタクへの強い抑圧故なのでしょうが、文字通りに素直に受け止めたことを責めるのは、後出しでダブルバインドではないでしょうか。
「滅びればよい」が冷淡なしばき主義であることは確かで、同じ口で弱者救済を謳うなというご意見には全く同意します。
もう一点、すでにブコメで指摘してくださっている方がいらっしゃいますが、上野は表現規制については一貫して反対の旗幟を鮮明にしてきたようです。ですから、「規制派フェミニストをいさめないから悪い」はさすがに不当と考えます。そもそも、上野は有名人ではありますが、フェミニズム内から批判も多く、フェミニストのドンみたいな存在ではないのではないでしょうか。
追記:
ある程度の数読まれて、いろいろと気が付かれた方も多くいらっしゃったようなのでさっさと種明かしをしようと思う。結論からいえばソーカルやユニバーサルメルカトル図法という語がもっとも的確にこの記事を表現している。
「ある本から引用した」というのがまず第一の欺瞞である。引用ではなくぼくの創作である。また「ちゃんと読める?俺は読めるけど。」は煽っただけの惹句である。
必然的に、引用と銘打ったその後の文章はすべてがでっち上げたものである。この「引用文」はシンタックスは問題ないながらも言葉の意味をデタラメに並べ書き連ねて意味ありげにしたものである。ただしいくつか罠を張ってある。最初の煽りも罠の一つであり大いに楽しんでもらえたように思う。
「引用文」のはじめに出てくる「敬虔のない状態」というのはデタラメで意味不明である。「敬虔」という言葉は神学・キリスト教史観などの語を後に出現させて煙に巻くための布石であって、ここではそれ以上の意味はない。「構造化」も「構造主義」「認識論」につながって哲学の要素を暗示するための適当な言葉である。だいたい「○○化・○○的」と言えば立派に聞こえるものだ。
「最新医療技術によっても問題提起されたこの貢献」は文の構造からみるに「神経医学における漸進的な貢献」と等価であるが、これに関して特にエビデンスはなくデタラメであるし「漸進的な貢献が最新医療技術によって問題提起される」とはナンセンスであろう。「如実に現している現状〜は自明だろう」は「そんなことも知らないの?」と煽るために付加したもので、もちろんこちらもエビデンスはなく適当である。
「エリファット=フォン=ハッシュヴァルツ」なる人物は架空の存在でありでっちあげたものだ。19世紀後半にスウェーデンから移民というのもよくある話を適当に追加しただけである。フォンやヴァルツなどの音はそれっぽいので採用した。音がそれっぽく聞こえること以上の意味はない。「あまり知られていない」「詐欺師と言われていた」と弁解しているのはググっても出てこない理由をそれらしくするための装飾である。察しの通り、Kalmia Theoryも架空の理論である。Kalmiaはツツジ科の花でスウェーデンの植物学者カルムが命名したものである。つまり構造主義とは何ら関係がない。また「構造主義の前置き」とあるが正しくは「構造主義の前提条件」などとするべきである。また、構造主義は20世紀に登場した実在の概念である。
「誤解を恐れずに言ってしまえば」というのは、Kalmia Theoryまでの大きな嘘を覆い隠すため、ろくに調べなくてもいいように逃げ道を作ってあげたものである。続く文は「神経医学においてもキリスト教史観での認識論を改めて多角的に世界を認識しなければいけないというものだ」というわかりやすそうで意味不明な文である。「キリスト教史観での認識論を改める」とはめちゃくちゃであり「欧米人が考える哲学的な何か」くらいのざっくりした暴論の衒学的表現である。「神経医学においても」とつけたのは更にデタラメさを助長したかったためである。
「経頭蓋磁気刺激法というものは磁気増幅器を使用するために神経パルス信号」は、似ている言葉を並べただけで何も関連性はない。こちらはひとつひとつの専門用語が実際に存在しているために「そういうものがあってそういうことがある」ぐらいの気持ちで読み流されるのを狙ったものである。直後の「しかしこれが危険であるか否かというのは一般的に明瞭ではない」によってなんとなく納得するように仕向けているが、結局デタラメである。そのデタラメさは、ひとつひとつの語の意味を知ろうとすれば見抜くことができる。
「ミクロ的事象」の意味はない。流れで「評価」というワードを思いついたのでなんとなく経済用語でもぶちこんでおくかくらいの気持ちで追加したものである。
最後に「問.」とあるのは最後の煽りであって、意味などないし「引用文」の中に答えがあるはずもない。心理学で言うダブルバインドに近いとぼくは勝手に考えている。
また、この文章はぼくが適当に独自に創作したものであるから英文から和訳したものではない。内容が欧米っぽいことは否めないが。