はてなキーワード: サンデージャポンとは
ワイドショー・情報番組を好んで観ているがいれば、何を期待しているのか聞いてみたい。
この数年でテレビが統一教会献金問題、ジャニーズの性加害問題という重大問題をほぼ全く報道してこなかったことで、テレビが報道機関として死んだことが明らかになった。テレビが報道機関として終わっていることは、民主党政権と安倍政権の政治報道の姿勢の露骨な豹変ぶりで既に明らかだった。現在でも松本人志の性加害疑惑を、テレビはほぼほぼ報道していない。
NHKニュースのように淡々としていればまだいいのだけど、民放の番組で「スクープ」とか「独自」とか見出しをつけられると、「嘘つけ」という感想しか湧かない。とくに「サンデージャポン」「ワイドナショー」「TVタックル」など、この期に及んでも「忖度なしにあらゆるニュースを扱い、コメンテーターが切り込んでます!」という体裁を今でも崩していない番組は、もはや観ているだけで恥ずかしくなってしまう。
「幾重もの忖度の網をかいくぐって、かろうじて残ったニュースだけで構成されている番組」を、どうして平然と観ていられるんだろうか。観ている人は何を期待しているのだろうか。
かわぎしLydia †🏳️🌈
@Lydia_kawagishi
7時間
いかにもな「論点のすり替え」に2万以上もいいねが付いてて、#暇アノン や #ネトウヨ と呼ばれる人たちのレベルの低さにがっかり。この唐沢という人物はおそらく、訴えられるのを覚悟の上でColabo批判を繰り返し、人々を煽動している。信じやすい人たちをオモチャにしているんだ。酷すぎるよ。
@karasawananboku
Colabo代表・仁藤さん弁護団「今後、『いいね』を押したり投稿を拡散させた人への訴訟検討」
……テロ等準備法案のとき、左翼は「書き込みへのいいねも規制・監視されるようになる」と騒いでいたが、それ、自分たちがそっくりやってるじゃねえか。 https://sn-jp.com/archives/108219 @sharenewsjapan1か
https://twitter.com/Lydia_kawagishi/status/1612210827750420480
かわぎしLydia †🏳️🌈
@Lydia_kawagishi
「これ、意外と知られてないんですけど、小池都知事になってから、毎年ガラケーの使用率が下がってるんですよ」
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@siroiwannko1
杉村太蔵氏
都民ファースト支持なのかな……
かわぎしLydia †🏳️🌈
@Lydia_kawagishi
某神学校に通っているクリスチャン2世。夫と息子の3人暮らし。キリスト教のことをもっと知りたくてtwitter始めました。名前の由来は使徒言行録の16章のリディア。
…とよく言われるけどさ、それも状況によりけりなんだよな
分かりやすい例を見つけたんで、とりあえずこれ開いてみて欲しい
https://mamastar.jp/search2.do?q=%83%8F%83N%83%60%83%93
https://mamastar.jp/search2.do?q=%8E%A9%96%AF%93%7D
まあこういうのを見てるとさ、頭のおかしい(≒知的障碍者)ごく少数が何かに「目覚めて」しまって大量にトピックを作りまくってるのが分かると思う
なんとなくだけど、ヤマトQとかれいわ新選組とか参政党とかにのめりこんでるような奴らに見える
はてなも程度の差こそあれ↑これらと似たようなもんだと思うよ
あのさ、
次のサンデージャポンで「喝!」って言う人が
「喝!」って言わせたいんだけど、
その「喝!」の人は彼は彼でシン監督いいんじゃない?って絶賛しそうで、
関口宏さんが「喝!」の人の「喝!」を欲しがる画がもう今から見えちゃうわ。
ヤキウなんて一切全く興味ない私ですら、
なんかシン新庄新監督がシン後方伸身宙返りの4回ひねりを決めてしまいそうな勢いで
わ!なんか凄く面白いことになりそう!って思って止まないわけ無いのよ。
ヤキウを知らない人でもサンデージャポン見ちゃいそうだもん。
それはともかく、
私も電動化したいんだけど、
一度電動化してしまったら、
二度と生身の人間に戻れないので、
そんな電動化までして自転車速くなりたいとは思わないからいいんだけど、
休みの日とかさー
自転車あったら、
わざわざ車出すまでも無く、
さっと自転車で行けるんだけどなぁーって
もちろんそこまでして私は電動化することは拒むんだけど
これじゃー全くの改造人間よね。
と言うか
ここ最近稀に見る本当に偶然に心から上手いこと言えた感じがして、
今日はもう閉店したいところなんだけど、
そうはいかないわよ。
でもさー
自転車は欲しいんだな。
人力では無理でそれこそ電動化されたら持ってこれるかも知れないけど、
いまの時点では人力で実家から私の黄色くてカワイイ自転車を持ってくることが出来ないのよねー。
だから中古のボロボロのでもいいから電気が点いて前かごが付いて銭湯セットが入れられるだけのスペースがあったらいいなって
酒屋さん仕様のボディー剛性が最高に強まったあの手の自転車までは必要ないけど、
そんな私専用の本当に文字通り足がわりになる自転車が欲しいのよね。
でさ、
車で行けばいいじゃん!って言われがちだけど
駐車場なかったり
あんまり彫金距離を車で行くのもエスディージーズに反して今ならグレタちゃんにそんな距離を車で乗って行くの?って怒られそうよ。
そりゃー
ヨットみたいに乗っていける水路があったら私だってヨットとまでとはいかずボートぐらいは漕いだことないけど漕げるはずだから、
でもなかなか日本の奥まった都市や街や村には水路が無いのよね。
って今思ったんだけどアンドワネッツさんって
アーノルドシュワルツェネッガーさんのワルツェネッガーってところに似てない?
すごく似てると思うわー。
そういったことひっくるめて、
やっぱりお手軽な足がわりの自転車があったらなぁーって
最近10分も歩くのも億劫になったらいけないけど億劫なのよね。
人間楽な方に流れて行くサガなのよ。
そこの根底からある怠け癖からたたき直さなくちゃいけないのかしらね?
あーあ自転車欲しいなー。
うふふ。
ハムタマゴサンドよ!って威張って言うほどでもないけど威張って言ってるわけでもないけど。
美味しいものは美味しいに尽きるわ。
今日はそれを使って作る
ほんの少しだけでいいのよね、
何事もほどほとが良いのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
爆笑問題太田がサンデージャポンでほぼ同じ事を言ってたらしいが視聴者の誤解や反発があったらしい
この問題に関しては数十年分の複雑な文脈があって滅茶苦茶議論し辛いんだよね
ちょっとでも擁護と受け取れるような発言をしたら共犯として牙を向けられる状態だから芸能人らは迂闊に批難以外の発言が出来ない
雑誌の内容が盛られていようがいまいが「小山田がオリパラで大々的に仕事するのは不適切なのか」という最優先議題の結論に影響がないのも辛いところ
オリンピック組織委員会が極めて杜撰な仕事をして本番数日前にキャストを公開する愚行をしなければもう少し建設的な議論も出来ただろうしねぇ
ラジオ及び本日放送のサンデージャポンでの週刊新潮による太田光裏口騒動で思ったこと。
1次で受けた映画学科は落ちていることや35年前の出来事なら依頼した方の年齢や
その方が面に出てこないことなど気になる点はいくつかあります。
知る人ぞ知る裏口入学ネットワーク”に依頼をすると記事にはありますが、
その方の発言を信じるならA大学やB大学など複数で裏口入学を斡旋しており
その中の一人に太田光がいた。という記事のほうがインパクトがあります。
しかし太田一人をピンポイントに標的にする点がなんだかなと思うところです。
私自身爆笑問題のファンで肩入れしている部分もありますが、一つ言えることは
『やっぱり太田は嫌われてるなぁ~w』
ここでコメンテーターが的外れでアホな意見を言ってるのを見て、本当にイライラした。
この少年は本名も住所も割れてて、動画を配信しても確実にお金がもらえるとは限らない中、
自分が一方的に無様な醜態をさらす可能性もある中、無謀にも生配信する姿には感動すら覚える。
いっぽうこのコメンテーターどもは確実にお金がもらえて、マズい事を言ったら編集してもらえる中、
よく調べもしないで、たいした危険もないおもちゃのヘリコプターを危険だ危険だと騒ぎ立て、
さも少年が何か重大な犯罪でも犯したかのような論調で一方的に断じていた。
(なにわのエリカ様はちょっと違ってて、彼女は自分をメディアに売り込みたいのか、とにかく空気を読まず中身の薄い無害な意見をしゃべりまくるだけで、微笑ましかった)
有楽町で強制連行された件などは、飛ばせないドローンを持って撮影していただけなのに、それはちゃんと報道しない。
マスゴミはネットの生配信が自分たちの脅威になることを敏感に察知して、つぶしたくてしょうがない。
このクソどもがタッグを組んで、貴重な才能をつぶしている。
すこし話はズレるが、よく橋本市長がテレビで「お気楽なコメンテーターが無責任にぺらぺら何か言ってる」というような事を言っていたが、
この意味が本当によくわかった。
当事者でも専門家でもない事情をよく知らないアホなコメンテーターの意見など、害こそあれ、何も参考にはならないんだなーという事がよくわかった。
自分のブログに書いても誰もたどり着かないので、ここにも書く。
その日のことは今も鮮明に覚えている。
その日は朝から「ちょっとおかしなこと」が立て続けに起こった。まず、3月上旬とはとても思えない暖かさだった。湿気があったので、生ぬるかったと言うほうが正確かもしれない。その生ぬるい気候を伝えようと、サンデージャポンが「靖国神社で桜が開花したこと」をトップでとりあげた。サンデージャポンのような(良い意味で)ふざけた番組が真面目なノリで桜の開花を伝えるなんて、それもなかなか奇妙に思えた。
それから、ジョギングおじさんがジョギングをしなかった。毎週日曜日の11時に僕のマンションの前をジョギングするおじさんがいて、そのおじさんがジョギングを休んだのを僕はそれまで見たことがなかった。僕はそのおじさんを「ジョギングおじさん」と呼んでいた。そのジョギングおじさんを見ると、僕はとてもほのぼのとした気持ちになれた。日曜の朝は、当時の僕にとって1週間で最ものんびりした時間だった。ジョギングおじさんは、その日曜日の朝の象徴だった。
しかし、その日はジョギングおじさんは来なかった。表へ出て、ジョギングおじさんを見ながらタバコに火をつけるのが当時の習慣になっていたんだけれど、その日は待てど暮らせどおじさんがこなかった。これは本当に驚きだった。このことを何人かの友人に話しても、僕の驚きの1%も驚いてもらえなくて、そのうち友人に話すのはやめてしまった。でもとにかく僕は驚いた。おじさん無しで火をつけたタバコを吸いながら、なんか調子が狂うな、と考えていた。
その後も、遅い朝食を食べようといつもの定食屋に行ったのに臨時休業だったり、花粉の季節なのに間違えて洗濯物を外に干してしまったり、なんだかいつまでたっても落ち着かない変な日だった。
そして、その日の夜、僕は彼女と19年ぶりの再会をした。
彼女はいちおう幼なじみで、僕の実家から200メートルくらい離れたところに住んでいた。なぜ「いちおう」かと言うと、それまで僕と彼女はほとんど口を聞いたことがなかったのだ。なにかの具合で僕と彼女の家のあいだに学区の境目があって、違う小学校に通っていた。親同士の仲が良いということも特になかった。そんなわけで、通りでたまたますれ違っても、ろくに挨拶もしなかった。大人になれば、「軽い会釈」という便利なものを覚えるが、当時の僕らはそんな便利なものは知らなくて、何も言わず、視線も交わさずにすれ違った。
そして、気づいたら彼女の家の表札は違う名字になっていて、僕は彼女が引っ越したんだと知った。
今さっき書いたばかりで申し訳ないが、その日、つまりはジョギングおじさんが来なかった日に19年ぶりの再会をしたというのは、ちょっと正確ではない。実は、その日からさかのぼること2週間前、僕は彼女が「サンマルク・カフェ」で働いているのをたまたま目にし、思わず声をかけたのだ。レジでお客さんの対応をしているときには全く気づかなかったのだが、ホールに出て、テーブルを黙々とふく顔を見てすぐに彼女だとわかった。
驚くべきことに彼女も僕を覚えていてくれた。僕が、「すいません」「あのー」「○○さんですよね」「以前、近所に住んでいた・・・」などと喋っているときには不思議そうに首をかしげていたのだが、僕が名刺を取り出そうとして黙った瞬間、「あ!」と素っ頓狂な声を上げて、名刺を出すまでもなく僕の名前を呼んでくれた。そしてお互いが笑顔で通り一遍の挨拶をし、改めて僕は会社のメールアドレスが書かれた名刺を渡した。
正確にはそれが19年ぶりの再会だったというわけだ。まあ、特に意味もないことを数分間話しただけだけど。
サンマルク・カフェの帰り道、当時と違って通り一遍の挨拶ができるようになったということと、当時から1ミリも変わっていない彼女の姿形を交互に考えたり思い浮かべたりして、「なんだかなあ」という気持ちになった。そう。彼女は1ミリも変わっていなかったのだ。信じてもらえないと思うが、僕にはそう感じられたのだ。
3日後に彼女からメールがきた。とても礼儀正しい、感じの良いメールだった。何度かメールをやりとりしたあと自由が丘でイタリア料理を食べる約束をした。
僕は10分早く自由が丘駅に着いて、交番の前にある喫煙所でタバコを吸いながら彼女を待った。もう6時過ぎで、徐々に薄暗くなってきていた。まわりの人たちは過ぎ行く日曜日を慈しむようにとても穏やかに会話していた。でも、彼らはよその星の住人のように、どこかよそよそしく見えた。小学校のときに通っていた教会で牧師さんに見せてもらった天国の絵(それはそれは平和な絵だった)と、メトロポリタン美術館で見たダリの絵を足して2で割ったような不思議な光景だった。
彼女は5分後にやってきた。着いたらメールか電話をしてくるだろうなと思って携帯を握りしめていたが、彼女はスタスタと歩いて僕のところまでやってきて、「お待たせしました」と軽く会釈をした。僕も「いえいえ」と言って、会釈を返した。
お店に直行するには少し早い時間だったので、僕と彼女は少し遠回りをして店に向かった。最初少しぎこちなかった会話も、ABCマートを右に曲がるころにはそのぎこちない感じはどこかに行ってしまっていた。予約していたお店に入り、通された席に座ることにはむしろとてもくつろいでいた。彼女とはとても話しが合ったのだ。僕と彼女は性格も、それまでの人生も全然共通点が無かったが、彼女の話すことはとても面白くかんじたし、僕の話すことも彼女はとても面白がってくれた。
でも、朝からの奇妙な感覚は依然として続いていた。そして、彼女との会話がはずめばはずむほど、奇妙な感覚はより強くなった。なぜだ?僕は彼女と話しながら一瞬考えてみた。でも、よくわからなかったし、彼女と話すことはとても楽しいことだったので、難しいことを考えるのはやめた。
(2)に続く
【作者より】
すいません、力尽きました。続きを書いたら、この記事にリンクを貼ります。。。このくらいだと長さもちょうどよいかなと。。。(言い訳)
分割して投稿するの、良くないですかね?あんまり長いのを投稿するより、分割したほうがいいかなと。
まずいときは叱ってください。もうしません。