はてなキーワード: アスタリスクとは
※ブログ作ったんでそっちに再投稿しましたhttp://ztokumei.hatenablog.com/entry/2015/08/26/064800
アイドルマスターシンデレラガールズ19話ひどい話だったね…
だりーなが、本当にやりたいロックを諦めて、アスタリスクで妥協してみくに束縛されちゃったね。
19話のあらすじをざっくり言うと
なつきちに出会い、様々な曲を聞いたり、本を読むことで初めて本格的なロックを知った。
そして「なにやってるんだろう私」という台詞に象徴されるように
自分がやっているアスタリスクと、本格的なロックとのギャップに悩むようになる。
そしてさらに、本格的なロックの体現者なつきちのように、かっこいいロックをやりたいという目標を見出すが
同時にアスタリスクで、かっこいいロックがやれるのかと悩むようになる。
こうした事情の中で、みくの心情の吐露を聞いて、突然の「アスタリスクが私にとってのロック」宣言。
唐突に感じた人も多いのではないだろうか、この宣言をどう受け止めるべきなのだろうか
アスタリスクで、かっこいいロックがやれるのかと悩んでいたことはどうなったのか
だりーなはこれらの悩みを解決していない。
依然としてだりーなは、アスタリスクは本格的なロックではない、アスタリスクでかっこいいロックがやれるとは思っていない。
そして思い出して欲しいのが、だりーなのロックの定義は「自分がロックだと思ったらそれがロック」というものだ。
つまり、アスタリスクは本格的なロックではない、かっこいいロックもやれない、しかし自分がロックだと思うロックという位置づけだ。
それはすなわち「アスタリスクが私にとってのロック」という宣言は
本格的なロックを諦めて、かっこいいロックも諦めて、自分にとってのロック、アスタリスクで妥協したという宣言でもあるということだ。
なぜだりーなは、そうまでしてアスタリスクを選んだのか
だりーなが「アスタリスクが私にとってのロック」宣言の他に述べた、だりーながアスタリスクを続ける理由は
この二点だ。
それはすなわち、だりーなが本当にやりたい、かっこいいロックをやるためにアスタリスクをやめることになれば
自分で決めたことを自分でやめることになる、みくを泣かすことになる。それがだりーなには出来ないのだ。
だりーながアスタリスクを続けるのはこうした消極的な理由からだ。
自分で決めたことを自分でやめることが許せないのは、だりーな自身の問題だ。これに関してはだりーな自身が解決するしかない。
パートナーであるみくは、だりーなのためにアスタリスクをやって良かったと思ってもらうためにがんばっている
それがパートナーの役目だと考えている。
だがそのパートナーの役目の中に、本当にやりたいことをパートナーが見つけたら、それを後押しするという考えはない。
そもそもみくがアスタリスクをやる目的は、可愛いネコキャラで可愛い歌を歌いたいというものだった。
それが、いつの間にか、アスタリスクをだりーなと一緒にやることが目的になっている
そしてみくは、だりーながアスタリスクのことでで思い悩むことでさえ涙を流す。
みくは、だりーなを支えるために、がんばっているいい子だという評価もあるが
実際はパートナーが本当にやりたいことを見つけても後押しせず
みくががんばって、だりーなを支えているのではない
だりーながみくを泣かさないために、みくを支えているのだ。本当にやりたいことを諦めてまで。
デレマスアニメ19話は、だりなつクラスタから不興を買っているという話もあるが当然だろう。
だりーなが自分が本当にやりたい、かっこいいロックすなわち、なつきちと一緒にやることを諦めて
みくを泣かさないためにアスタリスクを優先したということだからだ。
そして、誰も幸せにはなれない。
だりーなはアスタリスクを続ける限り、自分が本当にやりたい、かっこいいロックが出来ない。自分がなにをやっているんだろうと悩み続けることは確かだ。
みくもだりーなが、本当にやりたいロックをやれないことは分かっているが、それでもだりーなと一緒にアスタリスクを続けたいと願い努力する。そしてだりーなが悩む姿に涙するだろう。
過去、同じようなことを言われていたらごめんなさい。
初めてなんです♪、って言えば優しくしてもらえるかもしれない、みたいな打算的な期待もしています。
巷でよく、「ソープへ行け」みたいな言説があるじゃないですか。
ぶっちゃけ、あんなの嘘っぱちですよね。
ちょっとくらい体験させてもらったくらいでは、何にも変わりやしませんよ。
ただただ絶望が増すだけです。
たしかに女の人の体は柔らかいし、細いし、ぬめぬめしてるし、気持ちいいというのは間違いないかもしれません。
指先でそっと撫でられると少しひんやりしてくすぐったいし、自分からは見えないので背中を撫でられたのだか舐めてもらったのかわかんないけど不意にびくっと反応しちゃったりして恥ずかしくなったりもします。
けど、自分の右手に馴染みすぎて黒ずんで皮が伸びきったような鈍感息子にとっては、なんというか、そこまで特別な刺激ではなかったような気がします。
くぱぁと開いた神秘の洞窟に侵入させてもらっても、これで俺も晴れて大人の男だ、みたいな感慨もなく、あー、うん、こんな感じなのかー、みたいな、なんかふわふわしたような、現実味の無さ。
跨がってもらって、汗だくになりながらも腰を上下にスクワットしてくれて、胸のあたりのふにふにした物体が2つ別々に弾んでいるのをぼんやり眺めていると、あー、俺、なんでこんなことしてるんだろー、とか思索に耽りそうになります。
振動方程式だか波動方程式だかって何だったかしら、とか、知りもしないことを思い出そうとしてみます。
なかなか至らなくてしびれをきらされたのか、攻守を交替してもらって、くびれた腰をおっかなびっくり掴んで、やや反り気味のしなやかな背中と浮き出た肩甲骨と首からうなじ、後頭部の曲線、汗ばんで乱れて揺れる髪の毛を見ながらも、
少しばかり俯瞰というか、自分の後頭部の更に斜め後ろくらいにカメラレンズを設置したような、幽体離脱して自分の背中越しに眺めているような感覚に陥って、なんだかものすごく滑稽な格好をしているように思えて笑ってしまいそうになったりします。
アスタリスクを見て、猫でロックな解散芸を思い出してしまい、あまりにも場違いな妄想でかき消したくなります。ΦωΦ
相手方も、あん♪あん♪、と嬌声を上げてはくれたりするわけです。
だというのに。
にもかかわらず。
あー、これって、演技してくれているのかなー、みたいな。
なんだか気を遣ってもらっちゃったのかなー、みたいな。
エロマンガで見るような、クソデブキモオヤジみたいなのが突然奇跡の力に目覚めて、女の人をアヘェとか、おほぉぉぉとか、させてあげるようなことなんてできるわけがないんです。
制限時間が迫っても一向に機能を発揮しようとすらしない、ローションにまみれてテカテカした皮余りの愚息を、どうにか作動させようとばかりに、ひんやりした小さな手でさすさすと擦ってくれるわけです。
最後には、向こうが悪いわけでもないのに、ごめんね、ごめんね、と謝られたりしてしまって、更に居たたまれなくなるわけです。
金銭を無駄にした、みたいな後悔ではないはずだと、自分では思います。
それに見合う労働はしてもらいましたし、自分にとっても貴重な経験にはなった、と思いたいです。
ただ、「まだ俺は本気出してないだけ」だったはずなのに、もしかしたら本気を出したところで何もできないのではないかという無力感に苛まれているだけです。
きっと何者にもなれないのです。
卵の殻を破らねばひな鳥は生まれずに死んでゆくかもしれませんが、卵の殻を破ることができても死んでしまうひな鳥もいるのです。
不甲斐ない。
つらい。
虚しい。
こんなつらい気持ちになるなら、いっそ、知らずにいればよかった。
知りたくなんてなかった。
彼女にとってみればお仕事だったのかもしれませんけれども、あんなに汗だくになってまでしてくれたのは、決してなおざりなものではなかったはずですし、それはきっと彼女自身の優しさだったのだろうと思います。
だからこそ、それに応えられなかった自分が情けなくて、不甲斐なくて、悲しい。
至らず、ほんと申し訳ありませんでした。
結局、こじらせた中年男がソープへ行ったところで、何も変わりません。
無力で何もない自分を思い知るだけです。
エロマンガやエロビデオから仕入れた虚構にまみれた嘘だらけの知識だけ持っていたって、何の役にも立ちません。
敢えて若い人へアドバイスするなら、こじらせる前に済ませておきなさい、とは言えるかもしれません。
こじらせてしまってはもう、手遅れです。
将来、といっても老い先は短くなりつつありますが、万が一にでも伴侶となってくださる人がいたとしても、その相手にまでこんな負担を掛けてしまうことになってしまったら、その伴侶となってくださるかもしれない方に対しても申し訳ありません。
肥大した自意識の化け物に飲み込まれてしまって、どうにもなりません。
ソープへ行っても、何も解決しないどころか、余計にこじらせてしまったような気すらします。
それでも、
それでも、俺は、
俺は、本物が欲しい。
努力とかしたくないけど、本物だけ欲しい。
痩せる気もないし、育毛する気もないけど、本物を手に入れたい。
楽して、ありのままで、ワガママで欲張りで自分勝手な自分のままで、クソデブハゲチビキモオヤジのままで、美味しいところだけ吸い上げて生きていきたい。
消え去りたい。
透明になりたい。
ワタシはスキをあきらめない。
※追記(2015-5-31)
たくさんのトラバ、ブコメありがとうございます。返信の作法がよくわからなくて右往左往してましたけど、追記という形に致します。
まず、ひとつ釈明すると、この時は同僚に連れて行ってもらいまして、自分の意志で行ったわけではありませんでした。恥の上塗りではありますが、ますます受け身でしかない自分に気が滅入ります。事前の心構えができていなかったので、オナ禁してからならばまた違うのでしょうか。次の機会があるとしたら、留意します。
恥ずかしながら、北方謙三先生のことを存じませんで、ネットで流布している慣用句か何かだと思っていたのですが、元の発言者がいらっしゃるのですね。著書等を読めばもう少しその言葉の真意を理解できるのでしょうか。
皆様のアドバイスが身に沁みます。とくに、ちょっと今は見当たりませんでしたけれども「気づいたんだ、僕からキスをすればよかったんだ」というコメントにハッとしました。みるん王子。俺はユリ熊嵐の何を見ていたんでしょうかね。恥ずかしい。ゲスゲス。
とはいえ、クソデブハゲチビキモオヤジなんかがいきなりキスでもしようものなら暴力沙汰で訴訟になりかねないので自制しますけれども。
「感じなかった」とか「たいしたことない」という感覚であったのは確かなのですが、別に気持ちよくなかったわけではありません。他人と密着するなんて体験はこれまでほとんどしてきませんでしたから、なんというか、その、くっつくのってそれだけでドキドキしますし、ふわーっとしたような、ああこれが「幸せ」ってものなのかなー、みたいな感覚にもなりました。『彼氏彼女の事情』に、ただぎゅっと抱き合うだけで充足されるみたいな場面がありましたけれども、ああいう感覚を初めて実感できたというか。
ただ、その「たいしたことない」ことですら、まともにできなかった自分が情けないといいますか。彼女のお仕事としては「フィニッシュ」という目に見える形での成果こそが必須だったと思うのですが、それを為せなかったのが、双方にとって心残りになってしまったように思います。皆様がおっしゃるとおり、自己流をこじらせた結果、鈍くなってしまっているのだと思います。こればかりは、こじらせてきた歳月の長さ、重みを思い知らされた気分です。
皆様から「変わった」と言っていただけると、自分では自覚できていないものの、何か得ることができたのかもしれない、とは思えるようになりました。あとは、俺自身がどうするか、どうしたいか、ですね。まだ何も見えてはいませんけれども。
他所様ですが、http://togetter.com/li/828262 こういった報告を読むと、若いって素晴らしい、眩しいと思います。
承前。
前編(http://anond.hatelabo.jp/20130825133734 )では三縞君に作品そのものについて総括をしてもらった。
彼女はあの通り真面目な人なので、旧約聖書やら仏教の経典やら沢山の資料を比較参照した跡が見える。まああとは文章の方にもう少し可愛げがあれば……なんてうっかり口にしたらまたもや新品の机を蹴られてしまった。情報庁の事務机と違って、アルコーン社のオフィスウェアは本物と見紛うばかりの高級情報材製なのだが、彼女は遠慮なくその黒いストッキングの美脚を持ち出してくる。せめて元上司を「鼻持ちならない」と無遠慮に評するところくらいは変わってほしいと思う。
で、ここからが僕の出番。
稀代の大作家・野崎まどが残した作品の中に埋め込まれた、人間の癖や偏りを利用した暗号。
といっても僕は特殊な暗号解読の専門家でも何でもないので、あのときのような成果を期待されても正直困ってしまう。
あれは先生と僕の間柄だったからこそできたことであって、大して知りもしない作家を相手に同じことができるなんて考える方が間違ってる。
けれど僕はこの仕事を受けた。
基礎コードの解析を終えた量子葉の研究はとっくに先生の意図を探ることからは離れていたし、こうして頭を使うのはとても心地良い。
だから、これはまあ、知ルが帰ってくるまでのお遊びみたいなものだ。
一般発売前の自社製ワークターミナルは唸り声ひとつ挙げずに目を覚まし、僕の電子葉とダンスを始める。啓示視界に多重展開された書字情報マトリクスが視線の導きで然るべき場所に配置され、僕はその本を〈知る〉。
ウィンドウをもう一つ開く。首振りで先のレポートを取り出して、目の前の本を固有値解析にかけた。多次元スライスされた書字情報はいくつものキューブに分裂し、吸い込まれるように消えてゆくと、瞬く間に啓示視界がウォッシュアウトされて、周囲の情報圧が低下してゆくのがわかる。
三縞君は常識人だ。凡人と取り違えてはいけない。常識人というのは世の中の人が当たり前のように知っているとされることを本当に当たり前のように知っている、得難い優秀さに与えられるべきタグだ。才媛三縞君が組み上げた意味論フィルタは時にピーラのごとく表面を撫で下ろし、時にスライサのごとく作品を賽の目に刻んでは雑味を取り除いていった。後に残るのは〝野崎まど〟という名の個性の結晶だ。
想像が始まる。僕は右脳と左脳を車の両輪のように回して脳内に〝野崎まど〟を仮定すると、感じるままにコードに潜む違和感をすくい上げていった。
少し難しい……ノイズが多い感じだ。ライトノベルをフィールドとする氏の世界描写は童話的で、本筋に関わらない部分は余計な注意を惹かないよう可能な限りオミットするのがスタンダードだ。とはいえ今回の版元は早川書房、百戦錬磨のうるさ型SF読みが相手だ。手加減はないと思っていいだろう。
思いつくまま挙げてみる。
序章。情報格差を乱用して女遊びをした僕は翌朝当然のようにバスでオフィスに出勤する。さらに車内には大声でおしゃべりに興じる女子たち——思念通話はとっくに実現されている時代だが、僕は咎めることも聴覚を遮断することもなくそれを聞いている。
やれやれ、と僕は首を振った。僕の仕事の大半は場所を問わない。だいたい情報化が極限まで進んだ社会で肉体の移動を要する業務分野といえば食事・医療・性風俗くらいのものだ。その意味での役得といえば唯一、三縞君と交わす、互いに性的関心を潜めたコミュニケーションだけだろう。この危うさだけは何事にも代えがたい。
〝先生〟について語る以前に、僕がわずかにでも興味を向けた人物がみな女性であったことに気づいただろうか。正確に言えば老婆を迎えにきた男性についてたった一行触れただけだ。京都の町は不朽を表す国家的なシンボルだ。だから、この一連のシーンで描かれているのは、僕ら男が背負うべき、いつの世も変わらぬ女性への関心に他ならない。
ジェンダー的な視点で見出すと、他にも気になる点が出てくる。京都大学の構内で赤ん坊を連れていた学生は性別不明だが、どうあれ血のつながりはないだろう。養護施設の保育士は男性だった。けれどエピローグで死に瀕した子どもに付き添っているのはなぜか母親ひとりで、これは明らかな偏りだ。「女性にお茶汲みを頼むのは性差別」という認識は根付いていても、我が子に対する愛情など僕らの世代の男性は持ち合わせていないのだ。
と、ここまで書いていたら三縞君から「あなたのろくでなしな価値観を世の男性にまで一般化しないでください」と書かれたメールが飛んできた。
退庁後の僕のクラスは、彼女は同格の4まで下がってしまっている。おかげでプライベートレイヤがだだ漏れだ。もう迂闊な発言はできない。
僕はおとなしく仕事に戻ることにした。
該当箇所をズームする。それは〝集落〟の場面。クラス0の女子中学生に対するのぞき行為が行われ、社会がそれを容認していると語られる箇所だった。
馬鹿なことを。
当たり前だが個人情報保護と児童保護はまったく別の問題だ。しかも情報格差は技術的限界によるものとされている。少なくとも一般的な認識としてはそうだ。だったら法が容易くその現状を追認することなどあるはずがない。
ここだ。ここにヒントがある。僕はそう直観した。
思考が活性化し、電子葉によって自動収集された関連情報が僕の啓示視界を埋め尽くす。
ソフトSF——純粋に人文科学に基づくSF。とりわけフェミニストSF。女性作家の隆盛。メアリー・シェリー。ベネット。ル=グウィン——違う。こっちじゃない。右脳が理屈を飛び越えて判断を下し、一足飛びにその本質をたぐり寄せる。ヒントはこれだ。
社会描写の神髄は、弱者をどう描くかに現れる
即座に理由を問う。
社会の歪みを体現する存在は常に女・子どもといった弱者であるからだ
方向付けされた認識が参考作品を引き寄せる。
過去の日本SF大賞受賞作。『マルドゥック・スクランブル』。この作品では〝戦う女の子〟を地に足がついたものとして描くために、少女娼婦の身分、戦争由来の過激な技術、ならびに犯罪的な出来事に即応するための法体制を用意した。出来上がった少女は社会的に見れば化け物でしかないというのに。
僕はようやく理解した。
それが指す存在を、僕はすでに知っていた。
誰より保護されるべき存在でありながら、誰よりも自分の身を守ることに長けた少女。量子葉とともに生体脳を育て上げた、人類初のクラス9。進化の特異点。
道終・知ルその人。
ようやくあの男について語る時が来た。
クラス*(アスタリスク)。素月・切ル機密官。主人公(僕だ)の心の闇を凝縮したような人物。
結果から言えば彼はかませ犬以外の何者でもなかった。彼の行動は無意味で無価値で、そして無残なものだった。けれどその劣悪な人間性については触れておかないといけない。
裏仕事を専門とし、存在自体が機密とされる、規格外のクラスホルダー。そうした役職に求められる一番の資質は、規律、そして良識だ。ところが素月はその逆をいった。
自らが果たすべき任務を忘れ。
14ページに渡って狂ったように女子中学生の裸を狙い続けるその様は。
ただの変態だった。
それから僕はことあるごとに知ルに対して欲情するようになった。
可憐な容姿。挑発的な言葉。妖艶ささえ感じる所作。それと同居する少女の無垢さ。知らぬ間に僕は虜にされていた。
それでもあの男、アルコーン社CEO、有主照・問ウさえいなければ、僕が女子中学生を相手に一線を踏み越えることはなかったんじゃないかと思う。
そのことを知って咎めるどころか喜んだミアもちょっとどうかと思う。
いや。
なぜそう設定したのか。
答えは簡単。知ルが初潮を迎えるその日をただ待っていたのだ。現代人としてはずいぶんと遅いように思えるが、そこは孤児で栄養状態が悪いことと対象となる異性がいないことを考慮すれば説明がつく。
本番を迎えた知ルの口から「私、セックスって初めてです」と言わせなかったことは氏の最後の良心だろう。そう信じたかった。
すっかり忘れていたが作中の三縞君の扱いはこの作者にして徹頭徹尾まるで違和感のないものだった。
長く辛い旅路だった。
結局、作者の真意は何だったのか。
僕には朧気ながらその姿が見えていた。
そう。氏は切望していた。
情報の秘匿も。
時代の空気も。
何もかもが存在しない、本物のオープンソースの世界というものを。
最後に。
解読の結果、僕がすくい上げた言葉を君たちの啓示視界に残してこの稿を結ぼう。
うわぁい、子どもの保護なんて全然乗り気じゃなかったけど、こんだけいけてるなら俺もロリコンでいいやあ!
(続かない)
ポインタとは、郵便屋さんのことです。 まずは、次の2つのコードについて理解を深めましょう。 #include <stdio.h> int main(void) { int *p, q; q = 199; p = &q; printf("%d", *p); return 0; } このコードは、次のように読み替えると非常に分かりやすいです。 あるところに郵便屋さんのpさんと、qさんがいました。 qさんのお家には199がありました。 郵便屋さんのpはqの住所を知りました。 郵便屋さんのpはqのお家に行って、荷物を受け取りました。 次のコードを見てみましょう。 int main(void) { int *p, q; p = &q; *p = 199; printf("qの値は %d", q); return 0; } このコードは、次のように読み替えるといいでしょう。 あるところに郵便屋さんのpさんと、qさんがいました。 郵便屋さんのpはqの住所を知りました。 郵便屋さんのpはqのお家に199を送りました。 簡単にポインタ演算子アスタリスク(*), アンパサンド(&)についてまとめます。 &が変数名の前についたら、変数の住所を知ることが出来ます。 **はポインタ変数に付きますが、2つの使い方があります。 printf("%d", *p);のように用いると、郵便屋のpはあらかじめ手に入れた住所を元にしてその家まで行き、変数の中身を受け取ります。 **p = 199;のように用いると、郵便屋のpはあらかじめ手に入れた住所を元にして、その家に199という荷物を届けます。 **を用いるときはいずれも、p = &q;のように住所を手に入れないと、エラーになります。 では、次の二つの練習問題を解いてみましょう。 ・ポインタ変数pを用いて、変数aに格納されている値(123とする)を変数bにコピーするコードを書いてください。 この問題は、次のように言い換えられます。 あるところに、郵便屋さんのpさんと、aさん、bさんがいました。 aさんのお家には123がありました。 郵便屋さんのpさんはaの住所を知りました。 郵便屋さんのpさんはaさんのお家に行き、荷物を受け取り、bさんの家に届けました。 つまり、 #include <stdio.h> int main(void) { int *p; int a, b; a = 123; p = &a; b = *p; printf("%d", b); return 0; } というコードになります。 では次の問題に行きましょう。 ・forループを使って、0から9までカウントしてその数を表示するプログラムを作成してください。数を表示するときにポインタを使うものとします。 この問題の解答はコードだけを示すので、意味は皆さん自身で考えてください。 解答は #include <stdio.h> int main(void) { int i, *p; p = &i; for (i = 0; i < 10; i++) { printf("%d ", *p); } } です。 おわり。
http://blog.lv99.com/?eid=835525にインスパイアされて。17個も書けるかな…
記事を書き終えたら、以下のポイントをチェックして推敲してみよう。
長い記事を書いたときにまず気にすべきなのはそれを構成する一文一文ではなく、むしろ全体の文章としての構造だ。
記事をはじめから最後まできっちり読んでくれる人はあまりいない。「何を伝えるための文章なのか」、つまり主旨は記事の最初(と最後)にわかりやすい形で書いておくべきだ。記事を本格的に読む前に何についての記事なのかがわかっていたほうが、読みやすさも向上する。
残念なことに、もうつまらない高校に行かなければいけない時間になってしまった。続きは増田やはてブの反応を見てから、もしかしたら書くかも。
あらゆる実際の出来事とはいっさい関係がないことを最初にお断りしておく。
唐突な話ですまないと思うが、今、私が会社で使っているマシンのあるブラウザには、前任者の恋人のミクシィアカウントのユーザー名とパスワードが登録されている。
忙しいときには仕事を家に持って帰っていたというが、同棲中の恋人とはブラウザを分けて使っていたようだ。
こんなテクニック使うケースが想像できない。と思っていた「アスタリスクで隠されたパスワードを確認する方法」
http://kenz0.s201.xrea.com/weblog/2007/11/post_92.html
でパスワードも吸い出せてしまう。
そもそもログインアカウントであるメールアドレスは平文であるわけだし、
これで私は自分の自宅であっても、彼女に成り済ましてログインすることが可能になった。
あらゆる意味で全然接点の無い人間のプライバシーが覗き放題なのである。
ちなみに前任者とその恋人は今は分かれているそうである。
このエントリを読んだあなたが信じるかどうかは別として、実際は私は別に覗き趣味があるわけではないので、
それが可能だということだけを確認したあとは、鋼の自制心で読まないようにしている。
神かけて最初の一回、アクセスしてしまった時にうっかりした以外は読んではいないが(そもそもこのエントリは創作なのだが)
この為にサブアカウントを作って、そこで彼女をお気に入りに登録して最終アクセス時間を時々チェックしてみた。
日記は書いていないタイプだが、メッセージのやり取りの為か二三日に一度はアクセスしているようだ。
しかし、その送ったメッセージも私が読もうと思ったら、読み放題なのである(読んでないけど)。
私は赤字メッセージをクリックしないようにだけ気をつければ、過去にやり取りしたメールは
貰ったものも送ったものもアクセス可能なのだ(読んでないけど)。
ちなみに私は読んでないのだが、この前任者がユーザー名とパスワードを控えていて、
分かれたあとに読んでいる可能性だってないわけじゃない。
Google が独自ブラウザを発表したさいに、いろんな友人が「今使ってるブラウザからの移行が〜」
なんてテーマで日記を書いていたのには驚いた。私は、webサイトのログインパスワードを
使うマシンに登録させる人が自分の身近にこんなにいるとは思ってなかったのだ。
機能自体があることは知っているが、自分では利用したことはない。
もしかせずとも、自分専用のマシンで、マシン自体にスリープパスワードを掛けているのだろうか。
例えば、セキュリティが物理的に担保されているオフィスでの共用マシンだとか、
同僚にみられて困る仕事をしてはイケナイケースなどで、ログインパスワードを設定しない
マシン設定を経験したことがある。そもそも、そういうマシンをおいてる会社なんかでは、mixi や Yahoo! Gmail などのサービスを
利用できない場合もあるかもしれないが、それは措く。
正直にいうと、私は、彼女やその元カレの前任者が少しうらやましい。
私には、自分の過去にやり取りしたメールの全てや、非公開で綴った日記の全てを見せても平気な相手がいないのだ。
それだけの信頼を一人の人間に寄せたことがないということではないか。
とくにオチはないが、使うマシンを変えるときは、そのタイミングでよく利用するWEBサービスのパスワードは
変更するのが無難なのではないかと思う。