いわゆる「二次設定」というやつですね。
はっきり言えば、二次設定など所詮メジャーなモノは絶対に作れない方々が厨房設定で作ってるに過ぎないので、無視してもかまわないと思うよ。俺はVoc@loidの同人は1回やったきりの浅い関わりで何だけど、アレに乗れという方が難しいよ。
例えば東方なんかは二次設定が大量にあるけど、実際に二次設定にそぐわない設定で同人誌作っても全然OK。だってそれしたら収集付かない&他の同人作家との違いなんて出せないから。
はてなが消してるんじゃないと思う。いたずらかなんかで面白がってやってんでしょ。
はてなの削除は(はてなにより削除しました)がデフォ。運営の方針とか言ってるのみたことない。
その辺の「俺らには言って何であいつらには言わないんだ」的な自己弁護って、
見苦しいという点を見過ごしてあげるとしても、反論にはたった一言、
「面倒だから」「リソース足らないから」で終わっちゃう話なんだよ。
そういう当たり前の感覚がわからないというのもなんかな。
現にホロコーストだなんだと騒いだわりに、開会式を始めとして色々全体主義やら
民族浄化やらの臭いを醸し出していた、隣国の現実についてはほとんど言及無かったようだし。
まあこっちはリソースの問題じゃなくて「趣味じゃないから」という話かも知れないけど。
ホロコースト騒動自体が初手の大ボケ批判の穴を糊塗する為に、後から続々と穴だらけの
詭弁を弄し、果てしなく論点をずらせていくという流れだったわけで、最後まで残ったのが
当事者と人格批判大好きなカルト集団と、あとは物好きだけだったというのも当然のオチだよね。
そんな長文書いても誰も読まないか、都合の良さそうな部分に反応されるだけじゃないかな。
なんでもいいけどまずはしばらく同居してみたほうがいいんじゃないか。
この記事は運営の方針により削除されました。
まあ二次創作なんて、趣味の合わない人からは痛いと叩かれてナンボですがな。
派閥も需要もガン無視で自分のやりたいようにやるのがよろしいかと。
東京にも何世代にもわたってすんでいるご家族もいれば、地域交流もあれば、伝統的な祭りや町内会もある。
地方からやってきた人が見る東京都と 東京村はきっと別物なんだろうなぁとか思います。
ま、村に来たと思って地道になじめばいいとおもうよ。
そういう意味では、引っ越したら両隣に引っ越しの挨拶をするというのは、ウザイいんだけど、地域にとけ込む一つの橋渡しだったのにね。
なくなってきていて、東京村に入れない人はますます、入れなくなってきてるよね。
とりあえず、アメリカが引き続き
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080916AT3L1608916092008.html
こんな感じなんで、今日買わなくて良かったと思うわけだ。
なかなか単純にはいかないと思う。
そういう鑑賞態度は単なる知識自慢ゲームにしか見えんわ。
対決君「勝手に俺を巻き込むなよ!プンプン」
な!
誰も宇宙船とか言ってないのよ
飛行機雲があるなぁ・・・と思ってたら、その隣に発光物体が突然現れてしばらくしたら消えたってだけなのに
http://anond.hatelabo.jp/20080909022422 ←これね
とりあえず、一週間経過した今とっても煩悩全開状態で、かなりヤバイです。
とても惨めな気持ちになります。
一度読み返すと決意が強まる。
己に打ち勝つのだっ。
おいそれは全然違うぞ。ネタで言ってるのか?
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080916AT2M1605I16092008.html
前回のエントリーを読み直したところ、自分でも若干しっくりこなかった部分があったので、
まずそこを補足したいと思う。
「へのへの事件」を引き合いに出して上記の内容が最近のハイクに当てはまるのではないかと書いたけど、
最近の「長文議論」までそれに当てはめてしまうのは、いささかズレているような気がした。
長文の投稿に関しては「理解を超えているもの」としてしまうのは言い過ぎかもしれない。
「長文議論」及び「排除志向」に関しては別の方向からもう少し考えてみる必要がありそうだ。
ブコメを見ていたら、「はてなはなぜセグメンテーションをしないのか」という向きのものがチラリと見えた。
これに関して私見を述べると、セグメンテーション以前にハイクの位置づけ自体がハッキリ決まってないんじゃないかなぁという気がする。
なんというかある種実験的な場所。はてラボの延長みたいなもんだったりするんじゃないかなぁと思う。
私のような一介の素人がどれだけ考えたところで正解に辿り着けるとは思わないので、これだけにするけど、そんな気がする。
だからセグメンテーションのような幅を狭めるようなことはしないんじゃないかな。
ユーザーの志向による振り分けみたいなのは、現状のキーワードとユーザーのFollowingシステムによってある程度確立されていると思うし。
ただ、このFollowingシステムがハイクの「狭い」世界をより狭くしているような気が最近してきた。
自分のFollowingページをメインで使う、所謂「idページ引きこもり」ユーザー(この例えに他意はない)に関して言うと、
Followしているもの以外はあまり見ない傾向があり、それ以外への接触の回数が減っているんじゃないかと思う。
その手のユーザーの発言を見ていると、「自分のFolloingしか見ていない」というようなものもチラホラあるし。
その結果セグメントが生まれるという構造に繋がるんじゃないかと。
今後そのセグメントによって何か新しい動きが起こるかもしれない。
美術を勉強すれば、見るべきポイントとか、その美術の背景がわかるから「うんうん」言いながら見れると思う。
けど、そういうことを気にせずに見たほうが楽しいし、作者もそう願ってると思います。
何だかわからないけど圧倒される!とか
色合いが素敵だとか
絵の中の女の子が魅力的だとか
感じたなら、感じたことを友達と話してみると色んな見方があって楽しい。
何も感じなかったら、そういう時はご縁が無かったんだと思うことにしている。
「これは芸術だ」と言われたからって必ず何かを感じなければならないってことは無いと思います。
好きになったり、生理的に受け付けなかったり、何も感じなかったり…
色んな出会いがあると思います。
これ自体には必ずしも賛同しないが、非モテ的価値観につながるような自己不全感を
恋愛によって事後的に解消することはやはり不可能だと思う。
なぜなら、非モテ的自己不全感というのは単なる現在の問題に留まらず
過去の問題という側面(スクールカーストの下での抑圧経験等)が大きいからだ。
こういうのは一種の「生還者病」なのだと思う。
属する市場成長率より低い成長率の場合は成長していないと見なされてしまうんじゃない?
どんな職種だって規制がない限り新規参入はあるわけで、後発に駆逐されないためにはシェアの拡大が必要。
でも市場自体がしぼんでしまう可能性もあるから、現状うまくいってる(余力がある)間に、
今の事業とある程度連携が効いて、これから成長するような業種にも手を出す必要がある。
そのためにも資金は必要で、資金を集めるためには
高い評価が必要なので成長するしかないんじゃないかな?
まぁ、誰にも提供できないようなものを提供するってのも難しいし。
そもそも参入されないような業種だといつ駆逐されるかわからないし。