はてなキーワード: アスタリスクとは
もう一回、以下の文章をよく読め。
みくと増田の中では「本格的にロックをやる」と「アスタリスクをやめて夏樹ちゃんみたいなユニットを目指す」が分かちがたく結びついていて、
「ロックに本気だから本当はアスタリスクをやめたいに違いない!」と思い込んでいるんだけど、
だりーにとっては「本気でロックをやる=アスタリスクでロックをやる」なんだから、みくや増田の言うことは「勝手な決め付け」なんだよ。
この文章を「だりーなは、ロックに本気じゃなくて、本格的にロックをやりたいわけじゃないってなる」と解釈しているかぎり、
こんな単純な文章すら理解できないのだったら、30分のアニメを理解できるはずもないだろう。
「だりーなは、ロックに本気じゃなくて、本格的にロックをやりたいわけじゃないってなる」という以外の読解ができるようになってから、
もう一度トラックバックを付けてくれ。
「アスタリスクが私にとってのロック」でしょ。超ストレートな肯定じゃん。
でもそれを増田は「だりーの本心じゃない」とか「それは精神的なロックの話で」とか言い訳する。
なんでストレートに受け取らないの?って訊いてるんだけど。
「アスタリスクが私にとってのロック」というのは「自分がロックだと思ったらそれがロック」とセットになってるわけだ
アスタリスクの全てを肯定するものではない、アスタリスクで音楽性やスタイル備わったロックができると肯定しているわけじゃない
そして繰り返すけど
だりーなが、ギターが上手くなって、アスタリスクで、音楽性やスタイルが備わったロックをやればいいと思っている描写は?
だりーながやりたい音楽性やスタイルが備わったロックと、アスタリスクのギャップに悩んでる描写はあっても
だりーながアスタリスクで音楽性やスタイルが備わったロックをやれると思っている描写がないのだから
「自分がロックだと思ったらそれがロック、アスタリスクが私にとってのロック」宣言は
「アスタリスクでは音楽性やスタイル備わったロックはできないが、自分がロックだと思うロック」だと読むのが妥当
にかかるからこそ、「人の気持ち(=だりーなの心情)を勝手に決めるな」だし、「みくちゃんとユニットを組むのは…」につながるんでしょ。
「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」
この察しが間違っている、みくが決めつけたものだということは
だりーなは、ロックに本気じゃなくて、本格的にロックをやりたいわけじゃないってなるんだけど
「いやアスタリスクはロックだ!」の「いや」はどこから出てきたの
そもそもみくはアスタリスクはロックじゃないと言ってるわけじゃなくて、アスタリスクはロックだけじゃないって言ってる
「アスタリスクはロックだけじゃない」に対して「自分がロックだと思ったらそれがロック、アスタリスクが私にとってのロック」と答えてるんだから
「アスタリスクはロックだけじゃないが、アスタリスクは自分がロックだと思うロック」と読むのが妥当
具体的にどこで?
みくと増田の中では「本格的にロックをやる」と「アスタリスクをやめて夏樹ちゃんみたいなユニットを目指す」が分かちがたく結びついていて、
「ロックに本気だから本当はアスタリスクをやめたいに違いない!」と思い込んでいるんだけど、
だりーにとっては「本気でロックをやる=アスタリスクでロックをやる」なんだから、みくや増田の言うことは「勝手な決め付け」なんだよ。
だりーにとっては「本気でロックをやる=アスタリスクでロックをやる」なんだから、みくや増田の言うことは「勝手な決め付け」なんだよ。
つまり
「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」
これが勝手な決めつけだと言うわけだ
「アスタリスクが私にとってのロック」でしょ。超ストレートな肯定じゃん。
でもそれを増田は「だりーの本心じゃない」とか「それは精神的なロックの話で」とか言い訳する。
なんでストレートに受け取らないの?って訊いてるんだけど。
だりーなが迷わないよに、このユニットでよかったと思えるように、みくが主体的に活動して、だりーなの気持ちを動かすと読める。
無理やりすぎるよ…
みくだってわかってるよ。李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって。だったら本当はみくなんかより…
にかかるからこそ、「人の気持ち(=だりーなの心情)を勝手に決めるな」だし、「みくちゃんとユニットを組むのは…」につながるんでしょ。
「みくなんかより」→「みくちゃんとユニットを組むのは」で完全に対応してるじゃん。
その「察し」が間違ってるから「勝手に決めるな」と言うんじゃん。
みく「アスタリスクはロックじゃないでしょ」→だりー「いやアスタリスクはロックだ!」と解釈するのが素直な読みでしょ。
明らかにロックの定義を「自分がロックだと思っている」というところだけに求めていて、
「音楽性やスタイルでは夏樹ちゃんのユニットみたいなのが本来のロックだけど」なんてエクスキューズは含まれていない。
というか、みくが「音楽性やスタイル」に拘泥しているのを一刀両断している。
「夏樹ちゃんのユニットは確かにロックだけど私はああいう風になるのを諦めてアスタリスクを選ぶから」と解釈するのは無理筋。
「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」
この台詞をどう読むの
みくと増田の中では「本格的にロックをやる」と「アスタリスクをやめて夏樹ちゃんみたいなユニットを目指す」が分かちがたく結びついていて、
「ロックに本気だから本当はアスタリスクをやめたいに違いない!」と思い込んでいるんだけど、
だりーにとっては「本気でロックをやる=アスタリスクでロックをやる」なんだから、みくや増田の言うことは「勝手な決め付け」なんだよ。
バックバンドでいいなら余計に問題ないでしょうに。ライブでアカペラで歌うわけでもないでしょ。
これまでアスタリスクでだりーがギター持ってなかったのは単に弾けなかったからだし、
それで、だりーながそういう認識でいいと思ってるという描写は?
だりーなが、ギターが上手くなって、アスタリスクで、音楽性やスタイルが備わったロックをやればいいと思っている描写は?
「李衣菜ちゃんはもっと本格的にロックやりたくて、本当はみくと組むより…」と、
「李衣菜ちゃんが良かったって思えるようにみくが頑張らなくちゃ」と、
後者の場合だと、「李衣菜ちゃんが迷わないように、このユニットで良かったって思えるように、『みくが』頑張って最高のユニットにしなくちゃ」
とあるように、だりーなが迷わないよに、このユニットでよかったと思えるように、みくが主体的に活動して、だりーなの気持ちを動かすと読める。
これは、だりーな自身の気持ちがどうであるのかを置き去りにした、まさしく「人の気持ちを勝手に決める」ものだ
対して前者の場合だと「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんはもっと本格的にロックやりたくて、本当はみくと組むより…」とあるのは
みくが、だりーなの心情を察していたことを打ち明けているだけで、「人の気持ちを勝手に決める」ものではない
逆に前者だと思う理由を具体的に説明してくれないかな?
みく「アスタリスクはロックじゃないでしょ」→だりー「いやアスタリスクはロックだ!」という方がよっぽど「素直な読み」じゃないの?
この読みとやらをもっと具体的に書いてくれない?
前々から思ってたんだけど、本来の台詞を約すのが多いよね、もっと具体的にしてくれないかな?
本来は「アスタリスクはロックだけじゃないし、本当はもっとなつきちゃんの新しいユニットみたいな」に対して
「自分がロックだと思ったらそれがロック、アスタリスクが私にとってのロック」だから
増田がもし本当に「ロック本来の音楽性やスタイル=ギターを弾くこと」とだけ考えているだけなら、
上で書いたとおり「アスタリスクはロック」ってことで納得してくれるはずだよ。
でも増田が言外にいろんな先入観を「本来のロック」に反映させているから、こっちが何を言っても納得してくれないんでしょ。
ロックにはいろんなロックがあるけど、それらに本格的だとか本格的じゃないなんて無い、ぜんぶロックだ。
という大前提が共有されないと何とも言えない。
「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」
この台詞をどう読むの
だりーなはこの台詞を否定していない、この台詞を否定していないということは
バックバンドでいいなら余計に問題ないでしょうに。ライブでアカペラで歌うわけでもないでしょ。
これまでアスタリスクでだりーがギター持ってなかったのは単に弾けなかったからだし、
ギター練習して上手くなってからギターを弾きたいってPに言えばいい。
これは「李衣菜ちゃんが迷わないように、このユニットで良かったって思えるように、みくが、頑張って最高のユニットにしなくちゃ」にかかってる台詞じゃないの
「李衣菜ちゃんはもっと本格的にロックやりたくて、本当はみくと組むより…」と、
「李衣菜ちゃんが良かったって思えるようにみくが頑張らなくちゃ」と、
その「音楽的なロック」「精神的なロック」とかいうの以前から主張しているけど増田の独自定義だよね。
ロックには音楽的なロックと精神的なロックがあって…なんて理屈をこねくり回すよりも、
みく「アスタリスクはロックじゃないでしょ」→だりー「いやアスタリスクはロックだ!」という方がよっぽど「素直な読み」じゃないの?
俺は「なつきちはロック本来の音楽性やスタイルが備わっている」「アスタリスクはロック本来の音楽性やスタイルが備わってない」と主張しているのね
それは論破されてないよね
増田がもし本当に「ロック本来の音楽性やスタイル=ギターを弾くこと」とだけ考えているだけなら、
上で書いたとおり「アスタリスクはロック」ってことで納得してくれるはずだよ。
でも増田が言外にいろんな先入観を「本来のロック」に反映させているから、こっちが何を言っても納得してくれないんでしょ。
ロックにはいろんなロックがあるけど、それらに本格的だとか本格的じゃないなんて無い、ぜんぶロックだ。
という大前提が共有されないと何とも言えない。
エルヴィスはいちおうギタリストだしバック・バンドがいたでしょ
逆にギターもバンドもなしで音楽性やスタイルが備わったロックと言うのは無理があるでしょ
それならアスタリスクも本格的なロックってことで話は終わるよね。
アスタリスクで出来なくてなつきちと組めば出来る「本格」って何よ?
だりーながやりたいのは、なつきちみたいな音楽性やスタイルが備わったギンギンでかっこいいステージで、かっこいいロックをやりたいの
アスタリスクで、なつきちみたいな音楽性やスタイルが備わったギンギンでかっこいいステージで、かっこいいロックができるのかっていう話
これは「李衣菜ちゃんが迷わないように、このユニットで良かったって思えるように、みくが、頑張って最高のユニットにしなくちゃ」にかかってる台詞じゃないの
これは素直に読めば「ロックだけじゃない」ってことを否定してない、その上で「ロックだと思えばそれがロック」だから
「ロックだけじゃないけど、自分がロックだと思うロック」という、いわゆる音楽的にロックじゃないけど、精神的にロックだと言うこと
俺は「なつきちはロック本来の音楽性やスタイルが備わっている」「アスタリスクはロック本来の音楽性やスタイルが備わってない」と主張しているのね
それは論破されてないよね
え、バンド?
それはちょっと無理でしょ。
ギターは分かるけど、
別にアスタリスクは楽器禁止なわけではないだろうし(別のところでそういう設定があるならごめんね)、
それならアスタリスクも本格的なロックってことで話は終わるよね。
アスタリスクで出来なくてなつきちと組めば出来る「本格」って何よ?
みくだって分かってるよ。李衣菜ちゃんがロックに本気だって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって。だったら本当はみくなんかより…
に対する
そのあとの
に対する
ポップなロックもあればヘヴィなロックもあるし猫耳つけてたってウサ耳つけてたっていいわけじゃん?
「○○こそ真のロック!他は死ね!」みたいな過激思想が無いとは言わないけど、劇中ではもちろんそんな了見の狭い描き方はしていないでしょ。
みくが「なつきちゃんのような本格的なロックをやりたくて、みくとは組まない方が良いと思ってるんでしょ?」と決めつけ、
この文章はそのまま「本格的なロック=なつきちみたいな音楽性とスタイルだと定義しているんだよね?」という確認なので、
それを「本気でやってるロック」に置き換えたらめちゃくちゃになる。やめてほしい。
以降も同様。
こちらの主張は、
「本来の音楽性やスタイルが備わっているロック」という考え方自体がおかしい、
「本格的なロック」というものがあるとしたら、それは音楽性やスタイルの問題ではなく、
ともかく「なつきちのロックにはロック本来の音楽性やスタイルが備わっている」
「アスタリスクにはそれが備わっていない」という見立ては間違っている、
「本格的なロック」はいかなるものかで互いの認識が異なっていたわけね。
本格という言葉はそもそも、本来の格式を備えていること。本式。正式。という意味ね
それで俺は「本格的なロック」は「本来の音楽性やスタイルが備わっているロック」という意味合いで使ってたのね
それで、そちらは「本格的なロック」は「本気でやってるロック」という意味合いで使っていたわけだよね
これが混乱のもとだよね
この文章は、そっちの「本格的なロック」は「本気でやってるロック」という意味合いで言い換えると
『なつきちみたいな音楽性とスタイルを「本気でやってるロック」だと主張しているわけだよね』
となるのかな?
俺は、なつきちみたいに本来の音楽性やスタイルが備わっている姿を「本格的なロック」だと主張したのね
この文章は、そっちの「本格的なロック」は「本気でやってるロック」という意味合いで言い換えると
『「なつきちみたいな音楽性のロックだけがかっこよくて本気でやってるロック」というのが勘違いだってことだよ。』
となるのかな?
俺の認識は「なつきちみたいに本来の音楽性とスタイルが備わった姿は、本格的なロックでかっこいい」ということね。
これはそっちの「本格的なロック」は「本気でやってるロック」という意味合いで言い換えると
「かわいい要素が混じっていること」と「本気でロックをやること」「かっこいいこと」は両立する
ということだよね
だけど俺は「本格的なロック」は「本来の音楽性やスタイルが備わっているロック」という意味合いで考えてるから
「かわいい要素が混じっていること」と「本来の音楽性やスタイルが備わっているロック」は両立しないと考えるのね
そもそも、アスタリスクはかわいい要素と、ロックな要素が混在することがコンセプトなわけだけど
これが、かわいい要素に、「本来の音楽性やスタイルが備わっているロック」という要素が混在することになると
どうしたって比重が「本来の音楽性やスタイルが備わっているロック」に偏って、かわいい要素がおざなりになってしまうと思うのね
アスタリスクのコンセプトを大事にするなら、アスタリスクで「本来の音楽性やスタイルが備わっているロック」は出来ないということね
「本格的」を「本気でやる」という意味合いで使うのなら
混乱を避けるために、これからは「本格的なロック」という言葉を使わないで
そっちは「本気でやってるロック」
互いに言い換えていかないか?
「なつきちのロックは本格的なロック」「かわいさとかっこよさは矛盾する」というのは、まさにみくがしている勘違いと同じでしょ。
なつきちのロックは本格的なロックというのは否定出来ないんじゃない?
俺が矛盾すると主張したのは
かわいい要素とロックな要素が混在したアスタリスクでは「本格的なロック」をやれないから
かっこいいステージをやるという「本格的なロック」を目標にすると矛盾が生じるという意味ね
「かわいさとかっこよさは矛盾する」と主張したわけじゃないのね
「オーソドックスなロック」像と、「本格的なロック」のイメージを切り離す理由がよく分からないんだけど
「オーソドックスなロック」像と、「本格的なロック」は違うということ?
俺は音楽性やスタイルで「本格的なロック」という意味で使っていたけど
「やっぱロックはかっこよくないとな」と言ったなつきちが直後に菜々さんと組むのは、みくと組もうが菜々さんと組もうがかっこいいものはかっこいいからだよね。
かっこいいロックと一口に言っても「自分がロックだと思うロック」で精神的にかっこいいロックと、「本格的なロック」で音楽的にかっこいいロックに分かれると思うのね
なつきちが「やっぱロックはかっこよくないとな」と言ったのは、「自分がロックだと思うロック」じゃないはずの常務の企画に乗ろうとしていた我が身を省みての台詞であって
「自分がロックだと思うロック」の精神に立ち返り、常務の企画を断った後に
なつきちが、みくやウサミンと組むのは「自分がロックだと思うロック」に則した精神的にかっこいいロック
対して、だりーなが言っていた、かっこいいステージは、ギターが上手くなること前提であるから、「本格的なロック」で音楽的にかっこいいロックと見るべき
「自分がロックだと思うロック」として精神的にかっこいいロックは、みくやウサミンと組んでもやれる。
「本格的なロック」という音楽的にかっこいいロックは、みくやウサミンと組むとやれない。
この話のテーマは「他人に言われてやるのはロックじゃない」ってことだよね
他人に言われたからではなく自分の意志で「自分がロックだと思うロック」を選択した
その一方で自分の意志で本当にやりたい「本格的なロック」を諦めたという解釈でもテーマを外れるわけじゃないよね
ただ、自分の方向性に関する悩みだったら「なにしたいんだろ私」になりそうなものだし、
「ギャップに悩んでいる」というなら、「みくの話を聞いてない」場面なんかじゃなく、もっとそれらしいエピソードの直後に呟かせるよね、と思う。
「なにやってるんだろう私」発言は、なつきちと知り合い本格的なロックを知った後、アスタリスクの活動に身が入らなくなったという場面の直後なんだから
十二分に、「本格的なロック」とアスタリスクの「ギャップに悩んでいる」というそれらしいシーンだと思うけどね。
なつきちと歌いたい、でもアスタリスクもやりたいっていう、アスタリスクをやることに迷いがないなら
アスタリスクの活動でぼんやりしたり、みくとギクシャクするのはいき過ぎじゃないかな
それこそ、みくに相談できないほどの悩み
もっと本格的なロックをやりたいが、アスタリスクでそれはできないという悩みだから
アスタリスクのパートナーであるみくとギクシャクしたという描写だと俺は解釈したけど
NO MAKEは知らんけど、そういう話があったなら、それは「親友が転校すると知ってみんなで盛大にお別れをやったけどやっぱり転校が無しになって嬉し恥ずかし」的なやつなのでは?
あの1回で終わらせるにはもったいないから続ける的なやつで、未練がどうとかな感じじゃなかったね。
「なつきちのロックは本格的なロック」「かわいさとかっこよさは矛盾する」というのは、まさにみくがしている勘違いと同じでしょ。
増田は、増田が考える「オーソドックスなロック」像と、「本当のロック」「本格的なロック」のイメージとを切り離すべきだよ。
「やっぱロックはかっこよくないとな」と言ったなつきちが直後に菜々さんと組むのは、みくと組もうが菜々さんと組もうがかっこいいものはかっこいいからだよね。
だりーが「本当にやりたい」というかっこいいステージ、かっこいいロックは、アスタリスクでも出来るんだよ。
それに前記事でも書いたけど、「かっこいいステージをいつか私もやるんだ!」というのは笑顔で言ってるんだから、そこは悩みどころじゃないんだよ。
そこは俺としても正直、どういう意図か図りかねるところがあるけど、
ただ、自分の方向性に関する悩みだったら「なにしたいんだろ私」になりそうなものだし、
「ギャップに悩んでいる」というなら、「みくの話を聞いてない」場面なんかじゃなく、もっとそれらしいエピソードの直後に呟かせるよね、と思う。
この場面ひとつを取って他の全てをひっくり返す気にはならないなあ。
アスタリスクの活動中にぼんやりしたり、周囲が心配する程にみくとギクシャクしていて
単純に「なつきちと一緒に歌いたい」って悩みにはとれないかな
新しく気になる人ができたせいで今のパートナーとギクシャクするのは普通じゃないか?
むしろ、「もっと『本格的なロック』をやりたい」という悩みで、そういう描写になるほうがおかしいと思うけど。
NO MAKEは知らんけど、そういう話があったなら、それは「親友が転校すると知ってみんなで盛大にお別れをやったけどやっぱり転校が無しになって嬉し恥ずかし」的なやつなのでは?
まず、この話のテーマは「自分がそう思うものがロック=他人に言われてやるのはロックじゃない」ってことだよね。
「ロックは他人(みくや常務)によって決めつけられるものじゃない」と。
よって、「もっと『なつきちみたいな本格的なロック』をやりたいって思ってるんでしょ?」というみくの決めつけに対する、
だりーの「人の気持ちを決めないでよ(私がやりたいロックを勝手に決めつけるな)」は本心からの言葉だ。
そうでなきゃテーマが揺らぐ。
「自分がロックだと思うロック=他人に言われてやるのはロックじゃない」がテーマだとしても
「自分がロックだと思うロック」と「本当にやりたいロック」が別にあって
「自分がロックだと思うロック」を優先して「本当にやりたいロック」を諦めたと見てもテーマは揺らがないんじゃない
他人に決めつけられたのではなく、自分の意志で「自分がロックだと思うロック」を優先して、「本当にやりたいロック」を諦めたということで
だりーにとってのロックが「アスタリスクでのロック」だとしたら
だりーながいつかやりたいのが、なつきちみたいに、かっこいいステージで歌いたいいう目標と矛盾する
アスタリスクではみくという可愛い要素があるかぎり、なつきちみたいにかっこいいステージで歌えないのだから
だりーなにとってのロックが「アスタリスクでのロック」だとしたら、かっこいいステージで歌いたいという目標はなんだったのかという話になる。
「なにやってんだろ私」の発言の背景にわざわざ、アスタリスクのポスターと、ロックバンドと思しきステッカーを対照的に描き
さらに、ロックの雑誌を広げ、ロックのCDを聞いていたようだし
「みくに心配かけてまでなに悩んでるんだろ」程度のものとは言えないんじゃないかな
本格的なロックと、アスタリスクのギャップに悩んでいる描写だと見るのが妥当じゃないかな
では、だりーは何に悩んでいたのか?
ロックをやるかどうかじゃない。
単純に「なつきちと一緒に歌いたい」って悩みだよね。
それはもちろん「みくと歌いたくない」ってことではなくて、「どっちもやりたい」から悩んでる。
アスタリスクの活動中にぼんやりしたり、周囲が心配する程にみくとギクシャクしていて
単純に「なつきちと一緒に歌いたい」って悩みにはとれないかな
その主張の根拠は?
りーながアスタリスクを否定する発言は一度も無いし、逆に「りーなはアスタリスクを否定している」という内容のみくの発言をりーなは否定している
「李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」これを否定したことで
「だりーなはロックに本気じゃない、本格的にロックをやりたくない」と読めるだけじゃないの?
別にいいけど
絶対の自信があるし
それで確認してきたの?
逆におまえは、なつきは「なにかを諦めて」美城常務の話を断ったと思っているのか?
全く逆だよ
諦めないようにしようとしたからこそ断ったんだよ
俺がいつ、なつきちがなにかを諦めて美城常務の話を断ったと主張したの?
よしんば仮に、そう主張したとしても
何かを選ぶことは、別の何かを諦めることじゃないの?
矛盾は生じないんじゃないの?
デレマス19話観たけど、その見立てはやはり違うだろうと思ったよ。
まず、この話のテーマは「自分がそう思うものがロック=他人に言われてやるのはロックじゃない」ってことだよね。
「ロックは他人(みくや常務)によって決めつけられるものじゃない」と。
よって、「もっと『なつきちみたいな本格的なロック』をやりたいって思ってるんでしょ?」というみくの決めつけに対する、
だりーの「人の気持ちを決めないでよ(私がやりたいロックを勝手に決めつけるな)」は本心からの言葉だ。
そうでなきゃテーマが揺らぐ。
だりーにとってのロックが「アスタリスクでのロック」であるのは確かなことなのだ。
つまり、だりーの「なにやってんだろ私」が示すものは、アスタリスクの活動のことじゃない。
では、だりーは何に悩んでいたのか?
ロックをやるかどうかじゃない。
単純に「なつきちと一緒に歌いたい」って悩みだよね。
それはもちろん「みくと歌いたくない」ってことではなくて、「どっちもやりたい」から悩んでる。
だから、「かっこいいロックをやるんだ」とは笑顔で言えても、なつきちに誘われたら口ごもっちゃう。
だから、なつきちに「このステージでだりーと歌いたい」と言われて、苦しそうに「やっぱり私は(みくと歌うと決めた)」と答える。
そういうシナリオなんじゃないのかね。
だから、「李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」これを否定したことで
手元には無いだろうし
そっちが確認してきてくれ
そりゃそうだろ
そもそもりーなが何かを諦めたと言っているのはお前だけなんだから
こっちは仮に諦めていたとすると話の構図的に矛盾が生じると言っているだけ
だからおまえやみくの言っている本格的なロックと、りーなの中での本格的なロックは別物なんだよ
だりーなの中での本格的なロックとは?
ないない
なんでないないなの?
というか、にわかロックは、精神的ににわかだったという意味だと俺が主張したのに対して
にわかとは初心者という意味だから、初心者が初心を忘れたという意味になって通じないとして否定したわけだけど
素人という意味で流通しているなら、初心を忘れた素人という意味で通じるんじゃないの
りーなが何かを諦めたとすると、りーなの発言を聞いて美城常務の企画を蹴ったなつきの行動が矛盾することになる、とは前に書いたよ
言ってるよ
「李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」これを否定したこと?
これをどう読めばアスタリスクで本格的なロックがやれると読めるの?
はてなキーワードでも見るといいよ
2人が編集しただけのはてなキーワードを根拠にするのはちょっと…
りーなは夢を諦めたわけではないってことさ
前にも言ったけどね
「夢を諦めたか」ではなくて「やりたいロックを諦めたか」を問題にしてるのね
夢となると範囲が広いでしょ?アスタリスクで「自分がロックだと思うロック」をやるのも夢だし
「本格的なロック」と言っているのはもちろんお前だけだよ
俺はそれを推測して、それだったらこうなるんじゃない?と言っているだけ
つまりどういうこと?
お前の中では「本格的なロック」をアスタリスクでやることは不可能なんだろう
だが、りーなはなつき(≒本格的なロック)に憧れのようなものを示しはしたが、「アスタリスクでは(本格的な)ロックはできない」などとは一度も言っていない
そこが巧妙なミスリードなんだよ
「アスタリスクでは(本格的な)ロックができる」とも一言も言ってないよね?
その通りだったとして、それで何が言いたいの?
だからそんなことは作中で言われていない
「李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」というのをだりーなは否定したと主張してるんだよね?
そして、だりーなは「なんちゃってロッカー」だという位置づけだと主張してるだよね?
そうだとしたら、だりーなはロックに本気じゃない「なんちゃってロッカー」でアスタリスクで本格的なロックをやるつもりはないって主張なんだよね?
それでもアスタリスクは否定されていないっていうのはちょっとどういうことか分かんない
呼ばない呼ばない
そう思うのも自由だけど、にわかロックは精神的ににわかだったなつきちも意味するという解釈をしてる人はけっこういるからね
自分が思うことにだけじゃなくて、他の人がどう考えるかも合わせて考えてほしいね
我が道を行く的なことを与えられるだけでも十分じゃないの?
いや、「本格的なロック」をやってる人は世の中にたくさんいるわけだから
何もなつきちの追随者になるわけじゃないだろう
「本格的なロック」をやっている人は、みんな誰かの追随者とでもいうの?
それは、アスタリスクで、かっこいいロックはやれない、かっこいいロックを諦めているということじゃないの?
そういうのは「初心を忘れていた」とでも言うべき状態で、にわかとは言わない
初心を忘れるのも十分にわかと呼べると思うけどね
ロックの上下関係が知識と技術で決まるっていうのはそれこそロックじゃないんじゃないの?
パンクロックとか知識と技術が稚拙でも精神的にロックであることが大事とか見方もあるわけだけど
なつきちがだりーを買っている最大の理由は「自分がロックだと思ったらそれがロック」という精神を忘れないところ
そんなだりーがなつきちの追随者になることはあり得ないし
なつきちもだりーが追随者になることを望んでいない
やりたいことを諦めるんじゃなくてやりたいことが分かってなかったんだって
具体的にやりたいことが分かってなくても、かっこいいロックをやりたいというのはずっとあったんだよ
アスタリスクでかっこいいロックがやれると思っていたなら迷うこともなかった、なつきちに対して口ごもることもなかった
「本当の夢」じゃなくて「本当にやりたいロック」
アスタリスクを選ぶことは「本当にやりたいロック」を諦めることになるが「自分がロックだと思ったロック」ではある。
「自分がロックだと思ったらそれがロック」の精神を忘れていたなつきちは、だりーなとみくのやりとりを聞いて、その精神を思い出して美白常務に従うことをやめたんだよ
だりーなをなつきちの追随者に墜とした関係性が、常務となつきちの批判的な関係性にも通じるって主張になるから矛盾を感じないか?
なんで?
だりーなが本物の人間だったらその解釈もありえるけど、だりーなというキャラクターとして見た場合、やつの立ち位置は「なんちゃってロッカー」だ
これはどうだろう
だりーなの立ち位置は「なんちゃってロッカー」というより「一見するとなんちゃってロッカーだが、心はロックそのもので、本格的にロックもやりたい」みたいな感じで
だりーなのキャラクターから、本格的にロックをやりたいという面を否定することはできないだろう
というか、だりーな自身がロックに本気で、本格的にロックをやりたいということを否定するなんて考えられないし
だりーなが「なんちゃってロッカー」で「本格的なロック」を目指していないというのなら
やりたいロック云々はどういうことになるの?
そんなら、「みくの追随者に墜していいのか」という視点が欠けてるとでも返そうか
ユニットのパートナーのために、自分のやりたいことを諦めるのはロックじゃないだろう
そして、なつきちと美城常務の関係性と、だりーなとなつきちの関係性が通じているというが
別にだりーなとなつきちは上下関係にあるわけじゃないし、だりーなとなつきちはお互いに良い影響を与える関係性だ。
決してだりーなはなつきちの追随者にはならない。
だりーなはみくに「じゃあなにをやりたいのか」と聞かれて答えられなかった
「なにやってるんだろう私」は「なんでアスタリスクなんてやってるんだろう」ではなく本当は「アスタリスクで何をやってるんだろう(やればいいんだろう)」という疑問だった
「人の気持ちを決め付けるな」でそこまでのミスリードをひっくり返す
ここに19話のストーリーの妙がある
ミスリードだとするなら19話でだりーなは何を迷い、なぜみくとギクシャクしていたのか
そして「アスタリスクで何をやってるんだろう(やればいいんだろう)」と考えていたということは
だりーなはやりたいことがアスタリスクでやれるとは思っていない証拠
そんな状態で、「アスタリスクが私にとってのロック」ということは
本当にやりたいロック云々は置いといて、自分がロックだと思うロックを優先したということ
本当にやりたいロックを諦めて、アスタリスクを優先したという風に読めるんだよ。
それでもなお、だりーなは本当にやりたいロックを諦めていないと言うのなら、今後のアニメで判断しようじゃないか
だりーながやりたいロックを諦めていないなら、アスタリスクでやりたいロックができるはずだろう
今後のアニメの展開で、だりーなのやりたいロックがアスタリスクでやれたという描写があるかどうか
みくが同様の台詞を言っているが
「みくだって分かってるよ、李衣菜ちゃんがロックに本気なんだって。もっともっと本格的にロックやりたいんだって」
そうだとしたら、だりーなが「人の気持ちを勝手に決めるな」と言っているのは、これにかかってる台詞ではなく
「李衣菜ちゃんが迷わないように、このユニットで良かったって思えるように、みくが、頑張って最高のユニットにしなくちゃ」
という台詞にかかってることじゃないのかな
「人の気持ちを勝手に決めるな」というのは、だりーなが迷わないように、このユニットで良かったと思えるように、なんてみくが決めつけるなということ
だりーながロックに本気、本格的にロックをやりたいんだということを否定してはいない
それを否定したら、だりーなというキャラクターそのものを否定することになるだろう。
そして、さらに
なつきと親しくなるまでのだりーなには、はっきりとした「やりたいこと」が全然形になっていない
なつきと付き合うことでやりたいことが具体的になり始めた
このとおりだったとしても、アスタリスクを続けることで、やりたいことを諦めることになるのは確かだろう。
だりーなが、なつきちと付き合うことで具体的になったやりたいことが、アスタリスクでやれると思っているのなら、なつきちに
「お前もうちのメンバーに入ればいいのに、無理か、お前には別のユニットがあるんだしな。アスタリスクだっけ?」
と聞かれた時に、なぜ口ごもったのか
これは、アスタリスクでは、やりたいことをが出来ない、やりたいことを諦めることになる、それを迷っていたことの表れだ。
本心では、なつきちとかっこいいロックをやりたいということも伺える。
さらに、だりーながアスタリスクをやることに迷いがあったのは、なつきちと付き合うことでやりたいことが具体的になった中で
「なにやってるんだろう私」という台詞でも表れている。
そもそも、だりーなが本当にやりたいロックを諦めていない、アスタリスクを続けることは既定路線だったと言うのなら
19話でだりーなは何を迷い、なぜみくとギクシャクしていたのか
だりーなが19話で迷っていたのは、なつきと付き合うことで具体的なったやりたいことが、アスタリスクでは出来ない、やりたいことを諦めることになるから迷っていたのだろう。
その迷いを、言うなれば、みくが泣き落としで、だりーながやりたいロックを諦めることを決意させたんだ。
なおここで、だりーなは「人の気持ちを勝手に決めるな」と言いつつも、結果的にみくに迷いを払拭させてもらっている、みくに気持ちを決めつけてもらった形だ。