「「ファイト」」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 「ファイト」とは

2023-09-07

中島みゆき「ファイト」聴くと思い出すこと

ウチの会社で昔アルバイトしていたAさんって人がいて、

Aさんはまぁ30半ばくらいなんだけど、役者目指してて、

劇団稽古しながらずっとフリーターをしてたんだよね。

で、同僚のBって女がいて、ある日別の同僚とAさんの話をしていて、

それがAさんのことをちょっと小馬鹿にしているというか、

現実見てないドリーマーみたいな言い方してたんだよね。

 

まぁそういうヤツはどこにでもいるのでそれは別にいいんだけど。

しかしその後、たまたまBもふくめて飲みの二次会カラオケに行ったことがあって、

そこでBが歌った歌に度肝を抜かれてしまった。

なんと、中島みゆき「ファイト」を歌ったのである

????お前が、どの口でその歌を歌うの???

戦う君の歌を 戦わないヤツが笑うだろう ファイト

ってさ、お前がまさに戦うAさんをあざ笑ってた戦わないヤツその人じゃん。

 

もしかして、BはBで、「戦う自分への応援歌」だと思ってこの曲を歌ってるのかと思ったら、背筋が寒くなった。

かくも人間とは度し難いものかって。

しかしたらBはBで戦わないヤツに笑われたという経験があって傷ついたことがあるのかもしれないけど、

だとしたら何故同じことを人にやってしまうのかって、それはそれで業が深いよね。

 

それからこの曲を聴くと、傷つけられている人への応援歌のはずが、傷つけてる側も勝手にそう受け取ってるんだよなって複雑な気持ちになる。

2023-01-07

そろそろ「がんばれ」以外の言葉発明しなよ

意味的には「ファイト」に近い言葉

ファイトは言いづらいし何か違うので却下

加油」もいいよね

ベストを尽くせ」もいいと思う

頑張れは良くないよなー

「困難にもくじけず、物事を成し遂げるように」+命令形だよ?

2022-10-13

なぜ日本では偽物の教会結婚式をするの?と聞かれたら答えられるようにしておこう

外国から言われてみれば奇妙な日本結婚式

アメリカ人友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議結婚式に出たのよ」「それ、日本標準的結婚式です…」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479

これはつまりブライダル業界結婚式」だが、なんでこうなったのか?。

 

イエから逃避行

今主流のこういう結婚式の始まり1970年代なんだが、その元は60年代にある。

日本のイエ制度明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフト国家有機体論の合体だ。

戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカ自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。

それで戦後時代下り生活レベルが向上すると段々と生活人生上の自由が増大化していった。

 

イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子次男以下も生き方制限された。

長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合勘当されて死ねと言われる。

次男以下は中学尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。

こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である

女子妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良であるそもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族村八分になる。

商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合い相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。

 

都会と田舎の落差と中島みゆきの『ファイト

戦後まれ団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。

でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。

例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。

なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆき深夜ラジオに送られて来たリスナーハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである

まり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。

「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。

 

それで団塊世代は色々な方法田舎因習から逃れようとした。

勉強を頑張って東京大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。

集団就職に参加する。

一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳年齢制限クリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。

 

ロマンチックラブイデオロギー

そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である

一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放テーゼだ。

人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきであるロマンチックラブイデオロギーだ。

そういう訳で沢山のフォークソング自由恋愛称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争挫折相俟って現状肯定恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。

 

有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペル結婚式を挙げよう、というもの

チャペルキリスト教会礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション大学礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求惹起する歌だ。

もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会結婚式を挙げました、という歌詞

 

こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。

ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。

でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。

 

なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式仏式でないから」だ。神式仏式にはイエの因習表象をまとっていた。

今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼ権威的なものを好むというテイストもあるだろう。

でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである

 

花嫁夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。

 

それ以前の結婚式はどうだったのか

それ以前の結婚式仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。

それは「祝言(しゅうげん)として能の演目高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である

https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU

これをこの調子仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。

これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。

 

老松という地名

ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭り町内会名や祭り神輿山車の提灯なんかで出てきたりする。

それらは長寿を願った年寄臭い地名に見えるかも知れない。

でも昔は結婚式では「必ず」高砂祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主兵庫県高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区住吉大社老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。

まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。

この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。

関東大震災下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋世田谷杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。

でもその後字面年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。

団塊結婚式に戦中戦前派は大憤慨

会場が教会だったり披露宴フォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式保守的な人らは憤慨していた。

どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴批判したり、親戚のオヤジマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。

 

定着と業界

しか芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるからブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教結婚式提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。

ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しか教会での式よりは断然高い。

 

から団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコ新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。

 

から「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味社会から消えても形式業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からサブカルチャー解放意味があるんじゃないの」と言えばよい。

 

それとは別にやっぱあの形式結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会中途半端教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。

2022-03-01

[]中島みゆきさんがウクライナの人たちに向けて日本から「ファイト」の唄を捧げているってマ?

戦ってないのはお前ら日本人だよってバカ

2021-02-02

「うっせえわ」で世界真実が見えた

若者気持ちをあの曲は捉えたと言う。

だが、作詞の人はオッサンだ。オッサン若者の悩みを見事に表現している。

そしてわかってしまった。

若者しか理解できない嘆きというものは無いのだ。

オッサンやオバサンは、若い人間の悩みなんて全て理解できるのだ。

強者弱者の完全上位互換だ。

若くなければ表現できない反骨は存在しないし、貧乏でなければ嘆けない貧困はない。

中島みゆきは良い所の生まれだが、「ファイト」田舎者のみじめさを見事に切り取って見せた。

「働けど働けど我が暮らし楽にならざり」と言った石川啄木は人の金で悠々自適に暮らすエリートだった。

それと同じことだ・。

まり、持っていない人間にできて、持っている人間にできないことはない。

苦しくなければ理解できない感情というものは、この世に存在しない。

そして、もし仮に力が無い人間しかからない感情というものがあるとして、その思いが純粋に人々に届くことはない。

何故なら、力がない人間表現力も言語化能力もないからだ。

気が付かなければよかった。

2018-09-23

なんか最近富士葵さんの曲をyoutubeで流しっぱなしにしていると仕事が超はかどることがわかってずっと聞いている。

声が透き通っていて、夏色とか言の葉の庭Rainとか(最近雨ばっかりだからね)すごく曲の選択がいいなぁと思っていたら、

つい最近追加された鳥の詩(Air)=>you(ひぐらしのなく頃に)のコンボで、気づいてしまった。

リスナーも同世代おっさんなのだ。。。そりゃそうだ。覚えのある曲ばかり流れてくるわけだ。アニソンもそれ以外も。

自分ジャスト三十路なのだが、カラオケで先輩がイエモンの曲を歌ったときの乗っかれない感じがない。

リアタイで知っているかそのあとで追う形で刷り込まれたかで違ってくるわけで、その違いは思ったより厳密なのだ

それを外さな彼女自分たちとは同世代ではないだろう...ということは。

あーーと何となく落ち込んで、これだけは親父に刷り込まれ中島みゆきさんの「ファイト」に戻ってる。

葵さんのyoutubeだと途中から=彼女には合わないだろうけど、あの曲をフルで歌った時の歌詞最初不条理感と暗い笑いが大好きです。

諫山実生さんの月のワルツとか歌ってくれないかな...

2016-02-16

熱量警察です

おれは忘れもしない。

小学校社会科で初めて農業貿易について学んだころ、おれは調べ学習のため図書館に来ていた。

そこで手に取ったのは、たしか日本食糧事情についての本だったと思う。

その中の統計表にあった「熱量」という言葉意味が、その時のおれにはわからなかった。

だが時を同じくして国語辞典の引き方も教わったばかりのおれだ。

早速家から持ってきていた辞典で「熱量」を調べると、そこにはこう書かれていた。

カロリー」と。

えっ、カロリーってあのカロリー

あるある大辞典で忌み嫌われているあのカロリー

おれは混乱した。

作物の生産量ならキログラムとかトンとか、重量で記述するものじゃないの?

もちろん今ならわかる。

食料自給率カロリーベースで見るだとか、そういう意図の下で作られた統計だったのだろう。

だが当時は混乱した。

しかしこの事実は幼いおれの脳裏に深く刻みつけられた。

熱量とはカロリーである」と。

ところで現状を振り返ってみてほしい。

何か盛り上がっている様子や、勢いがあるさまを「すごい熱量」と表現しているのを見かけたことはないだろうか。

おれはこの表現がどうしても納得いかないのだ。

おいおい、熱量ってのはカロリーのことだぜ?

そこは「熱意」とか「熱気」とか「すごい勢い」とか、他に適切な表現があるじゃないかと。

それなのにそこを「熱量」と表現する文章最近多い気がする。

おれが思うには2012年満島ひかり中島みゆき「ファイト」を歌うカロリーメイトCMきっかけだと思っている。

とどけ、熱量

このキャッチコピーのせいではないか。

このコピー自体の出来はともかくとして、言わんとしていることはわかる。

カロリーメイトは、カロリーも含めた様々な栄養素を豊富に含んだ食品である

それを届ける大塚製薬は、人々にエネルギー(カロリーという意味でも、もっと精神的な活力という意味でも)を届けたいという思いをこのコピーに込めたのだろう。

からこのキャッチコピー自体文句はない。

しかし、それはこのコピーに限った話だ。

それ以外の文脈で「熱量」を使うと、それはもうカロリーという意味である

みんな、ちゃんと意味を把握せずに使っているんじゃないか?

印象的な「熱量」シーンがある。

きみは三富政行というプロレスラーを知っているか

博報堂社員で、ブログ退職エントリー話題になった人だ。

彼が以前、自分の参加したプロレス興行について、その盛り上がりをもっと広めていきたいという趣旨ツイートをしていた。

その中でも「熱量」という表現が使われていたのだ。

個人的意見になるが、この三富というレスラー勘違いをしている。

熱量意味もそうだが、プロレスラーとしての在り方だ。

アントニオ猪木以降、プロレス界のスターというのはみんな見かけによらずクレバーだと言われている。

プロレスにおいては、アスリート的な能力だけでなく観客を盛り上げる能力必要とされる。

前者は練習あるのみだが、後者はかなり頭を使わないと発揮できない部分だ。

これがプロレスラークレバーと言われる所以である

そしてこの三富だが、彼はプロレスラーがみんなクレバーであるからといって「おれって考えてますよ」アピールだけをする男なのだ

頭で考え、体で発信する、これがプロレスラー仕事である。これらはどちらが欠けてもいけない。

しかし三富は頭で考えたことを、ツイッターなどで発信するだけなのである

彼はパーソナルトレーナーの資格を持っていながら、体はお世辞にもグッドシェイプとはいえない。

単に増量期なのかもしれないが、それは見る者には関係ないのだ。

そして博報堂兼業でやっていたために試合の機会は少なく、名勝負製造からは程遠い選手である

そんな彼が「俺はプロレス界を盛り上げる」などと言っていても説得力がないだろう。

ましてや「熱気」でいいところを「熱量」という誤った言葉表現してしまうという配慮の無さである

意識の高さは結構だが、その発言は勝者が行ってこそ意味のあるものである

するならするで、言葉意味には十分気を付けてほしい。

話を戻そう。

熱量」の意味は「カロリー」など熱エネルギーのことだ。

断じて「熱意」「熱気」「勢い」のような意味ではない。

もちろんおれだって言葉意味時代によって移り変わることは知っている。

他人が何と言おうが、辞書に何と書いてあろうが、言葉意味は使う人のものだ。

他者とのコミュニケーション場合でも、両者が了解しているならばどういう意味で使おうと自由である

それに、拡大解釈すればおれが誤用だと思っている「熱量」もあながち間違ってないように思えてくる。

しかしおれは認めるわけにはいかないのだ。

だって、なんか気持ち悪いじゃん。

熱量」はあくまで熱の量だ。

その場の盛り上がりとか雰囲気のすごみを伝えるなら、熱”気”とか熱”意”とか、客観的に測れないものを使う方がそれらしいじゃないか。

その場の空気を感じている人たちだって、その感動は量より質という類のものであるはずだ。

からみんな、熱量という言葉の使い方には気を付けてくれ。

熱量警察と言いつつ、おれも別に見つけるや否や指摘するような真似はしない。

上に書いた通り、言葉意味自由からだ。

しか自分がどういう意味相手に伝えたいのか、それにはどういう言葉が最適なのかをよく考えてほしい。

それが君たちの周りにいる人たち、支えてくれる人たちに真摯に向き合うということなんじゃないかな。

おれはこれを書き終わったら名もなき熱量警察に戻る。

でも忘れないでくれ、熱量意味は熱エネルギーだということを。

そして、何か感動を覚えたとき、とっさに思い付いた言葉がそれを形容するのにふさわしいかどうか、よく考えてほしい。

これがおれの「熱意」だ。

一生懸命書いたから「熱量」もすごいけどな。

2016-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20160119132826

えぇ意識高い人って「ファイト」好きなの?

駅の階段子供が突き落されたのを見過ごすとか、田舎を出てくなら親族一同住めんようにしちゃるとか、そういう部分も好きなのかな

やっぱ見る目がある人はちがうなーそこらの前向きな応援ソングとは一味ちがうよねー(棒

この曲を好きな人はマズイ

BUMP OF CHICKENというバンドの「グングニル」って曲。

中島みゆき「ファイト」

今まで出会った意識高い系の人に「好きな曲は?」って聞くとこの2曲がよく出てくる。

みんな「自分テーマ曲」って言ってるが歌詞を見れば納得。

自分けが頑張っているみたいな歌詞書けば食い付きがよさそう。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん