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はてなキーワード: 良心とは

2024-05-22

anond:20240521170121

ただの想像だけど、本当は「夫に恋をする」予定もなかったんじゃないか

それまでの話の流れからし

元の予定は、不倫女に「女が生きるには悪知恵が必要先生もわかってるでしょ」と言われて

自分仕事での成功の為に優三の好意を利用して都合のいい契約結婚している自分不倫女と同じ穴の狢、って事に気付いて

それを否定したい感情なり、優三への良心の呵責なりが生じて子供を作る、ってシナリオだったんじゃないか

その方が話の流れとしてしっくり来る

でも恋愛感情なしに子供を作ったという設定だと反感を買うとかそういった理由でそれが没になって、不倫女の話が不自然に残ったんじゃないか

主人公仕事で失敗させる」だけが目的の話なら不倫女にあんセリフ言わせる必要もないしね

結局その後妊娠仕事の両立が出来ずに仕事挫折するわけだけど

それも上記理由の方がより「他に選択余地がない詰んだ状況」や、それまで描いてきた「女という性の困難」を演出できたと思う

でも夫に恋したか子供作りました、って設定になったので

「じゃあ子供作らなきゃ良かったじゃん」「これまで散々高い志をアピールしてた割に結局仕事より恋愛優先、男優先かよ」になりかけている

(そう視聴者に思わせたくないが為の高速恋愛妊娠展開なんだろうけども。

ぐだぐだ長時間かけて恋愛話やってたら恋愛話が印象に強く残ってそれこそ「結局恋愛脳かよ」になるだろうし)

「恋に落ちるのは突然」というナレがなければその辺は想像余地があったけど、このナレのせいで「突然恋に落ちた」のが確定してしまったのもなあ

朝ドラはわかりやすくないとだめとは言え

2024-05-21

anond:20240521080249

こういう意見はありがたい

女性への嫌がらせ正当性が得られるというか良心の呵責が減る

2024-05-19

anond:20240518125951

おぢから貰った金で買った野菜とおぢから野菜支給本質的な違いってなんだろう

野菜支給家族に言えるけど金支給野菜購入は言えないってことかな

現金を介さないと良心がいたまないのかしら

2024-05-13

実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

そのじいさんが亡くなった。

昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家帰省するときレンタカーを予約する。この連休もそうした。

安いので、地元自動車修理工場フランチャイズでやっているインディーズレンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元DQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。

そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。

正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。

実家所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロック会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。

母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。

じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。

じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。

寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。

じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。

そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。

その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。

そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。

それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。

死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。

最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。

最初友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき友達わたしの隣にいないという人はきっといない。

父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。

父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。

父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。

亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEわたしに送ってきた。車というもの私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。

ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。

(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)

そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかたことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。

こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。

まれから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。

生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。

じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。

それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。

ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。

私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省ときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。

私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。

anond:20240513153800

隠れてやるにはセーフだが

己の良心が許すかな?

2024-05-12

anond:20240512234823

ジャップは本当に良心倫理が欠如している

社会が腐るのも当たり前

anond:20240510000324

旅行先の街で窃盗犯見たら通報する 物を盗まれた人が困るだろうし、盗みを働く犯罪者は罰せられるべきだから

それと同じことだと思っているが、まあ良心とかないタイプなんだろうな増田は 

部屋から出ずに引きこもって働いたり人と交流したりせずに、生活保護もらって部屋で漫画だけ読むだけして生きてて欲しい 世界のために

2024-05-11

anond:20240511190527

第3の選択肢、「あなたが声を上げればいい」。

負の性欲を認めろと迫るも、認めるなと迫るも、どちらにしても声が届かないなら自由を失うことはないから。

いかに2択の論理が完全だったとしても、知らなきゃ責められる事もない。良心の呵責もない。

2024-05-09

正直結婚詐欺で騙した本人殺しただけまだ良心働いてるよな

渋谷のホコテンにトラックで突っ込むとか自家製爆弾しかけるとか出てきても不思議じゃないわけで

ヤマトガンダムSFなのか?

ヤマトはとりあえず、ガンダムに関してはファンタジーが強い気がする

なんでかって、やっぱり富野由悠季という作家性が強い作品だし、彼の作品は基本ファンタジーから

自身SFですって言おうが、ダンバインでなくとも、イデオンだってSFというよりファンタジーの印象が強い

岡田斗司夫ガンダムSFだと言ってたけど、自分はどちらかと言えばスペースオペラファンタジーだと思ってる

というか、アルタード・ステーツをSFと分類するかもちょっと自分はためらう

SFというか、オカルトネタだと思う

富野氏がアルタード・ステーツのようなオカルトからヒントを得たのは疑いがないと思う

当時、アイソレーションタンクなどによる無重力下で、人体になんらかの変化が起こる、というオカルト流行していた

富野氏は、人類宇宙進出することと合体させ、だったら宇宙に出た人類無重力下で人体になんらかの変化が起きる、

進化が起きる、ニュータイプになる、ということを考えたのだろう

エヴァ生命スープだのL.C.Lなども同様のアイソレーションタンクである、その証拠パイロットは溶けた

なんとなくだが、単なるLSD中毒ジャンキーだったジョン・C・リリーのたわ言は長い間信じられてきた

イルカクジラの脳は人間並みかそれより高度だとか、イルカクジラ同士のコミュニケーションによって地球レベルネットワーク形成されているとか、

彼のWikipediaを読むだけでも、流石に現代では噴飯ものオカルトがテンコ盛りなわけだけど、

富野氏はマジで信じてたタイプなのではないか富野氏のインタビューとかを眺めるたびにそう思うのである

オカルトをかなりマジで信じてた、かなり、ぶっ飛んでる御仁ではないかと思うのだ

そういう意味では宮崎御大もかなりのものだと思うが…

結論からすれば、仮に富野氏がガンダムSFだと仰ったとしても、自分にはかなりオカルト色の強いファンタジーしか思えない

そういう視点からすれば、オウムとか新興宗教制作したアニメ紙一重なのかもしれないが、

ガンダム最初からフィクションだと言ってるわけだし、新興宗教のクソアニメなんかより、よっぽど面白いわけで、面白ければいいのであるフィクションなんだから良心である

2024-05-08

良心計算に頼るのは限界がある

人は打算的なものだというが、信用や自由喪失のことを計算して犯罪自主的にやめうるものかというと、そんなことができる人は多く見積もっても7〜8割だろう。残りの2〜3割は犯罪をする。ろくなことにならないと薄々わかってるのに悪に手を染めてしまう。どうしたらいいか

2024-05-07

anond:20240507170530

まぁ運営の難しさもわかるわ。

課金させて取ったキャラが強すぎた(普通に考えて数百を超えかねないキャラ数でバランスを持たせるなんて無理な話で)からと言って

ナーフさせるわけにもいかず、とはいえ期間限定再販ポンポンさせるわけにもいか・・・

ある意味そういう広いガチャでも良いからゲットできる機会があるのは良心かもしれん。

anond:20240506115138

でも、ゼレンスキーいくら良心に訴えても戦争負担を男に押し付け日本に逃げてきてるじゃん。

永井豪フェミニズム

永井豪漫画家としての功績とフェミニズムについて言うならば、それは「少年漫画における少女像の変遷」について語る必要があります

少年漫画には歴然エロ枠があり、その中からも常に漫画史に名を残すべき作品が生まれてきたことは間違いありません。日活ロマンポルノが多くの映画人を輩出してきたのと同様に、少年漫画エロからも多くの才能が巣立っていきました。しかし、その枠内で当時の漫画関係者のもっていた女性自体の変革を試み、実際に成功した人と言えば、それはやはり数少ないと思います永井豪は、間違いなくそのうちの一人です。

永井は、1970年前後少年4誌で同時連載を実現したほどの売れっ子漫画家でしたが、彼の出世作が「ハレンチ学園」(ジャンプ,1968~)であることは間違いないでしょう。この作品で彼は「柳生十兵衛」という少女ヒロインに設定しました。十兵衛は、侍ガール(!)であり、そして、男のエロ攻撃に対して敢然と戦うヒロインです。もちろん、エロ枠ですからいろいろな目に遭うわけですが、それでも永井の中にある「凛々しく強い女性」への憧憬が原型として誕生したわけです。続く少年チャンピオンでの連載で彼は、それまで少年漫画では御法度とされていた「少女主人公」で連載をやりたいと編集部に訴えます。が、却下されました。そこで彼は「では悪党一家主人公ということで」と言い抜けて、実際は一家の長女を主人公として連載をしました。それが「あばしり一家」(1969~)です。菊之助は、強くて悪くてセクシーで、そして底抜けに明るい戦う少女です。以後、彼の代表作の数々において、このような女性たちが大活躍することになります。(「デビルマン」のヒロイン「美樹」は、登場当初から主人公を圧倒する気の強い少女として登場し、終盤では前に立って戦う……そして……姿まで見せます(それまで少年漫画あんな目に遭うヒロインがいたでしょうか?)。「キューティーハニー」はエロ枠でありながら、遂に堂々と少女主人公しかつヒットを飛ばしました。また、「デビルマン」の後に書かれた永井代表作といってよい「バイオレンスジャック」では、頼りない主人公(男)を守る「戦う女性たち」が凄絶な美しさをもつ存在として、そして、ジャック自身性別を超越した存在として描かれます。)

実際、一般的に言ってエロ枠における女性像というのは、1980年代以後の超有名作で言えば「まいっちんぐマチ子先生」にみられるように”セクハラを許容する都合の良い無力な聖母”みたいな所にありました。そういったもの比較すれば、永井作品いか先進的であったか理解できると思います

強く、カッコよく、セクシーな戦う女性たち、そして何よりも、主人公として活躍する少女今日少年漫画女性主人公、自立した強い少女、守られるのでなく前に立つ少女、戦う少女は少なくありません。彼女らはどこから来たのか。また、プリキュアなど「戦う少女像」がどこに源流をもつのか。もちろん全てがとは言いませんが、永井をはじめとする多くの表現者が、女性エロネタ扱いすることに飽き足らず(表現者良心として)挑戦を続けてきた結果であろうと思っています

私は、永井作品が、1970年から以後のガールズ・エンパワメントの一翼を担い、その後の同種の作品先鞭をつけたという点で、フェミニズム史に大きな貢献をした人物として評価してよいと思っています。まあ、彼自身は「単に女の子が好きで書いてただけですよ」というだけかもしれませんが、彼の仕事は大きな意義のある仕事でした。

そんな永井先生仕事の意義も当時の時代状況も理解せず、ただ単に身の回りの身内に受けのよさげなことを口走る自称フェミニスト」がいるとしたら、それは歴史についてもフェミニズムについても理解の精度が低く、底が浅い存在と言うしかないでしょう。残念なことです。増田書き込みが、ただの風聞に過ぎないことを祈ります

anond:20240506130556

2024-05-06

いただき女子りりちゃんの話、ホスト大金貢いで癒やされていた人が、同じように大金要求して癒やしを与えていたって構造に見える

そうなるとホスト本質的差異があまり一見感じられないというのをちょっと思ってしま

まあ実際は法的な意味での詐欺性のあれこれで完全に同一視するとよくないんだろうけど

方向性としての類似性は正直に言えば覚えてしまうというか、なんというか

逆になんか自分ホストにエグい搾取されているのに、愚直にある程度の金銭しか求めずに朝から晩までソープで働く、みたいなののがある種良心的に過ぎないかと感じる

実際はみんないただき女子なんだよって言われたほうが個人的には信じられる

2024-05-04

anond:20240504002115

さすがチー牛腐女子さん

良心の欠片も感じられないコメントを書くことに関しては右に出るものが居ない。

こんなのが腐女子差別がー! 腐女子差別女性差別ー! 腐女子フェミ服従せよ! とかやってた奴らの本性ですよ。

2024-05-02

法律がなければ、人を殺して金品を強奪するのは悪い事ではなく、何の良心の咎も自分は感じないだろうという人は、一般的な成長過程を辿り、親や友人との関係の中で他者との交流の喜びや信頼を経験したことのある人には通常いないでしょう。

女の敵は女」とか、「フェミは男を叩きたくて仕方ない」とか、わかってないねキミたち

「女の敵は気に食わないもの全て」です

私が気に食わないものすべてに適当理由つけて叩いたり、憎悪してるんですよ

もちろん、正当性なんてありませんしその自覚はしてます自覚した上で罵倒してるんです

私に良心求めないでください、叩く対象に加えますよ?

2024-05-01

今はauとかでも2万円代のスマホ売ってんだな

良心的でびっくり

2024-04-29

いじめ対策ちゃんとやった方がいい

いじめっ子としては、いじめられっ子って拒否が出来ないんだよな

拒否出来ない

これがいじめられる原因なんだよ

例えば、掃除押し付けられるとしたら、ビビっちゃって受け入れるんよ

それを続けてると、金かかるようなことも受け入れるようになって、殴る蹴るも受け入れるようになる

そして、本人のプライドから自分はやらされてるんじゃなく、やってあげてるんだと自分に言い聞かせるようになる

からいじめられっ子は駄目なんだよ

ちゃんと嫌なことは嫌だと断らないと、断っても続けるなら暴れないと

そうやって面倒いやつだと思われないと、いじめっ子はどんどんやりたい放題やるぞ

そして、暴れないと周りの大人いじめに気付けない

イジメられて暴れたって事実を作らないと周りに良心的な大人がいても何も始まらないんだよ

お前らってイジメられっ子だろ?ちゃん自分の子供には断る練習をさせろよ

重要だぞ

2024-04-27

宝石の国最終話以外は無料で読めると聞いて

最終話を読むために、アフタヌーンを買わされるんだろうな

んで、続きが気になるような新連載が始まっているんだろうな。そこから定期購読させようってハラか。

しょうがねぇなぁ、乗ってやらんでもないぜ?さてどんな連載をぶつけてきやがったんだ?

と思ったら、最終話Web無料で読めてしまって肩透かしを食らっている。良心的だが商売が下手なのではないか

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