はてなキーワード: 白物家電とは
http://matome.naver.jp/odai/2142252184362744701
http://matome.naver.jp/odai/2142210313471935401
デザイン論というほど大層なものでもないだろうが、朝からこんなまとめを見てムカムカしたので一言いいたい。
まずしょうもない韓国あげ日本さげにデザインを引き合いに出すなと。
例にあげられている日本の雑誌は確かにださい。でもそれはそういう客層をターゲットにしているだけ。ギャル向けのファッション誌に対して「ごちゃごちゃしてる」とか的外れもいいとこ。
日本のエディトリアルデザインが素晴らしいと言うつもりは毛頭ないけど、雑誌ひとつのデザインを切り出して日本は〜韓国は〜言うのは主語がでかすぎる。
まぁいいたいのはこれだけなんだけど、一応まとめに対する自分なりの見解も書いておく。
「テプラはデザインの敗北」とはよく言うけど、まったくもってその通り。この店舗はさぞいろんなクレームがきたんだろうなと同情してしまう。
ただ勘違いしちゃいけないのは、万人に使いやすくするだけがデザインじゃないってこと。
白物家電のような万人向けだけどおせっかいすぎるUIも、今回のコーヒーメーカーのようなスタイリッシュなUIも、それぞれデザインのひとつの解答だと思う。
ここからは想像になるが、おそらくクライアント(とデザイナー)はセブンイレブンをおしゃれなカフェ路線に持って行きたかったのではないだろうか。
しかし現場が求めたのは白物家電のような懇切丁寧なUIだったというところか。
念のためいっておきたいのはデザイナーが独断でデザインを決められるなんてことはまずない。デザイナーが日々オナニーに励んでいると思ったら大間違いだ!
と、まぁ職業柄デザイナーにだいぶ肩入れしてしまったけど、テプラが貼られてしまうようでは結局デザインがうまく機能してないわけで、いろいろ改善はするべきなんだと思う。
高級、おしゃれ路線でいくなら押し間違いの保証くらいするべきとか、そもそもセルフにしないほうがとか、全体のシステムひっくるめたデザインとして。
乳酸菌を取る輩は嫌いなので、白物家電を見る目つきはまこと女体へのそれであり、
白日の下に晒されたおれのプライバシーは、しかし、かつて夢見た発熱とマラリアの
延長線上であることに気づかされた。
発掘は悪であり、正義とは只管に傾けられた情熱でしかない。人は狂った果実を食べることで、
ようやく動物から2層のフィルタを通じた、一時の牙を得られるのだ。
「ははぁ、シャンソン歌手だな?」というせりふには2重の意味がある。
2つはきっと、直行する砂塵で、バンドエイドではとても止められる代物ではない。
畢竟、喪失した青春はめくるめく雨粒の合間を縫って帰るしかないのだ、
ところが、繰り返された日々の間に間に、それは成長と肥大を繰り返しては
アンチ・ミステリを嘲笑する大痣から鏡越しに監視される条件を持っている。
左の喧騒は、創造の域を出ない右脳から直結するし、左脳にいたる3つのバイパスは、
そのいずれもが生まれてまもなく、破壊される。
なぜか。反逆だからだ。分別の無い、獣だからだ。風を読むのはたやすいが、
それを応用するのは人間の仕業だ。技術は無い。技術とは業だからだ。
さて、業とは何か、恋に怯える皮膜が電線を伝ってコンセントからにじみ出る様を、
人は業と呼んだ。昔の話だ。
今は違う。天球が恋だ。恋そのものだ。だから自転するし、軸もある。
人に軸は無いから、根源にもいたれない。想像することで補完する世界もあるが、
気狂いの激しい21世紀ではそれもまた、難しい部類に入る。
弱みを見せてはいけない。「普通」が一番変拍子をないがしろにするからだ。
沸点はあるか?興味を持ってもいけない。表層が煮えていても、その実、芯は
構造を何ひとつ見せていないではないか。心をあけっぴろにすればするほど、
それは堅牢さを保ち続ける。
唐突だがおれは引きこもりである。滑り止めで入った高校のあまりのレベルの低さに絶望して中退して以来、10年近く部屋に引きこもっている。当然、選挙には一度も行ったことがない。「お前みたいなのがいるから日本はよくならんのじゃ!」と選挙前だけ血気盛んになるヤツらに言われそうだが、ちょっと待て! 5分だけでいいから俺の主張も聞いてくれ。
はてなブックマークでこんな記事が話題になっていた。
【案外少人数】『若い人が投票に行けば世の中変る』と言われるけど、本当に変るのか計算してみた【友達一人でおk】
http://nihon-jyoho-bunseki.seesaa.net/article/307990760.html
このブログの書き手はこんなことをのたまっている。
、いつも投票に行ってる20代の人が投票に行かない友人を一人連れて行って、いつも投票に行っている30代人の2人に1人が投票に行かない友人を一人を投票に連れて行けば、世の中が変るという事です。
こいつは20代の友人を一人連れていくだけで、日本が変わると言っているのだ! が、これは簡単に否定することができる。
今回の選挙にあわせて、ネット上で10代だけが投票できる「TEENS OPINION」という投票サイトが作られた。これを見れば投票に行っていない若者が、実際に投票所に行ったら、どこに投票するのかを予測することができる。
じゃあ、その結果を見てみると……これが1位が自民党で2位が民主党。3位が日本維新の会。要するに実際の選挙結果と何ら変わらんのだ。
これはつまり今投票に行っていない人が投票に行っても、各党の得票する比率は変わらないってことになる。結局、今回の選挙で選挙に行っていない若者が選挙に行っても、自民党は大勝したわけだ。
「若者が選挙に行けば日本は変わる」と言っている人は、前提がまるでおかしい。「選挙に行っていない若者の大半が今の主流とは違った政党に投票してくれるだろう」と考えているのだ。もっと言えば「選挙に行っていない若者の大半が自分の支持政党に入れてくれるだろう」と考えているのだ。それは妄想だ。国の運営者を決めるような大事なときに、妄想に浸るな、バカ! ちなみに「友人に投票を頼む」って、それを人海戦術でやっているのが公明党なわけだが、今回の選挙でどれだけ議席を取ったんだっけ?
そもそも「選挙で政権が取れたら日本が変わる政党」って各党のマニフェスト見ればそんな政党ないってわかるだろ! どこも消費税いま上げるかあとで上げるかの違いぐらいしかないぞ! そんな瑣末な差しかないから政党政治が機能しなくなってんだろ! 政権を取ったら確実に変わるといえば日本維新の会か共産党ぐらいだが、お前は共産党に投票したのか?
もう「選挙で日本が変わる」だなんていう不真面目な幻想に浸るのはやめろ! みんなが選挙に行けば一気に世の中変わるだって? それはハルマゲドン思想だ! 一発デカいことがあれば世の中変わるだなんて、ハルマゲドンと一緒だよ! オウムだ、オウム! お前らオウム信者!
じゃあ、日本は一生救われないのか? 静かに沈むゆくタイタニック号なのか? どうあっても現状打破はできないと言うのか、このペシミストめ! という声が聞こえてきそうだが、そんなことはない。こういうときこそ歴史に学べ! 戦後、日本人の生活を向上させてきたものは何か?
それは白物家電と携帯電話、それに100円ショップだ。家電のおかげで家事の手間がそうとう省けたし、携帯電話はコミュニケーションコストを大幅に削減した。100円ショップは便利なものを安く売りさばく貧乏人の味方だ。
当然、これらは生み出したのは選挙ではない! 企業で働く真面目な人が、「たくさんの人に売れる商品(サービス)は何か」と考え抜き、それを形にしようと真面目に努力してきたから生まれたのだ。つまり、日本を変えるとは「まじめに働く」ことなのだ。
おい、お前ら! ハルマゲドン選挙なんか望むな! 真面目に働け、コラ!!
まぁ、俺は働いていないんだけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブについて、各所で話題になっていたマサチューセッツ工科大サイトの感想も翻訳してみた。初音ミク現象を基に、情報を巡る様々な活動の基盤となるメディア・プラットフォームのあり方について考えたもので、書き手はミクが市民主導のメディア作りをするうえで参考になると考えているようだ。残念ながら一ヶ所、fro-ducerなる意味の分からない用語があったのでそこは翻訳していない。意味を知っている人がいたらご教授願いたい。
urlは以下の通り。
http://civic.mit.edu/blog/condry/miku-japans-virtual-idol-and-media-platform
7月2日土曜日、私は普通じゃないライブショー、日本から来たヴァーチャル・アイドルの米国デビューを見に行った。彼女は市民メディアについて私たちに何かを伝えられる存在だと思う。
初音ミクはアニメ・エキスポにおける催しの一つとして、ロサンゼルスのノキア・シアターで公演した。完売したコンサートには、多くがコスチュームに身を包んだ4000人を超えるファンが訪れ、ステージ上で生の演奏家の横に投影された「人間サイズ」の映像であるミクが床からせり出してくると、彼らは叫びケミカルライトを振った。
ミクは甘く歌い、幅20フィートある放物線状の鏡に沿って跳びはね、大半は熱狂的なテクノダンス・ポップな曲目を駆け抜ける間、決して汗をかかなかった。ステージの脇には彼女と他のバンドメンバーをクローズアップした映像がスクリーンに映し出されていた。彼女はちょっとしたおしゃべりもした。「はじめまして、初音ミクです」。そしてバンド(ギター、ベース、キーボード、ドラム)と6人の弦楽器奏者たちを紹介した。私たちは彼女に拍手を送り続けた。
「あたしたちは歴史を作っているのよ」と、私の隣に座った若い女性が友達に話しかけていた。たしかにそんな気がした。そして政治とポピュラー音楽について私が知っていると考えていることについて、改めて考え直した。
誰もが喝采しているが、何に対して? ステージ上、私たちの注目が集まる場所には誰もいない。単に仮想アバターが存在するだけだ。何のアバター? 一体誰の? それは私たちの。
大衆文化は政治と同様、しばしばステージ上の(あるいはスクリーンに映された)リーダーを前提としているように見えるが、その影響力や、しばしば創造性そのものが、どう転んでもより幅広い分散型の集団行動から生まれてくることを、ミクは示している。ミクは未開拓の可能性を孕む世界、クラウドソースな動員モデル、そして一部はソフト技術(ボーカロイド)、一部は文化的なアイデア(ミクというキャラ)からなるメディア・プラットフォームに関する有益な事例について、言外にほのめかしているのだ。
ミクはYAMAHAが開発し2004年から販売を始めたボーカロイドと呼ばれる音楽合成ソフトウエア・パッケージの声として作られた。ボーカロイドはガレージバンド[音楽制作ソフト]同様、演奏用の道具として音楽を作ることができるが、その際にメロディーと同じく歌詞を書けるという特徴も持っている。別の企業、クリプトン・フューチャー・エンターテインメント[ママ]が2007年、漫画風の画像と経歴設定(16歳、身長、体重、その他)と一緒に、追加音声であるミクを発売した。
http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01_us.jsp
重要なことに、クリプトンは画像に対する著作権を強く主張しない方針を定め、キャラクターが彼女自身の生命、より正確に言えば私たち自身の生命を持てるよう制限を解いた。いわば私たち誰もがレディー・ガガのために音楽を作り、それを彼女が私たちのために演じてくれるようなものだ。ミクがリアルじゃないってことが問題だって? それじゃレディー・ガガはどのくらい「リアル」なんだい?
ファンはそれにこたえ、さまざまな共通の服装及び像(たとえばネギ)を共有しながら数百数千の音楽ビデオをオンライン投稿した。以来、日本の動画シェアサイト、ニコニコ動画への投稿及びコメントを通じて増幅されたファンの取り組みのおかげで、ミクはスターの座へ駆け上がった。いわゆる「Nicodo」[ニコ動]はユーチューブと似ているが、動画を見ていると利用者のコメントがスクロールしていくところが違っており、それによって参加者の視点というレイヤーが追加されている。
今日ではミクのP(『プロデューサー』)は彼らの作品をオンラインで販売し、日本のカラオケスポットでは好きなミクの歌をダウンロードして歌うことができる。クリプトンは、彼ら曰くクリエイティブ・コモンズの模倣であるPiaproというオンライン・サイトを持ち、連携促進とライセンス供与をするシステムを作っている。ファンの作品は他の販売経路を通じても売られている。2010年11月、東京・池袋で開かれ私を含めた7000人の参加者を集めた完売のファン・コンベンションでは、集められた500のファングループがボーカロイド関連の音楽、ポスター、DVD、イラスト本、テレビゲーム、装飾品その他を販売した。
こうしたファンの興奮ぶりを踏まえると、ビッグ・ビジネスが仲間に加わろうとするのも不思議はない。2009年以来、SEGAはProject Divaというタイトル名でミクの携帯機及びアーケード向けゲームを作成している。トヨタも今や広告シリーズでミクを使っており、彼らはミクのロサンゼルス・デビューの前にCMを公開したほどだ(いくらかの非難も浴びたが、おそらくは善意に基づいて作られていた)。とはいえ究極のところミクはファンの取り組みによって命を吹き込まれており、ミクが商業主義の世界に足を踏み入れるのを見るのが興味深いのもそれこそが理由だろう。
ミクは、以前から知られていた市民メディアのための教訓のいくつかを補強する存在だ。人々が参加するには本当の開放性が感じられることが必要であり、共有と対話がコミュニティー形成のカギになる。管理された知的財産権システムよりも自由な文化の方がより何かを生み出す力があり、新規参入と商業主義化は、特に人気が高まった場合は常にリスクとなる。
だがミクは分散型の創造性について、ウィキペディアとも人間のセレブとも異なる特殊な図式を提示している。ミクにはバックグラウンドが欠けている。彼女には予め定められた人格はない。彼女は唯一の完成した空想世界に存在しているのではない。このウィキ=セレブは、将来がプラットフォームに在る時代において、昔ながらの人間のセレブを白物家電のように見せてしまう。
この事実は民主主義と参加についての考え方にも別の道筋を提供するのだろうか? 行動と人気を生み出すのがリーダーたち以外の社会的現実だとしたら、メディアに関する問いは表現される内容よりも、プラットフォームのあり方、それがどれほど開放的であり、それが許す創造性の形式がどんなものであるかに振り向けられるだろう。
クリプトン社長の伊藤博之は2011年10月、ミクと計画されている英語版を含む関連プロジェクトについて議論するため[MITの]比較メディア論を訪れる。彼はこの現象を、エンターテインメント産業について再考する機会だとみている。「これは普通ではない形の創造性です」と、コンサート前にLAで短時間出会った際に彼は言った。「私たちはコンテンツを作成する過程を作り変えているのです」。ミクが機能するのは分散型のファン=製作者グループの関与があるからだ。おそらくこれはプロ=シューマー[生産消費者]の終焉であり、fro-ducer[残念ながら意味不明]の台頭なのだ。
大衆文化は、市民メディアを分析・設計する際に利用できる社会的力学を照らし出すものだ、と私は信じている。大衆文化は政治的参加のための媒体になり得るのみならず、特に人々に行動を促すという観点からどのようにアイデアが流れ影響をもたらすかについて把握するモデルも提供してくれる。
アニメに関する研究において、私は仮想のキャラクターがそれ独自で生成力のある創造性のプラットフォームになっているとの結論に達した。そこからより多くの種類のプラットフォームが出てきそうであり、創造され、築かれ、共有され、分配され、リミックスされ拡張されるのを待っていることを、ミクは明白に示した。ミクについて考えることで、私たちが未来において行動するコミュニティーを創造するための新たなアプローチについて思い描けるようになること、それが私の望みだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
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初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
そもそも会社が三顧の礼で迎えたいような人材の場合、その時点で履歴書だの職務経歴書だの提出させるような事はしない。重役がその人の家に直接出向いて「うちに来ないか」と口説きに来るよ。
大学の同期がまさにそれだった。
講堂の傍で背広のおっさんが何人か待機していて、講義が終わって同期が出てくるのを待ってたりしてた。いわゆる「出待ち」。大学側も黙認してたから、何かお偉いさんのコネでもあったんだろう。
そいつは、卒業したら入社するって約束で残りの学費を肩代わりしてもらってたらしい。おおっぴらには無理だから、そいつの実家に白物家電とか電動アシスト自転車を「新製品モニター」名目でプレゼントしたりとかいう形で(笑)。
その後俺も別の会社に入って、採用担当の人と世間話した時にその事をネタっぽく話したら、「さすがは○○(同期が入った会社)だな。やはり良い人材はリスクを取ってでも獲りにいかなきゃならないな。」と感心し始めたもんだから、話を振った俺の方が逆に反応に困った。
なんかもう、普通に「自炊」って言葉使われ始めてるよね。マジコンやiPadの登場でにわかに顕著になった印象もあるけど。
そこに俺は大いに違和感を覚えるわけだ。
一応断っておくと、俺自身は「自炊」行為自体の是非そのものについてあれこれ言う気は無いし、ゲームのコピーや書籍のスキャンを「自炊」と呼ぶべきではないと他人に指図する気は無い。
なので、以下はあくまでも「トリビア」的なものだと思って欲しい。その上で、ゲームのコピーや書籍のスキャンを「自炊」と呼ぶかどうかは各自の判断に任せる。ただ俺は(少なくとも当分は)使わず、代わりに「コピー」「スキャン」などと呼ぶだろう。
「自炊」が「自ら炊くこと」に由来する事は、その言葉を使っている人なら知っていると思う。しかし、ゲームや書籍をコピー、データ化する行為と「炊く」という行為は今ひとつ馴染まないと思う人も多いんじゃないだろうか。
その疑問は当然である。そもそもこの言葉は、ゲーム基盤や書籍の電子化とは殆ど無関係な分野の生活用語だったのだから。
では本来の分野は一体何だったのか。ずばり、家事である。
三十代後半よりも上の世代であれば、「KOME」と呼ばれるジャパニーズソウルフードと、それに付け合わせる野菜のお総菜、及びそれらをやりとりするご近所コミュニティの存在は、聞いた事くらいはあるはず。
このKOMEを特殊な機械(羽釜・かまど)でKOMEからGOHANへ炊く行為こそが「自炊」の原点と言える。イメージ的には昔話のおばあさんの仕事に近い。
なので本来の意味での「自炊」とは、取れたての新米およびそれらを炊きあげる機材、炊きあげるノウハウを全て揃えた人のみが可能な行為で、およそ一般人が手軽に出来る事ではなかったのだ。
その後、家庭用炊飯器などもその対象となり、米を中心とする和食からパン、パスタなどへと食事が変化していった事や、それと同時期の白物家電の普及に合わせるかのように登場したIH炊飯ジャーによって、料理のレシピの共有と拡散は急激に進み(*1)、やがてはそれ以外の分野の食材の調理(ここでは家庭で食べられる状態にする事)にまで「自炊」という名前が付くようになっていった。
つまり、パスタをゆでたり、インスタントラーメン、インスタントカレー、その他レトルト食品を湯煎、もしくは電子レンジで暖める行為なども、一時期は十把一絡げに「自炊」と呼ばれていたわけだ。おそらく今でもそう呼んでる人はそれなりにいると思う。炊飯にこだわらない方が、より「炊事する」行為にイメージ的に近いだろうしね。
それを踏まえた上で、白米を炊きあげること「以外」を「自炊」と呼ぶ事に違和感を覚える人がそれなりにいるという事を、最近「自炊」という言葉を使い始めた人達には出来れば理解して欲しい。何十年以上日本で暮らしてる俺みたいな人間には「自炊」なんてのは「柴刈り」とか「掃除」とか「洗濯」とか「子育て」とか「介護」とかと同じレベルの言葉なわけ。
(*1) 炊飯器のレシピ 12539品 [クックパッド] http://cookpad.com/%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%83%94/%E7%82%8A%E9%A3%AF%E5%99%A8
1人暮らしの男にしては、きちんと掃除をしているほうだと思ってた。
掃除機は週末しかかけられないけど(平日深夜にかけたら下の階の住人に迷惑だ)、食器はすぐ洗うし、洗濯物もちゃんと畳んで収納している。ゴミ出しもその都度している。床に物が散乱していることはない。
ただ、そういう「毎日する掃除」は習慣としてできているのだけど「たまにする掃除」ができない。
フローリングの床はワックスがはがれてざらざらだし、ガスコンロ周辺は黒くなった油がびっしりこびりついているし、サッシやカーテンレールは埃で黒くなっている。
鏡はぼやけて、白物家電は全体的に黒ずんで、雑巾で拭いても落ちない。結果的に、友人を呼ぶと「お前んち汚いな、掃除してるか?」と言われてしまって理不尽な気分になる。
こういうのって、普通は正月や連休の時に大掃除するものなのだろうか。でも、たまの連休ぐらい旅行にも行きたいし、掃除で1日つぶすのは時間の無駄のような気がしてしまう。
それに、ここまでひどく汚れてしまうとどう落とせばいいのかも分からなくて、放置してしまう。
掃除がこんなにめんどくさいとは思わなかった。うちの母ちゃんは偉かったんだな。
あと、もう5~10年若かったら今のガジェヲタ方面のiPhone周りとか
ゲオタ方面のXbox360なんか(単品としてだけではなく、その周りを含めた
熱気とか込みで)食いついちゃうんだろうなぁ、みたいな。
純粋な見てくれっていうよりも使い心地、ユーザビリティに根差した
総合的なデザインでないとなっていうか。モノそのものをステータスとして
振り回されても萎える一方。
もちろん自動車なんぞそんなんばっか、などというつもりは毛頭無いけど、
かつてのクルマとクルマ好きの価値観があまりにもそっちにより過ぎた
イメージは否めない。
地元いた頃は実家で余って親から譲り受けたホンダTodayちょっと乗ってたけど
あんまり不都合感じなかったし
http://www.hottakeiei.jp/article/13307769.html
店頭に来られるときのお客様の期待感が「価格」に向いている場合、
そこでの接客が親切であれば、いい方向に期待感を裏切っている為、
逆に印象に残りやすいともいえます。
一般的にクレームが増加する傾向があります。
これは、お客様の期待感・イメージが「サービス」に向いている場合に起こりやすいからです。
結果として、影響力一番の価格には、
影響力一番の領域にある項目を持って戦うことが一番効果的になってきます。
私は、「価格」と同じ領域にある項目は、
http://www.hottakeiei.jp/article/13307851.html
「時間」を売る
この「時間を売る」という考え方は新しいものではなく、
新製品の垂直立ち上げ、修理の即日訪問まで幅広く実施されています。
(中略)
基本一律5,000円でもいいですし、
そういった基本料金が掛かることを明言し、
指定機種だけ無料訴求をする方が商売もしやすいのです。
訴求次第では、5%くらいの料金は取れると考えます。
即日配達・工事の訴求と共に、修理サービス網の訴求を併せて行うことが効果的です。
(略)
一般的に品薄商品を薄利でチラシ訴求し、集客の為に使用していますが、
朝一の混雑だけで、売り切れると客数が著しく減少してしまう傾向にあり、
買上点数の増加にも、さほど貢献できていないのが実情です。
都市だと、「時間」は(通勤時間を除いて)結構いろいろ買えます。
その一方、田舎だと、大抵時間は腐るほどありますし、時間の進みも遅いのですが、
田植えや稲刈りなど繁忙期の忙しさは猫の手も孫の手もニートの手も借りたいほど。
どちら側の時間を商売に結びつけるのがいいのだろうか。