はてなキーワード: 完璧主義とは
前回は塩を多く入れ過ぎて塩辛くなり過ぎたから気をつけないといけない。
古くくたびれた30年モノのステンレス製取っ手付き鍋に水を入れる。
パスタを茹でるための鍋としてはかなり小さいながらも買い替えるには少々勿体無い。
底にある模様は汚れだろうか、いや違うな、経年による変色だ。その証拠にスプーンの先で擦ってもちっとも手応えがない。
ペペロンチーノの塩加減は水に対して塩1.5%が目安らしい。
でも、名前だけは聞いたことがある何だか有名っぽいシェフが「パスタの茹で汁は味噌汁より濃い目で丁度いいんですよ」なんてドヤ顔で言ってたのを思い出して毎度安心する。
自分は今腹が減ってる。さっさと鍋を火にかけて早く食べたい。
そう思いながらガスコンロを点火して強火にする。
いつか火災が起こるリスクを潜在的に感じられる程度には古いガスコンロ。
うちのガスコンロの強火と他所のガスコンロの強火は同程度なんだろうか、そういう規格として統一されているんだろうか、もし違ってうちの強火が他所の中火程度とかならうちだけ湯が沸騰するまで時間がかかってることになるけどそれは嫌だな。
などと余計な事を考えつつも、時間がない。
さっさとニンニクを刻まなければならない。
のんびりし過ぎてパスタを茹で過ぎた結果全く歯応えのないペペロンチーノが出来上がるのだけは避けたいからな。
古びたプラスチック製まな板の上に房から雑に千切ったニンニクを2片置く。
切れ味が悪くなったから申し訳程度に研いだ包丁でニンニクの付け根をカットしつつ皮を剥く。
薄皮が少し付いてるけど水洗いしようかな、でもあとで油ハネすると嫌だから洗ったあとはしっかり水切りをしないとな…。
いつもニンニクの1片は潰してもう1片は刻むことにしている。
そういえばニンニクは傷つければ傷つけるほど強い味になるらしい。一体どこの誰が実験した結果なのか知らないけど、何だか死に際から生還すればするほど強くなるサイヤ人っぽいな。
無論、ニンニクの芽は取り除かないといけない。後で焦げて苦くなるから気を付けないと…。
***
湯が沸騰する。
1人前は100gだなんて聞くからおおよその自分の感覚で100gのパスタを手に取り全体を捻るようにして鍋に入れる。
上手くいく時はパスタが放射状に綺麗に広がるけど失敗すると上手く広がらない。
世界中を探したらこれを使ったパスタ占いなるインチキ占い師が一人は居るんじゃないかな。いや居ないか。
この時に火を弱火にしないと鍋の縁に当たったパスタが白く焦げるんだった。以前に焦がした時は少しその部分が硬くなってたな。でも食べてて気になるほどでは無い。別に誰かに食べさせるわけでもないけど変に完璧主義なのかな。焦げないように弱火にしてさっさと鍋の底にパスタを沈める。
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潰しておいたニンニクは大きくて火が通るまで時間がかかるから先に熱する。
潰したニンニクがシュワシュワしてきたタイミングで残りの刻みニンニクと唐辛子を投入して待つ。
これは「ニンニクを揚げる」ための時間じゃないんだ、あくまで「オリーブオイルにニンニクの良い香りを移す」ための時間なんだ。
そう自分に言い聞かせながら待つ。
ここで絶対に焦がしてはならないんだよ。焦がしたニンニクの香りが付いたオリーブオイルなんて自己嫌悪に陥るほど苦くて不味いからな…。
ニンニクの香りが嗅覚を通して食欲を刺激してきたらフライパンの火を止める。このくらいが苦くなるか否かを分けるデッドラインだろう。
もっとも、ここですぐに茹で汁を加えるような愚行に走ってはならない。高温で熱した直後の油に茹で汁を入れれば水蒸気爆発の様な現象が起こり細かい油が辺りに飛び散る。
油が飛び散っただけならまだいい。
フライパンの火を止め忘れた時など最悪だ。
その飛び散った微細な油がコンロの火に引火してフライパンに火柱が立ちキッチンの天井が焼け焦げそうになる。
もうあんな怖い思いは二度としたくない。
それに「ペペロンチーノを作ってて火事になりました」なんて恥ずかしくて口が裂けても周りに言いたくないからな。
過去にフライパンに火柱が立った記憶のフラッシュバックと、もし火事を起こしてしまった場合の未来の世界線のイメージがことのほか自分を注意深くさせ戒める。
そうだ、ニンニクがシュワシュワしてるうちはまだダメだ。シュワシュワが十分に収まってきたらでいいんだよ…。
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一気にオリーブオイルの量と同程度の茹で汁を加えるよりも少しずつ加えながら混ぜた方が乳化が上手くいくというのが経験則だ。
いや、出るだろうな。
でもその機械をわざわざ買いたくなるほど料理に熱心ではないんだよな。
でも機械派には味で負けたくないし。
そんな思いが必然的に混ぜる手に力を入れさせる。
理想としてはジャムの瓶みたいなのに入れてシェイクしたくらいには混ぜたいかな。
黄色い液体と透明の液体が混ざり合っていくうちに段々とその境界線がぼやけてくる。
不思議と白っぽく濁ったような色が出てくる。
黄色+透明=黄色なはずなのに黄色+透明=白濁した黄色になるから「不思議」だって思ったんだよ。
その不思議の解明はどこかの暇な科学者だか研究者だかに任せて一旦棚上げするとしてさ。
黄色い白濁したとろみのあるスープは何だかキラキラしてて黄金のスープに見えるな。
どこかのラーメン屋だかの宣伝文句で見ただけの陳腐なワードが頭に浮かぶ。
ゆらゆら揺れる金色の波が眼前に広がると共にその波に浮かぶニンニクの刺激的な香りでひとり悦に入る。
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火の通りすぎた柔らかすぎるパスタは何だかチープな感じがして好きじゃない。
別にソフト麺が悪いわけじゃないけどもう少し大人びた料理にしたいからさ。
これから麺上げしてスープに絡めて皿に盛り付けるまでの過程を逆算して丁度良いと思われるパスタの歯応えを確認してから茹で汁を切る。
取っ手付きのザルにパスタを入れて4~5回ほどサッサッと。
そういや以前友人と行った有名ラーメン店は湯切りの動きに合わせて「シュッ!シュッ!」とか声を出してたな。あの声出しは麺の湯切り作業において全く意味を為さないよね。ただのパフォーマンスだよね。いや、やってる本人もわかってると思うんだよ。でも店のプロデュース・演出の一環でさ、上から言われてて無理矢理やらされてるんだろうね、きっと。などと想像を膨らませながら友人と会話をしたのを思い出す。
スープにパスタを全て入れたらフライパンを揺らしたり煽ったりしながら最後の乳化作業を進める。
「別にフライパンを振れない人は箸でかき混ぜたっていいんですよ?」とか動画でアドバイスしていたどこかの料理人に反駁するかの如く念入りにフライパンを振る。
自分は素人かもしれないけどドが付くまでの素人ではないんだみたいな変なプライドなのかな。
フライパンの中にいい感じに収まったパスタとそれに絡みつくニンニクと唐辛子を見ると漸く安堵の域に達する。
今日も無事に辿り着けた…。
***
皿に移そうか、いや、どうせ自分独りで食べるんだ、スキレット的な感覚でフライパンに乗せたままそのまま食べよう。その方が冷めなくて良いし。
面倒くさがる自分にそうやって言い訳してるんだか本当にそう思ってるんだか分からないような気持ちでパスタに箸を通す。
確かにコンビニなんかに売っているペペロンチーノとは見た目が全然違う。
でもシンプルで見栄えがしないながらもきっとイタリア人の家庭料理としてのイタリア本格パスタはこんな質素な感じなんだろうな、とか、
よく日本人の家庭料理は頑張り過ぎだって外国の人は言ってるのを聞くし、とか、
行ったこともない異国の地について自分が勝手に作り上げたイメージに思いを馳せて、自分を無理矢理に納得させながらパスタを啜る。
でも。
やっぱり少ししょっぱいかもな…。
元ぼくのりりっくのぼうよみであり、現在たなかで活動している人のyoutube動画を見た。
タイトルと同じことについて話しているのだが、うむなるほどと思わせるようなことを話している。
暇ならぜひ見てみてくれ。
その際、普段の視点がプレイヤーか評論家のどちらでいるかで結果と過程が本当に大きく変わるものだと話を聞いてて思った。
評論家の視点でいると100点をベースに物事をジャッジするので減点方式のように自分の粗も探してしまう。
他人から賞賛を得られても、理想とのギャップを感じて相殺してしまいがちだし、取り組んでいるだけでは基本満足感は得られない。
こう重く苦悩を感じたり、はたまた自分にポテンシャルを見出せなければ簡単にやめてしまうことも多々あるだろう。
この辺が評論家視点でいることのつらいところだ。完璧主義ともいえる。
とはいえど、何かいいものを作るためには評論家の側面を持ち合わせなければいけないのもまた事実だと思う。
下手でも愚直にひたむきに生きているやつってのは割といる。
とりあえず描いてみた絵をツイッターで投稿したり、ファンがまったくいなくてもライブをするバンドマンだったり、実力が伴っていなくてもめちゃくちゃできる感を出してくる人だったり。
この人らはただただ自分の物差しだけで生きているように感じる。評論家同様に何かを評価することはあっても、自分にとって好きか嫌いかの単純な二択くらいでしか評価していないように思う。
本人らは下手だと気づかないほど鈍感なのか、ただただ好きの一心だけで周りなど気にしてないのか、見えていないのかわからないが、そんな人を目にするたび、そんなんじゃだめだよと諦めてしまったはずの自分が評価を下している。
その浅ましい姿は、まるで光に向かって群がる蛾のようで本当に気持ちが悪い。
たまに脳内で実在しない人間、いわゆるイマジナリーフレンドと会話することがあるんだけど、これってどれくらいの人がやってることなんだろう。社会学者の古市さんが同じようなことをしてるってのはテレビで見たことがある。スタジオドン引きだったっぽいけど。
自分は若干メンヘラ入ってるくらいで統合失調症でも解離性同一症でもないし、イマジナリーフレンドと話すことで日常生活にほぼ影響はないんだけどさ。まあこんな話は家族にも友達にもできないのでここに書き捨てる。
とりあえず自分の中にいるイマジナリーフレンドとか人格について書いてみよう。
頭の中で会話するときは、「自分自身が話している」というより「自分の中にある『自分』という人格が話している」ような感覚がある。よく分からんけど、現実世界と違って建前が一切なくなるからかね?
自分とタメくらいの男。顔は曖昧だけど背は高めで細身。これといった特徴はない。優しく無害な人間。
中学生の頃、自分が女であることが嫌すぎて作った男の人格。当時は「サトルが本来の自分で、女の自分は自分じゃない」と思っていた。厨二病だね。恥ずかしいね。
高校入って以降(自分が女であることを受け入れてから)は、主に話の聞き役、相談役になっている。主人格が精神的に疲れて虚無になってるときに呼び出して話を聞いてもらう。話は聞いてくれるが解決策は提示してくれない。
彼に対して恋愛感情とか全くなく、「裏側の自分」みたいな感覚。
5個上くらいの女性。眼鏡をかけたバリキャリOLみたいな外見。美人で胸がでかい。
就職して以降現れた人格。完璧主義で攻撃的。落ち込んでるときに現れて「役立たず」「甘えるな」「早く死ね」とか罵ってくる。口答えは許されない。ドン底まで落ち込んで心臓が痛むくらい傷つくので正直あまり出てこないでほしいけど、自分が深層心理でそれを望んでいる自覚はある。希死念慮を補強してきやがる。
インナーチャイルド。成人して以降ふとした瞬間に出てくるようになった。会話は不可能で、脳内にできた実家の部屋で彼女が泣いているのを外側から傍観するしかない。モラハラ父とアル中母に挟まれて大変だね。出てくると気持ちが沈むのであまり出てきてほしくない。フラッシュバックとは違う感じ。
以上、自分の場合こんな感じ。読み返したらだいぶやべぇなって感じだけど笑
同じようなことしてる人いたらぜひ話聞かせてね〜
ASD、ADHD共に診断済みです。知的はギリギリ入ってないくらい。でも平均と比べるとだいぶ低いです。俗に言うギリ健?
対人関係も、自分は上手く喋ったつもりでも相手に8割伝わってなかったりってことが多すぎるし、上手くストレスを処理できなくて1度崩れるとしばらく立ち直れなくなるしで終わりです。
何もできない癖に完璧主義だから、よく頭がいい人がやってるようなスケジュール帳に細かくやること書くやつやっても予想外のこと起こって1つズレると頭パンクして立て直せなくなります。
健常者みたいに楽しそうに生きたかったし、個人的に人と関わるのは好きなんだけど前述した通り喋ったことが8割通じないから人間関係うまく行かなくて辛いし、インターネットで友達作ってもそれが怖くて会えないし。
死ぬの躊躇してるのは来世の保証がないからで、来世が存在して健常者として生まれて来れるなら今すぐでも死ねると思います。死にたいんじゃなくて発達障害をなんとかしたいんです...。
土曜の朝からこんな話してごめんね。
たとえば中学に進学する時点で公立か私立という選択肢があったとする その地域では 私立>公立とする
4.全てがクソで行くべくして公立に行ったガキ
この時点でこのように振り分けられるとして学力的には1と3、2と4という風に分けられるが3は2と4のグループに無理やり入れられる
なぜなら2と4に囲まれると3は勉強すればするほど周りとどんどん話が合わなくなる
そして高校受験になると3以外はそのままだが3が4に変質してしまう
そして大学受験前に仮に元3である4が頑張ってMARCHぐらいに行けたとする
そうするともし1と同じ条件さえ与えられれば旧帝大や早慶に行けたかもしれない
これを踏まえた上でもう一度中学手前にスポットを当てた時に3であるガキは3であると気付いた段階で命を絶った方が懸命なのかどうか
いつもは調子よくイノベーションは失敗を許さないとね~とか、完璧主義がだめなんだとか、
あとでアップデートすればいいんだ!とりあえずGO!みたいなことを言うくせに
コロナでそんな奴らがいなくなったのには笑った
一挙手一投足にケチつけるじゃんお前らw
ワクチンにびくびくして結局、白人様が実験台として摂取して効果が分かったころにようやく顔出して
お?なんか、いい感じじゃない?デュフフとか気持ち悪い反応し始めて
お得意の「日本はなぜワクチン接種が進んでないんだ!」とか言い出した時は伝統芸能を見ているような感じだったわ
近所で問題が起きたらもう大騒ぎ
これがはてなブックマークなんだよな