はてなキーワード: 国民の声とは
いまだにカルト防止法が制定されない。
法律的にすぐ作るのが難しいとしても、制定の動きくらいあっていいだろうに、自民党にはいまだそんな動きが無い。
最低でも公安の監視対象に戻さなければならないのに、そうした動きもまったくない。
これはどういうことなのか。
つまり、政府自民党は、国民の声を聴く耳を失ったと看做すこともできる訳だ。
それとも党自体が深入りし過ぎていて爆弾だらけで、もう解除すら出来ないのかも知れない。
理由は分からないが、どのみちこの有様では、自分たちの身内がカルト被害に遭っても、政府は公的には助けてくれないことになる。
日本政府はこれから先、カルト被害者が増えることを未然に防ぐ努力を放棄した、と看做す他ない。
カルトは未来永劫ずっと、国民を好き放題に洗脳して全財産を毟り取りに来ることが決定した。
今後も被害者が続出するのは違いないが、公安すら動かないのでは、それを政府が半ば公認したと見做してよい。
すると何が起こるか。
第二第三の山上徹也が現れるのが必然どころか、時間の問題だろう。
カルトは事実上、完全に野放し状態なのだから、理論上、山上徹也は量産されることになる。
で、それをどうやって防ぐ?
せいぜい警備を厳重にする他ないが、相手は24時間のうち、ほんの一瞬の隙をつけばいいのに、ずっと防ぐなんて警察でも無茶だ。
むろん、本来なら、カルト集団の幹部たちを狙うべきなのは、実行犯たちも分かってる。
しかし、自分たちがろくでもない存在だと分かっている悪党ほど、表には出て来ないし、黒幕は別の国にある施設の奥深くだ。
だが政治家は違う。
逃げ回って大衆の前に姿を現さなければ、次期はなくなるに決まってる。
よしんば未遂に終わっても、実行犯がカルト被害者だった場合、政治家本人が無事だったことが、むしろマイナスになる可能性が出て来る。
『身をもってカルトへの害を防いだ政治家』『カルトとずぶずぶ』等と見做されるのではないか。
そんなレッテルを貼られたが最後、次回の選挙で票の行く末は決まったも同然だ。
そもそも現状、この状態で、いまだカルトが無傷でいることの方が信じられんのである。
市井からの声を聞く耳を失った政治家の行く末なんて、歴史を調べれば、だいたい皆おんなじだ。
自民党はどうするつもりなのかね?
行くとこまで行くつもりなのかね?
ちなみに全国民が夢を見なきゃいけない、というわけではない
半分弱が政権交代に夢を見れば、その逆を支持する人も投票に行って投票率は上がる
これは自衛隊すら認めていなかった社会党へ政権交代は現実的じゃないけど、「自民党内政権交代」が期待できたから
でもそれじゃ良くないよねってことで小選挙区制になったわけだけど
小選挙区制初の衆議院選の前に非自民政権である細川内閣が誕生して、あっという間に退場して
この2つが同時に消滅したわけだ
この結果平成8年の総選挙では投票率はがくっと下がって初めて6割を切った
でもそれ以降でも「郵政民営化で日本が良くなる!」とか「埋蔵金で減税と給付を同時実現!」なんて
今から見れば荒唐無稽もいいとこな主張ですら、国民が夢を見れば投票率が上がる
(郵政選挙は自民党は与党だったけど、反対派をパージすることで実質野党になった)
もちろんこれらに賛成する人も投票するし、「イヤイヤそんなの現実的じゃないでしょ」って思う人は反対側に投票する
で投票率は上がる
そこで2012年選挙で自民党が政権に戻って、そのあと民主党が反省して第二軸として頑張ってくれればよかったんだけど
民主党は国民の声にこたえられる野党第一党、ではなく、旧社会党方面へ全力ダッシュしてしまった
で、政権交代に夢が見れない、それが今
岸田首相が総裁選に出馬を表明した際に「岸田ノート」を取り出して熱心にアピールしていた。
あれが私の中で彼を「支持しない」決め手になった。
何年も国民の声に耳を傾けてきた結果があの大して汚れても擦り切れてもいない、たった一冊のノートなのか。
もちろん実際にはいつも持ち歩いているノートを取り出しただけで、書き留めていっぱいになったノートは何冊もあるのだろう。
しかしそれを根拠に「聞く力」をアピールするのであれば、いくらわざとらしかろうとそれらをカメラの前で山積みにして訴えるくらいの演出が必要なのではないか。
ところが手持ちの、しかも綺麗なノートだけで済ませる。ここに彼の上辺だけの政治感覚が見て取れる。
私はノートやメモを取るタイプの人間には学生時代や社会人になってからもよく出会ったが、本当に熱心にノートに書き込む人のそれはもう見るも無残なほどボロボロだ。新しいものに取り替えたかと思えば数日経たないうちにまた薄汚れて擦り切れている。
もちろんそれだけでその人の努力や実力が推し量れるわけではない。
だが一市民の実感として、やはり苦労してきた、努力してきた人間のノートはすべからくボロボロという認識がある。
彼が掲げるノートにはそれがない。新品を使い、見栄えだけ重視したというのなら逆効果だ。
この薄っぺらいノートアピールは今も街頭演説で続けている定番パフォーマンスらしい。
あのノートを振りかざせば振りかざすほど私のような人間は冷めていく。
聞く力をアピールする一方、他人の「見る力」、視線には無頓着のようだ。
国民感覚・目線の欠如の現れと言ってもいい。国民の声から今まで何を学んできたのか甚だ疑問である。
自民党の政治家は自分たちを支持する声こそが国民の声であると考えている節がある。
先日「国民の認識とかなりずれているのではないか」などというコメントを出した茂木幹事長もまさにこのタイプであるが、
岸田首相も例に漏れずといったところだ。おそらく彼が耳を傾けても素通りする国民の声がたくさんある。
表層だけ取り繕う優等生タイプの人間はよくこういうことをする。
「大人はこういうのが好きなんでしょ」とばかりに他人が好みそうな綺麗事や正論を並べて評価を乞う子供そのものだ。
だが実際にはそういった打算は見透かされる。岸田首相も同じだ。
あの総裁選の表明演説で、ノートと同じくらい薄っぺらいこのパフォーマンスが、彼の本質だと強く感じたのだった。
安部元首相の国葬決定についても同じである。国葬を行うこと自体の是非はここでは議論しない。
しかし四十九日どころか十日も経たないうちに…つまり多くの人間が故人の死を悼み、それと異なる言説は表明しづらい状況で…
おそらく岸田首相が中心となって足早に決定してしまったことには強く抗議したい。
結局この不意打ち的な決定はやはり彼の「上辺だけの政治感覚」で「こういうのが好きなんでしょ」そのものなのだ。
こういった他人の感情や世の情勢を利用した打算的で卑怯な政治プロセス、立ち回りが、国葬のみならず今後様々な政治的場面で発揮されていくかと思うと本当に憤りを感じる。
って思ってたんだよね。
たぶんこの発言をした時の岸田総理は、感情が先走ってて事件の内容を誤認しちゃって、こんな発言をしたんだろうなって思ってる。
でも、「暴力によって言論の弾圧が行われるようなことはあってはならない」っていうのはほんとそれはそう。
だから、安倍元総理銃撃事件と「暴力」「言論の弾圧」を関連づけて考えてみたんだけどさ。
つまり「犯人が、暴力という手段以外を選べないくらい、言論が弾圧されている状況を、政治が救えなかった」っていうのが問題なんじゃない?っておもったわけ。
犯人の過酷な過去は、銃撃事件を起こしたことで"やっと聞く耳を持ってもらえた"って現状じゃん?
それってさ、つまり「暴力を使わないと、自分の話を聞いてもらえない国」に、今の日本がなってるってことじゃないの?
警察の人とかが、銃撃事件を反省して、警備について見直すのはわかる。
きっと岸田総理とか政治家の人たちも、銃撃事件を踏まえて何か行動すると思うんだけどさ、
それは「暴力を封じる」よりも「自分の意見を聞いてもらうために暴力以外の手段がとれる国に日本を変える」ってことの方が大事だと思う。
まずさ、全国霊感商法対策弁護士連絡会の人たちの質問状と抗議文に、ちゃんとお返事するべきだと思う。
民主主義を名乗ってるなら、国民の声の未読スルーも既読スルーもしないでよ。
そこが違っていたら、安倍元総理もご存命だったかもしれないじゃん。
対症療法にしか目が向かない、原因療法ができないような人たちが国政を握っていると、国民に思わせないように、政治家のみなさんには頑張ってもらいたい。
むしろ「国民の声を聴く」というのは「力の弱い少数の有権者の声を拾い上げる」ことなんだよ。
本当に大多数の人間が支持するようなことなら言うまでもなく実行されるわけで、
しかし民主主義というのは多数決ではないのだから、マイノリティの声も拾い上げる必要がある。
一方で政権与党の自民党はどうしても国民の声を聴くだけでは済まない。
党内の重鎮の声、大企業の声、欧米諸国の声、そういったものにも左右されてしまう。
そういうことだよね。
昨日のNHKニュースで、立民が岸田を責めるのに「国民の声を聴く力が確実に落ちている」とか言っていたのがとても気になった。
立民の議員って、自分には国民の声を聴く力があると思ってるんだな……。
普段から、少数の支持者に向けた行動・発言しかしてないのに……。
たぶん支持率の低迷そのせいなのに……。
俺から見て、もっとも国民全体の声を聴く力ではないのは、立民だ。
その点では共産や維新すら劣るのではないか。共産や維新はそういう意見があることを認識したところで自説を貫いているフシがあるが、立民は反対意見をもつ国民の存在が見えてないのではないか。
同じ岸田を責めるにしても、もっと共感されやすい切り口があっただろうよ。
なんだろな、ガバナンスだの組織運営とか、議員の有能無能とか、そういうのじゃないんじゃないかな。
いわゆる『非正規公務員』の話題になると、国民が悪いんだー国民が公務員叩きをするから悪いんだー、国民が公務員を減らせと言ったせいだー、
そもそも国民は誰も「公務員を減らせ」なんて言ってなかったと思うよ?(いや、もしかしたら少しはいたのかもしれないけれどけして主流派ではない)
「公務員叩き」をしていたとされる多くの国民は寧ろ、公務員の数を増やしてって言ってたんだよ
公務員がほぼ首にならない身分保障と各種手当てに恵まれ、年功序列で高賃金が得られる事に反発していた国民は、
公務員の「数を増やして」「一人あたりの過剰な好待遇を改めて」「特権を剥奪して」って求めていたんだよ、数を減らすのとは真逆だよ
給与を下げて、その分人数を増やしてくれってのが国民の主張だったでしょう?
でも実際に行われた事は真逆だよね
既存の公務員の高給は据え置きに、採用の人数を絞って非正規で賄うようになった
公務員の数を減らしたのは国民の声を聞いたからではなくてその反対
ポーランドなど東欧3カ国首脳、ウクライナ首都を訪問 | ロイター
https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-3-idJPKCN2LC23Z
昨日のニュースだ、東欧三か国の首脳が直々にキエフ(キーフ)に赴きゼレンスキーウクライナ大統領と会談を持った。
このニュースを見て、戦地に赴く三か国の首席は度胸がある、と感じた人も多いだろう。
だが、この席で、そしてこの席の裏で何が話し合われただろうか?
ここに、現在のウクライナにおける戦争、ロシアによる侵攻を止めるターニングポイントがあったのでは? と増田は思うのだ。
突拍子もない絵空事としてひとつ考えてみてほしい。
次に打つべき手は、
という感じだ。
NATO/EUの加盟条件などは良く知らないので差しさわりがあるかもしれない。スカンジナビア諸国を含めるかは駆け引きの材料になるだろう。
当然、ロシアはプチ切れして新加盟国への直接攻撃や核カードを振りかざしたり、戦術核を使ってきたりもするかもしれない。
もし、そのように急激なエスカレートが行われれば、今度はNATOの出番になるだろう。
ようするに、ロシアと西欧諸国との間に緩衝同盟を立ち上げるわけだ。そして、停戦交渉への駆け引きに段階を設けることができる。
ロシアから見れば、実質的にはNATOの株組織ではないか、ということになるが、名目上、ロシアに侵攻する意図が低い緩衝地帯ができた、と国内にアピールすることはできる。このままこじれて、この戦争にNATOが介入したり、引っ込みがつかなくなって核戦争に突入したりはしたくないはずだ。
スラブ民族からは遠いが、かつての子分たちが嫌だっていうなら、しょうがねーな、で軍を引く建前ができる。ウクライナにNATO軍も駐留しない。
旧東欧諸国にとっても、このままウクライナがロシアの属国もしくはロシア領となれば、次に矢面に立たされるのは自分達だ、モルドバなどはもう国を出るか迷っているという国民の声を伝えるニュースが流れている状態だ。
もちろん、新加盟国の国民は、ロシアが侵攻を拡大し自国が危機に陥るリスクが少なからずあり腹をくくる必要はある。しかし、現実的にロシアにはもうそんな国力は残っていないのではないか?
個々の加盟国の軍事力ではとてもロシアに太刀打ちすることはできないが、現在の膠着したウクライナ国内へ参戦すれば、おそらく戦局を逆転しうる力にはなる。
ポーランドやハンガリーは既に一部近代的な西側装備の導入も進んでいるため、参戦とあらばアメリカや西欧諸国がウクライナ戦線にさらなる近代装備を注入する可能性も飛躍的に広がるだろう。
ロシアがクリミアでゴネるようなら、「なんならカリーニングラードの独立にも御助力するが?」と匂わすこともできるだろう。ベラルーシに至っては、ロシアについたばっかりに周りを囲まれガクブルだ。
この戦争で、ロシアは依然強大な力を持つ大国ではあるが、平気で嘘をつき国際法を守らず、何をしでかすかわからない無法者であり、軍隊も統率がとれておらず通常戦力は恐れていたほど怖くはない。という化けの皮が剥がれてしまった状態だ。
ただし依然として長距離ミサイルや核は持っている。何をするかわかったものではない、という意味では引き続き油断はできない。しかし、食料・資源・エネルギーの供給国でもあり、平和に仲良くやっていけるなら良き隣人でありたい相手のはずだ。
起きてしまった戦争は元には戻せない、覆水は盆に返らず、ウクライナ人達のロシアに対する感情はもう絶望的だ。ロシアがウクライナを属国にしたところで、手に入るものは少ない。
このまま戦争を続ければロシア軍はゴリゴリと戦力を削られ、アメリカの思うつぼだろう。
今は、ふるってしまった鉾をいかにおさめ、被害を最小限におさめて撤退するための口実が必要なはずだ。
旧東欧諸国による新・ワルシャワ条約機構(ロシア抜き)は、そのための呼び水になるのではないか?
まぁ、それでプーチン大統領が納得するかというと、それが一番の問題なわけだが。
ノンフィクションな出来事からちょっと言葉を変えたくらいでフィクションを謳ってる。
フィクションと言うことはこの創作劇を見たところでそれで現実を知った気になって実在の人物を責めるのはお門違いだし、なんならあれはフィクションだからで片付けられる。
それはリアルに被害を受けた方々にとって一番の侮辱じゃないか。
なぜここまでリアリティをなぞるだけの作品にしながらノンフィクションのドキュメンタリーにしなかったのか、甚だ疑問だ。
主題にある通り、新聞記者とはたる正義を語りたかったがためなのか?
それでもせめて被害を受けた遺族が承認してるならと流していたところだったけれども、最悪な形で悪い予感は的中した。
ネットフリックス「新聞記者」プロデューサーが制作経緯巡り、森友遺族に謝罪
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a5db9d82991d9948da9392fa549275b8c8ec557
この創作話は被害者家族の要望を無視してフィクションだからと強行されたらしい。
じゃあもうこれ立派な報道被害じゃん。どの口で政府に国民の声をとか言ってるの?
そのタイトルを冠するならさ、『新聞記者』の酸いも甘いも曝け出せよ。
何食わぬ顔して私たち正義です弱者の立場ですみたいな趣旨が気に食わない。
報道が現在進行形で巻き起こしてる立派な社会問題があるじゃん。その一つがわかりやすく報道被害。実名報道。
そう言う自分達の非には一切向き合わず新聞に携わるものを格好良く描いて終了と言う欺瞞に吐き気がする。
報道の自由度ランキングでもよく政府ガーって言いながらちゃっかり記者クラブが名指しされ続けてるのは記事に書かずに塞ぐじゃん。
なるほど『新聞記者』様だよ。
今まで皆と一緒に政権叩いてきたけど、ごめん、俺もう岸田政権は叩けねぇわ
岸田さん、野党や国民の声を聞く耳があるし、格差是正に前向きだし、3A(安倍、麻生、甘利)との距離感絶妙だし、もうこの人でいいだろぶっちゃけ
立憲民主党がまたやらかしてたけど、ぶっちゃけ共産党との選挙協力のゴタゴタを見るにそもそも立憲じゃ中道保守の政権運営は一生無理だよ
でも自民党は自民党で安倍一色で党内の疑似政権交代は無理そうだから仕方なく立憲推してたわけじゃん俺たちは
でも岸田さん出てきたじゃん
最近になって安倍政権、菅政権の支持層が不満を表明し始めた現象からも明らかだけど、実質日本はもう政権交代しちゃったんだよ
全候補は長くなるので一人ずつ書き起こしていきます。記者の質疑応答に関しては各自確認を。
https://cdp-japan.jp/leadership-election/2021/
https://anond.hatelabo.jp/20211120003323
今の政治いかがですか?この10年、極めて国家主義的で権威主義的な政策が押し通されてきました。これになす術がなかった。私は国家に従ってこその国民ではなく、国民の自由や人権、そして公平公正な社会、いわゆるリベラルな立ち位置を日本の政治の中で打ち立て直したいと思っています。
同時にこの10年、嘘や偽りや誤魔化しが平気で語られる国会。それに貢献した人たちが出世をし、正しいことをし、しようとした人たちが虐げられ、場合によっては自ら命を落とす。こんな政府を国民がどう思っているか?これは国会や政治の話に留まらず、日本社会の隅々まで末端までモラルを崩壊させ、倫理観や正義感を失わしめている。こうした状況に徹底して闘っていきたいと思っています。
極めつけはこの一年半、コロナで例外なく皆さんが大変な苦しみと悩み、困難な状況に置かれてきた。しかし、この国の政治はこれに十分寄り添う言葉と政策を持ち得なかった。これは一体どこからきているのか?いわゆる
特権的な支配階級と言われる人たちの政治が続いてきた。私はこの対極の庶民から根を生やすように生まれてきた政治をもう一回この国に作り直したいと思っています。従って私が目指す立憲民主党の姿は国家主義的な価値観と対峙をし、まさに国民主権、リベラルな気風を根本とした政党として再び立ち昇らせたい。誠実で実直な気風を旨とした政党にしたい。さらに国民生活の悩みや不安を共有し、これに寄り添う言葉と政策をもった政党に進化、昇華をさせていきたい。4年前、枝野さんがあの大混乱の中で打ち立てた立ち位置。これをしっかり受け継ぎつつも更に支持のウイングを広げ、野党第一党を政権の受け皿として認知して頂く政党に昇華させていきたいと思っております。
同時に今まで日本政治が放置をしてきた巨大な構造問題が相互に連関をしながら、いくつも同時多発的に国民の前に立ち憚っています。人口減・高齢化・社会保障の綻び、財政悪化、気候変動、どれ一つとっても本来私たちの世代で取り組みをなし、次世代に恥じぬ国と社会を受け継ぐ責任がある。しかし、長らく日本政治は真っ直ぐ視線を向けることを避け、国民に不都合や不便を正面から説明することを回避し、問題を先送り、ツケを大きく膨らましてきた。こういう政治とも徹底的に闘いたい。どれ一つとっても簡単ではない。しかし、国民の声を聞き、国民とともに悩み、考え、国民とともに解決策を見出し、国民とともに歩む。そういう対話型の政治こそがこれから先、求められて来ると思います。前例のない、どの時代どの国も経験したことがない巨大な構造問題が立ち憚っている。これは従来型の政治では乗り越えられない。
今の日本に相応しい対話型の新しい政治、それが先程申し上げた諸課題、あらゆる問題に本格的に取り組んでいく姿を、国民に見てほしいし、その先頭に立ちたいと思っています。最終的にそれが成し遂げられた暁には、この日本社会は持続可能性を取り戻すことになるでしょう。この社会はこのままでは続かない、続いていきようがない。それはみんな心の奥底でどこか分かっているが、それに正面に向き合おうとせず、先送りしてきました。しかし、それに本格的に取り組んだとき、やがてこの社会は持続可能性を回復することになる。私たち大人社会が胸を張って、やるべきことをやった、少なくともやろうとした、出来ないこともあるかもしれないが一生懸命取り組もうとした。そういう背中を姿を次の世代に見せることに繋がる。
誇り高い、温かい、温もりのある、しかし明確な理念と哲学・ビジョンをもった政治を立憲民主党を再建することによって作りたい。そう思っております。