はてなキーワード: ハイカラとは
正直美味しいことは美味しかったのだが、なんとなくなんか違う感が否めなかった。
やはりどうしてもああいう店で「親子丼」を食べるとなるとなか卯を連想するし、前々から食べているなか卯のほうでいいかな、的な感じになってしまった。
別にまずいとか美味しいとかではなくわざわざ新しい店を選ぼうとまでは思えないかな、的な。
そう考えるとますます、ちょっと量が足りないからハイカラうどんの小さいのでもつけようかなとかおもってしまうし吉野家にはそんなものはない。
で、よく考えたらこれってなか卯の親子丼にそれこそ「シャブ漬け」にされてるってことじゃんと思った。いや生娘とかでは全然ないんだけど。
を語ってるんじゃなくて、100年かけて純潔主義とかフェミニズムを日本に浸透させようとしてる連中なんだからそもそも「宗教がベースにあること」を理解してないと平行線になるんだって…。
なぜそれを学ばない??
みたいにもてはやされたこともあって、100年以上の歴史を今でも掲げてるんですよ。
今みたら信じられないことも混じってるんだけど、ある時代はそれがハイカラだったからその時のノリなんだって…
「100年布教し続けたことで全年齢層を網羅したフェミニズムや、純潔主義キリスト教は、オタクが持ってない強みを持ってるよね」
って書いたのよ。
オタクは45歳以下ならそこそこ多数派で、35歳以下なら官軍だけど…高齢者の間では宇宙人なんですよ。そこが弱点
個人的に学校の教科書で代表的なフェミニストとして教わるのが、平塚らいてうなのが気に入らないですよ…そもそも論として言わせてもらえば。
そして、平塚らいてうについても戦前の活躍ばかりが語られて戦後の話がされてない(共産党と関係があるようなないような微妙なところで活動してたのよね)
そんなこと言いだすと、はだしのゲンだって、全国の学校の図書館に戦争体験談の代表作として置かれてるけど…アレだって、相当偏ってると知ったのは割とおとなになってから。
「この世界の片隅に」置こうよ…。
ツイフェミのルーツを調べて、逆にオタクのルーツも調べてわかったのは、中学の社会の先生が言ってた
「明治の政治家達ってみんな若いやろ?だから、どんどん新しいことできたし、躍進できたんや」
がホントだったってこと。
25歳の時にはすでに老害って言われてた限界オタクさんの言ってると思うとみじんも説得力がない!
若いかどうかじゃなくて、無能な人間が表に出てきやすいかどうかなんだよなあ。
…あのな、「キャブトン」マフラーってのはな、昔むかし、大坂に輸入品商売で有名な中川屋ゆう店があってな、中川サンゆう青年ベンチャー起業家が興した会社やってんな、そこが当時の花形商品やったモーターサイクルの輸入で富裕層相手に儲けてな、自分とこでもバイク作って売ろか!てなってんなー、そんで中川サンの創ったキャッチフレーズがまたハイカラでなぁ、
『Come And Buy To Osaka Nakagawaya』
この頭文字だけ取って並べて、
『CABTON』= キャブトン
や!そんでソコのバイクが付けとったんがアノ形のサイレンサー付いたマフラーや!
…だから「キャ『プ』トン」てなんだよニワカの物知らずがバーカバーカ!
群馬県高崎はパスタの町なんて名乗ったり言われたりパスタが名物だとされているが、じゃあ高崎パスタってどんなのが特徴なのよ? といわれるとなかなか返答がない。表現しづらいのも地元民としてわかる。
そこで地元民が高崎パスタの特徴を説明する。ちょっと長くなるが興味ある人は読んでほしい。
このダンスィのむすっこが誕生日を迎えるにあたって、友人と誕生日会をやりたいと言ってきた。なんとダンスィ2人と女子1人が来ちゃうのだそうだ。まじかよ。むすっこ。金星じゃん?その年齢で女子誘えたのか。思ったより出来るやつだったんやな。その偉業にめんじて、よーしママなんかつくっちゃうぞー!これでもママはクックパッドを検索する腕は上級者なんだからね!
ダンスィは食う。ときに異常なほど食う。そして食えないとしょんぼりする。高級な料理(たとえばローストビーフとか)はもちろん作れる(断言)のだがコスパが悪い。なんかこーおしゃれで腹に溜まって子供が喜ぶのはなかろうか? そこでパスタが登場。嘘。間違えた。パスタじゃない。スパゲティだった。
乾麺をだーっとゆでて、野菜と魚介とかいれて、にんにくいっぱい、トマトはスープ風にだばー! 完成!
これが高崎パスタ。This is gunma spageti!
ちょっと料理が出来る(自慢の奥さまぱわー)が作った家庭でできるちょいハイカラ料理。でも、多量に作っちゃったせいで、インスタ映えとかはあんましない。材料細切れだし。でも大盛りがデフォだし、食べるとなんかホッとする。シェフの作った味じゃないけど、どことなく良い。っていうか、スパゲティなんてこれで良くない!?とおしゃれを標榜しつつおしゃれに徹しきれずに逆ギレ。これが高崎パスタだ。
魚介は必須じゃないし、時にはトマトではなく塩味であることもある(オイルソースではなく塩味といってしまうところに注目)。でも、その背景にある精神性はこれ。これでええやろ。誰が文句つけるのだ。こちとら日常食やぞ!
そんな高崎パスタに興味を持った方は是非群馬にどうぞ。グルメ向けじゃないかもしれないけどあなた向けのスパゲティ屋がたくさんあります。
私はその人を常に先輩と呼んでいた。だからここでもただ先輩と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先輩」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは富田林である。その時私はまだ若々しい中学生であった。暑中休暇を利用して合同練習会に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。私は金の工面に二、三日を費やした。ところが私が富田林に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に地元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから地元にいる親たちに勧まない進学を強いられていた。彼の家系は皆池田高校を卒業していた。彼は現代の習慣からいうと野球留学するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて富田林の近くで野球をしていたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数があるので富田林におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。友達は徳島の野球好きの息子で金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。
宿は富田林でも辺鄙な方角にあった。コンビニだのテーマパークだのというハイカラなものには高い山を一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても5000円は取られた。けれども大○和記念塔は立派な姿で輝いていた。それに高校のグラウンドへはごく近いので野球をやるには至極便利な地位を占めていた。
私は毎日山へ野球をしに出掛けた。古い燻ぶり返った藁葺の間を通り抜けてグラウンドへ下りると、この辺にこれほどの野球人が住んでいるかと思うほど、シートノックに来た男や子供で砂の上が動いていた。ある時はグラウンドの上が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑やかな景色の中につつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、腰を下げて特守をしたりしているのは愉快であった。(続く)
ちょうど20年前ぐらいになるだろうか。
地方の大学生だった俺はこれといった夢や目標を持たず、うだつの上がらない日々を過ごしては悶々としていた。
いつも降りる駅のいくつか手前で下車すると、目に入った古臭い食堂で好きなだけ飲み食いする。
これだけのことだが、たまに大当たりなどもあっては、その幸運と一種のギャンブル的な面白さに矜持を感じていたんだ。
そんなことを繰り返していて、あるとき立ち寄ったのは、これまた年期の入った食堂。如何にも地元民御用達と言わんばかりに錆びた看板を気にする様子もなく、店頭に並べられた花はどれも頭を垂れていた。
入ってみると大方普遍的な定食名ばかりが壁に張られおり目新しいものもなく、ただひとつ気になったのは『カレイライス』というメニュー。カレーライスをちょっとハイカラな言い方してるのかな?程度に気にして、注文したのは焼き肉定食。味は普通よりちょっとおいしい程度で、そこまで印象に残らず。ただボリュームはあって、そこは好印象。
完食して会計を済ませようとしたところで常連らしきおっさんが来ると「さかなのやつね」とこなれた感じて注文。すると注文を聞きにきたおばちゃんは「カレイライスね」と承諾。俺はギョッとしたが、おばちゃんは俺に気付くとレジに来たので会計を済ませ、そこで俺は店を出た。
ハイカラの語源が High Color じゃないってことに納得がいかない!
ドレスコーズも好きですがマリーズ時代の曲もやっぱいいよね、ってことで今もよく聴いてます。
あんまり周りに知ってる人(≒興味ある人)いないからここでツラツラ紹介させてください。
早速まずは第10位から。
10位は「VELVET GOLD WAY」です。
イントロ&歌い出しの「甘い日々だったようだった〜〜」の一節がカッコいいので好きです。
終始勢いがあって約4分があっという間に過ぎます。
勢いの中にもなんというか、抜け感みたいなものも感じられます。
9位は「ダンデライオン」です。
ラストアルバムは初期の頃の曲とは対照的に優しい雰囲気の歌が多いんですが、
その中でも特に優しい雰囲気で王道?ラブソングな感じの曲です。
ブランネルサンズの意味を分からずずっと聴いてましたが、イギリスの町の名前みたいですね。
普段あんまり歌詞を気にして曲を聴くことがないんですが、この曲の歌詞はすぐに覚えられました。
それくらい歌詞が良い曲なんでしょうね。
8位は「センチメントがお好き?」です。
デル・シャノンの悲しき街角オマージュな間奏がメチャカッコいいです。
7位は「「ジャーニー」です。
「Keep on 不安定 さらば安定」って歌詞がマリーズらしくていいですよね。
6位は「ラプソディ・イン・ザ・ムード」です。
これは優しいというか、少ししんみりしたムードの曲ですね。
昭和歌謡を彷彿させるメロディと志磨さんの歌い方が相まって聴き心地がいいです。
ロックバンドの出すこういう感じのスローテンポなポジションの曲って名曲多い印象です。
(毛色は違いますがBlack SabbathのChangesとかいいですよね)
バンドの幅というか、可能性を感じさせる1曲でアルバムを通しで聴いていると先の展開が
5位は「悪魔も憫む歌」です。
収録順だと最後の曲でかなり落ち着いた曲で、志磨さんの優しい歌い方が好きです。
元ネタはストーンズの「Sympathy For The Devil(タイトルのみオマージュ)」。
ちなみにSympathy For The Devil収録アルバムのべガーズ・バンケットも好きです。
志磨さん曰く「物憂げ系」ラブソングとのことですが、まさにピッタリなキャッチフレーズです。
浅川マキさんの訃報をうけて作成された曲らしいので、なるほどなと感じられますね。
東京をテーマにしたアルバムなのでどことなくハイカラな雰囲気も漂ってるところもオシャレで良いです。
3位は「ジ・エンド」です。
ラストアルバムの最後の曲なのでまさにマリーズの集大成的位置付けの曲だと思ってます。
ゆっくりした出だしから、一転してロックな感じに切り替わる瞬間がメチャ痺れます。
歌詞もまさにジ・エンドって感じで、解散前最後の曲にふさわしいと思います。
初期の頃の荒々しさはなく、綺麗にまとまった1曲だと思います。
2位は「上海姑娘」です。
大人しい曲が多いラストアルバムの中で異彩を放つ騒がしい曲です。
何が良いか、というと何となくイメージで持ってる「中国っぽい感じ」を
しっかり音に落とし込んで曲として成立させているところが単純に凄いな、と思いました。
ただただ中国っぽい感じな曲なだけではなくて、普通にカッコいい1曲なんですよ。
ラストアルバムのしんみりムードもこの曲のおかげで暗くなり過ぎずに済んでると思います。
そういった意味でもかなり貴重な1曲。
1位は「BABYDOLL」です。
4枚目のアルバムであり、メジャーデビューアルバムから1曲です。
この曲は不動の一位ですね。
全体通して凄いキラキラしていて、凄い元気がもらえるので好きです。
以上、ベスト10でした。
10曲に絞るのかなり大変でした。
これで興味を持ったり、思い出したりで聴いていただけると嬉しいです。
大学がオンライン講義メインになってきたこともあり、3ヶ月前辺りから自分を含めて4人分の夕食を作るようになった。
料理は楽しいし、美味しく出来ると嬉しいし、母と祖母の家事負担も減るのから良いことづくめじゃん!と思っていたのだけど、自分が料理を作る度に祖母が申し訳なさそうな顔をするのが逆に申し訳ない。
祖母的には、台所は主婦の城っていう価値観で生きてきたこともあって、自分のような成人した男が家族のために料理をするのが受け入れられないらしい。
せめて負い目は感じなくても良いように説得したいのだけれど、祖母のアイデンティティみたいなものを侵害してるんだったら無理に押し付けるのも良くないなあと思っちゃう。
趣味も多いハイカラな祖母だから料理がなくなっても生き甲斐はありそうだけどボケちゃうのは嫌だな...
皿洗いに関しては高校の頃から自分の役割だったから、いきなりばあちゃんテリトリーを侵略した訳じゃないけど、