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対面配達がサービス内容の一つであるレターパックプラス(赤いやつ)が受信者側が許可していないにも関わらず宅配ボックスに配達された。
今回、増田は受信側だったが、送信側としてサービスにかなり不安を感じたので起こったことを書かせていただきます。
https://www.post.japanpost.jp/question/159-2.html
【忙しい人向けのまとめ】
受信側から明示的に非対面配達指定していないレターパックプラスが、初回配達で宅配ボックスに配達された。
受信者視点ではなく、送信者視点としてサービスに疑問を持ったので問い合わせると、
「物件の特徴はあるものの、今回の配達員の対応は適切ではなかったと思う」
「送り手としては引き続きレターパックプラスは受信者側からの指定がない限り対面配達されると考えて使ってほしい」
代替の選択肢はほぼないので増田は信じてレターパックプラスを使おうと思う。
サービスが適切に行われるように気をつけて欲しい。
【増田について】
増田は、内容証明を使うほどではないが、重要度の高い書類を送付する際にレターパックプラスを使うことが多い。
なぜなら封筒よりも物理的に頑丈そうで、対面配達が保証されていると考えていたからだ。
追跡できるから対面配達ではないレターパックライトでも良くないか?、と思われるかもしれないが、受信側の郵便受け事情は様々で、個人・法人問わず、頼りない郵便受けが存在しているのも事実です。鍵こそついてはいるものの郵便受けに完全に入り切らず簡単に盗むことできる封筒やレターパックライトを何度も見たことがあり、「それなりに重要な書類は追加料金払ってでも対面配達のサービスを使おう」と思い、それ以来ほとんど書留やレターパックプラスを使用しています。
今回は物件の特徴が重要になりそうなので、先に書いておきます。
すべての社員寮がそうではないと思いますが、社員寮みたいなものをイメージしてほしいと思います。
・宅配ボックスあり
・配達業者は電話をして居住者を呼び出して受け取ってもらうのが基本
【経緯】
しかし、レターパックプラスは対面配達が必須と思っていたが宅配ボックスに配達されていた。
増田がレターパックプラスのサービス概要を勘違い(宅配ボックスだったら対面配達でなくてもOKなど)していると思い、企業の相談窓口へ連絡。
【相談窓口への連絡】
・例外的に、特定3社の宅配ボックスになら配達が認められている。
上記がわかりました。
しかし、増田が居住している住宅の宅配ボックスは異なるものであったので、折り返し別の担当者から連絡をするとのことで通話終了。
【1人目の折り返し電話】
・レターパックプラスは置き配できる(https://www.post.japanpost.jp/service/okihai/index.html)
通話では、あくまで私が受け取った印象ですが、「置き配のページにかかれているように、レターパックプラスは宅配ボックスに配達可能ですよ」と言われている印象を受けました。
しかし、
①郵便受けは存在しており、書留郵便の場合は不在表が入れられた経験が複数回ある。レターパックプラスの説明にも不在時は不在票をいれて持ち帰る、という説明がされている。
②紹介された置き配のページで説明されている、レターパックプラスが置き配(今回は宅配ボックス)されうる条件は、受信者側が明示的に指定した場合のみと読み取れる。
なので「書留と同じように不在票を郵便受けに入れとくみたいな運用じゃないの?もし宅配ボックスがなかったら宅配ボックスではない場所に置き配されたの?」と疑問に思いました。
繰り返しますが、増田は送信者としてレターパックプラスを使用することが多く、送信者観点として心配になりました。
①、②について確認しようと「自分の経験をインターネット上にも書こうと思うので正確な情報を確認したいのですが、、、」と電話口で伝えかけたところ、企業側から「そうでしたら、私ではなく別の担当者から折り返します。」と回答があり、1人目の電話が終了。
・物件に特徴があり現場判断で宅配ボックスへ置き配したと考えられるが、レターパックプラスのサービスとしては今回は”不適切”であった可能性が高い。
・(より確実に対面配達できるサービスはないか?という質問に対して)今回の件で不安に思われてしまったかもしれないが、レターパックプラスは基本対面配達なので信用して利用してください。
今回の件が、
「1人の配達員の不適切な判断で行われてしまった、極めて稀なケース」
しかし、今後配達物の増加などにより配達員に過度に負担がかかり、今回のような対面配達が基本の郵便物について勝手な置き配が頻発するという事態にはなって欲しくない。
特に、今回のようなケースに関して、対面配達(もしくは本人特定の実質的な移譲)に期待してサービスを利用した送信者側は、サービスが適切に履行されなかったことに気付けないのではないでしょうか。(今回はたまたま増田が送信者としての経験があったから問題に気づけた)
問題となるようなケースとして、例えば今回増田が受け取った郵便物の話になりますが、弁護士事務所からの特定の郵便物である。
今回のレターパックプラスは、「弁護士会の規定(非対面で事件を遂行した場合の本人特定事項の確認義務)があるので面倒だけどレターパックプラスを受け取ってください」との連絡があり送られてきたものです。
勝手に宅配ボックスに配達された今回のケースは、この規定を満たしていないと考えられ、送信者である該当弁護士事務所にとっては勘弁してくれと思いたくなるような事案ではないでしょうか。
増田としても、送信者として対面配達がされると信じて利用したサービスなのに、勝手に置き配されて郵便物が紛失、などは本当に勘弁してほしい。
とにかく今回の件が本当に稀なことであることを祈るばかりです。
「っっっっっ」とか「〜〜〜〜〜」とか女さんが多用してるイメージ。この人が女なのかは知らんけど。オーバーリアクションだしアホっぽく感じるから自分は好きではないな。
日本ではあまり知られていないことだがナンは分類上「麺類」である。「麺」といえば小麦や米などを生地にし細長く切ったものというイメージがあるだろう。しかしそうではない。「麺」という漢字には「面」が含まれているのである。もともとの定義によれば平たく生地を伸ばした「面」の状態こそが「麺」なのである。うどんにしろそばにしろ普段我々が食べている「麺」とは「面」を細切りしたものだということになる。すなわちナンのような小麦をこねて平べったく整形したものはむしろ「麺」の本来の定義にかなり近いものなのだ。ナンは麺類である。
俺だ。
「誕生石」
「星占い」
「血液型うらない」
これらも大嫌いだ。
なぜ嫌いなのか。
簡単だ。
誰かが思いつきで言いだしただけの話であり、論理的ではないからだ。
コミュニケーションの手段として使うには余りにも下の下の下だ。
少しでも確実に相手にメッセージを伝えるという意思、その当たり前の誠意が欠如している。
気に食わんよ。
コミュニケーションってのは、テレパシーが成功するかどうかのESPごっこゲームじゃないんだ。
論理的に情報を積み上げ合って、お互いの中にあるイメージをすり合わせる行為なんだ。
たまたま同じことを考えていたら面白いという偶然の一致にかける遊びではないんだよ。
同じことを考えうる流れがあり、その流れの中で同じことを考えることが出来たのを確かめる遊びなんだ。
34歳にもなって具体的な老後のイメージを持ってないところ
https://anond.hatelabo.jp/20240621170217
投稿した日の夜まで眺めてて埋もれちゃったか~と思ってたんですが、いつの間にか伸びててびっくりしました(ちなみにぶら下がってるトラバに増田が書いたものはありません)。
たくさんのトラバ、ブコメありがとうございます。ぜんぶ読ませてもらいました。
今更ですが投稿した発端としては『その着せ替え人形は恋をする』を今更ながら一気読みしたことです。
面白く読めたのですが、私はラブコメとしてなぞっただけで、これは「推し」文脈が理解できないと登場人物たちの心理に理解が及ばないな、と思ったわけです。
さて、コメント群を読んで思ったのが、「推し」の定義自体がすごく曖昧だなあということです。
たとえば、
好きの言い換えだよ派
├推薦の意図なんてないよ派
└好きにもいろいろあるよ派
と人によって言ってることが違い、まさに「一人一派」って感じがしました。
次に気になったブコメ・トラバからいくつか引用と返信させてもらいます。
・萌えにあって推しにないもの:性的要素(エロに限定しない) ・推しにあって萌えにないもの:貢ぎ要素(課金に限定しない) というイメージ。
あ~これはわかります。たしかに。「推し」って言葉は性的な感情を意図的に排除してる印象がありますね。
「金を使え」って意味
課金するってことだよ
類する言及多数いただいてます。グッズにせよ投げ銭にせよ金銭が介在してると。これもなるほど。
なるほどなるほど。「○○が好きな私を見て!」って感情でしょうか。「推し」って言葉が流行る少し前にも缶バッジをめちゃめちゃ付けたオタクがいましたがあれも近しい感情なのでしょうか。
今の何かコンテンツが好きという形態には、SNSで好きなもの中心にそれに対しての感想やらなにやら諸々を発信する、それによって他者と繋がるって現象が結構な割合で見られる。
ただ自己完結、他者の存在はあまり意識しないという平成中期程度までのオタク活動よりゴリゴリに他者がそこに存在しているオタク活動がそこにはある。
これもかなり腑に落ちます。横の繋がりみたいなものを求める感情が含まれる、ということでしょうか。
好きなものに「続いて欲しい」
これがわからない。私は中学生から聴いてるバンドの大好きなアルバムがあるんですが、そのアルバムが好きなのであって新曲にはぜんぜん興味がないんですよね。聴いてすらいない。また、私とそのアルバムで関係性が完結してるので他人が褒めても貶してもどっちでもいいんです。
個別株も買ってます。でも、たとえばエネルギー系ならINPEX/出光/エネクス...みたいに何社かピックアップしてセクターに張るので大穴一点買い!みたいな買い方はしないです。なので特定の企業を応援したい!みたいなのもないかな。自動車メーカーの株主は応援して買ってる人が多いイメージです。
阪神が巨人に負けてファンが荒れてたら、真剣に理解できないものとして恐怖を感じたりするのだろうか。ワールドカップで日本が勝っても、へーよかったねとも思わないのだろうか
増田は例えば自分の所属チーム(学校でも会社でも良いが)の知人が良い成績を出しても一緒に喜べないのかな。「応援しているチームが勝つと嬉しい」はそれの延長線上にあると思う。
恐怖はしないですけど「なんでそこまで…?」とは思います。ワールドカップもオリンピックもただ日本人ってことしか共通点がないのにどうして自分のことのように喜んだり悔しがったりするんでしょう。
同僚や知人もそうですね、「よかったね」など言葉をかけることはありますが、私が嬉しいわけではないです。私の成果ではないのに私が喜ぶのはおかしくないのでしょうか?
…と考えて、「推し」という感情を理解するためには、"他人事が自分事になる(のように感じる)"というのがポイントな気がします。どうでしょうか?
皆さんたくさんのコメントありがとうございました。「これで推しが理解できた」というにはまだまだほど遠いですが、心情を紐解く足掛かりにはなりそうです。
"「推し」に乗っかりたい"なんて雑に書いちゃいましたが、文脈を共有したいというか、共感はできずとも理解はしたい、という感じです。なので、私の投稿について「単に推しって言葉が嫌いで馬鹿にしたいだけだろ」みたいに決めつけてくる似非エスパーな人はもうコメントしないでもらえると大変うれしいです。でも勝手に煽られた気分になって喧嘩腰でコメントしてくるような人たちにはちょっと難しいかな(書き方が悪いとか煽り返してるじゃんと言われちゃうかもしれませんね。ごめんなさい)。
自国の利益の為であれば近隣諸国を騙すことも、関係悪化することも、
自国の未来ある若者を戦場に送り込むこともためらわない愛国者(笑)であると言う点で、
先鋭的で妄信的なプーチン信奉者程、キチガイじみた反アベだったりする。
君達が何をやりたいのか僕はさっぱりわからないよ。
アレはまさに一時期国辱として問題になったけど、それが一段落したら同じような作品が次々現れるようになった。
昔からあるアンクル・サム的なイメージでちょっとだけステレオタイプなイメージを表して終わるならいいんだが、漫画の中で何十話も何百話も弄り倒すのは流石におかしくないだろうか。
たとえば「香川くんがうどんの人気が落ちてきているのは他の娯楽に客を取られているせいだと怒り出してゲーム禁止条例を掲げた回」なんてものが出てくるわけだ。
それを書いたのが香川在住の漫画家ならまだしも、東京の人間がやったら田舎者の奇行を嘲笑っていると捉えられてもなんらおかしくないわけだ。
何よりの問題は、今その地域に生きている人達をステレオタイプに当てはめて笑いものにしているということだ。
美少女にされた織田信長がシリアルキラーとして振る舞うのとはわけが違う。
まだ生きている人達がまだ続けている生活を「この地域の奴らの生き方あたまおかしすぎてワロwwwww」と馬鹿にしているのだから。
不思議だ。
なにが嫌って、そこに露悪の意思がないことだ。
テコンダー朴のように「これは全力の悪意を持ってやっていますよ」という作品は読み手もそういう気持ちで向き合える。
だが表向きは「皆仲良く!相互理解!」みたいな顔をしておきながら実際には「イギリスって植民地政策やりまくってたから未だに移民を差別する意識が根強くて陰湿だよな」みたいなことを平気で書く。
みんなしれっと復帰してるのに
なんで降板するんだろ
そこまでの面の皮の厚さがなかったってこと?
若い(まあそんなに若くないけど)男性声優がしれっと残れるなら
あの程度でカルト宗教の教祖が務まるなら共産れいわだってもう少し議席取れる
今回だってもう少しクリーンなイメージのフロント立てて裏から操ればよかったのに
異人→不幸・悲しい過去
このイメージだけで作ってるからどれもこれも似たような造形になる。
気は優しくて力持ちだけど自尊感情に少し歪みが生じているような。
そしてストーリーにおいて決定的な役目はになわず、あくまで通りすがりのちょっとパワーツヨイ戦士で終わり。
マジでおもんないわ。
弥助出てくるといつもガッカリする。
ぶっちゃけ、例の人の事は何にも知らない
なんら政治的でない解説動画でも、"そういう人達"によるコメントがついたらスゲー気持ち悪いし、シンプルにキャラのイメージを歪曲して定着されかねないので嫌な気分になる
けど、それを公式に問い合わせるのは違うし、公式だってああいうしかないだろ
なので大抵は怒られない
今回の件、俺は投票権ないし本人に関心もないからスルーしている
公式だってそんな泡沫が当選するわけないと思っているから、選挙までの一時的なものとスルーするつもりだったんだろうが、外野が騒ぎすぎなんだよな
「ファン」という言葉が制度疲労を起こしているから「推し」という言葉が出てきた、と整理すると良い。
というあたりの事情があって、「推し」の方が使いやすい、という事になってきた。
最近スポーツでもアイドルでも、「ファン」となるとコミットメント凄い人がいるから、ファンを名乗るならいつも情報チェックして、現場にもどんどん行って。。。が求められがち。
ちょっと好感持ってるぐらいだと、ファンだと人に言うのが難しい時代になってきてる。
乃木坂46のファン、FF14のファン、阪神タイガースのファン、羽生結弦のファン・・・
いろいろあげてみた。どれも大きなコミュニティがあるよね(1つとは限らないけど)。直接所属するかどうかはともかくあらゆるコミュニティと隔絶した状態でファンを名乗る時代でもなくなってきてる。
例えば、千葉ロッテマリーンズのファンが、佐々木朗希を特にごひいきにする場合、そのひいき感情を「ファン」と呼ぶのは若干微妙。
そういう諸々の事情があって、「ファン」と言うより「推し」が、より個人的で穏当で好意を表現しやすいって事になったのだと思う。
「ファンも推しもよく分からん」という気持ちはよくわかる。自分は今は完全にあるスポーツチームのファンだし、推しも明確だけど、初めの頃はわざわざ応援に行って「あれ?俺この選手好きなんだっけ?」と我に帰ったこともある。
一方で、自分が好きなもの、というのは往々にして自分の価値観に連動するものだから、「推し」を持つことは悪いことでも無いと思ってる。「推し」を通じて自分探しをするのも良い。
そういうイメージ皆無です