はてなキーワード: らくだとは
ヤバい。ヤバすぎ。在宅勤務with2歳児で心と体が持つ気がしない。どうしよ???
大前提として子どもはめちゃめちゃかわいく楽しく愉快で愛しい存在なのだが、さすがに4月初め(ちょっと風邪っぽかったので早めに休んでた)から1ヶ月、四六時中一緒にいると疲れてきた。
1ヶ月でこんななのにあと2ヶ月か………先が……長すぎる……………。
私は自堕落でテキトーで部屋が汚くても平気な人間なので、普段子どもがバタバタしたり汚したりしてもムカついたりイラついたりすることがあまりないのですが、それでもなんだかいらっときて怒っちゃう、「やめてよ!!!」って声荒げちゃうことが増えてきた。
まあまあ耐性がある私でさえこうなのだから、日本中の家庭で暴力や虐待増えまくってること容易に想像がつく。心配!!
在宅勤務はしてるものの2歳児が1人でじっとしてるわけはなく、夫と交代で面倒見なきゃいけないのだが、ちょう〜〜〜ど運悪く史上最高にママべったりな時期で何をしてても呼び戻される。全然集中できねえ。安息の時間、しまじろうといないいないばあで15分ずつが限界。まとまった作業は夜中に起きてやるしかない。ので毎日眠い。早朝起床するのもやってみたけど即バレして一緒に起きてくるので無理でした。
会社も幸運なことに寛容で、仕事にならないことはある程度仕方ないと割り切ってるし、そこまで悩んでないつもりだったけど、自分の中で不甲斐なさがどんどん溜まっていく。特に誰にも怒られないが自分の時間が全然ないこと、やりたいこと(ここに仕事も入る日が来るなんて!!!)が予定通りにできないことにしんどみが募ってく。生活がアンコントローラブルだと、自分の人生って感じが薄れる。ぐぬぬ。
そんなこんなでこの数日精神的かなりキツくなってきており、そこにダメ押しで休園大延長っす!よろしくね!!の報が入って泡を吹いた。いやもちろんすぐは無理だろうもう少しかかるだろうと覚悟はしてたけど……に、に、にかげつ!!あと2ヶ月!?!?まだいま折り返し地点にもやなってないってこと?疲れた。もうだめ。ばたんきゅー。
あーーーーなんかこうドサドサと書き出したら平気なフリしてかなりかなりストレス溜めてるのかもしれない。ないと思う、けど、万が一子どもに手をあげたりしたらどうしよう。そういうことが一瞬頭をよぎる程度には疲弊しているな。
産後うつにも無縁だった、対子どもメンタル強めな自分がこんなに弱るの初めてかも。育児相談とか電話したほうがいいかな!?!?何かアドバイスあったらください。
ここまで勢いで書いたらだいぶスッキリしてきた。別に子持ちの大変さをアピりたいわけじゃなくてさ、むしろ私は家族がいて好きな時にしゃべったり一緒にご飯食べたりできるから精神的にもってる部分もめちゃくちゃあると思ってて。例えば日当たりの悪い狭い部屋に一人暮らしで気軽に連絡とれる友達少なかったあの時代に今の状況だったらそれはそれで死ぬほどしんどかっただろうな、むしろもっと早く病んでたかも……って超思う。そして今そういう状況の人もいっぱいいるよね。おつかれさま。みんな違うしんどさがある。みんな偉いよ。
最近、リベラルとは何だろう?自分が『リベラル』と呼ばれる側と相いれない理由は何だろう?ということを考える事がある。
これから書くことは、あくまで私見にすぎないので、異論がある事は承知しているが、ひとまず私が考えてることを書いてみたい。
今後も、私が考えていく上での参考にはなると思うので、思うことがあればブコメでも、トラバでも、してくれたらいい。
リベラリズムの定義なんてものを学ぶつもりもないので、政治哲学的にどういったものが正しい定義になるのかは知らない、ということは言っておきたい。
だが、『リベラル』とカッコを付けて呼ばれる人々=朝日新聞や立憲民主党の一部に代表される戦い方を批判される人たち
であってすらも、根底にあるものは学識者などと変わらないのではないかと、様々な媒体で意見を見て肌で感じている。
それは
「自分を含めて、全ての人間は弱者になりうる。故に弱者は全てを救うべきだし、そういう社会であってほしい」
「自分を含めて、全ての人間が転落する可能性はあっても、全ての人間を助ける必要はない。全体効率を追求すべきである」
と、社会全体での効率を考えた時に、限界は設定すべきであると考えている。
だけど、根底にある「社会が示すべき寛容さの対象」は「全ての人間を救いたい」と言う人と変わらない。
例を挙げてみると
etc、etc。この辺りは特に反対する必要もなくYESだ。そうであるべきだと思う。
しかし、一方で、だが
などといった、全体の中の1~2割程度の、手を差し伸べる事が無駄で価値がない奴らを除外すべきである、とも考えてもいる。
恐らくだけど、この部分が、私のような層と『リベラル』が相いれない理由なのではないか。
が諸問題における、保守層とリベラル層の対立の原因であるように感じている。
効率よく合理的なベターを選択し続ける事が、実現しそうにもない完全無欠のベストを夢見るよりも、全体の幸福に繋がるというだけの事なのだが、どう思うだろうか?
日本人全員に10万円づつ支給することは無駄でしかなく、コロナによって収入が激減して運転資金や生活資金に苦しんでいる事業者や個人に支給すべきである、と思うがどうだろう?
基本姿勢の対立が長らく続いた結果かどうかはしらないが、立憲民主党がしょうもない難癖付けに終始しているのは残念な話だとも思う。
安倍首相に対して会食を自粛しろと批判していた高井議員が、緊急事態宣言後に風俗店に行った事、コロナ痛快新聞などは、そのくだらなさの最たるものだが、
「無制限の寛容さこそ善」と考えてる人々が、異常に攻撃的で論理的にも矛盾しているのはおかしな話ではないかとも思うし、そんなカッコ付きの『リベラル』は誰にとっても邪魔なんじゃないかと思いますよ。
●基本
・話を聞く時
相手が話してる時は「頷く」「うん」「それで……?」「次はどうなったの?」「笑う(喜怒哀楽)」を適度に入れていく。ある程度起承転結に成る様に聞いて、結が無い場合は自分で捕捉する。
興味ない話、気分を悪くした場合、5%くらいは聞き流して冷たく装う。冷たく装った後はちゃんとフォローする事。
A「昨日AVを買いに行ってさ」B「うん」
A「帰る途中で職質されて」B「ほーん、それで?」
A「職業聞かれた時、AV男優ですって答えちゃって」B「wwAVで頭一杯じゃねーかw」
・話を聞きだしたい時
あくまでテクニックで、何度も使われるとウザイ。よく「コミュ力を上げるための会話」とか恋愛工学で語られがち。
【相手が話している事を繰り返す→その内容について感想を言う。それから質問する→相手が答えた事を繰り返す→永遠ループ】
話題がかわりがちで、疲れる。実際は起承転結を意識して合いの手を入れて、相手にストーリーを語らせたり、質問せずに感想に留めて語らせたり、質問の部分の疑問形を無くしたりするのがいい。
相手の様子を見つつ、自分語りをしたりして適度に相手を休ませる。自分をアピールする事も必要。
A「なまえはー?」B「Bです……」
A「Bっていうんだ。君にはもったいない名前だね。今日からBの名前は「び」でいい?」B「だめです」
A「だめかー。悲しい」B「一体俺をどうしたいんだよ」
会話をするときに、ずっと真面目になっていると相手に飽きられる。
少年漫画で水着回がある様に、アクセントが必要。相手が真面目な話をしていたりする時は入れてはいけない。
間が空いた時とか、どうでもいい話題の時にギャグを入れる。入れすぎると頭がおかしい人扱いされる
A「もう晴れてるよ」
・会話の流れ
男でも女でも会話にはフェーズがある。会うたびに変わる。
一回の出会いは5時間が限度。それ以上にすると飽きるので、長くかかわりたい時はアクティビティを入れる。
相手の上に立つか、対等に行くか、下から行くか決める。不快なマウントをとる奴がいたらここで関係性を切った方がいい。
互いに下から、若しくは対等に行くのが理想。女にはマウント取った方が恋愛関係に進みやすい。
・軽く弄る話題・自己紹介・天気・好きな食べ物・趣味・人の悪口、褒め
ギャグパートを入れたりして相手を笑わせたり、知的さをアピール
・ふざける話題・最近会った面白い話・テレビドラマや趣味の話・相手の自慢話を聞いたりする
コイツみたいな「無根無し」に低く見積もった言説をタレ流す奴も同レベルでたちが悪い
恐らくだが、今回の新コロナウィルスの危険性は、これまで風邪として扱われてきた従来のコロナウィルスをややレベルアップした程度ではないだろうか。
今回の新コロナ騒動は、なんか東日本大震災の時の放射能騒動に似ていると思う。
事実を伝えているだけかもしらんけど、それ以上に不安を植え付けている。
東日本大震災の時は、ネットがその煽りとは逆の「データに基づく真実」を発信し続け
そのおかげで、多くの人が未知の災害に対して冷静に対応できた。
当時ツイッターの流行り始めで、有識者がツイッターを通じてネットに真面目に参加していたことも大きかったと思う。
ただ今は違う、ネットにはどうでもいい情報と、真贋が見抜けない人達が増えすぎてしまい
恐らくだが、今回の新コロナウィルスの危険性は、これまで風邪として扱われてきた従来のコロナウィルスをややレベルアップした程度ではないだろうか。ただ感染力は強力。
風邪が原因で亡くなる方は、毎年一定数いるし肺炎で亡くなる方もいる。
高齢者がウィルスによる感染症に弱いのは、新コロナだけの特有の問題ではない。
治療薬がないウィルスは数多くあり、従来のコロナウィルスだって治療薬はない。
きっと有識者で新コロナはいうほど大したことないと発信している人はいるんだと思う。
でも今はそういう意見より、やばさを煽る情報が人気のようだ。テレビと一緒。
9年間でネットを見ている人の質が変わったんだと思う。