3年くらい好きな人がいる。
その三年間の間に、その人に彼女ができたこともあった。その時は超悲しくて頭が真っ白になった。わりとすぐに別れて、ふう、よかった〜なんて内心思っていた。それから一年くらい友達なのか家族なのか兄弟なのか、(少なくとも私はそう思っている)そんな全てを内包したような少し不思議な関係でいて、関係を紡ぐ中で、(あれ。この人私のこともしかして)という場面が何回かあったりした。もしかしたらもしかするかななんて正直思っていた。でも、全然違った。最近彼と遊びに行ったら、良い感じの人がいるようだった。彼はそこまで恋人を求めている風ではなかった。そういえば、前の彼女ができたときもそうだったな。「俺は今は彼女とかはいい」とか言ってるのを聞いて、ひとまず安心だな、とか馬鹿な私は鵜呑みにしていたけど、すぐに彼女ができていた。(は?前に言ってたのとちげえじゃん)と思ってしまったんだった。男の人のいう「彼女要らない」は信じてはいけないな、とその時身をもって理解したんだった。
いまも、すごく忙しそうだったし、恋人欲しい感じでもないのかなと勝手に解釈していた。
でも、私も彼を「好きになろう」と思って好きになったわけじゃない。人を好きになる時っていうのは、ほとんど事故みたいなもので、自分ではどうすることもできない。
気になる人のことを語っている時の彼の顔は、これまで全然見たことのない顔だった。
正直、前の彼女と付き合い出した時は、なんとなく(すぐ別れるだろうな)という気配があったけど、今回はちがう。わかる。ガチだ。
私じゃ絶対にそんな表情させられないなと思ったし、
この人は絶対に私を選ばない。この人が私のものになることはない、と、薄々気づいていたけど、それを突きつけられた。だって、私と喋ってる時、そんな顔したことなかった。
これまで、脈があるかもなんて都合よく解釈していた諸々のこと(可愛いと言われたり、私が遠方へ転勤になるかもと言ったら「えー、まじで無理だな、俺も転勤先に行くわ」と冗談言ったり、節々で親切だったり)は、彼の人懐っこさからくる、なんの意図もない言葉や行動だった。ただ私が都合よく解釈していただけ。思い上り。全ては。
好きじゃなくなれたら一番いい。
でも、こんなに素敵な人は出会うのは人生で初めてで、本当に良かったなと思う反面、出会わなきゃよかった、こんなに身体がバラバラになりそうなくらいしんどいなら、とも思う。
なんでこんな思いをしてるんだろう。好きだからだ。この人を。じゃあ好きじゃなくなりたい。何回こう思ったかな。200回くらいは考えたな。何回も好きじゃなくなろうとしたけど、そう思うほどに、好きな気持ちがモグラ叩きのモグラみたいにヒョコヒョコ顔を出して、「好き!」「ダメ!」の叩き合いっこになる。だめっていうか、別にだめじゃないんだけど、
彼は私に全然気がないということを、
受け入れられない自分がいることが問題であり、もうな〜本当にしょーもな案件
気を緩めたら泣きそう。メイク終えた時も。電車に乗ってる時も。職場でエクセルやってるときも。
彼が気になってる人のことを話す。とても楽しそうに。「いいじゃん、次のデートも決まってるんでしょ。うまくいくよ」と反応したときの自分の顔変じゃなかったかな、とか。好きなくせに、好きだと察知されないように動いてる自分なんなの、とか思うし、単純に、彼に好意を持たれている相手のことが、すごくすごく、羨ましい。
そしてちょっと憎たらしいです。
なんの気もない私に対してもあれだけ親切なら、恋人にはどんな接し方をするんだろうなって思います。
私は本当にベタ惚れで、
いいなあ、あの人から好かれて。
あなたを語る時の顔、すごく穏やかで優しいです。
きっとあなたも惹かれていて、あともう少ししたらあなたたちは付き合い始めるでしょう。
余計なお世話だろうし、
お前誰だよって感じだけど、
わたしは距離を置いて、この気持ちをなくす努力をしようと思います。
あー、好きだよー!!!!
ちょっと駆け足すぎていまいちなに言ってっかわからんとこもあるけど
道徳は道徳で一塊じゃなくて基礎編中級編応用編と分けることもできる、だから発達段階に合わせて分けて教えましょうでいいじゃん
今働いている部署では頻繁に英語を使う機会があるのでTOEICを受験して英語を勉強していたのだが
いや、アスファルト氏(HN)が主人公で「タイヤを切りつけながら暗闇を走り抜ける」んだよ。
そして翌日になって大騒ぎになるんだ。
田舎町で周辺の車、バイク、自転車のタイヤが一斉にパンクさせられるという事件が近所でおきたのだけどきっとアスファルト氏(HN)が犯人だったと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20200118002721
たくさんのコメント、少数ながら同意など、本当にありがとうございます。
いくつか質問が寄せられているようだし、これだけ賑わせてしまったからには説明責任はあると思うのでいくつか答えさせていただきたいと思います。
元記事を読んで不快になった方や、謎は謎のままがいいという方はUターンを推奨します。
まさにこれです。この記事にリンクを貼ると万が一バズってしまったときに謎のアクセス集中が起き、総本山(ニトリ)に激震が走らないかという危惧があったのだが、その結果がこれだよ!
そうこれを恐れているのよ。でも今のところネットニュースになったりみたいな騒ぎにはならなかったようで胸を撫で下ろした。
なんかもう1万回再生行ってるが俺が初めて見た3日前はせいぜい2000回だったような気がするけどそれとこれの因果関係は気にしないことにした。
記事への反応の中の指摘にもあるように、おそらくこのYouTubeの動画は時期が来れば消えるだろう。
そうなったあと、CMの内容を知らない人が一体どんなCMだったのか永遠の謎をさまよう事態になり、たとえ真実に辿り着いても、それを知った瞬間の失望を考えるととても哀れになる。
いやどう見てもお姉さんでしょうこれは…間違いない。
いや間違いがあると俺が困る。いろんな形の愛があっても構わないとは思っているが、こんな俺でも開きたくない扉はある。たとえもし間違いだとしてもその事実は俺が墓に入るまで俺の耳には入れないでくれ。
正鵠を射た指摘だ。マネキンを使うのではなく、血の通った生身の人間を人形のように捉えているところが良い。
ソファに着地した瞬間にわずかに体が揺れて人間らしさが現れるところが、頑張って人形してるなと思えてポイントが高い。
なんというか、ほんと、ありがとう…でも無理しないでねホントに。
俺の性癖を振り返ると、現実ではありえない非現実的なシチュエーションに置かれている女性という通底するひとつのテーマがあって、そのシチュエーションが謎であればあるほどツボを刺激されるようだ。
モノによります。たとえばこれなんかすごく良い。
Twitterで時間停止AVというものが流れてきたんだけど、なんか違った。それは、「時間を停止しますよ」と企画として断っているから、なるほどそういう話なのねと脳が納得して完了して冷めてしまう。
それに対しこのニッセンのCMは、何の説明もなく香里奈が停止していたり、香里奈が増殖してワチャワチャしている。この荒々しい世界観が素晴らしい。
同一人物が増殖するというのはフェチとして有名なのでわざわざ触れないが、増殖は特殊なシチュエーションとして非常にポイントが高い。
たぶん例のニトリのCMよりはわかりやすいと思う。ニトリとかニッセンとか家具屋フェチってわけではないよ。これで答えになったのかな。
ラピュタかあ。いいよね。普通に好きですよ。期待に応えられず大変申し訳ないが、特に下半身が反応したりはしない。
こうした質問があるのは当然だと思う。あんなCMでムラムラしたとか言ってたら、女性がふわりと下りてくるのに興奮する特殊性癖と思われても仕方あるまい。
たしかに空から女の子がってシチュエーションは唐突だ。しかし、ペンダントの石が光り輝いたことで空を飛べたというのは絵として十分な説明になっており、話として納得できるので、特に俺のフィルターに異常は起きない。
ちなみにラピュタで一番好きなのはシータをムスカのところから救出するシーンです。無駄な一般の感性アピール。
確かに変形というのもやはり非現実的なシチュエーションとしてポイントが高い。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm28454420
このCMで女性がぞうきんをかけているとスーッと掃除機がけに移行していくさまが、妙に機械的な動きをさせられていて実に良い。
これも十分いいのだが、これと別に、細身の普通の女性が掃除機をかけているとぞうきんがけに移行した瞬間モーフィングで力士に変身するというバージョンがあって、その動画が残っていないのが返す返すも悔やまれる。力士のぞうきんがけのようなパワフルさをもった掃除機というコンセプトは理解できるが、女性が自身の体を力士に変身させられるというあまりありがたくはない役回りをさせられているところに強く心を突き動かされたものだった。
さっきから質問の答えになっていない気がしてならず大変申し訳ない。
さっきから例に挙がるものが全部CMだと言われそうだけど、CMはアピールの塊だからそれだけ注目を集めることしてくるからCMは危険よ。
このベッド欲しいな。掛け布団を片しておく空間を用意しないと駄目だけど。
お世話になってしまっといてアレなんだけど、家のスペース的にこのソファベッドは買えないかなぁ。同じ寝る&座るなら俺はコタツ派です。最後にしつこく一般の感性アピール。
sonzincさん
あなたは何も悪くないよ!いつかは貼られると思ってたから気にしてないよ!てか第三者が貼るならともかく俺本人が貼ると必死でキメェなと思ってたからむしろありがたいよ!
はてなのネット界隈でも年に数度道徳の教科書の問題が俎上となる。最近も子供が持ち帰ってきた道徳の教科書が「変なこと」を吹き込んでいるというtwitterの投稿がブックマークを集めていた。
私はこれから、原文やブックマークのおおよその論とは逆さに「こういう道徳も必要ではないか」という観点から考えてみたいと思う。
大きな論点は二つある。
私たちブックマークする人間は十分に教育を経てクリティカルな思考が(ある程度には)できるから、あの教科書に対して批判ができる。
ところが初めからそうではないだろう。小学校二年生の時を思い出して欲しい。
まずは周囲の仕事に気づき、それにより身の回りが成立している感覚を基礎的に学ぶことは重要だ。
まずそうする。そうしないと、子供に基礎的な社会性すら涵養されないのではないだろうか。
私たちは徹底的に(あるいは歴史的に)これを体験し修学してきた。
だからここは批判的になりがちだしなるべきだが、全く愛校心や「軍隊っぽさ」がないと、それはそれでバラバラになり立ち行かなくなると考えられているのではないか。
バランスを見極めていくべきて、少なくとも私はこれくらいは十分に必要と思う。
小学校二年生の時を思い出して欲しいのだけれど、教科書が世界の全てではない。
例えば校長の話は意味がわからなかったりたまにしか会わないから会話や指示にぎこちなさがあったりする。
保健の先生はトイレを濡らした犯人を俺だと決めつけて掃除をさせた。
小学二年生は、友人関係を含めて人間関係のるつぼの中にいよいよ参画していく時期だ。
改めて小学二年生を思い出して欲しい。テレビや教科書の「お題目」と現実との折り合いに、わずかでも気がつき始める。
ここで重要なことは「お題目」を知り、かつ「実態」を生きると言うことだろう。
「社会の規範や常識」とそれが必ずしも通用しない、それできっちり割り切れない「実態」の二重の感性。
「社会の規範や常識」が「お題目」とは言え重要だと言う話をしてきた。
とはいえ私たち大人は「社会の規範や常識」をどこに定めるか、不断の努力で議論し構築していかなくてはならない。
家庭でも地域でも普段の子供とのやりとりでも。そう言う視点からの批判ならばあの道徳の教科書への批判になりうるだろう。
援交っぽい気がする
俺はジャイアンみたいなやつに10年以上付きまといされてて、
ムカついたらすぐ暴力、人の話を全く聞かない、物を借りる(帰ってこない)、電話やメールを毎日してくる(自分の話ばっかり)、
いや嫌われてると思うじゃん?
でも逃げても逃げても、付きまとってくんのよ。学校のクラスが別になっても呼んでくる、
一緒の塾にわざわざ入って来る、家も知られてるから逃げきれないし。
お前らにもそんな奴いる?
それ「横」だよ(笑)
切りがないのでまとめるぞ。
エスキモー、お前は悪くない。オレが暇潰しに揚げ足とっただけだ。あんまカッカすんな。
その他のやつ。お前らはハンディキャップに負けずに頑張って生きていけ。
「これが私の描いた絵図です」とかもあるな
絵を描くのが上手っていう日本語は通じると思うよ
俺は苦労して医者になった。
両親は高卒で、片方は貧困のため仕方なく、もう片方は学力的に、それぞれの理由で大学進学を諦めて働いていた。
俺はそんな両親の長男で、田舎レベルではあるけれど、そこそこの頭の良さと、かけられた期待のおかげで、それなりに優秀と言われて育った。(親戚は高卒だらけだったが、唯一旧帝大卒のおじさんがいてそれを目標に、とか言われていた)
共働きで働いていた両親に変わって、母代わりの祖母が家にいて俺はよく慕っていた。祖母のお茶飲み友だちにもお前は頭がいいと褒められていた。
俺が小学校低学年の夏、その祖母が交通事故で重傷(ちなみにこれは医学用語ではない)を負ってから、俺は医師になることにした。小学校の卒業文集には未来の「増田医院」の話を書いた。
中高時代のことは面倒だから省くが、俺は医学部には入れなかった。偏差値が5以上足りなかった。通える範囲の地域で一番の進学校だったけれど、現役で医学部に進学したのは4人(国公立3人、自治医1人)だった。
なんとか浪人させてもらえることになり、政令指定都市にうつり寮から予備校に通った。
結果から言えば、俺は医学部には入れなかった。2浪はできないので、センター試験で85%以上なければ医学部は受験しないと両親と約束したからだった(具体的には84%に止まった。全統記述は偏差値67程度だったので、無理はできなかった)。俺と同程度の偏差値の奴らが少々の国公立医学部に受かっていった。俺より悪い成績の奴らがいくつかの私立医学部に受かっていった。俺は俺でも受かりうるレベルの私立医が3000-5000万の学費がないと通えないことに絶望を覚えた。(当時、帝京大医学部の学費は4900万くらいだった)
やりたいこともなかったが、旧帝大の工学部に合格したので進学した。
やりたいことがなかったので、1年生のときは単位をほとんど取らなかった。「旧帝大の工学部」の合格ごときで喜んだ両親をなぜか恥ずかしいと思っていた。2年目は休学した。休学して再受験しようと思ったけど、思っただけで、びっくりするほど何もできなかった(抑うつ的だったし、適応障害的だったなあと振り返って思う)。
復学してからは進級できて、そのまま4年生になり、大震災があり、思うところがあり、残り10ヶ月の期間だけ勉強して医学部を目指すことにした。両親には黙っていた。予備校には通えなかった。教授には2ヶ月後の記述模試でA判定を出さなければ受験を認めない、と言われた。3ヶ月後、教授から受験の許しを得、両親に黙ったまま勉強を続けた。
お金がなく、模試も全部で4個くらいしか受けなかった。2万円弱のセンター試験の出願料だけでも生活費を圧迫した。1校6万円する私立医の併願など、もちろん念頭になかった。
国公立医学部を受けるとして、地方の受かりやすいところを探せば統計的には確実に受かりそうではあったが、遠くに受験しに行くお金はなかった。女性ではないので性別を理由にした入試差別を受けることはないが、再受験生は性別によらず差別のリスクがある。こういった差別的傾向は当時も医学部受験界隈でよく言われていて、そのため差別のない(と言われている)大学の医学部を受けることが再受験生の受験戦略となるのだった。こうした入試差別は、偏差値に比例してなくなっていくとされていた。旧帝大医学部は純粋な学力勝負ができる。俺はそのまま部屋から受験しに行ける旧帝大医学部を受験することにした。
前期試験一発勝負をして、約10日後「合格」の文字を見ることができた。
医学部生活は面倒だから省くが、一言でいえば普通に部活をし、遊び、勉強をした。留年することなく進級・卒業し国家試験にも合格した。俺は医師になれた。
研修医生活は本題ではないので省く。でもちょっとだけ言うとすれば、医師の労働環境は、人間のする働き方ではなかったということだ(俺は比較的楽な方の研修だったが、週1,2回の連続30時間勤務や25連勤でもう無理だと思ってしまった)。女性医師は出産や育休で労働時間がああだこうだと言っている人がいるけど、この働き方は男でも無理である。東京は医師が多いのでまだ余裕があるが、俺の出身地方はすでに医師がどんどん減ってきており、崩壊は当然に時間の問題である。医師の使命感と根性で成り立っている地方は特に女性医師にやさしい環境ではないし、女性医師にやさしい環境でない地域は女性医師が残らないので、つまり男性医師も残らないか人柱になって折れるのを待つだけだろう。
わざわざ横だ縦だ言ってる奴の方が少数派だろ