今20代後半でWebエンジニアとしてベンチャーに勤務しておりますが、転職を考えており、
Web系の企業でネイティブアプリの開発をやるか、元請けSIerでSEをやるか、凄く迷っています
迷っている理由はこうです。
・Web系
当面の年収が高めである点と、面白いB2Cサービスを開発できるという点は魅力的です。
ただし、40代、50代になって体力や成長速度が落ちたときに、エンジニアを続けられるか、という不安が拭えません。
一生、最新技術の学習とアウトプットを続けていく覚悟が必要で すが、正直言って
10年後も続けられる自信はありません。
市場の変化が激しく、数年後に会社の業績が悪化し、職を失うリスクもあります。
・業務系SE
ある特定分野の深い業務知識を身につけて、PMを目指すことになります。
売り上げは大きくありませんが、安定しており、10年、20年先も恐らく
仕事を続けることができるでしょう。
ただし、賃金は年功序列であり、急激な年収増加は見込めません。
またプロジェクトごとの変化が少ないので、退屈に感じるかもしれません。
比較優位が成り立ってないと思うなら、それはあんたが比較優位を間違って理解しているか、経済学における仮定の意味を間違って理解しているか、そのどちらか乃至は両方だな。
実家の母親の電話いわく、地元の中学校の部活動が強制ではなく任意となったらしい。弟は学校から帰ると、ずっと友達とゲームをして過ごしていると愚痴られた。
僕は、バスケットボール部に所属していた。15時半の授業が終わると、各々は体育着になって体育館に向かう。そして18時半までひたすらドリブルを続けていた。コートの真ん中では、運動とバスケが上手な奴らが陣取り、ひたすら試合をしていた。雑魚である僕らはコートの隅である。たまにボールが飛んでくると、それを真ん中に投げ返すだけの簡単な作業である。
雑魚の中でも、カーストがあった。僕はそのカーストの中で低い方だった。上手な奴らの分に加え、同じカースト内から受けるイジメがった。それもあって、バスケの部活動は苦痛だった。
思い返してみれば酷いものだ。たまに試合を「やらさせてもらう」としたら、笑われるか怒鳴られる。部活の基準は上手な奴らに合わさっているので、雑魚は何をやっても怒られる。
そして、何かと休日は校外で試合をする。雑魚はそれに合わせて一緒に行動し、ボールや荷物を持っていく。上手な奴らの親は我が子が一番可愛いと、どこにでも車を走らせる。ビデオを撮り激励を贈る。雑魚の一人である僕は、横目で冷めた弁当を食べ、サボれる場所を探す。何もおもしろいことなどない。時間を潰すのに必死で苦痛だった。強い強い苦痛を感じた。
僕の中学校は田舎なので、人数は東京に比べたら断然に少ない。一学年に80人はいなかったと思う。そうなると部活動の数も少なくなる。その上、なぜか部活動は強制参加だった。サッカー、野球、そしてバスケットボールのどれかを選ばなければならない。文化部は何か体に問題があるか、家庭に問題がある子しか入部できなかった。
他の部活も大抵同じだったが、野球部は先生が皆平等にシゴいていたので、しんどそうだったが精神的に追い詰められていそうな感じではなかった。サッカーは楽そうだった、これに入れば良かった。友達もノビノビしてたし、試合も半年に一度しかなかったようだ。バスケははっきりとした上下関係というイジメがあったし、顧問も試合に勝つことしか言葉がなかった。
試合の日などでは、他の学校の顧問は常に生徒を怒鳴ってた。頭ごなしに下手糞と怒鳴りつける。生徒は泣く。でも青春なんだと、上手な奴らは語っていた。この空間の何が楽しいんだろうと思った。上手な選手がいて、怒鳴るコーチがいて、あとは奴隷がいた。試合に勝つことが絶対で、失敗しないことが求められ、奴隷は時間を潰すことに必死だ。奴隷は微塵も興味が無いバスケが上達するわけでもなく身体能力が上がるわけでもなく、雑用のためだけにいた。
バスケ部は僕の学校が誇る素晴らしい「伝統」の一つに数えられていた。上手な奴らは誇らしく、青春を感じていたのだろうか。伝統というものは、犠牲の元にあったことを知らなかったのだろうか。
その後、部活動は三年生の夏で終わり、受験勉強と塾で追われることになった。僕は勉強ができたので途端に楽しくなった。その後、受験が始まり僕は進学校に進み、できる奴らはスポーツ推薦、またはスポーツ推薦で落ち大金を払って私立校に進んだ。
何年かして、僕は大学に行き就職して今に至る。「上手な奴ら」の話は一切聞いたことはなかった。そりゃそうだろう、上手な集まりの中で高みに行くのはとても大変だ。しかも、バスケは野球やサッカーほど良いスポーツではない。プロになったとしても食べていけるわけがないだろう。オリンピックも日本の枠はない。上手になっても意味も価値もないスポーツだ。
母と話をしていると自然と昔話をしていた。母親もバスケ部は嫌だったらしい。そりゃそうだろう。休日も早起きをして、何も活躍できない子供の弁当を作ってたのだから。高い名前入りのジャージを買わされ、たまに車を走らせ、遠い学校や施設へ子供を送り迎えにいってやったり。きっと、母親内でのカーストもあっただろう。僕が勉強ができなかったら、もしかしたら母親もイジめられていたかもしれない。
僕は半笑いで聞いていた。遠い昔のことだから、もうそんなに辛くはない。ただ、あの時の時間で何かもっと他の事をやっていれば、きっと楽しかったんだろうなあと思っていた。
その後、あの「上手な奴ら」の話になった。上手な奴らは高校を卒業したあと、揃いも揃って地元で働いているそうだ。田舎なので大した仕事はない、それこそ工場とかしかない。できる奴らのリーダーは工場で働いているらしい。朝の8時から夜の11時まで働き、体中を黒い油だらけにして帰ってくるらしい。給料も聞いたところ、手取りで15万円はいっていないそうだ。それをもう何年も続けているそうだ。
僕は母親との電話を切ったあと、ふと辛かった思い出をつらつらと思い出してみた。一日2時間半、週に12時間半、月に50時間。それが2年と半年、600時間をかける2.5して1500時間。プラス月に2回ほど休日を全日潰される。その時間を、僕がマックスで有意義に使えたかは微妙だが、とても貴重な時間に思えた。
僕は今、残業はあるとはいえ悪くない環境で働き、年齢で見て平均以上の年収を貰い、今のご時世にしては恵まれすぎている生活をしている。あの時の惨めさはもうないのだ。僕は今、立派で、幸せだ。ドリブルもできず笑われ、道具やボールを試合に忘れて怒鳴られ、陰湿な嫌味を言われ続けたあの部活にいた僕は、上手な奴らより恵まれているのだ。
きっと上手な奴らは、僕と低いカーストの時間を奪ってしまった罪を、たった今被っているのだ。僕が苦痛に感じていた時間を、自分の大好きなバスケに費やしてしまったことに対して、惨めな生活をして免罪しているのだ。そしてきっと、その工場は潰れフリーターの生活になるだろう。昔を思い出しながら、惨めな生活を悔いるだろう。青春は犠牲のもとにできていた。輝くためには燃料がいる。カーストの下の奴隷がいて、頂上へ高く登れ、そして輝くのだ。そして今、そのカーストはいなくなり、上手な奴らは地面で頂上にいたときのことを思い出しているのだろう。
別に僕はもうどうでもいいのだ、奴らとは赤の他人なのだから。でも、ああ、やった。苦痛が柔らいだと感じた。
つらつらと書いてしまったが、これで僕の黒い物が掃き出せたと思う。駄文失礼した。
もし、僕みたいな田舎で暮らしていて、同じように部活動とかで惨めな思いをしている人がいたら、反発するべきだ。その代わり、何かに打ち込まなければならない。僕は勉強だった。勉強ができたから頑張ってこれた。
僕は、今の僕が決して良い大人ではないと思う。だけども、上手な奴らに加わらなくて本当に良かった。でもカーストの下にいたことは黒歴史だ。人生は難しい。
追記
コメント全て読ませて頂きました。ありがとうございます。
僕自身はスポーツ自体はとても良いことだと思う。中学生という成長期に、きちんと体と心を育てるのは素晴しい。ただ、「スポーツをしていればなんでもいい」という一辺倒であること、そしてそれを全力で応援してしまう大人、駒を無理やりでも勝たせたいと思ってしまう顧問、これらは問題だと思う。夢を持つなら、それについてライフプランを立てさせるべきだし、駄目な場合が大きいということも教えなければならない。子供は、キラキラと夢を持って青春を演じさせて、大人を夢中にさせるものではない。青春ドラマと現実は違う。
特に顧問を兼ねる中学教師、彼らはスポーツ推薦で高校に入れてしまえばなんでも良いと思ってると思う。その後の事は何も考えてくれない。高校入学を完全にゴールとしてる。そうじゃなくって、きちんと大人への段階を考えさせ、一緒に相談してくれる中でなければならないと思う。今思うと、自分の実績を作るのが最優先だったんじゃないか。
それらが上手な奴らの可哀そうなところだと思う。
でも僕は同上しない。あの部活動は、僕らのカーストには何も施しはなかった。ただドリブルだけやらせて応援という声出しをさせて、徹底的に雑用に使う。何も育たなかったし、育ててくれなかった。僕らがバスケの初歩も分からない屑で、全く運動ができないせいもあるだろう。それなのに、何も指導もなかった。形だけの練習をさせて、問題にならない程度になったら、満足するまで自分たちを可愛がった。
イジメもあった。そこまで壮絶じゃなかったけどね、陰湿な環境に四六時中いるから、どうしても弱いものイジメが発生する。死ぬほどではないけど、辛かったよ。それが2年半。全く無駄で辛い時間だったね。
所帯持ちだったらただの頼れるとーちゃんって感じがする
「頼れる」=「稼ぎがいい」 だ。 労働時間ばっかり長くてもな。
ちょっと勉強するだけで、ものすごく楽な環境に行けるのに、わざわざ底辺に行く奴ってマゾとしか思えないよな。
よっぽど無能なんだと思う。
頼れるとーちゃんになっていればいいよね。その子供は良い人生をおくれますように。上手な奴ら、というより地元に残った組について僕は詳しくは知りません。ぱらぱらと、結婚したとか聞いたりはするけどね。
「上手な奴ら」がきちんとした大人になっているか、っていうのは、僕はそうにはなってないと思う。酷い言いかただけど、多かれ少なかれDQN化してるんじゃないかな、多分。奴らは無能でまともな生活じゃないと思う。
今日日の現実は、大学はFランだろうが最低限卒業しているのがあたり前で、ホワイトカラーが一般家庭の仕事だと思う。上手な奴らがバスケで成功していたらともかくして、工場なんかじゃなく一般企業に勤めて普通の生活と給料を貰っていたら、僕はまた嫉妬なり苦痛を覚えていただろうね。
余談になるけど、労働環境だったり、子供を育てる地域としては僕が地元を離れたときより確実に悪くはなっている。実家帰る度に思うけど、仕事も働けるところも目に見えて少なくなってきてるみたいだし、昔の風景も不安になるような感じで変わってきている。パチンコ屋が増えたり、DQNが好きそうな店が増えたりね。
どうだろう。リーダータイプはいたけど所詮は田舎の大将、井の中の蛙だからね。それに成功するにしても、また新たな惨めなカーストが生まれると思う。
僕の小さな範囲でしかないけど、ほとんどの公立・私立高校であったよ。もちろん限られた数だけどね。高校に入って活躍できそうになくても、適当な理由で一定数は取るのでは。
バスケの上手下手を基準に順位付けられ苦しんだ増田が、勉強ができるできない、収入の大小を基準に人を順位付け優越感を得ている。
収入は結果だけど、それまでの過程で優越を覚えてるよ。低いカーストの奴らを長期間いじめておいて、結局はスポーツで活躍できず、こういう惨めな境遇に落ちつく。
自分でも酷いと感じるけど、溜飲が下がったというか、なんかすっきりした。そのうちにどうにも思わなくなって忘れるだろうけど。
カーストの上位を目指すのは別に主張したいことではなかったが、結局はそうなってたね。
ただ、僕は勉強という純然たる競争があって本当に良かったよ。あのカーストは、いじめと奴隷を育てる環境が機能していたからね。良い競争と失敗したときの逃げ道、これが本当に必要なものだと思った。
http://www.jst.go.jp/csc/scienceagora/
暇そうなところが多かったから
「この子髭が弱点って言ったらみんな触っちゃって、もう性格が歪んじゃってるんです~;ω;」
次は性感帯を教えてあげると良いでしょう
数年前に、母親が、「ネットがしたい」と言うのでノートパソコンを買ったことがあったのだが
たまに使う程度で、その都度、知識が振り出しに戻り、教える方法も大変だったし、結局殆ど使うことはなかった
そんな母親にスマホを持たせたところ、クックパッドでレシピを見て料理を作ったり
LINEで友達とメッセージをやりとりしたり、ネット見てどっかの作品展の情報知って出かけて行ったりと、思った以上に使えてた
スマホは、タッチパネルで直感的に使える上に、文字入力も携帯と同様に行える、常に手元にあり気軽に使えるというところがいいんだろう
はてな利用規約の第6条(禁止事項)に以下のようなものがある。
3.ユーザーは、本サービスを利用するに際し、以下のような本サービス利用上不適切な行為を行ってはなりません。
a.宣伝や商用を目的とした広告・勧誘その他の行為。ただし、当社が各サービスのヘルプに別途定める場合はその限りではありません。
「当社が認めるアフィリエイト(はてなブログの広告貼り付け機能、アドセンス設定)以外の広告を貼るな」
とも読めた。
というか、これまでもあっただろうがはてブに上がることが多いから目につくことが多くなってる。
はてな上場を機会に、規約に従って、警告や削除を運営は行ってみてはいかがだろうか。
それとも、俺の考えが間違ってるのだろうか。
追記
すまん、
https://www.hatena.ne.jp/info/affiliate
ここに
記事内で商品やサービスの紹介を行うことは読者にとって有益な情報を得られるきっかけとなることから、広告を掲載し収入を得ることを許諾しています。
ってあった。
ん、有益?
バイクでGhettoに通っていたので酒は飲んでいなかったが
プロジェクトがとりあえず納品されて力つきた。
すぐに山口に帰った。
前歯を抜いてそれでもダメで、でもたまぁに痛みから解放される時間があって
その瞬間はとてつもなく幸せだった。
すぐ慣れちゃうんだろうけど。
2年前かな復職したが、すっかりハプバーの住人になっていて
睡眠薬とお酒を飲むとハイになって出かけては、あびるように酒をのみ
翌日休んでいた。
我孫子にかよっていた時は久々にプログラムがかけて楽しかった。
週末はハプバーで朝までのんで日曜はドロのように眠り、月曜会社に
通っていた。
1年前に出禁になるが酒がのみたい。ハプバーのようなインスタなセックス
と会話を求めたが、それに変わるものもなく、ガールズバーだのキャバクラ
などで何十万か使った。
鎖骨が折れて、くっつけて、でまた離れて。。
で膝を骨折してもうて、もうなんだか焼けぼっくりだった。
でまあ膝も治って、よし運動だぁ。とスケボーに乗って出かけるも
そこは歌舞伎町。見事なまでに記憶をなくし、うん万円がなくなっていった。
病気ですね。
哲もゲマもおかしかったが、あっちでシポしポやってりゃよかったかなぁ。
でまぁ、1年ぐらい英語でエッサホイサ仕事しる間に10キロ太っていた。
産業医面談は毎回苦痛だったが、体重計に乗るたびにビビってた。
昼飯食べて、よるも酒となんか食って、運動もしないからそりゃあ太るさね。
なんでかかんでか、大東田町にぶっ飛んだ。
ドロドロプロジェクトには覇気がなく、ひっそりしてれば、何もしなくてよかったので
ひっそりしていたのだが、大将に上手く踊らされた。
これは良くないですね。
頭もめっきり回らない。当たり前ですね。
なので、酒ダメ・ゼッタイと思っているのだが、週末はもう何も用事がなくて昼から
酒。で下痢。
体が摩耗していった。
大将の旗振りで頑張って走ってみたけど、摩耗した体は風呂はおろか洗濯さえも
めんどくさくなるほど。
でガラシさんがやってきて、これがダメだ。
まぁ勉強がんばってるのは分かるが、長い。
もう。厳しいと思ってまた休んだ。
休んだ最初の週に酒のんで、もう飲まない。と思ってまた飲んで。
まぁアル中だったのですね。
そういうのなくなるともう、酒。
で昨日も飲んでもうて、寝ようとおもって眠剤のんだら、なんだか
歌舞伎町へ。
夏にも同じようなことがあったなぁ。
もう死にたい。
今も酒が飲みたいが、なんとか我慢できている。
一日家にいても酒をのまずにいれるようになれば
気分が良い日もきっとくる。
それが出来たら、やっと前に進めるきがするのだ。
バイクでGhettoに通っていたので酒は飲んでいなかったが
プロジェクトがとりあえず納品されて力つきた。
すぐに山口に帰った。
前歯を抜いてそれでもダメで、でもたまぁに痛みから解放される時間があって
その瞬間はとてつもなく幸せだった。
すぐ慣れちゃうんだろうけど。
2年前かな復職したが、すっかりハプバーの住人になっていて
睡眠薬とお酒を飲むとハイになって出かけては、あびるように酒をのみ
翌日休んでいた。
我孫子にかよっていた時は久々にプログラムがかけて楽しかった。
週末はハプバーで朝までのんで日曜はドロのように眠り、月曜会社に
通っていた。
1年前に出禁になるが酒がのみたい。ハプバーのようなインスタなセックス
と会話を求めたが、それに変わるものもなく、ガールズバーだのキャバクラ
などで何十万か使った。
鎖骨が折れて、くっつけて、でまた離れて。。
で膝を骨折してもうて、もうなんだか焼けぼっくりだった。
でまあ膝も治って、よし運動だぁ。とスケボーに乗って出かけるも
そこは歌舞伎町。見事なまでに記憶をなくし、うん万円がなくなっていった。
病気ですね。
哲もゲマもおかしかったが、あっちでシポしポやってりゃよかったかなぁ。
でまぁ、1年ぐらい英語でエッサホイサ仕事しる間に10キロ太っていた。
産業医面談は毎回苦痛だったが、体重計に乗るたびにビビってた。
昼飯食べて、よるも酒となんか食って、運動もしないからそりゃあ太るさね。
なんでかかんでか、大東田町にぶっ飛んだ。
ドロドロプロジェクトには覇気がなく、ひっそりしてれば、何もしなくてよかったので
ひっそりしていたのだが、大将に上手く踊らされた。
これは良くないですね。
頭もめっきり回らない。当たり前ですね。
なので、酒ダメ・ゼッタイと思っているのだが、週末はもう何も用事がなくて昼から
酒。で下痢。
体が摩耗していった。
大将の旗振りで頑張って走ってみたけど、摩耗した体は風呂はおろか洗濯さえも
めんどくさくなるほど。
でガラシさんがやってきて、これがダメだ。
まぁ勉強がんばってるのは分かるが、長い。
もう。厳しいと思ってまた休んだ。
休んだ最初の週に酒のんで、もう飲まない。と思ってまた飲んで。
まぁアル中だったのですね。
そういうのなくなるともう、酒。
で昨日も飲んでもうて、寝ようとおもって眠剤のんだら、なんだか
歌舞伎町へ。
夏にも同じようなことがあったなぁ。
もう死にたい。
今も酒が飲みたいが、なんとか我慢できている。
一日家にいても酒をのまずにいれるようになれば
気分が良い日もきっとくる。
それが出来たら、やっと前に進めるきがするのだ。
下のところでも書いたが、内需で足りてないのは消費じゃなくて投資。内需で回していくとなるとすぐに消費のために労働者にお金を、となる人が多いが、基本的なデータは押さえた上でないと生産的な議論にはならない。もっとお金を使いたい、そのためにもっとお金を寄越せという気持ちは分かるが、バランスが大切だ。
本業のサービスの他にオプションで希望者のみ付与するサービスを「提供されなかった」と言って休日の自分のとこに電話がかかってきた。
サービスというのは、例えば単発の家事代行サービスのような感じで、一回いくらで請け負うものだ。
そこにオプションを付けるかどうかは、毎回顧客の希望に沿うことになっている。
その顧客はオプションがあること自体は知っていて、普段はその都度オプションを希望するしないを、こちらが聞く前に自分から伝えてくれていた。
今回はこちらが「オプションを利用するかどうか」と聞かなかったために、実はそれを希望していたというのがこちらに伝わらず、こうなった。
聞かなかったのは、単純な人為的ミスだ。聞き忘れていただけだった。
なので、確認が行き届かなかった点、サービスを受けられなかったことの不利益についてしかるべき謝罪の品を用意し、頭を下げに出向いた。
とても温厚で品のよい高齢の女性で、長いお付き合いをさせていただいている。
確認不足だったのは弁明の余地がなく、本当に申し訳ないことをしたと思う。
しかし、今回オプションが必要だったのなら、こちらが忘れている様子のときは一言そう言ってくれてもよかったのではないか、とも思う。
自分から意思表示しないと受けられないサービスについて、知っていたのに聞かれなかったからオプションを受けられなかった、と子どもじみた理由で怒る人が世の中にあまたいるのは知っている。
が、普段の世間話をしている様子からして、この人はそういうことで怒るタイプではなさそうに見えていたので、正直びっくりした。
今日のあの人は「客だからサービス提供者には何を言ってもいい」と勘違いしているモンスタークレーマーの顔をしていた。
謝りながら、突然入ったスイッチに戸惑うばかりだった。
そして、逃げたお嫁さんの話を思い出した。
息子のもとに嫁いできて同居していたお嫁さんに、昔逃げられたらしい。
あっ、と思った。
もしかしたら、お嫁さんにも同じことをしていたのではないだろうか。
下衆の勘繰りだろうか。
わからない。
でも、そんな気がしてならない。
この人にこんな面があったなんて。
老いて感情のコントロールが難しいのだというのを差し引いても、ちょっと引くぐらいの二面性だった。
なんだか、悲しい。